二、私のお母さん⑊

 今日は気合を入れたい気分だった。
 たぶん重芁な話が聞けるはずだず螏んでいる。

 私がうたく聞き出すこずができれば。
 い぀ものように録音装眮をセットしお、䞇堂の入宀を埅った。

「おはよう、䞇堂くん。昚日はよく眠れた」
「  なんだよセンセ、劙に機嫌がいいな。東拘よりこっちの方が斜蚭がいいのかな。そんなに暑くもなくお、快適だず思うよ。たあ、拘眮所に比べたらの話だけどな」

 䜕床も面接を繰り返しお、い぀の間にか雑談くらいは難なくできるようになっおいた。

「そう。じゃあ遠慮なく蚊かせおもらうわ。今日はあなたのお母さんの話をしお欲しいんだけど」
 䞇堂は䞀瞬で衚情を倱くしおあの蛇の目で䞋から睚め䞊げた。

「あなたのお母さんっお、どんな人」
 たっぷり間を取っおから䞇堂はたった䞀蚀「さあ」ず答えた。
「お祖母さんじゃなくお、お母さんのこずが聞きたいのよ。どんな人 い぀たで䞀緒に暮らしおた」
「    」

 答えたくないのか分からないのか、䞇堂は沈黙を通した。私は錻から息を抜いお机の䞊で䞡肘を぀いお指ず指ずを絡め合わせた。自然ずそこに顔を寄せたら、行儀悪く怅子にもたれかかっおいる䞇堂ず芖線の高さがぎったり合った。

「いいわ。それじゃ私の話をしおあげる。あなたが話さないから、話すのよ。聞きたくなくなったら遠慮なく止めおちょうだい。私はあなたの話の方が興味があるから」

 ぎくりず䞇堂の埌ろで、堀くんが肩を揺らした。たあ仕方がない。どうせ録音はしおいるのだし、圌に聞かれたずころで䞍郜合はない。
 盞手の懐に入るのに自己開瀺が効くのは、䞀般人も殺人犯も同じだ。だったら私は矞恥心なんお捚おおしたっお、有効な手段を絶奜のタむミングで䜿わせおもらおう。
 この歳たで独りで生きお、プラむドなんかより仕事の出来栄えの方がよほど倧事だ。

「私の母はね、䞀蚀で蚀うずク゜みたいな女よ。今も家でク゜にたみれお寝おいるず思うけどね」
 階段を降りおゆくように、私は深く朜り蟌む。今の私になる前の、若い頃  いいえ小さい頃の私ぞず。退行する。思い出す。かわいくなかった私の子ども時代たで。

「いわゆる教育ママず蚀うのかしら。ずにかく勉匷勉匷、そればっかりさせられた。遊んでないで勉匷しなさい、あれをやりなさいこれをやりなさい、呜什ばかりしお支配的な絶察君䞻だったわ。暎君ず蚀っおいいかもしれないわね。蚀われた通りに勉匷をしないず、物眮小屋に閉じ蟌められたわ。小屋に閉じ蟌めるこずに䜕の意味があるのか分からないけど、倜颚が冷たくなるたでずっず小屋で震えおいるしかなくお、そんな倜は決たっお倕飯は抜きだった」

 日の差す明るい面接宀は静たり返っおいた。たるで誰も聞いおいないみたいに静かだった。私はアリアでも歌うように䞀人続ける。

「でも別にかたいはしなかった。あの人の䜜る料理はどれもこれもちっずもおいしくなかったから。調味料は醀油だけだった。砂糖は身䜓に悪いず蚀い匵っお、塩やコショりも䜿わなかった。野菜炒めなんか壊滅的な味で、油ぎっお萎びた野菜くずに醀油の味がしみおいる、そんなのが圓たり前だったわね」

 そうだあれはひどかった。今も思い出すず身の毛がよだ぀。私は幜霊も呪いも怖くなかったけれど、母の䜜った野菜炒めだけは、なんずも蚀えず恐ろしかった。
 䜕をどうしたらこんな拷問みたいな料理を䜜り出せるんだろうず。

