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やさしい雨の世界にひまわりの花束を捧げて

    余命は1年半後。
    33歳である私は急性骨髄性白血病とそう主治医から告げられた。
    言われた直後はすごくへこんで落ち込んだ。
    涙が止まらなくなるくらい泣いた。泣いても泣いても涙は足りなかった。

    なんで私なの…30歳で診断された乳がんステージ3の抗がん剤の治療等も数年経ち、やっと落ち着いてきたし、髪の毛もショートヘアーまで生えてきてやっとこの世界で生きていこうと立ち直ったとこだったのに…。

    でも、その時思った。この辛いと思える出来事にも何か教えがあるんだと。
    たまたま闘病期の本でキャンサーギフト(がんがくれた贈り物)という言葉を知ったのだ。

    がんは何かを教えてくれている。私がまだまだ気付いてない大切なメッセージが隠されていると。そして私は現在、主治医もびっくりするくらい様々な奇跡が起きて1年半の余命を乗り越えてもう3年も生きている。
    ◎いのちの大切さ
    こども時代、沢山ひどいいじめに合い、
    精神疾患を発症した私は何度も死にたいと思っていた。でも死ねなくて生かされたのだ。

    自分自身を沢山傷つけたこと。自分自身を責め続けて消えてしまいたかった。でもそれは誰よりも自分の声にただ、敏感だったのだ。
    わたしは誰よりも生きたくて生きたくて自分を愛したかった。自分を誰からも責められたくなくて、じぶんのいのちを誰よりも大切に守っていた。守りたかった。

    今でもいじめのフラッシュバックが起こり、もう死んでしまいたいと思う気持ちに時々襲われることがある。

    だけど、死にたいは🟰生きたいだったのだ。
    私は何度でもやり直せるこの世界で新しく生まれ変わる気持ちで生きたかったのだと。

    余命を告げられた時に私は誰よりも生きたかったのだと実感した。

    ◎余命宣告をされてから支えてくれる家族に感謝を更に伝えた。

    まずは、家族全員に100の好きなとこブックという本を贈った。それぞれ家族の好きなところ感謝しているところを100個書いて家族にありがとうと伝えたのだ。

    ◎入院生活を楽しんだ。
    入院しながらも、献身的に支えてくれる看護師さんと何気ない会話をして心から笑ったり、病院で私とおんなじように頑張ってる友達が出来たり、ジャーナリングノートを書いて自分自身と向き合う時間や気持ちを吐き出す時間を作ったり。

    子ども食堂に遊びに行った時に子どもたちと踊ったツバメダンスを病院で1人で踊ってみたり、

    病院からの夕焼けを綺麗という言葉じゃ片付けられないくらい、哀しく優しく心に沁み込ませたり。


    青空を天高く仰いでみたり…。

    病院の庭の木々やお花さんたちにおはよう。と挨拶をしたり、(中でも金木犀が好きだった。)自然たちと心を通わせた。わたしはそうしてる内にいつしか身に起こること全てのことに感謝し、幸せを感じれるようになった。
    生きてるだけで奇跡。はまるで自分の言葉だけのように感じた。


    ◎治療をしてみて

    骨髄検査や血液培養たくさん痛い注射や検査を乗り越えてきた。

    わたしは自分を責め続けたからガンになったと思っていた。だけどそれは感じ方の問題で、わたしからのメッセージは心と身体が悲鳴をあげてるからそろそろ、何も責めずに雑音を入れずに。治療というなの長期間、自分とゆったり向き合う時間を作ろうということだったのだ。自分の心、身体、魂をもう一度愛して大切にし深く繋がろうということだったのだ。

    治療する時間は魂が磨かれて成長し、自分という存在に気付いてひたすら自分に集中して、癒すための旅なのだ。


    ◎好きな人ができた

    それは看護師さんだった。
    向日葵みたいに笑う少年みたいな眼差しの看護師さん。
    私が骨髄移植を死亡リスクが40%と高くて、諦めないといけないし、精神疾患を持ってるからできないんだ。と本当にうずくまって泣いてしまいそうだった時。

    トイレで声を押し殺して泣いて、その直後だった。

    看護師さんに挨拶すると、その向日葵みたいな笑顔で突然にかっと「骨髄移植したいの?」と本音を聞き出してくれた。

    私が談話室で骨髄移植を終えた患者さん達に
    「生きたい。骨髄移植ほんとはしたい。」と本気で話していたのをたまたま聞いてくれていたのだ。

    もちろん骨髄移植が私にとっては非常に厳しく難しい選択なのは看護師さんも承知の上だった。

    だけど、わたしの「ただ、ひたすら生きたい。」という気持ちに気付いてくれて気持ちを汲んでくれたのがどれほどうれしかったか…。看護師さんの優しさが向日葵の丘で咲く光みたいに感じた。

