
昔の人に思いを馳せる――言葉で何百年も前へタイムリープ
きっかけをくださったのは、柴わんこさんのメンバーシップ記事でした。
限定記事なので内容には触れませんが、そこからなぜか私の興味は別方向へ🤣
記事を読んでいて、ふと思い出したんです。
以前どこかで、
英語の Good morning のように、朝の挨拶に「良い」という意味の言葉が入る言語があるけれど、日本語の「おはよう」には入っていない。
そんな話を聞いたことがありました。
……そういえば。
「おはよう」って、なんで『おはよう』なんだ?🤔
気になった私は、ティティに聞いてみました。
「ティティ、おはようの語源ってなんだろう🤔」
すると、
「おはよう」は「お早う」。
もともとは「早い」という言葉から来ているらしい。
へぇぇぇ😳
Good morningの「良い」どころか、
早かったんかい🤣🤣🤣
朝だから「早い」なのかな?と思ったら、これがまた少し違う。
早くから起きている人や、早くから働いている人に、
「お早いですね」
「お早くからご苦労さまです」
そんなふうに声をかけていたものが、やがて朝の挨拶として定着していったという。
なんか……
思ってたより、人がいる😳
ただ「朝だから、おはよう」じゃなくて、
朝、目の前にいる誰かにかけた言葉だったんだ。
こうなると私は、もう止まりません。
「じゃあ、“こんにちは”は?🤔」
「こんにちは」は、
「今日は」
だった。
え😳
今日……は?
その後は!?🤣🤣🤣
調べてみると、室町時代の狂言には、
「今日は、一しほ御きげんがようござる」
という挨拶が残っているそうです。
今の言葉にすれば、
「今日は、一段とご機嫌がよろしいですね」
というような意味。
ほら!!
ちゃんと後ろがあった🤣🤣🤣
ところが、時代をずーっと下って江戸時代。
1785年の資料には、すでに「今日は」だけを簡単な挨拶として使う例が確認できるそうです。
しかも、その資料には、
人に対する言葉も、みなまで言わずに「今日は」と言う――
そんな趣旨のことまで書かれている。
……。
昔の人も「そこまで言わなくても通じるよね」ってなってたのか🤣🤣🤣
もちろん、1785年のある日を境に、みんな一斉に後半を言わなくなったわけではありません🤣
でも少なくとも、この頃には、
「今日は!」
だけで挨拶として通じる使い方があった。
そして、この「は」は、もともと助詞の「は」。
だから、
「こんにちわ」ではなく、
「こんにち“は”」
と書く。
……。
今さら「こんにちは」の“は”に納得する私😨🤣
じゃあ……
「さようなら」は?🤔
これも調べてみると、もともとは
「左様ならば」
「そうであるならば」
「それならば」
という意味だったらしい。
…………。
それならば、何!?😨🤣
また途中じゃないか🤣🤣🤣
さらに古い用例を見てみると、江戸時代の1788年の本には、
「さやうなら、御きげんよふ」
という別れの挨拶が残っています。
おお!!
