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amazarashiの曲にはヒトひとり分の重さがある/6月18日の日記

    今、新曲の「クラウン新車で買ってあげる」を聞いた。その余韻の熱でこのノートを書いている、


    まず、私のamazarashiに対するスタンス(そんな大層なもんではない)を教えておこうと思う。
    曲は聴く。
    けれどもライブには行ったことがない。
    それくらいの距離感のやつが書いているんだ、と念頭において読んで欲しい。


    amazarashiの曲は不思議なのだ。
    好きなのに聴けない時がある。


    他のアーティストの曲は「気分じゃないな」となったりはするが、全てを聞けなくなるわけじゃないでもamazarashiは聴けなくなる。
    本当に、全ての曲が。
    あんなにも聞いていた時期が嘘だったかのように

    画像
    こんなに聞いていた時期もあった

    それなのに、なぜ聞けなくなるのか。
    その答えは思わぬところで見つかった。

    ペルソナ3のボーカル等で有名な「川村ゆみ」さんがやっているYouTubeで、川村さんが語っていたのだ。
    要約すると、

    「いい曲は歌っている人の感情が篭っていて、それを受け止めるのが苦しい」

    と言った内容だった。

    心にストンと、この言葉が落ちた。
    つまり私はamazarashiの音楽を、秋田ひろむの感情と自分の感情をリンクさせて聞いていたのだ。
    だからリンクが切れている状態だと聞けなくなる
    リンクはその時の私の感謝の向き方や
    置かれている状況とか、
    いろいろなモノが重なって生み出される。
    私のリンクができてないとamazarashiの曲を
    受け止められなくて、はじいてしまう。

    この考えに辿り着いたと同時に、
    amazarashiのすごさに気がついた。
    だってあんなにも剥き出しの自分を、音楽という
    オブラートがあるとは言え、世に出せる強さに。
    こんなにも過酷な人生を生きてきた人間が、
    音楽を武器にして生きていくことを選んだことに。

    だから私はamazarashiの曲を聴くときは、
    いつもより心をまっすぐにして聞いている。
    そうした方が受け止めやすそうだから。
    リンクが生まれたことに感謝しながら。


    今日、もう一度「クラウン新車で買ってあげる」
    を聞いた。
    いい曲だった。
    いつか私は、父の好きな車を買ってあげる。
    そんなことが言える日が来るのだろうか。

     
     
    普段はゲーム実況をやってます

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