
『御上先生』の感想 思ったこと
第八話 -strategy-
前半にこんなシーンがある。バレ注意!
御上(みかみ)「僕が読んだ本には、三十歳をどう迎えるかが大事だって書いてあったね。
その日、本を読んで過ごした人は一生言葉といい関係を築けるし、深く読めるようになります」
生徒「じゃあ御上(おかみ)はどう過ごしてたの」
御上「僕は国会で国会答弁書きながら気付いたら日付変わってたね。僕以外みんな帰って、誰もいないフロアでこれからの日本を考えながら三十歳の誕生日を迎える。官僚として、これ以上ない贅沢な誕生日だったよ」
生徒「負け惜しみじゃん」
クラス 笑
神崎「贅沢だよ、わかんない?」
私の大好物のシーン!
こういう脚本書きたいよね。脚力がね。まだまだすぎて。
言いたいことを全部言われてしまっていて、なかなかに辛いものがある 笑
御上は大変贅沢な一日を、人生を過ごしている。
真山弓弦の家庭環境を知った神崎の一言だ。
こういう、いろんな家庭環境がある。いろんな人生がある。その影響で、いろんな方向に転がっていく人生がある。
運があった人もいれば、なかった人もいる。
養育者の『無償』の愛情に満たされ、いろんなものに恵まれている。
ありすぎて困る時代になったが、それを『当たり前』と思わずに、『とてつもない贅沢だ』そう思えることが大事だよね。そういう教育がないのが問題なのだと感じている。
恵まれた環境の生徒に対して、あえて暴力的な言葉を投げかける授業や、葬式・お通夜のような空気を人為的に作ったり、人格否定される経験とか、そういった経験を学校でやってほしい。
もし自分が教員だったとしたら、虐待家庭の疑似的な経験などをさせているだろう。
体験に勝るものはないからだ。
学力があろうがなかろうが、道徳が終わっている人物を外に出してはいけない。だから、仕事は出来ても、人格が破綻している人物が後を絶たない。
社会的に賢い人というのは、言葉の言い間違など、枝葉の部分だけを切り取って言うことだったり、柔軟な発想がない・そんなもの無いと勝手に決めつける、そういったことをしない人のことをいう。
ただでさえ、学校の教師は恵まれた育ちの人が大半で、だからこそ人をサポートする仕事に就ける。
そういった人たちに限って、恵まれているのが当たり前すぎて、知識の詰め込みもあって、恵まれているのが当たり前だから~、親に行きたい学校言ったら「いいよっ」ていってくれるでしょ~といったボケた頭をしている。
ある種の認知症なのではないかと疑う。(思考停止で生徒の多様な家庭環境を受け入れられないことの揶揄)
頭が化石と化して、自分の常識以外を受け入れたくないのだろう。
日本は、何でもある。
環境に感謝できないと、昔の嫌なことを言ってきた奴らみたいになる。
自戒も込めて、御上先生episode8だった。
こんな感じの脚本か小説を書きたい。