
【創作大賞2026】鬼才の弔い【ミステリー小説全公開】
あらすじ
小説家である松本康治の元に他界した文学界の巨匠、夏村龍治より招待状が届く。指示された島へ行くと、同じように正体された作家が三人。集められた目的は夏村龍治の財産を見つけ合うという宝探しゲームだった。更にその島には秘密があった。日本の犯罪王と呼ばれた朔明カレンが住んでいたのだ。夏村龍治に小説のアイディアを提供しているという。
ゲームを進めていく中で作家たちが次々と殺されていく。松本康治はヒントとして配られた小説、朔明カレンの助言を元に事件を推理し解決していく。事件の犯人がわかった時、夏村龍治の本当の目的、自分の出生の秘密、朔明カレンの正体が明らかになる。全ての謎を解き明かした松本康治はある決断をするのだった。
本文
偉大なる小説家、夏村龍治先生が亡くなった。先月の四月二十一日のことである。享年八十七歳、死因は肺癌との報道、先生は愛煙家で病状が悪化するまでタバコを吸っていたそうだ。禁煙をする奴は意志が弱い、それが口癖だったらしい。病院に入られてからはあっという間だったとの事。葬儀には文学界、政財界、芸能界など、各界の権力者、有力者、名だたる人物が参列し盛大に執り行われた。私も参列させていただいた。遺影は先生が事前に終活で準備していたもの、書斎で着流しをまとった先生が微笑みながらデスクに頬杖をついている写真、まさに文豪の最期に相応しい姿だと思った。献花は百合だった、先生が一番好きな花だったそう、色も白や黄色やピンク、カラフルな百合に囲まれた祭壇は実に壮観だった。
夏村龍治はミステリー作家として四十代でデビュー、誰も思いつかないトリック、重厚なストーリー、繊細な人物造形、読みやすい文体、小学生からお年寄りまで読めるミステリー作品を次々と発表し、全世代から人気のある作家だった。中でも特筆するべきはその文体である、読みやすいのは当然だが、その作品ごとに別人が書いているように違うのだ。先生曰く、自分の中に色んな人格を創る、例えば女性だったり、少年だったり、その中で作品に一番合うものを選ぶだけ、言葉にするのは簡単だがするとなると非常に難しい作業だ。そしてさらに凄いのは作品が完成するまでのスピードだ、書店のランキングトップテンに先生の作品が二つあるのはザラで、三つ並ぶこともあった。一時期ゴーストライターの疑惑が出たが、裁判の結果、ゴーストライターはいないという結果になった。なぜなら先生は自分が執筆している姿を裁判の関係者全員に見せたのだ。その結果わかったのは異常なまでのタイピングの速さだった。タイピングテストのサイトがあるが、その最高ランクを取るほどだった。どうしてそんなにタイピングが早いのか尋ねられた先生は、老人だって練習すればなんだって出来るようになるんだと照れ笑いをしたらしい。そして先生の、いわゆるアイディア帳も一部の人間に公開した。中身の詳細は伏せられたが、ノートで五十冊近くあったらしい。これに加えて、あのタイピングスピード、全員が納得せざるを得ないという状況でゴーストライターの騒動は終幕した。
先生の死後、四十九日を過ぎたあたりで私にある手紙が届いた。差出人の名前は夏村龍治先生だった。
『拝啓 松本康治 様 突然のお手紙失礼致します。死者からの手紙でさぞ驚かれたことでしょう。安心してください、当然、私はすでに死んでいます。これは生前に書いたものです。亡くなって四十九日が過ぎたらあなたに送るように代理人に頼んでおきました。
さて、本題に移りましょう。私は自分が肺癌だと判明してから自分の死について考えるようになりました、【自分が死んだ後に何を残すかが生きる目的】などという言葉を聞いたことがあります。幸いなことに私は小説をたくさん残しました。死後も誰かの手に渡り、読んでくれることを切に願っています。しかしもう残せないと思うととても残念でなりません。そこで私は思ったのです。自分の死さえも何かの作品に昇華出来ないかと。 私は考えました。死ぬ寸前の体力を全て使って考えました。そして思いついたのがこの手紙です。死んだはずの小説家から届く謎の手紙、ミステリー好きにはたまらない設定ではないでしょうか。もちろんこの手紙で終わりというわけではありません、この手紙には招待状も同封しています。私は十数年前、ある島を買取りそこに別荘を建てました。そこでちょっとしたゲームを行うつもりです。報酬も用意しています、普通に生きていたら手に入らないようなものですよ。でもご安心ください、デスゲームではありませんから。
あなたはミステリー作家だ。それならばミステリーが好きなはず、この謎の手紙、読んでいるうちにだんだん気になってきませんか?日時や場所は同封した招待状に書いてありますのでそちらをご覧ください。予定としては四泊五日、伸びる可能性もあるので準備は入念にした方が良いでしょう。それでは別荘へお越しくださることを楽しみにしております 敬具』
そんな内容に手紙だった。同封されている招待状、二つ折りになっており、赤い色をしていた。赤紙、そんな言葉が思い浮かぶ。
『招待状 松本康治 様
来たる六月六日正午 横江港四番埠頭へ来られたし ミステリーへ誘う船が参ります その船に乗り私の島へいらして下さい 夢のような体験と莫大な報酬をお約束いたします 夏村龍治』
~ 一日目 ~
私はこの謎の手紙と招待状、莫大な報酬という言葉に惹かれ、横江港へ時間通りにやってきた。空にはくすんだ白雲が浮かび、陽光を隠している。埠頭から海を見ると、小さく島が見えた、あの島が目的地の島だ。しばらくすると一台の小型クルーザーがやってきた。迎えの船だろうか。船は停泊すると、一人の男が降りてきた。白髪を短くまとめた初老の男性、漁船には似合わない燕尾服を着ていた。私を見かけると穏やかな表情を見せた。
「松本様でいらっしゃいますか?」 私は首を縦に小さく振った。
「私は夏村龍治様へ長年支えていました執事の黒崎と言います。お迎えにあがりました。さぁ、どうぞ船へ」
私は言われるがまま船に乗り込んだ。黒崎は慣れた手つきで船を動かす。船は埠頭を離れていく。
「埠頭からも見えたかと思いますが、あの島が夏村様所有の島です。今から約二十年程前に先生はこの島を買い、お屋敷を建てられました。名前は七つの鬼と書いて、七鬼島(ななきしま)です」 エンジン音に負けないようにと黒崎が声を張って話す。
「もしかして名無き島と掛けてるんですかね?」
「左様で御座います」
「先生らしい言葉遊びですね」
「ええ、もうすでに他の方々は七鬼島へと到着しております」
「他の方々というのは?」
「招待状にゲームと書いてあったと思います。その参加者のことですね」 そうか、私はてっきり自分だけが行くと思っていたが、他にも参加者がいたんだ。
「ああ、そうでしたね。確かにゲームと書いてありました。どうゆうゲームなんですか?」 黒崎は困ったような顔になる。
「実は私も夏村先生から詳しいことを聞いていないんです。ただこの時間にこれをするように、といった指示をいただいておりまして、今回のゲームのことは何もわからないのです」
「そうなんですか。でもどうして私一人だけ?他の方も一緒に島に行けば手っ取り早いのでは」
「私も思ったのですが、先生からの指示でして。船が小さいので一人一人案内するようにと、また別荘で顔をあわせる方がゲームの演出として良いとのことでした」 船はどんどん進む、海は凪で落ち着いていたが、どうも嵐の前の静けさのように感じてしまい、妙な胸騒ぎがした。
船が島の波止場にたどり着いた。黒崎が先に降り、ビットと柱をロープで繋ぐ。
「さて、ここからは徒歩になります、それほど距離はないのでご安心ください」 しまった、いつもの旅行の感覚でいたから荷物が多い、歩くとなると気持ちがブルーになる。
「荷物、私もお手伝いしますよ」 黒崎が二つ私の背負っていたリュックを持ってくれた。私はスーツケースを運ぶだけになったが、地面が道路ではない以上手で持っていくしかなさそうだ。梅雨の薄曇りの下、砂浜を通り雑木林へ入る。最近雨が降ったらしく、足元が湿っている、ジメジメして気持ちの悪い気候だ。それと相まってスーツケースがどんどん私の体力を奪っていく。名も知らぬ羽虫がまとわりついてくる、虫除けスプレーも持ってくるべきだった。アウトドアへ対する入念な準備が出来ない、普段家から出ないインドア派の弊害だ。
しばらく歩くと、建物が見えてきた。2階建て煉瓦作りの洋館、壁面や列柱に華麗な装飾が施されている。外観はルネサンス様式を取り入れているようだ。クローズドサークル物のミステリーに出てきそうな洋館だった。ミステリーの巨匠の別荘としてはぴったりの建物だ。「到着いたしました」
「普段の運動不足を後悔しています」 執事の黒崎は微笑を浮かべた。
「それでは早速ですが、参加者の皆様と顔合わせをいたしましょう。ついてきて下さい」
黒崎が蔦の模様の入った玄関の扉を両手で開ける。中は外で見ているよりも広く感じた、中央に大きな階段が通り二階まで続いている、その両脇には蔓が撒かれたような紋様の柱が仰々しく立っていた。この柱はゴシック様式だ。左右にも廊下が続いてシンメトリーの構造になっている。私は初代バイオハザードの洋館を思い出していた。黒崎は階段を登らず、右に続く廊下へ歩き出した。突き当たりを曲がった場所にあったドアを開ける。中は実に広々としていた、中央に白く縦長の大きなダイニングテーブルがあり、両脇に椅子が並んでいる。奥に先生の紋付袴姿が描かれた肖像画があった。その前に他の椅子とは違う豪華な装飾がなされた椅子が置いてある。奥にはバーカウンター、ここは食堂だろうか、しかしこんな豪華絢爛な内装、食事が喉を通らなそうだ。
「松本康治様がご到着されました」
その言葉と同時に椅子に腰掛けていた三人の視線が私に向けられた。近づいていくと三人とも見覚えのある顔であることがわかった。
「おや、最後の一人は松本先生でしたか」
まず声をかけられたのは、東村正明、小説家、今年で六十五歳、今年四十周年を迎えるミステリー文学界の重鎮だ。本格ミステリー、社会派サスペンス、また医師免許を持っているため医療ものの小説も人気だ。彼の作品の多くは映画化やドラマ化している。私も彼の小説の大ファンだ、中でも一番好きなシリーズは、主人公の犯罪心理学の教授が従妹の新人刑事とバディを組み、事件を解決する『杉谷教授の事件簿』。
斬新なのは主人公の教授は犯罪を研究したいが為に、犯人を警察よりも早く突き止め、犯人から話を聞いたり、犯人を見逃したりするところ、スピード感のある展開と良い意味で裏切られるストーリーはとても癖になる。最初ドラマだったが、今年映画化するらしい、いちファンとして私も非常に楽しみだ。東村正明は正統派のミステリー作家と言えるだろう。
「まさか彼だとは思わなかったわ」 三人の中で紅一点、宮本夏子、彼女もまたミステリー作家だ。大学生の時にデビューし、幅広い作風で全世代から人気を集めている美人作家だ。女優として映画やドラマに出演することもあった。男女の恋愛を絡めた作品が特に人気で、小説が売れない近年でもベストセラーを出している。最も売れたとされている『夢の蝶、夏も幻』は日本だけではなく、ハリウッドでも映画化された。私は両方見たが、どちらかというと日本の方が好きだった。彼女自身も恋多き作家と言われ、俳優や歌手などの有名人と幾度となく噂になった。夏村龍治先生とも噂になったことがある。今年で五十四歳らしいが、まだ三十代にしか見えない。赤いドレスがよく似合っている。
「これはこれは皆様、お待たせしていたようで申し訳ございませんでした」 私は軽く会釈した。
「全然気にせんでええで、ワシらお菓子つまみながら歓談しとったんや。一人一人、船で運ぶなんて、演出が凝ってるっちゅうか、まぁ、夏村先生らしいわな」 最後の一人、関西弁で丸坊主のこの男は龍川洋一、彼も当然ながらミステリー作家、アンダーグラウンドに住むアウトローが主人公の小説が多い。元々、暴力団員だったという異例の経歴持ちだ。刑務所に入っていたこともある、ヤクザ、半グレ、悪徳警官、マフィア、殺し屋、そんな主人公達がバイオレンスにまみれた世界で活躍し、時には事件を解決する。悪には悪の正義がある、それが彼の座右の銘だ。グロテスクな表現に賛否両論があるが、ファンにとってはそれが癖になるほど心地良い。暴力やグロが続く中で最後に来るどんでん返しはとてもカタルシスがある。まさにピカレスクロマン、悪漢小説、私も彼の著作はいくつか読んだ。最も好きなのは、彼の代表作でもある『下手街』シリーズだ。タイトルは下手人から来ている、犯罪者達の金を巡る争いの中で主人公のヤクザが誰が裏切り者かを突き止めるストーリーだ、ここでネタバレは避けるが、私は彼にまんまと騙された。そう、その場にいたのは全員二十代から活躍しているミステリー作家、現代日本の文学界をリードしている錚々たるメンバーだったのだ。
「あれ?皆さん正装ですね。私はこんな格好で来てしまいました」
夏子は赤のドレス、東村はダークグレーのスーツ、龍川はタキシードを着ていた。
「ああ、ちゃうちゃう。ワシらも普段着で来たんや。この屋敷に貸衣装があって、それを着てるだけや。これもまた演出やろうな。ただ最近太ってきて一番大きいサイズでもきついねん」 龍川がそういうとその場で笑いが起こった。
「そうでした、すっかり忘れてしまっていました。松本様、この隣の部屋にスーツ等が収められている衣装部屋が御座います、そちらでお着替えになってきてください」
「わかりました」 私は荷物を置き、衣裳部屋に入った。そこにはスーツやタキシードの紳士服、ネクタイやベルトなどの小物、女性用のドレスが何十着も収められていた。私はせっかくなので普段着ないようなものを着てみようかと思い、ブラウンを基調としたチェックのスーツを選んで着てみた。しかし鏡で見たところ、絶望的に似合わなかった。二十代にはまだ着こなせないようだ。これを着こなすにはもう少し大人の余裕が必要なのだろう。着こなせるような大人になろうと決意した私はネイビーのスーツを着た、就活生のようだった。部屋に戻り、席に座る。テーブルを中心に二名ずつ左右に分かれる形、私は夏子の隣だった。
「さて、皆様、この度はお集まりいただき誠に有り難う御座います」 先生の肖像画の前に黒崎が立つ。
「皆様、お集まり頂き誠に有難うございます。本来であれば夏村先生本人が挨拶をされたかったと思うのですが、ご存知の通り、先日お亡くなりになりました。そこで僭越ながら私がご挨拶させていただきます」
黒崎が胸元から白い封筒を取り出した、そこから何枚かの紙を取る。
「夏村先生より、皆様へ宛てた手紙をお預かりしておりますので読ませていただきたいと思います」
今回集められた目的、ゲームのルールの説明といったところだろうか。
「親愛なるミステリー作家の諸君、まずは感謝を述べたい。忙しい中集まってくれて有り難う。といっても当日にならなければ揃っているがどうかはわからないのだが、ミステリーが好きな諸君のことだ、まず間違いなく集まるだろう。さて、まず今回の趣旨を説明しよう、招待状にも書いたが、これはゲームだ。宝探しだよ。私の肖像画の裏に金庫がある」 肖像画の裏に隠された金庫、まさにミステリーだ。
「その金庫は頑丈で、まず力ずくで破るのは不可能。アルセーヌルパンでも開けるのに苦労するような金庫だ。だが鍵さえあれば簡単に開く。君たちにはその鍵を探してもらいたい。確実にこの屋敷の敷地内のどこかにある。その鍵を見つけた者には褒美がある。まずこの屋敷と土地だ、金庫の中に権利書がある、それを与えよう。そして、私に入る印税だ。割合については出版社や私の顧問弁護士と話し合ってくれたまえ。そして最後に、私のアイディア帳だ、これも金庫の中にある、小説を書くのにアイディアは不可欠だ、皆、それを渇望しているだろう。まだ本にしていないアイディアが書き留めてある。ぜひそれを有効活用して名作を生み出してほしい。もしかしたら他にもサプライズがあるかも知れないが、それはその時になればわかるだろう」 随分と大盤振る舞いな賞品だ、遺族がいれば無理な話だっただろう。
「ただ、この広い屋敷を闇雲に探すのは骨が折れる作業だ。ヒントを与えよう。ただそのヒントもただ伝えるだけでは面白みもない。だからヒントを短編小説にした。私の遺作だ、後で黒崎から皆に原稿が渡される。それを読んで宝の場所を推理してほしい。一応タイムリミットを設けた。四日だ。四日経てば、この家は売りに出し、印税は寄付されることになる。しかし優秀な君たちならばそのくらいあれば謎を解けるだろう。そしてこの四日間、俗世間との関係を絶ってもらう」 関係を断つ?どういうことだ
「まずこの島には電話などの通信機器がない、そして携帯は圏外だ。島の地下に電波を遮断する装置を設置していてね。スマホ、パソコン、タブレット、電話も使えないしインターネットも使えない。船は四日後にしか迎えに来ない。どうだい?ミステリー愛好家が大好きなクローズドサークルだよ。一度くらい体験してみたかっただろう?でも安心したまえ、ここには食料も十分にある、水道も電気も通っている。さらに君たち作家は仕事場所は選ばない、むしろクローズドサークルを楽しんでみたらいい、デジタルデトックスにもなるだろう」
私は自分のスマホを取り出して見てみた。左上に圏外の文字、おそらくスマホを手にして依頼初めて見た表示だ。
「こんなくだらないゲームする必要があるのか、そう思った人もいるかもしれない。確かに無意味と言われればそれまでだ。ただ、老齢作家が死を悟り、最後の楽しみとして計画したゲームだ。憐み、善意、どちらでもいい、老人のわがままに付き合ってやろう、そんな気持ちで構わない、少しでも君たちのミステリー欲が満たされることを望む。もしかしたら宝探し以外にも謎が出てくるかもしれない。その時は探偵を楽しんでみるといい。その謎を解くことで別の謎を解くきっかけになることもあるだろう。宝が見つけた者の人生に潤いを与えることを願いつつ、この手紙を終えよう。それでは健闘を祈る 夏村龍治」 黒崎が慇懃に手紙をたたみ、胸元へしまった。
「以上が夏村様から参加者の皆様へのメッセージで御座います。手紙の中に御座いました小説については後ほど皆様へ原稿をお配りいたします。またこの手紙についてもコピーした物を同じくお配りいたします」
「なるほど、宝探し、ヒントは小説の中にってことですか」 東村がボソボソっとつぶやいた。
「そうみたいね、この屋敷と印税が宝だなんて、太っ腹よね」
「先生らしいと言えば先生らしいんちゃいますか、それよりもワシはアイディア帳がほしいですわ、このところ行き詰まってますねん」
全員、反応としては薄い気がした。もう少し驚いてもいいような気がするが。
「それにしても、先程から一つ気になっていることがあるんです、黒崎さん」
「何でしょうか?東村様」
「どうして我々なんでしょう。この四人。確かにミステリー作家として活動している四人だ。だけど他にもミステリー作家はいるでしょう。キャリアとしては私と、宮田さん、龍川さんは同じ時期にデビューしているけど松本さんだけ若い、新人賞を受賞されてからそれほど経っていないのでは?」 確かに、言われてみればそうだ。どうしてこの四人が集められた?何か共通点でもあるのだろうか。
「はい、確かに皆様の作家活動されている年数から比べると私は少ないと思います。デビューしてから今年で五年です。他の皆様はほぼ全員四十年近く活躍されていますもんね。夏村先生も大体同じくらいだ」
「ほんまやな、仮にデビューの時期が同じやったとしてもや、共通点がない」
「あら、書いてあったじゃないの。手紙に。宝探し以外の謎って」 宮本が妙に艶っぽい声でそう言った。
「ああ、書いてありましたね、宝探し以外の謎が出てくるかもしれないって。てことはこのメンバーの共通点を探すっていうのも一つの謎、それが分かれば答えに近づくということでしょうか?黒崎さん」 東村が黒崎にそう尋ねた。
「申し訳ありません。私はただ夏村先生から指示を頂いているだけで、謎の答えなどの詳細については何も知らされていないんです。今回のゲームの目的もこの手紙で初めて知りましたから」
「そうだったんですか。失礼しました」
「いえいえ、手紙にありました小説については後ほどお届けいたします。その前に部屋を決めていただきましょう。二階がゲストルームになっています。全てで八つ部屋がございますのでご自由にお選びください。せっかくなので屋敷の案内もしつつお部屋へご案内いたしましょう、私についてきてください」 皆、席から立ち上がり、荷物を片手に連なって歩く。
「このお屋敷は二十五年ほど前に建てられました。コンセプトはミステリーに出てきそうな洋館、ヨーロッパのルネサンス時代の建築を取り入れております。非常に古臭く感じられてしまうかもしれませんが、セキュリティはバッチリです。まず各所に防犯カメラが設置されております」
「防犯カメラなんかついてるんかい、この屋敷」
「ええ、孤島とはいえ島ですから侵入は容易い。この屋敷の中には先生の骨董品のコレクションなど貴重な物が多数御座います。いつ賊が狙ってきてもおかしくない、先生はいつもそうおしゃっておりました。しかしプライバシーに配慮してゲストルームやその前の廊下には設置しておりませんのでご安心を、設置されているのは玄関、ゲストルームの前以外の廊下、階段、倉庫、先程の応接間などです。あと車庫にもついており、屋敷内の警備室で確認できるようになっております」
「車庫?」
この七鬼島に道路なんてなかった。どうして車なんか必要なのだ、思わず口にしてしまった。
「ええ、先生は車の運転はしないので、あくまでもコレクションとしてですが、観賞用とおっしゃっておりました。その車も貴重なものばかりの為、セキュリティに力を入れているのです」 階段を上がり二階へ、中央に廊下が伸び、突き当たりで左右に分かれている。
「それぞれに花の名前がついており、右に4つ、左に4つ、いかがいたしますか?」
「それなら四人ですし、一つ飛ばしで割り振るというのはどうでしょう」 東村はそういうと、全員が賛同した。順番は左側一番奥に東村、一つ飛ばして夏子、右側手前の部屋が龍川、一つ飛ばして私と言った割り振りになった。
「ゲストルームについて、皆様にお話をしておきます。鍵はこちらの鍵で出入りします。部屋の名札が付いておりますので確認をお願いいたします。皆様へお配りいたします。そしてゲストルームの出入りは全て記録されるようになっております」
「どういうことなの?」
「ドアを開けて閉じたとき、その閉じた時間が屋敷の警備システムに記録されるようになっています。ここには来客があまりありませんでしが、それでもたまに客人が来ると、先生はコレクションの盗難を心配しておりました、その為、カメラ以外で何か出来ることはないかと考え、そのようなシステムを導入されたのです。部屋の入出記録と防犯カメラの映像を照らし合わせれば行動は把握できるというわけですね。ちなみに私の部屋にも付いております」
「先生らしいと言えば先生らしい、『緊張探偵』の主人公も心配性な性格でしたよね」
東村がそう言った。そう、『緊張探偵』は先生の作品の中でも、かなり売れた作品だ。主人公は極度のあがり症、そして心配性で不安症、まともに社会生活が送れない彼は探偵という道を選んだ。そんな性格な彼は細かいことが人よりも気になる、些細な違和感から真実を導く物語だ。様々な精神病が作品の中に出てきて、その理解にも繋がる、なかなかの傑作だと私は思う。
「あれは先生の性格の一部やったんかもしれへんなぁ」
「それでは皆様、お部屋の鍵をどうぞ、荷物を置きましたら再度ここに来ていただけますか?」