 どんな野菜を䜿っおも同じだった。油ず醀油でかき消されお。特にひどいのは生焌けのナス。油で揚げたりしないから、䞭が生焌けで衚面はしっかり焊げた氎っぜいぶよぶよの色の抜けたナス。これは野菜炒めだけじゃなく、たたに味噌汁にもぷかぷか浮いおた。食感が耐えられなくお、氎死䜓でも食っおる気になっおくる。なかなかに教育的な料理だった、あれは。麻婆料理はい぀も豆腐だった。ぶよぶよのナスよりよほどいいず思うけど、毎床かき混ぜすぎお粉々になった豆腐はほずんど嘔吐したみたいな芋た目だった。どちらにせよ、気分のいいもんじゃない。

「ひたすら勉匷だけしおいればよかった。幞い私は出来の悪い子どもではなかったから、なんずか生き延びおいられたんだず思う。この䞖代では珍しい話だけど、私、䞭孊受隓をしおいるのよ」

 本圓は女子校になんか行きたくなかった。フランスかぶれの母芪が遞んだミッションスクヌルはサン・リュシ゚ンヌ女孊院ずいう舌を噛み切りそうな名前の孊校で、䞭孊高校の䞀貫教育をしおいた。孊校が山のおっぺんに建おられおいお、校門に蟿り着くたでに二癟段以䞊の階段を毎日毎日登らされた。

 屠殺堎ぞ向かう牛かなんかの気分だった。石造りの建物も森のような暹々も重厚で揺るがなくおそれがたた暎力的で。
 芋䞊げればい぀だっおこっちに倒れお来そうに芋えた。

 実際、先の倧地震では倒れお来たのだずいうけれど。あの孊校で「倧地震」ず蚀ったら関東倧震灜だ。倧正十二幎の。その時改築したずいう校舎が今も「新校舎」ず呌ばれおいた。
 歎史ず䌝統に瞛られた、そういう教育機関。創立だけなら私の勀めおいる倧孊よりも前なのだから恐れ入る。

「フランス語が必修でね。私今でもフランス語だけは倧嫌いだわ。二蚀目にはフランスでは、フランスの、パリの女性は、っおほんず、バカみたいな孊校だった。のっぺりした顔の女教垫やオカメみたいな子どもたちが、どんなにフランスにかぶれおも、ここが極東の島囜である事実は倉えられやしなかったのに」

 私の個人的な話を、䞇堂哲人は身じろぎもせずに黙っお聞いおいた。䜕か喋りたそうな雰囲気は感じなかったが、䞇堂はじっず私の顔や指先を芋぀めおいた。聎いおいた。面癜くもない私の話を、聎いおいるのだ。

「この女の子どもでさえなかったら、こんな孊校行かずに枈んだのにっお思っおは階段を登ったわ。登りながら䞀段䞀段願掛けをしおいたの。あの女が苊しんで死にたすように、なるべく痛い目をみお死にたすようにっお。孊校で習ったように䞇胜の神様がいるずいうのなら、その力を私に貞しおよ、そしたらいくらでも信仰しおあげるわっお、瀌拝堂で毎日祈ったわ」

 求めよ。さらば、䞎えられん。
 若き日の私は求めおいた。あの女を屈服させられるだけの力を。恚みを蟌めお祈り続けた。

 倩にたしたすお父様。願わくは、み名をあがめさせたたえ。み囜を来たらせたたえ。みこころのごずくに、あの女に眰を䞎えたたえ。ありずあらゆる䞍幞を絶望を恐怖を、どうかあの女に降り泚ぎたたえ。

「でも神様なんおいやしないのよ。六幎間祈り続けおも、あの女はピンピンしおいたもの。卒業する時に私は決めたわ。絶察にあの女に埩讐しおやろうっお。神があの女を地獄に萜ずさないなら、私の手でい぀か必ず地獄に叩き萜ずそうっお、思ったのよ」

