
心が通い合う瞬間を“見て”人は救われる
救いって、
案外こんなところにあるのかもしれない。
何気なく
猫の動画を見ていた時に、
思ったこと。
世の中の救いって、
心と心の通い合いを
“見る”ことに
あるのかもしれない、と。
猫ちゃんと猫ちゃんが
顔を見合わせ、
反応する短い動画。
「うん?」という表情と、
「え?」という仕草をするだけで、
どちらも何もせず、
ただ近くで寄り添う場面。
お互いの表情や仕草から、
「あ、心が通い合っている」
と感じた瞬間。
その場面を見た時、
なんだかすごく救われた気がした。
“真の”心の通い合いを
“見た”ことで。
いま私が
腰痛で弱っているからこそ、
より感じるものなのかもしれないけれど。
腰を痛めてから、
私には「見る」という時間が増えた。
本当なら出かけたい。
動きたい。
誰かに会いたい。
でも思うように体がついてこないから、
画面の向こう側の世界を眺める。
そんな日々の中で気づいたこと。
人は、
自分が誰かと心を通わせるだけじゃなく、
誰かと誰かの心が通い合う瞬間を
“見る”ことでも
救われる生き物なのかもしれない。
それは人同士に限らない。
動物同士でも、人と動物でも。
シチュエーションもさまざまだ。
ドラマや映画では、
俳優さん同士の、
演技を超えたような心の通い合い。
バラエティでは、
芸人さん同士がふと見せる、
作り物ではない心の通い合い。
スポーツでは、
同じチームの選手同士が見せる、
ほんの一瞬の本気の心の通い合い。
「いま、心が通った。」
その瞬間を目撃するだけで、
私の心はふっとほどけていく。
世界は争いや悲しい出来事ばかりが目につくけれど、
その一方で、
今日もどこかで誰かと誰かの心はちゃんと通い合っている。
そして、
その景色を画面越しに
“見る”ことで、
弱った心は温められていく。
今日も私は、
そんな瞬間を探して動画を開く。
人には、
自分以外の生き物の心と心が通い合う瞬間を
“見る”だけで、
心が浄化されるシステムが
組み込まれているのかもしれない。
心の通い合いを見ることは、
生きる上での大きな醍醐味であり、
私にとっての救いだ。