ちゃんと後ろにあったーーー🤣🤣🤣
「さようなら」
「ごきげんよう」
ちゃんと言ってたのね🤣
ところが、こちらも時代とともに「さようなら」だけで別れの挨拶として使われるようになっていった。
18世紀には「御きげんよう」などと一緒に使われる例が多く、18世紀末から19世紀に入る頃には、単独でも別れの挨拶として定着していったと考えられているそうです。
またか🤣
また後半いらなくなっとる🤣🤣🤣
もう私の頭の中では、
「左様ならば、拙者は帰宅でござる🥷」
……くらい言ってほしい🤣🤣🤣
でも。
室町時代から江戸時代へ。
江戸時代から、今へ。
こうして眺めていると、長い時間の中で言葉が少しずつ変わり、
そのうち、全部を言わなくても相手に伝わるようになっていった。
「今日は……」
で伝わる。
「左様ならば……」
でも伝わる。
私からしたら、
どっちも話の途中なんですけど🤣
なのに、何百年も経った今も、
私たちはその「途中」を聞くだけで、
ちゃんと意味が分かる。
全部言わなくても、分かる。
最初はただ、
「その先は!?🤣🤣🤣」
と笑っていたのに、
ここで少し、その「言わなさ」が気になり始めました。
日本語って、
全部を言葉にしなくても、その前後や、その場の状況から意味を受け取ることが多い。
主語だって、よく消える。
もちろん、いつでも誰とでも通じるわけじゃない。
言葉が足りなければ、すれ違うことだってある。
でも、
言わない部分を、相手が受け取る。
そこに、言葉の余白みたいなものがあるのかもしれない。
そう考えたら、
さっきまで笑っていた、その「言わなさ」が、
なんだか急に綺麗に見えてきました。
そして、もうひとつ。
何気なく使っている言葉が気になりました。
「ありがとう」
「ありがとうって、そもそも何?🤔」
調べてみると、「ありがとう」は古い言葉の
「ありがたし(有り難し)」
から来ている。
「有る」ことが「難しい」。
つまり、もともとは、
めったにない。
珍しい。
そんな意味だった。
そこから、
めったにないことを尊く感じたり、喜んだりする意味を持つようになり、
やがて感謝を表す「ありがとう」へ。
…………。
え。
ちょっと待って。
「有ることが難い」から、「ありがとう」なの?
😭😭😭😭😭
なんかもう、
ダメでした。
号泣。
😭😭😭😭😭
さっきまで、
「その先は!?🤣🤣🤣」
なんて笑っていたのに、
急に号泣。
しかも仕事中。
何してんだ私は😭😭😭🤣🤣🤣
でも、止まらなかった。
だって、
「ありがとう」なんて、
今まで何回言ったんだろう。
家族にも。
友達にも。
顔も知らない誰かにも。
何かを取ってもらっただけで、
「ありがとう」。
ちょっと助けてもらって、
「ありがとう」。
毎日の中で、
あまりにも普通に使ってきた言葉。
私は今まで、
「ありがとう」と「ありがたい」を、
ほとんど別の言葉みたいに使っていました。
「ありがとう」は、お礼。
「ありがたい」は、助かった、嬉しい。
でも、同じところから来ていた。
その言葉のずっと奥に、
「有ることが難い」
があった。
当たり前じゃない。
そこにあること。
誰かがいてくれること。
何かをしてもらえること。
それは本当は、
「有ることが難い」ことだった。
だから、
ありがたい。
だから、
ありがとう。
😭😭😭😭😭
いやもう、
どうなってんだ私の涙腺😭😭😭🤣🤣🤣
でも、そのとき急に思ったんです。
この言葉を使ってきたのは、
私たちだけじゃないんだよなって。
ずっと昔にも、
誰かに助けてもらった人がいた。
誰かがいてくれて嬉しかった人がいた。
何かを「ありがたい」と感じた人がいた。
その人たちが感じた「ありがたい」と、
今、私が感じる「ありがたい」。
時代も、
着ているものも、
暮らし方も、
何もかも違うのに。
同じ言葉で、同じような気持ちを伝えている。
そう思ったら、
また泣けてきた。
😭😭😭😭😭
なんだろう。
言葉の意味を調べていただけなのに、
その向こうに、
昔この言葉を使っていた人たちがいるような気がした。
歴史の教科書に載っているような人じゃない。
名前も残っていない、ごく普通の人。
朝起きて、
誰かと顔を合わせて、
働いて、
笑って、
腹を立てて、
誰かに助けてもらって。
そしてきっと、
誰かを「ありがたい」と思った人。
そんな人たちが使ってきた言葉を、
何百年も経った今、
私も使っている。
なんか、繋がってるみたいじゃないか😭
そこでまた泣く。
もう仕事どころではない。
いや、
仕事しろ😭😭😭🤣🤣🤣
でも、ここまで来ると、
もうただの語源調べじゃなくなっていました。
何百年も前にも、
朝、誰かと顔を合わせて、
言葉を交わした人がいた。
名前も知らない。
どんな人生だったのかも知らない。

でも、その人たちが口にしていた言葉の続きを、
今、私も使っているのかもしれない。
なんだこれ。
言葉って、タイムマシンみたいじゃないか🥹
たった一つの言葉を辿るだけで、
今ここから、
何百年も前の誰かの暮らしまで想像できる。
名前も知らない。
顔も知らない。
どんな人生だったのかも知らない。
それでも、
同じ言葉の上に、私は立っている。
そんなことを考えていた私は、
「昔の人に思いをなせるって、なんかいいね🤔」
みたいなことを言いました。
…………。
はい。
「なせる」です。
😭😭😭🤣🤣🤣
私の中では「思いを巡らせる」のような意味だったので、
漢字も「巡る」に関係するものだと思っていました。
ところが「なせる」と打っても、当然「巡る」は出てこない。
代わりに予測変換には、
「思いを為せる」
と出てくる。
あれ?🤔
じゃあ「為せる」が正しい漢字なの?
