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アンカヌマン家系の最終走者気づけば人生倧奜転‌

    「#創䜜倧賞2026」
    「#ビゞネス郚門」
    家族療法心理カりンセラヌ
             矎咲

    #創䜜倧賞2026 #ビゞネス郚門

     今たで、よく頑匵っお生きおきたしたね。
    理䞍尜な事ばかりが続き、蟛い事や苊しい事ばかりだったのではないですか。
    䜕にも悪い事をしおいないのに、どうしお自分だけがこんなに苊しみが続くのかず。。。
    孀独をずっず感じお生きおきたしたね。
    子どもの頃から家族の䞭で違和感を感じお疎倖感を持っお育っおきたせんでしたか。
    そんなあなたは、誰よりも匷く倧きな魂の持ち䞻なのです。

     誰よりも繊现で感受性が匷く生たれた
    あなたは家系の最終走者「アンカヌマン」ずしお、この䞖に䜿呜を持っお生たれおきたした。
     埡先祖様を遡るず、あなたの10代先には1024人、20代先には100䞇人おられたす。
    受け継がれおきた呜のバントです。
    そしおあなたが、この䞖に生たれたした。
     埡先祖様たちは時代もあったからでしょう。
    戊争、貧困、病気、自由に生きられなかったずいう埌悔ず反省が残っおいたす。 
    埡先祖様たちが家系に繋げおしたった負の連鎖。
    未完了な課題をあなたの代で粟算し、家系ずいう
    船を安定させる「錚」の様な存圚があなたなのです。
    埡先祖様たちは「私達の分たで幞せになっおね」ずあなたに蚗したした。

     自身が「アンカヌマン」だったず気付いたら今たで埡先祖様から受け継がれおきた負の連鎖を断ち切り、新しい䞖代に『愛ず蚱し』の呜のバトンを繋げお行っおください。
    特別な修行などは必芁ありたせん。

     家族に違和感を持ち疎倖感を持っお育った繊现で感受性豊かな持ち䞻。
    普通の人は気付く事もなく環境に銎染み染たっおいくのです。
    家族の家系の違和感に気づいた時点で、既に匷い倧きな魂の持ち䞻だったのです。

     「アンカヌマン」だったず気付いた時から人生は倧奜転しおいきたす。
    「アンカヌマン」はヒヌロヌです。
    ドラマでも映画でも、ヒヌロヌは最初は打ちのめされたす。
    ズタズタになっおから初めお本領発揮できるのです。
    正矩の味方のヒヌロヌ。
     別に埡先祖様たちが「悪」だず蚀っおいる蚳ではありたせん。 
    ただ、時代の流れもあり性栌や思い癖が連鎖しおいっおしたっただけなのです。

     「環境」は重芁です。
    人は「環境」に良くも悪くも圱響されおしたいたす。
    埡先祖様たちは、負の連鎖を悪気もなく無意識に繋げおきおしたったのです。
     
     柱んだ池の氎の䞭で育った蛙は、柱んだ池しか知らないのです。
    たさに「井の䞭の蛙、倧海を知らず」なのです。柱んだ池に居るこず事態にも
    気付いおもいないのです。
     
     芪や祖父母から受け継いだ物事の考え方、性栌、蚀葉の䜿い方、それぞれが良くも悪くも連鎖されおいくのです。
    そこに歪みがあっおも、歪んでいるずいう事にも悪い事だずも気付かずに、そのたた連鎖され受け継がれ続けおきたのです。
    ですが、あなたは気付きたした。
    苊劎を堪え詊緎を乗り越えおきたあなた。
    いっぱい傷぀いたからこそ人の痛みや蟛さが分かるのです。
     
     この「アンカヌマン」ずいうタむトルに興味を持ち読んでくださっおいるあなたこそが「アンカヌマン」なのです。
     実は私も「アンカヌマン」です。
    私達は同志です。
    もう孀独ではありたせん。
     
     家系の負の連鎖を断ち切れたら、
    今床は『愛』ず『蚱し』を共に地球党䜓に広めお行きたしょう。
    この䞖に笑顔の人が増えれば、幞せの゚ネルギヌが連鎖しおいき、それは䞖界䞭に広がり、争い事や戊争もない平和な
    䞖界になっおいくだろうず思っおいたす。

    【あらすじ】
    ①【蟻の行列、道しるべ】
    ②【家庭の闇は倖からは芋えない】
    ③【『魂』ずいう光の玉】
    ④【マむナスな自己肯定感】
    ⑀【3本のロり゜ク、揺れる灯火】
    ⑥【蜂が刺した】
    ⑊【立ちション】
    ⑧【チ○ポ○キックずヘビのおもちゃ】
    ⑚【みにくいアヒルの子】
    ⑩【埓姉効ずの比范ず「鬌の角痕」】
    ⑪【おむすび🍙コロコロず蒲田行進曲】
    ⑫【声が出せない、声が出ない】
    ⑬【男は男らしく、女は女らしく】
    ⑭【ひろこちゃんのお母さん】
    ⑮【保健宀のベッド】
    ⑯【毛糞のパンツず消えた淡い恋心】
    ⑰【粟神的虐埅ず攟任䞻矩ず
              ネグレクト】
    ⑱【女の子は赀の他人になる】
    ⑲【思春期の悩み】
    ⑳【魂の噚】
    ㉑【あなたは他人だから蚀えるのよ💢】
    ㉒【結婚盞手からのDV】
    ㉓【冷静沈着な祖父】
    ㉔【叔母の自殺】
    ㉕【男性に媚を売りなさい‌
           身䜓も売りなさい‌】
    ㉖【『助けお欲しい』ず母からの電話】
    ㉗【兄の嫉劬か母の嘘か
             真実はどこに】
    ㉘【人生の課題は最終章たで続く】
    ㉙【兄からの時間以䞊続く眵声】
    ㉚【『人間のクズ』ず巊耳の👂の異倉】
    ㉛【幎寄り通りは愛の花道通り】
    ㉜【生呜の危機】
    ㉝【有難うシャワヌ】
    ㉞【最埌の花道、花舞台】
    ㉟【9幎間の無償の愛】
    ㊱【奇跡〜倧きな愛の様に・
          自分を抱きしめる】
    ㊲【アンカヌマン」ずしおの圹割】
    ㊳【負の連鎖の断ち切り方】


    ①【蟻の行列、道しるべ】
     私には2、3歳頃からの蚘憶がある。
    母が鬌の様な圢盞で怒鳎り、泣いおいる私を抱え䞊げる。足をバタバタしお必死に抵抗する私。
    母は玄関のドアを開けお私を庭に攟りだす。
    そしお玄関にチェヌンをかけ、私が家に入れない様にするのだった。

     2、3歳の私が、どんな悪い事をしお母を怒らせたのかは芚えおはいない。
    ただ「むダむダ期」ず蚀われる時期で第䞀反抗期だ。玠盎に倧人の蚀う事に埓わなくなる。
    きっず母自身の䞭に䜕らかのストレスがあり、子どもを感情的に怒鳎り怒っおいたのだず思える。
     子どもの頃の蚘憶を蟿るず1番に目に浮かぶのは、い぀も庭で泣いおいる自分の姿だった。
    それは鮮明に蚘憶に残っおいた。
    よほどのトラりマになっおいたかの様に。
     倧人になり結婚し、息子ず嚘の育児を必死に頑匵っおいる私の姿を芋お母が蚀った。
    「あなたっお面癜かったのよ〜。怒っお庭に远い出すず、時間も泣いおたわ。毎日時間もよ。で、知らない間にどこからか勝手に家に入っおきお、玠知らぬ顔をしお遊んでたわ笑」ず笑顔で蚀われた。
    「母さん時間も子どもを泣かしたらダメだよ。怒った埌は、どんなに幌くおも子どもに怒った理由を説明しおあげないず。で埌は抱きしめおあげるフォロヌが倧切なんだよ」ず䌝えるず
    「あら、そうなの」ず簡単に返されおしたった。

     母は事情があり、たた時代もあったのだろう。
    3歳の時から実の母芪ず離れお暮らしおいた。
    実の父芪も戊争に行き䞍圚。
    母にずっおの父方の祖父が1人で1歳になる母の効ず、そしお3歳の母を預かり、
    2人を1人で育おおいたそうだ。
    䞭孊になった頃に、たた実母ず䞀緒に暮らせたが、それたでは実母に甘えた蚘憶がないそうだ。母芪の愛を1番必芁ずする
    倧事な時期に、母芪の愛情を知らずに育った母。
    なので子育おを知らなかったのだろう。
    仕方がなかったのだろうず今なら思う。

     ただ、あの庭に远い出され泣いおいた蚘憶が毎日の事で2時間もだったのだず
    母の口から改めお聞かされ、トラりマになっおいお圓たり前だず思えた。
    自分が可哀想に思えたのだった。。。

     あの頃、泣いおも泣いおも母は来おくれなかった。子どもが泣くのは、芪に来お抱きしめお欲しいからだ。
    私は、い぀も泣き疲れ庭で寝おしたっおいた。
    目が芚めるず、身䜓の暪に黒くお長い1本の線があった。
    よく芋るず蟻が行列を䜜っおいたのだった。

     い぀も倢䞭になっお蟻の行列を芋おいた。
    列になり䜕かを䜕凊に運んでいる様だった。
    道を間違える事もなく前にいる蟻の埌ろをしっかりず぀いお進んでいる。
    1匹も列を離れる事もなく、長い長い䞀本の道の様に続いおいた。
    幌い私にずっお䞍思議でたたらなかった。

     小孊2幎生の頃、孊校の図曞宀に行き
    図鑑で蟻に぀いお調べ、蟻には「道しるべ」ずいうものがあるず知った。
     巣を出た蟻は、自分の通った道筋に腹郚からフェロモンを分泌しお地面に残す。
    ゚サを芋぀けた蟻は、より濃いフェロモンを出すため、その匂いを頌りに行列ができる。
     
    道しるべフェロモンは時間が経぀ず薄くなっお消えおしたう性質を持っおいる。間違ったルヌトや遠回りのルヌトは消えおいく。正解のルヌトだけアリがいっぱい通るので、道しるべフェロモンが濃くなっおいくず知った。
    小孊幎の私は「人間にも道しるべがあるのかな」ず図鑑を読んで疑問に思ったのだった。

     芪の考え方や行いが間違えおいるず気が぀いおも、子どもは埓っお生きなければならない。
    䜕故なら、芪から食事をもらい、䞖話をしおもらわなければ子どもは生きおいけないからだ。
    生たれながらにしお、子どもは匱い立堎だず決たっおいるのだ。
    「オギャヌ」ず産声をあげお、この䞖に生たれおきお、先ずは小さなコミニティヌである家族に出䌚う。
    芪に育おられ芪を神様の様に思い、
    芪の蚀う事、やる事は間違いはないず教え蟌たれる。そんな環境で育ち、芪の䟡倀芳や性栌が受け継がれお行く。
    もしも䞡芪に歪みがあったずしたら、
    呚りの人たちの歪みが䞡芪に圱響し、
    環境から受け継がれおきたものなのだ。
    負の連鎖は、ずっず続いおしたうのだ。

    人間にも蟻の様な「道しるべ」があるのかもしれないず思えた。

    ②【家庭の闇は倖からは芋えない】
     倖からは芋えない芪の歪み。倖の人に気付いおもらえない。助けおもらうのは難しい。
    たた自分が芪から虐埅されお育ったず気付かないで倧人になる人も倚い。぀たり掗脳だ。
    よほどのアザが目立ったり、ガリガリに痩せ现っおきたりず身䜓的虐埅なら気付いおもらえる事もある。
    虐埅の定矩は
    ①身䜓的虐埅
    ②性的虐埅
    ③ネグレクト育児攟棄
    ④心理的虐埅
    の4皮類ある。
    たずえ子どもを殎っおいたずしおも、
    芪が「躟だ」ず蚀えば、それ以䞊は倖から干枉は出来ない。
    子ども時代は芪からの支配、圧力は絶察で、本人も自分が悪いからだず自己吊定し、芪の蚀いなりで抑圧され育っおいくので自分が虐埅されおいたず気づかず
    倧人になった人も倚いのだ。
    芪からの掗脳を受けおいる。
    『殎られお育おられおきたのは芪の虐埅ではなく、そんな時代だったからだよ』ず玍埗しおいる人も倚い。

     たた心理的虐埅は、身䜓的虐埅よりも倖に気付かれない。
    子どもに察しお粗末な扱いや蔑ろにした人栌吊定する蚀葉。
    その床に小さな心はズタズタに傷぀いおいる。
    『ただ幌いから分からないだろ』ではないのだ。
    けれどその家庭に育おおもらっおいる以䞊は、その環境を受け入れお生きなければならない。
    自分が悪いんだず自己吊定し、自分の䞭で凊理しお育っおいく。
    芪からの掗脳を受けお育぀。
    どんどん自己肯定感が䜎くなっお、
    自分の事を愛せなくなっおいおも
    芪から心理的虐埅を受けおいたからだず気が付かない人が倚い。
    そしお、倧人になり生きづらさを抱える。
    䜕故、生きずらいのか
    䜕故、生きるのが苊しいのか
    本人は党く分からないのだ。

     毒芪育ちの人には、
    人生の土台だず蚀われおいる幌少期ずいう倧切な時期に「安心、安党」の心の安らぎが、家庭の䞭になかったのだ。
    この䞖に生たれお1番初めに接する芪ずの関係で人間関係を孊んでいく。
    その芪に察しお無意識でも䞍信感を持ち続けながら育っおしたったら、
    その埌の人間関係など人生党おが䞊手くいかず蟛く苊しい日々を過ごしおしたうず蚀われおいる。
    酷い人では鬱病になったり自ら呜を断ったりしおしたう。「愛着障害」ず蚀われおいる。
    最近、芞胜界でも自殺する人のニュヌスを耳にするが、やはり幌少期の家庭環境に恵たれおいない人が倚い様に感じる。

     私は仕事関係で児童逊護斜蚭に䜕床か行った経隓がある。保育園児の2、3歳から5、6歳ぐらいの幌い子は、ただ無邪気であどけない。
    小孊生になるず斜蚭の䞭でもスタッフには芋えないずころでむゞメが起こる事も倚いそうだ。
    䞭高生になり成長するほど倧倉になっおきお男子でも倜になるず䞍安がり添い寝をしないず1人では寝れない子䞍安症が䜕人もいるそうだ。
    たたリストカットをする子も倚い。
     
    芪じゃなくおもいい、芪に倉わる存圚が
    1人でもいたらいいのだ。「愛」しおくれる存圚が1人でもいたら「安心、安党」の堎があるず認識できたら人生の土台がしっかり䜜れるのだ。

     発達心理孊の研究では自己肯定感の土台は0歳から6歳の乳幌児期に圢成され、この時期の経隓が生涯にわたる自己認識の基盀ず蚀われおいる。
     
    自己肯定感を先進囜で調査するず日本は最䜎レベルだったずデヌタ結果が出おいる。
    文郚科孊省調査2024幎
    「自分に満足しおいる」かの割合
    🇺🇞 アメリカ87.6%🇚🇳䞭囜80.2%🇰🇷韓囜71.5%
    🇯🇵日本45.8%日本の子どもの自己肯定感は、調査察象囜の䞭で最も䜎いずいう衝撃的な結果が出た。
     
    日本の昔ながらの文化が教育に圱響をしおきたのだずも思われる。
    たた日本においお、10代の子ども達の自殺が深刻な瀟䌚問題ずなっおいる。
     
     内閣府の調べによるず2020幎での15歳から19歳の死因の玄半数は自殺。たた厚生劎働省ず譊察庁の調べによるず2025幎の小䞭高生の自殺者総数が538人で過去最倚ずなった。
    たたG7各囜における10〜19歳の死因においお、自殺が1䜍になっおいるのは日本だけなのだ。デヌタからでも、日本の10代の子どもの自殺の深刻さが瀺されおいる。
     
     文郚科孊省の調査によるず、子どもの自殺の背景は、およそ半数が「䞍明」だそうだ。
    けれど、たずえ背景にむゞメがあったずしおも自己肯定感が高いずむゞメを避けられるず思われる。むゞメる偎も自己肯定感が䜎いからだ。
    むゞメられる偎もむゞメる偎も匕き合うのだ。

     私は心理カりンセラヌずしお沢山の
    クラむアントず向き合っおきた。
    心を痛めおいるその原因は、やはりその人の生育歎バックグラりンドが関係しおいる事が倚いず感じおきた。
    発達心理孊の研究でも、乳幌児期や孊童期の子どもにずっお、呚囲の倧人ずの関係は、成長・発達に圱響を䞎えおしたうずハッキリず結果が出おいる。その時期に「信頌」「道埳」「䟡倀芳」「立堎」「圹割」などを孊び成長しおいく。
    子どもの心の発達には、人的環境が倧きく圱響するため非垞に重芁だず蚀われおいる。
     芪からの虐埅も7割は連鎖するず蚀われおいるのだ。
    これを「䞖代間連鎖」ずいう。
    ただ芪も自分が毒芪だず気付いおいない事がほずんどなのだ。
    その芪も幌少期を蟿れば䜕がしの䜕かがあり、心に傷を持っお育っおいたり、
    コンプレックスを抱えたたた自己肯定感が䜎く、芪になっおしたったのだ。

     家系を蟿れば、䜕代も先から続いおきた思い癖や性栌も連鎖しおいる。
    自分が虐埅されおいるず気付いたずしお倖に助けを求めおも、なかなか本気にしおもらえない。
     
     倧人になり自分の芪が毒芪だったずやっず気付いお、生きづらさの原因が理解出来たずころで、誰かに話したずしおも
    「誰だっお芪ずは、なにがしか揉め事は過去にあるもんだよ」
    「芪の悪口は蚀わない方がいいよ」
    「育おおもらったんだから感謝しないず」ず吊定されおしたう。
    そしお、たた自分を責めおしたう癖が出おくる。
    けれどあなたが、自分の芪は「毒芪」だったず「虐埅」だったず感じるなら、もうそれは「虐埅」なのだ。
    この䜕䞖代前からずっず続いおきた負の連鎖をあなたの䞖代で断ち切らないずいけない‌

    ③【『魂』ずいう光の玉 】
     私は今、家族療法心理カりンセラヌず
    自己肯定感UPのコヌチをしおいる。

     今たで沢山のクラむアントず向き合っおきた。
    倚皮倚様な人が、さたざたな悩みを抱えお生きおいた。そしお誰もがこの䞖ので、たったひずりの尊重されるべき存圚なのだず、぀くづく思った。

     「䞖界で䞀぀だけの花」の様に、それぞれが特別なNo1なのだ。特別な花達が、それぞれに出䌚っお絡み合い、それぞれの人生を生きおいくのだず。今たで色々な「人間暡様」を芋おきた経隓から人生の䞍思議さ、この䞖の䞍思議さを感じさせられおきた。
     
     私は「魂」ずいうものがあるず信じおいる。
    人は「魂」ずいう光の玉を磚く為に、この䞖に生たれおきた様に思える。光の玉を磚くには心を成長させなければならない。
    心を成長させるために人は人ず出䌚うのだろう。傷぀け合い、蚱し合い、愛し合い成長しおいくのだず。

     そしお人生は「川の流れ」に、よく䟋えられる。
    デコボコでトゲトゲのザラザラの石が山の䞊の川の䞊流から䞋ぞ䞋ぞず流れ萜ちる。
    時には激流に流され、あっちの岩にぶ぀かり、こっちの岩にぶ぀かり、䞋ぞ䞋ぞず転がり萜ちながら長い人生ずいう川を流れお旅をする。
    やがお長い川から倧海に蟿り着いた頃は、
    ツルツルピカピカず光り茝く矎しい宝石になっおいる。それが人の「魂」なのだず思う。
    色々な詊緎があっお乗り越える床に「魂」ずいう光の玉を磚いおいく事が出来るのだず。
    詊緎は蟛くお苊しい。でも実は、その詊緎こそが「魂」の光の玉を磚くチャンスであり、楜しみながら磚いおいけば良いず今の私なら思える。

     私は「茪廻転生」説も信じおいる。
    䜕床も䜕床も人は生たれ倉わりながら「魂」ずいう光の玉を磚くず蚀われおいる。
    倩の䞊には、ひずりひずり自分の倧きなパズルがあり、そのパズルを完成させる為に、この䞖に䜕床も生たれお来るずいう。
    この䞖に生たれ人生を党うし寿呜が来お、倩に垰った時に、その自分の倧きなパズルにピヌスを䞀぀埋め蟌める。
    そしお人は䜕床も茪廻転生を繰り返しパズルを完成させる。
    もうその頃には、「魂」の玉はピカピカに光茝いおいお茪廻転生に終止笊を打ち、この䞖に生たれる事はないのだず。だが人は生たれる時に倩の䞊での蚘憶が抜かれおいるので、パズルの事も党お忘れおしたう。
    自ら呜を断った人は皆んな倩に垰っおから自分のパズルの前に立ち埌悔をするそうだ。
    人生を最埌たで党うしなかった人はピヌスを埋め蟌む事が出来ないからだ。そしおたた、同じ課題を持っお生たれなければならないず蚀われおいる。
    孊生時代に、そんな説があるず知った私はどんなに蟛くおも自分の人生を必ず党うしようず心に誓った。

     この䞖の䞍思議さを本圓に感じお生きおきた。
    人は産たれる時『オギャヌ、オギャヌ』ず泣きながら産たれおくる。
    色々な事があり怖かったのか悲しい事があったのかず思っおしたう様な泣き方だ。
    だけど呚りの人は笑顔で『おめでずう』ず蚀っお笑顔で誕生を喜び祝う。
    逆に、この䞖から人が亡くなる時は呚りの人は『寂しい』『悲しい』ず蚀っお泣く。
    この䞖ずあの䞖は逆ず蚀われおいる。
    あの䞖では、人が垰っおきたら『おかえり〜』
    『よく頑匵っおきたね』『お疲れ様』ず蚀っお笑顔で喜び迎えおくれる。
    反察に、この䞖に生たれお行く時は、
    倩では呚りの人達が心配しお『寂しい』ず別れが蟛いず皆んなが泣くらしい。
    それで本人も、倩での呚りの人達ずの別れが蟛かったのか悲しかったのか、䞍安だったのか、泣きながら産たれおくるず蚀われおいる。
    でも蚘憶は倩で抜かれおしたっおいるので、どうしお泣いお産たれおくるのかは本人も分からなくなっおいるのかもしれない。

    そんな説があるず孊生時代に知った私は、心に誓った事があった。
    この䞖に産たれたおくる時に泣きながら生たれお来るのなら、人生を党うし寿呜が来た時は
    「あ〜楜しい人生だったなぁ〜。思いっきり、やり切ったぞ〜』ず明るく笑い、呚りに笑顔でお瀌を蚀っお倩に垰りたいず思った。
    そしお倩に垰っお、自分の倧きなパズルにピヌスを䞀぀埋め蟌み早く完成させれる様に『魂』の光の玉を磚きたいず思った。
    今䞖で、いっぱい光の玉を磚き、
    その光を他者にも分け䞎えられた人には特別に䜕ピヌスも埋め蟌む事ができるず蚀われおいる。
    もしかしたら、パズルを完成させた人が増えるず、この䞖もあの䞖も党䜓が䞊昇し、地球ずいう星党䜓が䞊昇し、宇宙で最も光り茝く星になるのではないか。。。ず。勝手な劄想芏暡が倧きくなり過ぎおしたうが、ずにかく自分だけではなく、䞡芪や家族や呚りの人、䞖界䞭の人にも人生を楜しんで欲しいず思った。
    皆んなが皆んな『魂』の玉を光茝かせ、
    倩に垰る時は明るく笑っお垰っお欲しいず心から思ったのだった。

    ④【マむナスな自己肯定感】
     芪から受けおきた粟神的虐埅により、
    私は倧人になっおからでも自分を愛せなかった。自己肯定感がマむナスのたた育っおいった。
    幌い頃から、息だけしおいるだけで抜け殻の様だったず思える。
    い぀も消えたいず思っおいた。
    絵本の魔法䜿いが出おきたら「私を消しお」ず頌もうず考えおいたのだ。
     アルバムを芋るず芪戚の集合写真にも、ほずんど私は写っおいない。䜕故なら「ハむ、チヌズ」ずカメラマンがシャッタヌを切る瞬間にワザず隣の人の埌ろに隠れおいたからだ。
    幌い私は、それで自分の存圚を消せた気でいたのだった。䜕床も同じ事をしおいた蚘憶がハッキリず残っおいる。
    もちろん私は生たれながらにしお感受性が匷い気質があったずは思える。
     発達心理を勉匷しおいく䞭で人間の発達芁因は遺䌝ず環境の盞互䜜甚だず理解できた。
    たた、その人の性質によっお必芁ずなる環境芁因の床合いも異なっおくるそうだ。
    そしお自己肯定感は3歳たでの呚りの倧人ずの関係性が倧きく圱響しおいるず蚀われおいる。
    次に5歳たでの五感ぞの働き方などが関係し、9歳たでには物事に察しおの捉え方が決たっおしたうず蚀われおいる。
    もしも、この倧切な時期に芪が子に察する指針が間違っおいたずしたら、子はその埌の人生を迷子になっお圷埚っおしたうのだ。
     
     自己肯定感の䜎さも家族による連鎖だず蚀われおいる。
    たた、諞倖囜ず比べおも日本人は自己を肯定的に捉えおいる人の割合が䜎いずいう調査結果が出おいる。
    これは昔からの日本の教育に問題があるず蚀われおいる。
    『謙虚さ』が矎埳ず教えられ、目立぀ず叩かれる。呚りず足䞊みを合わせお行く事が倧切だず
    教えられおきたのだ。
     
     たた日本の自殺者数も䞖界では䞊䜍ずされおいお幎々増えおきおいる。
    倖囜人から芋る日本人は、根が真面目過ぎお完璧さを求めおいお、䞖間䜓の目を気にし過ぎおいお瀟䌚的なプレッシャヌを持っおいる様に芋える様なのだ。「瀟䌚人なら、こうあるべき」
    「男なら、こうあるべき」ずべき思考を持っおいる人が倚いのだろう。
    だから、䞀定のルヌルから倖れるず生きづらくなっおしたうのだろう。
     もう䞀぀は「責任感」の匷さだず蚀われおいる。䜕か䞍祥事があるず責任感から自殺を遞ぶ人が倚い。これは歊士の時代に「切腹」ずいう颚朮があり、䞍祥事が起きるず責任感から自害しおいたこずに由来する囜民性だろうず海倖では思われおいるそうだ。
     たたWHOの報告によるず、䞖界でも自殺者数は増えおいるそうで「40秒に1人は自殺しおいる」そうだ。そんな情報を聞く床に胞が痛く悲しくなる。

     私も幌い頃から芪に察しお䞍信感を持っお育っおきた。䞡芪の事も自分自身の事も、ずっず倧嫌いだった。
    『背が高い女の子は可愛くない』ず芪や芪戚の叔母達から、ずっず蚀われ続け䞋を向いお歩く癖が぀いた。
    頭を䜕床も本で抌し「背が䌞びたせん様に」ず願い続けた。
    姿勢も自然ず猫背になっおいった。
    背が高い事は短所ではなく長所ずしお育っおいたら、もっず違う人生だったかもしれないず思っおしたう。

     4歳の頃から、本圓の芪は別にいるず思っお育っおきた。
    䜕か蚳があり、この家に預けられたのだず思い蟌んで育っおきた。
    正盎なずころ、倧人になっおからも本気でDNA鑑定をしようずも考えおいた。
    けれど心理孊や色々な勉匷を続けお色々な人に出䌚っおいくうちに、人間の匱さを改めお理解でき、䞡芪にも幌い頃から色々な感情があったんだろうなず蚱せる様になっおいた。
    䞡芪も匱かったのだ。
    かなりの幎月はかかったけれど「育おおくれた事には感謝しかない」ず思える様になれおいた。
    その様に思えた頃には自分が自分を愛おしいずも思える様になれおいた。
    マむナスだった自己肯定感も100%たで高くなっおいたのだった。

    ⑀【3本のロり゜ク、揺れる灯火】
     私は倧人が怖かった。
    母も怖かった。父も怖かった。兄も怖かった。
    兄は私より6歳䞊だった。なので遊んでもらった蚘憶もない。家の䞭では、い぀も䞡芪ず兄の3人で楜しそうに話しおいた。
    幌い私は話に入れなかった。
    い぀も隣の郚屋でおもちゃで遊んだり兄のお叀の絵本を読んでいた。ただ字が読めないので絵を芋おいるだけだったが。。。
    隣りの郚屋の3人が気になり、3人の居る郚屋に入っおも3人は私に気付かず話しに盛り䞊がっおいた。
     私は、この家では居おも居なくお、どっちでもいい存圚なのだず思いこんでいった気がする。
    自分を倧事に思っおくれる人は、どこにもいないのだず幌心に感じおいたのだ。
    倖に出るず、近所の友達たちず思いっきり走りたわり遊んでいたが、家に垰るずい぀も倧人しくなり黙っおいた。
    䜕か蚀っお母に怒られるのが怖かった。
    父は母の蚀うこずを盎ぐに信じる面があった。
    䞡芪は仲が良かった。そしお長男である兄をずおも可愛がっおいた。
    3人はずおも仲が良かった。
    私は家に居るず寂しかった。
    誰も盞手にしおくれないのが普通だったからだ。
    私は、物心぀いた頃から「孀独」だったず思う。

     ある日の倕方、近所に䜏んでいる遠い芪戚にあたる叔父さんが急に遊びにきた。
    その手に持っおいたのは四角い倧きな箱だった。
    もう盎ぐ倕食の時間なのでダむニングテヌブルに向かっお座っおいた私に向かっお叔父さんは
    『みヌちゃん、誕生日おめでずう』ず倧きな
    デコレヌションケヌキを目の前に眮いおくれた。
    叔父さんが買っおきおくれたのだ。
    癜いクリヌムの䞊にはむチゎがいっぱいのっおいた倧きなデコレヌションケヌキだった。
    本のロり゜クに火を぀けおくれた。
    私はその日に3歳になったのだった。
    あたりに突然の事でびっくりしたのず、あずは嬉しくお嬉しくお。。。倧きな声を出しお泣いおしたった。
    叔父さんは困った顔をしお「どうしたみヌちゃんはケヌキ嫌いだったか」ず。 
    私は私の存圚を認めおくれた人が居たのが嬉しかった。ただ3歳。気持ちを蚀語化する事が出来なかった。
    ただ嬉しくお嬉しくお倧きな声で泣いおいた。
    そのシヌンも3本のロり゜クが揺れる灯火ずずもに蚘憶に今でもハッキリず鮮明に残っおいる。
    その叔父さんは、その埌は䞉重県に匕っ越し、その10幎埌に病気になり、倩に旅立っお行ったそうだ。
    3歳の私は、あの日「ありがずう」を玠盎に蚀えなかった。

     息子や嚘の誕生日には、毎幎いちごがいっぱいの倧きなデレコヌションケヌキを買った。
    2人が3歳になった日にも、デコレヌションケヌキに3本のろうそくを立おおあげた。
    息子や嚘の喜ぶ顔を芋おいるず、3歳の頃の自分の蚘憶が蘇った。
    3本のロり゜クに火を぀けるず、揺れる灯火の向こうに、あの時の優しい叔父さんの顔がハッキリず目に浮かんだ。
    『叔父さん、あの時は有難うございたした。
    私ずいう存圚を認めおくれお本圓に本圓に嬉しかったです』ず倩に向かっお感謝したのだった。

    ⑥【蜂が刺した】
     父方の祖母ずの思い出はシヌンしかない。
    祖母は䞉重県の父の実家で長男父の兄家族ず䞀緒に䜏んでいた。
    父の父芪私の祖父は、父が5歳の時に病気で亡くなったそうだ。
    祖母にずっお5人の子どものうち父は末っ子で、ずおも可愛いがっお育おおいたらしい。
     父が倧阪で結婚し䞀軒家を持った事をずおも喜んでいたそうだ。
    その祖母が䞉重県から泊たりに来おいた時の蚘憶だず思う。
    テレビの前で祖母ず「蜂が刺した」をしお遊んでいた1シヌンの3歳頃の蚘憶だ。
    祖母が私の手の甲を「蜂が刺した」ず摘む時、そっず優しく少しだけ摘んでくれたのが3歳の私にも感じずれた。
    「おばぁちゃん、私は痛くないから、もっず思いっきり摘んでいいよ」ず
    心で思った。
    次に私が祖母の手の甲を摘む番になり、普通に摘んだ぀もりが、皮がびろヌんず䌞びお柔らかくおびっくりしたのだ。
    「おばぁちゃん痛くなかったかなぁ」ず心配しお顔を芋るず、祖母は私を本圓に愛しい目で芋぀めおくれおいた。ただその衚情だけで「この人に愛されおいる」ず確信した。
    3歳の私にも祖母からの愛がハッキリずわかったのだった。
    今たで、母芪にも父芪にも、そんな衚情をされお芋぀められた事などなかった。私は嬉しかった。
    だが残念ながら祖母ずの思い出はこの1シヌンの蚘憶しかないのだ。
     
     私の母は極床の神経質な面があり
    お姑さんが来たら完璧さを装い、培底的に気配りをしおいたらしい。
    祖母は䞉重県の田舎の人で
    祖母が「気を遣わなくお良いからね」ず蚀っおも母が勝手に色々ず気を遣い、祖母が垰った埌は
    毎回、熱を出しお寝蟌んでしたう皋だったらしい。
    その事を父が芪戚に蚀っおしたい、祖母の耳に入り祖母は気を遣っおしたい、もう2床ず家には来おはくれなかったらしい。
    なので、祖母ずの思い出は「蜂が刺した」のあの1シヌンの蚘憶しかないのだ。
    その2幎埌、私が5歳の時に祖母は病気で倩に垰っお行っおしたった。

     䞉重県の父の実家で行われた祖母の埡葬匏の蚘憶もある。父の涙を初めお芋た日だった。
     祖母は実家で長男家族ず暮らしおいたが、䌯父倫婊は共働きだったので、5人の孫嚘をほずんど祖母1人で育おおいた。
    埓姉効達に思い出話しを聞いた事がある。
    長女である埓姉効が䞋の効達を連れお倖で遊んでいた時、油断しお䞉女を転倒させおしたい怪我をさせおしたったらしい。「お婆さんに怒られる」ず思いながら、芚悟を決め血だらけの䞉女を
    連れお家に戻ったら、お婆さんは䞀蚀も長女の埓姉効を責めなかったらしい。
    『あの時は本圓に、おばぁさんの優しさを感じた』ず長女である埓姉効から聞いた。
    たた他の埓姉効達も、それぞれに『おばぁさんは、本圓に優しい人だったよ』ず蚀っおいた。
     祖母の愛情深さ優しさは、5人の埓姉効達にしっかり受け継がれおいた。
    そしお、それぞれの子や孫にず連鎖されおいっおいた。祖母に育おおもらえた埓姉効達が矚たしくなった。
    私も「蜂が刺した」の1シヌンのあの思い出を宝物に生きおいこうず思えた。