それぞれの部屋に散らばる。私の部屋の名前はアネモネだった、コインロッカーで産まれた男の子と仲良くなれそうだ。部屋の鍵を開け、中に荷物を下ろす。部屋はグレードの高いビジネスホテルの部屋といった感じだった。それでもダブルベットが部屋の角にあり、大きな窓があった。衣装棚やソファにテーブル、テレビに冷蔵庫、別にトイレとバスルームもあった。アメニティも豊富、ここで十分生活出来そうだ。
再度集合し、再び黒崎についていく。階段を降りて1階へ。
「ここは黒崎さん以外の使用人はいないんですか?」 疑問に思っていたこと尋ねてみた。
「前はいたんですが、先生ともめて全員辞めてしまいました。ですので晩年は私と二人で暮らしてことになります。二人で暮らすには広すぎる場所ですね」
「黒崎はんはいつからここで働いてるんや?」
「私は約二十年程、ここで執事として働いております。元々、別のお屋敷で働いていたのですが、そこの当主が亡くなり、職を探していたとき、【家政婦、男女問わず】の募集がありまして、条件も良かったので応募したところ、受かったのです。夏村龍治の名前は出てなかったので最初は驚きました。ですが、私には非常にお優しい方で大変よくしてくださりました」 黒崎の声が震える。
「てことは黒崎さんは今回のゲームの勝者に再度仕えるということになるの?」
「ええ、その方が私を気に入ればという条件付きですが」
「まぁ、先生と長くやってた人やしな、仕事はできるっちゅうことやろ、ワシが勝ったら先生よりええ金で雇わせてもらいますわ」
「ありがとうございます」
その後、コレクションの部屋や倉庫、調理室、娯楽室、浴場、書斎、書庫、そして先程話に出た警備室を回った。屋敷内の各所に設置されている防犯カメラの映像が一望出来た。さらに携帯端末があり、ゲストルームのドアの記録の時刻が映し出されていた。その後、車庫に行ってみようという話になった。車庫は外に出て裏手に回ったところにあった。黒崎はシャッターをリモコンで開けると何台もの車が並んでいた。
「先生は高級車にはあまり興味がなかったのです、それよりも映画に出てきた車を揃えるのがお好きでした」
007のアストンマーチン、イーストウッドのグラン・トリノ、テルマ&ルイーズのサンダーバード、パルプフィクションのホンダ・シビックなど、私に分かる限りでも有名な映画の車が駐車されてあった。
「ほぉ、これはすごいな、名車ばっかりだ」 東村が目を輝かせている。
「泥棒の車まであるで」 龍川の方を見ると、ルパン三世がカリオストロの城で乗っていたフィアット500があった。あのカーチェイスのシーンを子供の頃に見て衝撃を受けたのを覚えている、親にDVDを買ってもらいセリフを暗記するほど繰り返し見た作品だ。本物を見れる日が来るとは。
「これ写真撮ってもいいですか?カリオストロの城大好きなんです」
「ええ、構いませんよ。松本様と一緒の写真も撮りましょうか?」 黒崎は微笑み、こう答えてくれた。それから名車達との撮影会が始まった、それぞれが想いを寄せる車とのツーショットを撮った。まさかここに来てこのような体験を出来るとは思わなかった。
「それでは最後に地下室をご案内いたします」
「地下室なんてあるんかいな、ここ」
「ええ、御座います」
「地下室には何があるのですか?」 黒崎に尋ねたところ、彼の表情が曇った。
「牢屋です」
「牢屋って何よ」
「少し説明が必要ですね。向かいながらお話ししましょう。なぜ牢屋があるか、ですが。これは元々屋敷を建てる前から存在していたものです。そもそもこの島は古来から行われていた、いわゆる島流しに使われていた離島なのです。島流しにあった人々は、その島の中で過酷な状況の中、生活を送っていました。しかしその島流しにあった人でも、島民の手には負えなかった人もいます。そういった人物を捕えておく為に作られたのがその地下室です」
「なるほど、島流しっちゅう刑罰を受けてもなお、罪を犯すようなしょうもないやつを閉じ込めてたっちゅうことか」
「はい。先生は島を購入する際、その地下のことを知りながら買われたとおっしゃっ
ていました。良いインスピレーションを得られると、気に入っていらっしゃいました」
「まぁ、確かに刑務所を舞台にした作品は多いし、名作も多数ある。でも普通に人間は牢屋を見る機会はない、あんな牢屋をすぐに見れるなんてある意味、想像力を掻き立てられそうだわ」
夏子がそういうと、皆うなずいた。
「今、その牢屋で生活している方がいるんです」 黒崎の言葉に全員が言葉を失った。
「驚かれるのも無理はありませんね。今、この瞬間も彼はそこにいます」
「それは先生が捕まえて、牢屋に入れているということですか?」 東村が震えた声で言う。
「いえ、違います。彼は望んでこの場所に来ました。どこから調べたのか、ここに夏村先生が住んでいることを知ったらしく、条件付きで自分をここに住ませてくれないかと提案してきたのです」
「図々しい野郎やな、それでその条件っちゅうのは?」
「アイディアの提供です。自分には事件のアイディアがたくさんある、それを提供するので代わりに衣食住を面倒を見てくれと」
「ますます図々しいやっちゃな」
「作家は書けなくなってしまえば終わり、先生はいつもそれを危惧しておられました。ですが、自分の家に他人が居て、かつ勝手に歩き回られるのは気持ちが悪い、そこで先生は彼に地下室の話をしました。彼は実に面白そうだと言い、二人の間で契約が成立しました。これが契約条件です」 黒崎が胸元から紙を一枚取り出した。そこにはど契約条件が記載されていた。簡単に説明すると衣食住は全て先生が面倒をみる、地下室にシャワーやトイレ、本や映画等の娯楽品、快適な生活を送れるように手配する、ただし、地下室の牢屋から出るときは先生の許可が必要、そのため外から鍵を先生が掛けられる、アイディアに関しては月に一度、対面で話した上に書面も提出すること、そんな内容だった。感想としては二人とも異常、そんな印象だった。
「じゃあ、先生はそのアイディアを元に執筆されていたと言うことですか?」 東村が黒崎に尋ねた。
「全てではありませんが、参考にしたアイディアもあったようです」
「でもそのアイディアって何なんや、先生が参考にされるくらいならよっぽどええもんやったんやろな」
「正確にいうとアイディアではないんです。実際起こった事件や未解決事件、事件にもなっていない事件、その情報を彼は先生に提供していました。こちらが地下への入り口です。中はすぐに階段になっておりますので、スマートフォンのライトなどを点けて足元お気をつけください」 地下への入り口は頑丈そうな鉄の両開きの扉だった。鍵は掛かっていないようで黒崎が重そうに開ける。中は真っ暗、黒崎が懐中電灯で照らすと下へと続く階段が見えてきた。
「夏村先生は彼に今回のゲームの内容を伝えたらしく、彼はそのゲームが終わるまでここに残ると決めたようです。参加者の皆様をここで迎えたいと言っていました。恐らく、皆様は彼の名前をご存知ののはず」
階段が終わりに近づくと、明かりが見えてきた。地下室には電気が来ているようだ。
「彼の名前は朔明カレン」 サクメイカレン、その名を聞いたとき、四人の中にある種の緊張感が生まれた。都市伝説が好きな人であれば、一度は聞いたことがある名前だ。犯罪組織の首領、犯罪コンサルタントとして知られ、昨今の日本の重大犯罪には彼の存在があると言われている。恨みを持つ者を唆し復讐者に仕立て上げ、金を産み出す違法なシステムを作り、ヒットマンを育て、禁じられている薬物や臓器、人身の安全な売買方法を構築した、などなど彼の犯罪の功績は数えきれないほどだ。しかしあくまでも噂、都市伝説の類だが、私も一小説家として、彼の存在が本物だとしたら実に興味がある。
「朔明カレン、名前だけは聞いたことがあるわ」
確か名前の由来は『朔』、つまり新月で月の光が地球に届かない暗い世の中でも
『明』るくこの世を照らし、『可憐』に生きたいみたいな意味だったと思う。伝説的な犯罪者には不相応な名だ。
「ワシもや、ただの都市伝説やと思っとったわ、でも夏村先生に情報を提供していたっていう話がホンマならその噂もまんざら嘘でもないかもしれまへんな」 一つ気になっていることを聞いてみることにした。
「でもどうしてそんな人がこんなところに来たのでしょうかね、黒崎さん」
「私も詳しくは知らないのですが、夏村先生曰く、非常に厄介な事態に巻き込まれたため、身を隠す必要があった、その為に来たということでした。犯罪に関わる人でしょうから無理もない話かと思います」 一番下まで降りる。モルタルの床にレンガの壁、突き当たりまで伸びる廊下を挟むように牢屋が並んでいる。ハンニバルレクター博士がいそうな牢獄だ。
「一番奥の牢屋に彼はいます」
一歩一歩、じっくりと歩みを進める。スターリング捜査官の気分だ。一つ、二つと通りすぎると、奥の牢屋の内部がわかってきた、イメージする牢屋より少し広い、中には書棚があり本がずらっと並んでいる、デスクがあり観葉植物やパソコンもある。やはり契約書で見た通り、十分に人並みの生活は出来ている様だ。ロッキングチェアに座っている後ろ姿の男が一人、立ち上がって振り向く。
「初めまして皆様、お初にお目にかかります。朔明カレンといいます。漢字は萩原朔太郎の朔、不動明王の明にカタカナでカレン、趣味は読書と映画鑑賞です」 歳の頃は40代~50代、艶のある黒髪をオールバックでまとめて、端正な顔立ちの紳士だった。濃いブラウンでチェックの模様が入っているスリーピーススーツを着こなす姿は痩せてはいるが、非常に隙がない。甘いマスクの中の目だけが底知れない闇を感じさせる。
「錚々たるメンバーですね、日本の文学界を代表する方々ばかりだ。皆様の著作は拝読させていただいています。東村先生、あなたの『新川教授の事件簿』、次回作を楽しみにしています。宮田先生、『夢の蝶、夏も幻』、あれは日本の恋愛ミステリーの歴史を変えた作品です。龍川先生、『下手街』シリーズ、スピンオフ作品を執筆中だとか、楽しみにしていますのでお身体だけはお大事になさってください」 この犯罪者と私の好みは似ているらしい。
「そして、松本先生。あなたはまだデビューして間もないが、これからのミステリー文学界を背負っていく人材だと思っています。ミステリー新人文学賞を受賞した『鬼才の誕生』、あれはよく出来ていました。あの話の構造は実に考えられていた、伏線も見事だった。今後の活躍に期待しています。もしアイディアがなければ私が提供いたしますよ」 朔明カレンは饒舌に語った、しかしラジオDJの様に低く良い声の為、不思議と心地よかった。
「ネタが尽きたらお願いします」 私は半分冗談、半分本気でそう言った。更に牢屋の中を見てみる、どうやら絵も描くらしく、画材道具が一色揃っているようだった。キャンパスの絵は田園風景だが、わざと輪郭をぼやかして描いている。ウィリアム・ターナーの絵の様だ。更に電子ピアノやプラモデルまである、随分と多趣味な男だ。奥にも扉があった、恐らくトイレやお風呂なのだろう。
「夏村先生のことは実に残念でした。先生とは最初は事件の情報を提供するだけの間柄でしたが、徐々に仲が深まっていき、最後にはまるで親子のような関係になったと思います。父のようで親友のようで、またその言葉の通り先生のような存在でした」
「その先生が亡くなったのに、どうしてまだここにいるのよ。ゲームの参加者に挨拶をしたいって黒崎さんは言ってたけど、本当にそれだけなの?何か他に目的があるんじゃないの?」
「さすが宮田女史、目の付け所が良いですね。このゲームは実は先生と私、二人で計画したんです。先生はご自身の体調が芳しくなく、死期が迫っていることに気がついていました。そこで私はこの契約を誰かに引き継いではどうかと申し上げたんです」
「なるほど、そういうことかいな」
「龍川さん、何かわかったんですか?」
「松本君、先生の手紙にサプライズがあるかも、ってあったやろ?このことやったんや。ゲームの勝者はこの契約も手にいれることができるっちゅうことや」
「小説のアイディアの提供ですか」
「せやな」 確かに夏村先生の作品の元ネタになるような事件の情報、小説家としては喉から手が出るほど欲しいところだ。
「でもちょっと待ってよ。彼が朔明カレンっていう証拠は?黒崎さんのことを疑うわけじゃないけど、契約をするからには証明してほしいわ」
「なるほど、宮田女史の言い分もわかります。確かに皆様にとっては私は初対面、都市伝説の犯罪コンサルタントが目の前の人物だと言われても信じられないでしょうね。ただここで証明するのもなかなか難しいですね。一応、先生の作品の『殺せない銃弾』『紅の双頭』『オカリナの音は虚空に消える』『殺すならダグラスカフェで』
『バイオレント&ダイアモンド』などは私が提供した情報が元になっているのですが、それも証拠にはならないですしね」
「じゃあここで一つ情報を我々に言ってみて下さいや、後で私がそれを買い取りますさかい。せやなとりあえず前金で、五十万出しますわ、その情報が使えるモンならもう五十万。合わせて百万や。タダで五十万は確定やで?ええ話やろ」
「好条件ですね。わかりました。いいですよ。それではお話しします。皆さんは【うたわせ屋】というのを知っていますか?」 全員が首を横に振った。
「これはある業者です。それも政府の機関、警察の一部から業務委託されて非公認で活動している業者なのですが、よく警察の取り調べで白状することをうたうって言いますよね?あれから来ているんです。事件の関係者で真相を喋らない人に対し、拷問や薬物を使用して話させるんですよ。もちろん違法ですが、それをこの国は黙認しているんです。正義の為にと彼らは考えているのです、非人道的なのは言うまでもありません。私の仲間がそのうたわせ屋の被害に遭いました。どうやらある政府機関が私のことを調べていた様なんです。仲間は私に関する情報を話してしまった。命は助かりましたが、一生病院で生活をしなければならないような体にされました。彼は登山が好きな人でね、一生山登り出来ないのならば死んだほうがマシというのが口癖でした。だから殺してあげました。そして私はうたわせ屋を突き止めた、彼は自分のクライアントをすぐに白状した。うたわせ屋が聞いて呆れるでしょう?そして私はそのクライアントに対してどこまで知ったのか、うたわせ屋を使い吐かせた。更に政府機関が所有する私に関する情報を全て削除させた。そのうたわせ屋もクライアントも今はもうこの世にはいません。如何でしょうか?龍川様好みのお話しだと思うのですが」 確かに、小説になりそうなネタだ。
「なかなかおもろかったわ、後で百万持ってきたる」「ありがとうございます。このような話であれば無数に持っています。これで私が朔明カレンだと証明ができたとは思いませんが、信憑性は高くなったのでは?」 その場にいた全員が肯定するような沈黙が流れた。その沈黙の中で私は一つ、ある疑問が浮かんだ。
「あの、一つ聞きたいのですが」
「どうぞ、松本康治先生」
「契約のことは分かりました。でも朔明さんはどうしてまだここに?この地下室にいるんですか?だって先生は亡くなられたわけですから、今、この時点でその契約は無効になるのではないですか?なのにどうしてまだここに?牢屋の外に出たっていいはず、それに鍵がかかっているでしょう、自分の部屋に外から鍵をかけられているのはあまり気持ちが良いものではないと思うのですが」 朔明カレンが清々しい顔を見せる。
「さすがというべきか、松本先生、あなたは頭が良い。目の付け所が良いですね。これからの貴方の著作が実に楽しみです。質問にお答えしましょう。まず契約は無効になっていません。契約の内容に、先生の死後のことも含まれていましてね、夏村龍治が亡くなった後は他の小説家に、他の小説家が決定するまでは代理人である黒崎さんが引き継ぐ、とね。つまり私は今、黒崎さんと契約している状態なんです。この牢屋の鍵は黒崎さんがお持ちです」
黒崎が気まずそうに軽く会釈をする。
「黒崎さんの意志としてはこうです、先生がいた頃のままの状態をキープ。だからこのままの状態でいるんです。何せタダ同然で衣食住の面倒を見てもらい、好きなことをさせてもらっていますからね、当然の話です。それに、私はこの地下室が好きなんですよ。この暗く湿った、陽の差さない空間、居心地が良い。私のような日陰者にとってこんな地下室はピッタリの場所です。それともう一つ、犯罪に散々関わってきている私ですが、実は刑務所に入ったことがないんです。だから贖罪の意味も込めてここで過ごすという意味もあります」
「なるほどね、犯罪帝国の王が心を入れ替えたってことかしら?」
「その通りです。宮田女史。いや、名作家に囲まれてお喋りになってしまいました。皆様、船旅もありお疲れでしょう、そろそろお部屋でお休みになられては?ねぇ、黒崎さん」
「そうですね。それが良いと思います。お食事をご希望の方は私にお申し付けください、お部屋か食堂、ご希望の方へご準備いたします。飲み物などはお部屋の冷蔵庫に様々な種類のものが入っております、コーヒーメーカーやお茶なども御座いますのでご自由にお飲みください。お酒は食堂のバーカウンターへどうぞ」
「何か私に聞きたいことがあればいつでもどうぞ、私はここにずっといますから」
不敵な笑みを浮かべる朔明カレンを後にし、我々はそれぞれの部屋に戻った。
朔明カレンとの対面の後、遅めの昼食を取り、各自の部屋に戻った。私は部屋に戻ると彼に関する噂を思い出していた。朔明カレン、年齢、性別、国籍は不詳。日本犯罪史に突然現れた謎の人物、様々な重大事件の裏で操っていたフィクサー、どんな事件も自分の都合の良いように関係者を操作、誘導、自己の利益に繋げてしまう男、敵もかなり多かったとの噂。名前は本名か偽名かわからないが、由来は知っている。朔という字は新月を表す、つまり地球から見える月と太陽の位置が重なり、月の僅かな輪郭しか見えない状態。夜の光が限りなく少ない状態だ。そんな夜に明るいという字を合わせて、矛盾や混沌だらけの世の中を表しているらしい。カレンというのは確か、映画か小説に出てくる登場人物から取ったはず、タイトルは忘れてしまった。ほとんどがインターネットに載っている都市伝説のようなものだ。ここにインターネットがあれば、もっと分かるのだが、こんな考えに及ぶ以上、やはり私はネットに毒されているのかもしれない。
コンコンとノックの音がした。
「松本様」
ドアを開けると黒崎が立っていた。
「お休みにところ申し訳ありません。こちらをお届けに参りました」 黒崎の手にはA4サイズの紙をまとめた原稿。
「ああ、例のヒントの短編小説ですね。わざわざありがとうございます」
「いえいえ、先生からの手紙のコピーも一緒にお渡しします。朝食は八時となっておりますので。それではごゆっくり」
黒崎が立ち去る。部屋に戻って、ベッドへ腹ばいに寝転がる。表紙にタイトルが書かれている。『名探偵を殺せ!』先生にしては実にストレートなタイトルだった。先生はいつもタイトルにこだわるタイプ、タイトル自体が伏線になっている著作も数多くあった。実に印象的なタイトルが多いイメージだ。しかしタイトルは良い悪いではない、作品に合っているかどうかが重要だ。単純でも複雑でも、作品との調和が大切なのだ。先生がこのタイトルにしたからには間違いなくこの作品は『名探偵を殺せ!』なのだ。
宝探しのヒントを知りたいという部分もあったが、それよりも私としては偉大な小説家、夏村龍治の遺作を読めるというのがとても嬉しかった。夕食まで時間があったため、私は読み進めてみることにした。
『名探偵を殺せ! 夏村龍治』
物語っていうのは、いつ始まるんだろうな。生まれた時、朝起きた時、運命の人と出会った時、因縁の相手に復讐を考えた時、あるところにお爺さんとお婆さんがいた時、色んな始まりがある。死んだ瞬間に始まる物語だってある、その瞬間、瞬間が物語の始まりであって、終わりなんだ。恐らく、俺の事件の場合は、あいつの助手が事務所に来た時だろう。
ここでいうあいつはある探偵のことを指す。名前は三木敏樹、俺はトシって呼んでた。酒が好きなやつだった、好きなくせに弱かった。俺と二人で飲むと、すぐにトシは潰れた。だから払うのはいつも俺だった。俺がタクシーを呼び、乗せてトシの住所を運転手に伝える、それが一連の流れだった。でもあいつは律儀なやつで、その飲み
代、タクシー代を翌日すぐに返してきた。そういうところが俺は気に入っていていた。
弱いと言えばギャンブルも弱かった。競馬、パチンコ、麻雀、裏カジノ、野球賭博、いつも負けていた。ただ、ちゃんと引き際がわかっているやつだったから、借金をしたり、大負けしたりすることはなかった。そんな部分も俺は好きだった。
あとトシを形容する言葉といえば、東北出身、高卒、元警察官、独身、ガサツ、ズボラ、思いつくのはそんなところだ。俺とはほぼ逆の性格だった。だから妙に気が合ったんだと思う。大事なことを忘れていた、もう一つあった。名探偵、トシを表すのにピッタリの言葉だ。
五月下旬、梅雨にもう入ったのかと思うほど雨の日が続いていたある日、俺は事務所で書類を整理していた。ひと段落つき、コーヒーでも淹れようかと思いデスクを離れた時、事務所のドアがノックされた。返事をすると、若い男が一人入ってきた。二十歳前後の中性的な顔立ちの青年、髪は黒髪のマッシュ、ネイビーのジャケットをきており高校生の制服のような格好だった。線が細い彼にはとても似合っていた。彼は関海斗(セキカイト)、トシの助手だ。周りからはカイトと呼ばれている。妙に神妙な面持ちだ。
「なんだ、カイトか。どうした急に」 私はコーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「連絡もせず、突然来てすいません。夏畑さん、三木先生に最近会われましたか?」 夏畑京作(なつはたきょうさく)、それが俺の名前、ナツ、ナツさん、夏畑さん、大体が苗字で呼ばれることが多い。
「トシか、最近会ってないな。いないのか?」
「ええ、一週間ほど前から姿を見せないんです。こんなことは今までなかったんですよ。自分なりに方々探してみたんですが、見つからず。今、この街に起きていることも考えると不安で不安で」
カイトが額の汗を拭う。カイトの言うこの街に起きていること、それはある殺人事件だ。殺されたのは全員、この街に住む探偵、殺し方はそれぞれ違うが、探偵ばかり狙われていることを考えると恐らく連続殺人事件ということなのだろう。カイトはこの事件の被害者にトシがなってしまったのではないかとカイトは危惧しているのだ。
「探偵連続殺人事件か。まぁ、トシも探偵だしな。可能性はゼロではないか。でもあくまでも失踪だよな?死体が出たってことではないんだろう?」
「ええ、確かにそうなんですが」
「警察には?」
「いえ、まだ、先生のことですから、ひょっこり帰ってくる可能性もありますし、とりあえず先生の知り合いを何人か尋ねてみようかと思いまして、まずここに来ました。今後の相談も兼ねて」
「連絡もつかないし、伝言もなかったってことだよな?」
「ええ、夏畑さん、ボク、どうしたらいいでしょう?」
人探しなら、普通は仕事として受けるところだ。だが友達を探すとなると話は別かな。
「カイト、一つ聞くが、これは人探しの依頼か?仕事を俺に持ち込んだってことなのか?」
「え?いや、えっと」
「冗談だよ、冗談。からかっただけだ、報酬は見つかったトシからふんだくるさ」
「勘弁してくださいよ、夏畑さん」 カイトは安心したような笑みを浮かべた。
「それじゃあ、最後にトシと会った日のことを教えてくれ」
