小説|春野一花は妖に容赦なし 第三話
『あの! これを……』
朱い櫛が小さな手で差し出したのは、一足の草履だった。
「あんがと! 助かる!」
一花は草履を履くと、櫛を肩に乗せて土塀が続く通りを歩き始めた。
「ね、名前あんの?」
『……名前ですか?』
「そ」
『いえ。ありません。御影様からも、櫛とだけ……』
「あいつ、御影って名前なん?」
『はい。由緒正しき土蜘蛛の御曹司さまです』
「ふーん、土蜘蛛ねぇ」
そんな妖怪がいた気がする。
「ま、いいや。これから、あんたのこと“くっちゃん”って呼ぶね」
『えっ?』
「やだ?」
『いえ! くっちゃん……くっちゃん……嬉しいです!』
くっちゃんは、一花の肩の上でぴょんぴょんと跳ねた。
「くっちゃん。なんで、あたしについてきてくれたん?」
『困っていると思って……それに……いい感じの櫛って褒めてくださったし……』
そう言いながら、小さい手をもじもじさせる。
「マジいいし。特にその桜のデザイン好きだわ」
朱塗りのくっちゃんには、桜の模様がある。
『これは、御影様の家紋なんです』
「へぇ」
そんな会話をしながら、誰もいない通りを歩いていく。
先ほど、くっちゃんが御影と呼んでいた男の話では『現世に帰るには四妖に頼れ』ということだった。
(そういや、あいつ、今が夜なのに「もうすぐ夜になる」って、意味わかんないこと言ってたな)
暗い空を見上げる。重く垂れこめた黒い雲のせいか、月は見えない。
「ん?」
ふと、屋根の崩れた土塀の合間から、赤い明かりと瓦屋根が幾重にも連なる高楼が見えた。
「くっちゃん、あれってなんなん?」
足を止め、指を差す。
『あれは紫金閣ですね。妖狐の大将が元締めをしている賭博場です』
「へぇ……妖の世界にも賭博場なんてあるんだ」
『妖狐の大将、紫雲様は四妖のお一人なんです』
「お、ちょうどいいじゃん。そいつに聞こ」
通りを曲がり、一花は高楼を目印に歩いていく。
しばらくすると、大きな門が見えてきた。篝火に照らされ、真っ黒な柱が鈍い光沢を放っている。
その門の前には、大きな身体を縮こめるように胡坐をかく牛と、同じように大柄な猿が座り込んでいた。
二匹とも、手元には数枚の小さな札を持っている。
「なにやってんのかな」
興味を惹かれ、近づく。
「おっしゃ! きたきた――!」
「どうせまた、土だろ」
「別にいいだろ! ほら――最後の伏せ札、めくるぞ!」
後ろから近づいても、牛は手元の札に夢中で気づかない。
そのまま覗き込むと、四枚の札には絵がそれぞれ描かれていた。
二枚はまったく同じ絵だ。
荒い墨書きで、土の塊の絵が描かれ、薄く黄土色が塗られている。
残る二枚には、凝った絵がそれぞれ描かれていた。
花札が浮かんだ。だが、知っている絵柄は一つもない。
牛は手前に伏せていた一枚の札をめくった。
五枚の手札が揃う。
「土の上中下の位札揃ったぜ!」
猿に見せつけるように、牛は五枚の札を表にして地面へ叩きつけた。
「ブタ札も土の二枚組――『土揃い』か。ふん、相変わらずお決まりの手だな」
猿が勝ち誇ったように鼻を鳴らし、牛と同じように札を見せる。
「だが見ろ! 俺は『木揃い』だ!」
「なんだと――!」
「あのさ、どういうこと?」
一花が中腰のまま声をかけると、牛は大袈裟なほど身体を横へと反らした。
「ぬわっ! てめぇ、いつの間に俺の背後にいやがったんだ!」
「さっきからいたんだけど」
そう言うと、牛と猿は互いの顔を見遣った。
「おめぇ、気づかなかったのかよ!」
「知らん。お前こそ気づけよ」
「どうでもいいよ。なんで猿の勝ちなの?」
二匹のやり取りを遮り、札を指差す。
「誰が猿だ! 俺は狒々だ!」
狒々が歯をむき出しにして喚く。
「それはいいって。で、どういうこと?」
一花は聞き流した。一方の牛は、狒々の剣幕に押されてわずかに身を引いていた。
「お、おう。これはな――」
「……木の『五枚揃い』で、俺の勝ちだ」
咳払いをして、狒々が答える。
「ふーん」
適当に相づちを打ち、地面に広がった札を見比べる。
「でもさ、牛の札より地味じゃん」
「……」
牛が横を向く。一花は見向きもせず、狒々の手札を指差した。
牛の手札には、異なる絵が三枚もある。一方、狒々の手札は地味な木の葉の絵だけで揃えられていた。
絵柄だけなら、牛のほうが強そうだ。
「ふん。派手な札ばかり揃えても芸がないだろ。これは『五枚揃い』といって、札の格に関係なく強い役なんだ」
「意味わかんない」
「だからよ……ったく、よく聞けよ」
狒々は、どしっと座り直した。
「うん」
一花は頷き、狒々の横にしゃがみ込んだ。
「ブタ札だろうが、同じ属性が五枚揃えば『五枚揃い』だ。で、俺は木。――こいつは土。木剋土で俺の勝ちになる」
「木剋土?」
「おめぇ、五行の相剋も知らねぇのか?」
牛が口を挟む。
「あ、それは知ってる。陰陽幻妖録で見たし」
「おんみょうげんようろく……?」
「そ」
聞き返す狒々に、一花は頷いた。
「陰陽師のアニメ。面白いから、めちゃハマるよ」
「あにめだぁ?」
「なんだそりゃ」
「……知らないか」
電線が通っている様子はないし、テレビ自体知らなさそうだ。
というか、このまま帰れないと、電気のない不便な生活を送る羽目になるのか……。
(って、やばいじゃん!……こんな所で道草食ってる場合じゃないって)
現代人にとって、スマホも電化製品も使えないのは緊急事態だ。
特にスマホ。家に置きっぱなしだ。
家に帰ってすぐ寝落ちしたから、仕事着でメイクもしたまま。
(メイク落としてないし! スキンケアもできなかったら肌終わるわ……)
ようやく、ことの深刻さに気づいた。
「ね! そっちに行きたいんだけどさ。通っていいよね?」
牛たちに声をかける。
「そういや、おめぇ……まさかと思うが、土蜘蛛の屋敷から来たのか?」
くっちゃんが、御影は『土蜘蛛の御曹司』だと言っていたことを思い出す。
「そうだけど」
答えると、牛と狒々は顔を見合った。
『あの!』
今まで静かに肩に乗っていたくっちゃんが、声を張る。
牛たちは身を屈めるようにして、一花の肩を凝視した。
「お、おい……」
牛が赤い小さな目を見開く。
「こ、これは! 土蜘蛛の家紋じゃないか!?」
狒々の声が裏返った。
「……ねぇ、通っていい?」
少し苛立ちながらもう一度聞くと、牛と狒々は弾かれたように道を開けた。
「どうぞ」
突然よそよそしく直立不動になった二匹に、一花は首を傾げる。
「……あんがと」
礼を告げ、やっと門をくぐった。
第三話 門番は仕事をしていないらしい。