    ⑊【立ちション】
     父は䞉重県の田舎の人で、倧阪に出おきおから同じ田舎出身の歳䞋の母ず出䌚い結婚したず聞いた。
    父は昔の叀い考え方の持ち䞻で「男尊女卑」ずいう考えが根匷かった。
    結婚しおから父に『俺の右を歩くな俺より3歩䞋がっお歩け』ず厳しく蚀われ、い぀も父に埓っおいたず母から聞いた事があった。
    2人に兄が生たれ『長男だ』『埌継だ』ず喜んだそうだ。父にずっお男の子は特別だった。
    兄は䞡芪から激愛されお育っおいった。次に1人を流産しおしたい、6幎埌に女の私が生たれたのだ。
    小孊生の頃に母から『流産しおいなかったら、あなたを産たなかったわ』ず蚀われ、傷぀いた事もあった。
    䞡芪は長男である兄を倧切に育おおいた。
    「男だっおだけで偉いんだ‌」
    「女は所詮、䜕にも出来ない‌」
    「女は男を匕き立たせお、控えめにしろ‌」
    「女を䜕人産んでも意味がない。男1人産んだら、それだけで偉いんだ‌」ず、
    い぀もい぀も蚀っおいた。
     父は、自分の父芪を5歳の頃に亡くし、父より12歳䞊の長男である父の兄が䞀家を支える倧黒柱ずなった。
    父は、その兄から厳しく育おられたそうだ。
    䜕床も䜕床も殎られたず父から聞かされた。
    確かに埌から芪戚達に聞くず父以䞊に
    䌯父は気難しい性栌の持ち䞻で、父は
    䌯父に頭が䞊がらなかったらしい。
     䌯父は結婚し5人の子どもが出来た。
    埌継の男の子が欲しかったが5人ずも女の子だった。
    父ず母に、兄が生たれた時に『俺は兄貎に勝った‌』ず
    喜んだず父に䜕床も聞かされた。
    䜕故、男が勝ちで、女が負けなのだろう⁉
    聞かされる床に蟛くなった。

     私は3歳ぐらいの時から毎日の様に
    近所に䜏むカッちゃんずテッちゃん遊んだ。
    2人は私より1っ幎䞊の男の子だった。
    い぀も、颚呂敷きをマントにしおヒヌロヌごっこや戊いごっこをしお、土で服がドロドロになっおも遊んでいた。

    「氎戞黄門」や「東山の金さん」「暎れん坊将軍」など時代劇が奜きな父の圱響を
    私は、どっぷりず受けおいた。
    新聞玙を筒状にしお刀にし『この印籠が目に入らぬか⁉』などず蚀ったり、片方だけ肩を出し『この桜吹雪🌞に芋芚えはないか⁉』ず蚀いながらチャンバラごっこをし戊っおいた笑
    『人生楜ありゃ苊もあるさ〜🎵』ず
    意味も分からず唄っおいたのだった笑

    女の子がする人圢遊びやオママゎト遊びには興味なかった。
    戊いごっこは、時々は8人から10人ぐらいに増えお遊ぶこずもあったが女の子は、い぀も私だけだった。
    「倧きくなったら、ヒヌロヌになる‌」ず皆んなに蚀っおいた。
    近所のおばちゃん達にも「お転婆さんやな〜」ず蚀われ、むタズラをしおは怒られおいた。
     

    䞉茪車でカッちゃんやテッちゃんず毎日の様に暎走族をしおいた。
    4歳になるず緎習などしなくおも
    カッちゃんから借りたコマ無し
    自転車に自然ず乗れおいた。
    5歳のカッちゃんずテッちゃんは、もう駒なし自転車を買っおもらえおいたのだった。
    父に『駒なし自転車を買っお欲しい』ず頌むず、頭ごなしに『4歳では絶察に乗れるはずがない‌危ないからダメだ💢』ず
    怒鳎るだけだった。
    しかし、カッちゃんずテッちゃんの二人が私の父に亀枉しおくれた。
    『カッちゃんから借りた駒なし自転車を
    乗りこなせたら買っおやっおもいい』ずいう条件をもらった。
    私は父の前で、いずも簡単に駒なし自転車をスむスむず乗っお走らせお芋せたのだった。あの時の父の驚いおいた顔が
    今でも忘れられない笑
    私は4歳にしお、駒なし自転車をゲットしたのだった

     よく3人で遠くたで自転車を走らせた。
    田んがのあぜ道を歩いお、ザリガニ取りやカ゚ル取りなどをしお遊んだ。
    ある時、カッちゃんずテッちゃんがカ゚ル芋぀けおカ゚ルにオシッコをかけた。
    カッちゃんが「お父さんが、カ゚ルにオシッコをかけたら、チ○ポ○が腫れるからダメだよっお蚀っおたけど」ず蚀いながら立ちションをしおいた。
    2人のチ○ポ○は、少し赀くなったけれど痛くなかった様で安心した。
    2人に「私も男の子になりたいんだけど、どうしたらなれる」ず蚊いた。
    「毎日、毎日、立ちションしたらいいよ
    そしたらチ○ポ○が生えおくるから」ず蚀っおくれた。
     それから毎日、䜕回も立ちションをした。
    しかし、い぀も倪ももからふくらはぎずオシッコが流れおビチョビチョになった。
    2人の様に飛ばないのだ。
    家の和匏トむレでも頑匵った。
    やはり呚蟺がビチョビチョになった。
    毎回バレない様に掃陀をしなければならなかった。
    昌は家の庭で立ちションをしおいた。
    い぀も、䞡脚がビチョビチョになった。
    しかも、なかなかチ○ポ○は生えおこなかった。

     ある日、庭でい぀もの様に立ちションをしおいるず父に芋぀かっおしたった。
    「バカやろヌ‌なんで座っおやらないんだ💢」
    「立ちションしたら、男の子になれるから」ず蚀うず「バカやろヌ💢女は䜕をしおも男になれない💢」ず怒鳎られた。
    4歳にしお絶望感を味わった。
     男の子になれたら父が喜んでくれるず思ったのにず。。。悲しかった。悔しかった。
    その事は父から父方や母方の芪戚䞭に広たっおしたい、お笑いのネタにされおしたったのだった。

     倧人になり私も息子ず嚘の母芪になった頃に、埓姉効に『そういえばさ、あなたっお小さな頃に立ちションしおたんだったわねぇ〜』ず笑われお蚀われた。そんな事を、ただ芚えおる芪戚がいる事にもびっくりしたのだった。

     私も芪ずなり芪の気持ちで、あの時に父がどうしお芪戚䞭に話したのかを考えおみた。
    やはり理解出来なかった。
    間違った事をしおいた時期があったずしおも、それは成長の䞀぀の過皋の出来事だずしお人には蚀わないだろうず。。。
    嚘が成長しおからの事を考えたら、
    やはり蚀わないでいるだろうず思った。
     
     倧人になっお埓姉効に恥ずかしい事を芚えられおいおびっくりしたが、その時はもう笑っお返せる自分になっおいた。

    ⑧【チ○ポ○キックずヘビのおもちゃ】
     兄ずは6歳離れおいた。兄は身䜓も现くヒョロヒョロしおいる線の现いタむプだった。
    優等生で䞡芪は特別埅遇しお兄を育おおいた。
    兄より先にお颚呂に入っおはいけなかった。
    兄より先にオダツを食べおもいけなかった。
    そんな兄からは䞡芪のいないずころで意地悪をされおいた。
    私が4歳になっおも兄はもう小孊4幎生。
    私にずったら背が高い倧人ず同じだった。
    兄は6歳たで、ひずりっ子ずしお䞡芪を独占しお育っおきたのだ。
    効の私にダキモチから意地悪をしおいたず思える。知胜犯で䞊手く仕掛けられ、
    い぀も䞡芪から怒られおしたうのは私だった。
    私は、ただ4歳。蚀葉も達者ではない。
    兄に負けおしたうのだ。たた兄の蚀う事を党お信じおしたう䞡芪。私に勝ち目はなかった。
     ある日、カッちゃんずテッちゃんに「お兄ちゃんに勝ちたいの。どうしたら勝おる」ず盞談した。2人は「簡単だよ〜。チ○ポ○キックをするんだ。そこだけを狙うんだよ」ず教えくれた。
    い぀もの様に陰湿な意地悪を仕掛けおきた兄に私は即座に戊いごっこの時のポヌズをずった。
    そしお2人が教えおくれた様に䞀点に集䞭
    チ○ポ○連続キックを決めた。
    逃げる兄を远いかけた。
    兄は泣きながら䞡芪の埌ろに隠れた。
    䞡芪は「小さいクセに兄貎を泣かすずは、
    気の匷い女や💢最䜎な女や💢」ず。
    「お兄ちゃんに謝れ💢」ず父の雷は酷かった。
    兄の意地悪は、たすたす酷くなっおいったが、負けずにチ○ポ○連続キックを決めた。
    毎回、兄は倧声を出しお泣いお母や父の所ぞ逃げお行った。そしお毎回、怒られるのは私だけだった。
    喧嘩には理由があるはずだ。
    䞡方の蚀い分を聎く事が倧切なのに、い぀も䞡芪は泣いおる兄の方の味方をし、私を頭ごなしに怒り続けるのだった。

     ある日、芪戚のおばちゃんが家に来おいた。
    そのおばちゃんは来るずい぀も「お父さんずお母さん、どっちが奜き」ず倉な質問をしおきた。子どもながらに答えおはいけないず思い䞋を向いお黙秘暩を守っおいた。
     和宀でお茶を飲んでいるおばちゃんに
    駄菓子屋で買ったばかりの朚で出来たヘビのおもちゃを芋せたくなった。
    手で尻尟の方を持っお走るずタカタカずヘビがりネリだす。
    子どもずいうものは倧人におもちゃを自慢したいものなのだ。「すごいね〜。こんな、おもちゃがあるんだね〜」ずそれだけ蚀っおもらいたいだけなのだ。
    私は朚のヘビのおもちゃを持ち和宀に走っお入っお行った。急におばちゃんの怒鳎り声がした。『おばちゃんがヘビが嫌いず知っおワザず持っおきたな💢そんなにおばちゃんが嫌いか💢
    あんたは小さいクセに、お兄ちゃんを泣かしおるらしいな💢お兄ちゃんは優しい子やのに、あんたは根性が悪く気が匷い悪い子らしいな💢』ず。
    私は唖然ずなり黙っお固たっおしたい
    ずっずそこに立ちすくんだ。
    泣く気力もなかった。
    党く悪気も䜕にもなかったので、怒鳎られおびっくりしたのだった。
    兄ずいずこがニダニダず笑っおいた。
    䜕がショックだったかず蚀うず䞡芪がおばちゃんに私の事をそんな颚に話しおいた事だった。
    おばちゃんに怒られたショックより、䞡芪から、そんな颚に思われおいた事を改めお知りショックだったのだ。
     兄を泣かせおいた件も䞡芪により父方、母方の芪戚䞭に広たっおいた。
    私は、たた䞡芪に察しお䞍信感を深めおいったのだった。

     補足だが、4歳でチ○ポ○キックずいう技を習埗した私は、それ以降の戊いごっこは
    勝ち続けたのだった笑
     それからも毎日、カッちゃんやテッちゃんず遊んでいたが小孊2幎生ぐらいになるず、
    やはり自然ず女の子ず遊ぶ様になっおいった。
    圓たり前だがチ○ポ○キックも自然ずしなくなっおいった笑

    ⑚【みにくいアヒルの子】
     い぀も家の䞭では、䞡芪ず兄が楜しそうに笑っお話しおいた。私が4歳ぐらいの時だった。
    3人の所ぞ行き『䜕の話しをしおいるの』ず蚊くず『あんたは小さいから話しおも分からないわよ』ず蚀われ仲間に入れおもらえなかった。
    倖では男の子達ず走り回っお遊んでいたが家の䞭では倧人しく過ごさなければならなかった。
    䞡芪ず兄が3人で楜しそうに話しおいおも、隣りの郚屋で䞀人で静かに兄のお叀の絵本を読んでいるこずが倚かった。
    読むずいっおも4歳の私は、ただ字が読めなかった。絵だけを芋お想像力を膚らたせお芋おいた。
     なぜ4歳だず芚えおいるかずいうず、
    ただ幌皚園にもどこにも行っおいなかったからだ。
    カッちゃんずテッちゃんは䞀぀幎䞊だったので
    近くの幌皚園に通い始めおいた。
    なのでその頃になるず午前䞭は2人ずは遊べなかったのが寂しかった。でもテッちゃんの匟や同じ歳の男の子達ずは毎日の様に遊んでいた。
    お昌2時を過ぎるず、カッちゃんずテッちゃんが幌皚園から垰っおきお、毎日『あそが〜』ず誘いに来おくれた。
    嬉しくお走っお家から飛び出しおいった。
    2人が通っおいる幌皚園に来幎になったら通えるず母から聞き埅ち遠しかった。
     倖遊びから家に垰っおからが蟛い時間だった。
    い぀も絵本を芋お過ごす時間が増えおいた。
    兄のお叀の絵本は「日本昔話」「アンデルセン童話」「む゜ップ童話」「グリム童話」ず䞖界の童話集がセットで本棚に䞊べられおいた。
    䞡芪は兄を激愛しおいおいたので、兄の為にこれだけの沢山の本を買ったのだろう。
     私は、い぀も1冊1冊絵だけを芋おむメヌゞを膚らたせるのが奜きだった。
     
     ある日「みにくいアヒルの子」のペヌゞを芋぀けた。家族からいじめられおいるアヒルがいた。
    きょうだいず少し違うアヒルは、お母さんからも可愛がっおもらえずに、きょうだいからは虐められおいた。
    その絵を芋た時に身䜓の䞭にむナズマの様な衝撃が走った。「たるで自分だ‌』ず。
    「みにくいアヒルの子」ず自分が䞀臎した。
    先のペヌゞをめくっおいくず、みにくいアヒルの子は癜鳥だったずわかった。
    本圓の芪は癜鳥だったのだず。
     その日から私にも本圓の芪が別にいるんだず考える様になった。
    䜕かの事情があり、この家に預けられたけれどい぀か必ず本圓の芪が迎えに来おくれるはずだ‌ず
    「みにくいアヒルの子」の絵本が垌望の光を䞎えおくれたのだった。

    ⑩【いずこずの比范ず「鬌の角痕」】
     幌皚園に通う様になった頃には䜕床も家出をした。ずいうより黙っお家を飛び出しお近くにある川の䞊の橋で1人で、ずっず立っおいるだけだったが。。。
    䜕故なら、ずっず父から『お前はな、橋の䞋で拟った子なんだよ』ず䜕床も蚀われおきたからだった。
    昔は、そんな冗談を蚀う芪が倚かったそうだが私の呚りの友達の芪にはいなかった。
    たた、今たでの事もあったので「本圓に橋の䞋で捚おられおいたんだ」ず玠盎に信じお過ごしおきた。
    橋で䜕時間も埅ち続けた。きっず必ず本圓の䞡芪が迎えに来おくれるず信じお埅ち続けた。
    優しそうな女性が歩いおくるず、この人が本圓のお母さんかもしれないずドキドキした。
    でも、い぀も誰にも声も掛けおももらえず、諊めおは家に垰るしかなかったのだ。
    テレビで玠敵な女優さんや男優さんを芋おは、「本圓の䞡芪はどんな人かなぁ」ずむメヌゞを膚らたせおいた。
    ただひたすらに迎えに来おくれる日を信じお埅ち続けおいた。
     私には近所に同じ歳の埓姉効がいた。
    母は5人きょうだいの1番䞊の長女だった。
    䞉女である母の効が、私が2歳ぐらいの時に家族で近所に匕っ越しおきたのだ。
    その䞉女の叔母の嚘がナミちゃんだった。
    私達は同じ幌皚園に通わされ、習い事も䜕もかも䞀緒にさせられお姉効の様に育おられた。

     幌い頃からナミちゃんず比范をされお育っおきた。
    ただ比范だけならマシだが、皆んなの前で比范され、必ずナミちゃんを耒めお持ち䞊げ、私を䞋げお貶し萜ずすのだ。
    この䞀連の流れを父も兄も䞀緒なっおやっおくるのだった。
    幌い私には意味が分からなかった。
    「どうしお⁉」「なぜなの⁉」ず心の䞭で叫んでいた。
    それはナミちゃんや叔母が居ない堎所でも、家での普段の生掻の䞭でも、
    必ずナミちゃんずの比范があった。
     い぀も母に䜕かを頌んだり蚀ったりするず『ナミちゃんは、そんな事は蚀わないよ‌
    ナミちゃんを芋習いなさい‌』ず。
    必ず『ナミちゃん‌』『ナミちゃん‌』だった。
    ナミちゃん本人や叔母の前でも、
    他の人が居おもお構たしに
    『ナミちゃんは凄いね〜。偉いね〜。それに比べお、この子はダメだわ〜』ず。
    ナミちゃんを䞊げお私を貶し萜ずすのがパタヌンだった。誰も止めおくれる人はいない。
    叔母も満足気な顔をしお笑っおいた。
    幌い頃から私は心の䞭で叫んでいた「ナミちゃんはナミちゃん‌私は私なんだよ‌」ず。
    誰かに助けお欲しかった。
    だが所詮、幌い私が誰かに話しお助けを求めおも誰もたずもに受け取っおもくれないだろうず諊めおいた。
    このナミちゃんずの比范は
    結局、物心぀いた頃から始たっおいお
    倧人になっおお互いが結婚し子䟛が生たれおも、ずっず続くのだった。

     䞉重県の母の実家に行っおも、叔母たちの間でもナミちゃんず私の比范はずっず続いおいた。
     ある倜の日、応接間に叔母たちが集たっお話をしおいた。
    その時は母ず祖母だけ甚事で、その堎所にはいなかった。
    ナミちゃんは叔母たちが座っおいる近くで遊んでいた。
    私だけ1人離れお、応接間の暪にある廊䞋の怅子に座り絵本を読んでいた。
    するず1人の叔母が『やっぱりさ、小さい時っおさ、身䜓も小さくお背も䜎くお䞞っこい方が芋た目も愛らしくお子どもらしくお可愛いわよね。
    背が高いず芋た目も可愛くないよね〜笑』ず蚀った。他の叔母たちも『確かに身䜓が小さい方が可愛いよね〜笑』ず口々に蚀い、
    廊䞋の怅子に座っお絵本を読んでいる私の方を芗き芋お皆んなでクスクス笑っおいた。
    私はヒョロヒョロしお䜓぀きも现く背が高い方だった。
    ナミちゃんは背が䜎くお、ぜっちゃりしおいた。2人の身䜓぀きは党く正反察だった。
    しかし叔母達の蚀葉に私は傷぀いたのだ。
    圓時、私は4歳ぐらいだったず思う。
    私は「人ず人は比べるものじゃないのに、䜕故おばちゃん達は分からないの‌」ず心の䞭で叫んでいた。
    幌いから気持ちを蚀語化出来ない。
    でも泣かなかった。
    泣いたら負けだず思ったからだ。
    私は、ただ黙っお䞋を向き絵本を読んでいた。
    叔母たちは幌い子には䜕を蚀っおもわかっおいないずでも思っおいたのだろうか。
    幌い子には䜕を蚀っおも蚱されるず思っおいたのだろうか。
    そんな私を誰も助けおくれる人は呚りにいなかった。
    誰も私を守っおくれる人はいなかった。
    誰も私の気持ちを理解しおくれる人はいなかった。
    生たれた頃から、ずっず誰も居なかったのだろうず思った。
    それからも叔母達によるナミちゃんずの比范は続き、子䟛時代の私は傷぀けられおきたが、あの1シヌンも心に倧きな傷ずなり蚘憶に鮮明に残っおしたっおいた。

     ある日、カッちゃんやテッちゃん達ずの倖遊びが終わり家に垰るず、リビングでナミちゃんず叔母が2人で、私のお気に入りの可愛い柄のトランプで遊んでいた。
    私は母に2人っきりで遊んでもらった蚘憶がない。
    なのにナミちゃんは楜しそうに叔母ず遊んでいた。䜕か物凄く腹が立っおきた。
    ナミちゃんは母芪からも、呚りからも
    「小さくお可愛い、可愛い」ず愛されおいお。。。
    なぜ私は。。。「背が高くお可愛くない」ず蚀われ続けおいるのか。。。思うず腹が立っおしたったのだ。
    ナミちゃんず叔母が遊んでいたトランプを取り䞊げお、違う郚屋に逃げ蟌んだ。
    するず叔母が倧きな声で『姉さん姉さんみヌちゃんが意地悪しおトランプを持っお行ったわ〜』ず。
    母は盎ぐに私を远いかけおきおトランプを取り䞊げ『なんで、そんな意地悪をするの💢謝りなさい💢』ず怒鳎りたくっおいた。
    私は、ただ倧きな声で泣いた。
    そしお郚屋に閉じ蟌められた。
    知らない間に叔母ずナミちゃんは垰っお行った。
     倜になり䞀人で遊んでいる私の暪に父がそっず座った。怒られるのだず思った。
    が怒られるのではなく、そっず静かに話し始めた。
    『お前は今日、ナミちゃんに意地悪したそうだな〜。今たで蚀わなかったが、お前の頭には枊が2個ある。普通の人は1個しかない。
    なのにお前だけ2個ある。これはな鬌の角の痕なんだ。お前は鬌の子なんだよ。だから、意地悪しおも仕方ないのかもしれないなぁ〜』ず。
    それだけ静かな口調で蚀っお、違う郚屋に行っおしたった。ショックだった。
    確かに私の頭のツムゞは2個あった。

     囜際的なデヌタによるず95%以䞊の人間は䞀぀のツムゞしか持たず、二぀のツムゞを持぀人は党䜓の5%未満ずする蚘述が確認されおいるそうだ。
    ただツムゞが2個ある人は倩才ずも蚀われおいるそうで、もしあの時に父が「鬌の角の痕」ず蚀わずに「倩才なんだっお」ず蚀っおくれおいたら、私の人生は倉わっおいたかもしれないず思っおしたうのだった笑
     
     その日以来、私は家出を止めた。
    ずいうか橋の䞊で本圓の䞡芪が迎えに来おくれるのを埅぀のは止めたのだ。
    鬌の䞡芪より、ただ今の人間の䞡芪の方がマシだず思ったからだった。
    そしお倖遊びに行く時は必ず垜子を被った。
    鬌の角の痕が芋えない様にず必死だったのだ。

     ナミちゃんずは、ずっず比范され続けた。
    䞭孊生の時に、あたりにも我慢出来なくたり、母に『どうしお小さい頃からナミちゃんず比范しおはナミちゃんを耒めたたえ、私を貶しお萜ずしおきたの』ず蚊いおみた。長幎の疑問だったからだ。
    するず母は『おばちゃんがね、若い頃から鬱病だったの。ナミちゃんを耒めお、あなたの事を悪く蚀っお
    貶し萜ずせば、おばちゃんの粟神が安定したからよ』ず。
    『じゃヌせめお、あずからでもいいから
    「さっき蚀った事は嘘だよ」ず䜕で蚀っおくれなかったの』ず蚀うず。
    『そんな事を蚀える蚳ないでしょあなたがナミちゃんに本圓の事を蚀っおしたったら倧倉な事になっおいたからよ』ず。私は唖然ずし、蚀い返す蚀葉も倱った。

     物心぀いた頃からのナミちゃんずの比范。私は、ただの犠牲者だったのだ。
    心を持っおいない人圢の様に物ずしお、呚りから利甚されおいただけだったのだ。
    叔母は、若い頃から鬱病を抱えおいたらしく自殺未遂も床起こし病院に運ばれお䞀呜を取り留めた過去があったず聞かされた。
     私は、幌い頃からの蟛かった気持ちを、
    どこにどうしお凊理したらいいのか分からなくなり苊しんだ。
    ただひたすらに、こんな家庭に環境に育った事を䞭孊生の私は受け入れおいくしかなかったのだった。

    ⑪【おむすび🍙コロコロず蒲田行進曲】
     4歳ぐらいの蚘憶だ。
    ある日、母ず2人で埓姉効のナミちゃんの家に行った垰り道だった。
    现い道を母ず手も繋がずに母の巊暪を歩いおいた。
    その時、私の巊偎の足が地面に぀かなかったのだ。
    䞀瞬、䜕が起こったのか幌い私には分からなかったが、考える間もなく私の身䜓は回転しだした。
    早いスピヌドで䞋ぞ䞋ぞず回転し、なかなか止たらなかった。
    ようやく止たった時に、事態が把握できたのだか、现く長い階段を私は転がり萜ちおいたのだった。
    ただ、びっくりしお泣く事も忘れ、䞊にいる母を芋䞊げた。
    『びっくりしたねぇ。痛かったでしょ。怖かったでしょ。怪我はない』ず蚀っお階段から降りお起こしおくれるず期埅しおいたが。。。
    母は階段の䞊でお腹を抱えお笑い転げおいた。
    私が、おむすび🍙の様に早いスピヌドでコロコロず転がり萜ちお行ったのが面癜かったそうだ。
    「あんなスピヌドで人間が転がり萜ちるのを初めお芋たわ』ず、しばらくお腹を抱えお笑い続けおいた。
    『倧䞈倫だった怪我はない』ずいう
    蚀葉は䞀蚀も母の口からは出なかった。
     私は泣かずに階段を1人で䞊り、黙ったたた母の巊偎を歩き家に垰った。
    たた䞀぀母に察しお䞍信感を深めおいったのだった。
     次の日に身䜓を芋るず無数のアザが足や手や身䜓䞭にできおいた。
    階段から萜ちる時に、やはりあちらこちらず打ったんだず思った。
     䜕幎か経った頃に「鎌田行進曲」ずいう映画が流行った。
    束坂慶子さんや颚間杜倫さんが出挔されおいた。その映画で「階段萜ち」を取り䞊げおいたシヌンがあった。
    それを芳お「階段萜ち」が、いかに呜が危険な事だったかを知った。
    打ちどころが悪かったら呜がなかったかもしれない。頭を打っおいたら、ず思うず怖くなった。
    そしお改めお母の内面の歪みを認識したのだった。

    倧人になった今でも、その階段を芋るず
    圓時の䜓隓を思い出しおしたう。
    现くお段がかなりある長い階段だ。
    生きおいお良かったず぀くづく思った。

    ⑫【声が出せない声が出ない】
     幌い頃から倧人が怖かった。
    䞡芪や兄に察しおも怖さを感じおいた。
    ずいうか、1番身近にいる家族に察しお
    物心぀いた頃から䞍信感を持ち続けおいたのだ。

     䞡芪は芪戚や近所の人が来お話が盛り䞊がっおいおも垰った途端に、さっきたで居た人の悪口や噂話を3人で話し始めるのだ。
    どうしお倧人には衚裏あるのか私にはわからなかった。あんなに楜しそうに話しおいた人達の事を
    垰った途端に悪く蚀うなんお、幌い私には䞍思議で意味が分からなかった。
    どっちが本圓の姿なのか、頭が混乱しおいた。
    『あの人達の事を嫌いなの奜きなの』ず3人に尋ねた。『あのねぇ〜奜きずか嫌いずかの問題じゃないの小さいくせに䜙蚈な事を蚀うもんじゃない』ず怒られおしたうのだった。

     それからは芪戚や近所の人が家に遊びに来お話しおいる途䞭、私が偎にいるのを芋぀けるず
    母は『この子ね、倧人な話を聎いおるのよ。
    この子に気を぀けお話しお
    この子の前で話す事を遞んでね』ず蚀い、
    私を郚屋からい぀も远い出すのだった。

     倧人の衚裏を芋おしたい倧人が怖くなった。
    倧人の前では声が出なくなった。
    「倧人恐怖症」

     幌皚園に入るず先生に察しおも話せなかった。
    先生から話しかけたられる床に、
    銖を暪に振るか瞊に振るかで答えおいた。
     入園した頃、蚀葉が党くでない私を心配した先生が母に、発達の遅れがあるかもしれないず蚀ったらしい。
    母は『家では、いっぱい話したすし、
    友達ずは楜しそうに話しながら遊んでるので倧䞈倫です』ず説明したそうだ。
     結局「極床な人芋知り」ず決め぀けられおしたった。
     倧人になり調べたら【堎面緘黙症】ずいう病気がある事を知った。
    私の幌い頃の症状が䌌おいた。

     幌皚園では、その日のお圓番が連絡垳を配る。
    字も読めない、声も出さない私に連絡垳は配れなかった。
    先生は私が今日の圓番だず知るず、い぀も困った顔をしお、クラスでしっかりしおいる子に
    『ミサキちゃんは1人じゃ無理だから、
    䞀緒に配っおあげお』ず頌むのだった。
    そんな先生の態床を芋お、クラスの友達たちも「助けおあげないず䜕も出来ない子」ずしお私を扱っおいた。
    私はい぀も、その床に惚めになった。
     家に垰り父に『字が読める様になりたいの。教えお欲しい。お友達は皆んな読めるのに私だけ読めないから』ず頌んだ。
    父は『皆んなが皆んな読めるはずない。読めない子もいるはずだ。
    字は小孊校に行ったら習う。小孊校になっおからでいい‌』ず蚀われおしたったのだった。
    たた私は諊めた。芪に察しお頌んだり求めるのを止め、諊めおいく事が䞀぀䞀぀増えおいく様な気がしおいた。

    ⑬【男は男らしく、女は女らしく】
     小孊校に入孊しおからも盞倉わらず、優等生の兄ず差を぀けお扱われおいた。
     父の「男尊女卑」の考え方は盞倉わらずで、ずっず続いおいた。
     
    兄が䞭孊に入孊した同じ幎に、私は小孊校に入孊した。
    どんなに頑匵っおも、兄ずの6孊幎の差は瞮たらなかった。
    倉わった事ず蚀えば、
    今たでは兄より先におや぀を食べおはいけなかったが、兄も郚掻で垰りが遅いので、おや぀を先に食べおも良いず蚱可が出た。
    そしお今たでは、兄より先にお颚呂に入れなかったが、兄が塟などで遅くなったり、勉匷で忙しくしおいる時は先にお颚呂に入っお良いず蚱可がでたのだった。
    䞡芪は兄を特別埅遇し育おおいた。

     幌皚園の頃に、どうしおも剣道ず空手を習いたくなった。匷くなれば男の子ずの戊いごっこも勝おる。
    倢は「ヒヌロヌになるこず」だった。
     
     父がテレビで芋おいた時代劇の圱響を受けおいたのだろう、正座をし2人に向かっお泣きながら『剣道ず空手を習わせおください』ず頌んだ。しかし䞡芪からは『絶察にダメだ、女は女らしくだ‌』ず怒られ認めおもらえなかった。
     
     逆に兄は剣道を無理やりに習わされおいお、泣きながら䞡芪に『剣道を蟞めさせお欲しい。代わりにピアノを習わせお欲しい』ず頌んだらしい。
    が『絶察にダメだ‌男は男らしくだ‌』ず蚀われ認められなかったらしい。
     い぀も䞡芪は兄ず私に察しお
    『おたえらは、逆に生たれおきたのかもしれないなぁ〜』ず蚀っお溜息を぀いおいた。
    そしおその件は、たた芪戚䞭にも広たっおいた。

    母は日本舞螊を習い続けおいた。
    呚りから『嚘さんにも、教えおあげたら』ず蚀われおも『無理無理‌
    だいたい色気っお3歳ぐらいで分かるもんだけど、ミサキには色気が党くないから‌才胜がないわ〜』ず蚀っおいたのだった。
     
     私は芋た目も2、3歳から男の子に間違われおいた。なぜなら髪型も男の子の様に短髪で、服装も黒色や青色のズボン姿で男の子みたいだった。
    『女は女らしく』ず蚀うわりには、母は私に男の子の様な身なりをさせおいた。
    䞭孊生になった頃に『なぜ、そんな栌奜をさせおいたの⁉』ず母に蚊いたこずがあった。
    頻繁に散髪に連れお行くのが面倒だったらしく、男の子の様な短髪にさせおいた
    ず蚀われた。
    長い髪にしおゎムで毎日結ぶのが
    面倒だったから刈り䞊げに近い短髪にしおいたらしいのだった。
    たた服装も、私が倖で戊いごっこばかりしお、怪我をよくするからズボンを履かせおいたらしい。
    そしお母が蚀うには、私にはスカヌトが䌌合わなかったらしく、たた赀色やピンクの明るい色が䌌合わなかったから黒や青色を着せおいたずのこずだった。
     い぀も倖で、知らない人に声をかけられる時も『たっ〜可愛いねぇ〜ボクは』ず男の子ず勝手に決め぀けお話しかけられた。
    耇雑な気持ちだった。
     あれは幌皚園の頃だったが、家のお颚呂を工事する事になり、近くの銭湯に歩いお母ず行った。
    道の途䞭で、知らないおばちゃんが声をかけおきた。『たぁ〜可愛いいね。ボクは䜕歳』ず。
    もちろん「倧人恐怖症」の私は䜕も蚀えずに黙っお䞋を向いおいた。
    するず母が「歳です」ず私の代わりに蚀った。
    男の子ず決め぀けられおいる事に母は吊定もしなかったのだ。
     母ず䞀緒に銭湯に着き女颚呂に入った。
    びっくりした事に、さっき声をかけおきた
    知らないおばちゃんが、お颚呂に入っおいたのだった。
    思わず持っおいたタオルで、あるはずもない、存圚しないはずのチ○ポ○を隠した。
    『おっきり男の子ず思っおいたのに、女の子だったのねぇ〜』なんお蚀われたら、
    䜙蚈に惚めになり自分が傷぀くず知っおいたからだった。
     だけれど、5歳の私が必死で、あるはずもないチ○ポ○をタオルで隠さないずいけない状況になっおいる事態が、もう既に私自身は惚めだったのだった。

    ⑭【ひろこちゃんのお母さん】
    小孊校に入孊し、同じクラスのひろこちゃんず仲良くなった。
    カッちゃんやテッちゃんも2幎生になっおいた。それでも時々、戊いごっこをしたりしお遊んではいたが、遊ばない日はひろこちゃんず遊んでいた。
     ひろこちゃんは3人姉効の長女だった。
    3歳の効ず0歳の赀ちゃんがいた。
    ひろこちゃんのお母さんは私には笑顔で話しかけおくれる人だったが、ひろこちゃんに察しおは私の前でもお構いなしに、い぀も怒鳎っおいた。
     今から思うず育児に疲れおいおストレスが溜たっおいお、長女に察しおだけ感情的になっおしたっおいたのだず思える。
     『宿題したの⁉ちゃんず宿題をしおから遊びなさい💢』『たた孊校に忘れものしたでしょ💢』
    『ランドセルは、ちゃんず眮きなさい💢い぀も蚀っおるのに、䜕でわからないの💢』ず。
     1幎生の私でも「そんな事で怒鳎らなくおもいいのにな。もっず優しく静かに、ひろこちゃんに䌝えおあげれば良い事なのにな」ず思っおいた。
     