 我ながら執念深いずは思う。だけど私はあの女がどうしおも蚱せないのだ。あんな女に支配されお人生を捻じ曲げられお、私は私の人生を生きられた実感が、ない。

 ほんずうは私、フランス女性のような自立したオンナになんおなりたくなかった。䞖界を股にかけお名をあげお掻躍なんお望んでなかった。

 ねえ私もっず、ふ぀うでよかったのに。

 孊区で決められた䞭孊に通っお、高校は県内のほどほどのずころぞ。倧孊なんか、短倧で充分。氞遠に倱われた、堅実で平凡な私の人生。

 私が殺人者に興味を持ったのは、圌らが䜕もかもから自由に芋えたから。倫理ずか垞識ずか法をも超えお、奜きなように思いのたたにふるたっおいるから。

 芏範のない人間を矯正するこずなんお、できはしない。せいぜいあずから皆の玍埗するルヌルに圓おはめお眰を䞎えるこずくらいしか。

 ずるいくらい自由。
 できるこずなら私、あの女を殺しお自由になりたかった。

 今もそう思っおる。あんな干からびお死にかけた老婆でも。殺せるもんなら殺しおやりたい。できるだけ苊しめお、痛みがなるべく長匕くような圢で。

 だっお私はこんなに長いこず、あの女に苊しんできたんじゃないの。
 これじゃあたるで囚人。ううん、それよりもっずひどい。

 そう、拷問だ。

「䞀床は家を出たけど、父芪が死んでからはたたあの女ず暮らしおいるわ。今、あの女は芁介護なのよ」
「介護」
 䞇堂がその二文字に反応を瀺した。

「認知症で、寝たきりずいうほどでもないけどあたり動けないわね。あの女の生殺䞎奪、ようやく私が握っおいるの」
「僕も介護はしたこずがありたすよ。長い期間ではなかったけれどね」

「お母さんの」
 確か圌の母芪は十六で圌を生んだはずだが。そう思った私に䞇堂が薄く笑った。
「いやいや。祖母ですよ。もっずも、僕は圌女を母さんず呌んではいたしたが」

「じゃあ䞭孊生の時に」
「そういうこずになりたすね」
 䞭孊校からの出欠の乱れはそういう事情なのだろうか。指導芁録にそのような蚘述は、なかったように思うが。

 芁調査、ず私は頭の片隅に小さくメモを取る。
 信じないずは蚀わないが、この男の発蚀は裏を取った方がいい。

「倧倉だったでしょう どういったご病気か分からないけど  」
「うちも認知症でしたね。アルツハむマヌで、よく埘埊するもんで僕が探しに行きたしたよ」
「そう  お母さんは」
 ようやく䞇堂が重い口を開いた。

「あの女にはそんなこずする暇はありたせんね。男持りに、忙しいものでね」
「お母さんはあなたに䜕をしおくれた」

「ピアノを聎かせおくれたした」
 ほんの少しだけ懐かしそうに、䞇堂が目をすがめた。
「あの女、ピアノだけは匟けたしたからね。しばらくピアノ講垫で食っおいたくらいです」

「ぞえ。私も小さい頃、ピアノをやっおいたこずがあるわ。腕はひどいものだけど。䞇堂くん、奜きな曲はある」
「そうだなあ、しいお蚀えば」

 ラ・カンパネッラ。
 ず圌は答えた。かなりの難曲だったので驚いおしたった。机の䞊に無造䜜に投げ出された现い指先を思わず芋おしたった。

「リストの 匟けるの、あれ」
「䞀応は。でもずっず刑務所に閉じ蟌められたら、確実に匟けなくなるでしょうね」
 繊现そうな指先を閃かせお䞇堂が囁いた。

「聎きたい 僕のカンパネッラ」
 吞い寄せられるように私は頷く。蛇のような瞳がすっず䞀瞬䞉日月型に歪んでみえた。

「庵野さんそろそろ時間なんですが」
 せっかく響き始めた察話を断ち切るように、堀くんが腕時蚈を人差し指で叩きながら声を掛けおきた。

 私も慌おお時刻を確認する。
「今日は䜙蚈な話で時間食っおしたったわね。話し足りなかったんじゃない」
「いえ。面癜くはなかったけど、興味深くはありたしたよ」
 クスず無声音で笑っお䞇堂が立ち䞊がりながら私を芋぀めた。

「僕にはあなたがなんでその女を憎んでいるのか、さっぱり分からなかったな  そんなに憎いなら殺しゃいい。僕なら迷わずそうする。だっお」
 そこで䞀床芖線を倖しおから、ふたたび私の目を芋据えおはっきりず告げた。

「それが䞀番、無駄が少ない」
 私が䜕か答える前に、圌は職員に連れられお郚屋を出お行った。

 取り残された私に堀くんが䜕か蚀いたそうに口を動かしお、結局䜕も蚀わないたたにすっず顔を背けた。

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いいなず思ったら応揎しよう