カイトは話してくれた内容はこうだった。一週間前の五月十五日、その日は二人とも事務所で仕事をしていたらしい。カイトは会計処理、トシは書類の整理をしていたそうだ。午後になり、トシは人と会うと言って事務所を出た。カイトは定時の六時まで働き、帰った、そして次の日出勤するとトシは姿を見せなかった。二、三日留守をすることはあった為、カイトは最初のうちは気にしていなかった、しかし五日となるとどうもおかしい、心配になったカイトはトシの自宅のアパートに行ったそうだ。トシは一人暮らし、事務所にあった合鍵を使って中に入るが姿はない、トシの行きそうな場所、雀荘や競馬場、パチンコ、裏カジノ、全て回って店に確かめたが、誰一人トシの姿を一週間以内に見ていなかった、そんな話だった。
「それで、どうしようもなくここに来たわけか」 カイトがうなずいた。
「まぁ、状況から考えると例の事件に巻き込まれたか、あるいは別件のトラブルに巻き込まれたかだが。今の段階で例の事件の被害者になったっていうのは考えにくい気がするな」
「どうしてですか?」
「例の事件は確かに探偵を狙った連続殺人だろう。トシが被害者になってもおかしくはない、ただトシの場合死体が出てない。あくまでも失踪だ、あの事件の犯人の目的は探偵を殺すことだと思う。だから死体を隠していない。そのままにしていた。だから明るみに出たわけだろう?だからトシがあの事件の犯人に殺されていれば死体があるはずだ。それがないってことはトシの失踪は別件だろう」
「さすがですね。夏畑さん」
「だから何かのトラブルに巻き込まれたと思う。カイト、一番最近の仕事はなんだった?」
「えっと、不倫調査でした」
「守秘義務に違反しない程度に話してくれるか?」
「はい。夫が妻の浮気を疑って、それの内偵調査をしていました。でも妻に他の男の気配はなかったんです。完全に白でした。夫の早とちりですね。夫に報告もしまし
て、一件落着で終わりました。なのでこの件は先生の失踪とは関係ないと思います」「調査中に何のトラブルもなしか」
「ええ」
「じゃあ過去にトラブルになった案件はあるか?原因はそこにあるかもしれない」 カイトが腕を組み、首を傾げ、考え込む。
「トラブルになった案件はいくつかあります。でも全て先生が丸く治めたんですよね。だから今でも探偵事務所を続けられているんだと思います」
「なるほどな、言われてみたら俺もそうだな。じゃあ仮に、そのトラブルになった案件の中でトシを殺す可能性のあったやつはいるか?」 カイトの表情が曇る。
「しいて言えば、一人いますね」
「どんなやつだ?」
「自分のミスが招いたことなので、あまり話したくはないんですが、先生の為です、お話しします。あれは三年ほど前でしょうか、ボクが仕事を任せられ始めた頃です。それも浮気調査でした。これは妻の方が夫の浮気を疑ったんです。ただこの夫が実に秘密主義な人間で、なかなか尻尾を掴めなかったんです。それで盗聴器を使用することにしました、その妻に頼んで夫の部屋に盗聴器を仕掛けてもらったんです。それが間違いでした。夫は自分の部屋に監視カメラを仕掛けていたんです、すぐに盗聴器の存在がバレ、妻は探偵のことも夫に話した。夫は事務所に怒鳴り込んできたんです、包丁を持って」
「ああ、そういえばそんな話あったな。トシから聞いたような気がする」
「先生は事前に妻の方から夫が事務所に向かったという連絡を受けていましたから、警察が駆けつけてくれたんです。夫は連行され、その後は何もありませんでした。殺しそうな人といえばあの人くらいですかね。でも三年前ですし、今更復讐なんてしますかね?それに確か、逮捕はされましたが不起訴で釈放になったはずですし」
「その夫の名前は覚えてるか?」
「いいえ、でも事務所に行けばわかるかも」
「そうだな、トシの失踪の手がかりもあるかもしれないし。一度、三木探偵事務所に行ってみるとするか」 俺たちは事務所を後にした。外に出ると小雨がパラパラと降っていた。愛車のアルファロメオ・ジュリエッタに乗り、三木の事務所を目指す。車内ではカイトと三木の話をした。ケロッとした顔で再び帰ってくるさと言いながらもどこか、一生会えなくなってしまうのではないかという不安が頭から拭えなかった。フロントガラスの雨粒
が徐々に大きくなっていくように、その不安も大きくなっていった。
三木探偵事務所は車で五分程の場所にある。雑居ビルの三階、窓ガラスに【三木探偵事務所】の文字、ザ・探偵事務所といった感じだった。本人はコナンドイルやアガサクリスティの小説を読み探偵に憧れたと言っていた。しかし雰囲気としてはフィリップマーロウや工藤俊作といった本筋ではないタイプの探偵だった。
エレベーターで三階に上がり事務所のくたびれたドアを開ける。中は意外と片付いていた。
「結構綺麗だな」
「ええ、毎日ボクが掃除してますから、それでも先生のデスクが散らかってますけどね」 確かに奥の机の上は書類が乱雑に置かれている。
「とりあえず、さっきの夫の名前を調べてみますね」
カイトが書類の棚を漁り始めた。俺は三木のデスクに腰を下ろした。目の前には依頼人と話をするためのソファがテーブルを挟んで向かい合っている、その右方にカイトのだろうか、整頓されたデスクがあった。書類からボールペンからきっちりと整えられていた。この二人は正反対だ、だから気が合ったのだろう。俺と同じように。
「さっきの夫の名前、わかりました。これです」 カイトがファイルを差し出す、その名前には見覚えがあった。一年ほど前にあった通り魔事件の犯人だった。
「カイト、その名前、ネットで調べてみろ」
「わかりました」
カイトがスマホを取り出し操作する。
「あ、この人、今捕まってますね。懲役の判決を受けて今は刑務所の中です」
「さっきの話からすると前科があったんだろうな。つまりそいつは牢屋の中、トシの件には無関係ってことだ」
「残念というか、少しホッとしたというか。何ともいえません」
「となると、やっぱり探偵連続殺人事件の方を追いかけるべきか」
思考するときの癖でついジャケットからタバコを取り出してしまった。
「ここは禁煙じゃないよな?」
「ええ、先生もタバコ吸われますから」
「カイトは吸わないのか?」
「はい、ボクは健康志向なので」
「副流煙で死なないように気をつけろよ」
無添加100%のタバコに火をつける。探偵連続殺人事件、警察の発表は現在捜査中で詳しいことは何もわかっていない。ただ探偵が四人も立て続けに殺されるのは明らかにおかしい。何らかの共通点があるはずだ。
「夏畑さん、探偵連続殺人事件、ボクなりに調べてみたことをお話ししても?」
「ああ、是非」
「亡くなったのはこの街で探偵業を営む、戸川、金田、杉上、古見の四人です。三月から今月の五月にかけて次々と殺されています。発見現場は全て仕事場、第一発見者は事務員や配達員など別々、殺害の方法も絞殺や撲殺などこれまた別々、それぞれ出身地や関わっていた事件など可能な限り調べてみましたが、特に共通点はなし。一応日付や殺害方法など、まとめてみたのがこれです」 カイトが俺にファイリングされた用紙を渡した。仕事ができるやつだ。
「ここまでわかれば上等だ。カイトの言った通り俺も何か共通点があるとは思っている。だが恐らく、それは簡単に見つけられるものではないんだろう」「どうしてですか?」
「事件が解決していないからさ。日本の警察は優秀だ。頭が良いやつもたくさんいる。まず何かを見落とすってことはない。なのに警察が事件を解決していない、警察発表も捜査中のまま進展しない、てことは共通点を見つけるのも難しいってことさ、共通点が見つかれば解決も早いだろうからな」
「なるほど、勉強になります」
カイトは手帳にメモを取り出した。
「授業料後で払えよ」 カイトは目が点になった。
「冗談だよ。さて、そうなると一軒一軒回ってみるしかないか、戸川さんと金田さんなら知り合いだ。葬式にも行ったしな。杉上さんも連絡先だけ知ってる。挨拶がてら事務所周りしてみるか」
「お供します!」
俺たちは三木探偵事務所から出て行った。
今日のところはこの辺りにしておこう。宝探しのヒントはまだ出てきてはいないようだが、どうも体が疲れている。もう眠るとしよう。私はベッドに寝転がった。だがなかなか寝付けない。私は旅行などで枕が変わると眠れないタイプなのだ。疲れているのに眠れないのは辛い、いっそお酒でも飲んで酔っ払って寝てしまおう、確か昼間に集まった食堂にバーカウンターがあったはず、そこで少しお酒をご馳走になろう。私は起き上がり部屋から出た。既に日は暮れ、闇が辺りを包んでいた。間接照明の明かりを辿って廊下を進む、階段を降り食堂に入ると、バーカウンターに一人、夏子がお酒を飲んでた。酔っているのか顔が赤い。
「あら、松本先生もお酒?」
「ええ、どうも枕が変わると眠れないんですよ。困ったものです」
「私もそのタイプ。自宅以外だとこれがないとどうも」 夏子が綺麗な氷を浮かべたグラスを傾ける。
「お酒作ってあげる。どんなのが好き?」
「ありがとうございます。飲み屋だとレモンサワーとかハイボールとか飲みますね」
「なるほど、じゃあカクテルなんていかが?」
「お願いします」 夏子は慣れた手つきで後ろに並ぶ名も知らない酒をシェイカーに注ぐ、そしてバーテンダーよろしくそれを振る。グラスに注がれた液体は少し白濁した水のようだった。一口飲んでみる。
「美味しいですね。爽やかな味わいというか」
「ギムレットよ。聞いたことはあるんじゃない?」
「ああ、フィリップマーロウの」「そう、『ギムレットには早すぎる』カクテル言葉って知ってる?」 私は首を横に振った。
「花言葉みたいにカクテルにもあるの。ギムレットは長いお別れ。遠い人を思う。マーロウの小説から来てるのよ」
「なるほど、伏線を回収された気分です」 その後、二人で4、5杯のカクテルを飲んだ。二人とも良い感じに酔いが回ってきた頃、あることに気がついた。館内は空調が効いているのに彼女が汗をかいていたのだ。
「暑いですか?汗をかかれているようで」
「お酒のせいかしらね。酔うと最近ダメなのよ。ほら、この間も酔っ払って家のドアに手をぶつけちゃったの」 彼女の右手の人差し指に絆創膏が巻かれていた。それと同時に彼女の左手の薬指を
見る、輝くダイヤが装飾された指輪、間違いは起きるわけがないと自分に言い聞かす。
「松本先生、ご両親は?」
「共に生きてます。といっても両方とも実の親ではないんですけどね。僕、生まれて物心付く前に施設に預けられたんです」 聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったのか、夏子の表情がこわばった。
「ああ、全然気にしないでください。今の両親は共に良い人で子供時代、とても幸せに過ごしましたから。宮田先生は旦那様とお住まいですか?」
「ええ、そうよ。松本君は一人暮らし?」
呼び名が急に先生から君になった。よくよく考えてみればこちらの方が自然な気がする。年上の女性から呼ばれるのは君の方が多い。
「はい、彼女もいません。だからもし、いい人がいれば紹介してください」
「考えておくわ」
「宮田先生がご結婚されていなければ口説いていたかもしれません」 お酒の勢いを言い訳に出来ると思い、そんなことを言ってしまった。夏子は困ったような笑顔を作った。
「あなたってまだ二十代でしょ?息子みたいなものよ。そんな相手とは何も起こらないってば」
「お子様はいらっしゃるんですか?」
「今の旦那とはいない」 彼女の表情が曇る。まずい、地雷を踏んでしまったようだ。あれだけ浮き名を流してきた女流作家だ、隠し子がいたとしても不思議ではない。
「少し酔いすぎちゃった。そろそろ部屋に戻るわね。また明日」 夏子が立ち去る。明日顔を合わせるのが気まずいなと思い、彼女が最後に作ったギ
ムレットを口に運ぶ。今までのギムレットよりもわずかに苦い感じがした。
~ 二日目 ~ 翌朝、部屋をノックする音で目が覚めた。時計を確認すると八時、昨日は何時で寝たか覚えていないが、どうも頭が痛い。飲みすぎたようだ。眠い目をこすりながら部屋のドアを開けた。そこには黒崎が立っていた。
「朝食の準備が出来ました」
「ありがとうございます。ちょっとシャワーを浴びたり身支度をしてから行きます」 敬愛する先輩作家達の前で不潔な姿は見せられない。
「承知致しました」
黒崎が去った後、身支度を整えた。窓の外は暗雲が空を覆い、一雨来そうな雰囲気だった。そして着替えて廊下に出る。そこで黒崎の姿が目に入った。誰かの部屋の前に立っているようだ。私の隣の隣ということは龍川の部屋だ。
「黒崎さん、どうしました?」
「龍川様が何度ノックしてもチャイムを鳴らしても返事がないのです」
「爆睡しているんじゃないですか?」
「それならばいいのですが、具合でも悪くされていたらと思うと」
「マスターキーとかはないんですか?」
「はい、客室のマスターキーは作らなかったのです。夏村先生がマスターキーがあると密室が作れなくなるからと」 ミステリー好きにも程がある。現実にそんなことがあってたまるか。
「じゃあ、どうしても起きてこない場合はこのドアをぶち破るしかないということですか」
「そうなります」
「じゃあ、東村先生と宮田先生を連れてきます。皆で声をかけてそれでも出てこなければ体当たりでぶち破りましょう」
「わかりました」 黒崎が東村、宮田を連れてきた。黒崎がドアをノックし、他の三人で声をかけるが、全く反応がない。
「こうなったら、ぶち破りましょう。松本先生、一緒に」 東村と私が何度もドアに体当たりする、ミステリーのドラマでよくみる光景だ。ドラマなら三回くらいで開くが、現実はそう甘くなかった。三十回ほど体当たりを繰り返したところ、ようやく鍵が壊れたのかドアが開いた。部屋の作りは私の部屋と同じ、ベッドの上には衣服や財布、電子機器が乱雑に置かれている。中央のエンジ色のカフェテーブルにグラスが二つとウイスキーのボトルが一つ。誰かとお酒を飲んでいたらしい、やはり泥酔して寝ていたのだ、革製のソファには龍川が寝転がっている。
後ろを向いているため、顔が見えない。
「龍川さん、もう朝ですよ」 東村が龍川をゆする、そのまま龍川はソファから落ちてしまった。その顔を見た全員の血の気が引く。龍川は口から泡を拭き、目を見開いていた。顔に生気がない。死んでいる、全員が共通してそう思っただろう。窓の外から雨音が聞こえ始める。「龍川さん!龍川さん!」 東村の声に龍川は全く反応しない。手や首の脈、目の瞳孔を調べる。そういえば東村は医師免許を持っていた。
「既に亡くなっています。死後硬直、体温、角膜、死斑、それぞれから推察すると、死後、九時間から十時間、亡くなったのは昨日の二十二時~二十三時といたところでしょうか」
「そんな、嘘でしょ?」 夏子が龍川に駆け寄る。龍川の顔を見るとカフェテーブルにすがりついて、へたり込んでしまった。
私は普段ミステリーの創作で人を殺すことはあっても、実際、葬式以外で死体を見るのは初めてだった。
「死因はわかりますか?」 黒崎が東村に尋ねる。
「目立った外傷はないから、恐らく服毒死だと思います。匂いや彼の様子から判断するに、シアン系の毒物、例えばよくミステリーに登場する青酸カリってやつです。あれって実は飲んだらすぐ死ぬわけではないんです。飲むと体が麻痺して、呼吸困難に陥り、十分~十五分で亡くなるんですよ。龍川さんも苦しんだでしょう」 東村が険しい表情になる。そしてボトルとグラスの匂いを嗅いた。
「毒はグラスに入っていたようです」
「服毒って自殺?」 夏子がボソッと言った。
「いや、昨日の龍川さんの様子からしてそれはないんじゃないですか?それに自殺するのにわざわざ夏村先生の家に来る必要がないでしょう」
「確かに松本さんのいうとおりです。私もそれはないと思いますね。状況から考える
と誰かと一緒にお酒を飲もうとして相手に毒を盛られたってことじゃないですかね?」
「じゃあ松本さんと東村さんのいう通りなら、これは殺人?」
「ええ、黒崎さん、殺人事件ということになります。それも密室殺人だ。部屋の鍵がお酒の置かれていたテーブルの上にありますからね」 ミステリーでありがちな密室殺人だが、現実で起こるとは思わなかった。
「とりあえず、警察に連絡しましょう。黒崎さん」 黒崎が青ざめる。
「それができないんです。先生の手紙にも書かれていましたが、ここから外界に連絡する手段がないんです。電話や無線は一つもありません、インターネットも繋がっていない。皆様のスマートフォンも妨害電波で使えませんし」
「そういえばそんなこと言ってましたね。じゃあその妨害電波を発している機械を壊せば?」 私は黒崎に尋ねた。
「重機でもない限り壊せないようになっています」
「じゃあ船はないの?」
夏子が取り乱した様子でそう言った。
「船はあるのですが、燃料がないのです。先生がこのゲームの為に処分しました。燃料がないと海流の関係で向こう岸までたどり着くのはほぼ不可能、つまり私たちはゲームが終了した時の船が来るまでここにいるしかないということです」
「クローズドサークルだ」 思わず声に出てしまった。東村がベッドに置かれていた財布を見る。
「数十万円の現金は手付かず、毒殺という殺害方法、外部犯という可能性は限りなくゼロに近い。つまり、我々の中に龍川さんを殺した犯人がいるってことですね。ますますミステリーだ。こうなったら犯人を我々であげるしかないですね」
「でも何から調べたら良いか」 黒崎が弱々しく言った。その場の全員が首を傾げる。
「昨日、朔明カレンに会った後、龍川さんに会った人はいますか?」 私は三人に尋ねた。
「私は会っていないわ」
「私も会っていない」
「私はお食事を届けた時にお会いしました。確か午後六時くらいだったと思います」 東村、夏子は会っていない。生前の龍川に最後に会ったのは黒崎。
「そうだ!確かドアの閉じた事件が記録されるんじゃなかったかしら?」
「それだ、まずそれを調べみましょう。現場はこのままにして皆で行きましょう」 東村が張り切って部屋を出ていく。黒崎、夏子、私と続く。警備室に入り、龍川の部屋の記録を調べる。「どういうことだ?」
「どうしました?黒崎さん」 東村が尋ねた。
「龍川様のお部屋の最後の記録は先ほど、我々が龍川さんを発見した時刻、今日の朝、八時二十分。その前の記録は私が尋ねた昨日の六時五分、それ以降、龍川様の部屋は開かれていないようです」
「死亡推定時刻は昨日の午後十一時から十二時、その辺りで出入りはなかったということですね」
「毒はあらかじめグラスに塗ってあったってこと?」 夏子が尋ねた。
「それはないと思います。部屋はそれぞれ自分で選んだはず、私も部屋にあったグラスを使いましたが、この通り生きています。殺害が目的なら無差別にグラスに毒物を入れておくなんて非論理的、それに粉状のものが入っているグラスは使わないでしょう。やはり誰かがお酒に毒物を混ぜたというのが自然でしょうね」
「松本先生、探偵みたいですね」
東村に探偵と例えられたことが妙に嬉しかった。私はある提案をすることにした。
「とりあえず、別れた後のそれぞれの行動を話してみませんか?」
「それが良いかもしれないわね。朔明カレンと会ったのが午後二時頃よね、その後各自部屋に戻った。私は黒崎さんから原稿をもらってそれを読んでいたわ。その後部屋で原稿を書いてた。夜になってお酒が飲みたくなって、一人でバーで飲んでいたら松本先生も来て、二人でお酒を飲んだわ、別れたのは日付が変わった頃、でも私は飲み足りなくて気がついたらバーで寝ちゃってたの、黒崎さんに起こしてもらっちゃったわ」 夏子が恥ずかしそうに言った。
「僕も夏子先生とほとんど一緒です。皆さんと別れて、黒崎さんから原稿を受け取りそれを読んでいました。そしてお酒を飲もうと思って夏子先生と合流、一緒にお酒を飲み、そして別れた」
「まぁ、この孤島で出来ることは限られていますからね、私も似たようなものです。お二人と違うのはお酒は飲んでいないことくらいですね。原稿を読んで、そして書いているうちに寝ていました。皆様と別れた以降部屋からは出ていません。黒崎さんはいかがですか?」
東村が黒崎に尋ねた。
「私は皆様に原稿をお届けした後、ここの清掃や庭の整備などの日課をこなしていました。部屋に戻ったのは夕方の六時三十分頃でしょうか。私にも原稿を準備していただいておりましたから、原稿を読み十時頃には就寝しました」
「全員、夏村先生の原稿に夢中だったということですね。記録を照らし合わせても矛盾はないようですし。しかし困りましたね。誰も出入りしていないとなるとどうやって殺されたんでしょう?」 東村が言った。場に妙な沈黙が流れる。
「もう一人いるじゃない。この屋敷に」
夏子がそう言うと、全員が顔を見合わせた。
「朔明カレン。彼が龍川さんを殺した?」 私が夏子に尋ねる。
「可能性はゼロじゃないでしょ?ほら、昨日、百万円を情報料としてあげるとかいう話があったじゃない?それでモメて殺したとか、それに今まで散々、悪事を働いてきた彼なら密室殺人の一つ、朝飯前なんじゃない?」
「では彼にも話を聞きにいきましょうか?」
我々は黒崎に提案に乗ってみることにした。
昨日と同様の経路で地下室へ向かう。しかし昨日とは違い、重苦しい空気が我々にのしかかっていた。ついさっきまでいた人が一人死んだ、しかも殺された、その事実が全員の心を暗くしていた。その雰囲気とは裏腹に朔明カレンは晴れ晴れとした笑顔だった、そこが地下室の牢屋ではなく、晴天の下の草原のように。
「皆様、おはようございます。今日はどうされました?お揃いで」
「何も知らないのですか?」 朔明は小馬鹿にしたように笑った。
「東村先生。イジワルはよしてくださいよ。今、この時間に龍川先生を除いた皆様がここに来る、何かあったんだろうと察しはつきますが、詳細までは分かるはずないじゃないですか」
「まぁ、それもそうか」 東村が龍川が亡くなったこと、それが毒殺の可能性が高いこと、密室殺人だったこと、全員の昨日の行動を簡潔に説明した。
「なるほど、実に残念です。龍川先生の作品を非常に楽しみにしていたのですが、こ
の間出版された下手街シリーズ、『狼達の協奏曲』が遺作となってしまわれましたか」
「それで昨日、我々がここを離れた後、あなたは何をされていましたか?」
「普段と変わらないですよ。ずっと読書をして、その後、絵を書いていました。ほらこの絵です。今回はイタリアのフィレンツェの街並みを描いてみました」 朔明が指した絵には確かに外国の街が描かれていた。白い外壁に紅の屋根の建築物が連なる街、奥には大聖堂、柔らかな陽光が照らすその空間には優雅さと荘厳さが混在していた。
「黒崎さん、今、鍵はどこにありますか?」「私が肌身離さず所持しています。ここに」
黒崎が蝶ネクタイを緩め、Yシャツの中に手を入れた。チェーンに繋がれた鍵を胸元から取り出し全員に見せる。
「じゃあ、一応確認を」
東村が牢屋の扉を開けようとするが、やはり鍵がかかっているのか開かない。黒崎が東村に鍵を渡す。
「変な行動はよしてくれよ」
「安心してください、ドアから離れたところにいますから」 朔明は牢屋の奥にあるベッドに腰掛けた。東村が鍵を差し込み、廻す。扉が開いた。そしてすぐに閉じる。
「確かにここの鍵のようだ。やはり彼もここを出ていない」
「ちょっと待ってよ」 夏子が口を開いた。
「私たちって黒崎さんを信用しすぎじゃない?黒崎さんならあの記録をいじったり、毒物をグラスに仕込んだりすることは簡単に出来るんじゃない?それに黒崎さんがこの人と組んで龍川さんを殺すことだってできるわけでしょ?」
夏子が朔明カレンを指差す。彼は天を仰ぎ、大きくため息をついた。
「宮田先生、あまりがっかりさせないでください」
「え?何よ急に」
「よく考えればわかることです。もし黒崎さんが犯人だとしたら、明らかに自分が怪しまれるような殺し方はしないでしょう。仮にも夏村先生の唯一の執事ですよ?例えば、この屋敷のことをよく知っている黒崎さんならば毒殺などという方法は取らず、事故に見せかけて殺す方が自然だと思いませんか?さらに言えば、動機がない、仮に過去に何かあったとしても、殺すのならばわざわざ自分が執事として働いている場所に来た日に殺すなんてしません、容疑者が絞られますからね。それよりは龍川さんの生活圏の中で殺す方が良い、容疑者は大勢、強盗の仕業に見せかけることだってできる。それに実は私、この事件の謎はもう解けているんです」