     ひろこちゃんの家に行くたびに、怒鳎られおいる姿を芋るのが蟛かった。
    ひろこちゃんは泣いおいた。私は䜕も蚀えずに暪に䞀緒にいるしかできなかった。
    泣きやんだ埌に『倧䞈倫』ず私が心配しお蚀うず『うん』ず恥ずかしいそうにしおいた。
    きっず私の前で怒られる事が惚めだったのだず子ども心にも分かっおいた。
    それでも切り替えお、公園で遊ぶ日々だった。
     
     私の母は家では怒るけれど、友達の前では怒らなかった。ずいうより小孊生にもなるず、そんなに怒られる様な事はしおいないず自分でも思っおいた。
     
     ある日、道端でひろこちゃんのお母さんず私の母が話をしおいた。
    『私はね、ひろこの友達がいおも平気で、ひろこを怒っおいるのよ矎咲ちゃんが䞀緒でも、い぀も怒っおるのよ。
    子どもっお、その時に怒らないず忘れおしたうからよ』
    ひろこちゃんのお母さんの声が倧きく聞こえた。
     次の日から、カッちゃんやテッちゃんやひろこちゃん、他の友達の前でも、やたらず私を怒る母がいた。
    怒る様な事でもないこずでも、䜕でもないこずでも取り䞊げおは、友達の前で
    怒鳎る様になったのだった。
    ただ小孊1幎生の7歳の私だったが、
    ひろこちゃんのお母さんに圱響されお
    盎ぐに真䌌をする母を軜蔑しおしたったのだった。
    ただ7歳の私には、その時の思いを蚀語化できなかったが、母の事を残念に思え
    悲しくなったのだった。。。
    そしお母ぞの䞍信感が、たた䞀぀深たっおいったのだった。
     
     ひろこちゃんは2幎生になる前に匕っ越しし、転校しお行っおしたった。
    なのでその埌は、ひろこちゃんのお母さんが、ひろこちゃんを怒鳎り続けおいたかどうかは、もう分からなかった。
    子どもは倧人が思う以䞊に、倧人の態床を芋おいるし、倧人の蚀葉に傷぀いおいるのだ。


    ⑮【保健宀のベッド】
     小孊校に入孊するず教宀ず保健宀ず図曞宀を行ったり来たりする日が続いおいた。
    今なら䞍登校ずかがあるが、圓時は孊校に行かないずいう遞択肢はなかった。
    だが、あの時の心理状態なら孊校ず家なら、ただ孊校に居る方が粟神的には萜ち着けおいた気がするのだ。
    そしお唯䞀、保健宀が逃げ堎だったのだろう。
    ただただ䜕に察しおも無気力だった。
    半分、抜け殻の様に生きおいた。
    䜕もかもに諊めお生きおいた。
     
     お腹が痛くなり、よく保健宀のベッドで寝お過ごした。
    保健宀の先生は優しくお、どこか䞉重県にいる母方の祖母に䌌おいた。
    䞉重県の母の実家に垰った時は、祖母は
    優しく私に接しおくれた。

     私は、なかなか倜尿症が治らない子だった。
    時々、朝起きるず垃団もパゞャマもビチャビチャに濡れおいた。母は誰かから倜尿症で倱敗しおも子どもを怒っおはいけないず教えられた様で、
    垃団が濡れおいおも怒られる事はなかった。
    でもシヌツを剥がす時に、い぀も倧きな溜息を぀いお『なんでかねぇ〜。お兄ちゃんもナミちゃんも、おねしょなんかした事もないのにねぇ〜』ず蚀っお垃団を2階のベランダに干しに行くのだった。
    こずある事に、兄やナミちゃんずの比范は続いおいた。
    なぜ自分だけ、おねしょが治らないのか。。。
    自分は本圓に、䞡芪や兄が蚀うように
    「ダメな子」なんだ。。。
    「鬌の芪が橋の䞋に捚おお行ったぐらいの
    ダメな子」なんだ。。。ず。
    自分が嫌いだったが、
    おねしょをする床に、もっずもっず自分の事が倧嫌いになっおいったのだった。
     
     小孊生になるず倏䌑みや冬䌑みは䞉重県の母の実家で、他のいずこ達ず䞀緒に長期滞圚した。
    もちろんナミちゃんも䞀緒だった。
    私だけが、時々おねしょの倱敗をした。
    祖母は䜕も蚀わずに2階のベランダから䌝わっお屋根の郚分に垃団を干すのだった。
    それを芋お兄やナミちゃんやいずこ達がクスクス笑っおいた。
     祖母は毎日の様に倜䞭になるず、私だけをそっず起こしおくれおトむレに連れお行っおくれた。
     私は祖父母が倧奜きだった。
    䞡芪ず居るより安心した。
    䞉重県の祖父母の家に滞圚できる間は
    䞡芪ず離れおいられる事が嬉しかった。
    小孊䜎孊幎の頃は芪を恋しがり泣かないかず祖父母は心配しおいた様だったが、
    恋しがるはずもなく、ずにかく䞡芪ず離れおいられる暮らしが幞せだった。
    毎回、倧阪に垰る時がくるず、いずこ達の䞭で私だけが垰るのを嫌がった。
    『垰りたくないの‌ここでずっず暮らしおいきたいの‌お願いだから父さんず母さんに頌んで欲しい‌ここの家の子になりたいの‌こっちの小孊校に行きたいの‌』ず蚀っお祖父母を困らせるのだった。
    『そんなにここが奜きなら、矎咲が倧人になったら、こっちの人ず結婚しな。
    そしたら、い぀でも䌚えるしね』ず
    蚀われるだけで、私の心からの
    助けを求める叫びには気付いおももらえなかったのだった。
    倧阪に垰るのが本圓に嫌だった。
    䞡芪ず兄の居る家に垰るのが嫌だった。
    しかし小孊生の私には垰るずいう遞択肢しかなかったのだった。
    毎回、垰った日からは1週間ぐらいは
    䞡芪に察しお、よそよそしくしおいた。
    毎幎、倏䌑みなど1ヶ月近く離れお暮らすず、自分の䞭ではもう遠い芪戚のおじさんずおばさんの様な感芚になっおしたっおいたのだ。
    自分の父芪ず母芪ずいう存圚なんだずいう感芚をずりもどすには、1週間ぐらいは必芁だった。それぐらいに、私ず䞡芪の関係には、もずもず芋えない境界線があったず、小孊生の私自身だけは感じおいた。


    小孊2幎生にもなるず自然に倜尿症は治っおいった。

     祖母に䌌た保健宀の先生に䌚いたいのもあり、仮病を䜿ったりもしお、教宀を抜け出し保健宀に行っおいた。
    保健宀の先生ず担任の先生ず話し合っおいたみたいだった。その事は、母芪にも䌝わっおいたのだった。
    保健宀の先生は『い぀でも来おいいからね』ず笑っお蚀っおくれおいた。

     保健宀のベッドに寝おいるず窓から青空が芋えた。
    青空を芋ながら「なぜ人間は生たれおくるのか」「なぜ生きおいるのか」ず
    そんな疑問ばかりが頭に浮かんだ。
    保健宀のベッドを抜け出し図曞宀に行っおは、答えを求め茉っおいそうな本ばかりを探しおいた。
    でも結局、答えなど分からいたただった。
     
     3幎生になるず「死」っおどういう事なんだろうず考える様になっおいた。
    きっかけは、埓姉効のナミちゃんの母芪であるフミコおばちゃんが連れお行っおくれた映画だった。
    倧人が芳る内容の映画に、なぜ子䟛の
    ナミちゃんず私を連れお行ったのか。。。
    いただに分からないが。。。
    倚分フミコおばちゃん自身が芳たかったのだろう。
    その映画のストヌリヌが殺人事件に察しおの裁刀の話しだった。
    倧竹しのぶさんが䞻挔の映画だった。
    その映画を芳お「死」に぀いお考える様になった。そしお恐怖をも感じる様にもなっおいた。
    もうその頃には保健宀にも行かなくなっおいた。

     孊校の垰り道、1人で歩道を歩いおいる時に、突然に頭をよぎった。
    もし私が歩いおいる歩道にトラックが突然に突っ蟌んできたら、ひかれおしたい死んでしたうのだろうず。。。
    そしお、この䞖に存圚しなくなる。
    その方が良いのかもしれない。。。
    その方が楜なのかもしれないず思えた。
    䞡芪や兄ず離れられる。
    離れる為には、その方法、その遞択しかないのかもしれないず思えた。
    しかし私は、自分がいなくなった埌の事を想像しおみた。
    䞡芪も兄も泣かないだろうなぁ。
    誰も泣いおくれる人はいないだろうなぁず感じれた。
    そしお、盎ぐに皆んなは私のこずなど忘れおしたうのだろうな。。ず想像できた。
    するず逆に䜕故か、今この䞖から存圚を消しおも䜕にも意味がない様に思えおきた。
    9歳の私は孀独だった。
    誰も味方がいない様に感じおいた。
    1人でもいいから、誰かの蚘憶の䞭に
    私ずいう存圚を残したいず思ったのだ。

    やっぱり「生きおいこう」ず小孊3幎生の私は決めたのだった。

    ⑯【毛糞のパンツず消えた淡い恋心】
     小孊3幎生にもなるず戊いごっこもしなくなり、女の子ず遊ぶ事が倚くなっおきたこずもあり、母に頌んでスカヌトを買っおもらった。
    ただ冬は寒いのでスカヌトの䞋に毛糞のパンツを履いおいた。その毛糞のパンツが1枚しかなく、段々ず臭くなっおきた。
    䜕故、こんなに臭いのかは9歳の私には分からなかった。
    母に蚀うず「気にしなくおいい」ず蚀っお掗濯もしおくれなかった。

      ある日の䜓育の時間、教宀で䜓操服に着替えおいた。什和の今では考えられない事だが、
    ただ圓時は小孊3幎生の男女は同じ教宀で着替えおいたのだ。
    脱いだ服を怅子の䞊に眮いた。
    そしお臭い毛糞のパンツも萜ちない様に服の䞋に念入りに隠した。
    それから1時間の䜓育の時間が終わり、着替えようずするず、服の䞋に隠した臭い毛糞のパンツがなかった。
    萜ちおいないか必死に怅子の呚りを探しおも、
    芋぀からなかった。

    突然、着替え終わった男子2人が、汚い雑巟でも摘む様に指2本で持ち『この毛糞のパンツ誰のだぁ〜。萜ちおたぞ〜。でもめっちゃ臭い〜」ず倧きな声で錻を摘み、笑いながら教宀䞭を走り回っおいた。
    教宀にいた党員が、それを芋お笑っおいた。
    私の毛糞のパンツだった。しかも2人のうちの1人は、ほのかに恋心を抱いおいた男子だった。
    私は知らないフリをしお皆んなず䞀緒に声を出しお笑っおいた。
    名前が曞かれおなくお、本圓に良かったず思った。
    毛糞のパンツは先生の手に枡っおいった。
    私の恋心も䞀瞬で終わった。
     
    家に垰り、毛糞のパンツを倱くしたず母に䌝えたら、怒られおしたった。
    新しい毛糞のパンツを買っお欲しいず必死に頌んだ。しかも今床は2枚は買っおきお欲しいずお願いした。それ以降は新しい2枚の毛糞のパンツを
    9歳の私は自分で掗い干す事にしたのだった。

    ⑰【粟神的虐埅ず攟任䞻矩ずネグレクト】
     母の子䟛時代は戊争䞭だった。
    母は生掻が苊しく、食べものも食べれず栄逊倱調になりガリガリだったそうだ。
     
    私が3、4歳頃から毎日の様に
    母は泣きながら、自分の子䟛時代の蟛かった昔ばなしを話すのだった。

     母は3歳で色々な事情から、たた時代もあり実母ず離れお暮らさなければならなかった。
    『お母さんに䌚いたくお。。。
    恋しくお、寂しかったわ』ず、どんなに自分が蟛かったかを毎日泣きながら私に話すのだった。
    私は3、4歳の頃から䜕癟回ず聎いおきたが、ただ黙っお聎いおいるしかなかったのだった。
    そしお必ず最埌に『あなたはいいわよね。
    お父さんもお母さんもいお幞せで‌』ず怖い顔をしお蚀うのだった。
     
     父ず私がテレビの時代劇なんかを
    楜しそうに芋お笑っおいるず、遠くでい぀も怖い顔で睚んでいる母がいた。
     私は、自分が楜しそうに笑っおいる事が母にずっおは蟛くなっおくるんだず
    子ども心に感じ、家では笑わない子になっおいった。

     倧人になり、心理孊を勉匷する様になり圓時の母の気持ちがわかった。
    母は私に察しお自分を「投圱」しおしたっおいたのだ。
    私に自分の幌い頃を重ねおしたっおいたのだった。
     だが、3、4歳から毎日の様に泣きながら母の蟛い思い出話を聎かされ続け、家では笑えない子に育っおしたった私の蟛さや悲しさを母は党く気付かずにいたのだった。
    母は母性ずいうものが垌薄だったのだ。
    ずっず毎日、自分の蟛かった過去の話を
    子どもに聎かせ続ける。。。
    これも粟神的虐埅に倀するのだ。

     倧人になっお私に息子ず嚘が出来おも、
    盞倉わらず母は自分の幌少期の蟛い経隓を私に話すのだった。
    そしお必ず決たっお『私はね、母芪に抱かれた蚘憶もないのよ』ず、どんなに自分が可哀想な子だったのかを話すのだった。
    それはたるで䞍幞自慢をしおいる様だった。
    ここたで来るず、䞍幞だった自分に酔いしれおいる様にも感じずれるのだった。
     ある時、母に『母さん、私もね幌い頃から母さんに抱かれた蚘憶がないんだよ』ず蚀っおみた。
    するず母は目を点にしお『あら、そうだったかしらね』ずだけ蚀っお、話を倉え出したのだった。

     たた母は幌い頃に貧困生掻を味わった経隓から節玄家だった。
    お颚呂は、もったいないからず5日に1回ぐらいだった。
    倖から芋たら䞀軒家で友達たちの家より少し倧き目な家だった事もあり、裕犏な家の子ず思われおいた。
    そんな私がお颚呂に5日に1回しか入っおいないずは友達は思っおもいなかった。
    でも、私の腕や足は2、3歳ぐらいから真っ黒で、5歳の時にあたりに恥ずかしいからず軜石ず石鹞で䜕床も擊っお掗ったが、党く取れず皮が捲れるだけだった。
    『戊いごっこばかりしおたからだよ』ず母から蚀われおいたが、流石に小孊幎生ぐらいになるず恥ずかしくなっおいた。
    身䜓を手で擊るず垢がい぀もいっぱい出おきた。それを擊っおは捚お擊っおは捚おおいた。
     5幎生にもなるず友達から『䜕でい぀も髪がぬれおいるの」ず䞍思議がられた。
    私は答えられずに黙っおいるず、毎日の様に尋ねられたのだった。
    私の髪はフケが出る䜓質ではなく、汚れおくるず髪が濡れおいる様に芋えおいた。
    母芪に『友達に䜕お蚀ったらいい』ず盞談した。するず母は鏡台から、髪に塗る油を出しおきお『これを塗っおるからだよっお蚀えばいいから』ず蚀われた。
    そんな事より、せめお3日に1回でもお颚呂に入れお欲しかった。
     母は近所の人達に「私は攟任䞻矩なのよ」ず自慢しおいた。
    「攟任䞻矩ず子育おの怠りは手抜きは、
    党く違うものだよ‌」ず反論したいのをグッず我慢した小孊5幎生の私だったのだった。

    ⑱【女の子は赀の他人になる】
     小孊4幎生になる頃は、承認欲求から
    䞡芪に耒めおもらいたくお勉匷を必死に頑匵っおいた。
    「承認欲求」は人には、誰にでもあるず蚀われおいる。
    良い点を取るたびに母にテスト甚玙を芋せた。『あら、良かったわね』ずだけ蚀っおくれた。
    たた䜕床も䜜文が孊校新聞に茉った。
    その床に母に報告をした。
    『あら、良かったわね』ずは蚀っおくれるが、あたり関心はない顔をしおいた。
     
     䞡芪ず兄は、よくお囜柄ずかに拘る人達だった。
    人ず人を比范し、差別的な発蚀が倚かったのだった。
    たた、職業に関しおも䞊䞋を぀けおいた。
    決たっお母は『氎商売をする女の人の気がしれないわ。男性に媚を売っおお酒を泚いで。
    たしお身䜓を男性に売っおお金をもらうなんお、人間ずしお最䜎な人がする事よ』ず氎商売の女性を毛嫌いしおいた。
    3人の䟡倀芳は同じだった。
     
     私は孊校で道埳の授業を受けおいた。
    「人暩」の勉匷では、お囜柄も関係ないし、
    皆んな平等なのだず習った。
    たた職業に䞊䞋を぀けるのも倉だ。
    その人に合った仕事に就き、遣り甲斐を感じお仕事をしおいるなら玠晎らしい事だ。
    人間は、その人その人の物差しがある。
    自分の物差しで人を蚈るのは倉だ。
    たた「氎商売」もお金に苊しく、仕方ない事情で働いおいるかもしれない。
    確かに異性に身䜓を売るのは、私には出来ないずは思えた。それだけは絶察に
    したくないず思った。
    小孊生の私は、倧人になっおも自分を倧切にプラむドだけは持っお生きおいきたいずは思った。
    3人に「人暩孊習」の話をしようかずも思ったが、私が䜕かを蚀うず100倍にしお色々ず返っおくるので話すのをグッず我慢した。
     
    それぞれの䟡倀芳がある。
    3人がそう思っお今たで生きおきたのなら、それはそれで仕方ないのかもしれないず思えた。
    ただ、私は私の意芋をしっかりず持っお
    人ず人を比范したり、差別しないで生きおいこうず心に誓ったのだった。
     
     5幎生になるず家庭蚪問で担任の先生が成瞟の事を耒めおくれた。
    䞡芪は『結構、頑匵っおるんだな〜』ず
    初めお認めお耒めおくれた。嬉しかった。
     圓時の兄は高校2幎生だった。
    あずで芪戚から聞いた話しでは、兄は6歳䞋の私が成瞟が良いので、い぀か自分は抜かされるんじゃないかず䞍安がっおいたらしい。
    党く意味がわからなかった。
    䜕故、6歳䞋の効ず自分を比范するんだろう
    むしろ効が頑匵っおいるのを応揎しおくれるのが普通だず思った。
    やはり兄が6歳も䞋の効をラむバル意識するのは、䞡芪の育お方の結果だず思った。

     同じクラスの男の子の家にグルヌプで遊びに行った。
    その男の子は、2孊幎䞋の効が100点ばかり取っおくるんだず蚀っお効自慢しおいた。
    『顔も可愛いから、男子からモテモテみたいなんだよ』ず嬉しそうに私達に話しおいた。
    そんな男子友達ず、その効が話しおいる姿を芋お埮笑たしく芋えた。矚たしいずも感じた。

     私が6幎生になった頃、兄は倧孊受隓の真っ最䞭だった。
    ある日、2階の自分の郚屋から階段を静かに降りおいたら、階段の暪の1階リビングで䞡芪の話し声が聞こえた。
    䞡芪は兄の倧孊の話をしおいた。
    父が『あい぀は長男で跡取りだ。あい぀には教育費はいっぱいかけおやろう。
    でも矎咲は女だ。
    女は結婚したら赀の他人になる。
    矎咲には教育費は、かけないでおこう』ず蚀っおいた。
    母も『そうね、矎咲には教育費は出さない様にするわ』ず。
    私は足が震え出し、身䜓から力が抜けおいくのを感じた。
    震える足でそっず階段を䞊り、
    自分の郚屋のベッドに倒れ蟌んだ。
    涙は出なかった。
    ただ、物心぀いた頃から
    ずっず続いおきた兄ずの差を぀けた育おられ方。
    今に始たった事ではない。
    自分の環境を受け入れ諊めるしかなかった。
    今埌どんなに勉匷を頑匵っおも䞡芪は私に期埅などしおくれない。
    もう䜕もかも無理なんだず。。。
    私には倢みる未来などないんだ。。。
    私は、䜕にも䟡倀もない存圚なんだ。。。
    絶望した。ただ絶望した。。。
    どんなに頑匵っおも認めおももらえないんだ。。。ず。
    結婚したら女は赀の他人になるず本気で思っおいる䞡芪に察しお、寂しくお悲しくお蟛かった。
    䞡芪から離れたかった。。。
    家を出たかった。。。
    しかし、ただ6幎生の12歳。
    家に居るしかない。。。
    ご飯は食べさせおもらえるのだから、
    郚屋も䞎えおもらえおるのだからず
    自分で自分を玍埗させ続けた。。。
    だけど。。。こんな扱いは物心぀いた時からずっずだった。
    あたりにも自分が可哀想に思えたのだ。

     その日から、勉匷を頑匵るのを止めた。
    䜕もかも諊めたのだった。。。
    たた息だけしおいる抜け殻状態に戻っおしたった。
    䞡芪ぞの䞍信感がたた深たっおいったのだった。

    ⑲【思春期の悩み事】
     䞭孊になるず初朮も始たった。
    母に初朮を䌝えるず、たた芪戚䞭に広たっおいた。
    䞉重県の母方の実家に行くず叔母達が
    『矎咲ちゃんは䜕月に始たったの』
    『ナミちゃんは䜕月に始たったの』
    『なんだ〜あんたり倉わらないのね〜』ず
    奜奇心いっぱいの顔をしお集たっおきた。
     たたナミちゃんず2人を比范しおるんだず感じバカバカしくなっおきた。
    感受性が匷い思春期に、そんな話題をされたくもなかったのだ。
    『ほっずいお欲しい』ず心の䞭で叫んでいた。
    その時から倏䌑みも冬䌑みも『クラブ掻動で忙しいから』ず蚀っお理由を぀けお䞉重県の母の実家に垰えるのは止めた。
    祖父母は寂しがったが、もう叔母達の顔も芋たくなかったからだった。

     ナミちゃんずも、呚りの倧人たちから比范しお育おられたお陰で、い぀の間にかお互いがラむバル意識を持぀関係になっおいた。
     小孊校から習い事も同じだった。
    孊区がギリギリ違ったので、隣の小孊校、䞭孊校だったのは嬉しかった。
    しかし塟は同じ所に通わされおいた。
    塟では毎月順䜍が発衚された。
    毎回、私が䞊だった。
    ずにかくナミちゃんより成瞟が良い事を、䞡芪はそれだけで喜んでいた。
    成瞟が良いず、塟の先生達は他の子達よりも笑顔で優しく接しおくれた。
    たるで成瞟が人間的評䟡の基準なのか⁉
    家では、ナミちゃんに勝ち続ける事を
    期埅されおいるのが分かる。
    私の成瞟が芪の優越感になっおいた。
    塟のテストの前に勉匷する。
    勉匷したその過皋、その努力を評䟡しおもらうのではなく、テストの点数が高い事を耒められ、なおか぀成瞟順䜍衚で
    ナミちゃんに差を぀けお勝っおいれば
    芪は喜ぶ。
    䜕かが倉だ‌
    䜕かが間違っおいる‌
    気づけば私の目暙は、ナミちゃんにずっず勝ち続ける事になっおいた。
    䞡芪に察しお、塟の先生達、孊校の先生達、党おの倧人達に䞍信感を持ったのだった。
    成瞟で評䟡されるのではなく、私ずいう存圚そのものを、ありのたたの私を
    認めお受け止めおくれる倧人は、呚りにいなかった。
    思春期の私は、それをハッキリず感じおしたい、疲れおしたった。
    䞡芪が向けるナミちゃんずの比范にも耐えられずに、私から塟を蟞めおいったのだった。
    もう、ただ生きるのが蟛かった。。。
    疲れおいたのだった。。。

     ある時、思春期にもなるず身䜓に倉化が出おきお悩む様になった。恥ずかしい悩みだし友達にも蚀えなかった。
    考えおやはり母を信じお盞談した。
    母には『絶察に誰にも蚀わないでね。芪戚にも誰にもだよ』ず蚀った。
    母は『わかったよ。誰にもいわないから』ず蚀っおくれおいたが、あずから叔母達に党郚を知られおいたず知った。
     私は『どうしお、私の悩みを話したの。黙っおおくっお玄束しおくれたのに』ず母を責めた。
    するず母は『おばちゃん達も自分の嚘や息子の事を隠さないで党郚話しおくれおいる。
    私が隠し事をするず悪いから』ず蚀っお、話した事を謝っおもくれなかった。
    私は『それは違うよ。私は母さんの所有物ではないんだよ。ちゃんず意思がある1人の人間なんだよ。母さんの自分自身の事を話すのはいい。
    でも秘密にしおおいお欲しいず頌んだ嚘の悩み事を䌚話に出す必芁はないよ。プラむバシヌの問題なんだよ』ず蚀った。
    するず母は悪びれもせずに『それは䟡倀芳の違いだわ。あっちも隠し事をしおないんだから、
    こっちも隠し事はしおはいけないわ。
    秘密䞻矩のあなたが間違っおるわ💢
    隠し事はしおはいけないわ』ず蚀うのだった。
     もういくら話しおも無理だず思った。
    そしお、これからどんなに困難に打぀かり悩み事が出おきおも、母には絶察に話さないず決めた。
    こちらが情報を提䟛しなければ良いだけだず。
    たた䞀぀母ぞの䞍信感が深たり広がっおいった。
    母ぞの信頌は、この時を境に0%になった。
    少しでも信じお、悩みを打ち明けた自分が悪かったのだず、ただ自分を責めたのだった。

     䞭孊高校にもなるず、亀友関係も広がっおいった。
    䞡芪は男女亀際に぀いお、他の友達の芪たちず比べお尋垞じゃないくらい厳しかった。
    䜕でもないただの男子友達から電話が掛かっおくるだけで『今、出かけおいおいたせん‌』ず蚀っお䞀方的に電話を切っおしたうのだった。

     高校の時に文化祭の甚意で垰りが倜の7時になっおしたった時があった。
    友達たちグルヌプで垰っおきたのだった。
    今の様に携垯電話もない時代だ。
    孊校には公衆電話があったが、友達たち誰ひずりず家に電話を入れおいなかった。
    『ただ7時だし〜、塟はもっず遅いよ〜』ず友達たちも蚀っおいた。
     『ただいた〜遅くなっおごめんなさい』ず玄関の扉を開けるず、父が仁王立ちで鬌の様な圢盞をしお立っおいた。
    『遅い💢電話ぐらいしろ💢』ず怒鳎っおきた。
    『だっお文化祭の甚意で、皆んな電話しおないし。。。』ず私の蚀葉が終わらない内に
    『えヌい💢蚀い蚳するな💢』ず埀埩ビンタを
    された。偎で芋おいた母も『矎咲が悪いわ💢』ず怒っおいた。
    2人から怒られお私は2階の郚屋に飛び蟌んだ。
    ベッドに倒れ、泣いた。
    䜕もいきなり殎らなくおもいいのにず思った。
    冷静に話を聞いお欲しかった。
    『そうか、文化祭の甚意は倧倉だったな。
    でも心配だから遅くなるならさ、これからは電話しお欲しい。幎頃の嚘なんだから、埅っおるこっちは本圓に心配なんだよ。倧事な嚘だから
    心配する芪心も分かっお欲しいよ』ず蚀っおくれたら、枈むこずだず思えた。
    そしたら玠盎に盎ぐに謝れたのに。。。ず。
    ベッドで泣きながら考えた。しばらく泣くず気持ちが萜ち着いおきた。
    考えたら私を心配しお怒っおくれたのだず思い盎し、2人に謝りに行った。
    父は、ただカンカン💢だった。
    母からは『これからは気を぀けなさいよ💢』ずキツくお説教された。
    ずっず黙っお聎いおいた。
     思春期は反抗期になるが、反抗する子どもの深局心理は芪ぞの甘えからだ。
    呚りの倧人に察しおの承認欲求が玠盎に䌝えられずに反抗ずなる。『愛情』を確認したいのだ。
    その時期の子ども達が、䞍良ず付き合っお玠行が悪くなるのは、芪に甘えおいるのだ。
    自分を芋お欲しい‌
    こんな自分でも、あなた達は本圓に私を愛しおたすか⁉ず無意識で、
    芪を詊すこずにより、芪の愛を求めおいるのだ。
    深局心理の䞭で芪を通しお、自分の存圚を実感したいのだ。
     でも芪の噚が自分より小さな人間だず気付いたら人は、䞍良になっお反抗するだけ自分自身が損になる。

    圓時の私も、生きる屍だったが、魂の抜け殻だったが、そのやり堎のない思いを受け止めおくれる倧きそうな噚の持ち䞻の倧人が呚りにいなかった。
    䞡芪の魂の噚が自分よりも小さいず気付いおしたったのだった。。。
    それはある意味、悲しく蟛かった。
    だから䞍良にはならず反抗もしないで
    ただ黙っお生きおいくしかなかったのだった。
     
    ⑳【魂の噚】
    孊生時代に心理孊を専攻した。
    心理孊の先生が教えおくれた噚の話が今でも頭に残っおいる。
    『食噚棚には、倧きな噚の䞌や小さな噚のお怀がある。色々な倧きさの噚がある。倧きな噚には小さい噚を自分の䞭に入れおあげられる倧きさず深さがある。
    けれど、小さな噚には倧きな噚を入れおあげる事はできない。
    人も同じで、小さな心の人には倧きな心の人を背負う事も理解する事もできない。でも倧きな心の噚の持ち䞻は小さい噚の心の人を理解しおあげ支えおあげられる』ず。
    この話を息子や嚘が小孊生の時に
    食噚棚の前で話をした。
    今でも芚えおいるず蚀っおくれおいる。
     あず今から数幎前のテレビのコマヌシャルで印象的なのがあった。
    人ず人が亀差点でぶ぀かっおしたい喧嘩になる。
    䞡方がカチカチの硬い陶噚だったら、ぶ぀かったら䞡方が割れおしたう。
    でも䞀方が硬い陶噚でも、もう䞀方が柔らかいスポンゞならぶ぀かっおも、䞡方ずも怪我はない。
    そんなコマヌシャルを芋お、皆んなが皆んな、スポンゞの様に゜フトで柔軟性があり、たた䞌の様な倧きな噚の人ばかりだったら、地球は平和になっおいくんだろうなず思えた。
     そしお自分もそんな人間になりたいず思えた。

     しかし10代20代ず、ただただ自分に自信などなく、自己肯定感も䜎いたた育っおいった。
    恋愛なども䞊手く行くわけがなかった。
    奜きな男性が出来おも、自分に自信がないから最初から諊めおいた。
    反察に盞手から告癜されおも、
    『私みたいな女を奜きになっおくれる貎方は、少し頭が倉かもだよ』ず盞手の気持ちを信じられないで断っおいた。
     母からは『結婚しおからじゃないず、絶察に身䜓を蚱しおはダメよ深い付き合いはしおはダメよ泣くのは女なんだから簡単に男性を信じたらダメよ』ず厳しく蚀われおいた。
     本圓に䞡芪は尋垞じゃないぐらい、
    男女亀際に厳しかったのだった。

     䞡芪が亡くなる少し前に芪戚から聞いお初めお知った事があった。
    私の兄は2人にずっおは『授かり婚』だったのだ。
    結婚する前に、母は劊嚠したのだ。
    順番が逆だったのだ。

    圓時、䞉重県の同じ出身地の2人が
    知り合いの玹介で倧阪で出䌚った。
    母の劊嚠が分かり、呚りに報告したそうだが、同じ田舎の出身。
    たた、ただただ圓時は昭和の叀い時代でもあり田舎ずいう事もあり、ただ呚り皆んなは叀い考え方が浞透しおいた。
    2人は呚りから誹謗䞭傷をたくさん受けたらしい。
    父も父芪代わりずなり育おおくれた長男父の兄から殎られ怒られたらしい。
    父の䌯父ず母芪ずの2人で必死に長男父の兄の怒りを止めお、最終的に母の実家に4人で母をお嫁にもらいに行ったそうだ。
     私も兄も、5月5日が䞡芪の結婚蚘念日ず聞かされお育った。
    なので毎幎、我が家では5月5日の子どもの日に䞡芪の「結婚蚘念日」のお祝いをしおきたのだった。

    芪戚から、その事を聞いた私は戞籍を確認しに行った。
    2人が籍をいれたのは11月で兄が生たれたのは、それから間もなくしおからだった。
    倚分、兄ず私に結婚蚘念日だず嘘を぀いおきた5月5日は2人が出䌚った日だったず掚枬できた。
     私の思春期に2人が尋垞じゃないぐらい厳しかった理由がハッキリず分かった。
    2人は順番を間違えおしった事で呚りから
    誹謗䞭傷を受けたトラりマがあったからだった。
    私の思春期に䞡芪から受けた尋垞じゃない厳しさが、やっず腑に萜ちたのだった。
    だが今曎、知ったからずいっお特別に䜕にも思わなかった。䞡芪に腹も立たなかった。
    それを知った頃は2人は、もう高霢で
    人生も残り少なかった。
    䜕も2人に蚀わないで、知らない振りを続けお接した。
    その頃の私には、逆に䞡芪の人間らしいさを知り、笑える䜙裕があったのだった。

    ㉑【あなたは他人だから蚀えるのよ💢】
     い぀しかナミちゃんず私は、結婚適霢期ず蚀われる幎霢になっおいた。
    盞倉わらず呚りの倧人たちは、ナミちゃんず私を比べおいた。
    話のネタがそれしかないのかず思うぐらいだった。
     幌い頃からナミちゃんず比范されおきた私は、ずっずナミちゃんを意識しお
    生きおいた。
    ずにかく頭にはナミちゃんしかなかった。
    䜕でもナミちゃんには勝たないずいけないず思い蟌んで育っおきた。
     2人が倧人になり、䜕幎も経っおから玠盎に話し合い、お互いが幌い頃からラむバル意識を持っおいお『しんどかったね』ず打ち明け合った。
    呚りの倧人たちが䜜り䞊げた関係性だったのだ。
    2人共が犠牲者だったのだ。

     圓時は、どちらが早く結婚できるかず
    呚りの倧人達が勝手に隒ぎ出し、勝負させられおいた。勝者はナミちゃんだった。
    ナミちゃんは良い人ず出䌚い、私より
    先に結婚する事になった。
    ナミちゃんの母であるフミコおばちゃんは『ナミが勝ったね〜』ず埗意気だった。
    負けた私は焊っおしたった。
    たた早く家を出たかった。
     
    瀟䌚人になった頃に、実家を早く出たくお『䞀人暮らしがしたい』ず頌んだが、
    『女の1人暮らしは、絶察に蚱さない💢
    䞍良がする事だ‌
    危険もあるし、䞖間䜓にも悪い💢
    結婚するたでは家を出る事は蚱さない‌』ず
    頭ごなしに反察され、怒られた事があった。
    この家を出るには、結婚しかなかった。
     
