重陽の節句に見る 九九、八十一難が教える健康とは?
九月九日は、重陽の節句である。
九は陽数の極みとされ、その九が重なる日だから「重陽」。
そして、九九は八十一。
『西遊記』では、玄奘一行が経る苦難を「九九八十一難」と呼ぶ。
また「四苦八苦」についても、
四×九=三十六。
八×九=七十二。
合わせて百八。
煩悩の数と同じになる、などという話を耳にする。
もちろん、これは言葉の本来の由来というより、後から数字を重ねた言葉遊びとして見るべきだろう。
だが、九九――八十一という数字から、鍼灸師にはもう一冊思い浮かぶ本がある。
『難経』。
正式には『黄帝八十一難経』とも呼ばれる、八十一の問いからなる東洋医学の古典である。
鍼灸の古典を学ぶ者にとって、非常に重要な書物だ。
しかし『難経』に書かれていることは、鍼灸師だけのものでもない。
そこには二千年近く前の人間が考えた、「人はどう衰えていくのか」という観察が残されている。
今日は、その第十四難を見てみよう。
第十四難では、「損」という身体の衰えについて説明している。
まず皮毛が損なわれる。
次に血脈。
さらに肌肉、筋、そして骨へと進んでいく。
「三損」では、
肌肉消痩、飲食不能為肌膚。
食べても、それが身体を養うことができず、肉が痩せていく。
さらに進むと、
筋緩不能自収持。
筋が緩み、自分の身体を支えられなくなる。
そして骨にまで及べば、
骨痿不能起於牀。
身体が衰え、床から起き上がることさえできなくなると記される。
介護施設をご存じの方なら、かなりリアルな姿を想像できるのではないだろうか。
もちろん、これは古代中国医学の身体観である。
皮膚から血管、筋肉、骨へ順番に病気が進む、と現代医学的に理解する話ではない。
しかし、面白い。
食べられているか。(摂食嚥下、消化器)
食べたものが身体を養えているか。(管理栄養士的な視点)
身体を自分で支えられるか。(リハ職視点)
そして、自分で起き上がれるか。(ADL)
かなり生活に近いところを見ている。
では、衰えたときにどうするのか。
第十四難には、脾を損じた場合について、
「調其飲食、適其寒温」
とある。
脾とは、ここではざっくり消化・吸収に関わる働きとでも思えばよい。
飲食を調え、寒温を適切にする。
答えは、ずいぶん現実的でもある。
不老長寿の仙薬を飲めとは書いていない。
(あったら欲しい)
まず食事を整える。
そして暑さ寒さに合わせる。
重陽の節句というと、菊酒、栗飯、不老長寿といった華やかな言葉が並ぶ。
だが『難経』第十四難から健康を考えるなら、もっと日常的だ。
食べる。
身体を養う。
暑さ寒さに合わせる。
自分の身体を支える。
自分で起きる。
人間の健康とは、案外こういう当たり前のことを、当たり前に続けられることなのかもしれない。
九九、八十一。
重陽の日に八十一難の書を開いてみれば、不老長寿の秘薬を探しに行くのではなく、
「食の重要性」
という、仙人にならなくてもよさげな答えが返ってくる。
薬を探さなくてもよいのは、ありがたい話でもある。