「え?どういうことですか?」 思わず口に出てしまった。
「先ほど、東村先生から説明いただいた事件の概要、あれだけで事件を解決することは可能ということです」
「ぜひお聞かせ願いたい」
「東村先生、それはどうでしょう。せっかくクローズドサークルで起きたミステリーですよ?皆様で解決なされてはいかがですか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」 夏子が声を荒げた。
「宮田先生、そう感情的にならずに。ではヒントをお伝えしましょう。今回の事件で重要なのはやはり部屋の出入りの記録です。部屋のドアを開けて閉める、このワンセットで記録になるわけですが、犯人はそれを逆手に取った。そして密室の謎、こちらに関しては犯人は大胆不敵と言いますか、とても素晴らしい犯行だったと思います。全員を見事に騙した。ですが私は誤魔化せません。この犯行を可能だったのはただ一人。さぁ、みなさん、シンキングタイムです」 朔明は不適に微笑む。その微笑みを見ながら私はもう少しで真相に辿り着きそうな気がしていた。
朔明カレンの元を尋ねた後、防犯カメラの映像を皆でチェックした。ゲストルームの廊下のカメラはなかったが、黒崎の部屋が映るカメラがあった。黒崎は犯行時刻周辺から朝まで部屋から出ることはなかった。黒崎は容疑者から外れた。残るは東村、夏子、私の三人、自分の他の二人のどちらかが殺人犯であるという事実が三人の間を流れる空気を非常に居心地の悪いものにしていた。
そして私はもう一度犯行現場である龍川の部屋へ戻った。何か見落としているはず。ドアを開けてみる、開けて閉めるで閉めた時間が記録される。記録されるということは何かセンサーのようなものがあるはず、ドアを開けたままにし、側面を見てみる、ちょうど、鍵のかかる部分に普通のドアにはないような直径1センチほどの黒い円の形をした部分があった。これだ、恐らくここから光線のようなものが出ていて、ドアを開けた時、受光部から光線が外れ、閉めた時に受光部に光線が当たる、それが記録となるのだ。
仕組みがわかったところで部屋の中を覗く、床には龍川の死体。顔に白い布がかけられている。少し怖かったが、謎を解くためだ。意を決して中に入る。状況は朝のまま、カフェテーブル、部屋の鍵、グラス、ボトル、ソファ、事件に関わりがありそうな物を次々と見ていく。ふとドアを見る、ドアは朝からずっと開きっぱなしだった、ドアを閉じてみる、ドアを開いた時に死角になる床に何か落ちているのを見つけた。拾ってみるとそれは指の先ほどの大きさの白いセロハンのようなものだった。一番近いもので言うと両面テープを使った時に剥がすあのセロハンだ。どうしてこんなものがここに。私はそのセロハンをポケットに入れた。 洗面所には自分と同じアメニティが豊富だ。バスルームのドアを開ける、シャワーを浴びたらしく、下のタイルが濡れている。排水溝にはいくつかの髪の毛。部屋に戻る、ベッドに並べられた龍川の私物を眺める、特にこれと言って気になるものはない。枕がズレているのが気になり直す。すると枕の下に何かあるのがわかった。それは直径3cmほどの正方形のビニール片、いわゆる避妊具だった。
朔明カレンの言葉を思い出す。「犯人は大胆不敵、全員を見事に騙した」つまり私も騙された。騙されたのはいつだ?龍川の死体を見つけたとき、犯人は私を騙した。部屋を見回す。朝、この部屋に入った時と何かが変わっている。私はある物の位置が変わっている。それはテーブルの上に置いてあった物だった。私はいくつかの証拠品を念の為に持ってきていた小型のジップロックへ指紋がつかないように入れた、そしてその手がかりを元にある推理を組み立ててみることにした。そして正午、全員がそれぞれの部屋で昼食を取ることになった。殺人犯と一緒に飯なんて食べられるか、死亡フラグ満載の使い古されたセリフだが、今の我々にはその気持ちがよくわかった。
昼食を終えた後、例の原稿が気になり、もう少し読み進めてみることにした。
戸川探偵事務所のドアには『CLOSE』の札が掛かっていた。確かにもう探偵がいないわけだから探偵事務所ではなくなる、他の従業員に話を聞ければと思ったが遅かったか。
「もう誰もいなくなっちゃいましたかね?」 カイトが不安そうな声で言う。
「まぁ、最初の事件は二ヶ月も前だしな、無理もないかもしれない」 とりあえずノックをしてドアを開けてみる。
「ごめんください」 事務所の中にはいくつものダンボールが積まれていた。そしてそのダンボールに囲まれた作業をしている女性が一人、歳は四十前後、黒い髪を後ろで束ね、事務員のような格好をしている。彼女は戸川探偵事務所で事務員をしている鈴木蘭子だ、戸川とは昔付き合っていたなんて噂もあったが、本当のところは誰もわからない。
「どちら様でしょうか?」
「あ、突然すいません。私、戸川さんと生前親しくさせていただいておりました夏畑と申します」
「ああ、夏畑さん。葬式のとき以来ですね。あの時はありがとうございました」
「いえいえ。彼には生前大変お世話になりましたから」 蘭子が立ち上がり、やかんに水道水を入れようとした、だが蛇口を捻っても何も出なかった。
「やだ、私ったら、もう水道止めたんだった。ごめんなさいね、もうここは引き払うことにしたのよ。戸川あっての事務所だったから」
「それで荷造りをされていたわけですか」
「ええ、それで何か御用?」 私は探偵連続殺人事件に知り合いの探偵が巻き込まれている可能性を話した。
「だから何か手がかりはないかとここに来た次第です」
「そう言うことだったの。警察にも色々聞かれたんだけど、特にこれと言って危険な目に遭うような案件は最近なかったのよね」
「直近で調べていた案件は何ですか?」
「まぁ、夏畑さんなら話してもいっかな。一応オフレコで頼むわね。
俺は首を縦に振った。
「人探し、生き別れた兄弟を探してほしいって案件。でもこれは解決したのよ。釈迦に説法かもしれないけど、今の時代、人探しのハードルはかなり下がったのよね。S
NSが普及しているから、人から人へ繋がりを追えばいつかは目標に辿り着く」
「そうですね。メッセージで金をちらつかせれば人は動いてくれますし、情報もくれる。便利な世の中です」
「その案件は三日間で解決したわ、弟さんからの依頼だったんだけど。お兄さんは美容師をしていたの。出身地や旧姓、それにAIによる顔認識を使ってあっという間だった。弟さんとそっくりだったから」「便利だけどある意味怖いですね」 カイトが口を開いた。
「過去を捨てたい人もいるかもしれないのに、進化する技術で過去を掘り返されてしまうなんて」
「確かにな、便利すぎる世の中っていうのも考え物だな。それでその案件は片付いた。他に戸川さんに依頼はなかったんですか?」 蘭子はうーんと首を傾げた。
「まぁ、たまに個人的に依頼を受けることもあったみたいだから。私も把握していない案件があったかもだけど。そういえばいなくなる前、調べて欲しいって言われたことがあったわ」
「それは何ですか?」
「過去の殺人事件。ちょっと待ってね。資料があったはず」 蘭子は一つのダンボールの中を漁り出した。
「せっかく片付けたのに申し訳ないです」
「いいのよ、私もこの事件が解決するなら協力したいし。あ、あったこれこれ」 彼女から渡されたのは新聞記事をまとめたものだった。今から十数年前、家庭のある男性が妻の不倫相手を殺害したという記事だった。以前に見たことがあるような、どこにでもよくありそうな、ありふれた事件のように感じた。
「戸川さんがこの事件について調べるようにあなたへ依頼したということですか?」
「ええ、でもこの事件、見ての通り犯人が捕まっていて、動機もはっきりしているし、できることといえば新聞記事を集めるくらいで」
「そうですよね。どうして戸川探偵がこの事件を調べたんでしょうか?夏畑さん」
「今のところは何ともいえないな。戸川さん自身が何かこの件に関わっていたのか、あるいはこの事件に関する依頼が戸川さんの直接あったからか、もう少し今回の事件について調べてみる必要があるな」
「調べるって探偵連続殺人を?」
「そう、だったら私を使っていいわよ」
「使う?」
「ええ、亡くなった探偵たちとコネクションはあるし、捜査している警察にだって連絡を取れるわ。私もこの事件の真相が知りたいのよ。どうかしら?」
「むしろこちらの方からお願いしたいくらいですよ」
「じゃあ決まりね!とりあえず、次は金田さんのところにした方がいいかも、あそこは兄妹で事務所をやってて、今は妹さんだけなんだけど、私彼女と仲がいいから連絡してあげる」 こういう引っ張ってくれる女性には昔から弱い。蘭子は張り切った様子でスマホを
取り出し、電話をかけた。迷える俺達の次に行くべき場所が決まった。
昼下がりの街は普段の喧騒が嘘のように妙な静寂を保っていた。この街にはたまにこんな日がある。街は生き物だなんて言葉を聞いたことがある、人間、家、店、ビル、道路、車、様々なものが一つの集合体となっているのが街だ。その一つ一つが細胞や血管、骨や臓器と捉えると確かに街は生き物だと言えるのかもしれない。生き物であるから感情がある、今日の街は休みたいのか、テンションが低いのかかわからないが、どうしても静かに過ごしたいのだろう。
俺とカイトは金田の事務所に行く前に喫茶店に寄った。朝から何も食べていなかったから妙に腹が減っていた。俺はナポリタンとサンドイッチ、カイトはオムライスを頼んだ。カイトはケチャップでハートを書いた、俺がどうしてハートなんか書くんだと尋ねると、オムライスといえばハートだとよくわからない話をしていた。
食事を済ませて、愛車のジュリエッタで金田の探偵事務所へ向かう、向かう道中にカイトが先ほど戸川の事務所で聞いた殺人事件のことをネットで調べてくれた。起きたのは十三年前、この街に住んでいたある夫婦の夫が妻の不倫相手を殺害した。不倫相手は妻が通うパート先の従業員、夫は妻の不倫を疑い、探偵に不倫の調査を依頼していた。その結果殺人事件が起こってしまった、夫は実刑になり服役。夫婦には娘が一人いたらしい。母親が不倫、その相手を父親が殺し刑務所、まったく、酷な話だ。
元気で暮らしているといいが。
金田の事務所の呼び鈴を鳴らす。女性の返事が聞こえた。出迎えてくれたのは殺された金田探偵の妹、金田芳美だった。パンツスーツを着ていてキャリアウーマン風、年は四十過ぎ、あまり眠れていないのかクマがひどい。やつれていて、生気がない。
「蘭子さんからお話は伺っています。どうぞ」 事務所に通され、ソファに向かい合わせで座る。デスクに埃がかぶっている、掃除も出来ていなさそうだ。
「忙しいところ申し訳ありません。お兄様とは生前仲良くさせていただいておりました。葬儀にも行きまして」 葬儀での芳美は兄の遺体を前に泣くばかりで見ていられなかった。
「ええ、その節はありがとうございました」
声がか細く、やっとのことで聞き取れるほどだった。
「失礼ですが、あまり眠れていませんか?」
「え?ええ、兄が亡くなってからというもの、仕事を一人でこなさなければならなくなり、睡眠時間が削られているんです。そんなにクマがひどいですか?」
「まぁ、正直」
「そうですか、お見苦しくて申し訳ないです」
「いえ、では手短にお話しします」 俺は三木の失踪にまつわる話を芳美に聞かせた。
「なるほど、兄の事件とその失踪が関係しているのではないかと」
「ええ、何か三木のことで気になることはないでしょうか?」
「あ、あとこれについても」 カイトがスマホで例の不倫の殺人事件の記事を見せた。芳美の顔色が変わる。
「この事件、兄が調べていました。資料があります」
「え?本当ですか?」
「はい、三ヶ月ほど前ですかね、詳しいことは聞かなかったんですが、どうもこの事件に関して何か依頼があったようで」
「依頼人と連絡は取れませんか?」
「すみません。兄が生きている時は分担で仕事をしていたので、詳しいことはわからないんです。急に亡くなったので仕事の引き継ぎもままならない状態でして」 芳美が目を潤ませる。
「申し訳ない、お兄様のことを思い出させるようなことを」
「いえ、いいんです。私も兄の事件の真相を知りたいので。協力させてもらいます。
何かわかったらご連絡しますので」 俺は芳美と連絡先を交換した、そして見送られて事務所を出る時だった。
「あ!」 芳美がいきなり大きな声を出した。
「どうしました?」
「防犯カメラがあります!この事務所のドアの上の方へつけてるんですよ。ほら」 芳美が指差す方に目を向けると、そこに防犯カメラが設置されていた。
「兄がつけたんです。ほら三木探偵の事務所に調査対象が殴り込んできたっていう事件があったでしょう?それを聞いて兄が何かあった時のためにって設置したんです。
例の事件の依頼人が映っているかもしれません」
「映像は確認できるんですか?」
「ええ、兄がここに来た人たちの映像を編集してまとめているんです。そのデータに関しては私と兄で共有していますから。調べていたのは三ヶ月ほど前ですから、ちょっと調べてみます」
芳美は正気を取り戻したようだった。目を輝かせてパソコンに向かう。「三ヶ月ほど前に訪ねてきているのは十人ですね、私の依頼人がその四人ですから、兄の方がこの六人です」 パソコンの画面に六分割で画像が表示された、この事務所のドアの前にそれぞれ別の人間が立っている。一人一人確認していく。
「夏畑さん、この人」 カイトが一人を指差す。その男は私のよく知っている人物だった。
「トシだ。間違いない」
「どうして先生がここに」
「これ三木さんなんですか?私は直接お会いしたことがなくて」
「ええ、そうです。トシが何かの依頼を金田さんにしたのかもしれないな。あの殺人事件に関する何かの依頼を」 少しずつ、糸がほぐれていく感覚。探偵をしているとこういう感覚を体感できる。
そしてこの感覚を得るために探偵をしているようなものだ。
「杉上さんと古見さんにも確認してみよう。それにこの十三年前の殺人事件について詳しく調べる必要があるな」
「では二手に分かれて調査しますか?」
「そうだな、カイト、お前は杉上さんにあたってみてくれるか?俺は殺人事件について調査してみる」
「でもその殺人事件を調査した探偵は皆・・・」
「望むところだ。犯人の方からやってきてくれるなら一番有り難い」
「承知しました!では杉上さんの事務所へ行ってみます!」
カイトが足早に事務所から出て行った。俺は蘭子に連絡した。まず若い青年が杉上の事務所を訪ねると電話を入れてもらうように頼んだ。そしてもう一つ、三木が事務所を訪ねてこなかったか確認した。戸川が殺される二週間ほど前、三木が訪ねてきたことがあったらしい。事件の繋がりが強くなった。
愛車に戻った私はまず、芳美から預かった例の殺人事件の資料に目を通すことにした。こういうのは順を追って、一つのストーリーとして見ることが重要だ。十三年前、この街にある家族がいた。木瀬家という三人家族だ。父親の和馬、母親の俊子、娘の伊織。父親は市役所に勤める公務員、非常に真面目な性格、事件が起こった当初、彼が犯人だとは信じられないと周りの人々は口々に言っていた。母親の俊子はスーパーでパートをしていた、不倫相手はそこの従業員、彼女もまた非常に真面目で不倫等しなさそうな女性と思われていたそうだ。娘の伊織は当時中学二年生、部活動に打ち込みながらも勉学に励む生徒、周囲からの評判も上々、しかし事件で両親を共に失った彼女は親戚に預けられ、いつしか行方がわからなくなってしまったらしい。 事件が起きたのは、だんだんと冬の気配が濃くなってきた十一月のある日、午後三時、俊子は不倫相手であるパート先の従業員の自宅にいた。従業員の名前は加藤正一、三十八歳、働き者でスーパーでは主任の仕事をしていたそうだ。二人で過ごしていたところ、そこへいきなり夫の和馬が部屋に入ってきた。手には包丁、俊子には見向きもせず、加藤に包丁を何度も突き刺した。俊子が泣き叫ぶ、周囲の住民の通報で警察が到着し、和馬は現行犯逮捕となった。
事件のあらすじはこうだ。そして俺は自分の愚かさ、無能さに気がつき腹が立った。俺は過去にこの事件に関わったことがある。この資料に目を通すまで思い出さなかった。まったく年は取りたくないものだ。この事件が今、この街で起きている殺人事件と繋がっている、何か誰も知らない事実が隠されているのだ。それは間違いない。それを調べた探偵が殺された、三木も調べていた。だが一体何を調べていたんだ、解決した事件を調べる意味とはなんだ。考えても何も浮かばない。そこで私はある知り合いに電話をかけてみることにした。その知り合いは現在この街の警察署に勤めている男、松谷という刑事だ。昔からの腐れ縁というやつで付き合いは長い。三木のことも知っていて、三人で飲んだこともある。
「おう、忙しいところ悪いな」
「本当だ、ものすごく忙しいんだが、何のようだ」 いきなり機嫌が悪そうだ。
「探偵連続殺人事件に関する情報提供だ」 嘘だ、本当は情報交換が狙いだ。
「ほう、お前にしては懸命だな」
「ただ一つ、代わりに教えて欲しいことがある」
「まぁ、そうだろうな。警察が一般市民に教えられる捜査情報はないぞ」
「ああ、知ってる。だから頼んでるんだ」
「お前の持っている情報次第だな」
「警察も掴んでいない情報のはずだ、ヒントだけ言う、ある探偵がまた事件の被害者になってるかもしれない」
「え?どういうことだ?」
「おっと。ここまでだ。俺が知りたい情報は十三年前に起きた事件、木瀬家って家族の不倫の末の殺人事件に関する情報だ。ここ最近進展があったか知りたいんだ」
「そんな昔の事件か、どうして知りたいんだ。この事件と関係があるのか?」
「それを調べてるんだよ」 十秒ほどの沈黙が流れる。
「エルキュールって喫茶店知っているか?そこの三十分後に来い、そこで話し合おう」
「わかった」 電話が向こうから切られた。松谷はたまにこうして情報をくれる、もちろんそれは警察の服務規程に反する行為だが、事件を解決するためであれば多少の無茶はやむを得ないのだ。
昼食を取った後、私は少し散歩でもしようと思い、館内を歩いた。赤絨毯が敷き詰められた豪華な廊下はまるで宮殿のようだ、白い壁にはツタや葉などの装飾が施され、非日常感が漂っている。少し歩くと二階から外に出るドアがあった、私は興味本位で開いてみた。そこはバルコニーだった。見渡しがよく非常に広いスペース、石が敷き詰められた床が続き、奥の方には二つ、ウッドチェアが置かれていた。そして誰か座っている、夏子だった。白いドレスにレースのストールをまとった彼女は妖艶でここが街中だったら男達の視線が集中していただろう。私は彼女に話しかけてみることにした。
「どうも。宮田先生」
「あら松本くん、どうしたの?」
夏子はタバコに火をつけようとしていた。ジッポには狼と髑髏のマーク。
「ちょっと気分転換に散歩です。ここは気持ちがいいですね」 晴れた空の下、初夏の風がバルコニーに吹き、とても心地よかった。
「ええ、だから私もこうしてここにいるの。隣に座れば?」
「では失礼して」 私は夏子の隣にあった木製のロッキングチェアに座った。
「宮田先生、お話を聞いてもらってもいいですか?」
「お話?どんな?」 夏子の顔には好奇心が見られた。
「龍川さんの事件についてです」
「ぜひ聞かせて」
「僕なりに考えてみたんです。まぁ、探偵モノが好きですから、探偵になりきってみたというか」
「事件を解決したの?」
「うーん、どうでしょう。とりあえずお話します。まず、事件を軽く整理しましょう。誰かと一緒にお酒を飲んでいたところ、毒を盛られて殺害された。部屋は密室、死亡推定時刻は二十二時~二十三時、その間、部屋の出入りの記録では誰も龍川さんの部屋に入っていない。こんなところでしょうか?」
「ええ、そうね」
「まさにミステリーですね。でもミステリーって解決してみればそんなもんかって思うことありませんか?。僕も今はそんな感じです」 夏子は穏やかに微笑んだ。
「まず、部屋の記録の件ですが、これは簡単です。例の記録ですが、あれは部屋のドアの錠前の部分にセンサーがあるんです、反対側から光線が出ていて受光部に注がれている、部屋のドアが開くとその光線がなくなる、そして部屋のドアを閉じると光線が再び受光部に当たる、その時間が記録されるわけです。つまり光線をずっと遮っておけばいくらでも時間を誤魔化せるってことです。犯人は龍川さんを発見した時に外したんでしょうね。この白いセロハン龍川さんの部屋で拾ったんですけどね、これを犯人はセンサーの部分に貼ったんですよ。恐らく絆創膏を剥がした時に出る、白いビニールの紙です。まぁ、どの程度の厚さの物で光線を遮れるか、犯人はそれを知っていたんでしょうね」
「仕組みに詳しいってことは犯人は黒崎さん?」
「いえ、朔明カレンも言ってましたが、黒崎さんだとするとここで殺すのはリスクが大きすぎる。それに防犯カメラに自分の部屋を出る黒崎さんは映っていませんでしたから」
「そうだったわね」 夏子はタバコを大きく吸い込んだ。
「では次に密室の謎です。部屋の鍵が掛かったままで、部屋の鍵が室内のテーブルに置かれていた。犯人はどうやってこの密室を作ったか、これも考えてみれば簡単なことだったんですよ」「どういうこと?」
「いいですか?犯人はただ鍵をかけて部屋を出ただけなんですよ」
「でも、鍵は部屋の中にあったじゃない」
「あの鍵は、龍川さんの部屋の鍵ではなかったんです。犯人の部屋の鍵だったんですよ。犯人はカモフラージュのために自分の部屋の鍵をテーブルの上に置いた、そしてあの朝、死体発見のドサクサに紛れて鍵を交換した、それだけの話です」
「それなら全員に犯行は可能ね」
「確かに全員に犯行は可能。ただここで思ったのは犯人は自分の部屋の鍵を掛けられなかったということです。そんな部屋ではなかなか眠れないと思うんですよ。女性なら尚更、お酒でも飲んで強引に眠ろうと思うんじゃないですかね?」 夏子は何も言わない。
「龍川さんの部屋を調べてたところいくつか面白い発見があったんです。まず、バスルーム。誰かがシャワーを浴びた形跡がありました。最初は龍川さんだと思ったのですが、どうもおかしい。排水溝に髪の毛が落ちていたんです。しかも長い。彼は坊主頭ですからね。排水溝に髪の毛は落ちているのはおかしい。別の人物が部屋に入ったんです。そしてもう一つ、これです」 私は透明なビニール袋に入れたコンドームを夏子に見せた。
「いきなり変な物見せないで」
「これが龍川さんの部屋のベッドの枕の下に置いてあったんです。もうお分かりですよね?彼の部屋を訪ねたのは女性」
「確かに、私は訪ねた、でも他の男性が訪ねて、さっきの記録を誤魔化すトリックを使ったってことも考えられるでしょ?」 夏子はうろたえる。私はすかさずビニール袋に入ったある物を夏子に見せた。
「龍川さんの部屋の鍵です。さっきの鍵のすり替えのトリックを犯人がしたとしたら、この鍵には龍川さん、黒崎さんと犯人の指紋が付いているはず。宮田先生。お互いミステリー作家、物語の引き際は心得ているはずですよ」 夏子は最初こそ、焦った様子だったが、次第に落ち着きを取り戻した。
「殺すつもりはなかった」
「ええ、僕もそう思っています」 夏子が目を潤ませた。
「本当に殺意を持っているならわざわざこんな容疑者が絞られる場所で殺す必要はない。どうしてこんなことを?」
「ゲームのつもりだったの」
「ゲーム?」
「夏村先生からの依頼があってね。ミステリー作家を集めて、犯人当てゲームをしようっていうね」