     嚁圧的な態床な䞡芪に抑制されお萎瞮しお育っおきた自分が嫌だった。
    早く䞡芪から離れたかった。
    早く家を出たかった。
    その為には、結婚ずいう手段しかなかったのだ。
    私は、結婚を逃げ道にしおしたったのだった。
    埌から考えれば、そんな結婚が䞊手くいくわけなどない。
    私が自ら苊しい結婚生掻を匕き寄せおしたったのだ。
    今なら、盞手に察しおも倱瀌な事をしおしたったず反省できるが、圓時の私には分からなかったのだった。。。
    ずにかく「家を出たい」䞀心だった。

     焊っおいた私は、圓時『奜きだ』ず蚀っおくれおいた人ず䜕も深く考えもしないで結婚しおしたったのだった。
    最初は共働きだったが、長男が生たれおからは家に垰っお来なくなっおいった。
    子どもが嫌いで、泣き声を聞くずむラむラするず蚀い出した。
    ギャンブルもお酒もタバコも奜きだった。
    女性の家に泊たっおいる事が倚くなり、
    私は1人で息子を育おおいた。
    息子を父芪のいない子には絶察にしたくなかったので、離婚は考えおいなかった。
     圌は倖面は良かったので、私の実家に顔を出すず粟䞀杯で良い人を挔じおいた。
    私も䞡芪には絶察に悩みを打ち明けなかった。
    今たでの事があるからだ。
    悩みを打ち明けた途端に芪戚䞭に知れ枡るのは目に芋えおいたからだ。
    䞡芪に蚀わない事を知っおいた圌は、
    怖いものなしに奜き攟題にしおいた。
    同じ倧阪だが実家から2時間はかかるマンションに䜏んで1人で息子の子育おをしおいた。

     ある日、䞉重県の母方の祖母が倧阪に来お1ヶ月間は泊たるずの連絡が来た。
    祖母は祖父が亡くなり、䞉重県の田舎で
    1人暮らしになっおからは、時々5人の子ども達の家を転々ず泊たっお過ごしおいた。
    祖母は少し倪っおいお䜓重は重たそうだったが、ただ杖でしっかりず歩けおいたし、内臓的にも元気だった。
     
     祖母はひ孫私の息子に䌚いたいず楜しみにしおくれおいた。
    私は息子を連れお実家に久しぶりに垰った。
    祖母ずの再䌚は嬉しかった。
    息子を抱いお喜んでくれおいた。
    私は、どうせマンションに居おも圌は垰っお来ないし、息子ず実家に泊たらせおもらおうず考えおいた。『今日は泊たっおいけるよね』ず祖母から蚀われ『もちろん、その぀もりだよ
    圌も出匵だし垰っお来ないから』ず、
    出匵が倚い仕事なのだず嘘を぀いた。
    するず父芪から2階の郚屋に来る様にず呌ばれた。
    2階では父芪が怖い顔をしお私を睚んでいた。『おばぁさんを1ヶ月間も面倒みる事になり、母さんがこれから倧倉になる。疲れおしたう。
    なるべくお前らも来るな‌今日も泊たらずに、もう垰れ‌わかったな‌』ず蚀われおしたった。
    私は1階の祖母のずころに行き『ごめんね、急甚が出来おしたっお垰らないずいけなくお。
    たた、おばぁちゃんが居る間に来るからね』ず
    蚀うず、祖母は泣きそうな顔で『垰らないでお願い。あなた達に䌚いたくお楜しみにしお倧阪に来たんやでぇ〜。あなた達ず少しでも長く過ごしおいたいわ』ず手を匕っ匵るのだった。
    父から垰るように蚀われたずは祖母には蚀えない。蚀えば祖母が蟛くなるず思った。
    私も祖母が奜きだった。
    祖母ず息子ず䞀緒に少しでも長く過ごしたかった。
    旊那も垰っお来ないマンションに息子ず二人っきりで過ごしおいるのは嫌だった。
    祖母に悩みを打ち明けたい衝動にかられた。でもやはり蚀えないず盎ぐに思い盎した。


    祖母のその手を握っお『本圓にごめんね。必ずたた来るから』ず玄束しお垰ったのだった。
    母は、実母の面倒を芋る事に察しお負担に感じおいるのだず父を通しお知ったのだった。

     幌い頃から祖母は私には優しかった。
    私は祖母が奜きだった。でも今の私の悩みを祖母にも話せなかった。
    そしお私はたた、息子ず2人がっちのマンションに垰っおいくのだった。
    息子ずの䞀察䞀の育児。
    ただ寂しかった。1人での育児は䞍安だった。
     
     1週間ぐらいしお、実家に泊たっおいる祖母から『たた䌚いたいから、早く来およ〜』ず電話が入った。
    ベビヌカヌに息子を乗せお電車で片道2時間かかる実家に垰った。
    リビングには父の友人が来おいお父ず話をしおいた。
    階の和宀にベッドがあり、祖母が寝ながらテレビを芋おいた。
    息子を抱き『おばぁちゃん、䌚いに来たよ〜』ず顔を芗き蟌むず、ニコニコしお『嬉しい、来おくれたんだ〜。䌚いたかったよ〜ばあちゃんは』ず喜んでくれた。
    しかし祖母は、ベッドから起き䞊がれない状態で私に『腰が痛いんだよ〜』ず蚎えおきた。
    どうやら私が到着する少し前に、ダむニングの怅子に座ろうずしお滑っおしたい、床に尻逅を぀いおしたっお腰を打った様だった。
    父ず父の友人が人で祖母を抱いおベッドに運んだそうだ。
    祖母は寝返りもできない皋に痛がっおいた。
    私はキッチンで倕食の準備をしおる母の所に行った。
    たな板で野菜を切っおいる母の暪に立ち
    静かな口調で『おばぁちゃん転けたんだっおね。
    今も痛がっおるね。救急車を呌んだ方が良いず思うよ』ず蚀った。
    するず母は包䞁を持ったたたの手を䞊に挙げお、いきなり倧きな声で『うるさい💢あなたは他人だから、そんな事が蚀えるのよ💢』ず怒鳎っおきた。
    私は唖然ずしお、黙ったたた固たっおしたった。
    やはり、幌い頃から本圓の䞡芪じゃないかもず疑っお生きおきた。
    正盎、DNA怜査も考えおいた。
    私は母の『他人』ずいう蚀葉で「やっぱりそうだったのか」ず確信しおしたった。
    すごい圢盞で怒鳎っおきた母に察しお、
    それ以䞊は䜕も蚀わなかった。
    黙っお母から離れ、祖母の郚屋に行った。
    祖母ず話をしながら息子をあやしおいた。
    その埌、10分ぐらいしお母が祖母の郚屋に様子を芋に来た。
    そしお私に『救急車を呌んで』ず蚀った。

     やはり、祖母は腰の骚ず倧腿骚を骚折しおいおヶ月間の入院が決たった。
     きっず母が救急車を呌ぶのを躊躇したのは、珟実逃避をしたかったのだろう。
    自分が預かっおいる時に怪我をさせおしたったずいう事で、他の姉効達に察しお長女しおの面目が立たないず自分の立堎を先に考えおしたったのだず思えた。
    本来は自分の立堎より、怪我人の心配をするべきなのにず。。。
    そしおあんな時に『あなたは他人だから蚀えるのよ💢』ず感情的に怒鳎った母に察しおも悲しくなっおしたったのだった。
    たた母の魂の小ささを感じおしたい、
    残念に思うず同時に、悲しくなったのだった。

    それから2幎埌、私に嚘が生たれた。
    䞉重県の祖母に嚘の写真を送るず『矎人さんやな〜』ず蚀っお嚘の誕生を本圓に喜んでくれた。

    嚘が産たれお2ヶ月経った頃だった。
    倜に電話で祖母に嚘の成長の様子を䌝えた。
    祖母は『早く䌚っお抱きたいわぁ〜』ず
    嚘に䌚う日を楜しみにしおくれおいたのだった。
    その電話から日埌の暑い倏の日だった。
    䞉重県の叔母から実家に電話が入った。
    祖母が四女の叔母の家の瞁偎で
    足を滑らせお萜䞋し頭を匷く打っおいお意識がないため、救急車で病院に
    運ばれたずの事だった。
    父ず母、フミコおばちゃんは慌おお䞉重県の病院に駆け぀けた。
    意識は戻らなかった。
    たるで嚘たちの到着を埅っおいたかの様に、母たちが病院に着いたず同時に
    祖母は倩に垰っお行った。
    『皆んなに迷惑かけたくない‌
    誰の䞖話にもならずに
    ぜっくりず倩に行きたい‌』ずいうのが
    祖母の口癖だった。
    祖母の蚀っおいた通りに、誰にも迷惑かけずに本圓にぜっくり行っおしたった。
    残された方は、突然過ぎお皆んなが皆んな心構えが出来おいない状況での
    突然の別れずなったのだった。
    母は、祖母の心臓が止たったず医垫から聞かされた瞬間、ショクから気を倱っお倒れおしたった。
    気が぀いた時は隣の病宀のベッドで寝かされおいたそうだ。
    たた母は、その時の蚘憶を䞀時的に倱っおいた。
    そんな母の状態を知り、母が祖母の愛を
    ずっず求め続けおいたのだず感じた。
    子ども時代に実母である祖母ず離れお暮らし、寂しい思いをしお育った母。
    その埌も長女ずしお「しっかりしなければいけない」ず自分に錓舞し続けお
    母芪に本音で甘えた事がなかったのだろう。
    母は姉効の誰よりも母芪の愛を求めおいたのかもしれないず思ったのだった。

     私は母から『あなたは他人だから‌』ず蚀われ傷぀いた。
    でも、もし祖母ず私の血が繋がっおいなかったずしおも、私は祖母を
    「他人」だずは思えなかった。
    祖母の優しさは、子どもの頃から感じおいた。
    倏䌑みや冬䌑みに、祖父母の家で過ごしおいた日々の思い出は、私にずっおは
    倧切な宝物の様に心に残っおいた。
    『血の繋がり』なんお、どうでもいいず
    思えおいたのだった。

    今でも祖母がよく䜜っおくれた、
    枩かいクリヌムシチュヌず冷たい玠麺の味が忘れられない。

    ㉒【結婚盞手からのDV】
     子どもが嫌いだった圌は、息子が生たれるず
    『泣き声がうるさい‌』ず蚀っお、時々しか垰っお来なくなった。気が向いたら垰っおくるずいう生掻が続いおいた。
     2人目を劊嚠し臚月に入った頃に、私ず息子2人同時に熱を出しお寝蟌んでしたった。
    䜕床も圌に連絡を入れたが連絡が぀かない日が続いた。
    やっず熱が䞋がった埌に連絡が぀いたが
    『その期間は出匵に行っおいお忙しかったから』ず蚀われた。
    しかし数日埌にヒルトンホテル名の宿泊領収曞を芋぀けおしたった。
    日付は連絡が぀かなくなった期間だった。
    問いただすず圌女ず東京ディズニヌランドに遊びに行っおいたず認めた。
    こっちはその数日間、臚月にもかかわらず熱を出しおしたい䞍安だったのに
    たた同時に熱を出しお寝蟌んでいる息子の看病をしお倧倉だったのに
    そんな時に、圌は圌女ず楜しそうに遊んでいたんだず思うず蟛くなっおきお、涙が出おきた。
    息子を寝かせお、倜1人で泣いおいるず、お腹が匵っおきお痛くなっおきた。
    「泣いおる堎合じゃない、しっかりしないず‌
    もう盎ぐに生たれおきおくれる赀ちゃんの為にも‌私は母芪なんだから‌」ず
    自分に蚀い聞かせ奮い立たせた。
    暪で寝おいる息子はスダスダず寝息を立おおいた。息子の可愛い寝顔を芋ながら『母さん、頑匵るからね』ず囁き、優しく頭を撫でた。

     2人目が生たれた頃は、ほずんど圌は家に垰っお来なくなった。
    1人での育児は本圓に倧倉だった。
     時々、ふっず垰っお来る父芪を芋お、子ども達は「どこのおじさん」ずいう顔をしお芋おいた事もあった。
     ギャンブルパチンコ、麻雀、競銬、お酒、タバコが奜きで、付き合っおいる女性もいた。
    そのたた女性の所に泊たっおいたのだろう。
    でもただ、お金は入れおくれる。
    子ども達を父芪のない子にしたくない。
    子ども達の為に我慢しようず思っおいた。
    䞡芪にも圌は出匵が倚い仕事だからず嘘を぀いおいた。

     ある日、息子ず嚘がむンフル゚ンザになり高い熱を出しおしたった。
    病院に連れお行くず、
    息子の方が高い熱なのに血液怜査の結果だず数倀が䜎いので入院の必芁はないず蚀われた。
    しかし嚘だけは数倀が高いので、盎ぐに入院の必芁があるず蚀われたのだった。
    入院は芪の付き添いが必芁ずなる。
    嚘だけを入院させおも、熱の高い息子を預かっおもらえる所などない。
    病院に頌み息子ず嚘2人ずもを入院させおもらえる様に亀枉した。
     
    ベッドを぀匕っ付けお真ん䞭に私が寝る事にした。
    点滎に繋がれた歳の嚘ず歳の息子が
    お互いに名前を呌び合っお仲良く手を繋いで暪になっおいる姿を芋お涙が止たらなかった。
    『ごめんね。病気にさせおしたっお』ず
    2人に謝っおいた。
    圌に連絡するず『忙しいから垰れない』ず
    蚀われた。
    最初から圓おにしおいなかった。
    しかし私も、その時点で38床以䞊の熱が出おいた。
    2人にむンフル゚ンザをもらっおしたっおいた様だった。
     2人を病院に残し、入院の準備をしに
    䞀旊家に垰った。
    その時、自分の氷嚢枕も病院に持っお行った。
    病院では『氷枕は子ども達ぞは貞しおあげれるが、芪の分は貞せない』ず蚀われおしたったからだった。
    それでも氷はもらえるず蚀われ感謝した。
    氷のある堎所を教えおもらい、フラフラしながら自分で入れに行った。
     倜䞭になり、子ども達を寝かせおから
    自分も点滎を頌もうず思い階の救急倖来を受蚺しに行った。
    行く途䞭、血圧の関係からか気分が悪くなり、トむレに駆け蟌み嘔吐した。
    受蚺結果は、やはりむンフル゚ンザだった。
    受蚺宀の隣の点滎宀のベッドに暪になり点滎をしおもらう事になった。
    倜䞭ずいう事もあり点滎宀は照明も消されおいた。
    他の患者さんも誰もいなかった。
    ナヌスはナヌスコヌルを私の偎に眮き、隣りの郚屋に行っおしたった。
     突然、気分が悪くなり息が出来なくなっおしたった。
    過呌吞を起こしおしたったのだった。
    ナヌスコヌルを倢䞭で抌した。
    ナヌスは過呌吞を起こしおいる私に気づいた。
    『起こしたのは初めおなの』ず蚀いながらビニヌル袋を急いで持っお来おくれた。
    私は頷く事しか出来なかった。
    身䜓が硬くなっおいった。
    このたた、死んでしたうかもしれないず思った。
    しかし頭に息子ず嚘の顔が浮かんだ。
    『䜕が䜕でも病宀に戻っおやらないずいけない。早く戻らないず』ず心の䞭で叫んでいた。
    『普通に、い぀もの様に呌吞しお‌』ず
    ナヌスが叫んだ。
    普通⁉い぀もどうやっお呌吞しおいるかが分からなくなっおいた。
    分からないずいう意味で銖を暪に振った。
    ナヌスが『吞っお、、、吐いお、、、吞っお、、、吐いお、、、』誘導しおくれた。
    段々ず身䜓が緩んだ。
    助かったずホッずした。
    私はナヌスに過呌吞になったのは初めおだった事。子どもが2人、䞊で入院しおいる事を䌝えた。
     
    ナヌスは『子どもは1人では、育おられないですよ。誰かに頌らないず。明日でも、ご䞡芪に電話をしお子ども達を看おもらっおる間に、
    家でゆっくり寝た方がいいですよ』ず
    蚀っおくれた。
    そのナヌスの優しい蚀葉を聞いお身䜓から力が抜けおいった。
    初めお䌚ったナヌスの胞に顔を埋め倧声で泣いた。
    今たで1人で頑匵っおきお、泣く事も忘れおいたのだった。
    暗い郚屋の䞭で、ナヌスの枩かい胞の䞭で思いっきり声を出しお泣いた。
    泣かせおもらい少しスッキリずしたが、
    点滎を続ける気にはならなかった。
     その埌、暗い病院の廊䞋をフラフラしながら歩き、子ども達の病宀に戻った。
    2人は可愛い寝顔で静かに寝息を立おおいた。
    母芪ずしお、この子達を䜕が䜕でも守っおいこうず匷く思った倜だった。
     次の朝、母に電話をしお事情を説明したが、母は圓時、日本舞螊の垫範をしおいお、お匟子さん達がいた。
    『忙しいから行けない』ず断られた。
    どこかで母に少しの期埅しおいた自分が愚かだったず、たた自分自身を責めたのだった。

     ある日、たた私は熱を出しお寝蟌んでしたった。その時は子ども達は元気だった。
    しかし2人の食事の甚意をしなければならないが、熱が39床近くあり身䜓が怠かった。
    䞁床そこに圌が物を取りに垰っおきた。
    熱が高い事を䌝え、今日だけでも家にいお、子ども達の面倒を芋おほしいず頌んだ。
    するず『お前は詐欺垫かこんなに身䜓が匱い女だず知っおいたら結婚なんかしなかった💢』ず
    怒鳎り散らした。
    『結婚しおからだよ、匱くなったのは。。。』ず
    熱があるため小さい声しか出なかったが、
    匱々しく䜕ずか蚀い返した。
    するずいきなり枕が飛んできお寝おいる私の顔にたずもに圓たった。
    『俺のせいずでも蚀うのか💢
    子育おは母芪の仕事だ💢
    俺に負担をかけるな💢
    俺を圓おにするな‌
    俺は居ないものず思え‌』ず怒鳎り、
    出お行っおしたった。
    私は泣く元気もなかった。
    熱があっおも、子ども達の䞖話をしなければならない。
    泣く䜙裕などなかった。
     
    その時から「離婚」の2文字が頭に浮かぶ様になっおいった。
    友達たちには盞談しおはいたが、芪には盞談しなかった。
    たた話したら芪戚䞭に広たるからだ。
    芪に話す時は「離婚」を決断した時だず自分で決めおいた。

     ある時点で、ギャンブルに負けたずの事で家に生掻費を入れおくれなくなっおいた。
    子ども達のオムツも買えない。
    今たでも『生掻費を入れおもらいたい。それから、たたには家にいお父芪ずしお子ども達ず遊んであげお欲しい』ず䜕床も頌んできた。
    しかし、頌む床『うるさい💢』ず蚀っお、ガラスの重い分厚い灰皿やビヌル瓶が飛んで来た。頭に圓たれば確実に危ない。飛んで来るたびに逃げお、それ以䞊は身の危険を感じ黙っお䜕も蚀わずに我慢しおいた。

     ある日『子ども達の為に生掻費を入れるのは父芪ずしおの矩務だず思う』ず
    圌に正面から蚀っおみた。
    圌は『うるさい💢俺が皌いだお金だ💢
    俺が奜きに䜿っお䜕が悪い💢
    家庭が俺の足枷になっおいるんじゃ💢』ず倧声で怒鳎るだけだった。
    その圌の蚀葉で私は「離婚」を決心した。
    子ども達の為にも、こんな父芪ずは離れた方が良いず決断したのだった。

     数日埌、母に「離婚」をしたいず考えおるず話した。
    圌ずの今たでの結婚生掻の苊劎を話した。
     䞀緒に泣いおくれるかなぁ、それずも「倧事な嚘に苊劎させお💢』ず怒っおくれるかなぁ。。。
    それずも「よく頑匵ったね」ず耒めおくれるかなぁ。。。ず少し母に期埅しお話した。
    しかし母はサスペンスドラマでも聞いおいるかの様に「それから、どうなかったの」ずワクワクしお奜奇心いっぱいの顔぀きで私の話を聞いおいた。
    私はたた母に絶望しおしたった。

    母は私が幌い頃から母性が垌薄な人だった。
    期埅した自分が悪かったのだず、たた自分を責めたのだった。

     それから数日しお、気が萜ちおいた事もあり私はむンフル゚ンザにかかり、
    高熱を出した。
    子ども達は元気だった。
     熱が䞋がり回埩に向かっおいた時に、
    䞡芪ず兄の3人が突然マンションにやっおきた。
    3人は『お芋合いずかではなく、自分で遞んで連れおきた盞手だ‌芋る目がなかったお前が悪い‌自業自埗だ‌』ず3人で私を責めたおた。
    『でも子どもの為に、今たで我慢しお必死で頑匵っおきたんだよ』ず蚀う私の蚀葉を兄が遮り
    『母芪なんだから圓たり前だ💢』ず怒鳎っおきたのだった。
    兄は結婚もしおいないし、もちろん子どももいなかった。
     
    誰も私を慰めおもくれなかった。
    劎わっおもくれなかった。
    『お前が連れおきた盞手、お前が党お悪いのだ💢』ず3人は蚀いたい事だけ蚀っお垰っお行ったのだった。

    その埌、せっかく回埩しおいた身䜓だったが、たたこじらせおしたい肺炎になっおしたった。
    「病は気から」ずは本圓だず思った。
    子ども2人を残しお入院は出来ないので
    圚宅治療で治すしかなかった。

     その頃の私はパニック障害になっおいた。
    病院の倜䞭の点滎宀での様に、たた過呌吞を起こしおしたったらず思うずパニックになり出し、心拍数が䞊がり冷や汗が出お、呌吞が乱れるのだった。
    「閉所恐怖」になり、゚レベヌタヌや
    バスや車や電車にも乗れなくなっおいた。
    「意地でも治しおみせる」ず心療内科にもどこにも行かずに、子ども達を保育園に預けおから、最寄り駅から各駅停車の電車に乗り、ひず駅ひず駅で降りる事を繰り返した。
    半幎もするず快速急行に乗れるようになり自力で「匊所恐怖」「パニック障害」を克服したのだった。

     「パニック障害」を自力で克服しお自信が出来た私は、圌に「離婚」を切り出した。
    最初は『䞖間䜓があるから』ず圌は
    「離婚」を嫌がっおいた。
    『仮面倫婊でも良いから離婚はしたくない』ず、なかなか応じおくれなかった。
    しかし、子ども達の為にず「レッドカヌペットの女優」になり、圌を怒らせない様に䞊手に蚀葉を遞び話しを勧めた。
    「離婚」が成立した時は本圓に嬉しかったのだった。

    ㉓【冷静沈着な祖父】
     母は5人きょうだいだった。
    長女の母、次女の叔母、そしお䞉女の
    叔母が実家の近所に䜏んでいた埓姉効のナミちゃんの母芪のフミコおばちゃんだった。そしお叔父。叔父の配偶者の矩叔母。
    そしお四女の叔母がいる。
    長女の母ず四女のフミコおばちゃんだけが倧阪で結婚。他の叔母や叔父は結婚しお䞉重県にそのたた䜏んでいた。
     
     叔父は、口数が少ない人だったが、
    私が幌い頃から優しかった。
    祖父ず叔父は寡黙で穏やかな性栌が䌌おいた。
    2人ずも教育関係の仕事に就いおいお、
    い぀も黙っお曞斎で本を読んでいた。
     私は幌い頃から祖父の曞斎で祖父ず
    䞀緒に黙っお本を読む事が奜きだった。静かな時間が心地よく流れおいるのを感じおいた。
     たた倏䌑みや冬䌑み、祖父母の家に
    いる期間は、朝ず倕方の1日に2回、
    祖父が散歩に連れお行っおくれた。
    朝の6時に起こされお、眠い目を擊りながら祖父の暪を歩いた。
    朝日を济びおいたら目がハッキリ芚めおくる。
    特に䜕かを話すわけでもなく、
    怍物の緑、空の青さ、颚の銙りを
    感じながら静かに歩くのだった。
    倕方は、茜色に染たる倕焌け空を芋ながら、静かに祖父の暪をチョコチョコず歩く。
    近所の人達は祖父の事を『先生』ず呌んでいた。
    祖父はNHKから䟝頌されテレビ番組にも䜕床も出おいた。しかしそれを人に自慢する事もなかった。
    『TVみたよすごいね』ず蚀うず
    『そうか』ず蚀っお、ただ笑うだけの祖父だった。
    私は祖父の事を誇りに思っおいた。
    散歩も読曞も祖父ずの倧切な時間だった。
    そしお私にずっお倧奜きな時間だった。

     祖父が感情的に話しおいる姿など芋たこずがなかった。
    い぀も穏やかで、人に指瀺する事も、
    呜什する事もなかった。
    しかし祖父の䞀蚀には嚁厳があり、
    䞡芪も芪戚も皆が黙っお埓っおいた。
    冷静沈着だった祖父。
    芪戚皆んなが祖父を尊敬しおいた。
    私も祖父から怒られた事は1床もなかった。そんな祖父を私は本圓に尊敬しおいた。

     䞉重県の祖父母の家で、い぀も繰り広げられる叔母達の噂話の䞭に
    祖父や叔父は、い぀も入らなかった。
     母ず叔母たち5人集たっおは誰かの
    噂話やらを䜕時間も話しおいた。 
     その5人からナミちゃんず比范され、私だけが貶され萜ずされ続けおきたのだった。
    䞭孊の時に、その理由を聞かされおショックを受けたのだった。
    䞉女の叔母のフミコおばちゃんが若い頃から鬱病で自殺未遂も床あったず、圓時の様子を母から聞かされた。

     睡眠薬を倧量に飲んで倒れおいる叔母を母が芋぀けた。
    救急搬送された倧阪の病院に、連絡を受けた祖父が䞉重県から駆け぀けおきたらしい。
    い぀もどんな時も冷静沈着な祖父だったが、その時ばかりは手も震え、動揺を隠せないでいたらしい。
    圓時の祖父の様子を聞き、人間らしさを感じた。普段は感情をコントロヌル出来る人だったのだず思えた。
    改めお祖父の偉倧さを知ったのだった。

    祖父は私が二十歳を過ぎた頃に病気になり倩に垰っお行った。
    息をひきずる前に叔父祖父の息子を呌び、自分が亡くなった埌の事を頌んだそうだ。
    そしお最埌たで䞉女の嚘のフミコおばちゃんの事を気にしおいたらしい。

     

    ㉔【叔母の自殺】
     シングルマザヌになり、忙しく倧倉な日々を過ごしおいた。
    そんなある朝の7時、兄から電話が入った。
    『フミコおばちゃんが、昚日の倕方に自宅で銖を吊っお亡くなった』ず。
    びっくりしお急いで母に電話を入れた。
    するず母は、
    昚日連絡しようず思ったが倜10時を過ぎおいたから、子ども達も寝おるだろうし起こしたら悪いず思い『朝に電話をしお』ず兄に䌝えたず蚀うのだった。
    『子ども2人抱えお、こっちに来るのも倧倉だろうし、倕方にでもゆっくり来たらいいから』ず。
    私は、この時ほど母に腹が立った事はなかったのだった。兄には盎ぐに連絡を入れおいるのに、
    私には次の日にしたのだ。
     差を぀けお育おられおきたのは、もう諊めおいたが、こんな倧事な時の連絡たで差を぀けたのだ。
    兄が、しっかりした長男ずしお目立぀為には、私がダメな方が兄が匕き立぀からだった。
    兄は倜の内に、盎ぐに駆け぀けおいた。
    母はい぀も『兄ちゃんは長男だから、
    あなたずは違うからね』ず決たっお蚀うのだった。

    思えば祖父が䞉重県の病院で亡くなった日も、母から同じ事をされた。
    『今から、そっちに向かうね。倜の8時過ぎには病院に着くから』ず駅から母に
    連絡したが、母は『今日は倧䞈倫だから、別に慌おお来なくおいいよ』ず蚀うのだった。
    母の蚀葉を信じお、倧阪から䞉重県行きの特急に乗るのを止めお家に垰ったのだったが。。。
    祖父は、その倜䞭に倩に旅立っおしたったのだった。
    埌から知ったのだか、兄には『来るように』ず母が呌び寄せおいたそうで、
    ほずんどの芪戚やいずこ達は、祖父の旅立ちを芋送れたそうだった。
    たた母は、あの時ず同じ様な事を私にした気がした。
    そんな母のやり方は、他にも色々あった。今に始たった事ではなかった。
    その床に、兄は芪戚の䞭で目立っおいた。
    兄を目立たせたいずいう母の兄ぞの歪んだ愛情だったず思う。
    私は、もう慣れおはいたが、
    今回ばかりは腹が立っおしたった。

     母は兄を激愛しおいた。
    母芪は息子が可愛いずよく聞く話だが、
    それは異性だからず心理孊でも蚀われる話だ。
    同性の嚘に察しおはラむバル意識を感じおしたう事があるそうだ。
    母は兄の自慢ばかりを芪戚や呚りにし、逆に私の事は、悪口ばかりを蚀っおいたのだ。
    母の歪んだ郚分だった。
    たた兄も母芪に䟝存しおいた。
    母も兄も共䟝存の関係性だった。
    幌い頃から、この2人の間には入れる隙はなかった。色々な差を぀けられお育おられおきた。

     兄からの電話を切った埌、急いで子ども達ずフミコおばちゃんの家に向かった。
    フミコおばちゃんの家は実家から近いが、私のマンションから2時間かかった。
     玄関を開けお入るず奥に母が座っおいた。
    『あら、もう来たの倕方でいいっお蚀ったのに』ず。
    奥を芋るず父も兄、そしお䞉重県から
    芪戚もほずんどがもう集たっおいた。
    同じ倧阪なのに遅くなっおしたったず、フミコおばちゃんに察しお申し蚳なさでいっぱいになった。
    『フミコおばちゃんの倧倉な時に、ゆっくり来れるず思うの‌』ず匷い口調で母に蚀い返した。
    私が母に匷く蚀い返すなんお、初めおぐらいの事だったので、母はびっくりした顔をしおいた。
     ナミちゃんず叔父が『みぃ〜ちゃん、来おくれたんか。有難う』ず蚀っおくれた。

     奥の郚屋ぞ行くずフミコおばちゃんが
    垃団に寝かされおいた。
    叔母の顔を芋た途端に『䜕をしおるの💢
    䜕でこんな事をしたの💢』ず私は泣きながらフミコおばちゃんに怒っおしたっおいた。
    『亡くなった人に察しお怒ったらダメ‌』ず母から止められた。
    フミコおばちゃんに腹が立った。
    なんだか分からないが無性に腹が立った。
    物心぀いた頃からのナミちゃんずの比范。
    呚りはフミコおばちゃんに気を遣い、
    ナミちゃんを耒め䞊げお、私を貶し萜ずす。
    この䞀連の流れを、呚りから䜕幎も䜕幎もされ続けおきたのだ。
    フミコおばちゃんが鬱病だったからじゃないか‌
    私は犠牲になっおたんだよ‌
    ずっず我慢しお生きおきたんだよ‌
    なのに、なのに、簡単に倩に垰るなんお
    卑怯だよ‌ず心の䞭で叫びながら
    泣いた。涙が止たらなかった。
    しかし段々ずフミコおばちゃんに腹が立っおいたのか、䜕に腹が立っおいたのか
    分からなくなっおきおいた。
    䜕かに無性に腹が立っおいたのだ。
    「こんな事は絶察にいけないよ‌
    蚱されないよ‌」心の底で叫んでいた。

     い぀もフミコおばちゃんもナミちゃんも叔父も3人は私の事を『みぃ〜ちゃん』ず呌んでくれおいた。
    他の芪戚は皆んな『矎咲ちゃん』だった。
    フミコおばちゃんも私ず埓姉効のナミちゃんを母や他の叔母たちの様に比范しおはいた。
    それは本圓に嫌だったが、ナミちゃんず姉効の様に育おられる䞭で、ナミちゃんず私を色々な遊び堎に連れお行っおくれた。

     母が甚事がある時は、幌皚園にフミコおばちゃんがナミちゃんず私を迎えに来おくれた。
    小孊生になるず、フミコおばちゃんず
    ナミちゃんず3人で映画やプヌルにも行ったりした。
    ナミちゃんが私の家で泊たる事もあったが、私もナミちゃんの家に泊たる事もあった。
    フミコおばちゃんは料理が埗意だったので、手料理がい぀も楜しみだった。
    たた手が噚甚で掋裁が奜きだった。
    時々、ナミちゃんずお揃いの服を䜜っおくれたりしおいた。
     
    比范されるのは本圓に嫌だったが、
    私はフミコおばちゃんの事は嫌いではなかった。

    しかし、あずから母に聞くず
    叔母たち姉効が幌い頃は、フミコおばちゃんは次女の叔母や四女の叔母ずよく姉効喧嘩をしおいたそうだ。
    長女の母ずだけは、子䟛時代から喧嘩はなかったので結婚しおから母を頌っお
    家族で匕っ越しおきたそうだ。
    祖父や祖母から、しっかり者ず思われおいる長女である母。䞉女の叔母が母の近くに䜏んでいる事で、祖父ず祖母は安心しおいたそうだ。

     母の歪みを私は幌い頃から感じおいた。
    母がフミコおばちゃんに察しお、匷烈な
    嫉劬心を持っおいた事を。
    ナミちゃんず私を比范する時点で、母ずフミコおばちゃん2人の間に目が芋えない嫉劬心や察抗心があったのだ。
    2人には各々、コンプレックや劣等感があり、それが枊巻いおいたのを子どもの頃から私は読み取れおいたのだった。

     䞉重県の田舎育ちの母ず叔母は、自転車に乗れなかった。時代もあったのだろう自転車に乗った事もなかったらしい。
    倧阪に䜏む様になり、䜕床か『自転車の緎習をしたら』ず父から蚀われた母だったが、諊めお緎習もしなかったのだ。
    もちろん、フミコおばちゃんも同様だった。
     
     ある日、フミコおばちゃんが
    自転車に乗っお我が家にやっおきたのだ。
    自転車ずいっおも、埌ろに荷台がある3茪車だった。母はそれを芋おいきなり『フミコちゃん、頭が倉になったの⁉
    そんなの乗っおるなんおみっずもない‌呚りの人から気狂いに芋られるから止めずきな‌』ず。
    そしお、呚りの人や他の叔母たちに
    『フミコちゃんは、頭が倉になったわ‌』ず蚀い広めおいたのだった。
    フミコおばちゃんは蚀い返さずに笑っおいたが、母に蚀われお盎ぐに自転車を凊分しおきたのだった。

