
親から愛されなくても、ふつうに育つし。
お父さんがいて、お母さんがいて、わたしのことを愛してくれて。
・・・
そんな家庭に生まれたかったあああ!
なんて、何億回思ったことでしょう。この人生で。
そんな私も、いい歳です。子供はいませんけど、成人した子供がいてもおかしくない歳です。親みたいな歳をして「親のせいで・・・」なんて憂いている自分は、大変みっともないと思う。
生まれる環境は選べません。だけど、大人になったら「どう生きるか」は、自分で選べる。過去の出来ごとを「どう捉えるか」は、自分で選べる。いつまでも「みじめな自分」で在ることを選択してる自分は、本当にきらい。きもちわるいし、はずかしいし、大人げないし、できれば粗大ゴミとして捨てたい。盛大に燃やして、どうか成仏してほしい。
「いつかどっかで『みじめな自分』を手放したい。」
でも、どうしたら? さみしいな。やっぱりどうでもいいや。やっぱりさみしい。なさけないなぁ。なんで私ばっかり? もう手放そう。でもどうやって? さみしくてなにが悪い? なんか、むかついてきた。
こんなふうに、ぐるぐると。さみしさと向き合いつづけた、20〜30代でした。
ほいで、すくすくと、39歳まで育ちまして。ようやく、ようやく。自分の生い立ちを受け入れたというか。「両親のいないさみしさ」と、完全にサヨナラしました。なんだったんだ、あのぐるぐる迷子暮らしは。今はとにかくすこぶる、さわやかな気分なのです。
まじで、なんでもっと早く手放せなかったんだろう。ふり返ってみたら、「手放すことのメリット」に気づくのが、むずかしかったのかもしれない。すごくシンプルなのに。自分と向きあって、時間をかけながら折りあいをつけて、ゆっくりサヨナラするのが「人生」なのかもしれませんね。
「さみしさ」を両手でガシ!!っとつかんで、生きてきた。10年以上かけて、指を1本1本、ゆっくりほどいて。パァ〜ッと宇宙の果てまで飛ばしてやったぜ、という感じです。ちょっとした達成感があります。ああ、身軽。よかった、わたし。
「親がいなくてさみしい」とか「もっと親に愛されたかった」っていう人って、いっぱいいると思います。それ系で悩んでる人に、届いたらいいな。
親の愛とかよくわからなくても大丈夫になった人、ここにいるよ。
いろいろな状況があるにせよ、あなたもきっと大丈夫。これからきっと大丈夫になるよ。そう言ってあげたいのです。今から書くことは、そんなあなたへの手紙であり、過去のわたしへの手紙でもあります。さみしい心が、すこしでも解放されますように。