「夏村先生からのサプライズですか」
「そう、被害者役は龍川さん、本当は睡眠薬で眠ってもらう手筈だった。私がまず彼の部屋を訪ねてお酒を飲む、睡眠薬を飲ませ、私がシャワーを浴び、髪の毛の証拠を残す、そして私がその場に犯人からの挑戦状として手紙を残すっていう流れだったの。でもあの夜、龍川さんに薬を入れたお酒を飲ませたら、眠るどころか苦しみ始めて、亡くなった。私は焦って、とりあえず密室のトリックだけをすることに専念した。でも慣れないことはするものじゃないわね、ミスばっかり。髪の毛は取り切ったつもりが残るし、セロハンだって回収するつもりだったのが、勝手に剥がれたのよ。あなたたちが鍵を壊した時でしょうね。ミステリーで不自然な行動は命取り。鍵の交換でやっとだったわ」
「毒物は夏村先生から?」
「ええ」
「宮田先生。間違っていたら申し訳ないのですが、あなたは夏村先生と」
「交際していたわ、今もまだ愛している」 夏子はタバコの煙を大きく吐き出す。
「やはりそうでしたか、ここにも何度かいらしてますよね?貴方は初めて来たにしては慣れすぎだ」
「そこまで見抜かれているとはね」 さっきまで晴れていた空に薄く灰色の雲が掛かる。
「今の話を整理すると、夏村先生は龍川先生を殺そうとしていた。ということになりますね。動機は何だったんでしょう」
「夏村さんは龍川さんのことも作品のことも気に入っていなかったわ。というか嫌っていたと言った方がいいかもね」
「嫌っていたとは?」
「何度かパーティーや食事会で一緒になることがあって、あいつは品がないとか、作品は描写が汚いとか、散々言っていたわ。彼の存在は文学界の癌細胞だと言ってたこともあるわね」
「それは何というか、ひどいですね」
「だから自分の死後、他人に殺させるという卑屈な方法を取ったのよ。そうすれば罰せられることはないからね」 尊敬していた夏村龍治の人間性には少し問題があったようだ。いや、殺人を他人にさせていることから考えれば少しという副詞は合っていないのかもしれない。
「ま、ここまで話したし、いっそ夏村龍治の秘密も話しちゃおうかな」 急に夏子の態度が変わった。今までの暗い様子が一変、子供のような無邪気な笑顔を見せた。
「実は夏村龍治にはゴーストライターがいたの。デビュー当時からね」
「ゴーストライター?」
「ええ、ゴーストライターっていうのも違うわね。そもそも夏村龍治とは誰のことかしら」
「どういうことですか?」
「小説家殺人事件を解決した貴方ならわかるんじゃない?作家探偵。殺人犯からの挑戦状よ。燃えるでしょ?」
「何か、ヒントはないんですか?」
「犯人はこの中にいる!かな」
「今、この孤島にいる人の中にゴーストライターが?」
「あとは自分で考えなさい」 夏子はどこかスッキリとした表情で椅子から立ち上がった。
「先生、どうなさるおつもりですか?」
「安心して、これでもミステリー小説家、あなたも言ってたけど、物語の引き際くらいわかっているわ」
「それはここを出たら自首をするという認識で合ってますか?」 夏子は私の目を見つめ、何も言わない。
「本当に大きくなったわね。作家としても人間としても。覚えてる?あなたが新人賞を取ったとき、私、授賞式にいたのよ」
「もちろん覚えています。選考委員でしたからね、あの日のことは一生忘れません」
「あの時はあどけない少年くらいの印象だったけど、ここまで成長するとはね。もう立派な大人の小説家。次回作に期待しているわ」
「ぜひ感想を聞かせてくださいね」 夏子は穏やかな笑みを浮かべた。私はその笑みにいつもの妖艶さは感じられなかった。そこにあったのは明らかな母性だった。私はその笑顔をずっと見ていたいとさえ思った。
「これあげる。お気に入りのジッポライターよ」
彼女は私にジッポライターを渡し、その場を去っていった。その後ろ姿はどこか寂しげだった。
部屋に戻り、私は夏子の言葉を考えていた。夏村龍治にゴーストライターがいた。あの状況で夏子が嘘をいうとも思えない、百パーセント信じるわけではないが、信憑性は高い気がする。なぜならゴーストライターがいたとなると、あの異常な速さで新作を出すことにも納得がいくからだ。この島にゴーストライターがいる、私を除くと、東村正明、宮田夏子、執事の黒崎、朔明カレンの四人、ゴーストライターはこの四人に絞られる。宮田夏子は自分からゴーストライターの話をした、自分がゴーストだとするならばそこまで告白するはずだ。東村はどうだ?非常に作風が幅広い、ゴーストライターというのも十分にあり得る。黒崎は?執事として働きながら執筆を手伝う、こちらも可能性は高い。朔明カレン、彼の可能性は低い、彼がこの島に来たのは数年前だ、デビュー当時からゴーストライターがいたという夏子の言葉とは矛盾する。第一候補は東村、第二候補は黒崎、大穴で朔明カレンと言ったところだろう。 私はその時、もう一つの可能性に気付いた、殺された龍川洋一、彼がゴーストライターだったいう可能性はないか?しかし彼がゴーストライターだったとして、死人に口無し、それを確認できる術がない。東村と黒崎、とりあえずこの二人に話を聞いてみることにしよう。ちょうど夏子のことも伝えるのも良いかもしれない。私は部屋を出た。
東村の部屋をノックする。はいという返事が聞こえ、ドアが開いた。
「東村先生、ちょっとお話よろしいですか?」
「ええ、いいですよ。どうぞ」
東村の部屋へ通される。中は自分の部屋と全くといっていいほど同じ作りだった。東村が部屋中央のウィンザーチェアに座り、テーブルを挟んだ向かいの椅子に私を座るように促す。私は腰掛けて背もたれにゆっくりと寄っかかった。事件を解決した探偵を気取りたかったのかもしれない。
「実は例の事件、解決しました」
「え?本当ですか?」
「ええ、先程、犯人の方とお話をしてきたところです」
「犯人は誰だったんですか?」
「宮田先生です」
東村は血の気が引いたような顔をした。
「そんな、どうして彼女が」 私は今回の殺人事件を簡潔に説明した。
「なるほど、それが事実だとすると殺害方法や殺害場所、色々と辻褄が合いますね」
「ええ、僕もそう思います。なのでとりあえず東村先生にもお伝えしておこうと思いまして」
「わざわざ有難うございます。でも夏村先生が龍川先生を殺そうとしていたなんて」
「ええ、人間何を考えているかわからないものですね。でも自分が死んだ後に嫌いな人物を殺させるってある意味、夏村龍治の作品みたいですよね。ミステリーじみているというか」
「言われてみればそうですね。あ」
「どうしました?」
「もしかしたらこれは夏村龍治の作品だったのではないでしょうか?」 東村の言葉に熱が帯びてきた。
「それはどういうことですか?」
「小説家たちを孤島に集めて、殺人事件を起こさせ、推理させる。一つのミステリー
作品だ。夏村先生は現実にミステリーを創作しようとしていたのではないでしょうか?」
「我々は登場人物ですか」
「まぁ、何の証拠もない、ただの想像ですが」 東村は少し落ち着きを取り戻した。
「宮田先生にはここ出たら自首をするように勧めました」
「そうですか」 東村は非常に落胆したようだった。そして私は東村の瞳に光るものを見た。涙、目を潤ませていた。しかし、同じミステリー作家で、共に歩んできた人物が殺人を犯したとはいえ、大の男が泣くのだろうか。非常に商業主義的な考えだが、東村にとって宮田は同世代の同業者、ある種ライバルである、一人いなくなるのだからむしろ彼にとっては良いことなのではないか。しかし一筋の涙が彼の深い皺が入った頬を伝うのを私は見逃さなかった。
「泣いていらっしゃるのですか?」 偉大なミステリー作家が涙したのを見て妙な尊敬語が出てしまった。
「あ、いや、ああ」 東村は涙を腕で拭った。そこには多数の文学賞を受賞してきた権威のある小説家の姿はなかった。まるで自分ではどうしようもないことに直面した少年のような、そんな存在に感じられた。
「宮田先生とは個人的にも親しくされていたのですか?」
「ああ」
「失礼を承知でお尋ねしますが、それは交際されていたということですか?」 二人は結婚している、だからもし、それが事実だとすれば不倫、ベストセラー作家同士のダブル不倫となる。簡単に認めるとは思わなかったが、この状況では聞かざるを得なかった。
「まぁ、この際だから、君だけに話そうかな、答えはイエスだ。だが交際していたのはずっと昔のこと、もう三十年、いや四十年も前かな。お互い若かった」
そういえば宮田夏子の作品に作家同士の不倫の話があった気がする。読んだことはないが、確かそれもダブル不倫、ドロドロの愛憎劇の末、これまた殺人事件に発展する話だったはずだ。一部実体験だったということだ。
「でも、今はお互い歳を取ってね。尊敬し、尊重し合える仲になった。たまに食事をしたり、美術館や博物館に行ったり、旅行をすることもたまにあるかな、でももちろん二人の間に肉体関係はない。本当に親友で戦友のような関係だよ。これからもそんな間柄を深めて行きたかった。私にとって彼女はかけがえのない、唯一無二の存在だった。そんな彼女が殺人を犯したということを受け止められなくて。不甲斐ない、涙を流してしまった。これは我々の秘密にしておいてくれ」
「承知しました」 東村は立ち上がり、ベッドサイドにあったティッシュを取った。そして何かを振り払うように涙を拭った。
「秘密の共有したついでと言ってはなんですが、夏村先生に関する噂の話をしませんか?」
「噂?噂とは?」
「夏村龍治のゴーストライターについてです」 その言葉に東村が微かな嫌悪感を覚えたように見えた。
「そんな噂があるのですか?」
「ええ、私もさっき宮田先生から聞きました」
「彼女が君に夏村龍治にはゴーストライターがいると話した?」 東村の声には怒りの感情が混じっていた。そして口調も敬語からくだけた話し方に変わってきている。私はその質問に首を縦に振った。
「そうか、彼女も君に殺人を暴かれてヤケになったんだろう。ゴーストライターについての噂は確かに私も聞いたことがある」
「私は東村先生がそうなのではないかと思っています」
東村が私をじっと見つめる。その表情は先程とはうってかわって、ミステリー文学界の巨匠、威厳のある小説家の東村正明その人だった。私は負けじと目線を逸さなかった。
「ふっ、はっはっは!」 東村は急に笑い出した。緊張と緩和が急だったもので、私はたじろいでしまった。
「もしかして、夏子は松本君に謎を解くように言ったんじゃないか?夏村龍治のゴーストライターを当ててみなさいと」
「まさしく、その通りです」
「やっぱりか、彼女らしいといえば彼女らしいか」
「当たっていましたか?」
「当たっているか当たってないかといえば、当たっていないの方が正しいかな、いや、しかし当たっているとも言える」
「どっちなんですか?」
「この曖昧な回答がヒントだよ。よくよく考えてみたまえ、真実はずっと最初からあったんだよ」
「最初から?」
「流石にヒントを出しすぎだかな。ここからは君の手腕でなんとかしたまえ」 東村はさっきまで泣いていたとは思えないほどとても陽気だった。気分の上昇下降が激しいのはあまり精神的に良くないと聞く。良い精神科を進めようかとも思ったが、私はまず出された問題を解くのを優先することにした。
「久しぶりに愉快だ、今日は良い酒が飲める。一緒にどうかね?」
「解かなければいけない謎があるので、今日はやめにしておきます」
「そうか、頑張れよ。作家探偵」
「宮田先生にも作家探偵と呼ばれました」
「長年、同じ時間を過ごしていると言葉のセンスも似てくるのかもな」
「では、私はこれにて失礼致します」
私は東村の部屋を後にした。
続いて、私は黒崎の部屋を訪ねた。しかし、不在。屋敷の中で何か作業をしているのだろう。だがこの広い屋敷の中から探すのは一苦労だ。私は仕方なく、朔明カレンを先に訪ねることにした。牢獄への道すがら、私は彼にどこまで伝えるべきか考えた。今回の事件のことを話すべきなのだろうか、明確な理由はないが話さない方が良いのではないかという気がしていた。でもこの小説家が小説家を殺した事件はいずれは世間に公表される、つまり彼の知るところにもなるということ、知るのが早いか遅いかだけの話、私は彼に全てを伝えようと決めた。
牢獄の中の朔明カレンはベッドに寝転がり本を読んでいた。私に気がつくと身を起こし爽やかな笑顔を見せた。
「これはこれは松本先生、どうされました?私を訪ねてくるなんて」
「実は龍川先生が殺された事件が解決しました」
「ほう、それは松本先生が解決されたのですか?」
「ええ、まぁ」
朔明は拍手をした。ただのポーズというより、心から祝福しているような拍手だった。
「エクセレント、素晴らしい。さすがミステリー文学界のホープですね。私の目に狂いはなかった。あなたならこの事件を解決できると確信していました」 彼に褒められるのが妙に照れ臭かった。
「答え合わせをしませんか?あなたも真実に気づいていたんでしょう」
「ふふっ、いいですね。答え合わせ。懐かしい響きだ。小学生の頃のテストを思い出します」
「あなたみたいな伝説的犯罪者にも小学生時代があったんですね」
「もちろん、勉強ができて、よく周りの大人に褒められましたよ。末は博士か大臣かなんて、耳にタコができるほど聞かされましたよ」
「末は大物犯罪者だなんて誰も思わなかったでしょうね」 朔明カレンは手を叩いて笑った。
「あっはっは!なかなか上手いこと言いますね。でもね松本先生、私は博士よりも大臣よりも今の自分が好きなんですよ。博士なんて、今の時代、需要がなければいかに研究費を集めるかに頭を悩ませるだけです。大臣なんて、一つの発言が命取り、いつ辞職を迫られるかにビクビクしながら生きていかなければならない。そんな立場より、今のこの、あなたのいう大物犯罪者の方がよっぽどマシです。何せ、自由だ。金もあるし時間もある。好きな時に好きな事ができる。どこで何をしようとあれは朔明カレンだからという理由で許容される。今は、まぁこの場所にいますが、それも私が望んだことです。今、私は外見よりも自分の内面を豊かにする人生のフェーズなんですよ」
「そうですか」 朔明は右手を上げ、自分の頭をポンと叩いた。
「いけませんね。私はおしゃべりなのですぐに話題とは別の方へ進めてしまうんです。全く、孤独を決め込んでいるのに、やはり心の中では他者との関わりを望んでいるのでしょうかね。ダメだダメだ。しっかりしないと」
「構いませんよ。僕は人の話を聞く方が好きですから。それにどんな言葉が創作のネタになるかもわかりません。会話の脱線、大いに結構です」「松本先生、そんなこと言われたらおしゃべりな私はどんどん調子に乗ってしまいますよ。では脱線した会話を本線に戻しましょう」
「答え合わせですね」
「犯人は宮田先生でしょう」
「そうです。事件の後にあなたを訪ねたとき、犯人がわかったんですか?」
「ええ、そうですよ」
「どうしてわかったんですか?事件の簡単な説明はしましたが、犯人までわかるなんて」
「まず、彼女の様子です。私は今まで殺人に手を染めた人間を何人も見てきました。最初の殺人は誰しも動揺するものです。殺人を犯す前と後では、明らかに様子が変わる。その小さな違いを私は何度も見てきた。それが彼女にもあった。それだけです」
「トリックもわかっていましたか?」
「ええ、自分の鍵を部屋に残したんでしょう。実に単純なトリックです。ですがトリックというのは単純であればあるほど、解くのが難しい。よくわかりましたね」
「ええ、頭をフル回転させました」
「センサーの件も遮れば時間は誤魔化せる、日常に犯罪が溶け込んでいる私にとっては難しくはなかったということです」 果たしてそうだろうか。少し事件の話を聞いただけで、解決する。安楽椅子探偵のようだ。ただ想像と現実は違う。そんなことがこの男に可能だったのだろうか、そんな疑問が私の頭に浮かんだ。
「全ては夏村先生の指示だったようです」
「そういえばいつだったか、現実で殺人事件を起こしてみたいという願望があるとおっしゃっていました」
「もしかして今回の殺人事件の計画をしたのはあなただったんじゃないですか?だから事件の真実がわかっていた」 朔明カレンは大きく目を見開いた。そして口角を上げた。
「当たらずとも遠からずといったところでしょうか。その鋭い洞察力、大事にしてください」
「答えは教えてはくれないわけですか」
「教えてもいいのですが。せっかく我々は今、ミステリーの中にいるんです。答えをすぐ教えてはつまらないでしょう」 どいつもこいつもはっきりとしたことを言わないミステリーだ。
「ヒントはないでしょうか?」
「ヒントですか。ヒントは先生の残されたあの小説、『名探偵を殺せ!』ですかね」
「あれがヒント?」
「ええ、あれがヒントです。読み終わりましたか?」
「いいえ、まだです」
「では是非最後まで読んでください。先生のご褒美もあなたなら手にいれることができるでしょう」
「その夏村先生についてなんですが、ゴーストライターがいるという噂をご存知ですか?」 朔明カレンはニヤリと笑う。
「ほう、誰からそんな話を?」
「宮田先生です」
「そうですか、彼女が。松本先生は誰だと思っていらっしゃいますか?ゴーストライターが」
「東村さんか黒崎さん、もしくはあなただと思っています」 彼は自分の痩けた頬を撫でた。
「仮に私が夏村龍治のゴーストライターだとすると時系列が合わないのでは?」
「夏村龍治の活動は約四十年、あなたは今五十歳くらいだとすると、中学生くらいの頃からゴーストをしていたということになる。確かに荒唐無稽な話だが、あり得ない話ではない。そしてそのゴーストライターが伝説的な犯罪者という都市伝説を作り上げ、自分がその人物を演じる。なかなか面白い話ではないですか?」
「なるほど、なるほど、松本先生、私はあなたをみくびっていたようだ。ただモノじ
ゃない。でもまぁ、よくよく考えればただモノではないというのも当然なんですがね」
「どういう意味ですか?」
「あなたのルーツの話ですよ」
ルーツ、出生のことだろう。つまり両親だ、確かに私は施設育ち、実の母と父を知らない。この男は私の実の両親が誰か知っているのだ、しかもその両親は只者ではないらしい。
「あなたは色んなことをご存知なんですね」
「ええ、何せ伝説的な犯罪者ですからね。そういう人物は自分が関わる人間について下調べを怠らないのですよ。だからそういう人物になれたんです。まぁ、それも全て虚構かもしれないですがね」
「あなたがゴーストライターですか?」
「パズルのピースを集めることです。まだ全てを手に入れてはいないでしょうから。でも、もしかしたら自分でピースを作ることもできるかもしれません。推理という技法を使えばですが。或いは、我々自身がパズルのピースなのかも」
「わかりました」
「私はまだ物語を終わらせるつもりはありません。今日はこの辺りにしておきましょう。先生」 朔明カレンはゆっくりと右手を挙げ、私に手を振った。話しているとこの男のペースに嵌められてしまう。今度会うときはその点に注意して接することにしよう。私はきびすを返し、地上へと続く階段を登った。
牢獄から出る。外はもう日が暮れてきていた。廊下を曲がったところでちょうど黒崎に会った。彼は掃除機で廊下の掃除をしていた。その掃除機が非常に音が小さく、静かだった。
「この広い屋敷の掃除は大変そうですね」
「ええ、ですがもう慣れました」
「その掃除機、静かでいいですね」
「ええ、夏村先生が音に非常に敏感な方で、執筆中に大きな音を立てるとよく叱られました。集中力が切れると執筆を終わらざるを得ない、もし集中力が続いていればもっと良いものが出来たかもしれない、君は名作を潰す気かとね」
「なるほど、実はその夏村先生について聞きたいことがあるんですが、今は忙しいですかね?」
「いえ、掃除の最後はこの牢獄の前と決めていまして、ちょうど終わったところです。お話ということであればコーヒーでもお淹れしましょうか?」
「ええ、是非。ブラックでお願いします」
「では娯楽室へ行きましょう。そちらにお菓子などの軽食もありますので」
私は黒崎についていき、娯楽室へと入った。中はいくつかのエリアに分かれていた。カジノにあるようバカラやブラックジャックのテーブルやルーレット、丁半博打の賭場、全自動の麻雀卓、スロットマシーン、様々な賭け事が出来るようになっていた。
「これはすごいですね。ありとあらゆるギャンブルが揃ってる」
「ええ。昔は様々な有力者や有名人を呼んでギャンブルを楽しまれていたようです」
「そう言えば【名探偵を殺せ】の失踪した探偵もギャンブル好きでしたね」
「ええ、先生は『登場人物には必ず自分の持っているアイデンティティーの一部が投影される。それは無意識的なもので、殺人鬼であろうがヤクザであろうが、それは間違いない』とおっしゃっておりました」
「私もどこかでその言葉を読んだことがあります」
「そうでしたか。とりあえず、好きなところにお掛けください」
私はひとまず、ルーレットの席に座った。黒崎がその場を離れる、何となくルーレットを回し、玉を入れてみる。確かこの回転盤はウィール、玉はボールと呼ぶんだったかな。海千山千のディーラーは自分に思った場所に玉を入れることができるそうだ。赤に入る!と自分の心の中でベットしてみたが、結果は黒だった。私は賭け事に弱い、海外のカジノで勝ったことはないし、麻雀はいつもハコテン、宝くじは当然な
がら当たったことがない。私は一発逆転の人生ではないのだ。そういうタイプなのだ。
「お待たせしました」 黒崎がティーカップのコーヒーとお皿に入れたクッキーを持ってきた。
「どうぞ」 私はコーヒーを口に運ぶ。コクと酸味と苦味のバランスがちょうどいい。
「とても美味しいです。最近飲んだコーヒーの中でベストかもしれない」
「ありがとうございます。先生はコーヒーにこだわる方だったので自分なりに研究しました」
「黒崎さんは飲まれないんですか?」
「ええ、先ほどお茶を飲みましてね。それに私はこの時間にコーヒーを飲むと眠れなくなってしまうんですよ。ただでさえ不眠気味なので」
「あまり眠れないんですか?」
「はい、眠ったとしてもすぐに起きてしまうんですよ」 確かによくみると目の下にクマがある。「睡眠導入剤は飲まれているんですか?」
「ええ、実は夏村先生から頂いた物があります。どうも日本では手に入らないなかな
か強力な物らしく、あ、もちろん合法ですよ。これを飲まないと全く眠れないんです」
「先生の使われていたんでしょうかね?」
「ええ、恐らく。それで夏村先生に関して聞きたいことというのは?」
「ああ、それよりもまず一つ話しておくことがありまして」 私は龍川を殺害したのが宮田夏子だったということを説明した。
「そうだったんですか、宮田先生が」
「ええ、でもそれが夏村先生の指示だったようなんです」
「と言いますと?」
「夏村先生は龍川先生の作品や人間性を否定するような発言を聞いたことはありませんか?」
「え?ああ、そう言えば何度か」
「決して表で非難はしなかったようなんですが、心の中では嫌悪していたそうです。宮田先生がおっしゃっていました。そして睡眠薬だと言って毒物を龍川先生に盛らせた」
「何というか、言葉が出てきません」
「無理もないと思います。それで、ここからが伺いたいことなんですが、夏村先生にゴーストライターがいたという噂を聞いたことがありますか?」
「ゴーストライターですか?」
「ええ、宮田先生曰く、いたようなんです」 黒崎が手を口元に当てて何かを考え出した。
「それで、実は黒崎さんがゴーストライターなのではないかな?とも実は思っていまして」
「そんな、滅相もございません。私には小説なんて書けませんし、書いたこともありません」 東村や朔明カレンと違ってはっきりと否定した。嘘を言っているようには見えなかった。まだ真偽は定かではないし、勝手な私の判断だが、黒崎はゴーストライターの可能性が低い気がする。
