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母が残してくれたもの──命日を迎えて振り返る

    今日、8月31日は母の命日です。
    9年前の2016年、母は肺がんでこの世を去りました。

    母はいつも笑顔で、近所や友人に畑で採れた野菜や花を
    惜しみなく分け与える人でした。
    その姿のおかげで、母は近所からとても評判の良い人でした。

    しかし当時の僕は、そんな母と素直に向き合えませんでした。
    父が39歳のときの子どもだった僕にとって、
    両親は同年代の友だちの親よりも老けて見えました。
    母が学校行事に来ることが恥ずかしくて、
    「参観日は来なくていい」と言ったり、
    入学式や卒業式でも離れて歩いたりしていました。

    農家だったわが家は、いつも汚れてもいい服装でした。
    僕にはそれが貧乏に見え、母と一緒に出かけることを避けていました。
    お弁当も煮物ばかりで、仕切りの弁当箱は動くため、
    煮物や果物の汁がご飯に染みこんでいました。
    巨大なしいたけが丸ごと入っていた日には、
    思わずゾッとしたことを覚えています。
    周りの子のお弁当は色鮮やかで美味しそうに見え、
    自分の弁当を見られるのが嫌でした。

    そんな僕を、母はどう思っていたのでしょう。
    とっつきにくい子どもだと思ったでしょうか。
    それでも母は、いつも笑顔で接してくれていました。

    母が亡くなってから、僕は年賀状を一切出していません。
    母のいない正月は「めでたくない」と感じるからです。
    そして改めて気づきました──
    母は、この世で唯一「無償の愛」を与えてくれる存在だったということに。

    今の僕の姿を母が見たら、どう言うでしょう。
    「情けない」「恥ずかしい」と言うのか。
    それとも「あなたはあなたの好きなようにやればいい」
    「応援しているよ」と優しく声をかけてくれるのか。

    何も言わず、ただ静かに見守ってくれる母の姿が、今も心に浮かびます。
    生きている間に、もっと素直に接してあげれば良かった。
    そう後悔しています。



     
     
     
    人生、リスタート中。50代、バツイチ。現在は要介護の父と二人暮らし。特別なことがあるわけではないけれど、日々のこと、そしてこれからの人生について、ゆるく書いていけたらと思っています。似たような境遇の方や、どこか共感してくださる方と、ゆるくつながれたら嬉しいです。

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