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繋がりすぎると生活がうるさい

    誰とも揉めていないのに、私は定期的にLINEを整理したくなる。 
    友達リストが50人を超えると、体のどこかがうっすら痒くなる気がする。

    アレルギーかもしれない。 

    実際、私が普段連絡を取る相手なんて、家族を抜けばせいぜい5人いるかいないかだ。

    毎日LINEをするわけでもない。
    なんなら名前が「K」だけの人がいて、もはやサスペンスである。 

    Kは誰なんだ。

    それなのにLINEを開くたび、
    「こんなに知り合いいたっけ」 と少し怖くなる。

    ひねくれている私は、
    “なぜこんなにも知り合いがいるんだ。こわっ”
    と思ってしまう。 

    友達が多い人からしたら、かなり感じの悪い話である。 

    この「怖い」は、いったいどこから来るんだろう。 


    私は高校生くらいまで、ずっとガラケーで過ごしていた。 
    当時撮った写真は、今見るとびっくりするくらい画質が荒い。 

    もうバッキバキで、たまに誰が誰だかわからない。 
    集合写真など、半分くらい雰囲気で見ている。 


    あの頃は、写真を撮ったあとも「盛れてるか」なんてそこまで気にしていなかった気がする。 

    みんな目をつむっていないか。 

    とりあえず全員ちゃんと写っているか。 

    確認事項はそのくらいだった。 
    今はスマホで、自分たちの顔だけじゃなく、食べ物も風景も全部キラキラしている。 

    画質まで良すぎる。 

    便利になったはずなのに、たまにスマホの方が私より人生を把握している気がして怖い。 

    「知り合いかも」に出てくる人間の方が、親戚より登場回数が多い日もある。 

    もしかすると私は、写真も人間関係も、少しくらいボヤけていた方が安心するタイプなのかもしれない。 


    そもそも、友達の定義がよくわからない。 

    LINEにいる時点で友達なのか。 

    「またご飯行こうね」が3年止まりでも友達なのか。 

    気になって、“友達”を辞書で引いてみた。 


    友達(友人)とは、損得勘定なしに互いに心を許し合い、対等な関係で一緒に時間を共有できる親しい存在。 

    なんだか急にハードルが高い。 

    私はさらに、“女同士の友情”というものもあまり信用していない。 自分も女なのに。 棚に上げてしまうけど…

    もちろん、全員が腹の探り合いをしているとは思わない。 

    でも「損得勘定なし」「本音で付き合う」というのは、思っているより難しい気がする。


    たぶん私は、人付き合いが嫌いなわけではない。
    ただ、人間関係を維持するには、思っているより体力がいる。

    返信のタイミングとか、
    距離感とか、
    「今度ご飯行こうね」の温度感とか。

    大人になると、そういうものが少しずつ増えていく。
    しかもLINEは、それらを律儀に全部残してくる。

    私はたぶん、それに少し負けている。
    だから定期的にLINEを整理したくなるのかもしれない。

    誰かを嫌いになったわけではない。
    ただ、自分の生活をあまり騒がしくしたくないだけなのだ。


    できれば友達欄も、冷蔵庫の中くらいの規模感で生きていきたい。

    おわり

     
     

    夢中

     
     
    基本的に「推し」のことを綴るオタクの備忘録です。

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