「ただ、ゴーストライターと聞いて、少し納得出来る節があります」
「夏村先生に?」
「はい、お酒に酔っていらした時に、『所詮、私は紛い物だ』とか『夏村龍治は仮初め小説家に過ぎない』などとおっしゃることがありまして。その時は先生の哲学のように感じたのですが、ゴーストライターと聞くと、その言葉は実は本当のことだったのではないかなと」「なるほど、ゴーストライターがいたとすれば紛い物だし仮初めですね。宮田先生が言うにはそのゴーストライターは今、この島にいるらしいんです。黒崎さんから見て、誰がゴーストライターだと思いますか?」
「この島にいる人ですか、私には皆目見当もつきません。ただ、全く関係のない話かもしれませんが」 黒崎が私の顔を見る。この人に話しても良いかどうかを確認するような顔だ。
「ああ、安心してください。結構口は硬い方です」 事件の内容をベラベラと話した後に口は硬いは信憑性がない。黒崎はここまで話したのならば仕方がないと言った感じで話し始めた。
「実は夏村先生には隠し子がいたようなんです」
「隠し子ですか、それは初耳ですね。どうしてわかったんですか?」
「先生が、これも酔っていらした時に、『実は息子がいるんだ。あいつがいないと私は、夏村龍治はいなかった。あいつの存在こそ夏村龍治だと言っても過言ではない』そんな話をされたことがありましてね」
「息子がゴーストライター?」
「そういう意味にとらえることもできますよね?」 息子、男性、つまり宮田夏子は違う。ゴーストライターは東村正明、龍川洋一、朔明カレンの誰かということだ、黒崎がの可能性もゼロではないが。しかしその中の一人がゴーストライターだったとして、それがわかったとして、どうも私にはモヤモヤが残る気がした。それが何かとははっきり言えないが、そんな気がした。
「貴重なお話を聞かせてもらってありがとうございました」
「いえいえ、滅相もございません」
「では、今日のところはこの辺で」
「夕飯はいかがなされますか?」
「今日は大丈夫です。部屋の冷蔵庫にあるものを適当にいただきます」
「承知致しました」
私は娯楽室を後にした。そして部屋に戻り、小説の続きを読むことにした。
喫茶エルキュールは駅前の商店街の裏にあるひとけのない通りにポツンと立っている。いつも空いているからよく商売が成り立っていると来るたびに思う。俺は奥にある窓側の席に座った。アイスコーヒーを注文し、松谷を待った。
松谷は時間通りにエルキュールに来た。扇子を片手に俺の前に座った。センスには富士山が描かれていた、裏には日本一の文字、センスのない扇子、そんなありふれたつまらない冗談がぴったりの扇子だった。くたびれたYシャツを腕まくりし、脇にはびっしょりと汗をかいている、白いハンカチで拭う額は会うたびに広がっているようだ。松谷はチョコレートパフェを注文した、コワモテの顔からは一番遠い。「さて、じゃあ情報交換と行くか。一応調べてきてやった」 松谷は茶封筒をテーブルに置いた。俺はその茶封筒を取ろうとした。
「まずはそっちからだ」
さすが、歴戦の男、一筋縄ではいかない。だが人を騙す性格ではない。俺は松谷を信用することにした。
「今、この街で起こっている事件、まぁ説明するまでもないが、探偵が連続で殺されてるわけだ」 パフェが届き、松谷が美味しそうにスプーンで口に運ぶ。
「今、ある探偵が行方不明だ。アンタもよく知っているやつだぜ」
「誰だ?」
「三木俊樹」
「え?あいつが?本当か?」
「ああ、今、俺が行方を探してる。あいつの助手から依頼されてな。死体は出てないから殺されてるかは不明だ」
「そうか、じゃあこの資料にある過去の殺人事件も関係してるってことか」
「今はなんとも言えないがな、三木が調べてたんだ」
「この事件をか」
「ああ、それに殺された戸川、金田も調べてたみたいだ」
「実はな、警察は戸川がこの事件を調べてたことは知ってたんだ。でも調べてもすでに解決済みの事件だ。特に何も出てこなかった。でも金田もだったとは、てことは古見も」
「可能性は高いと思うぜ。俺の情報はここまで資料をもらってもいいか?」 三木が探偵達を訪ねていた事、俺が過去にこの事件に関わっていた事は松谷には伝えなかった。切り札は最後まで取っておかなければいけない。
「ああ、構わない。持って行け。全て終わったら処分しろよ。それと何かわかったら俺にすぐに連絡しろ。いいな?」
「ご馳走さん」
俺はここの支払いを松谷に任せようと席を立ち、出口へ向かう。
「夏畑。死ぬなよ」
後ろ姿はどこか寂しげだった。
喫茶エルキュールを出るとカイトから電話がかかってきた。
「もしもし、夏畑さんですか?」
「ああ、何かわかったか?」
「ええ、杉上探偵社の事務の方にお話を聞いたところ、やはりあの前の殺人事件を調査していたようです。それと一ヶ月ほど前に三木先生が訪ねてきて、杉上さんと何か話をしていたらしいんです。詳しいことは分かりませんが、やはり全ては繋がっているような気がします!」「やはりそうだったか」「残るは古見探偵だけですね。僕がまた行ってきましょうか。ここからすぐなので」
「ああ、頼む。俺は過去の事件についてもう少し調べてみる」
「わかりました。では失礼します」
「ああ」 電話が切れる。車に戻り、松谷から貰った資料に目を通す。大体のことは先ほど金田の事務所で貰った資料に書いてあったことと同じだった。ただ、そこには新たな情報があった。木瀬家の逮捕された父親が、二年前に刑務所内で自殺していたのだ。パジャマやタオルを使い、洗面所で首を吊ったらしい。遺書は特になかったそうだが、同房だった人の話によると面会に来た娘が原因だったようだ。娘のあまりの変わり様にかなりショックを受けていたとのこと。自殺をするまでの変わり様なんてどういうことだ。しかし、これでわかった。この自殺が今回の一連の事件のきっかけである可能性が高い。
今回の事件を調べている中で私にはある違和感があった。それは三木のことだ。三木はこの過去の事件の件で、この街の探偵達を訪ねていた。そして恐らく何かを依頼した。探偵が探偵に調査を依頼する。それは実におかしなことだ。しかし名探偵の三木がそんな無駄なことをするはずはない。何か事情があったんだ。自分では調査できない事情が。よくよく考えてみると三木の事務所もおかしかった。ざっと見た限りだが、この殺人事件に関する資料らしき物がなかった。他の探偵に依頼するような事件、自分でも資料くらいは持っているんじゃないか。しかしなかった。いや、わざと事務所に置かなかった?だとするならばあるのは自宅しかない。私は車をエンジンをかけた。
三木の自宅は喫茶エルキュールから車で十五分ほどの場所にあった。築約四十年ほどのオンボロアパートだ。何度か来たことがある、風呂はあるがシャワーがついていない、トイレはあるが、ウォシュレットがない。今の時代にそぐわない家だ。引っ越しをしないのか聞いたことがあるが、家賃が異常に安い、それに意外とここでの暮らしを気に入っていると言い、その気はない様だった。
ちょうど、三木の自宅に到着し、駐車場へ車を入れたところでカイトから電話が来た。
「もしもし、夏畑さん」
「おう、どうだった?」
「やはり睨んだ通り、古見さんのところにも来ていました」
「そうだったか、でもそろそろ五時だ、今日はもうこの辺にしておこう。俺は残業はしない主義なんだ」
「わかりました。ではまた明日に事務所に伺います」
「ああ、わかった」
「お疲れ様でした」
「おう、お疲れ」
電話を切って車を出る。濃いオレンジ色の空の下を歩く。一度、このアパートの駐車場で三木と一緒に一服したことを思い出す。あれは夏の蒸し暑い夜だった。三木の家にはクーラーがなかった、寝苦しかった俺は部屋を出て、一服していると三木も出てきた。三木はクーラーがないことを謝った。俺はだったら引っ越すかクーラーくらい取り付けろと言うと、三木はクーラーがあったらこうやって夏の夜空の下、お前と一服することもないだろうと言った。三木はそんなやつだった。愛されるやつだった。またもう一度あいつと一服できるだろうか、いや一服するために俺は今、こうしてもがいているんだ。
三木の部屋のチャイムを鳴らす、当然ながら反応はない。部屋の前には植木鉢が置かれている。合鍵がここにありますよと言わんばかりの植木鉢だ。しかし、鉢をどけて、下の皿を見ても、その皿の下を見ても合鍵はない。実は植木鉢の土の中にある。誰しも土の中までは見ない、そんな三木の理論を聞いていたから俺はすぐに玄関のドアを開けることができた。部屋はやはり散らかっている。カップラーメンやペットボトル、新聞や雑誌、洋服があちらこちらに点在している。
「ズボラなのは相変わらずか、邪魔するぞ」 一応玄関で靴を脱ぎ、中に入る。俺の考えが正しければ室内に過去の事件の資料があるはずだ。しかしざっとみる限りそのようなものは見当たらない。ゴミをかき分け、奥へ進む。本棚があるが、資料らしきものはない。あるのは探偵小説と探偵もののDVDばかりだ、やはりシャーロックホームズのものが多い。
ふと押し入れが目に入る、隠すなら最適の場所だ。恐る恐る押し入れの戸を開ける。ビンゴだった。そこには例の木瀬家に殺人事件に関する資料や新聞記事が壁一面に貼られていた。
「さすが、名探偵」 一つ一つ目を通していく。金田や松谷の資料と被っているところが多い。無理もない話だ。目を通していくうちにある資料に目が止まった。それは木瀬家の残された娘、伊織に関するものだった。伊織は事件当時、中学生、生きていれば今は二十三、四。伊織はあまり目立たない生徒、友達も少なかった。事件があったため、伊織は母親と共に転校、そしてその転校先で高校に入るが事件のことがバレて自主退学、その後の足取りは掴めていない、そしてその転校先が今、俺の住むこの街だった様だ。もしかして伊織はまだこの街にいるのか? その資料には写真が何枚かあった。伊織の写真だ、修学旅行や文化祭、そして卒業写真。確かにあまり目立っているタイプではなかった様だが、とても綺麗な顔立ちをしていた。そして俺はその写真を見て驚愕した。同時に自分の不甲斐なさが心底嫌になった。やはり俺にはまだやらなければならないことがある。資料の中には木瀬家の転校先の住所もあった。ここからそれほど遠くない。夜が濃くなる前に行こう。私は足早に三木の自宅を出た。
木瀬家に到着した頃にはもうすっかり日は暮れていた。町外れの木造平屋建ての一軒家、色褪せた外観が年月を物語っている。表札はなかった、殺人犯に繋がるような情報は少しでも取り除いておきたいのだろうか。私はチャイムを押した。「どちら様でしょうか?」 老齢の女性の声。
「夜分遅くにすみません、実は木瀬伊織さんについてお話を伺いたいのですが」
「伊織?娘が何か?」 やはり伊織の母親、俊子だ。
「伊織さんは今どちらに?」
「わかりません。何年も前に出ていきましたので」
「実は伊織さんがある殺人事件に関わっている可能性がありまして」
「あなたは警察の方なのですか?」 私にはある考えが浮かんだ。
「はい、捜査一課の松谷と申します」
「わかりました。少しお待ちください」
玄関のドアが開いて女性が一人出てきた。五十代から六十代、深く刻まれたシワや薄くなった頭皮が様々な苦労を思わせる。着用していた浅葱色のワンピースが顔と似合わずアンバランスだった。家の中に入ると線香の匂いがした。祖母の家で嗅いだ匂いだ。廊下を抜け、茶の間に通された。茶の間には仏壇があった。遺影は刑務所で死んだ父親で夫の木瀬和馬だった。
「こちらは和馬さんですか?」
俊子は少し驚いたようだった、そしてうなずいた。
「線香を上げさせていただいても?」
「構いません」
私は線香を上げた。遺影の和馬はかなり若かった。おそらく刑務所に入る前の写真だろう。生き生きとした笑顔が余計に辛い。こんな男が殺人を犯すなんて。
「ある程度のことは承知しているつもりです。和馬さんのことは本当にお気の毒でした」
「お気遣いありがとうございます」
「自殺の原因は伊織さんだったとか?」
「ええ、面会に来たらしいのですが、その変貌にショックを受けたらしいです。私は全く会っていないので詳しいことはわからないのですが」
「そうですか、実は今この街である連続殺人事件が起こっていまして。それに伊織さんが何らかの形で関わっている可能性があります」
「もしかして探偵が次々に殺されているっていう?」
「ええ、それです。何か思い当たることはありませんか?」
「いえ、娘の伊織は高校の時にこの家を出ました。それからというもの全く会っていないんです」
「そうでしたか。確かここにへ中学生の頃に引っ越されたのですよね」
「ええ、それで高校に上がるとだんだん家に帰ってこなくなりましてね。高校を退学、その後は工場でアルバイトをしていたようなんですが、最終的に家出です。捜索願も出そうと思ったのですが、いつかは帰ってくると思って」
俊子の声が震えてくる。私は自分の持っていたハンカチを俊子に差し出した。「ありがとうございます」 俊子がハンカチで涙を拭う。
「俊子さん、少し突っ込んだお話をしても?」
「どうぞ」
「ここに引っ越してきたのは例の殺人事件が原因ですよね?」
「ええ、もうあの街にはいられませんでしたから」
「あなたの不倫が原因とされていますが、本当だったんですか?」 俊子が涙を拭う手を止める。やはりこの話題はマズかったか。
「実は常々思っていたことがあるんです」
「どんなことですか?」
「夫の和馬と私の名誉を回復したいと」
「名誉を回復?」
「私ももう先が見えてきました。あなたがここに来たのも何かの縁、あの殺人事件の真相をお伝えします」
「お願いします」
「実は、夫は殺人をしていないし、私も不倫をしていないんです」
「どういうことですか?」
「まず、不倫相手と言われている加藤正一さんですが、彼は生き別れた実の弟なんです。本当に偶然でした。一緒のスーパーで働いていて、なんとなくお互いの親の話をしました。そうしたら境遇がやけに似ていた、そして名前も同じ、お互いに生き別れた姉と弟がいる、最初は本当に驚きました。それで周りに言うべきなのかどうかを話し合いました。私には私の生活、弟には弟の生活がある、だから今の生活をお互いに大事にしようということになり、その姉弟の関係は明かさないことにしたんです」
「そうだったんですか」
「ええ、でもたまに二人で食事をしたり買い物に行ったりしてました。血の繋がりっていうのは恐ろしいですね。やっぱり一緒にいると楽しかったんです。でもそれを夫の和馬が疑い出したんですよ。それで不倫調査を探偵に依頼しました」 その探偵は今、あなたの目の前にいる人物だ。
「そして弟と一緒に、彼の部屋で過ごしていた時でした」 俊子の表情が曇る。
「伊織が訪ねてきたんです。包丁を持って」
「え?」
「伊織も不倫を疑っていたんです。そして探偵の報告書を見て、私を尾行したんでしょうね。伊織は私を突き飛ばし、弟を刺しました。何度も何度も、私は声が出ませんでした。弟が息をしなくなると伊織は泣き始めました。『お母さんは悪くない、悪いのはこの人。私たち家族を壊そうとしたこの人が悪い』と何度も言ってました。私は夫の和馬に連絡をし、全てを打ち明けました」
「ということは殺人犯は和馬さんではなく伊織さん?」
「そうです。夫は娘を庇うため、包丁を持って自首しました。そして私は放心状態の娘を何とか家まで連れて帰った。これが全ての真相です」なんてこった、俺は過去に取り返しのつかないミスをしていたようだ。
「娘には弟との関係は話していません。不倫相手を殺したと思っていたら実の叔父を殺していたなんて知ってほしくなかったので」
「そうでしたか」
「全て公表しても構いませんので」
「俊子さん、実は私」
「警察ではないんでしょう?わかりますよ。警察は一人で来ることはあまりないです
からね。それに私、松谷さんを知ってるんです。当時事件を担当された方でしたから」
「では、どうして私を通されたんですか?」
「さぁ、なぜでしょう。一人暮らしが長いので誰かと話をしたかったんですかね」
「申し訳ありませんでした。本当は夏畑京作、私立探偵です。そして、その、実は」
「もしかして不倫調査をされた方?」「本当に申し訳ございませんでした」 私は頭を床につけ土下座をした。
「もういいんです。あなたは仕事をしただけ、それにあなたの報告書を私も見ましたが、不倫の可能性が高いとしか書いてありませんでした。それを伊織が間に受けただけです」
「私にできることでしたら何でもおっしゃってください」
「では、一つお願いできますか?」
「何でしょう?」
「人探しの依頼をさせてください。娘の伊織を見つけてください」
「わかりました。引き受けさせていただきます」
木瀬家を出て、私は松谷に電話をかけ、一通りの説明をした。
「そうか、そんなことが過去にあったのか」
「ああ、だから今、どこにいるか、所在をすぐに調べて欲しいんだ」
「わかった。任せておけ」
「頼ん、う」
頭にいきなり激痛が走り、私はその場に倒れ込んだ。鈍い金属音がした、誰かにバットのような物で殴られたらしい。尾行されていたのか。
「ん?夏畑?どうした?大丈夫か!?」
バチバチッと電気が走ったような音がする。殴った上に今度はスタンガンか、恐らくあいつだろうな。
「おい!夏畑!返事しろ!」
俺を殴ったと思われる人物が俺のスマホを踏みつけた。これはマズい状況だ。スタンガンの音がどんどん近づいてくる。
「ああああああああああ」
意識がどんどん遠のいていく。 そろそろ物語はクライマックスといったところか。私は盛り上がってきたところで一旦本を中断するのが好きだ。その後の生活の中で楽しみが一つ増えるからだ。この先の物語に期待し、私は眠りに落ちた。
~ 三日目 ~
翌朝、食堂に降りてくると、黒崎と東村の姿があった。
「松本様、おはようございます」
「おはようございます。宮田先生がいらっしゃらないですね」
「ええ、私も昨日のことが気になったので先程お部屋を尋ねたのですが、不在でした。それでここに来たところ、東村様がいらして今から屋敷内を探そうかというお話になりまして」
どことなく嫌な予感がした。
「私と黒崎さんは朔明カレンのところで会ったのが最後なんですが、松本先生は宮田さんと最後に会ったのは?」
「昨日、龍川さんの事件について話をしたときです。後は部屋にいました」
「なるほど、とりあえず三人で探してみましょう。黒崎さんは屋敷の外をお願いできますか?」
「それには及びません。昨日の雨で地面がぬかるんでいます、先程、庭を整備していたのですが、私以外の足跡はどこにもありませんでした。つまり誰も屋敷から出ていない」
「ということは宮田先生はまだこの屋敷の中に。手分けして探しましょう」 私、黒崎、東村の二手に分かれて屋敷の中を探す。黒崎は二階、私と東村は二階を探すことになった。しかし、客室、娯楽室、食堂、警備室、車庫、書斎など、どの部屋にも宮田夏子の姿はなかった。三人で再度食堂に集合する。
「どこにもいないです。二階はどうでしたか?黒崎さん」 私は黒崎に尋ねた。
「どこにもいませんでした。そちらはどうでしたか?」
「こちらも全く」 東村が答えた。
「そうですか、あ、一つだけまだ探していないところがあります」
「それはどこですか?黒崎さん」
「地下ですよ。松本先生。朔明カレンのところです」
「まさか、どうして彼女があんなところに」
東村が小馬鹿にしたように笑う。
「とりあえず行くだけ行ってみましょう」 三人で地下への階段を降りる。私の嫌な予感がどんどんと大きくなっていく。牢屋へと続く扉が開いた瞬間、何かが燃えたような、焦げ臭い匂いが鼻を突いた。三人の中に妙な緊張感が走る。恐る恐る奥へと進む。朔明カレンの牢屋まで続く廊下に、真っ黒に燃えた人らしき姿があった。周りには黒い煤が広がっている。
「遅かったじゃないですか?」 朔明カレンの声だった。
「宮田先生はお亡くなりになりました。そちらがご遺体です」
「一体、何があったんだ!」 東村の声には怒りや悲しみの感情が入り混じっていた。
「何があったか、ですか。昨日、いやもう今日ですかね。深夜、私はここで本を読んでいました。そこに宮田先生がいらしたんです。ポリタンクを持って。彼女は何か思い詰めていた様子でした。彼女はポリタンクの蓋を取り、中の液体を自分の体に浴びました。匂いからするとおそらくガソリンだったのでしょう。ここの車庫に置いてあったはずです。彼女は『罪を償う』と言って火を付けました。燃えて踊る彼女は美しかったです」 ポリタンクが一つ、廊下の隅に転がっていた。朔明カレンの牢屋の中にも似たようなポリタンクがあった。
「貴様・・・」 東村が牢屋に駆け寄ろうとする。私は反射的にそれを止めた。朔明カレンが廊下の上を指差す。
「とりあえず、あれをみた方が早いと思いますよ」 朔明カレンが指差した方を見ると、そこには防犯カメラがあった。
「画角としては私の部屋は映っていませんが、廊下で何があったかはすべて記録されているはずです。時間は深夜一時頃、確認されてみてはいかがでしょう」
「では一度、警備室へ行きましょう」
我々は警備室へ戻り、映像を確認した。朔明カレンが言ったように彼の牢屋までは映っていない、画角としては廊下を入り口から奥に向かって映している。黒崎が時刻を深夜一時まで巻き戻す。宮田夏子がポリタンクを片手に現れた。そして何かを朔明カレンに言っている、そしておもむろにポリタンクの蓋を開け、自身の体に液体をかけた、マッチで火を点けると炎が一気に燃え上がった。瞬く間に彼女は黒い人の形をしたものになった。そこで私は朔明カレンの恐ろしさに気がついた。彼は焼身自殺を遂げた人間を目の前にし、その遺体と共に一晩過ごした、そして翌朝、何事もなかったかのような振る舞いを我々に見せた。伝説的な犯罪者という肩書きもまんざら嘘ではないように思えた。
「そんな、どうしてこんなこと」 東村が肩を落とす。
「やはりもう一度、朔明カレンに話を聞く必要がありますね。黒崎さん、東村さんと一緒にここで待っていていただけますか?私一人で行ってきますので」落胆する東村にまた宮田夏子の遺体を見せるわけにはいかなかった。そしてもう一つ、私には確認するべき、いや、しなければならないことがあった。
「承知致しました」
私は再び、朔明カレンの牢獄へとやってきた。
「これはこれは。松本先生、他のお二人は?」
「東村さんがひどく落ち込んでいましてね。黒崎さんに見てもらっています」
「ああ、なるほど。あの二人は確か、元恋仲でしたか?」
「ええ、今は親友のような関係だそうです。そんな大事な人の焼身死体を見れば誰だってああなるでしょう。無理もない話だ。でもあなたは違った。目の前で人が燃えて、その死体と一晩中共に過ごしていた。異常なことだと思いますよ」
「仕事柄、死体は見慣れていましてね。それにここは防音になっているんです。私がいくら叫んだところで上には何も聞こえない、声を出すだけ無駄、だからじっとして誰かが来るのを待ちしかなかった。それだけのことです」
「普通の人なら発狂してもおかしくないような状況ですね」
「では焼身死体を目の前にして話をしている我々はどうでしょう?」
「どういう意味ですか?」
「普通の人なら、このように平然と会話をすることができるんでしょうか?」
「私とあなたは同類とでも言いたいのですか?」
「同じ匂いはしますね。あなたからは」 朔明カレンが不敵に微笑む。
「宮田先生は『罪を償う』と言ったんですよね?」
「ええ、そうですよ」
「他には何か言っていませんでしたか?防犯カメラで見る限り、結構喋っていたと思うのですが」
