
親を見捨てたかったわけじゃない
朝の電話は、いつも少しだけ心臓に悪い。
着信音が鳴るたび、良い知らせではない気がする。
今日もそうだった。
「たまには顔を出せよ!」
受話器の向こうで父の声が荒れていた。
怒鳴っているわけではない。けれど、怒りと苛立ちが混ざった声は、こちらの胸の奥に小さな針を何本も刺してくる。
私は、ちょうど出かける準備をしていた。
母の顔を見て、少し話して、帰ってこようと思っていた。
その気持ちは、電話一本でしぼんだ。
行けば、父とぶつかる。
行かなければ、母が気になる。
どちらを選んでも、心が削れる。
私は母に電話をかけた。
「お父さんの態度に腹が立った。今日は行かないね。顔を合わせたら言い合いになるから」
母は泣きながら、言った。
「大丈夫」
泣きながら言う「大丈夫」ほど、信用できない言葉を私は知らない。
たぶん母も苦しい。
父も苦しいのだろう。
でも、苦しい人が二人いる家に、三人目の苦しい人として入っていく元気が、今日はなかった。
私は自転車しか移動手段がない。
それだけならまだいい。
いつ起きるかわからない発作への不安を連れて、毎日を歩いている。
気温差、気圧差、眠れない夜。
それらは目に見えないくせに、体の中で大騒ぎする。
「家が近いんだから来られるでしょ」
世の中には、距離だけで測れることが多すぎる。
近い家。近い親。近い関係。
でも、心の距離や体調の距離は、地図には載っていない。
母に「うちへ来て」と言っても、階段が怖いと言う。
少し幅の狭い階段。
たしかに怖いのだろう。年齢を重ねれば、段差は壁になる。
けれど私にも、越えにくい段差がある。不安、罪悪感、疲労、誰にもわかってもらえない感じ。
それらは、階段よりずっと見えにくい。
弟も、その家族も、誰も変わらない。
仕事があるから、ばかりだ。
話を真面目に聞いてくれない。
気づけば私は、静かな部屋で一人きりだった。孤独だ。
それでも、胸の奥には母への申し訳なさが居座っている。
私は親不孝なのだろうか。
冷たい娘なのだろうか。
それとも、ただ疲れているだけなのだろうか。
答えはまだ出ない。
でも、ひとつだけわかることがある。
私は今日、誰かを見捨てたかったわけじゃない。
ただ、自分まで倒れないように、立ち止まりたかったのだ。
それを「逃げ」と呼ぶ人もいるかもしれない。
けれど、逃げなければ生き残れない日もある。
今の私は、そういう日の私だ。