    私は子ども心にフミコおばちゃんは別に倉じゃないのになぁず思ったのだ。
    埌ろの荷台には、買い物した袋を乗せられるのだ。
    二茪自転車が乗れない人の為の自転車だ。
    ニヌズがあるから開発され販売されるのだ。
    もし母が蚀う様に『気が狂っおいる‌』ずしたら、
    フミコおばちゃんじゃなく、䞉茪自転車を売っおいる販売店だ。いや、むしろ䞉茪自転車を開発した開発䌚瀟に責任があるず思った。
     しかし母が異垞なたでも、皆んなにフミコおばちゃんの事を蚀いふらす姿を芋お、子ども心に母の方が気が狂っおいる様に芋えたのだった。

     母ず次女の叔母だけが実母や実父ず
    離れ幌少期に寂しい思いをしお育っおいた。
     倚分、䞡芪がいる家で満足な暮らしをしながら育っおいた䞉女の叔母に察しお、母も次女の叔母も嫉劬しお育っおきたず思える。

     私は幌い頃から叔母たちに違和感を持っおいた。
    䞉重県の母の実家に叔母たちが集たっお䌚話しおいた時も、䞉女のフミコおばちゃんの事だけを小銬鹿にした様な話し方に聞こえるずころがあったのだ。
    たた、䞉女のフミコおばちゃんが居ない時はフミコおばちゃんの噂話をしおいた。
    フミコおばちゃんに察しおだけ、䜕か母も他の叔母たちも違っおいたのを幌い頃から私は感じ䞍思議には思っおきた。
     フミコおばちゃんはきっず「孀独」だったのだろう。そしお、母や他の叔母たち皆んな、それぞれに嫉劬心や劣等感が匷く、自己肯定感も䜎く成長し、承認欲求が匷かったのだろう。
    それは人間の業ずいうもの。
    叔母たち、それぞれが持っおいお、姉効ずしお育ち「類は友を呌ぶ」の法則で䟡倀芳が合っお、
    い぀も連絡をし合っお仲良くしおいたのだろう。
    だが、話題はい぀も誰かの噂話だったのだ。
     人が誰かの悪口を蚀う理由は、自分の劣等感を埋めるためだず蚀われおいる。
    そしお蚀った時は、心は䞀時的に満足し満たされるが、たた日々の生掻の䞭で劣等感に苛たれるのだろう。そしお、集たり悪口陰口を蚀い合う。
     

    自分自身に自信があれば、自己肯定感が高ければ「自分軞」が出来る。「自分軞」がある人は
    人の悪口陰口は蚀わない。
    話す内容も、他人の話しではなく自分の事か未来の倢の話や瀟䌚の話や䞖界の話。
    話す内容も集たる人の゚ネルギヌが高いほど内容も濃い。
    やはり「類は友を呌ぶ」の法則になるのだ。

     本圓に私にずっお叔母の死はショックだった。
    数日間、蚘憶が消えおいる郚分もある。
    母からフミコおばちゃんが自殺した事を、
    息子ず嚘には絶察に蚀わないで欲しいず頌たれた。
    『フミコちゃんの名誉を守っおあげおね』ず念を抌された。
     実際に母は父方の芪戚にも、近所の人たちにも呚りには党お「病死」ずしお䌝えおいた。
     私はその時、フミコおばちゃんの死を無駄にしない為にも、い぀か息子ず嚘に真実を䌝えようず決めた。
    人の「死」は、残された人にずっおは「生きる孊び」になる
    隠すのではなく、フミコおばちゃんの「死」を受け入れお、真実を䌝え話し合う事で残された人は成長しおいく。
    残された人間の孊びになる。
    それこそがフミコおばちゃんぞの䟛逊になるんだ。母に私の考えを䌝えようずしたが、口を閉じた。
    たた、どうせ䜕癟倍もの反論が返っおくる。
    母ず蚀い合っおも、どうせ無駄だ。
    䟡倀芳が元々違う人皮だず思えおいた。
    母には『わかったよ』ず䌝えたが、
    䜕幎か経ち、真実を息子ず嚘に話した私だった。

     フミコおばちゃんの死から䜕幎か過ぎた頃、芪戚の集たりで、ある叔母が『フミコちゃんの死は、もう避けられないものだったのよ。
    仕方なかったんよ。だっおフミコちゃんは子どもの頃から私に察しおも。。。』ず、たた昔話しを始めおきた。
    いかにフミコおばちゃんが自分を傷぀けおきたかずか、フミコおばちゃんの事を悪く蚀い始めるのだった。
    人は本圓に愚かなものだず぀くづく思った。
    私は、もう䜕も聞きたくもなかった。
    たた叔母の蚀葉にも疑問を感じた。
    フミコおばちゃんの「死」は、本圓に仕方なかったんだろうか
    もしあの時、私がもっず倧人だったら
    救えた呜だったかもしれないず思えた。
    「仕方ない」っお党力で努力したけど、
    やはり無理だったず蚀う時に䜿うものだ思う。
    人は本来、1人では生きおいけない。
    支え合っお寄り添っお生きる事が倧切だ。
    誰もフミコおばちゃんの「孀独」を理解しお手を差し䌞べおもいないのに。。。
    「仕方なかった」なんお。。。ず
    私は、その蚀葉に憀りを芚えたのだった。

    もっず私が匷くお倧きな人間だったら、
    フミコおばちゃんの苊しみを理解しおあげれたかもしれない。
    フミコおばちゃんは、1人で答えを遞んで
    先に倩に垰っお行っおしたった。

    フミコおばちゃん、しんどかったんだね。
    ごめんね。理解しおあげられなくお。。。
    ごめんね。助けおあげられなくお。。。
    倩に垰ったら芪を独占できるね
    いっぱい甘えおね
    おじいちゃんずおばあちゃんによろしくね。
    私は静かに手を合わせたのだった。

    この叔母の死が、私の人生のタヌニングポむントになった。
    カりンセラヌになりたいず本気で考える様になったのだった。

    ㉕【男性に媚を売りなさい‌身䜓も売りなさい‌】
     
     シングルマザヌになり、子育お、仕事、家事ず倧倉な忙しい毎日を過ごしおいた。
    子ども達は、よく颚邪をひき熱をだした。
    その床に仕事に行けなかった。
    元䞻人ずの離婚の時の話し合いでは、
    「レッドカヌペットの女優」を挔じた。
    圌を怒らせない様に䞋手に出ながら話を進めお慰謝料ずしおマンションだけはもらった。
    子ども達の為に母芪ずしお頑匵っお亀枉した。
    面倒ぐさがる圌に察しお蚀葉を遞び䞊手に話し、公正圹堎にも䞀緒に行っおもらい、逊育費も毎月入れるず刀子を抌しおもらった。
    しかし玄束しおくれたはずなのに逊育費は最初の数ヶ月で途絶えた。
    䜕床か請求の連絡をしたが『払えないものは払えない💢殺すぞヌ💢』ず暎蚀を吐かれ怒鳎れ、恐怖を感じるぐらいになっおいた。
    元旊那も仕事を蟞め働かない状態でギャンブラヌになり「今は払えるお金がない」ず繰り返すだけだった。
    たた次第に電話をしおも出おくれない状態に
    なっおいき、諊めるしかなかった。
    マンションを自分名矩にした事もあり、生掻保護も受絊できない。
    貯金も枛っおいく䞀方だった。
    毎日、毎日が生掻するのに本圓に倧倉だった。

     「離婚」した事には、䞀床も埌悔はしなかった。ただ子ども達だけには、片芪になったからず惚めな思いは絶察にさせたくなかった。
    子ども達が颚邪をひいお熱を出すず働けない。
    自分が熱を出すず働けない。
    するず収入が枛る。
     実家は電車で2時間はかかる。
    父ず母は、孫は可愛がっおくれおいた。
    時々、実家に遊びに行くず喜んでくれた。
    子ども達も、父ず母には懐いおいた。
     しかし母の口癖はい぀も『子䟛には責任はあるけれど、孫には責任はないから』だった。
    その蚀葉を蚀われる床に心が痛くなり、肩の荷が、ずしっず重くなるのを感じるのだった。
     私は䜕床も限界を感じた。
    もう1人で2人の子育おしながら食べさせおいくのは無理だず思った。
     その床に䞡芪に泣きながら土䞋座し
    『もう1人では限界なの。お願いだから実家に䜏たせお欲しい。䞀緒に子ども達を育おお欲しい』ず頌んだ。
    恥も倖聞も捚おた。
    プラむドも捚おた。
    矞恥心も捚た。
    党おを捚おお懇願したのだった。
    しかし母は『子䟛には責任はあっおも、孫には責任はないから』ず口癖を繰り返した。
    たた『あなた達ずは生掻のリズムが違うのよ。だから無理だわ』ず蚀うのだった。
    父も母に嚁匵っおいた頃の昔の父ずは違い、その頃は母の蚀う事が1番正しいず蚀い、い぀も母の蚀う事に埓っおいた。
    2人の立堎が逆転しおいる様だった。
    父も実家は兄の家だから私達が䜏むず
    兄が垰っお来れないず懞念しおいた。

     兄は倧孊を出おから実家を出お、同じ倧阪でも1時間半はかかる所に䜏んでいた。
    ただ結婚もしおいなかった。
    兄が蚀うには䞡芪が老いお、どちらか1人になった頃に実家に垰り同居するず蚀っおいた。
     私は『子ども達が、ある皋床成長したら実家を出るから、それたでの数幎だけでいいから、どうか䞀緒に䜏たわせおください』ず頭を䞋げお泣きながら頌んだが、䞡芪は銖を暪に振るだけだった。
     母が蚀うには、兄が男性の曎幎期障害なのか身䜓ず粟神を壊しおいるずのこずで、月に1回は昌寝に実家に垰っおくるらしく、私達がいたら、うるさくお昌寝もできないだろうからずいうのが
    断りの理由だった。
     
    私が幌い頃から母は、ずっず専業䞻婊だったが、日本舞螊が奜きで皜叀に通っおいた。
    そしお私が結婚した頃には、もう垫範ずしお週に䞀回、2階の和宀でお匟子さん達に指導しおいた。
    『小さい子どもが居たら皜叀の邪魔だから』ず蚀うのだった。
     
     断られる床に絶望した。
    矞恥心もプラむドも捚おお『助けお欲しい』ず頌む床に、残酷にも拒絶される。
    その床に傷぀き、絶望感だけが残るのだった。

    そんな䞭での、サチおばちゃんの自殺だったのだ。
    葬儀の間に、芪戚達が集たり話しをしおいる䞭で、教育関係の仕事をしおいる叔父が皆んなの前で私に蚀った。
    『矎咲、実家に垰っおお父さんずお母さんに甘えなさい。䞀緒に子ども達を育おおもらいな。
    1人では絶察に無理やぞ‌』ず。
    それを聞いお䜕人かの芪戚も『ほんず、ほんず、甘えた方が良いよ。父さんも母さんも孫ず䜏めば若返るから』ず賛同しお蚀った。
     母は芪戚達に察しお、私がマンションの方が子育おしやすいからず蚀っお
    実家に垰っお同居するのを嫌がっおいるず嘘の情報を䌝えおいたず知ったのだった。
     私が叔父の蚀葉に返事をし真実を䌝えようずした瞬間、私の蚀葉を遮るように母が倧きな声で
    『そうやわ矎咲、䞀緒に䜏もう‌賑やかになっお楜しいず思うわ‌』ず。
    母の蚀葉にびっくりしお目が点になった。
    あんなに私達の受け入れを拒絶し続けおきた母が、あっさりず『䞀緒に䜏もう』ず蚀っおくれるなんおず。。。
    びっくりしながら母の顔を芋お『いいの』ず確認した。
    母は『圓たり前や、䞀緒に䜏もう』ず蚀うのだった。母に『有難う』ず䌝えた。
     私は嬉しいかった。心から感謝した。
    そしおもしかしたら、サチおばちゃんが
    『みヌちゃん、あんたり䞀人で頑匵り過ぎたらダメだよ』ず蚀っお助けおくれたのかもしれないずも思えたのだった。

     サチおばちゃんの葬儀も終わり、3日ぐらいしお母からマンションに電話がかかった。
    『このたえさ「䞀緒に䜏もう」お蚀ったけどやっぱり無理やわ。あなた達ずは生掻のリズムが違うから』ず蚀われた。
    やっぱりかず思いながら『わかったよ』ず蚀っお電話を切った。
    䜕か、もう疲れおいた。
    今の母の魂の噚では私達を受け入れおいける䜙裕がないのだろう。
    芪戚の手前、良い栌奜をしたかっただけだったのだ。母に、たた絶望したのだった。

     しかし生きおいかなければならない。
    子ども達を食べさせおいかなければいけない。
    もうどうしようもないずころたで来おいた。
    友達や呚りの人は『もっず芪を頌るべきだ』
    『もっず甘えないず、甘えられた方が芪は嬉しいもんなんだよ』
    『孫は可愛いから、きっず協力しおくれるはず』『子育おは、1人じゃ絶察に無理だよ』
    ず蚀っお心配しおくれおいた。

     私は、最埌にもう䞀床、今どんな状態でどんなに困っおいるかをしっかりず䌝え䞡芪に土䞋座し嘆願した。
    条件付きで『5、6幎したら出お行く』ず玄束した。
    䞡芪は考え『仕方ないな、5、6幎したら
    絶察に出お行く事が条件なら、䞀緒に䜏んでもいい』ず蚱可しおくれたのだった。
    嬉しいかった。安心しホッずした。
    心から感謝した。
    これで子ども達を安心しお育おられる。
    仕事も頑匵れるず、前向きになれたのだった。

     それから数日経った、ある昌の事だった。
    子ども達が保育園に行っおいる間に甚事で
    倧阪の難波に来おいた。
     難波の駅の地䞋を歩いおいた時に携垯電話が鳎った。母からの着信だった。
    母が怖い声で『この前の同居の話なんだけど、
    やっぱり無理やあなた達ず生掻リズムが違うし、兄ちゃんも反察しおるからね‌
    そんなにお金が困っおいるなら、昌だけ働くんじゃなくお倜も働きなさい‌
    倜も子ども達を保育園に預けお働いたらいい‌
    䞖の䞭のシングルマザヌは、皆んな2っも3っも
    仕事をしおるよ‌
    氎商売したらお金になる。
    氎商売をしおお酒を぀いで男の人に媚びを売りなさい‌
    なんなら身䜓も売りなさい‌
    あなたは実家に甘えおるわ‌
    実家がないシングルマザヌはどうするの⁉
    実家が狭いシングルマザヌはどうするの⁉
    あなたは、実家が広くお郚屋数があるからっお
    蚀っお、実家に䜏みたいだなんお実家に甘え過ぎおるわ‌
    男の人にお酒を぀いで媚びを売っお、なんなら身䜓も売りなさい‌
    それぐらいの芚悟をしないず、子ども達を育おおいけないわよ‌』ず䞀方的に捲し立おおきた。
    私が黙っお聎いおいるず『こんな事たで母さんに蚀わせお、母さんの身にもなりなさい💢』ず1人で逆ギレしだしたのだ。
    幌い頃から、い぀も䞡芪や兄に䞀方的に怒鳎られお育っおきた。
    もう䞀方的に怒鳎られる事には慣れおいる。
    慣れおしたっおいる私は、それがいくら理䞍尜な事だったずしおも、固たっおしたう悪い癖がありった。
    蚀い返せない状態になっおしたうのだった。
    たた蚀い返したずころで、その䜕倍もの
    眵声を济びるのを知っおいた。
    怒鳎られる床に、諊めの方が先に来おしたうのだった。
     
    私は黙っお聎き続け、最埌に『わかったよ。無理な事を頌んでごめんね』ず静かに謝り電話を切ったのだった。
    しかし、あたりにもの母のキツい蚀葉にショックを受けお、その堎に泣き厩れた。

     䞡芪も兄も昔から、氎商売の女性に察しお偏芋を持ち軜蔑しおいた。
    男性に媚を売りお金を皌ぐなんおず銬鹿にし、男性に身䜓を売る仕事なんお
    人間的にクズがする事だず悪く蚀い続けおきた。
    その母が私に『氎商売をしおお酒を぀いで男性に媚びを売りなさい‌なんなら身䜓も売りなさい‌』ず蚀うなんお。。。
    酷すぎる、あたりにも酷すぎるず。。。
    ずっず専業䞻婊だった母に蚀われたのだ。
    私は『母さん、あんたりだよ〜母さん、
    ひどいよ〜』ず倧きな声を出しお泣き厩れ
    座り蟌んで泣いた。

    難波の地䞋は、人通りが激しくお
    通る人通る人皆んなが、私を芋おいた。
    気が狂っおいる人を芋る様な目で譊戒しながら䞍思議そうな顔をしおいた。
    人から芋られおいおも気にならなかった。
    どう人から思われおいようず、もうどうでも良かった。ただ倧声で泣き続けた。

    幌い頃に玄関のドアから倖に远い出され締め出され、庭で倧声で泣いおいた時の私ず同じぐらいに泣いお泣いお泣き続けたのだった。
    2時間は泣き続けた。
    身䜓の氎分がなくなっおしたうのではないかず思うぐらい涙を流した。

    改めお呚りを芋るず、心配そうに芋おいる人。
    䞍思議そうに芋おいる人たちがいた。
    その堎から離れ歩き出した。
    身䜓は怠かったが、泣いた分どこかで
    スッキリしおいる自分がいた。
    しかし、冷静になればなるほど
    「期埅した自分が悪かったんだ」ず自分責めが、たた始たっおきた。私の悪い癖だった。
    「ダメだ自分を責めおはいけない」ず自分に蚀い聞かせたながら、慌おお地䞊ぞず階段を駆け䞊った。
    青い空が目に入った。
    その日は本圓に綺麗な青い空だった。

     私は幌い頃から、空が奜きだった。
    嫌な事があるず、この広い空を芋䞊げた。
    晎れお柄み切った青い空。
    雲が幟぀か浮いおいる時は、雲の圢を芋おストヌリヌを考えたりしお遊んだ。
    色々な雲が颚に吹かれ流れお行くのを
    ただひたすら芋おいるのも奜きだった。
    雚が降る前の曇り空の時も。
    空はどこたでも広く果おしなく倧きくお
    そんな空を眺めおいるのが、幌い頃から奜きだったのだ。
    空を眺めおいるず䞡芪に怒られた事も忘れおいき、力が身䜓から抜けお心が萜ち着いおくるのだった。
    テレビで芋た「アルプスの少女ハむゞ」のオヌプニングの様に、空でブランコをしお雲の䞊で寝たいず倢に描いお育っおきたのだった。

     その日も、空を芋䞊げお倧きく深呌吞をした。
    段々ず力が抜けおきお身䜓が軜くなっおきた。
    そしお玠盎な自分の気持ちを感じずれた。
     
    私の嚘が成長し、もし私ず同じ立堎に立った時には、助けおあげれる芪でいよう
    絶察に「身䜓を売りなさい‌」なんお、嚘に察しお蚀わないだろう。
    母は母性が垌薄なのだ。
    やはり幌い頃から疑っおきた様に、もしかしたら本圓に実の母芪ではないのかもしれない。
    可胜性はある。もしかしたら私は父の愛人の子かもしれない。
    䜕らかの出生の秘密があるのかもしれない。
    だずしおも人に察しお、蚀っおいい事ず悪い事がある。
    それすら刀断できない母の魂の小ささをハッキリず感じたのだった。
    今䞖の母の魂の噚なら仕方ないのだず思えた。
    母に察する怒りはなかった。

    私はその時「私が䞡芪を助けおあげられる存圚になればいいのだ」ず青い空を芋䞊げながら心に決めたのだった

    ㉖【『助けお欲しいの』ず母からの電話】
     シングルマザヌずしお1人で2人の子どもを粟䞀杯で育おおいた。
    育児、家事、仕事ずフル回転だった。
    だが1人では無理な時もあった。
    そんな時は近所の友人達に助けおもらい
    日日を頑匵っお生きおいた。
     
     子ども達が小さい頃は父ず母も時々、
    マンションに遊びに来た。
    芪戚には「育児を手䌝いに行く」ず蚀っお来おいたそうだが、孫ず遊ぶ事で自分達のストレス発散をしおいたず私には分かっおいた。
    そしお自分達の気が枈むず垰っお行った。

     同居の話も、もう諊めおいた。
    子ども達ず䞡芪の楜しそうな笑顔を芋おいたら、私が我慢すれば良いのだず諊めるしかなかった。
     
     マンションでの3人暮らしが長く続き、息子も嚘も成長しおいった。
    息子は東京に進孊し、嚘ずの2人暮らしが静かに続いおいた頃、母から電話が頻繁にかかる様になっおいた。
    『身䜓が悪くなっおきた』ずか
    『腰がいたい』
    『兄が粟神的に匱い』ずいう兄の愚痎や
    ネガティブな事ばかりだった。
    私は黙っお聎くだけの姿勢を続けおいた。

     たた母は病院で「肺気腫」の蚺断を受けたそうでショックを受けおいた。今はただ倧䞈倫だが、このたた進行しおいけば、酞玠ボンベを匕っ匵っお歩く事になるず蚀われたず萜ち蟌んでいた。
    私は励たす事しか出来なかった。
    お匟子さん達を抱えおいた日本舞螊の教宀も、身䜓が匱くなり指導できなくなっおいった。
     
    段々ず母は身䜓も匱くなり腰を痛める様になっおいった。
    倖出もシルバヌカヌでしか歩けなくなった。
    父は母よりも5歳䞊だったが、ただ母より元気だったので、買い物は父が自転車で買っおくる生掻が続いおいた。
    掗濯も父がしおいたが、2階のベランダたでは掗濯物を運べないからず1階の庭に干せるスペヌスを䜜り、父が干す様になっおいた。

     父は、昔から男尊女卑の考え方で、家事は党くしおこなかった。だが母が身䜓が匱くなり、考え方が倉わったのだろう。
    父の倉化に私が1番驚いおいた。
    食事もスヌパヌでお惣菜を買い
    2人で食べおいるずの事だった。
    時々、兄も様子を芋に来おくれるず母が蚀っおいた。
    兄は結婚もしおいなく、1人暮らしだった。
    しかも料理が苊手で䜜れない。
    実家に垰っおきおも、スヌパヌでお惣菜を買っお冷蔵庫にたずめお入れお行くそうだった。
     
     母に頌たれ、私も2週間に1回行っお
    掃陀や掗濯をし垃団を干し、料理を䜜り眮きした。
    『たたには兄ちゃんにも掃陀や掗濯を頌んだら』ず母に蚀っおみたが『男の兄ちゃんに、そんな事をさせられないわ』ず蚀うのだった。
    『なら私、こっちに䜏もうか』ず提案したが、母は『ヘルパヌさんを週2回頌んでいお、掃陀をしおもらっおるから、同居したらヘルパヌさんに来おもらえなくなるから』ず蚀われた。
    芪戚にも、そう䌝えおいたらしい。
    だが埌でケアマネゞャヌに確認したずころ実際は違っおいた。母が勘違いしおいたのか、それずもワザず嘘を぀いおいたのか分からない。
     
     ある日、母から電話が掛かっおきた。
    『倖で買い物に行こう歩いおいたら、シルバヌカヌのタむダが溝にハマっお転けお起きれなくなったの。近くの人に助けおもらった。
    病院に行ったら腰骚が䞀本折れおた。
    入院はしなくおいいらしいけど、ベッドで安静にしないずいけないの。家に来お助けお欲しい‌お願い‌』ず蚀うのだった。
    私は『わかったよ』ず盎ぐに返事をし、
    兄に私から電話を入れた。
    母の状態は兄も既に知っおいた。
    兄は以前からずっず、2人のうちのどちらか1人になっおから実家に垰っお同居するず蚀い続けおいた。
    兄に『しばらくの間だけ圓番制で亀代で実家に通わないか』ず提案した。
    私も仕事が忙しいし、実家からは職堎も遠い。
    毎日通うのは難しかった。
    するず兄は『幎寄りは、䜕から䜕たで手を貞すずかえっお身䜓が匱るず友達から聞いた。
    出来るずころは自分でやっおもらえばいい。
    そうする方が、母さんも元気になる。
    お前も僕も仕事がある。仕事を優先しないずな。
    無理はしない方が良い。負担になっおくる』ず蚀われおしたった。
    私は『わかったよ』ず蚀っお電話を切った。
    兄は私より6歳も䞊なので昔から私の意芋など聞かず、䞀方的に自分の考えを話しお終わるのだ。
    もずもず䟡倀芳が違う。

     人のADL日垞生掻動䜜的機胜には段階がある。
    安静にしおいないずいけない時期。
    今床は埐々に動かしおリハビリが必芁な時期。
    人間は身䜓を動かしおいかないず関節や筋肉が固たり機胜しなくなるからだ。
    安静にしないずいけない時期に無理をするずかえっお酷くなり悪化しおしたう。
    私は兄に黙っお実家に向う事を決めた。

     実家に着くず母は、ベッドに寝おいた。
    私は盎ぐにケアマネゞャヌに連絡をいれた。
    ポヌタルトむレを賌入し、介護ベッドを
    犏祉甚具に頌みレンタルした。
    父は昔の叀い人なので、党く现かい事が分からない。
    電気💡の電球が切れただけで町の電気屋さんに来おもらったりしおいた。
    䞡芪だけの今たでの生掻環境を改めお知り驚いた郚分が幟぀も芋えおきた。
    䞡芪は少しづ぀少しづ぀老いおいっお、
    出来ない事が増えおきおいるこずを改めお感じたのだった。
    私は仕事をしばらく䌑み、母の介護ず家事をしおいた。
    しかし、数日もするず母も萜ち着いおきたので仕事に埩垰できた。
    朝早くから䞡芪の朝食ず昌食の甚意をしおから仕事に出かけた。
    嚘は高校生で倧孊受隓を控えおいた。
    1人でマンションに居させるのも心配だったので、時々は実家の方に泊たるようにさせた。
    実家から高校に行ったりしおいた。
     
     そんな生掻がヶ月ぐらい続き、そろそろマンションに垰ろかず思っおいた矢先だった。
    母のポヌタルトむレで尿を芋た時に、
    真っ赀に染たっおいたのだ。
    母は昔から膀胱炎になりやすい䜓質だった。
    しかし血の量の倚さから膀胱ではなく腞の方かもしれないず思ったのだった。
    母は極床な神経質な性栌で臆病でネガティブ思考な人だった。
    私が血を芋お、びっくりする衚情をしおしたうず母が動揺するず思い、
    『少しね、血が出おたから。。。
    たた膀胱炎かもしれないし、明日さ仕事䌑むから病院に行こうか』ず、
    驚かせない様に蚀葉を遞んで䌝えた。

     次の日に病院に連れお行くず
    「虚血性腞炎」ず蚺断が぀き、しばらく入院する事になった。
    盎ぐに兄に電話をしお、母の病状を知らせた。
    母に、父を1人にしおられないからず、嚘ずこっちに匕っ越ししおこようかず
    提案した。
    するず病宀のベッドに暪になっおいる母から『匕っ越ししおきお欲しい‌
    助けお欲しい‌
    父さんの事を頌む‌』ず頌たれた。
     
    その事は、病宀に到着した兄に母から䌝えられた。
    するず兄の機嫌が突然悪くなり、
    私に色々ず剣のあるものの蚀い方をしおきたのだった。
    蚀い返そうずするず、兄の埌ろで母が、私に手を暪に振っお合図し「䜕にも蚀うな」ず口パクしおいた。
    兄に蚀われるがたたになり私はグッず堪えた。

     それからは毎朝、父の朝食ず昌食の
    支床をしおから仕事に通った。
    䌑みの日には、匕っ越しの準備をした。
    私の職堎も嚘の高校も遠くなっおしたう。
    嚘に謝るず、嚘は『仕方ないよ』ず理解しおくれた。
    友人達は『どうしお、こっちが苊しい時に
    「助けお」お蚀っおも助けおくれたなった芪を助けるの⁉』ず皆んなが䞍思議がった。
    私は『人に「助けお欲しい」お頌む時っお
    恥もプラむドも䜕もかも捚おおお願いする。
    それは本圓に恥ずかしいし蟛い。
    自分が情けない状態。そんな時に断られる絶望感を私が1番知っおるから、芪にそんな思いをさせたくないからだよ』ず蚀ったが、友人達は口々に『自分なら絶察に無理だ。断るわ〜』ず蚀っおいた。
     
     私は䞡芪を本圓に助けおあげたかったのだ。
    芋捚おる蚳にはいかなかった。
    芋返りなど期埅したわけでもない。
    䞡芪から認めおもらいたいずか『愛』しおもらいたいずかの承認欲求でもなかった。
    䜕も求めおいなかった。
    ただ『愛』しおあげたかった。
    助けおあげたかったのだ。
    生んで育おおもらった恩がある。
    恩返しをしなければいけないず思ったのは確かだが、芪じゃなくおも家族じゃなくおも困っおいる人は助けなければいけない。
    助けを求めおいる人を芋捚おられないず
    思ったのだった。

     だが、ここからは想像も出来ないくらいの過酷な介護生掻が私を埅っおいたのだった。。。

    ㉗【兄の嫉劬か母の嘘か真実はどこに】
     母が退院し、私ず嚘は実家に匕っ越しした。
    しかし私たちの荷物は実家に入れさせない様にず兄が蚀っおいるず母が蚀うのだった。
    近所にシャッタヌ付きのガレヌゞがあり
    月に2䞇で借りれるから、そこを借りお
    服や荷物はガレヌゞに眮く様にず兄が蚀っおいるずの事だった。
    月に2䞇も私が借りなければならない。
    たた、1幎したら実家を出お行く様にず
    兄が蚀っおいるからず母から蚀われた。
     どうせ1幎で出お行くのだから
    郚屋は䞎えなくおいい、リビングで寝おもらう様にず兄から蚀われおいるず母から蚀われたず。

    思いやりや優しさが党く感じられない
    兄に察しお、残念に思ったのだった。

     私ず嚘はリビングの゜ファを寝る時だけ移動させ、垃団を2っ敷いお寝る日が続いた。
    必芁な物は、雚でもガレヌゞに取りに行くずいう
    䞍䟿利さがあった。
    嚘ず『たるで、居候扱いだね💊
    でも屋根もあるし、垃団もあるし、寝れる堎所があるんだから、有り難く感謝しようね』ず話した。
    ただ、兄の意地悪が悲しかった。
    芪の独占欲からなのだろう。
    郚屋を䞎えおももらえない状態が䜕ヶ月も続いた。
     私は朝5時に起きお、朝食、昌食を䜜り、晩埡飯の䞋拵えしおから嚘ず䞀緒に7時には家を出た。
     
     嚘の高校ず私の勀務先が近かったので、2人で朝の満員電車に飛び乗る毎日だった。
    私ず嚘の2人分の食費は入れおいた。
     
     嚘は倧孊受隓だったので、勉匷の時だけは実家の2階の奥の郚屋を貞しおもらえる様に母に亀枉した。
    嚘が倧倉な時期だず悟っおくれたのず
    私の献身的な接し方で䜕かを感じおくれたのか、
    母から『これからは2階の郚屋で寝おくれおいいから。2人で自由に䜿っおいいから。兄ちゃんには内緒にしずくから」ず蚀い、蚱可がやっず出たのだった。
    私が結婚するたで䜿っおいた2階の6畳の郚屋に嚘ず2人で䜿える様になり、少し自由に暮らせる様になったのだった。
    服や必芁な物は少しだけガレヌゞから運び入れる事が出来た。嚘は勉匷の時だけは、2階の隣の郚屋を借りれる様に母から蚱可ももらえた。
     そんな生掻の䞭で、母は䜕床も転倒し、腰の骚折を繰り返した。
     私は介護ず仕事の䞡立を1幎間頑匵っおいたが限界になり退職した。
    遣り甲斐を持っおやっおいた仕事だっただけに残念ではあった。
     
     圚宅介護は本圓に倧倉だった。
    母は喘息も持っおいた事もあり、呌吞噚内科を䜕床も車怅子に乗せお受蚺した。
    結局、色々な怜査の結果、数幎前に蚺断された「肺気腫」は誀蚺だった。
    母は、その時の女医に察しお腹を立おおいたが、誀蚺だったず分かり安心しおいた。
    その時にどうしお他の病院で
    セカンドオピニオンをし、詳しい怜査をしなかったのかず思ったが、母に今曎蚀っおも仕方ないず蚀うのを止めた。
     
     母は昔から膀胱炎になる䜓質だった。
    介護に入っおからも、血尿が滲む事がありその床に泌尿噚科に車怅子で連れお行った。
    たた、腰の治療に痛み止め泚射を打っお欲しいずの母の芁望もあり、以前からずっず母が利甚しおいた敎圢倖科に連れお行く日々が続いた。
    もらった湿垃を毎晩寝る前に腰に貌り、マッサヌゞをした。
    たた、䞻治医のいる内科にも頻繁に連れお行かないずいけなかった。
     入济も私が家颚呂で母を入れおいたが、
    䜓重が重い母を1人では支えられなくなっおきた。時々、母に頌たれお髪の毛も染めた。
    嚘が家に居る時は手䌝っおもくれおいたが、やはり家での入济は、リスクが高いず感じ、ケアマネゞャヌに色々ず盞談したのだった。
    その結果、父ず母2人䞀緒に週2回デむサヌビスに行っおもらう事になった。
    父は人芋知りが激しい面があったが母ず同じならず玍埗しおくれた。
    毎日通う事もケアマネゞャヌから提案しおもらえた。私も、その間に仕事にも行けるず期埅したが母は神経質面があり『毎日通うのは疲れるから嫌だ‌』ず蚀い切られおしたった。

    デむサヌビスに行かない日には
    理孊療法士ず䜜業療法士に週1回来おもらう事にした。
    しかし母は難しい面があり人の奜き嫌いが激しかった。
    母が気にいるたで䜕床も人を倉えおもらった。
    たた、父は知らない人が家に入るのを嫌がった。
    なので私が居る時だけ理孊療法士ず䜜業療法士を頌んだ。
    䞡芪がデむサヌビスに行っおもらえおる間に近くの子ども園で保育士ずしお働いた。
    身䜓はクタクタだったが、私自身も皌いで、生掻費をいれおいた。
     
    倜は母をポヌタルに座らせ、パゞャマに着替えおもらい、枕元にはお茶を眮いたりず寝る準備をする。
    党おの家事を終わらせ、自分の郚屋に入るのは毎晩23時を過ぎおいた。
    2人のベッドの頭の䞊にナヌスコヌルの
    スむッチを眮いた。
    そのスむッチを抌すず2階の私が寝おる
    郚屋のベル🔔が鳎る仕組みになっおいた。䜕かあったら呌ぶ様に䌝えおいた。
    クタクタで日が終わっおいった。
    そしお、熟睡できない日々が、その埌も䜕幎も続いおいくのだった。
     
     たた、その頃には『1幎間っお蚀っおたけど、3幎間は居おもいいっお兄ちゃんが蚀っおたよ』ず母が蚀った。
    䜕故い぀い぀たでずか、䜕幎間ずか兄に決められないずいけないのか⁉
    1幎間でずか、3幎間でずか、なぜ兄に蚱可が必芁なのか⁉
    私には疑問だったのだ。
    その時は本圓に兄に察しお腹が立っおきおいた。

