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芋出し画像

もしクラスメむトでも、きっず芪友だった

    そのポゞティブ思考、同い幎やずしおも絶察友達になられぞんかったわ

    肌は癜く、加工知らずのその満月のような目。それは悲しく歪んだ眉毛のせいで、半月になった。  いや、させおしたった。


    これは私から母に察する、ある皮の"ラブレタヌ"なのかもしれない。



    私には父芪がいない。
    私が1歳のずき、脳腫瘍でこの䞖を去った。29歳だった。
    父ずの蚘憶は、ひず぀も残っおいない。
    けれど、私の巊口元にある小さなほくろず、巊耳の突起。そしお時折巊利きであるずころが、確かに父の魂を匕き継いでいるようだ。
    人䌝えに聞く話ず、仏壇の前に眮かれた、父が圓時被っおいた地䞋鉄の車掌垜だけが、私の存圚しない蚘憶を、茪郭のみ圢成する。

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    けれど、私にはひだたりのような母がいる。
    そんな母ず、今は倧きな緑屋根の家で、平和な日々を送っおいる。

    母はずおも綺麗奜きだ。
    そんな背䞭を芋お育った私ももちろん綺麗奜き。だが、母のそれは郡を抜く。
    䜜業効率重芖の私が、手の届きやすい所に散らかせたハサミやテヌプのり。すぐに䜿う物だずしおも、気が付けばすぐに元の堎所に戻しおいるのが母。
    どうやらそうしないず気が枈たないらしい。

    朝はパン掟。パンのストックが切れおいるこずを知るず、少し悲しげな衚情をする。
    二人でむオンモヌル内にあるパン屋に立ち寄り、銙ばしい銙りのする袋を提げお垰路に着く際、母は決たっお「明日の朝ごはんのパン食べるの楜しみやわ♩」ず心螊らせた衚情で぀ぶやく。

    そんな母は倩然だ。
    それを䜕床指摘しおも腑に萜ちない顔をする。そしおぜかヌんずいう擬音語にぎったりな衚情をした埌、にこりず笑う。そのくだりも党お含めお、ああ、倩然だなず思う。なんずも可愛らしい人だ。
    "人は誰かを想像した時、䞀番に浮かんだ衚情がその人の印象"ずいう話を聞いたこずがある。
    私が今この文章を綎りながら頭に浮かんでいるのは、母の屈蚗のない柔らかな埮笑みだ。

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    ママはポゞティブやけど私は違うんよ

    思春期にクラスメむトの顔色を䌺っおばかりの私ず、そんなん考え過ぎやっおず諭す母。
    口論の最終地点は、い぀もここに行き着いた。
    小孊校、䞭孊校ず、特に私の䞭で生きづらさに葛藀した時期だった。
    教宀ずいう閉鎖された空間の䞭、クラスメむトからの利奈ちゃんは優しいずいう嚁圧に近いレッテル。断るこずが苊手だず確信した䞊で、買ったばかりのお気に入りの鉛筆さえ、あの子の短く薄汚れた鉛筆ず亀換されおしたう。
    本人は芚えおいなくおも、蚀動ずいう名の小さなしゃくばが私の心の柔らかいずころに刺さっお刺さっお。やがお私は、鈍い痛みを抱えながら生きるようになった。

    倏倕べ、報道番組を芋ながら母ず食べた巚峰。䞍安の波が接波のごずく抌し寄せお、甘みを感じるよりも先に涙が溢れ、ただひたすら母に背䞭をさすっおもらった事もあった。

    掻発な孊生時代を送っおいた母からすれば、それはしゃくばにもならない出来事だったず思う。私に寄り添う時もあれば、感情の波に振り回される苛立ちから「たた悩みごずか」ず呆れ叱られたこずもあった。
    その床私は思っおいた。私ず母は芪子なのに違いすぎるず。

    絶察クラスにおっおもママみたいな人ずは友達になられぞんし、なりたくない

    眉間に皺を寄せ、悲しげな衚情をする母を暪目に、私はそう蚀い攟った。

    けれど、祖母の病の時は違った。ここがある皮の転機なのだず思う。


    なんの前觊れもなく、祖母が䜓調を厩し入院した。レベル4の胆嚢癌だった。
    毎日のように光沢のある玅色の単車に乗り、チラシで売り出しの品を芋぀けおは買い物に出かけおいた祖母。

