
祈るように、床を磨く
「いってらっしゃい」
と、送り出すのは、こんなに怖いことだったかな?
成長すれば子育ては楽になると思っていた。
でも違った。
子どもがいくつになっても、その時その時の悩みはある。しかもどんどん高度な悩みになっていく。
最近の悩みは、子どもが車の免許をとったこと。
免許を取って半年。 それでも、初心者マークが眩しい。 事故現場に遭遇したり、救急車のサイレンが聞こえたりすると、どうしてもマイナスなことばかり想像してしまう。 本当は「危ないから、運転してほしくない」
だけど、子どもに「車を運転するな」とは、わたしは言えない。
自分も大学生の頃、お友達と車で旅行に行った。運転しなければ、身につかない技術や感覚もあるだろう。それでも、「何かあったら」という心配が頭を離れない。
そんな葛藤のなかで、せめてもの救いは、子どもが勝手に乗り回すわけではないことだ。
「○月○日に、誰とどこへ行くから車を運転する」
出かける前には、ちゃんと報告してくれる。それだけで、少し安心する自分がいる。
「いってらっしゃい」と笑顔で子どもを見送る裏で、これが最後になったらどうしようと不吉なことがよぎる恐怖。
無事に帰ってくるまで、なんかずっと落ち着かない。
本心としては、GPS付けたいくらい心配している。
途中、「大丈夫かな?」と何度もLINEを見てしまう。
でも、お友達と楽しんでいるだろうに、こちらから都度、無事の連絡を強要なんてできない。
連絡がないのは無事な証拠だと自分に言い聞かせるしかない。
気を紛らわせるために、わたしは無心で掃除をする。
家中を磨き上げて、少しでも良い運気を引き寄せたい。
神頼みのような、切実なげん担ぎだ。
「着いたよ」ってLINEが来ると、「あぁ、無事なのね」と、少しだけ呼吸がしやすくなる。
玄関の鍵が開く音がして、ようやくわたしの肩の力が抜ける。
……これ、いつまで続くんやろ。
気にしても仕方ない、なるようになる!!
心でそう思おうとしているけれど、気にしないようにするのは難しい。
心配しすぎると、親を心配させまいと嘘をつくようになったり、面倒がられたり、親子関係がうまくいかなくなる。
親が「危ないからダメ」と制御したところで、子どもの世界は広がっていく。
親の不安で子どもの経験を奪いたくない。
だから、心配をぐっと飲み込む。
心配しているけれど、その心配を全面に出さないように、
笑顔で「いいやん、楽しそう!!」と言って送り出す。
本当はすごくしんどい。
だからわたしは、今日もまた、祈るように床を磨く。