     しかし数幎埌、ガレヌゞの件も郚屋の件も兄に蚊くず『そんな事は蚀っおない💢』ず蚀うのだった。
    本圓に兄が母に指図しお母に蚀わせおいたのか⁉
    それずも党くの母の嘘、挔技だったのか⁉
    兄が、自分の立堎を守るために『蚀っおない💢』ず嘘で誀魔化しおいるのか⁉
    どちらが真実なのか⁉
    分からなくなっおいくのだった。

    ㉘【人生の課題は最終章たで続く】
     圚宅介護生掻は、本圓に倧倉だった。
    母は入退院を繰り返した。
    結局、䞡芪の事で救急車にトヌタルで
    13回も乗ったのだった。
    最初はパニックになっおいた私だったが、
    人間おのは䞍思議なもので
    数回目からは冷静になっおいた。
    䜕を準備しお持っお行けば良いか。
    䜕を質問されるか。どう答えるか。
    病院を第3垌望たで決めおおく事など。
    たた救急車内の血圧蚈の䜍眮などず䜜りも把握出来おいた。
    なので冷静にしっかりず察応出来る自分がいた。

     ある日の朝だった。母の郚屋を開けるず母がう぀䌏せで倒れおいた。
    意識はあっお『痛い〜あ〜』ず唞っおいた。びっくりしお近寄るず右手が違う方向に捩れおいお、パゞャマのズボンず
    オムツも足たで䞋がった状態だった。
     どうやら、1人でポヌタルトむレに座り䟿をしようずし、ズボンずオムツを䞋げた時に、よろけお転けお右手を床に぀き、右手を折った様で起きれずにいたのだった。
    痛すぎお倧声も出せないでいたらしく、私を呌ぶナヌスコヌルのスむッチもベッドの頭の䞊にあり届かないので
    私を呌べなかったそうだった。

    毎朝、決たった時間に母の郚屋の扉を開けお起きおいるか確認しおいた。
    なので私が来る時間たで埅぀しかないず思い、母はその䜓制でずっず痛みを我慢しおいたのだった。

     私は、盎ぐに母のグラグラした右手を持ち、母を励たしながら抱き抱えた。
    火事堎の銬鹿力で瞬時に行動できた。
    『救急車を呌ぶから、もう倧䞈倫だよ』
    『よく頑匵ったね』ず蚀っお、ブラブラしおしたうだろう母の右手を母に巊手で持たせお、ずにかくオムツずズボンを履かせお介護甚ベッドに座らせた。
    母も幎老いたずいえども女性だ。こんな䞋半身が露わな姿を救急隊員に芋せたくないはずだず思い、秒速で動いお䜜業した。
    そしお母の右腕を瞬時に䜍眮を正しおしっかり差し蟌みタオルで固定し母に巊手で支える様に頌んだ。わずか䜕秒間での䜜業だった。

     私は若い頃に赀十字の救急救呜察応の講習に1週間通った事があった。
    その時の経隓が圹に立ったのだった。
    盎ぐに救急車を呌んだ。
    3分埌には到着するずの事だった。
    救急隊員が到着する前に床に萜ちおいる母の䟿を凊理した。
    父に母の状態を説明し『入院になる事になるだろうから』ず䌝え、父の昌食の
    甚意をした頃に救急車が到着した。

    もう䜕床も転倒を繰り返しおいる母に
    垞日頃から
    『絶察に1人でポヌタブルトむレに座らないで欲しい‌ナヌスコヌルで私を呌んで欲しい‌』ず䜕床も頌んでいたが、
    人の䞖話になんかなりたくない‌
    人に頌りたくない‌
    ずいう母の頑なな性栌が母に怪我を
    繰り返しさせおいた。
    母自身は自分の性栌が怪我を招いおいる事に、なかなか気付かない様だった。

    䜕床入院しおも盞倉わらず母は、
    䞍満や愚痎が倚かった。
    そう簡単には人は倉われない

    母は結局、右腕骚折、腰骚本骚折で
    ヶ月の入院ずなった。
    医垫から『右腕の折れ方が綺麗に折れおいたのず嚘さんが綺麗にしっかり差し蟌んでくれおいた凊眮のお陰で手術の必芁性はありたせん』ず耒めおもらえた。
    ギブスで固定したら倧䞈倫ずの事だった。
    腰骚の骚折も母の身䜓に合わせコルセットを䜜っおもらった。
    骚が固たるたで腰甚コルセットを぀け、
    リハビリを頑匵っおもらう事になった。
     
     怪我や病気で入院を繰り返した母だった。
    病院でも明日が退院ずいう日に、
    ナヌスの指瀺を守らずに、1人で歩行機にを抌しおトむレに行き転倒。
    たた腰骚を骚折し、退院も3ヶ月延期になったりしたこずもあった。

    母は人に、ものを頌めない性栌だった。
    ナヌスが『トむレに行く時は、絶察にナヌスコヌルで呌んでくださいね』ず䜕床蚀っおも、コヌルを鳎らさず、1人で歩行噚でトむレに行っおしたい、䜕床も転倒を繰り返しおいた。
    誰にも頌りたくない‌ずいう匷気な面ず
    頌んだら盞手に負担をかけおしたうのではないか⁉ず色々ず気にしおしたう神経質な面ず人間䞍信な面、人に甘え頌る事が苊手な面、その党郚が
    䞀気に露出しだしたのだった。

    認知蚌でもないけれど、ベッド䞋にセンサヌマットを敷かれ、壁には倧きくナヌスコヌルの写真が貌られ『ここを抌す‌』倧きくず曞かれおいた。
    私はナヌスから母の事では䜕床も泚意を受けおは謝りたくっおいた。
    病院では、手のかかる患者ずしお扱わられおいた。
    母には『病院のナヌスさん達は、患者さん達のお䞖話をするのが仕事なんだよ。
    母さんが指瀺に埓わないで勝手な事をすればするほど、ナヌスさん達を困らせお迷惑かけおしたうんだよ。
    だから甚事がある時は、1人でしようずしないで、ナヌスコヌルを必ず抌しお、
    ナヌスさんを持っおね‌
    それは患者の矩務だし、早く治る為にも
    ナヌスさんの指瀺に埓っおね』ず䜕床も蚀い続けおいた。

    しかし身䜓が段々ず䞍自由になっおいき、
    身の回りの事も自分では䜕にも出来なくなっおいくず、自然に誰かに頌らないずいけなくなった。それを母自身も受け止めおいった。
    寝たきり状態になった頃には
    母から愚痎や䞍満の蚀葉など出なくなり、
    い぀も病院のナヌスや医垫や䞖話をしおくれる方々に察しおも『ありがずう』ず
    玠盎に感謝を䌝えれる母になっおいた。

    人生ずは、最埌たで孊びなんだず
    母を芋お぀くづく思えた。
    人生の最終章で、母は今たでに
    自分に足らなかった郚分を「出来事」を
    通しお孊んでいったようだった。
    誰かに蚀われおも説教にしか受け取れないが、「出来事」が起こる床に人は孊んで
    いくのだろう。
    人の人生ずは本圓に䞍思議なものだず
    思えたのだった。

    ㉙【兄からの時間以䞊続く眵声】
     兄はメンタルが䞍調だったらしく仕事も蟞めおいた。心療内科にもう数幎前から通っおいたらしい。
     私が介護に入り実家に垰っおからも、毎日の様に母ず電話をしたりメヌルをしたりしおいた。
    倚分、昔から2人は共䟝存の関係性だった。
     段々ず母も物忘れが増えおいった事もあり、携垯のメヌルのやり取りの
    ボタンの堎所が分からないず私に蚀っおきたのだった。
    携垯から操䜜方法を母に説明する間に兄のメヌルが芋えた。
    毎日の様に兄からメヌルが入っおいた。
    『兄ちゃんからメヌルが来おるよ』ず
    知らせるず、母はムッずしお
    䞀瞬私を睚んだが、その埌は別に䜕も蚀われなかった。
     たた、病院に入院するず2日に1回で兄は面䌚に来おいるらしかった。
    兄が䜏んでいる堎所から病院たでは片道時間半はかかる。
     兄は母のTシャツやらを買っおきおいた。
    私が病院に行くず母が『無理やりにTシャツに着替えさせられた』ず嘆き文句を蚀っおいた。
    恥ずかしいからっお断ったのに、右手が䜿えないだろうから自分が着替えさせおあげるからず
    蚀っお無理矢理に着替えさせられたず蚀うのだった。『恥ずかしいから、いいず断ったのに無理矢理に着替えさせられた』ず私に蚎えおきたのだった。
    私が母の立堎だったずしおも息子から着替えさせおもらうのは絶察に嫌だ。恥ずかしい。
    ただ母は、物忘れが少しあっおも認知症ではない。矞恥心もある。
    たた家で誰も居なくお、どうしおも着替えないずいけない堎合なら仕方ないが、ここは病院なのだ。
    『母さん今床さ、兄ちゃんに蚀われたら
    ナヌスさんに頌むからっお断りなよ』ず
    母に䌝えた。

     数日埌の倕方だった。
    いきなり実家に兄が怒鳎り蟌んできたのだ。
    私が母の携垯から兄のメヌルを垞にチェックしお読んでいるず母から聞いたず蚀うのだ。
    母が操䜜方法を忘れたから、ボタンを教えただけだず䌝えるず『お前は、芪をボケ扱いするのか💢母さんは、ただ認知症じゃない💢』ず怒鳎るのだった。
    たた『Tシャツを着替えさせるのも僕の勝手じゃヌ💢お前に指図される芚えはない💢』ず。
    母が自分の郜合の良い様に兄に䌝え、私の事を悪く蚀っおいるのが分かった。

    あずは、蚳もわからない蚀いがかりが続いた。
    反論しようずするず『うるさい💢黙れ💢
    お前はカりンセラヌやろ‌カりンセラヌなら黙っお聞け💢』ず怒鳎り、䞀方的に眵声を济びせ続けられた。
     たた、『通垳を芋せろ💢』ず蚀われ、兄の蚀うたたに埓った。
    『お前らの生掻費は、どうなっおるんや💢』ず现かくチェックされたのだった。

     結局、兄の眵声は時間以䞊続いおいた。
    私は目を閉じお、じっず我慢しお䜕も蚀わずに聎いおいた。
    その時、近所に䜏んでいる父ず母の友人が遊びに来おくれたお陰で兄の眵声が終わったのだった。
    もし、その人が来おくれなかったらず思うず、ゟッずするのだった。
    兄が垰る時に私は静かに『もうこれで終わりだよ。もう来ないでね。』ず蚀った。
    兄は黙っお玄関の扉を閉め出お行ったのだった。

     ずっずそれたで黙っお聎いおいた父が口を開いた。
    心療内科に数幎通い、仕事をしおいない兄の事を父も知っおいた。
    『あい぀はダメやな。あい぀ではワシらの面倒は看れないぞ‌お前しかいないぞ‌頌むぞ‌』ず蚀うのだった。
    私は黙ったたた返事をしなかった。

     今たでの人生で時間以䞊も怒鳎り続けられたなんお経隓はなかった。
    元䞻人にもそんな長時間はなかった。
    兄は䞀方的に自分の蚀いたい事だけを蚀っお感情的に怒鳎り぀けおきた。
    感情のコントロヌルが出来ない子䟛なら分かるが、もう兄は倧人だ。
    感情的に䞀方的に怒鳎り、私を芋䞋し䟮蟱したのだ。
    これは普通じゃない。
    粟神的病気だず思った。
    その頃、東京の有名な神瀟で埌継問題からのトラブルから匟神䞻が姉神䞻を殺害したずニュヌスが流れおいた。
    私は恐怖を芚えた。
    ただ普通なら良いが、兄は数幎間も粟神的病気を抱えお薬を服甚しおいる状態なのだ。
    ヶ月ぐらい、玄関のベルが鳎るだけで
    恐怖から足が震えたのだった。
    それから兄は、父方ず母方の芪戚䞭に電話をしたくり『矎咲から瞁を切られた』ず蚀っおいたそうだ。
    母方の芪戚叔父以倖の叔母たちは、兄の䞀方的な話を信じ䞀緒になっお私を批刀しおいた。
    父方の芪戚は皆んな『矎咲はそんな酷い子じゃないよ』ず蚀い切っおくれたのだったそうだ。
    それ以来は、兄は父方の芪戚には電話をしなくなり、母方の芪戚ばかりに頻繁に電話しおいたそうだ。

     私は母方の芪戚に、いちいち誀解を説こうずも思わなかった。
    もちろん䞡芪の介護で忙しく、
    芪戚に電話をしおる暇などもなかった。

    「匱い犬ほど吠える」ず昔から蚀われおいる。
    兄が私の悪口を吹聎しおいるず知り、
    兄の匱さず小ささを感じたのだった。
    私は子どもの頃ずは違っお、もうその頃には「自分軞」がしっかりず持おる様になれおいたので、誰に䜕お思われおいおも別にどうでも良かった。
    分かっおくれおる人は分かっおいおくおいる。
    それだけで十分だった。

    そしお私が䜕も反論さなくおも倩は必ず芋おいるず思えたのだった。


    ㉚【「人間のクズ」ず巊耳の異倉】
     母は、それからも色々な病気をした。
    䜕床も手術もした。入退院を繰り返しおいた。
    父の䞖話をしながら、病院の母に付き添った。

    息子も垰っおきおいる時は、父の散歩に付き添っおくれたり散髪に連れお行っおくれたり、母のポヌタルトむレの尿を捚おくれたりず色々ず䞖話をしおくれた。
    嚘も倧孊生になりバむトがない日は
    食事を䜜っおくれたり、母のオムツを替えおくれたりしおくれたが、それでも基本は私1人で頑匵っおいた。『疲れた』なんお蚀えなかった。

     林ケアマネゞャヌは、い぀も私を心配しおくれた。私が介護で実家に垰る前から、䞡芪の盞談にずっずのっおくれおいた人だった。

    私が疲れおいるのを感じたのか
    『他の家族さん達も介護に疲れた時は、斜蚭のショヌトステむを利甚しおいお、預かっおもらっおる間に疲れを取っおいたすよ」ずショヌト利甚を勧めおくれた。
    母に1日でもショヌトに泊たっおもらえるかずお願いしたが『絶察に嫌だ‌』ず蚀うだけだった。
    『わかったよ』ず蚀っおキッキンに行き、倕食の準備をしおいたが、母の郚屋から『絶察にショヌトなんかに行かないからな💢』ず怒鳎り声がし、念を抌しおきたのだった。
    『もう、わかったから』ず母に蚀い、
    林ケアマネゞャヌに電話で『諊めたす』ず䌝えた。
    するず林ケアマネヌゞャヌが飛んできおくれた。
    『私が説埗したすから』ず蚀っお母の郚屋に入っお行った。
    䞡芪は昔から倖面が良い。だから粟䞀杯でカッコを぀ける。で、あずで疲れおしたうタむプだった。
    林ケアマネゞャヌから蚀われ、い぀も通っおいるデむサヌビスの2階に1泊だけなら行っおも良いず母が承諟しおくれたのだった。

     しかしショヌトから1泊しただけで、母は熱を出しお垰っお来たのだった。
    林ケアマネゞャヌに『熱たで出しお嫌がるなら、もうこれからはショヌト利甚は諊めたす』ず䌝えた。
     母は神経質で環境が倉わるず昔からよく熱を出した。たた身䜓が匱い方だったからかデむサヌビスでも颚邪もよくもらい熱を出したりしおいた。

     母が熱を出すず介護ベッドの䞋に垃団を敷き私も寝た。
    倜䞭に䜕床も氎分補絊の必芁があった。高い熱がある時は、母は倜䞭にうなされお『母さん、母さ〜ん』ず呌んでいた。 
    私を祖母ず間違えおいる様だった。
    祖母の振りをしお『ここにいるよ。ずっず偎にいるから倧䞈倫だよ』ず手を握った。
    頭を優しく撫ぜおいるず、安心した様な顔をしお
    たた寝息を立おだした。
    たるで幌い少女の様な母だった。
    母は、幌い頃に熱を出しおも、母芪に甘えられなかったんのだ。
    どんなに心现く寂しかった事だろうず思えた。

     父は、ただ母よりは元気だったが、
    䞡耳が遠かったので、耳元で倧きな声でゆっくり話さないず聎こえなかった。私も疲れおきたら
    ホワむトボヌトで筆談し父に䌝える事が倚くなっおいった。
     障害者手垳の手続をしお、補聎噚も䞡方賌入したが、よく補聎噚を倱くしたり壊したりずしお
    䜕床も賌入した。
    その床に、父を連れお出かけるのも倧倉だった。

     私は数幎間、お颚呂に入る時間もなかった。
    倜になるず盎ぐに2人からナヌスコヌルがあるのだ。
    毎日シャワヌでの烏の行氎だけの毎日だった。
    䌑める日がなかった。
    倚分、䞡芪が気になり倜䞭も熟睡出来おいなかったず思う。
    倜䞭に䜕床か起きおは、2人の様子を芗いた。
    疲れは取れない日々が䜕幎も続いおいた。

     数回、疲れお熱も出した。
    そんな時はマスクを3枚し、父ず母には颚邪をひいた事も䌝えずに介護を黙々ずした。

     時々、叔母たちからは電話が入った。
    兄は頻繁に叔母たちに電話をしお私の悪口を蚀っおいるず知った。
    叔母たちから『矎咲ちゃんだけの芪じゃないんやよ‌お兄ちゃんにも介護をさせおやり‌
    矎咲ちゃんが介護させおくれないっお嘆いおたよ‌』ず蚀うのだった。
    叔母たちは、兄の䞀方的な話を信じおいた。
    私は介護で時間がなく、芪戚に電話などする暇もなかったのだ。
     『お兄ちゃんが怒鳎り蟌んできた事が
    原因なんだよ』ず蚀っおも
    叔母たちは『あの子がそんな事をする蚳ない‌どうせ矎咲ちゃんが、あの子に匷く蚀っおるんでしょ‌
    矎咲ちゃんが意地悪しおいるずしか思えないわ‌効っおいう立堎をわきたえな‌』ずしか蚀っおくれなかったのだった。

     昔から、母が優等生の兄を自慢しお、
    叔母たちに兄の事を良く蚀っおきたのだった。
    そしお私の事は䞋げお䌝え、兄を際立たせおきたのだ。
    叔母達が持っおいるむメヌゞは
    子䟛時代から䞡芪が぀けたものだった。
    兄は賢く優しく思いやりのあるおずなしい子で、私は気が匷く、うるさく、
    意地悪な根性の悪い子なのだ。
    泣きながら電話をしお頌っおくる兄を
    可哀想に思い同情しおいるんだろう。
    人は泣いおいる方に同情する。
    泣かずに黙っお匷く頑匵っおいる方の
    心の叫びには気付きもしないで、
    泣いお頌っおくる方に同情するのだろう。
    今曎、蚀っおも䌝わらないだろうず諊めたが
    『おばちゃん、介護っおさ、家で䞖話をするだけが介護かなぁ
    母さんも䜕床も入院しおる。
    その床に衣類を運んだり、毛垃を運んだり、
    オムツを買いに行っお持っお行ったり、
    テレビカヌドを買っお差し蟌んでくる。
    兄ちゃんは、母さんが入院しおも䌚いに行くだけで䜕にもしおくれた事がない。
    テレビカヌドも買っおくれない。
    「介護がしたい」ずおばちゃん達に電話する暇があるなら私に「䜕か自分に出来る事はないか」ず連絡しおくれるのが本圓なんじゃないのかなぁ』ず蚀った。
    『それなら、兄ちゃんが蚀っおくるのを埅぀のではなくお、効なんだから矎咲ちゃんから頌みなさいよ‌』ず蚀うのだった。
    もう呆れおしたい、叔母たちに䜕を蚀っおも䌝わらないだろうず諊めた。

    兄は父方の芪戚にも電話をし、泣きながら、私の悪口を蚀いたくっおいたそうだ。
    しかし、父方の芪戚たちは、䜕床も父や母の様子を家に芋に来おくれおいた。
    母が入院しおも病院が倉わる床に䜕床もお芋舞いに来おくれおいた。
    その床に私が頑匵っおいる様子を芋おは
    私の身䜓を心配しおくれおいた。
    名叀屋や䞉重県の芪戚にも兄は泣きながら電話しおいたそうだ。
    埓姉効は『矎咲は、そんな子やない。
    あんたの䞀方的な話を聞いお信じる蚳にはいかないわ。矎咲の話も聞かないず』ず蚀っおくれたのだった。
    『矎咲に「い぀も介護しおくれおいお有難う」っず䞀回でも蚀った事があるか』ずも蚀っおくれたそうだ。それ以来、その埓姉効が蚀うには
    兄から電話が掛かっおくる事はなくなったそうだった。
     母方の芪戚は、叔父以倖は
    皆んな兄の䞀方的な話を鵜呑みにしおいた。
     叔父は䜕床も母や父の芋舞いに来おくれおいた。そしおい぀も『兄さん姉さんの䞖話をしおくれお有難うな。頌むな』ず蚀っおくれるのだった。
    母方の芪戚では9幎間ずいう介護生掻で
    四女がたった1床だけ病院に来おくれたが、
    それ以倖は党く来おくれなかった。
    来おはくれないのに、
    あれやこれやず電話で蚀っおくるのだった。

     私は、い぀も䞡芪に『仕事頑匵っお成功したら介護付きマンションを買っおあげるね。
    そこに父さんず母さんが暮らせる様にしおあげるからね。それを目暙に頑匵るから』ず蚀っおいた。
    その床に父も母も、い぀もニコニコずしお『楜しみにしお埅っおるわ』ず蚀っおくれおいた。
    その話がどこからどうの様に䌝わったのか
    兄から電話が掛かり『お前💢䞡芪を斜蚭に預けようずしおるらしいな💢
    お前は最䜎な女じゃ💢
    人間のクズじゃ💢』ず怒鳎っおきたのだった。
    『誀解だよ』ず蚀うず、話を遮られ、
    『蚀い蚳なんか聞きたくない💢
    ずにかく斜蚭は反察だからな💢』ず
    䞀方的に怒鳎られ電話を切られたのだった。
    叔母達からも電話が掛かり『斜蚭なんかに入れるなんお反察だからね💢』っお䞀方的に蚀うのだった。私の話など聎く耳も持たなかった。
    そしお『矎咲ちゃんはい぀実家を出おいくの
    3幎お玄束やったよね‌
    そこは長男の兄ちゃんの家やよね‌
    効の分際でい぀たでも居座るのはダメやわ‌効っおいう立堎をわきたえないず‌』ず䞀方的にキツむ蚀葉を䞊べお電話を切っおいくのだった。
    私はショックだった。
    父から『電話は誰や』ず蚀われたので、
    『おばちゃん達だよ』ず䌝えた。
    『もうさ、私ね家を出ようず思うんだ。
    私の代わりに兄ちゃんが匕っ越しおくるから。
    兄ちゃんに父さんず母さんの事を頌むからね。
    倧䞈倫だから』ず䌝えた
    するず父が『無理や‌あい぀ではワシらの面倒など看れない‌出おいくな‌頌むからこのたた䞀緒に䜏んでいおくれ‌お前じゃないず無理やぞ‌』ず
    父に頌たれたのだった。

     今たでも母に䜕床か、嚘ず䞀緒に
    『もう、家を出るね。兄ちゃんずバトンタッチするから』ず蚀った事があった。
    嚘が実家を䜕幎も前から出たがっおいたからだ。
    嚘は、私が母方の芪戚や兄から色々蚀われおも必死で介護しおいる私の姿を、もう芋たくないらしかった。
    しかし『もう、家を出おいくね』ず䌝える床に母は泣いお
    『出お行かないでくれ‌ずっず䜏んでおくれおいいから‌』ず蚀うのだった。

     板挟み状態が続いおいたのだ。
    しかし私は、䞡芪を眮いおいけなかった。
    心療内科に䜕幎も通っおいる兄、
    最近は心臓も悪いらしくヶ月に1回ず入退院しおいるらしかった。
    料理もできない兄。
    母が入院しおいたずしおも、父を耳錻科、
    内科、県科科、敎圢倖科、歯医者、皮膚科、
    ず病院や散髪に頻繁に連れお行かないずいけない。
    たた、父も内臓の病気が出おきおいお䜕床か入院した。
    兄には䞡芪の介護は無理だずは分かっおいた。
    嚘は怒り『おじさんは介護の倧倉さを知らないから、そんなキツい事が蚀えるんやわ。
    䞀床、おじさんに介護させおみたら、母さんの倧倉さが分かるはずや‌
    もう家を出ようよ‌おじさんが介護が倧倉だず
    自分には無理やっおわかっお、母さんに頌んできた時に考えたらいいから』ず蚀い続けおいた。
    そんな嚘も倧孊を卒業し就職をした。
    そしお1人で家を出お行っおしたった。
     

     叔母たちから電話でキツむ蚀葉を蚀われた倜はショックであたり寝れなかった。。。
    次の日、嚘がケヌキを買っお遊びに来おくれた。
    母は入院しおいたので、父ず嚘ず3人で久しぶりに楜しく䌚話をしケヌキを食べた埌の事だった。
    突然に巊耳から音が消えた。党く聎こえないのだ。自分で異垞だったず盎ぐに理解した。
    嚘に事情を話し父を看おいおもらい、
    父が通院しおいる耳錻咜喉科に飛び蟌んだ。
    院長先生が『巊耳の聎力がになっおる。
    このたただず重床障害になる。盎ぐに
    総合病院に玹介状を曞くから、緊急入院し安静にした方がいいから』ず、病状を優しく説明をしおくれた。
    「ストレス性突発難聎」だった。
    その日は、父の介護があるからず入院できないず蚀い、その堎で点滎をしおもらった。
    嚘に電話を入れ説明し、仕事を調敎しおもらい父の䞖話を頌んだ。
    次の朝、父が3幎前に癜内障の手術で入院しおいた総合病院に入院し、点滎治療が始たった。
    結局3週間入院した。
     数幎間の介護生掻で寝䞍足もあり、身䜓が限界だったのだろう。そこに兄や叔母たちからのキツい蚀葉に心が疲匊しおいったのだろう。心ず身䜓は繋がっおいるのだ。
    人間の身䜓ずは本圓に䞍思議だず思った。

     薬の副䜜甚に苊しんだ入院生掻だったが奇跡的に半分だけ聎力が回埩した。
    埌の半分は『もう元には戻らない』ず医垫から蚀われた。
    ショックだったが半分は戻った事の方が嬉しかった。
    たた3週間、介護から離れお自分だけの時間を過ごせたのだ。
    ピンチはチャンス‌
    私は「転けおも、ただでは起きない」粟神で心理孊や哲孊や色々な本を読み勉匷をした。
    思えば䜕幎も本など読む時間もなかった。
    䜕幎もTVもゆっくり芋おいなかった。
    お颚呂も入らず䜕幎もシャワヌだけにしおきおいた。
    䜕幎も友達からのお茶の誘いも断っおきた。
    䞡芪䞭心の生掻が䜕幎も続いおいたのだった。
     病宀から友人達やメンタヌに連絡をした。
    私にはメンタル䜜りで色々な事を勉匷し孊ばせおもらっおきた垫匠がいる。
    私が䞡芪の介護に入り、介護鬱にもならないで
    頑匵っおこれたのも、メンタヌが心の支えになっおくれおいたからだず思う。
    そしお、たた友人達もい぀も電話で励たし続けおくれおいた。
    呚りの皆んなの励たしのお陰で、私はここたで乗り越えられおきたのだ。
    巊耳が聎こえなくなった私を電話で皆んな励たしくれた。
    私は本圓に幞せものだず改めお党おに感謝した。
     病宀の窓から芋える空。
    空を芋ながら穏やかな気持ちで入院生掻を過ごした。
    たるで点滎に繋がれた私は、ドラゎンボヌルの悟空になった気持ちだった。
    宇宙で゚ネルギヌチャヌゞをしおいる感芚でいたのだった。
    巊耳は半分は聎こえない。もう元には戻らないが、それでも心は前を向いおいた。
    最匷なパワヌアップが出来た3週間だったのだ。

     退院しお実家に戻っおからは、
    今たで以䞊に父に優しく接する事ができたる自分がいた。
    耳が聎こえなくなり、耳が遠い父の気持ちが本圓の意味で理解できる人間になれたのだった。
     倚分、巊耳が聎こえなくなったのは、
    きっずもうこれ以䞊は、兄や叔母たちからの蚀葉を聎きたくないずいう私の朜圚意識が、そうさせたようにも思ったのだった。
    本圓に心ず身䜓は繋がっおいるのだず改めお人間の䞍思議さを感じた。

    ㉛【幎寄り通りは愛の花道】
     実家の前の道は、
    もう舗装工事されお今ではアスファルトだが、昔は雚が降るず盎ぐに氎溜りができたり、石が沢山ある砂利道だった。

     その通りをヒヌロヌになり、お転婆な私は戊いごっこを毎日しおは走りたくっおいたのだ。
    颚呂敷マントをなびかせ䞉茪車を走らせおいた。そしおやがお駒なし自転車になりカヌブで滑っお転けるず小石が足に食い蟌んだ。
    䜕床も転けおは手足を擊り剥き流血した。
    それでも泣かずにヒヌロヌずしお走り回っおいたのだった。
    高い塀から飛び降り、倧きなゎミ箱に乗っおはゞャンプしゎミ箱をい぀もひっくり返しおは近所のおばちゃん達に怒られおいた。
    い぀からか母が『もう、この䞊びは若い人が居なくなっお、今では高霢者ばかりの「幎寄り通り」になっおしたったわ』ず笑いながら蚀っおいた。

     䞡芪の介護に入り実家に匕っ越ししおから、久しぶりに近所の小池さんに䌚った。
    小池さん倫婊には子どもさんがいなかった。
    い぀も私たちの戊いごっこを芋ながら、
    ニコニコしお目を现めお倫婊で芋守っおくれおいた。
    『矎咲ちゃんは、い぀もこの道を男の子達ず走り回っおたなぁ〜。い぀もおばちゃんは「危ない」ず蚀っお、あんたの事を怒っおたもんやわぁ〜。本圓にあんたはお転婆さんやったわ〜笑』ず懐かしんでくれた。
    『もう、この通りは「幎寄り通り」になっお幎寄りばかりやわ〜。矎咲ちゃんが垰っおきおくれお嬉しいわ〜』ず喜んでくれた。
    道で䌚う床に小池さんは、父や母の身䜓の事を心配しおくれおいた。
    そんな小池さんも、もう80歳を過ぎおいた。
    倫婊2人で協力しながら仲良く暮らしおいたのだった。
    家の隣には藀井さん。前には本田さん。
    斜め前には豊原さん。
    皆んな1人暮らしだった。

    3人はい぀も『あんたの身䜓が心配や。頑匵り過ぎたらあかんよ〜。䌑める時は䌑みや〜』ず私を心配し励たしおくれた。
     実家の庭には倧きな玅葉の朚があり、毎幎毎幎ず赀く圩り秋を知らせおくれた。
    たた、怍朚が趣味な父は、倧きな玫陜花や梅の朚など色々な花を庭に咲かせおいた。
    実家に戻っおからは、庭の花の手入れや毎日の氎やりは私の仕事になった。
    冬は手が悎んだ。。。倏は蚊に刺されお倧倉だった。

     幎に䜕回か、衚の庭ず裏庭の玅葉の朚や玫陜花を䌐採するのも私の仕事だった。
    ノコギリずハサミでの䌐採も日䞭かかったが、父が『お〜。綺麗になったな〜。京郜の料亭の庭みたいや〜』ず
    ニコニコしお喜んでくれるのが嬉しくお毎幎頑匵った。
    毛虫が倧量に発生した幎は、身䜓䞭を刺されおしたい皮膚科に通った時もあった。
    衚の庭の玅葉の枝が倧きくなり過ぎおしたい、高い脚立に乗り、ノコギリで切っおいるず近所のおばちゃん達が集たっおきおは、
    『あんたは倧人になっおも、
    男みないやな〜笑』ず笑っおいた。
    『萜ちたらあかんよ〜。䞋芋たらあかんよ〜』ず
    皆んなが心配しおくれた。
    本田さんや藀井さん豊原さんは、い぀も
    自分の家から枝ハサミを持っおきおは、私が切っお萜ずした枝を现かく切っおはゎミ袋に入れおいっおくれた。
    皆んな足腰を痛めおいお高霢なのに
    私の心配ばかりしおくれおいた。
    皆んなず話しおいる時は本圓に心が枩かい気持ちになれお、い぀も癒されおいた。
    有難い存圚だった。
     
     巊隣には、カッちゃんのおばちゃんが
    1人で䜏んでいた。おじちゃんは数幎前に亡くなっおいた。
    カッちゃん倫婊は歩いお10分ぐらいの所に䜏んでいたが、共働きで忙しいそうだった。時々、ヘルパヌさんが来おくれおいる様だった。
    おばちゃんも90歳も近く足腰を痛めおいた。
    䜓重が重く床転けるず
    なかなか1人では起き䞊がる事ができない。
    カッちゃん家のおばちゃんが䜕かあるず
    盎ぐに私の携垯に電話がかかった。
    『矎咲ちゃん、助けお〜』ず。私は父ず母
    に䌝え、䜕床か助けに行った。
    かっちゃんも、䌑みの日は様子を芋に来おいた。
    私が介護の為に実家に戻っおきお
    5幎ぐらいしおから、おばちゃんは家で
    転倒し腰ず足を耇雑骚折し倧手術をした。
    その埌は、特別逊護老人ホヌムに入所されたのだった。

     数軒先にテッちゃんのおばちゃんが
    䞉男ず䜏んでいた。
    おじちゃんは、早くに亡くなっおいた。
    おばちゃんは母ず同じ幎霢で話し友達だった。
    ご倫婊で小孊校の教垫をしおいた。
    リビングには絵本が沢山あり、
    テッちゃんの家に遊びに行った時に
    おばちゃんがいるず、絵本を必ず1冊は
    貞しおくれた。
    返しに行く床に、たた1冊ず貞しおくれた。
    私にずっお、テッちゃんの家は
    玠敵な倢の図曞通の様に感じおいた。
    おばちゃんは、い぀も綺麗で凛ずしおいた。ずっず尊敬しおいた。

    テッちゃんのおばちゃんは父ず䞻治医が同じだったので、時々は病院で䌚っおいた。
    おばちゃんの身䜓はガリガリで现くなっおいお、歩く姿はフラフラしおいお
    心配だった。
    病院で䌚うず、おばちゃんの手を握りながら話しかけた。おばちゃんはニコニコしお私の手を握り返しながら話をしおくれおいた。
    昔ず同じで凛ずしおいお綺麗だった。
    テッちゃん倫婊も歩いお5分ぐらいの所に䜏んでいたが、共働きで忙しいそうだった。
    倜になるずお嫁さんが倕食を䜜りにきおいたが、昌はヘルパヌさんを頌んでいた。
     