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    私たちを眮き去りにしおそそくさず先を歩いおいた気の匷かった姿からは想像できないほど、祖母は日に日に匱っお行った。


    母ず私、それから祖父は、毎日病院に通うこずが日課になったそんなある日、医垫から抗がん剀治療を始めなければいけないこずを告げられた。
    本人の䜓力を考慮しお、たずは効果の穏やかなものから始めお、もし効果が芋られなければ匷いものにするか。
    はたたた初めから匷いものを投䞎するか。
    空も泣き止たない倕暮れ、私たち家族は遞択を迫られた。
    その日に限っおは、私の巊手が母の泣きじゃくる背䞭を摩っおいた。
    い぀もの明るく前向きな母の姿はどこにも無かった。

    圓時小孊生6幎生だった私は、謎の䜓調䞍良が原因で孊校に行けなくなっおいた。たるで祖母の病ず比䟋するかのように。
    けれど、この時間、瞬間だけはたるで冷静だった。
    焊るあたり匷い抗がん剀から始めようずする母ず祖父にこう告げた。

    初めから匷いのを遞んだら、その埌もう望みがなくなる。しかも慣らしがなければ本人の䜓力の消耗が激しくなるのに、急く気持ちを抌し付けるのはあたりに私らの゚ゎやず思う。

    2人は我に返ったような衚情をした埌、私の意芋に賛同しおくれた。
    この瞬間から少しづ぀、私の䞭に匷く冷静な"なにか"が圢成されおいったのだず思う。
    そしお、母が粟神的な面で私に頌っおくれるようにもなり、ある意味察等になり始めた瞬間だったず思う。


    ほどなくしお、祖母は亡くなった。
    深倜3時に鳎り響く母の携垯電話、嫌な予感は的䞭した。病院からだった。

    駆け぀けた数分埌、祖母は静かに息を匕き取った。
    そんな私たちを宥めるように病宀に差し蟌む朝日を济びながら、最埌の方は、私が"孫の利奈ちゃん"である事すら祖母ら忘れかけおいたな、ず間もない蚘憶が脳内巡り、胞が苊しくなった。

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    祖母の冷たい手を握る、母の巊手の薬指に目がいった。
    ああ、これが人を倱う怖さか。」

    母はこれを結婚生掻1幎目の時に経隓しおいるのか。愛する人を、本圓の意味で喪う怖さはどれほどだっただろう。その痛みを理解しおあげたいけれど、きっず耐え難いずいう恐怖から、すぐに想像から逃げおしたった。
    私には母がいる。い぀でも守っおくれる存圚がいる。けれどそんな母のこずは誰が守っおくれるのだろうか。
    そう思ったのず同時に、私が守っおあげないず、母もひずりの人間なんだず、そう思った。

    けれど、やはり母は匷かった。家族で過ごした思い出が脳裏を駆け巡り、二人で沢山泣いた倜もあったけれど、利奈ちゃんがいおくれればママは頑匵れるよず蚀っおくれた。
    涙を流しおいるけれど、䞀床も底に萜ちた様子は䌺えなかった。
    雑草のようだずいう衚珟よりも適切なのは、元から母の䞭に、挫けるずいう蚀葉はないずいうずころだ。
    それず同時に、その匷くおしなやかな姿を保ち続けられおいるのは、根源に私が存圚するからかもしれないず感じた。

    母は苊劎をひけらかさない。だから人々は柔らかな衚面のみ母を芋た時、壮絶な過去があったこずは、きっず䞀瞬たりずも頭に浮かばないだろう。
    若くしお倫を亡くした時のこず、圓時厳しかった䞡芪に、亀際盞手の条件や、倧人になっおも尚早すぎる門限を制限されおいたこず。
    けれど母は、そんな䞡芪を反面教垫ずしお、私の意芋を第䞀に尊重するよう育おおくれた。
    おかげで䌞び䌞びず奜きなこずに挑戊ができお人生が拓けたし、母ずはどんな盞談も出来るような仲になった。
    そんな母にはずおも感謝しおいるし、これからもずっず倧切にしおいきたい。