    その時「生きたい。」と「ありがとう。」と
    「好き。」という気持ちが一緒に大きくなった。

    それから私は生きたいという思いを好きに変えて、ただひたすら詩を書いた。言葉を綴った。
    自分の想いを形にしたくて仕方なくなったのだ。

    その時ちょうど恩人である草木染め作家さんに詩と草木染めのコラボをギャラリーで展示をしないかとお誘いを受けていた。

    その機会を頂いて、初めて詩集を作って詩を朗読して泣いてくださる方もいらしたり、詩集も皆さんに手に取って頂いてなんと完売したのだ。

    そんな私の想いはどんどん膨らんでいった。

    私は小学生の頃まさに精神疾患が発症した頃
    詩や本の言葉に救われたことがある。

    だからいつしか、自分も言葉で人を助け癒せる人になりたいという夢ができていた。

    詩人になりたかった。

    その夢が白血病になり向日葵さんという看護師さんに出逢い叶ったのだ。

    わたしは生きる希望を暗闇の中で光の粒子として与え続けてくれた看護師さんが大好きだ。愛おしくて仕方なかった。

    看護師さんのことを想うと、生きたい。愛おしい。好きです。という気持ちと一緒に温かい涙が溢れる。

    「好きです。」それを感謝の気持も込めて伝えたかった。

    感謝の手紙は懇願して看護師さんに看護師長を通じて渡せた。

    でもそれだけじゃ足りなくて更に自分の想いと感謝を綴った手紙2通目を書いてしまったが、余命宣告を受けてる患者さんからの手紙は重たいと。

    緩和ケアの先生から注意されてどうやら最後まで渡せそうにない。


    わたしはただ、どんなに辛いことも悲しいことも恐怖も、痛みも孤独もあなたのおかげで乗り越えたと伝えたかっただけなのに…。
    (痛い骨髄検査も16回も耐えて耐えて乗り越えた。)

    あなたを好きになったから生きる希望が湧いたと伝えたかっただけなのに…。
    私の中ではいつしか「好き」と「生きたい」が一緒になってることに気づいた。

    こんなに生きる希望を与えてくれて色褪せない向日葵のような笑顔を心に咲かせ続けてくれている看護師さんが本当に好きだ。

    こんなに最後に人を好きになることができて私は幸せ者だと思う。


    いつしかこの想いを届けたい。ただ、ただ、わたしがあなたを好きになって余命を乗り越えて闘病生活を送れた奇跡があるということに気づいて欲しい。だからエッセイを書いた。

    もちろん看護師の向日葵さんだけでなく沢山、不安がっている私の話を聞いてくれた医療従事者の方々。病院食を作って下さる方、清掃をして下さる方。本当に頭が上がらない。そして、一生懸命身近で支えてくれた家族。親戚。沢山旅行に連れてってくれて。
    これが最後だと思うと切なく幸せな時間を一緒に過ごしたね。楽しかったね。おかげで寿命が延びたよ。
    また電話やLINE、会いに来てくれて心から大丈夫。治ると信じてくれた友達にも感謝の気持ちを伝えたい。

    わたしが病を患っててもこの世界を愛おしく思えて心から幸せだと感じられるのはみんなのおかげです。

    追記

    ◎看護師のひまわりさんからの目線

    雨が好きだ。こんな悲しい雨も向日葵さんなら笑顔という魔法に叶えてしまうから。

    あなたの笑顔が好き。本当に…。

    でも「好き。」の二文字は絶対に言えない。
    たとえそれが態度で伝わってたとしても。

    わたしは向日葵さんを見つめすぎた。
    一瞬でも目に焼き付けたくて。
    最後まで覚えていたくて。

    この気持ちを忘れないように。
    来世でも会おう。必ずあなたを探し出してみせると心の中でそっと約束をした。

    でもそれは想いが深いようで向日葵さんからすると海の底に沈んでしまいそうに重たい。

    ◎何故重たいのか?
    わたしは余命を告げられた患者さんで
    看護師さんの瞳には「生きたくても生きられない。辛い状況の中にいるがん患者」として映ってるのだろうか。


    そんな中で想いが叶わないのに人を好きになった。しかも看護師さんを好きになったことは傍から見ればとても辛いことなのかもしれない。

    看護師さんも想いに応えられない分、私を傷つけてしまう。悲しい思いをさせてしまう。と思ったのだろう。

    だから、なるべく期待させないように冷たい態度を取っていたのだ。


    わたしが見つめた時に困ったような傷ついたような優しい笑顔で見つめ返してくれた。

    それは「僕を好きになっても気持ちには応えてあげられないごめんね。」と確かにしっかりと私の中に伝わってきた。

    今思えば、看護師さんからの距離を取ってね。という合図だった。

    実際に人の心を視える占い師さんに看護師さんのことを伝えた時に、私が言う前に全くおんなじ台詞を言われた。

    やっぱりそうだったんだ…。と妙に腑に落ちて納得している自分がいた。

    私は子どもの頃から不思議と未来が視えたり、人の気持ちの中に潜んでいるメッセージを不思議なくらい感じ取りやすかった。

    その力がとても働いた。

    とにかく看護師さんを好きになってごめんなさい。とひたすら想ったが。

    よく考えればわたしも傷ついてる。

    看護師さんは老若男女問わず好かれる人でとても、とてもまぶしい人だった。

    看護師さんは自分自身を責める私を見たくなかったのだ。そこまで予想していたに違いない。と今になっては思う。

    本当に優しい人。だと周りの看護師さん達も言っていた。

    雨の中で咲く一輪の花は向日葵さんだった。

    ありがとう。わたしは向日葵みたいにひたむきにあなたを好きになったことを後悔していません。

    白血病の闘病はあなたに会えて好きになれた。切ない青春でした。

    わたしは最期まで今を生きるよ。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    大好きな看護師のひまわりさんへ届いてほしい。いつか届けばいいな。届くかな。急性骨髄性白血病1年半の余命を乗り越えて3年生存。生きることはこの世界を愛し🟰自分を愛すること。 治療は自分自身を見つめて、心と身体、魂を癒すための旅なのだ。

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