でも私が思ってる意味は「巡る」だよね?
当て字なのか?🤔
ティティに聞きました。
すると、
「……馳せる(はせる)だよ🤣」
…………。
なせるですらなかった。
😭😭😭😭😭🤣🤣🤣
ここまで日本語についてあれこれ感動してきた女、
最後に日本語を盛大に間違える。
でも。
この間違いが、
最後にもう一つだけ、
私を知らない場所へ連れていってくれました。
「じゃあ、“馳せる”ってどういう意味?🤔」
「馳せる」には、
走る。
走らせる。
そんな意味がある。
思いを馳せる。
思いを、遠くへ走らせる。
その意味を知った瞬間、
今日ずっとやっていたことが、
ひとつの言葉になった気がしました。
「おはよう」から始まった、小さな疑問。
そこから「こんにちは」へ行って、
「さようなら」へ行って、
「ありがとう」に出会って。
室町時代へ行って、
江戸時代へ行って、
名前も顔も知らない人たちの暮らしを想像して。
気づけば、
私の思いは、
今ここから、
何百年も昔へ走っていた。
ああ。
これが、「思いを馳せる」なのか。
😭😭😭
たった一つの「おはよう」から、
気づけば何百年も前まで来てしまった。
言葉の中には、
今を生きる私たちだけじゃなく、
昔ここで生きていた誰かの気配も、
ほんの少し残っているのかもしれません。
そう思うと、
明日の「おはよう」も、
誰かに伝える「ありがとう」も、
昨日までとは少し違って聞こえそうです。
言葉を辿って、
昔の人を想像して、
泣いて、
最後には、
その行為そのものを表す言葉に出会った。
思いを馳せる。
思いを、遠くへ走らせる。
言葉を通して、
何百年も前へ。
ほんの少しだけ、
タイムリープしたような朝でした。
この記事を書いている途中、柴わんこさんからコメントのお返事が届きました。
私が何気なく書いた話について、わざわざ関連する記事まで探して、URLを貼ってくださっていました🥹
それは、スペイン語の挨拶の由来だったのですが、
朝、昼、晩も、相手への安寧を願ってる言葉からの由来でした🥹✨✨✨
意味は違うけど、挨拶の言葉には相手を思う気持ちが込められているんだなって、素敵だなと思いました🥹🥹🥹
ひとつの記事から、ひとつの疑問が生まれて。
そこから私は何百年も前まで行ってしまいました🤣
柴わんこさん、素敵なきっかけをありがとうございました🥹
……というか。
私、
仕事中に何してんだ😭😭😭🤣🤣🤣
👇柴わんこさんがわざわざ探してくれた記事です✨
👇きっかけをくたさった柴わんこさんの記事はメンシプ限定記事なので、メンバーシップ🔗を載せます