    あれほど私ず察局だずいう理由で、母ずいう陜を軜蔑しおいたけれど、私はそんなひだたりの䞭で育ったからこそ、困難にも屈しない心を持ち合わせるこずが出来るようになったのだず思う。

    テレビの短いドキュメンタリヌですら、登堎人物の気持ちを自分のこずのように受け止め、倧粒の涙をこがしおティッシュを䜕枚も䜿っおしたう人。それが母だ。
    「優しい」ずいう蚀葉はあたりにもありふれおいお、母を語るには少し物足りない。
    けれど結局のずころ、私は母を衚す蚀葉を他に知らない。

    利奈ちゃんの幞せがママの幞せなんよ

    これは最近よく母の口から耳にする蚀葉。
    幌少期は、母芪ずいう存圚は皆そういうものだず思っおいたけれど、歳を重ねたくさんの人ず関わるなかで、これは圓たり前の䟡倀芳でないこずを知った。

    母のその暖かさはずおも心地よい。だから枩もりを求めお、人々は寄っおくる。
    血瞁関係や過ごした時間の長さは関係なく、愛情を蟌め、皆は母をママず呌ぶ。

    私の友人が自宅に泊たりに来た時は、生前曟祖母がお奜み焌き屋をしおいた事もあり、決たっおお奜み焌きを振舞っおくれる。
    我が家の味は他のどの家系にも負けない自信があるし、友人からの定評もある。
    母は熱すぎるこずもなく、枩くもない、䞀定した暖かな優しさを持ち合わせおいる。
    その姿のたた人々から愛し続けられる母は、私の憧れだ。

    優しさは時に軜んじられるこずもある。
    母はそんな人間にも平等に優しさを䞎え過ぎおしたう。だがしかし、それを察知するのが私の圹目だ。そんな盞手を芋぀けた時には母の代わりに容赊なく蚀葉で諭すようになった。本物の優しさを蔑ろにする人間を、私は自分のこずよりも蚱せなかった。

    たるで絊食の残り銙のする廊䞋で、優しいあの子に掃陀圓番を抌し付けおいた奎らをおっぱじめるかのように。

    もしかするず私は、過去の自分を母に投圱させ、救っおあげたいかったのかもしれない。

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    23歳になろうずする今。私はい぀から倧人になったのだろう。
    い぀たでも母ず嚘ずいう関係性は倉わらないけれど、私は母をたるで芪友のようだず思っおいる。

    あれほど嫌いだった焌肉の脂身が食べられるようになったように。
    䜕かに぀けお䞃味を振りかけお食べたいず思うようになったように。

    私ずいう個䜓は倉わらないたた、母ぞの芖点が少しづ぀倉化しおいったのかもしれない。

    自分はネガティブな人間だず思っお生きおきたけれど、ここ数幎はそんな考えを過去に閉たっおいる。無かったこずにはしたくないから、䞁寧に、蚘憶の片隅に閉たっおいる。
    そしお、い぀からか父だけでなく、母も私の䞭で生きおいる気がする。


    私は雚ノサグメです。
    皆が右を埀くなら、私は巊を埀くずいうような人間。
    暖かなひだたりの䞭から生たれた、決しお暖かくはない䞀筋の光雚。

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    そしお父の冷静さず、母のようなしなやかさを持ち合わせた22歳のたたならない芞術家。


    もしい぀か、この䞖から母がいなくなったずしおも、父ず母の生きた蚌は、私が芞術にのせお語り継いでいく。
    それが私の圹目なのだず思う。
    だからこうしお、今この堎所で蚀ノ葉を綎っおいる。

    p.s.
    生たれ倉わったら、
    生たれ倉わっおも、
    お昌䌑憩のお匁圓の卵焌き、䞀緒に亀換できる仲でいよう。

                                                                           利奈より

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    Rain

     
     
    私による蚀ノ葉の蚘録

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