「ええ、色々とお話はしましたよ?でもそれをすべて話してしまってはミステリーが薄まってしまうでしょう?あなたは今回の一連の事件の探偵役なんだ。自分で解き明かしてみては?」 彼の言葉に怒りそうなものだが、妙に落ちついている私がいた。落ち着いているどころか、少し気持ちが昂っているような気さえした。日常とかけ離れたミステリーの世界に陶酔しているようだ。
「では質問をします。彼女はどうして焼身自殺したのでしょう?」
「殺意はなかったとはいえ、龍川さんを殺してしまった。その罪を償おうとしたのでは?」
「確かに、それが一番筋が通ります。ですが、焼身自殺ですよ?ここのバルコニーから飛び降りる、部屋のクローゼットで首を吊る、他の方法があるのに焼身自殺を選んだ。ここに何か意味があるような気がします」
「目の付け所がいいですね。さすが作家探偵」
私は焦げた彼女の遺体を見た。非常に広範囲に煤が広がっている。「一歩間違えばあなただって危なかかったんじゃないですか?」
「その通り、私も真っ黒焦げだったかもしれませんね」 まるで自分は不死身だと言わんばかりにその言葉からは余裕が感じられた。
「そのポリタンク、中身は何ですか?」 私は朔明カレンの牢屋の中にあったポリタンクが気になった。
「ああ、これですか、灯油です。ここは空調は効いているとはいえ、冬場はかなり冷え込むんですよ。だからエアコンとは別に灯油ストーブを用意していただいているんです」
「それに引火したら大変でしたね」
「全くです。今、生きていることに感謝しなくては、あなたとのこの会話もなかったかもしれない」 どうも、この男は苦手だ、会話がすべて嘘のようで、つかみどころがない。
「最後に一つ、確認したいことがあります」
「何でしょう?」
「彼女の自殺に私は関係していますか?」
宮田夏子の自殺、それは私が彼女を推理で追い込んでしまったことが原因ではないか。私はそれを危惧していた、朔明カレンが少し困ったように頭を掻く。
「そうですね、関係しているといえばしています。もしかして自分が彼女を自殺に追い込んでしまった、そうお考えですか?」
「この状況なら、そう考えるのが自然じゃないですか?」
「一つ、お教えしましょう。彼女が死んだのは、それが直接的な原因ではありませ
ん。別の要因があったのです。なのでそこに思い悩むことはないです。ご安心ください」
その発せられた言葉に私は胸を撫で下ろした。探偵が推理で犯人を自殺に追い込む、ミステリーでよくある展開だが、実際に当事者になると罪悪感がとめどなく押し寄せてくる。朔明カレンの言葉を百パーセント信じるわけではないが、一安心だ。
「そうですか。それは良かったです。では私は今から、宮田先生の死の原因はなんだったのか、それを探そうと思います」
「ええ、それがいいでしょう」
私は振り返り、牢獄を後にした。
宮田夏子はガソリンを被って自殺した。私は彼女が龍川洋一を殺害したと推理し、彼女にそれを話した。その後、彼女が自殺した為、自分が彼女を自殺に追い詰めてしまったと考えたが、朔明カレンはそうではないと言う。では彼女はなぜ自殺したのか、私はまず、黒崎と合流した。東村は自分の部屋で休んでいると言う。私は黒崎に朔明カレンとの会話を簡潔に伝えた。
「なるほど、彼はそんなことを言っていましたか」
「ええ、本当かどうかはわかりませんが」
「でも自殺の原因、他に思いつかないんですよ。どう思われます?」「私も特には思いつきませんね。でも一つ気になることが」
「何ですか?」
「もし自殺されたのであれば遺書があると思うんです」
確かにそうだ、あってもおかしくはない。まして小説家の自殺だ、あった方が自然だろう。
「そうですね、何で思いつかなかったんだろう。遺書があるとすれば彼女の部屋でしょうか」
「行ってみましょう」 夏子の客室の扉に鍵は掛かっていなかった。これから自殺する人だ、鍵のことなど考えていなかったのだろう。部屋に入るとどことなく甘い香りがした。彼女のつけていた香水か化粧品だろうか。どことなく懐かしい気がした。部屋を見回す、私や龍川の部屋をほぼ同じ作りだ、遺書を残すならばテーブルやベッドの上かなと思い探してみるが、特に何もない。
「特に何もないですね。黒崎さん、どこか他に遺書がありそうな場所はないでしょうか?」
「クローゼットはどうでしょうか?衣服のポケットに入れておくこともあるのでは?」 クローゼットを開けると高そうなドレスやシャツが数着並んでいた。下着もあった、五十歳を超えている人が身につけるには少し派手だが、彼女のプロポーションならばきっと似合ったのだろう。シャツのポケットなどを探ってみるが、特に何も入っていない。やはりあの自殺は情動的な自殺だったのだろうか。
再び室内に目を向ける。テーブルにはマグカップ、イヤホン、パソコン、スマホ、財布、家や車の鍵が一緒になったキーチェーン、本が数冊、お菓子、特に気になる物はない。鏡の前にも様々な物が置かれているが、ほとんど化粧品だ。ファンデーションや口紅、化粧水や乳液、後は名称が分からない物が沢山だ。ふとベッドサイドのテーブルが目に止まった。そこに一つ、鍵が置いてあった。しかしテーブルに家の鍵や車の鍵などまとめられた物はある。どうしてこれだけ別になっているのだろう。
「黒崎さん。これ、どうしてこの鍵だけ別になっているのでしょう」
「さて、なぜでしょうか」
「普通、鍵を持ち歩くのならば全てキーチェーンとかにまとめますよね。そこのテーブルにある物みたいに」
「確かにそうですね」
「ですが、これだけ別になっている。ということは」
「ということは?」
「この鍵は持ち歩いていなかった鍵なんじゃないでしょうか?」
「つまり、この館で使う鍵ということですか?」
「その可能性が非常に高いと思います。黒崎さん、この別になっている鍵に見覚えはないでしょうか?」 私は黒崎に鍵を手渡した。黒崎は手に取りマジマジと見る。
「あ、この印、見てください」 黒崎から鍵の上部を見せてきた。鍵の頭の部分に漢字の『夏』という文字が刻まれていた。
「夏村先生はこの館の鍵を作成する際に、他の鍵と見分けがすぐにつくようにこの
『夏』の刻印をつけたそうです。うろ覚えですが、夏村先生が持っていた鍵束にこのような鍵がついていたような気がします」
「やはりここで使う鍵ということですね。問題はどの部屋で使うかですね。でも、どうして宮田先生がこの鍵をお持ちだったのでしょうか?」
「夏村先生がお亡くなりになる前、自分が死んだらいくつか、郵送物を送るように指示をいただいておりました。その中にもしかしたら鍵があったのかもしれません」
「なるほど、そういうことでしたか。黒崎さん、この館に黒崎さんが入れない部屋はありますか?」
「いえ、そのような部屋はないはずです」
黒崎が嘘をついているようには見えない。ではどういうことだ。見たところ、例の鍵はドアの鍵だ。この館に黒崎が知らない部屋があるということだろうか、もしそうだとするとその可能性が一番高いのは。
「黒崎さん、夏村先生が存命の頃、最も黒崎さんが入らなかった部屋はどこですか?」
「それは夏村先生の仕事部屋ですね。あの部屋だけは夏村先生がご自身で掃除もされておられました」
「では行ってみましょうか。この鍵を使うドアがあるかもしれません」
夏村龍治の仕事部屋、重厚な木製の本棚で隙間なく囲まれているが、本は数十冊ほどしかない。奥には高そうなデスクと革椅子が置かれている、社長室のような趣だ。窓あるものの、暗幕のようなカーテンがかかっている。そういえば夏村龍治は部屋を暗くして執筆しているという噂を聞いたことがあるが、本当だったようだ。本棚の一部には今まで受賞した文学賞の賞状やトロフィーなどが飾られていた。文学賞以外にも褒賞の勲章もあった、これだけの賞を受賞している小説家、夏村龍治はやはり偉大な人物だったのだと改めて思い知らされる。
「ここに本はあまりないんですね」
「ええ、本はほとんど書斎にあります。ここの本は執筆中の作品に関する物が多いですね。それに最近、先生は電子書籍に移行されていまして、大部分の書籍を処分しました」
「そういえば夏村先生はデジタル物に意外と詳しかったという話を聞いたことがあります」
「ええ、私なんかよりよほど詳しかったです。ネットのことだったり、パソコンのことだったり」 デスクにはパソコンやタブレットが置かれていた。スマートウォッチや電子書籍専用の端末もあった。
「何かを始めるのに年齢は関係ないってことですね」「おっしゃる通りだと思います」 部屋を再度見回す。ここに隠されたドアがある可能性は高い。だが一体どこにあるのだろう。
「松本先生、ちょっと思いついたことがあるのですが」
「何ですか?」
「よく映画とかドラマとかだと、本棚の裏にドアが隠されていることがありますよね?」 確かに秘密のスイッチを押すと本棚が動き、ドアが現れる、よくあるシーンだ。
「このどこかの本棚の裏にドアが隠れていると?」
「あくまでも可能性の話ですが」
「調べてみましょう。私はここから、黒崎さんは反対側からお願いします」 本棚が動かないか試してみるが、どうも備え付けらしい。ビクともしない。黒崎も
同じようだ。私の背の高さでは裏側までは見えない。本棚に足をかければ見えそうだ。
「黒崎さん、本棚に足をかけてみてもいいですか?」
「ええ、私もそうしようと思っていたところです」 本棚の下から二段目に足を掛け、上がる。本棚の上部にホコリが溜まっていた。
「黒崎さん、この部屋、最後に掃除をしたのはいつですか?」
「この部屋はゲームが終わるまで掃除はしないようにと指示を受けておりまして、先生が亡くなってからは誰もしていないので、二ヶ月はしていないと思います」
「わかりました。ありがとうございます」
一つ一つの本棚をチェックしていく、すると一つの本棚だけ埃があまり溜まっていないことに気がついた。
「黒崎さん、この本棚だけ、ホコリが溜まっていません」
「ではそこに隠されたドアが?」
「だと思うのですが、この本棚は備え付けで、動かしようがないんですよね」
「秘密のスイッチでもあるのでしょうか?」
スイッチを押して本棚が動く、確かにありえない話ではない。だが夏村龍治がそんな簡単なミステリーを作るのだろうか。
「とりあえず、部屋を探索してみましょう」
「承知しました」 黒崎は床が怪しいと感じたのか、床を念入りにチェック始めた。床の一部が剥がれ、そこの謎のテンキーがあり、パスワードを入力すると秘密の扉が開く、そんな映画を私も見たことがある。床は彼に任せよう。私はやはりこの本棚が気になる。灯台下暗し、何かこの本棚自体に仕掛けがあるような気がする。もう一度、本棚の下部に足を掛け、上部を見る、うっすら埃が被っているだけで何もない。やはり関係ないか、いや上がダメなら下だ。私は床に這いつくばった。するとわかりにくいが、本棚の底の部分の側面に切れ目が入っているのがわかった。そこの部分に爪を引っ掛け、掻き出すようにしてみる。するとカパッと四方3cm程の蓋が外れた。蓋の中にあったのは鍵穴だった。
「黒崎さん!鍵穴がありました!」
「え?どこに?」
「ここです」
黒崎も這いつくばり、覗き込む。
「本当だ、鍵穴ですね。では鍵を差してみましょうか」
「はい」
私は宮田夏子の部屋で見つけた鍵をその鍵穴に差し込み、回した。するとカチャッという音が聞こえ、その本棚の右側が動いた。動いた部分に手を掛け、ドアのように引く、するとその裏には別の部屋があった。
「本棚の裏にドアが隠れているのではなく、本棚自体がドアだったということですね。黒崎さん」
「ええ、まさかこのような部屋がこのお屋敷にあったとは」
鬼が出るか蛇が出るか、私は意を決しその部屋に足を踏み入れた。中は四畳半程のスペースで、雰囲気としては子供部屋といった感じだった。ベビーベッドが置かれ、奥には絵本がぎっしりの本棚、床には人形やらおもちゃが転がっていた。夏村龍治には隠し子がいた、そんな噂を聞いたことがあるが、このような部屋があるということはまんざら嘘でもなかったのだろう。
「子供部屋でしょうか?」
「どうやら、そのようですね。黒崎さん、この館に来て、赤ちゃんの鳴き声なんて聞いたことがありますか?」
「いえ、全く」
「赤ちゃんが使うような物をこの館で見たことは?」
「それもありません」
「ですよね。あの本棚の扉で防音にでもなったいたのかとも思いましたが、恐らく違うでしょう。赤ちゃんを育てるのは非常に大変です。何せ物が必要ですから。黒崎さんに気づかれずにこの部屋まで買って持ってくるのはほぼ不可能です。ということはここの子供がいたのは黒崎さんが来る前ということになりますね。」
「ええ、屋敷が出来たのは二十五年ほど前、私は二十年ほどここで働いていますか
ら、私がいなかったその間の五年、ここに子供がいた。そういうことでしょうかね?」
「そう考えて間違いないでしょう。どうもここのおもちゃなどは少し古く、懐かしい感じがします。今時の物じゃない。夏村先生には公式では子供はいないことになって
いますから、ここで少しの間育て、その後施設にでも預けたといったところでしょう」
部屋のキャビネットの上には写真立てが並べられていた。この部屋で赤子を抱く夏子、撮影したのは夏村龍治だろう。さらに、この島の外だろうか、砂浜で夏村龍治と宮田夏子、そして男の子が共に遊ぶ写真、そんなありふれた家族写真が何枚か飾られている。写真の中の夏村龍治は小説家としての厳格なイメージとはうってかわって、満面の笑みだった。
「先生もこんな顔するのですね。私は初めてみたかもしれません。こんな夏村先生の表情」
「私だってそうですよ。共にこの屋敷で過ごしてきましたが、こんな輝くような笑顔見たことがありません」
「誰にだってこういう瞬間があるということですかね」 写真立てから目を外し、ベビーベッドに目をやる。枕の部分に封筒が一枚置かれていた。封筒には『遺書』の文字。
「黒崎さん、これ」
「もしかして宮田先生の?」
「読んでみます」
私は封筒から便箋を一枚取り出した。中身は直筆で書かれている。
『遺書 長らく文章を書く仕事をしてきましたが、遺書を書くのは初めてです。最初で最後の遺書ですね。おかしな話です。これを最初に読むのは私の考えが当たっていれば松本先生でしょう。どうですか?当たっていますか?当たっていれば幸いです。
あなたには色々と話さなければいけないことがあります。一体何から話せばいいのか。まず夏村龍治との出会いでしょうか。実は私の方がデビューが先なんです。デビューの時、私は二十代、彼は四十代でしたからね。お互い、小説家としての道を歩んでいく上で彼の秘密を知りました。そしてその秘密と出会ったとき、私は恋をしました。いわゆる一目惚れです。私は本物の夏村龍治を愛しました。愛して、そして子供を授かりました。男の子でした。そして彼と一緒に子供を育てました。それが今、あなたのいるその部屋です。そしてその子供こそ、あなたなのです。康治、その名前は夏村龍治と宮田夏子が好きな作家の名前から一文字ずつ取って名付けたのですよ。私は川端康成の『康』、夏村龍治は太宰治の『治』。ベストセラー作家が名付け親ということです。すごいでしょう? 冗談はさておき、ここで気になることが出てくると思います。なぜ自分が施設に預けられなければならなかったのか。その理由です。自分は捨てられたのだ。そんな風に思ったこともあったかもしれません。本当にごめんなさい。でも当時、その選択をせざるを得なかったのです。私はあなたを妊娠してからというもの、いわゆるうつ病になったのです。妊娠期うつ病ですね。妊娠による体調不良や、出産後の不安、さまざまな要素がうつ病に繋がったのだと思います。子供を育てられる状態ではありませんでした。母親はうつ病、父親は犯罪者、そんな所に産まれてくる子供は幸せにはならない、そこで相手の夏村先生と話し合い、施設に預けることに決めたのです。本当に勝手な話ですよね。今更謝ったところで、許されるとは到底思っていません。しかし謝らせてください、本当に申し訳ありませんでした。
そんな貴方がまさか、小説家になるとは思ってもみませんでした。血の繋がりというのは恐ろしいですね。まぁ、でも犯罪組織の首領になるよりはよほどマシですね。授賞式のあの日、大きくなった貴方を見て、私は心が震えました。実は時々、貴方を育ててくれた両親に養育費を渡すために会っていました。その時、貴方の写真を見せてもらいましたが、実際に会うとやはり違いますね。日常では感じることができない感動があったことを今でも鮮明に覚えています。
そして、今回のこのゲームです。貴方がなぜ参加者に選ばれたのか、もうお分かりでしょう。夏村龍治先生の意思です。家族三人、一度くらい顔を合わせたかったんでしょうね。しかし、名目がない、そこで今回の計画を思いついた。でもまさか、殺人事件が起こるとは、さらに私が犯人になるだなんて思っても見ませんでした。それを貴方に見破られるだなんて。でも一つ覚えていて欲しいのは私が死ぬのは貴方のせいではないということです。私は龍川先生を殺害してしまったと悟った瞬間、自死を選択しようと考えていましたから。そして死ぬならば生涯で一番愛した男と共に死ぬ、それは常々思っていたことです。ちょうど良いタイミングでした。最後に貴方に会えて本当によかった。貴方は自死などという選択は絶対にしてはいけません。これからも良い作品を書いて世の中で送り出してください。そしてたまにで良いのでお墓参りにいらしてください。貴方の著作を供えてくれれば幸いです。では心より愛を込めて宮田夏子』 私は遺書を音読して読んだ。遺書はどちらかといえば悲哀が強いが、この遺書に対して私は怒りしか湧かなかった。その対象は宮田夏子ではなく、夏村龍治にだった。
「松本様、この遺書の内容」
「黒崎さん」
私は黒崎の言葉をさえぎった。
「どうやら、私は決着をつけなければならないみたいです」
「ええ、そのようですね」
「では、クソ親父に会ってきます」 私は秘密の部屋から出て、牢獄へ向かった。歩きながら彼に何を言おうか考えた。恐らく、何を言っても奴はのらりくらりとかわすに違いない。だが、ここは直球勝負でいくしかない。私は牢獄への階段を駆け降りた。扉を勢いよく開く。
「これはこれは松本先生。そんなに急いでどうされました?」 朔明カレンはいつもと変わらない様子だった。彼が伝説的な犯罪者と言われても、どことなく許せてしまうのは血のつながりがあるからなのだろうか。
「宮田先生の遺書を見つけましたよ。これです。ここには全てが書かれていました」
「全て?どんなことですか?」
「アンタなら大体のことは想像できてるんじゃないのか?夏村龍治先生。いやそれともこう呼ぶべきか、親父」
「なるほど、そのことも書いてありましたか」
「聞きたいことは山ほどある。でも、今は良い。今話すべきは宮田夏子の死の真相だ」
「死の真相?その遺書に書いてあったんじゃないのですか?」
「ああ、確かに自分は自死を選ぶと書いてあった。しかしこうも書いてある。夏村龍治と共に死ぬとね」 朔明カレンは何も言わない。
「この手紙での夏村龍治は、アンタのことだ。この間肺ガンで死んだ老人ではない。宮田夏子は夏村龍治である朔明カレンと共に死ぬ、そう書いてあったんだよ。考えてみればそうだ、彼女はわざわざこの場所に来て焼身自殺をした。どうしてこの場所を選んだのか、それはアンタと共に死ぬためだ。そう、彼女は心中しようとしたんだよ」
朔明カレンはうすら笑いを浮かべた。その表情に腹が立ったが、私は気持ちを押し殺した。
「そして、その心中に誘ったのはアンタだ」
「どうして?」
「そのポリタンクだ。初めっから気になってたんだよ。あんたは宮田夏子に一緒に死のうと伝えた。そしてここに呼び出した。お互いにガソリンと灯油をかぶって火をつけようとね。実にドラマティックな死に様だよな。だが宮田夏子はガソリンをかぶったが、アンタは水をかぶった。宮田夏子からすれば、水も灯油も見た目ではわからない。その状況で、お互い火をつけた、それがこの結果ってことだ」
「なかなか良い推理だ。だが証拠はあるか?」
「ない。全くない。それもどうせ計算済みだろう?」
「まぁ、ね。でも推理は当たってるよ。正解だ。さすがというべきか、血のつながりを考えれば当然かな?」
「どうしてそんなことしたんだ」
「動機か。予想してみたらどうだ?」
「東村と浮気したからか?」
「まぁ、それも一つだ。でも大きな動機はまた別にある。そしてそれは龍川を殺した動機でもある」
「龍川に関しては作品や作風が気に入らなかったからじゃないのか?」
「それは偽物の夏村龍治の話だろう?本物は私だからね」
「偽物か、ではあの、この前ガンで亡くなった、ずっと夏村龍治を演じていた人は誰なんだ?」
「ああ、あいつか。それを説明するとなると時間を四十年ほど前に戻さなければならなくなる。ちょうど夏村龍治がデビューした年だ」
「デビューの時からゴーストライターだったのか?」
「正確にいえばゴーストライターではない。そもそもあいつは、作品の一つも書いてはいないのだからね」
「ずっと貴方が作品を書いていた?」 アンタと呼んでいた人物を貴方と言ってしまった。やはりあれほどの出来の作品を多く生み出せる人物には小説家として思わずリスペクトが出て、敬語になってきてしまう。
「まぁ、大体ね」
「大体ってどういうこと、ですか?」 目の前の人物が父親である、さらにずっと尊敬していた夏村龍治の著作を書いていた人物、私はその人に対し、どんな言葉使いで話せば良いのかわからなくなってしまった。
「そこは今重要ではない。重要なのは、今まで夏村龍治だと思ってきたあの夏村龍治は誰か、だろう?」
「ああ、そうですね」
「あれは私の父親だよ。つまり君の祖父ということだ」 今まで憧れてきた小説家である人物が実の祖父、しかしそれは仮の姿でその息子、つまり自分の父親がその作品を書いていた。頭がどうにかなりそうだ。
「どうしてそんなことに?」
「四十年前、君の父親、つまり私は中学生だった。その父親、つまり君の祖父は定職につかず、その日暮らしの肉体労働を繰り返す毎日、家計は火の車だった。母はそれを手助けするようにいくつもの仕事を掛け持ちした。結果、過労で倒れてポックリさ、中学二年の時だった。ま、物語としてはよくある話だろう。父はそれがショックだったのか、あまり働けなくなった。中学生だった私は考えた、どうにか自分で稼ぐ方法はないか。本屋であるものを見つけた。小説の公募だよ。それには賞金が出た。少しも家計の手助けになればいいと思い、小説を書いた。勉強も部活もしながら小説を書いた。とにかく必死だったんだよ、子供ながらにね。その必死さが結果に結びついた。ある推理小説の賞を取ったんだ。すぐにデビューの声が掛かった。だが一つ問題があった、応募するときに私は父の名前で応募したんだ。子供ながらに色々と不安があったんだろうね、未成年だとデビューさせてもらえないんじゃないか、賞金は満額もらえるのだろうか、そもそも中学生が書いたと信じてもらえるか、そんな不安を拭うため父の名前を借りた。私は父に提案した。ミステリー小説家として自分の代わりにデビューしないか?とね。父は二つ返事だった。そのおかげで家計が安定、私は大学まで行くことができた」
「そこまで苦労して大学まで行って犯罪帝国の王ですか」
「人間万事塞翁が馬。人生何があるかわからないね。息子の代わりに小説家デビューする人もいるってことさ。ロクでもない父だったが顔の作りはまぁまぁ良かった。それも売上に繋がったのかもしれない。松本先生もイケメンですから、遺伝かもしれませんね」
今にして思うと、朔明カレンと夏村龍治の顔はどことなく似ている気がする。
「話としては大体わかりました。それでずっと、ゴーストを続けてられたわけですか」
「まぁ、一応ね。でも一時期、ゴーストライター疑惑なんて記事が出てね。大変だったよ。だから父に特訓したんだ。タイピングのね。人間頑張ればなんとかなるものだよ。最終的にはブラインドタッチまで出来るようになったからね」