     カッちゃんやテッちゃんず道で䌚うず
    『あの頃は、この道を䞉茪車でい぀も走っおたよね笑』ず昔話に花が咲いた。
    『お互いに、芪を介護しないずいけなくなっおきたよな〜』ず、それぞれに芪を
    心配しおいた。
     
     カッちゃんが数幎前に機転を効かせおくれお、移動スヌパヌを䟝頌しおくれた。この通りに週2回は来おくれる様になっおいた。
    幎寄りばかりの通りも、その時間は皆んな家から出おきお賑やかになった。
    スヌパヌが遠いので、シルバヌカヌを抌しお買い出しに行くのは倧倉そうだった。
    スヌパヌの車の曲🎵が聞こえおくるず、
    皆んなは財垃ず袋を持っお集たっおきおは、パンやお菓子やゞュヌスや野菜だの
    ず、買い物を楜しんでいた。
     『気晎らしに買い物に倖に出る』ず母を䜕床か誘ったが
    『こんな匱った姿を近所の人に芋られたくないから出たくない』ず蚀っお頑なに嫌がるのだった。
    母は、デむサヌビスに行く時しか家から出なくなっおいった。。。
     近所の人は、い぀も父や母を心配しおくれおいた。時々、スヌパヌの車で䜙分に買ったからず
    ゞュヌスやパンなどを私にくれたりもした。
    『あんたが倒れたら、お父さんもお母さんも困るんやからな。しっかり食べお栄逊を摂りや』ず
    私の事も、い぀も心配しおくれおいた。
     なので私も、移動スヌパヌの車では売っおいない品を近所の人に頌たれおは、スヌパヌに買いに行った。
    『私が払っおおくから』蚀っおも、皆んなは『レシヌトをちゃんず芋せお買いに行っおくれるだけで、有難いんやから。
    次も頌みたいからな。しっかり払わせお』ず
    蚀っお、私には払わせおはくれなかった。

    幌ない頃からお䞖話になっおきた近所の方々に察しお本圓に感謝しかなかった。
    皆んな、それぞれの家の前に四季折々に綺麗な色の沢山の花をい぀も咲かせおいた。い぀も手入れをしおいた。
    私も父から頌たれ怍朚の手入れを頑匵っおいた。
    毎幎、氎色の玫陜花は倧きく咲いおくれお、近所の人達からも『綺麗だねぇ〜』ず蚀っおもらえおいた。
    癟合の花は玅く凛ずしお咲いおくれた。
    春には梅の花が癜やピンクに咲き、道行く人が立ち止たっお芳おくれおいた。
    『い぀も花を芋たいから、ワザずこの道を通っおるのよ。この通りは色々な花があっお綺麗で癒されるわ〜』ず喜んでくれおいた。

     本田さんも藀井さんも豊原さんも皆んなが自分達の家の前の通りを
    『幎寄り通り』ず呌んでいた。
    助け合っお支え合う、心の枩かい人ばかりが䜏んでいる「道」。
    『愛の花道通り』だず私は心から思っおいたのだった。

    ㉜【生呜の危機】
     䞡芪ずも病院の怜査で肝臓の数倀が高いず蚀われた。アルコヌル数も高かった。
    䞡芪ずも、もうその圓時は晩酌もなく
    アルコヌルなど飲んでもいなかった。
    医垫から『䞍思議ですね』ず蚀われおいた。
    考えられるのは、ある栄逊ドリンクだった。
    䞡芪は䜕幎も前から、それを薬局で箱ごずたずめ買いをしお毎日2人で飲み続けおいた。
    『飲むず元気になるから』ず、介護に入った頃にも『買いに行っおきお、お願い‌』ず頌たれおいた。
    ある意味、薬䞭毒になっおいた。
    時々に飲むのには良い物かもしれないが、
    䞡芪は匷い思い蟌みが匷く、䜕幎も毎晩本ず぀飲んでいたのだった。
    『本だけ飲たせお』ず2人から毎晩蚀われ続けたが、絶察に飲たせない様にしお、頭から忘れさせた。
     
     しかし粟密怜査の結果、2人は党く同じ様に肝臓の病気に既になっおいた。
    もう完治はしないが、薬で進行を止められるず蚀われたのだった。
    私が実家に来お介護に入り、2人の粟密怜査を頌めたから良かったが、2人だけなら肝臓の数倀が高いずしおも、培底的に調べなかっただろうし、薬局のあの栄逊ドリンクを毎日ずっず飲み続けおいたのだろうず思うずゟッずしたのだった。

     その埌も母は腰の骚折で䜕床か入退院を繰り返した。たた内臓も悪くなっお行き䜕床か手術も繰り返した。その床に付き添い䞖話をした。
    結局、母は口から栄逊が摂れなくなり、
    カロリヌを点滎で入れ病院で過ごさないずいけなくなった。

     真倏の時期に2週間の期限で25件の
    長期療逊病院を芋孊に行っお、母に合う病院を探したくった。床だけ熱䞭症になり倒れおしたったが、
    母に1番合う長期型の病院を芋぀ける事ができ、受け入れおもらえたのだった。
    母は人の奜き嫌いも激しかったが、病院に察しおも色々ず拘りがあり泚文が倚かった為、結局25件芋孊しお、やっず芋぀かったのだった。

     ただ母が車怅子に座れる頃には䜕床も
    病院から散歩に連れ出した。
    点滎のスタンドを車怅子に刺しお、病院の近所の神瀟や公園などを散歩した。
    入院生掻が長くなっおきた頃に、䜕床か
    『倖泊蚱可をもらっお1泊でも2泊でも家に垰る』ず母に蚀った事があった。
    その床に
    『こんな姿を近所の人に芋られたくない。それに垰ったら、あんたらず䜏みたくなっお病院に戻りたくなくなるわ。ちゃんず治っおから垰るわ』ずばかり蚀うのだった。
     そのうちに、母は寝たきりになり車怅子にも乗る䜓力がなくなっおしたったのだった。
    叔母たちから䜕床も電話がかかり、
    『たたには、散歩も連れお行っおあげや』ずか
    『たたには、家に連れお垰っおあげや』ずか、たるで私が家に連れお垰る事を
    拒んでいるかの様に蚀われるのだった。
    次女の叔母は䞀床も、お芋舞いにも来おくれおいない。四女の叔母は、たった䞀床来おくれたぐらいで、母の状態を芋おいない。
    叔母たちず母は、頻繁に電話のやり取りをしおいた。母はプラむドが高い性栌だったので、自分の状態を良い様に蚀い、玠盎には䌝えおいなかったのだった。

    私が䞻治医から説明を定期的に受けおいお母の今の状態を叔母達に電話で説明しおも、党く私の話は聞いおいないようだった。
    叔母達からの電話は、私にずっおはい぀もストレスになっおいた。

     キヌパヌ゜ンずしお䞻治医からずっず説明を受けおきた。
    もう今幎の冬を越せるかどうかず盎感めいた私は、叔母達に電話をし、
    『ただ今なら䌚話も出来るから病院の方に来おもらいたい。母さんが喜ぶから』ず頌んだが、叔母達からは『忙しいからいけない』ず盎ぐに断られたのだった。
     䞀方で、父方の芪戚は、時々お芋舞いに来お䞡芪を励たしおくれた。
    たた私にも『あんたり頑匵り過ぎたらダメだよ〜』ず、い぀も身䜓の心配をしおくれおいた。

     父も転倒から入退院を繰り返す様になっおいた。その床に1人で手続きをしお付き添っおきた。たた内臓面も色々な病気が芋぀かっおいた。幎寄りなので進行は遅いから、盎ぐにはどうこうはないず説明を受けおいた。
     い぀も退院の床に父のADL日垞生掻動䜜的機胜は䞋がっおいた。
    䞻治医からはい぀も『圚宅にしたすか
    それずも老人保健斜蚭に䞀旊入っおリハビリしおから家に垰りたすか』ず確認された。
    兄や叔母達から絶察に斜蚭を反察されおいた為、毎回私は即答で『圚宅でいきたす』ず蚀い切っおきたのだった。
    しかし、父を家に1人では眮いおおけずで
    仕事も行けない日々が続いた。
     そんな時に、たた父が肺炎になり入院した。
    今回は、かなりADLが䞋がっおいた。
    肺炎が治り退院の手続きの時に、たた䞻治医から『家で圚宅にしたすかそれずも老人保健斜蚭で、リハビリしおから家に戻りたすか』ず確認され、私はたた即答で『家に垰したす』ず答えたのだった。
     しかし、そこからは今たでにない地獄の1週間だった。認知症も段階がある。
    党くの完党な認知症ではなかったが、父は91歳を過ぎおいた。
    幎霢盞応に認知も進んでいるず蚀われおいた。
    退院しおからは、オムツをしおいおも
    尿をもらし、服やベッドの垃団がビショビショでも平気で寝おいた。もう皮膚感芚が衰えおいお、服やらシヌツが濡れおいる事にも気付かないのだ。
    人は歳をずるず、皮膚感芚が鈍っおくるず蚀われおいる。なので濡れおいおも感芚がない。酷くなるず熱いのか、冷たいのかも鈍っおきお分からなくなるのだ。
    たた、臭芚も鈍り、臭さも感じない。

    日に䜕床も着替えさせ、シヌツを替え垃団を替えた。ポヌタルトむレにも座らせる事も倧倉になっおきた。
    私が居ない間に䟿をしお、足に䟿が぀いたのも知らずに郚屋を歩きたわっおいた事も䜕回もあった。
    郚屋䞭が䟿で臭くなり、どこに付着しおいるかも分からない郚屋を隅々たで掗剀で拭き回る事が続いた。
    郚屋には、犏祉甚具の手すりがあちこちに付いおいお杖で身䜓を支えながら、
    あちこちを歩いおいた。
    父はゞッずしおいるのが嫌な性分で転倒のリスクも高かった。
    もう目が離せなくなり、買い物も行けないぐらいになっおしたった。
    私は盎ぐに林ケアマネゞャヌに電話をし、退院しおからの1週間の父の様子を现かく䌝えた。
    林ケアマネゞャヌは盎ぐに家に来おくれた。
    『矎咲さん、今ならただ老人保健斜蚭だったら入所の手続きができたす』ず、
    林ケアマネゞャヌの事業所の老人保健斜蚭なら郚屋も空いおいるから入所が出来るず蚀っおくれた。
    特別老人斜蚭は終身になるが、老人保健斜蚭は病院ず家の真ん䞭にあるスタンスで、リハビリをしお機胜がある皋床回埩したら家に垰るずいう斜蚭だった。
    『退院しおせっかく家に垰っおきた父を、たた盎ぐに老人保健斜蚭に行かすのは、可哀想で。。。
    兄や叔母達に䜕お蚀われるか。。。』ず
    返事を躊躇しおいた。
    そんな私に林ケアマネゞャヌは
    『矎咲さん尿を挏らしお、服や垃団がビショビショになっおいおも、お父様は気付かない状態です。そんな時間が長ければ長いほど、お父様の身䜓の䜓枩が冷えおいきたすよ。これは生呜の危機なんですよ‌
    決断を‌お兄様も、叔母さん方も
    老人保健斜蚭なら、たた回埩したら家に垰れるのですから、必ず理解しおくれたすよ‌』ず
    迷っおいた私の背䞭を抌しおくれたのだった。
    父に『リハビリが、もう少し必芁だから、
    頑匵っお治しおから家に戻っおきおほしい』ず蚀うず、父は盎ぐに『わかった』ず承諟しおくれたのだった。
     そのあずは、林ケアマネゞャヌが手配しおくださりスムヌズに入所が出来たのだった。
    䞡芪は、ずっず䜕幎も林ケアマネヌゞャヌにはお䞖話になっおきた。
    私が介護に入っおからも、い぀も盞談にのっおくださり、い぀も色々ず助蚀しおくれた。
    林ケアマネゞャヌのお陰で長幎の䞡芪の介護生掻も乗り切れたず思える。
    感謝しおも仕切れないぐらいに本圓にお䞖話になったのだった。

     その埌、父方の芪戚に事情を説明した。
    皆んなが皆んな『プロに預けた方が良い。
    今たで本圓に良く頑匵ったな。
    矎咲の身䜓の方が心配やった。
    それで良いよ』ず蚀っお私を劎っおくれたのだった。
    しかし、母方の叔母達や兄からは
    『なんで斜蚭なんかに入れたのよ‌』ず 文句を蚀われおしたった。
    叔母達は介護の経隓がない。次女の叔母は姑さんや旊那さんの面倒は芋おいたが、同居の嚘もいお手䌝っおもらっおいたし、父ほどADLは䞋がっおはいない
    状態だった。
    介護は、ポヌタブルトむレにも座らせられない状態になっおからが本圓の介護の始たりだず思った。
     人は誰もが経隓しおいないず、その人の苊劎は分からないのだろう。
    その人の立堎になっお感じる事もできないのだろう。
    しかし長幎1人で圚宅介護し続けおきた私が、ここに来お老人保健斜蚭に預けたずいう事自䜓で、苊枋の遞択だったず分かるはずなのに。。。ず叔母達の蚀葉を聞いお䞍思議に思ったのず同時に叔母達や兄を可哀想な人達だず思えたのだった。

     この事を機に本圓に父方の芪戚達ず母方の芪戚達の物事の捉え方が党く䜕もかもが違っおいるずハッキリず気付いたのだった。
    人は環境の圱響により、䟡倀芳や思考が䜜られおいく。
    どんな人達に囲たれお生きおいくかは
    本圓に倧切だず思った。


    ㉝【有難うシャワヌ】
     母は幌い頃に実母ず離れお暮らしおいお、寂しい思いをしお育っおきた。
    いわゆる「愛着障害」だった。
    心理孊を勉匷しおきた私には母の屈折した心の歪みが芋えおいた。
    人間なら基本「承認欲求」は誰にでもあるず蚀われおいるが母は異垞に匷かった。
     私には、兄の悪口をい぀も蚀っおいた。
    埌で知るのだ、兄には私の悪口を蚀っおいたそうだ。叔母達には私の悪口を蚀い続けおきた。
    家で介護をしおいる私に察しおの文句も叔母達に電話で蚀っおいたらしい。
    あずから叔母達に責められた。
    母が物事を歪たせお捉え、たた倧袈裟に蚀っおいた事が分かったのだった。
    嚘には、兄ず私の悪口を蚀っおいた。

    ぀たり母は、同情しおもらう事で『愛を埗おいる』ず勘違いをしおいたのだった。
    嚘に盞談するず『䞭孊の時に、そんな同玚生がいたよ。AさんにはBさんの悪口を蚀い、BさんにはAさんの悪口を蚀う。続ける事でAさんずBさんの仲が悪くなっおいったの。
    でもい぀かはバレおAさんずBさんは仲盎りし、その本人は離れお行ったけど、たた別の同玚生に同じ事をしおいたよ』ず。
    ぀たりこれが『愛着障害』なのだ。
    『承認欲求』が匷すぎお、人間関係を䞊手く築けおいけないのだ。
    母は確実にそれだった。
    兄ず私の仲が悪くなる様に仕向けおいたのだ。
    たた近所の人にも良い面ばかりを芋せお本音を蚀わないずころがあった。
    母は自分が傷付かないようにバリアを匵り、人に本音を芋せない。
    そしお自分がいかに可哀想かを䌝えお
    同情を埗る。
    䞍足な郚分ばかりに目がいき、呚りに
    感謝ができないでいた。
    蚀葉では『有難う』ず蚀っおも、
    埌から、その人の悪口を蚀う。
    ものすごく屈折しおいる人だったのだ。
    母の匱さが、そうさせおいたのだ。

    そんな母の匱さを知り、愛しおあげたくなったのだった。
    人を倉えようずしおも、人は倉わらない。
    人を倉えるのは䞍可胜なのだ。
    束䞋幞之助さんの蚀葉に「䞻䜓倉容」ずある。
    郚䞋を倉えようずしおも倉わらないず蚀った蚀葉だ。
    本人が自分から気付き、自分から倉わろうずしない限り、人は倉わらないのだ。
     たた「北颚ず倪陜」の童話にもある。
    北颚ず倪陜が、どちらが先に旅人のコヌトを脱がせる事ができるか勝負する事になった。
    先ずは北颚からだった。
    旅人のコヌトをいくら脱がせようずしお、
    北颚が匷颚を䜕床も吹き
    突颚を吹かせたがコヌトは脱げない。
    脱がせたいはずが、旅人は寒がり、
    もっずしっかりずコヌトを身にたずうのだ。

    だが倪陜は無理に脱がせようずはしない。
    ただ倪陜の光で照らし続けるだけなのだ。
    するず旅人は暑がり、自分からコヌトを脱ぐずいう話しなのだ。
    私は母の倪陜になりたいず思ったのだった。
    母は、きっず幌ないたんたの未熟な心で育っおしたったのだ。心が冷え切っおいるのだろう。
    人の悪口を蚀う人は無意識に自分を正圓化しおいるのだ。自分は立掟なんだず
    無意識に呚りに誇瀺しおいるのだ。
    自分に自信がある人は、人の悪口や陰口は蚀わないのだ。母は自分に自信がないたた育っおきたのだろう。
    そしお無意識に自分自身で心の穎を埋めお安定させようずしおきたのだ。
    自己肯定感が䜎い人ほど人ず自分を比范する。
    たた人の目を意識する。
    人の評䟡の䞊に自分がいるのだ。
    「自分軞」が党くなく「他人軞」で
    生きおいるのだ。

    そしお、嘘を぀いおでも自分は可哀想な人間なのだず蚀い、人から同情しおもらう。
    同情を愛だず錯芚しおしたっおいるのだ。
    ぀たり母は自己肯定感が䜎く、劣等感を持ったたた育っおきお、誰よりも「愛」を求めおいたのだ。

    もしかしたら祖母も同じ様に自己肯定感が匕くかったのかもしれない。
    祖母の生い立ちたではハッキリず把握しおはいないので䜕ずも蚀えないが、少しだけ聞いた情報では、祖母も幌少期から苊劎しお育ったずは聞いた事があった。若い頃は身䜓も匱かった。
    幌い母ず次女の叔母を育おられなかったのは時代や様々な事情もあったみたいだが、祖母の身䜓の匱さや心の匱さも芁因の䞀぀だったず思う。

    祖母ず母は顔も性栌も䌌おいた。
    2人で色々な人の噂話や悪口を蚀っおいるのを子どもの頃から䜕床も聎いおいた。

    䞍思議だが芪子や家族は、物事の捉え方や考え方、思考が䌌おくるのだ。
    そしお連鎖しおいくのだ。
    これは環境が圱響する。たた遺䌝子レベルで䌌おいる面もあるのかもしれない。

     倚くの研究で専門家は「盞合䜜甚説」ずいう考え方をずっおいる。
    これは「人の特城は、遺䌝ず環境が圱響し合いながら圢づくられる」ずいう説。
    ぀たり䞡方ずも圱響しお育぀が、環境を倉えれば人は倉わるのだ。
    自分で倉えようず思えば人は倉わるのだ。
    これこそが「䞻䜓倉容」だ。

     父は昔から「男尊女卑」の考え方が匷く
    人ず人に差を぀けおいた。
    私は小孊生の頃から「道埳」の授業で習っおきた様に「人ず人は平等」だず思っおきた。
    䞡芪や兄が人を差別する発蚀をしおいおも「3人は間違っおいる」ずずっず心に思っおきたのだった。
    その事に぀いお少し意芋を蚀っおしたった時『子䟛の癖に生意気だ💢』ず怒られたので、もうい぀も黙っおいるしかなかったのだった。

     小孊生の頃から、私の考え方や䟡倀芳ず䞡芪や兄の考え方、䟡倀芳の違いにハッキリず気付いおしたった。私は家族に染たらなかった。
    それはそれでしんどかったのだ。
    疎倖感を持ったたた育っおきた。
    家族を尊敬しおいたかった。
    でも尊敬が出来なかった。
    心の拠り所が私には、どこにもなかったのだった。

     たた父は、機嫌は悪い事が倚かった。
    高校生の時に甚事で出かけようず玄関を出るず、父が趣味の怍朚の手入れを庭でしおいた。
    ちょうど向かいの池川さんの家に小孊生のお孫さん達が遊びに来おいた。
    駄菓子屋さんから垰っおきおワむワむず話しおいる子どもに向かっお突然に『うるさい💢』ず父が突然怒鳎ったのだった。
    子ども達はシヌンずしお池川さんの家に飛び逃げお行った。
    兞型的な「カミナリおやじ」だ
    子䟛達に察しお申し蚳ない気持ちでいっぱいになった。
    その時の父は、䜕かにストレスがあり機嫌が悪くなり、䜕にも関係ないよその
    子䟛達に怒鳎ったのだ。
    自分で自分の感情のコントロヌルができない人だった。
    私の子ども時代には怖い順番は
    「地震、雷、火事、おやじ」ずいう蚀葉があった。たさに父は「怖いおやじ」ずしお近所では有名だったのだ。
     父が亡くなった時、葬儀で遺圱を芋お
    䜕人かの芪戚が『叔父さんの印象は、い぀も県をギラリず睚たせお、苊虫を走らせた怖い顔の印象しか残っおいなかった。い぀も怒っおいる顔をしおたけど、この遺圱の様に晩幎は優しい顔付きになったんだね〜』ず蚀っおくれおいた。
    父はい぀も怖い顔をしお人を睚んでいたのだ。
     たた極床なせっかちで、埅぀事が出来なかった。自分䞭心で物事は回っおいる感じだった。
    その為に、色々な病院に連れお行く時は本圓に倧倉だった。
    朝から私が䞊び蚺察刞を先に入れお来お、
    昌前に父を連れお行く事を繰り返しおいた。
    それでも順番を少し埅たないずいけなかった。『遅い💢ただか💢』ず怒りだす父だった。
     レントゲン宀の前で埅っおいた時も、
    次に父だず䌝えおいるのに『前のオバさんは
    出おくるのが遅すぎる💢いったい䜕をしおるんだ💢』ず怒りだし機嫌が悪くなった父を宥めるのに必死だった。
    しかし、父の番になるず父の方が誰よりも時間がかかったのだった。
     たた父は倧袈裟な面があった。『腰が痛い痛い、絶察に折れおいる』ず蚎えるので、抱えながら敎圢倖科に連れお行くず、レントゲン宀でも『痛い、痛い』ず隒ぎ出し迷惑をかけおいた。レントゲン技垫の先生が疲れた顔でドアから出お来お『嚘さん、すみたせん。お父様の身䜓を移動させるのを手䌝っおください』ず蚀われたのだった。
    ここたで痛がるのなら絶察に䜕本か骚折しおいるず思ったが、蚺察結果は筋肉痛で骚に異垞はなかったのだった。
    それでも父は倧袈裟に『痛い、痛い』ず病院䞭に響き枡る声で叫んでいた。そんな父を宥めながら抱えお歩いた。
    ナヌスが私の耳元で『嚘さん、い぀も倧倉やね〜』ず囁いた。
    その敎圢倖科は母の時から、ずっず通っおいた病院だったので顔銎染みだった。
    本圓に父も母も痛さに匱い人だった。

    父の頑固さ難しさは、近所でも病院でもデむサヌビスでも有名だった。
     父方の芪戚に父の歊勇䌝を話すず、
    䌯父父の12歳䞊の兄よりもマシだず
    皆んなが笑っお蚀うのだった。
    䌯父は、確かに頑固で難しい面があるず芪戚の䞭では有名だった。
    䌯父の歊勇䌝を聞く床に、父の難しいさ頑固さはマシに感じ、介護を頑匵っおいこうず思えたのだった。笑

     䞡芪ずも昔から『有難う』が玠盎に蚀えない人達だった。心からの『有難う』の蚀い方を知らない2人だった。

     介護に入っおから、先ず母に子ども時代からずっず疑問に思っおきた事を確認した。
    『私の出生に秘密はない今曎、䜕を蚀われおも平気だから真実を話しお欲しいの』ず蚊いた。
    その頃の母はただ、ベッドやタンスや手すりなどを支えにしお歩けおいた。
    母の介護ベッドがある郚屋から続いおいる奥にタンス郚屋があった。
    タンスの奥から私の母子手垳ずぞその緒を出しお枡しおくれた。
    『あなたは私が産んだ子よ』ず蚀うのだった。
    完党に血が繋がっおいないず思っおいたので、逆にびっくりしたのだった。
    同時に、血が繋がっおいたのにもかかわらず、あんな扱いだった事に残念に感じた。
    私は静かに優しい口調で『いや〜私が感受性が匷かったのもあったんだろうけど、兄ちゃんばかりを可愛がっおいた様に感じおいたから、寂しかったんだよね』ず初めお玠盎に笑っお母に蚀えた。
    するず母は『私も田舎出で、子育おを知らなかったから。でも、あなたも感受性が匷かったのず違うか』ず蚀われおしたったのだった。

     ずっず幌い頃から本圓の䞡芪は別にいるず思っお生きおきた。
    䞭孊生ぐらいからは父の愛人の子で蚳があっお、この家に匕き取られたのかもしれないず疑いを持ち育ったきたのだった。
    でも、介護に入る決断をした時には
    「血の繋がり」などは、もうどうでも良かった。
    血など関係ないず思えおいた。
    育おおくれた恩がある。
    食べさせおくれた。郚屋を䞎えおくれた。
    恩返しがしたいず思っおいたのだ。
     
     埌から知ったのだが、母は兄に電話で
    『矎咲から、母さんの育お方が悪かったず責められた』ず蚀っおいたのだった。
    母ず兄は、ずっず共䟝存の関係で毎日の様に電話をしおいた。
    たた叔母達にも電話をしお『矎咲に責められた』ず蚀っおいたらしい。
    兄や叔母達から同情しお欲しかったのだろう。
    『育おおきた芪を責めるなんお、なんお恩知らずな子なの‌姉さんが可哀想や‌』ず埌から叔母達に責められたのだった。

    父も母も『有難う』ず感謝が玠盎に蚀えない人だった。
    人の奜意的な態床には、必ず裏があるず
    疑いを持っお人ず接しおきおいた。
    人の裏を読もうずするのだ。
    だから、芪戚や近所の人が垰った埌に
    必ずその人の悪口や噂話をしおいた。
    子䟛時代からそんな䞡芪を芋お、
    「裏があるのは、あなた達だよ」ず
    心の䞭で叫んできたのだった。
    人は自分の心のフィルタヌで人を芋るず
    蚀われおいる。
    自分自身の心が曇っおいたら、盞手も
    曇っおいる様に芋えるのだ。
    盞手が裏がある様に芋えるのは、
    自分に裏があるからなのだ。
    盞手に二面性がある様に感じるのは、
    自分に二面性があるからだ。

    私は毎日毎日『有難うシャワヌ』を䞡芪に济びせた。
    食残さずに食べおくれた事に察しお
    『食べおくれお有難う』ず蚀い続けた。
    ポヌタルトむレに座っおもらう時も、
    『しっかり持っお立っおくれお有難う』
    着替えおもらう時も『脱がせやすかったよ、有難う』『オムツ替えやすかったよ有難う』ず日に䜕回も、こちらから䌝えたのだった。
    するず段々ず父ず母から
    『有難う』ず蚀っおくれる様に倉わっお
    きたのだった。
    私が䜜る食の食事を『矎味しかった。ご銳走さん。有難う』ず父が蚀っおくれる様になったのだった。
    父は毎食、䜕を出しおも文句も蚀わずに残さずに食べおくれた。私はそれだけで嬉しかったのに『有難う』を蚀っおくれる様になっおいたのだった。
     
     母は、私が幌ない頃から『私は母芪に抱きしめおもらった事もないのよ』ず泣きながら話しおきた。
    しかし私も母に抱かれた蚘憶がないのだった。
    私にはメンタヌ心の垫匠がいる。
    党郚の事情を知っおいるメンタヌが
    『母芪に甘えおみたらどうだろうか』ず蚀っおくれた。倧人になっおも、人ぞの甘え方を知らない私を心配しおの蚀葉だった。
    しかし私は『母は残念ながら、そこたでの噚がありたせん。人からの甘えを受け止められないんです。
    甘え方を知らなかった母を、私が甘えさせおあげたいのです』ず初めおメンタヌに反論をした。

     毎晩母の身䜓をマッサヌゞした。
    母は血流が悪く冷え性で身䜓がい぀も冷たくなっおいた。
    私は「生んでくれお、育おおくれお有難う」ず心で䜕床も唱えながら、マッサヌゞを続けた。
    そしおマッサヌゞの埌は、暪になっおいるたたの母を『倧奜きだよ』ずギュッず抱きしめた。
    その床に母は『有難う』ずニコッず笑うのだった。

    病院に入院しおからも、頻繁に通った。
    オムツを買い運び、毛垃や衣類を運んだ。
    倜に寝る時は、ラゞオや奜きな曲を聎いお寝る母の為にラゞカセを持っお行き、曲を遞んだ。
    昌はテレビが友達だった母のために、
    䜕床もテレビカヌドを入れに行った。
    行く床にマッサヌゞをした。
    母は段々ず口数が少なくなっおいったが、
    い぀もニコニコしおいた。
    私が子ども時代の時、怖い顔をしお私を睚んでいた母だったが、病院に行く床に
    『来おくれたのね。嬉しいわ〜。有難う』ず喜んでくれた。
     
     母は段々ず病院で寝たきりになり身䜓も硬くなっお動けない状態になっおいった。
    ナヌスさん方や医垫や色々な方に、お䞖話にならないず䜕も出来なくなっおいった。。。
    その分、沢山の方々に『有難う』ず心から玠盎に蚀える母に倉わっおいったのだった。

    ㉞【最埌の花道、花舞台】
     介護の為に実家に匕っ越しした頃、
    ただ高校生だった嚘も倧孊を卒業し、
    医療の仕事に就き病院で勀めおいた。
    嚘には本圓に苊劎をかけおきた。
    そんな嚘が結婚し、嚘ず婿が挚拶に母に䌚いに病院に来おくれた。
    婿は教垫をしおいた。
    芪戚に教垫が倚い事から『䜕かの瞁だね〜』ず母は喜んでくれた。
    嚘の結婚匏のビデオや写真を嬉しそうに芋おくれお『ひ孫の顔を芋るたでは頑匵るから』ず、い぀も笑っお蚀っおくれおいた。

     ある日の倕方、病宀の窓から倕焌け雲を2人で芋おいた。
    飛行機が飛んでいるのを母が芋぀けた。
    飛行機は倕日で玅く茝いお芋えた。
    2人で倕焌け雲を芋ながら静かな時間を感じおいた。蚀葉など必芁なかった。
    母ずは色々な事があったが、この母を私が遞んで生たれ出来たのだず思えた。
    その時、初めお母ず嚘ずしおの絆を感じた。
    『母さん、生んでくれお有難うね』ず
    玠盎に心から蚀った。
    母の手を握るず现くお癜くお匱々しかった。
    『嚘ずしお生たれお来おくれお有難う』ず母は笑っお蚀っおくれた。
    倕焌け雲が涙で曇っお芋えなくなった。。。

     2024幎の9月の誕生日が、今から思えば最埌の誕生日ずなった。
    東京から息子も駆け぀けおくれお、病宀で倧きな声でハピヌバヌスデむ゜ングを歌っおくれた。
    思えば息子も実家に居る時は、䞡芪の
    介護を文句も蚀わずに手䌝っおくれた。
    その日は、母の倧奜きなひたわり🌻の花を病宀に食った。

     嚘倫婊に元気な男の子が誕生したのは10月の末だった。私にずっおの初孫だった。
    母に報告するず、本圓にひ孫の誕生を喜んでくれおた。
    病院に連れお行っおあげたかったが、
    乳児は病宀に入れなかった。
    その為、倧きな写真を母のベッドの暪に食った。
    母はい぀もニコニコしお、ひ孫の写真を芋おくれおいた。

     次の幎の2025幎1月の末に母は倩に旅立っお行った。

     葬儀では、父方も母方も芪戚皆んなが来おくれた。
    生前に母から預かっおいた手玙を思い出した。
    『最埌に着せお欲しい着物がタンスに入れおあるから』ず曞いおあった。
    2階の和ダンスを探すず、扇に足袋などもたずめお入れおあり「私が倩に召された時に着せおください」ずメモがあった。。。

    党おを歩ける内に準備しお終掻をしおいた母だったのだ。
    たた、兄ず私それぞれに『遺蚀』を曞いお
    1階のタンスに入れおあった。
    そこには色々ず曞かれおあったが、
    「きょうだい仲良く」ず
    たた「お父さんの事をよろしく頌みたす」ず曞かれおあった。
    母は、父よりも先に倩に垰る事になりそうだず感じおいたのだった。

    母が最埌の衣装ずしお自分で甚意したのは薄い氎色の着物だった。
    着せおもらった母は、ずおも綺麗だった。
    葬儀堎に、母の日本舞螊の舞台の時の
    写真を幟぀か食らせおもらった。
    皆んなから綺麗な沢山の花を棺に入れおもらい日本舞螊の垫範ずしお母は綺麗な姿で「最埌の花道、花舞台」を食っお
    倩に垰っお行ったのだった。

    ㉟【9幎間の無償の愛】
     母の葬儀が終わり、今床は四十九日の準備に入った。
    私は母方の叔母達に、日皋を知らせるLINEをした。
    そしお母が入院しおいおた頃の写真を添付した。
    その写真は点滎をしながらだったが車怅子に乗せお、神瀟や公園に散歩に出かけた時の写真だった。
    母が入院䞭に、叔母達からは䜕床も
    『散歩に連れお行っおあげなさいよ‌』
    『たたには家に連れお垰っおあげなさいよ‌』ず
    電話で蚀われ続けおきたのだった。
    なので、散歩に行った時の写真を
    添付しお送ったのだった。

     するずLINEを芋た叔母から盎ぐに返信があった。叔母のLINEを読み私は呆気にずられた。
    「矎咲ちゃん、ごめん。
    こんな姉さんの姿を芋たくなかった。
    こんな写真を送っお欲しくなかった。
    私にずっお姉さんは、い぀も凛ずしおいお優しくお品があった。そんな姉さんの姿を頭に焌き付けおいたかったのに。。。」ず。
    私は䜕故か無性に腹が立っお、
    盎ぐにLINEに返信をした。
    「叔母ちゃん、ごめんなさいね。
    忙しくされおいお母さんの病院に来おもらえない叔母ちゃんに、LINEビデオを繋げるから「母さんず話しお欲しい」ず私から頌んでおきながら、なかなかスケゞュヌルが合わなくお繋げられなくお、本圓にすみたせんでした。
     母さんは確実に少しず぀少しず぀老いおいきたした。
    だけど人が老いる事は、そんなに恥ずかしい事ですか
    今たでの人生を䞀生懞呜に生きた蚌ではないのでしょうか
    母さんは、幎老いお芋た目は倉わっお行きたした。
    だけど私にずっお䞭身は、い぀も凛ずしお品がある母でした。
    姿は倉わっおいっおも、最埌たで母は凛ずしお品がある母でした
    それは亡くなったお祖母ちゃんも同じだったのではないですか」ず返信した。
    祖母は、この四女の叔母の家に居る時に亡くなった。
    内臓に悪いずころは䜕もなかった。
    ただ口癖が『誰にも迷惑をかけないで
    ポックリず倩に行きたいわ』だった。
    少し䜓重が重たかった祖母は、瞁偎で足を滑らせ庭に萜ち、頭を打っおしたい
    本圓にポックリ亡くなっおしたった。
    祖母が蚀っおいた様に、誰にも介護される事もなく、倩に垰っお行った。
    84歳だった。
    なので、この叔母は芪の介護の経隓がないのだ。

    叔母から、盎ぐに返信が来た。
    「ごめんなさい。
    あたりの倉わった姿にびっくりしおしたいたした。
    四十九日行かせおもらいたす」ず
    初めお敬語で返信がきたのだった。

    同じ物事でも、人により捉え方が違うのだ。
    叔母自身も、䜕か自分の䞭の生掻でストレスを抱えおいたから、い぀も私に察しおキツい事を蚀っおきたのかもしれないず感じたのだった。


     父は老人保健斜蚭に入っおからも転倒を繰り返しおいた。
    その床に仕事堎に『病院に連れお行っお欲しい』ず電話連絡があり、急遜で職堎に無理を頌んで
    父を病院ぞ連れお行ったりず続いおいた。
    父の老人保健斜蚭には嚘ず孫を連れお、
    䜕床か䌚いに行った。
    父は「ひ孫」を抱いお喜んでくれた。
    そんな䞭、母が亡くなった。
    父方の芪戚や兄ず盞談し、父には母が亡くなった事を隠す事に決めた。
    老人保健斜蚭のナヌスに盞談しおも、やはり最近は連れ合いがなくなった事を隠す家族が倚いず蚀われた。
    ショックを受けお、食事が摂れなくなり寿呜が短くなる人が倚いらしい。
    仲が良かった倫婊だけにショックが倧きいず思え、父に䌝えない事にしたのだった。
    事実を話すのも蟛いが嘘を蚀うのも蟛い。
    どちらにしおも蟛いのだった。

     ある日、たた携垯に老人保健斜蚭から電話が入った。父が熱を出しおいるずの事だった。
    『酞玠濃床が䜎䞋しおいるので、病院を受蚺しおください』ずの事だった。
    特別逊護老人斜蚭なら斜蚭のスタッフが病院に連れお行っおくれるのだが、老人保健斜蚭は家族が連れお行く事に決たっおいるのだ。
    職堎に蚱可をもらい早退し、父を病院ぞず連れお行った。
    怜査結果は「誀飲性肺炎」だずいうこずで入院になったのだった。
     
    熱が䞋がったかず思うず、たた肺炎になり退院が䞭々出来なかった。
    段々ず父は衰匱しおいった。

    頻繁に父の病院に通った。
    行く床に、身䜓を摩った。
    そしお毎回『矎咲っお玠敵な名前を぀けおくれお、有難うね』ず䌝えた。
    父は毎回『母さんず2人で考えたんや』ず蚀っおくれた。
    『名前っおさ、父さんず母さんが最初に
    くれたプレれントだもんね。父さんの
    名前も玠晎らしい名前だね』ず蚀うず、父は毎回ニコニコず笑っおいた。
    父の病宀の窓から生駒山が芋えた。
    倧阪ず奈良の府県境にある山だ。
    元気な頃は1人で生駒山に頻繁に䞇歩蚈を぀けお登っおいた父だった。
    足腰を痛めお登れなくなっおからも、
    生駒山を毎日に䜕床も眺めおいた。
    病宀の窓から2人で、父の倧奜きな
    生駒山を芋た。
    空の青さず生駒山の緑のコントラストが
    玠晎らしく綺麗だった。
    『今日も生駒山、綺麗だね〜』ず蚀うず
    父は『うん』ず静かに頷いた。
    父ず嚘の2人だけの時間が静かに穏やかに流れおいた。
    私は「今」ずいう「時」を倧切に心に刻んだ。
    ふっず母の病宀の窓から母ず2人で芋た
    倕焌け空を思い出したのだった。。。

    父はい぀も『母さんは元気か』ず母の
    心配をしおいたのだった。
    母が入院しおいた頃は、頻繁に父を連れお行っお母に䌚わせおあげれおいた。
    母も父も面ず向かっおお互い蚀わないが、
    それぞれが別々に『父さんず結婚しお良かったわ〜』『母さんず結婚しお良かったわ〜』ず満足そうに、い぀も私に蚀っおくれおいた。
    本圓に仲が良い倫婊だった。
    父から『母さんは元気なのか』ず蚀われ
    私は女優になっお笑顔で『うん、元気だよ
    母さんも病院でリハビリ頑匵っおるから、
    父さんも頑匵っお早く治しおね。退院したら
    母さんの病院に連れお行っおあげるからね』ず䌝えた。『そうか。わかった』ず頷いおいた。

    しかし病院に行く床に父が
    『母さんが毎日な倢に出おくるんや〜』ず蚀うのだ。
    『母さん、倢で䜕か蚀っおるの』ず尋ねるず『「あんたも、もう早くこっちぞおいで」っお蚀うんや』ず。。。
    母は父を連れに来おいるず驚いたのだった。
    『父さんが母さんに䌚いたいから倢に出おくるんだよ〜。退院したら、母さんの病院に連れお行くから、先ずは頑匵っお治しおね』ずいうこずしか出来なかった。

    たた次の日に病院に行くず
    父は『ワシの病院は入院費が高いんやろ
    母さんの病院は安いんやろだから母さんは心配しお「こっちにおいで」お毎日蚀っおくるや』ず蚀うのだ。
    私は『母さんの病院も父さんの病院も安いよ。
    だから心配しなくおいいから。
    今ね母さんの病院は満宀なんだよ。
    母さんの病院の郚屋が空いたら
    父さんず母さんを同じ病院にするから、
    もう少し埅っおね」ず䌝えた。
    父は安心しお頷いおいた。

     しかしたた病院に行くず
    『母さんが倢に出おきおな「矎咲に電話しおもらう様に頌んで欲しい」ず蚀っおるんや。電話しおやっおくれ』ず頌たれた。
    『わかった。電話するよ』ず蚀うず、たた安心した顔をするのだった。
    でも実際に倩囜にどうやっお電話しおいいのかわからなかった。。。。
    父さんの倢の䞭に、そんなに頻繁に出おくるなら、倩囜の電話番号を぀いでに教えお欲しいず母に蚀いたかった笑
    次の日に病院に行くず、父は開口䞀番に
    『母さんに電話しおくれたか』ず蚊いおきたのだ。
    『母さん䜕お蚀っおなんや䜕の話や』ず。
    『母さんは「私も病院でリハビリ頑匵っおるから父さんにも頑匵っお早く治す様に䌝えお」ず蚀っおたよ』ず、粟䞀杯の挔技をした。
    嘘ばかり぀いお心が痛かった。
    『そうか』ず父は安心した顔をした。
    「父さん、ごめんね。本圓の事が蚀えない。ごめんね」ず心の䞭で繰り返し謝るしかなかった。
     病宀から垰る時は父ず毎回『たた来るからね』ず蚀っお握手をした。
    父は『ありがずう』ず笑顔で蚀っお匷く
    握り返しおくれるのだった。
    握手が父ず嚘のルヌティンになっおいったのだった。

     ある日、病院から呌ばれ䞻治医の説明を聞いた。父は入院しおからも、䜕床も熱を出しおいた。『もう「誀飲性肺炎」が慢性化しおいたす。
    自分の唟液でも肺炎を起こすぐらいになりたす。
    なので食事を摂るず危険です。
    もうお父様は埡高霢です。苊したない方法は食事を摂らないで点滎だけにする事です。
    それだけでも1ヶ月から1ヶ月半は生きれたす』ず蚀われおしたった。
    私は事実を受け止められなくお、その堎で泣いおしたった。ナヌス婊長が慰めおくれた。
    兄に盎ぐに連絡をした。兄は『93歳たで生きおくれただけで有難い』ず受け止めおいた。
    父方の芪戚にも䌝えた。
    近い芪戚は皆んな病院に䌚いに来おくれた。
     父は段々ず痩せ现っお行った。
    私は職堎に事情を話し、毎日仕事を早く終わらせお病院に通った。
    そしお毎回、身䜓を摩っお寒がりの父の身䜓を枩めた。
    そしお毎回『矎咲っお玠敵な名前を付けおくれお有難うね。父さんの名前も玠敵な名前だね』
    ず䌝えた。父は『うん』ず声を出しお頷いおいた。
    本圓は『育おおくれお有難う』ず蚀いたかったが、それを蚀うず死期が近づいおいるのを悟らせおしたうず思い、名前にかこ぀けお感謝を䌝えた。
    私からの「有難うシャワヌ」を济びお欲しかったのだ。

     毎回のルヌティンの握手も、匷く握り返しおくれおいたのに、段々ず日に日に匱くなっおいった。
    父から『ありがずう』ず私に毎日蚀っおくれおいたが、その声も日に日に匱く小さくなり、最埌の方は口パクだった。

    段々ず匱っおいく父を看るのは蟛かった。
    でも埌悔だけはしたくなかったので毎日毎日ず1ヶ月通い続けた。
    ある平日、職堎に病院から『危節』の電話が掛かっおきた。
    早退をしお病院に向かった。
    父方の芪戚にも知らせた。
    皆んな「䜕かあったら倜䞭でも連絡しおくれおいいから」ず蚀っおくれた。
    兄も嚘も駆け぀けおくれた。
    父はずっず寝おいたが、䞀旊、父は萜ち着いた様子だった。
    『倚分、この様子なら1週間は倧䞈倫かもな』ず蚀い、兄は倕方に垰っお行った。
    私は倜の10時たでは病院にいるず蚀っお病宀に残った。嚘が倜の6時頃に『私も垰るね』ず蚀った時に父が目を芚たした。
    父は嚘の声に耳を傟けおいた。
    息子が東京から駆け぀けおきたのは
    倜の8時頃だった。
    父はずっず起きおいお、息子の声に耳を傟けお、しっかりず頷いおいた。
    私も父に話しかけた。
    父は絵を描くのが趣味でもあった。
    鉛筆画で鉛筆䞀本で濃淡を぀けお描くのだ。
    倧きな画甚玙に描いた䜜品は80枚を超えおいた。ほずんどが仏像の絵だった。
    『い぀か私が個展を開いおあげるね。沢山の人に芳おもらおうね』ず父ず玄束しおいたのだった。
    思えば、父の最埌の䜜品は
    デむサヌビスで絵の具で描いた綺麗な花
    の絵だった。
    そこには「矎咲ぞ、い぀もありがずう」ず曞かれおあったのだった。。。
     
    もう目も段々ず悪くなっおきおいたので、絵を描くこずもなくなり、デむサヌビスでは色鉛筆で塗り絵をする様になっおいた。
    䜕回か優秀䜜品ずしお遞ばれおいた。
    その頃の父の生きがいは「優勝」しお
    デむサヌビスの壁に展瀺される事だった。
    私は父に36色の色鉛筆をプレれントした。
    父は本圓に喜んでくれおいた。
     
     病宀で目を芚たした父に『父さんの絵、本圓に䞊手だから、私が個展を開いおあげるよ。皆んなに芳おもらおうね』ず倧きな声でゆっくりず䌝えた。
    父は酞玠マスクの䞭で『あ、り、が、ず、う』ず口ぱくで蚀っおくれた。
    それが父の最埌の蚀葉になった。。。

    なかなか寝ない父に
    『寝お倧䞈倫だよ‌倧䞈倫だから‌
    私が぀いおるよ‌
    愛しおるよ‌愛しおるよ父さん‌
    だから倧䞈倫だよ‌』ず蚀った。
    そしお子守唄を歌っお身䜓を摩ったのだった。

    その日の倜䞭に、父も穏やかな顔で倩に垰っお行った。
    2025幎11月の末の事だった。
    仲の良い倫婊だったから母が旅立った10ヶ月埌に父も旅立っおいった。

     葬儀には、父方の芪戚も母方の芪戚も遠くから皆んな来おくれた。
    父ずの玄束を果たすため、葬儀堎に頌み、
    父の80枚以䞊の絵を䞀぀䞀぀食らせおもらった。
    皆んな父の絵を芳お『䞊手いね〜プロみたいだね』だず耒めおくれおいた。
    父の遺圱を芋お芪戚たちが口々に『顔が穏やかになっおいったんだね』ず蚀っおくれた。
    父の遺圱は、優しいく皆んなに埮笑んでいた。
    棺の䞭に、父さんの奜きだった物をいっぱい入れた。
    『父さん、嘘を぀いおきおごめんね。
    本圓は母さんね、父さんより先に䞊に垰ったんだよ。倩囜で母さんず䌚っおね』ず泣いお謝ったのだった。
    同じ幎の2025幎に2人ずも芋送る事になり、寂しくなった。
    そしお同時に9幎間の介護生掻に終止笊を打ったのだった。
    長くお、本圓に倧倉な毎日だったが、
    私の心は枩かかった。
    埌悔など䞀぀もない、粟䞀杯で䞡芪を愛した。
    愛しお欲しかったのではない。
    愛しおあげたかったのだ。
    父ず母は、人に『有難う』をいっぱい蚀える様に倉わっおいった。
    2人は穏やかな顔で旅立っおいったのだ。

    本圓の「愛」ずは、芋返りを期埅しない無条件の「無償の愛」だず思うのだ。
    私は䞡芪を介護しながら「無償の愛」を䞎えられたず思える。
    そしお父ず母も、それを受け取っおくれたのだ。
    私は神様ではない。
    でも、この䞖は「愛」ず「感謝」なんだず思うのだ。
    家族は助け合うものだず思う。
    父ず母を助けたように、もし息子ず嚘が
    助けを求めおきたら私は党力で助けるだろう。
    その為にも自分は匷く倧きな噚の人間でいたい。
    そしお家族だけではなく、他者も助けられる人間になりたいず心から思ったのだった。
    「䞖界は䞀家、人類みな兄匟」ずいう蚀葉がある様に地球の皆んなが助け合い支え合う粟神でいれば、䞖の䞭は平和になっおいく。
    「利他の心」を倧切に
    これからも生きおいきたいず思ったのだった。

     そしお私が介護鬱にもならずに9幎間ずいう長い期間、䞡芪の介護を頑匵れたのも、息子や嚘の協力、支えがあったからだず心から2人に感謝しおいる。
    だか2人には『母さんが、い぀か介護が必芁になった時は斜蚭に預けお欲しい。プロに任せおね。
    介護はしなくおいいから。その為のお金は母さんが貯めずくから』ず䌝えた。
    嚘は泣いお聎いおいた。
    同じ苊劎を息子や嚘には絶察に、させたくないず思ったのだった。
    本圓に倧倉な9幎間だった。
    そしお色々な事を孊ばせおもらった9幎間でもあったのだった。 

     林ケアマネゞャヌの存圚は、本圓に心の支えだった。近所の方々、父方の芪戚たち、友人達、メンタヌの励たしがあったから乗り切る事が出来たのだず思うのだ。
    本圓に1人では無理だったず思える。
    皆には本圓に感謝しかないず改めお思えたのだった。

    ㊱【奇跡〜倧きな愛の様に・自分を抱きしめる】

     子ども時代から、ずっず自分が倧嫌いだった。
    自己肯定感もマむナスだった。
    「矎咲」ずいう名前も倧嫌いだった。
    生たれお来なければよかったのにず、
    䜕床も泣いお育っおきたのだった。
    でも今は、私は私が倧奜きだ。
    䞡芪が考えおくれた「矎咲」ずいう名前も倧奜きだ。
    生たれおきお良かったず心から思えおいるのだ。
    自分で自分を「良く頑匵っおきたね」ず耒めおいる。たた誇りに思えおいる。
    自分で自分を、い぀も思いっきり抱きしめおいるのだった。

     「奇跡〜倧きな愛の様に」ずいう、
    さだたさしさんの䜜詞、䜜曲の歌がある。
    歌詞を抜粋させおもらう。。。

    「どんなにせ぀なくおも、必ず明日は来る。
    ながい ながい 坂道をのがるのは 
    あなた独りじゃない。

    僕は神様じゃないから、
    本圓の愛は倚分知らない。
    けれど、あなたを想う心なら
    神様に負けない。
    たった䞀床の人生に あなたず巡り䌚えたこず
    偶然を装いながら奇跡は
    い぀も近くに居る。

    ああ倧きな愛になりたい。
    あなたを守っおあげたい。
    あなたは気付かなくおも、
    い぀も隣で歩いおいたい。
    ああ倧きな倢になりたい。
    あなたを包んであげたい。
    あなたの笑顔を守る為に倚分僕は生たれおきた」

     この歌を倩にいる父ず母に送った。

     兄から頌たれお、䞡芪の仏壇はこれからも私が守っおいく事になった。
    私は、嚘倫婊の近くに匕越しした。
    朝、仕事に行く時は仏壇に手を合わせ
    父ず母の遺圱に向かっお『行っおきたす』ず蚀い、仕事から垰るず『ただいた〜』ず2人に蚀っおいる。
    い぀も芋守っおいおくれおいる様で寂しくない。

    歩いお10分のずころに嚘倫婊ず孫が䜏んでいる。
    䌑みの日に遊びに行くず、奥から歳半の孫が『ばあば〜』ず蚀っお嬉しそうに走っおきた。
    孫を抱きしめながら「あなたは、ありのたんたのあなたでいいから、人生を思いっきり楜しんでね」ず心の䞭で囁いた。

     孫ず散歩に出かけるず、青空が広がっおいた。
    子どもの頃から、倧奜きな空だった。
    䞀緒に空を芋䞊げおいた孫が飛行機を芋぀けお教えおくれた。
    私は倧空に向かっお、倧きく深呌吞をした。
    そしお心の䞭で、重たかった船の「錚」
    アンカヌを枯に、そっず降ろし、
    しっかりず眮いた。
    そしおこれからは『愛』ず『蚱し』のバトンを、これからの䞖代に出䌚う人党おに繋げお行こうず心に誓った。

    これからが私の新しい人生のスタヌトだず思えたのだった。

    孫に目をやるず。。。
    座り蟌んで䜕かに倢䞭になっおいた。
    芗いおみるず、
    それは蟻の行列だった。。。。。




    ㊲【アンカヌマンずしおの圹割】
     人生ずは、本圓の自分ず出䌚う為の旅だず蚀われおいたす。

    人間圢成の為の土台である家族が
    安らぎの堎ではなく、芋えない棘で心を傷぀ける毒のある環境だったずしたら、その傷は魂に深く消えない刻印を残しおしたいたす。
    なぜ、自分だけが家族の䞭で浮いおいる様に感じたのか
    なぜ、ありのたたの自分を愛しおもらえなかったのか
    なぜ、垞に芪の期埅に応えなければいけなかったのか
    ずっず、あなたも疑問に思っおきたせんでしたか
    匷くお倧きな魂ほど、より困難な課題を遞択し
    生たれおくるず蚀われおいたす。
    あなたが自らの力で闇を光に倉え、愛ず叡智を孊ぶ為に、自らが遞んだカリキュラムだったのです。
    家族や埡先祖様たちが目を背けおきた問題。
    認めたくなかった欠点。
    抑圧しおきた感情。
    あなたが無意識に背負う事になったのです。
    だから、あなたは誰よりも深く傷付き、
    誰よりも孀独を感じおきたのです。
    ドラマや映画のヒヌロヌも、最初から完璧の䞭にいたせん。
    むしろ逆境の䞭に生たれ、詊緎を乗り越えお、自らの匱さず向き合う事で、真の力を手に入れおいく存圚です。
    あなたの人生も、たさにヒヌロヌの旅だったのです。
    あなたこそ、遞ばれた『アンカヌマン』だったのです。

     あなたは幌少期から、ありのたたで生きるこずの蚱可を誰からも䞎えられたせんでした。
    そのため自分が䜕を感じおいお、本圓は䜕を望んでいるのかも分からなくなっおしたった人も倚くいるず思いたす。
    心の䞭に、ポッカリ穎が空いた様な感芚。
    䜕をしおも満たされない、挠然ずした虚しさ。
    人ずの深い繋がりを求めおいながら、
    人を信頌する事が出来ず、衚面的な関係しか築けない孀独感。
    これらの感情は、党お幌少期に健党な愛着関係を築けなかった事から生じおいるのです。
    あなたが悪いのではありたせん。
    感情を麻痺させ自分を消す事で、
    あの危険な環境から自分の心を守っおきたのです。
    あなたの無意識の生存戊略だったのです。
    先ずは、ここたで頑匵っおきたあなた自身をあなたが耒めっおあげおください。
    本圓に今たで良く頑匵っおきたしたね。

    ただ今でも芪を蚱せなくおも倧䞈倫です。
    けれど芪の行いを正圓化するのではなく、
    芪もたた、その芪や呚りから傷぀けられお愛が満たされおいなかったのです。
    傷぀いたたた倧人になっおしたった匱い魂だったず理解する事です。
    この芖点の倉化こそが「蚱し」なのかもしれたせん。
    「蚱し」は盞手の為ではなく、あなた自身を過去の呪瞛から完党に解攟するための鍵になりたす。
    これからは、あなたはあなたの魂が喜ぶ事を遞択しお生きお行けば良いのです。
    あなたが今たでに経隓しおきた
    党おの痛み、党おの苊しみは
    意味がある経隓だったのです。
    あなたは自分の傷を通しお、人の苊しみの深さを理解したした。
    あなたは自分の痛みを通しお、人の匱さず匷さを知りたした。
    あなたは暗い闇を通しお、絶望の先には
    倧きな光があり、可胜性は無限倧だず知りたした。

     䜕故、ずっず孀独だったのか
    誰からも理解されず、努力は報われずに
    生きおきた。
    どれだけ誠実でも、理解しおもらえなかった。
    理䞍尜な蚀いがかりを぀けられた事。
    どんなに頑匵っおも、前に進んでる気がしなかった事もあったでしょう。

    䞀本の竹は䜕幎もの間、地䞊には姿を芋せたせん。
    その間、誰にも知られる事もなく、地䞭に根を広げおいたす。
    倖から芋たら䜕も起きおない様に芋える。しかし、その沈黙の時間に土の䞭でしっかりず根を広げおいるのです。
    やがお竹は空に向かっお䞀気に䌞びるのです。
    人間の魂も、竹ず同じです。
    今たたでの苊劎した経隓から、あなたは
    匷さを孊び、優しさを孊び、本圓の『愛』を孊んでいたのです。
    さぁヌ、これからは『アンカヌマン』ずしお䞀気に光に向かっお翔び立っおください

     あなたは、もうただの傷぀いた人ではありたせん。
    あなたは、その傷を癒しの力に倉えられる『アンカヌマン』なのです。
    あなたの存圚そのものが、呚りの人々ぞの垌望の光ずなりたす。
    あなたが自分らしく自由に生きる姿は
    同じ様に苊しんでいる人の道暙になる事でしょう。
    『アンカヌマン』ずしお、埡先祖から受け継がれおきた負の連鎖を、あなたの手で断ち切るのです。
    そしお、新しい䞖代に『愛』ず『蚱し』を
    繋げおいっおください。
     
     基本、人は人を倉えられないず蚀われいたす。過去ず人は倉えられない
    倉えられるのは未来ず自分だけず蚀われおいたす。
    けれど、自分の捉え方次第では、過去も倉えられるのです。
    今たでの蟛い経隓は、マむナスではなく
    プラスになっおいきたす。
    今たでの困難が、あなたの魂を倧きく匷く綺麗に茝かせおくれたした。
    今たでの苊しい経隓は、党お玠晎らしい財産になるのです。
    あの困難があったからこそ、あなたの噚が広がり匷くなりたした。
    そしお人に圱響を䞎えられる力をあなたは぀けたのです

    「泥䞭の蓮華」
    「蓮は泥より出でお泥に染たらず」ずいう諺がありたす。
    お釈迊さたが座っおおられる蓮の花。
    蓮の花は汚い泥から栄逊を取っお、
    泥の䞭で育ちたすが、その泥の汚れに
    染たるこずなく矎しい花を咲かせたす。
    そしお花を咲かせるず同時に沢山の皮を぀けるそうです。
    私たち「アンカヌマン」は、たさに
    蓮の花ず同じです。
    どんなに混沌ずした環境でも自らは染たらずに枅い心を持ち続けるこずができた
    のです。
    その枅い心で正しい心で『愛』ず『蚱し』を、これからの䞖代に
    䞖の䞭の人たちに䌝えお行っおください。
    沢山の皮をたいお行っおください。

    そしお、これからは自分自身の魂の声に応えお生きおいっおください。
    それこそが、あなたが生たれおきた
    目的、『アンカヌマン』ずしおの
    䜿呜だったのです

    ㊳【負の連鎖の断ち切り方】
     生たれた瞬間から『アンカヌマン』のあなたの魂は、既に物語りを背負っお生たれおきたした。
    ただ蚀葉も持っおいないたたに、䞖界の痛みを感じ取っおいたのです。
    傷぀いた芪から生たれた魂は、芋えない重荷を背負っお、この䞖に降り立ちたした。
    それは偶然ではなく、むしろ䜿呜ずしお䞎えられた宿呜だったのです。
    芪が経隓した悲しみ、喪倱感は無意識に深局心理で子䟛に流れこんでいきたした。
    その流れは運呜ずいう川の様でした。

     アメリカの゚モリヌ倧孊で行われた有名なマりス実隓がありたす。
    芪マりスに「アセトフェノン」ずいう桜の様な匂いを嗅がせながら軜い電気ショックを䞎えるず、その結果、匂いに察しお匷い恐怖反応を芚えたのでした。
    そしお、その芪マりスから生たれた子䟛も、なんずショックを受けおいないのに、同じ匂いに察しお過剰な恐怖反応を瀺したのです。
    さらに孫䞖代にたで、この恐怖反応が遺䌝しおいたのです。
    この研究は、トラりマ䜓隓がDNAずしお遺䌝する可胜性を瀺したのでした。
     たた人間でも、ホロコヌスト生存者の子ども達が、戊争䜓隓をしおいないのに、匷いストレス反応や䞍安を瀺したした。
    虐埅、貧困、差別を
    受けた家系の子ども達が同じ様な痛みや反応パタヌンを持っおいたのです。
    これは「心の痛み」が䞖代を超えお匕き継がれる構造がある事を瀺しおいたす。
    ただ遺䌝するのではなく、䌌たような状況に眮かれた時に祖先ず同じ反応をしおしたうず蚀う事。
    呚りの倧人の圱響を受けながら
    子ども達は育っお行き、思考や考え方、䟡倀芳が䌌おしたうのです。
    母が過干枉で䞍安症だったら、自分も他人に過剰に気を遣い疲れおしたうタむプだったり、たた自分の子どもも、同じ様な傟向があったりする堎合がありたす。
    人は慣れたパタヌンに安心感を感じる様になっおいるのです。
    だから無意識に芪や祖父母ず䌌た環境や
    関係性を遞びやすくなり同じ反応をしおしたう。
    それが連鎖の反応なのです。

    倧切な事は「メタ認知」です。
    これを䜿わない限り、芪や祖父母に䌌通っおしたうのは、構想的に必然ずも蚀えるのです。
    「メタ認知」ずは、自分を自分で客芳芖する事です。自分を俯瞰しおみる事をいいたす。

    先ずは
    ①今たで頑匵っおきた自分を自分で耒めおあげたす。
    ②身䜓を指すっおあげお自分で自分を抱きしめおあげたす。あなたの手であたなの身䜓を摩りたす。これを『手圓』ず蚀いたす
    ③毎朝、鏡の自分に笑顔で話しかけおあげおください。『今日も䞀日䞭、楜しもうね』
    ④毎晩、鏡の自分に『今日も頑匵ったね』ず耒めおあげおください。
    始めは、照れおしたうかもしれたせんが、
    友達に声をかけおあげる様な感じで
    声をかけおあげおください。
    ※蚀葉は呪文です
    䞀日䞭、蚀葉に気を぀けおください
    自分を卑䞋する蚀葉䜿わないでください
    あなたがあなたに魔法🪄をかけるのです
    あなたが発した蚀葉を1番聞いおいるのは
    あなた自身です。
    自分むゞメをする蚀葉は、絶察に蚀わないでください

    ①から④を3週間、玠盎に蚀っお続けられる様になったら、⑀を実行しおください。

    ⑀誰もいない1人の静かな郚屋で、座っお目を閉じおください。
    そしお、幌少期に蟛かったトラりマになっおいる
    堎面を思い出しおください。
    幌い頃の子どものあなたが芋えたしたか
    幌い頃のあなたは今、䜕をしおいたすか
    现かく鮮明に芋えるたで思い出しおください。
    そしお、その幌い頃のあなたに近づいお、
    倧人の今のあなたから、子どものあなたに䜕か声をかけおあげおください。
    子どものあなたが、安心する顔をするたで優しく声をかけおあげおください。
    そしお、抱きしめおあげおください。
    幌い頃のあなたが安心した顔をしたら
    ゆっくりず目を開けおください。
    䜕日続けおも倧䞈倫です。
    倧人のあなたが萜ち着くたで続けおください。
    ある日、トラりマが薄れおいっおいるのに気が぀きたす。

     先ずは、あなたがあなたを癒す事が
    倧切なのです。
    過去の痛みを振り返る行動は、確かに蟛い事です。䞀時的に恐怖心を感じるかもしれたせん。
    芪や呚りから蚀われた蚀葉や、されおきた行動を、たた思い出し蟛くなるかもしれたせん。
    たたは、自分を傷぀けおきた人に察しお、
    もう「蚱し」が出来おいるず思っおいる人は、思い出す事は曎にその人達を責めおいる様な気がしお、抵抗を感じるず思われるかもしれたせん。
    ですが、事実は事実なんです。
    起こった出来事は、事実なんです。
    起こったこずがらこそが真実なんです。
    それは消す事は出来ない事。
    蚘憶から消す必芁もありたせん。
    あなたが、その出来事により傷぀いおきたのは事実なんですから。
    自分を傷぀けおきた人達を「蚱す」ずは
    過去を忘れる事ではなく、事実を
    受け止める事。
    その䞊で「眪を憎んで人を憎たず」ずいう様に、出来事ず人を切り離しお考えたす。
    その人の魂自䜓が、小さくお傷぀いおいたのです。
    そしお出来事に察しおは、もう2床ず
    同じ事が繰り返されない様に、
    もう誰もあなたの様に傷぀く人を䜜らないように、あなたが調敎しおいく。
    ご先祖様からいただいた良いずころは
    残しお、負の歪みだけを断ち切る。
    粟査する調敎係があなたの圹目なのです。
    それが『アンカヌマン』の倧切な圹割なのです。

    先ずは、自分ず向き合う事が非垞に倧切なのです。
    自分の匱さず向き合い、自分の匱さを認め、自分の駄目さを受け入れ、
    ありのたたのあなたを受け入れたす。
    自分の党おを受け止められた人こそが、真の匷い倧きな魂になっおいけるのです。
    自分から自分に向けた『いいね👍』は、莫倧な゚ネルギヌになっおいくのです。
    他者から求めるのではなく、先ずは自分で自分を認めおあげおください。
    自分で自分を『愛』でいっぱいに満たしたす。
    満たされた人が、本圓の『愛』ず『蚱し』を他者に䌝えおいけるのです。

    もし1人では難しい様でしたら
    私に連絡ください。
    家族療法心理カりンセラヌ矎咲が
    お手䌝いさせおいただきたす。

    埡先祖様たちは、あなたに「負の連鎖」を断ち切っお欲しいず蚗したした。
    䜕癟幎ず続いおきた「負の連鎖」を、あなたが断ち切るのです。
    苊しみや悲しみを深く経隓した、あなたは既に匷い魂の持ち䞻なのです。
    あずは、自分ず向き合い、本来の姿を
    思い出すだけで良いのです。
    埡先祖様たちが芋守っおくれおいたす。
    埡先祖様たちにずっおはあなたは、
    この䞖で唯䞀無二の存圚。
    『私達の分たで幞せになっおね』ず、
    あなたに蚗したのです。
    だから先ずは、あなたは自分ず向き合い自分を癒やすのです。

    癒やせたら次は『もう私で、これで負の連鎖は断ち切る』ず決めるのです
    最終走者の『アンカヌマン』ずしお、
    『負の連鎖は断ち切る』ず決断するのです
    そしお、これからは自由に生きおください。
    緑の空気を思いっきり吞っおください。
    空の青さを感じおください。
    あなたが静かな時間を持ち、枩かいお茶やコヌヒヌを飲んでホッず安心した時に、埡先祖様たちは癒されおいきたす。
    あなたが幞せに笑顔で毎日を過ごしおいるだけで、埡先祖様たちは安心し癒されおいくのです。
    それだけで倧䞈倫なのです。

    あずは、次の䞖代に『愛』ず『蚱し』のバトンを繋げおいっおください。
    もし、子どもや孫がいなかったら、
    呚りの人に繋いでいっおください。
    『人類皆きょうだい』だからです。
    本来は䞖界䞭の人が家族です。
    呚りに『愛』ず『蚱し』を繋げおいけば、
    䞖界は戊争もなくなり平和になっおいきたす。

    人が人を倉える事は䞍可胜ず蚀われおいたす。
    『䞻䜓倉容』ずいい、人は自分でしか自分を倉えられないのです。
    䞻䜓的にしか倉えおいけないのです。
    なので誰かに倉わっお欲しいず望んでも、
    人は人を倉えられたせん
    ですが人に圱響を䞎える事はできたす
    人ぞの圱響は『愛』です。
    これが党おの人の根底になりたす。
    『愛』に気づけば、人は動きだしたす。
    人から受けた『愛』ずいう圱響から
    人は自分ず向き合い自分を愛せる様になっおいきたす。
    自分を愛せた人こそが
    人を愛せる様になりたす
    人を蚱せる様になりたす
    党おは『愛』の力なのです
    『愛』ず『蚱し』を䌝えおいく事で、
    地球党䜓の魂の゚ネルギヌが高たるのです。
    その『愛』を率先しお連鎖させおいく事。それが『アンカヌマン』ずしお地球に生たれたあなたの圹目なんです

    これが、私たち『アンカヌマン』の䜿呜なのです。

    ここたで読んでいただき、有難うございたした。
    なかなか1人では、自分ず向き合えない。
    トラりマがなかなか消えないずのお悩みをお持ちの方は、お手䌝いさせおいただきたす。
    家族療法心理カりンセラヌ矎咲
    @053yname
    LINEたでご連絡ください。


































































































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    家族療法心理カりンセラヌ。チャむルドカりンセラヌ。産業カりンセラヌ。自己肯定感UPコヌチ。 自立型人間育成法講垫。絵本䜜家。 䞖の䞭から『いじめや虐埅、ハラスメント』を なくしおいき䞖界🌍の80億人を幞せにしたいずの思いで掻動しおいる。

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