そういえばそんな記事を読んだことがある。まさかそんな真相だとは。ミステリーとは得てしてそんなものなのかもしれない。
「いつから犯罪者に手を染めるようになったんだ?」
「あれは二十代の頃、夏村龍治は売れっ子作家だった、そうしたらだんだんと自我が失われていってね。夏村龍治は自分なのに、世間は父親を夏村龍治と呼んでいる。夏村龍治とは一体誰なんだ。私は一体誰なんだ。そんな風に思うようになっていった。そこで考えた、もっと強い自我が必要だとね、ベストセラー作家よりも強いものが必要だった。そして思いついたのが犯罪者だった。当時、私は夏村龍治のマネージャーという肩書きだった。作家をしていると色んな取材対象者と知り合う、その中には本物の犯罪者もいた。私は彼らに色んな犯罪を提案するようになったんだ、それがことごとく当たってね。犯罪者の間で重宝された。犯罪のコンサルタントとでもいうのかな。でも私は自分の手は汚さなかった。だから逮捕もされなかったよ。噂が噂を呼び、いつの間にか私は犯罪帝国の王とまでなっていた」
「その犯罪の間に執筆か?」
「ああ、原稿を書いては父に送った。流石にペースは落ちたけどね」 それにしてあの本の刊行スピードは異常だった。
「それがどうしてここに来たんだ?」
「簡単な話さ。父が心配になったんだ。唯一の肉親だったからね。だから一緒に暮らそうと思った。私は自分の組織を捨てることにした。捨てるとなると少なからず探されてしまう、だから身を隠す意味も込めてこの場所に住み着いたということさ」 この館の厳重な警備システムはこの男が自分の身を守る為だったのだ。
「過去がどうあれ、貴方は私の産みの母を殺した。その罪は償ってください」
「どうやったら償えるのかな?牢獄にいるこの私に是非教えてくれないか?」
「ガソリンを被って自分に火をつけたらどうですか?」
「またまたご冗談を」
朔明カレンは手を叩いて笑った。
「後、さっきの質問には答えてくれないのか?」
「何だったかな?」
「貴方は夏村龍治の著作を大体書いたと言った。つまり全ては書いていない。じゃあ一体誰が書いたんだ」
「松本先生、それは貴方が見つけるべき答えですよ。それにまだこの物語はクライマックスではないんです。それはクライマックスに明かされるべき謎だ。まだ早い」
「どうしても答えてくれそうにはありませんね。わかりました。じゃあ私はこれで失礼しますよ」
「ええ、また明日会いにきてください」
「自分の父親が犯罪者という事実と向き合って、それから会うかどうかを考えます」 朔明カレンは冷たい笑みを浮かべ、私に手を振った。その笑顔の裏には何枚もの仮面があるような気がして、身震いがした。
部屋に戻りベッドに寝転がる。まさか自分のルーツをこんなところで知ることになるとは思わなかった。実の父親は歴史に名を残す伝説的犯罪者、母親と祖父はベストセラー作家、よく考えれ見ればすごい家系だ。私自身が小説家になろうと志し、小説を書き始めるのも自然な流れだったのかもしれない。小説家になったとき、周りの人間のほとんどが祝福してくれたが、どうも父と母は心から喜んでいる様子はなかった。それも当然だ。自分の子供として育ててきた愛する息子が、それを捨てた母親と同じ職業を選んだ、そしてそれを嬉しがっている。複雑な心境だったのだろう。当時、私は公務員だった、それを退職し小説家として生きていくと言ったからあまり祝ってくれなかったと思っていたが、とんだ見当違いだったようだ。
さまざまな感情が自分の中に渦巻いている。そんな時、私は本を読む。本はいい、自分のネガティブな感情を忘れさせてくれる。もちろん映画だったりゲームもいいが、私の場合は本なのだ。没頭感とでもいうのだろうか、その感覚を一番味わわせて
くれる。私が『名探偵を殺せ』の原稿を手に取り、再び読み始めた。
目が覚めると俺は椅子に座っていた。両手両足は椅子のパイプに縛られて動けない。全く、俺としたことが不甲斐ない。顔を上げて周りを見回す。誰もいない、大きな機械が並び、ベルトコンベアが通っている、壁際には積まれた段ボール箱、最近使われている様子はない。どこかの廃工場だろうか。
「お目覚めになられたようですね」 背後から声がした。低い女の声だ。聞き覚えがある。
「ああ、殴った上にスタンガンは酷すぎないか?」
「一応これでも考えたんですよ。スタンガンはリーチが短いでしょう?だから気づかれたら避けられる可能性がある。だからまずバットで殴って転倒させ相手の動きを鈍らせる。そしてからスタンガンで気絶させる、合理的でしょう?」
「なるほど、犯罪に関しては優秀なんだな」
「お褒めいただきありがとうございます。それで母からは何を聞きました?」
「過去の事件の話全て聞いたさ。お前が母親の不倫相手を殺して父親が身代わりに捕まったって話」
「なるほど、全て知ってしまったわけか」
「ああ、そしてお前はまた殺人を繰り返し行った。この街で、探偵を次々に殺した」
「その通り、私は過去を探られたり、自分の周りを調べられるのが大嫌いなんです。
だから私の周りで変な動きをしている奴らは全員殺しました」
「トシも、三木敏樹も殺したのか?」
「はい、そうですよ。彼が他の探偵に私の調査を依頼してましたし、何より彼は私のことを調べすぎました」
「そりゃあ、不審に思うだろう?自分の弟子が女なのに男と偽っていることに気がついたらな。なぁ、カイト」 声の主は何も言わず、私の前に回り込んできた。やはりそれはカイトだった。手には拳銃とバタフライナイフが握られている。
「いつ気づきましたか?夏畑さんは」
「木瀬伊織の写真を見たときだ」
「なるほど」
「そしてその時にもう一つのことにも気づいた。お前の名前、関海斗(セキカイト)、『セキ』は『木瀬』をただ逆にしただけ、『カイト』は父親の『(カ)ズマ』母の『(ト)シコ』お前自身の名前『(イ)オリ』、それぞれの名前の頭文字を取って並び替えた」
「よく出来ました。でも三木敏樹はもっと早く気づきましたよ?」
「トシはどうして気がついたんだ?」
「私の免許証を見られましてね。履歴書は関海斗、免許証は木瀬伊織でしたから。それでバレました」「詰めが甘いな」
「財布の中身を盗み見るなんて思わないでしょう」
「確認しようとしたんだろうな。お前が自分を男と偽っていることを」
「そうでしょうね。もう少し警戒するべきでした」 カイトは憂いに満ちた表情を浮かべた。
「トシはその名前から過去の殺人事件にたどり着いた。その事件について調べたいが、お前が近くにいたんじゃできない、だから他の探偵に頼んだってところか」
「大正解です」
「でもどうしてトシの遺体だけ隠したんだ。他の探偵はすぐに発見させたのに」
「それは少し、長い話になります。あの事件の後、我が家は悲惨なものでした。母から聞いているでしょう。それもこれも誤った調査の報告をした探偵のせい」
「俺はあくまでも不倫の可能性が高いと報告しただけだ」
「ものはいいようですね、しかし、あれは母の弟だった」
「知っていたのか」
「ええ。酔っ払った母から聞いてます。だからその調査した探偵を殺そうと思った。しかし報告書はすでに母が処分してしまって手元にない、私は手当たり次第調べるしかないと思った。その矢先、三木探偵事務所でバイト募集の広告を見かけましてね。これはチャンスだと思った。探偵ならば探偵同士のネットワークがある、それを活用しようと思った。でもそれもマズかった。私が他の探偵を調べているのを三木が不審がりましてね。お互い、疑心暗鬼になり、探り合っているような感じになってました。そうしたら他の探偵が私の周りをうろつき始めた。私はそいつらを次々と殺した。一応、過去に木瀬家の調査をしたか確認した上でね。そして三木が連続殺人について私を疑い始めた。さすがにもう限界かと思って、三木を殺そうと思い、あなたと同じ方法で拉致した。彼は過去の不倫調査について何か知っているような口ぶりでした、でもなかなか真実を話さなかった。だから拷問して、最後に名前を吐かせた」
「それが俺、夏畑京作だったってわけか」
「ええ、そして私は三木を殺しました」 やはり、もうあいつはいない。そこで一つ疑問が生まれた。
「どうして俺と一緒に事件を捜査したんだ?」
「あなたが私の家族をめちゃくちゃにした張本人、ただ殺すだけはつまらない。生きているうちに心をめちゃくちゃに痛ぶってから殺そうと思ったんです。だって一緒に調べていた相手が犯人だったら、自分の馬鹿さ加減に気づいて絶望するでしょう?」 カイトはニヤニヤと笑いながらナイフを振り回す。
「そうそう、その顔、それが見たかったんですよ。ああ、興奮してきました」
「全く、やれやれだな。父親が刑務所で自殺するはずだ」
「ひどい話ですよね。男の格好をして行ったらお前はもう俺の子供じゃない!ですって。今の時代、ジェンダーレスなのに」
「大切に育ててきて、殺人の罪を肩代わりした娘が息子になっていた。ショックを受けない方がおかしいと思うがな。それに自殺の理由はそれだけじゃなかったはず。お前はもしかして父親の和馬さんに今回の計画を話したんじゃないか?復讐をしようと思っていると、自分の子供がこれからまた殺人をしようとしている、頭がおかしくなるのも無理はない」
「何でもお見通しですね」
「お前は人間じゃない。狂ってる」
「かもしれません。でも私から言わせれば皆狂っているんですよ。その狂気を隠すために常識や法律があるんです。建前と本音ですよ。薄っぺらい建前なんてぶっ壊して皆、本音で生きればいいのに」
「呆れてものが言えないぜ」
「大丈夫、これから嫌でも苦痛の耐える声を出すことになりますから。まずは目玉でも刺しましょうか?」 カイトがバタフライナイフを握り直し、私の顔に近づける。その時だった、バン!という乾いた銃声が工場内に響いた。
「夏畑!大丈夫か!」 松谷だった。
「松谷さん、どうしてここが?」
「三木だ、あいつが俺のところに電話をかけてきてな。この場所を教えてくれたんだ。木瀬俊子の元アルバイト先だったらしい」
「あいつ生きてるのか?」
「ああ、どこかに監禁されていたらしいが、自力で脱出したんだそうだ。今、こっちに向かっている」
「何だよ、もうちょっとちゃんと縛っておけばよかったな」 カイトが子供のような口調で言った。
「木瀬俊子、暴行、監禁、殺人未遂の容疑で逮捕する」
松谷がカイトに手錠を掛けた。遠くからパトカーのサイレンの音がする。これで俺の長い一日が終わった。
あの長い一日から一週間経った。俺はトシと酒を飲み、何軒もハシゴした。昔に戻ったような感覚だった。そしてトシの家に泊まった。六月の暑く寝苦しい夜だった。
俺は外に出て一服した。空には満天の星が煌めいていた。
「一服か?」 トシが出てきた。
「ああ、クーラーくらいつけろよ」「今、金欠なんだ。勘弁してくれ」 煙を吸い込み、吐き出す。どことなくノスタルジーな夜空に煙が消えていく。
「夏畑、また飲もうな」
「ああ、今度はお前の奢りでな」
「任せておけ」
「金欠がよく言うぜ」
輝く星達も笑っているようだった。
【さぁ、諸君ヒントはこの小説だ!頭を捻って真実を突き止めたまえ!】
読み終わった。夏村龍治先生のゲームのヒント、そして朔明カレンに関する謎のヒントがこの中にある。しかし今の私には全く見当もつかない。夏村龍治の宝探しゲーム、ゴーストライターが誰なのか、朔明カレンの正体、そして私のルーツ、様々な謎が私の脳内で渦巻いている、頭がパンクしそうだ。こんな日は早く寝るに限る。私はいつもより早く床に就いた。
~ 四日目 ~
翌朝、なぜだか分からないが、私は朔明カレンに会いたくなった。彼が父親だと知ったからだろうか、犯罪者といえども父親に変わりはない。
血が繋がっているもの同士、会いたくなるというのに理由は必要ないのかもしれない。私は自分の部屋を出て、真っ直ぐに牢獄へ足を運んだ。牢獄へ続く扉を開ける、宮田夏子が亡くなっていた場所にはブルーシートがかけられていた。黒崎がしたのだろう。
そして、朔明カレンの牢屋へと目を向けた瞬間、とてつもなく異常な光景が目に映った。牢屋の鉄格子の前に東村が居た。いや、居たというのは少し違う。東村は鉄格子に四肢を鎖で括り付けられ、十字架の形で磔にされていた。キリストの磔刑のようだった。
「東村さん!」
駆け寄ってみるが、とうに事切れていた。頭から血を流し、手足は鎖で鉄格子に結ばれている。「酷すぎる」
牢屋の中を覗くと、そこに朔明カレンの姿はなかった。間違いない、彼が東村を殺したのだ。このような残酷なことはあいつしかできない。そんな人間と同じ血が流れていると思うとゾッとする。いや、もはや彼は人間ではないのかもしれない。先ほどまで会いたいと思っていたが、こんな光景を目の当たりにしてしまってはそんな気持ちは露と消えた。私はひとまず、黒崎を探すためにその場を離れた。そして食堂にいた黒崎に事情を説明し、二人で牢獄へと戻った。
「何と、これはひどい・・・」「ええ、朔明カレンの仕業でしょう。とりあえず一緒に下ろしましょう。ずっとこのままにしておくのは可哀想です」
「そうですね。では私は東村様を抱えますので、松本様は鎖を解いていただけますか?ボルトカッターを準備してまいりました」
「ありがとうございます」 黒崎が東村の遺体を抱き抱える、私はまず足の鎖、そして手の鎖とボルトカッターで切った。東村の遺体を二人で床に下ろす。宮田夏子の隣に彼の遺体を置き、ブルーシートを被せた。
「松本先生、彼は逃げたのでしょうか?」
「まぁ、状況から考えるとほぼ間違いないでしょう」
「どうして東村先生を殺したのでしょうか?」
「さぁ、まだわかりません。でもこれではっきりしました、彼は殺人罪に問われます」
「殺人罪?」
「龍川先生の時は宮田先生に殺させた、宮田先生の時は心中しようと偽って自殺させた。でも今回は明らかな殺人です」
「宮田先生は自殺ではなかったのですか」 そういえば黒崎には説明していなかった。
「ええ、彼も認めました。でも証拠がないんです。証明するのはかなり難しい。でも今回は違う、これで罪を償わせることができます」
「なるほど」
「そうだ、黒崎さん、鍵で朔明カレンの牢屋を開けてもらって良いですか?」
「なぜですか?」
「彼が本当に牢屋から出たか確認したいんです。それに何か手がかりがあるかもしれません」
「承知しました」 黒崎がジャケットのポケットから鍵束を取り出す。鍵の数が多くあったため、黒崎は少し苦戦した。しかしようやく見つけ、そして鍵穴に鍵を差し込もうとする。
「空いています」 扉を確認すると、確かに空いていた。
「まぁ、犯罪帝国の王ともなればピッキングなんて朝飯前だったんでしょう」 私は扉を開いた。中は昨日と対して変わっていない。変わったものといえば朔明カレンが描いていた絵画だ。以前までは外国の街並みを描いていたが、今は人物画に変わっていた。中央に十字架、その十字架に女性が括り付けられている。十字架の下には炎が燃え、女性は苦痛の表情を浮かべていた。十字架に括られて死んだ東村正明、焼身自殺した宮田夏子、その二人が合わさっているような絵だったが、その女性の顔は宮田夏子にそっくりだった。
「こんな場所に何年もいたのか」
「ええ、十年ほどになります」
外から見る牢屋と中から見る牢屋はどうも印象が違う。牢屋の圧迫感がそう感じさせるのだろうか、どうも息苦しい。ここでずっと暮らしていたあの男はやはり異常だ。
「松本先生、それ」
黒崎がベッドの方を指差す。ベッドの枕元に一枚の便箋が折られて置いてあった。
それを手に取り開く。どうやら朔明カレンからの手紙のようだった。
『松本様、黒崎様へ
突然のことで驚かれたでしょう。東村様を殺害したのは私です。これで私の目的は達成することができました。色々とご協力いただき誠に有り難うございました。さて、気になることは色々とあるでしょう。まず彼を殺した動機です。これは宮田先生、龍川先生両者を殺した動機と同じです。松本先生、あなたならその答えに辿りつけるはずです、ヒントは最初からあなたの目の前にあった、そして夏村龍治の残した原稿『名探偵を殺せ!』です。謎解き頑張ってくださいね。
次に私がどこにいるか、です。すぐに教えても良いのですが、それだとミステリーとして味気ないですからね。当ててみてください。かくれんぼ、『朔明カレンを探せ!』ですね。ヒントその1、私はこの館から出ていません。ヒントその2、一番見つけにくい物は目の前にある物、ヒントその3、何となくその3まで書いてしまいましたが、特に思いつきません。勢いで書いてしまってはダメですね。だからヒントは
2つです。さぁ、私を探してください。レッツシンキング! 朔明カレン』
「何がレッツシンキングだ」
「松本先生、これからどうしましょうか?」
「そうですね。彼の言うとおりにするのは気が乗りませんが、探すとしますか。一発くらい殴らないと気が済まない」 黒崎は返答に困っているようだった。
「黒崎さん、恐らく察しはついているかもしれませんが、朔明カレンは、彼は私の実の父親でした。母親は宮田夏子。出来の悪い父親が他人に迷惑をかけたら息子がそのけじめを取らなければいけません」 黒崎が優しく微笑む。
「わかりました。協力いたします。でもその前に腹ごしらえをしませんか?今日は夏村龍治先生が大好きだった具沢山のスープを作りました」 そうだ、黒崎はまだゴーストライターのことを知らないんだ。私は彼にその事実を伝えるかどうか迷ったが、しばらくの間は現場維持でいこうと決めた。
「是非、いただきます」
私たちはその場を後にした。
食堂で朝食を取った後、私は黒崎と共に館内を回った。すべての部屋に入り、隠れそうな場所はとことん探した。しかし、朔明カレンは見つからない。残すは車庫だけとなった。車庫の入り口は南京錠で厳重に閉じられていた。
「朔明カレンの牢屋も南京錠で閉じておけばよかったですね」
「その南京錠も簡単に開けられてしまいそうですが」「簡単に開けられなくする方法を知ってますか?」
「どうするんです?」
「鍵を差し込み折るんです。するとピッキングをしようにも中の折れている鍵先の部分を取らないといけない。専用の道具がないと開けるのはかなり時間がかかります」 黒崎が車庫の鍵を開けた。そして黒崎は1台1台の車のドアとトランクを開け、中を確認していく。相変わらず良い車のラインアップだ。私はもお気に入りのフィアットのドアを開けて、車内を確認、トランクも確認するが、やはり彼の姿はない。
「ここまで探していないとなると外にでも出たのでしょうか?」
「いや、それはないと思います。彼はゲームを楽しんでいる節がある、ルールを破るとは思えない」
「では館の中にいる」
「まぁ、そうなりますね。黒崎さんも知らないような、あの子供部屋のような秘密の部屋が他にもあるのかもしれませんね」
「秘密の部屋ですか」
「ええ、秘密の部屋、誰も開けたことのない部屋」
「あ!」 黒崎が何かを思いついたようだった
「一つだけあります。開けたことのない扉が」
「どこですか?」
「朔明カレンの牢屋の中の扉です」 牢屋ということもあってただのトイレだろうという思い込みがあった。しかしあの扉が別の部屋へと続く扉だったとしてもおかしくはない。朔明カレンからのヒントである「最も見つけにくい物は目の前にある物」とも一致する。
「黒崎さん、牢屋へ戻りましょう」
私はトランクの扉を閉めた。
再び、牢屋へ戻った我々はトイレと思われていた扉の前に立った。
「では開きますね」 私は恐る恐るトイレと思われたドアノブを回した。中を覗く、タイル張りの床、壁には花柄の壁紙が貼られていた。便座カバーや床マットも花柄で統一されている。入り口から畳一畳分ほど離れた場所に洋式便器があった。
「トイレですね」
「ええ、トイレですね」
「松本先生。申し訳ありません。私の早とちりでした」
「いえ、そうでもないかもしれません」
「と言いますと?」
「便器の位置です。入り口から明らかに離れていると思いませんか?」
「確かに」
私は床のマットを剥がしてみた。するとそこには床下収納のような扉があった。「開けてみます」 私は取手に手をかけ引いてみる。意外と重い、完全に開き切った中を覗くと、そこには地下へと続くハシゴがあった。
「大当たりですね。降りてみましょう」 私と黒崎はハシゴを降りる。
「松本先生、どうして彼は牢屋の扉を開けたんでしょう?彼がもしこの地下にいるのならそんなことをする必要はないのでは」
「ミスリードのつもりだったんでしょう、誰だって牢屋が開いていて、中から人が消えていればそこから出たと思う。刑務所ものの映画とかにありがちな展開です」
「なるほど」 下まで降りると廊下が続いた。廊下には薄暗い電灯があり、無機質な灰色の床を照らしている。私と黒崎は一歩一歩、奥へと進んでいく。「まさか、こんな地下があったとは思いませんでした」
「まさに夏村龍治の家って感じですね、ミステリーだらけだ」 突き当たりまで進むとそこには木製の古い扉があった。私はゆっくりとドアノブに手を掛け、回す。「なんだここは」 思わず声が出た。まず最初に目に入ったのは壁に掛けられている無数の拳銃だ。ハンドガン、ライフル、マシンガン、様々な種類の銃器が壁に掛けられていた。部屋の中央に並べられた台の上には手榴弾や銃弾、更にはロケットランチャーまで置かれていた。映画などで殺し屋が装備を整える部屋が出ることがあるが、まさにその物だった。
「ようこそ」 部屋の奥の革椅子に座っている朔明カレンが我々に声を掛けてきた。手には拳銃を一丁持っている、あれは確かベレッタだったかな。
「さすがですね。ここを見つけるだなんて」
「この部屋は一体なんなんですか?」
「松本先生、予想してみたらいかがですか?」
「予想ね、うーん。アンタは犯罪組織のボスだ。こういう物を持っていても不思議ではない。でも所持は明らかに違法だからここに隠していたってところか?」
「まぁ、そんなところです。私が組織から抜けた際に色々とお土産をいただきましてね」 盗んだの間違いだろう。
「そのお土産をここに置いているということです。それにこれは創作の役にも立つんですよ」
「どんな役に立つ?」
「ミステリーには少なからず拳銃の類いが登場します。描写をするならやはり本物を見たほうが良いでしょう?」
「そうか、これを見つけさせないためにアンタは牢屋にいたんだ。牢屋に住人がいたら誰もそこに入ろうと思わない、トイレなら尚更だ。この部屋の番人の役割を果たしていたわけだ」
「御名答。さすが、血は争えませんね」
「これらは本当に本物なのですか?」
「黒崎さん、本当ですよ。試してみますか?」 朔明カレンが手に持っていたベレッタの銃口を黒崎に向けた。
「や、やめ」
バン!と乾いた銃声が室内に響いた。朔明カレンの放った弾丸は黒崎の脳天に直撃した。そして彼はそのまま倒れ込んだ。
「なんてことを」
「黒崎さん、彼には本当にお世話になりました。でも彼は知りすぎました。もう生かしておくわけにはいかない。それに彼は執事だ。主人のいない館にもう執事は必要ないでしょう?」
「主人のいない?本物の夏村龍治は生きているだろう?」
「ええ、ですが彼には話していないんでしょう?ゴーストライターのことを」
「お見通しか」
「松本先生の性格を考えればね。でもこれでよかったでしょう、黒崎は私の父親であるあの老いぼれを本物の夏村龍治と思い込み死ねたんだ。それにそろそろここを出ようと思っていましてね。契約はもうこれで終わりです」
「アンタは狂ってるよ」
「ああ、もう知ってますよ」 私は生まれて初めて人を殺したいと思った。しかし殺してしまっては自分が嫌悪する父親と同じになってしまう。自分はどうすれば良いのか、私は拳を強く握った。
「さぁ、これでこのミステリーの登場人物は二人だけになりました!でも安心してください、もう誰も殺すつもりはありません、『そして誰もいなくなった』状態にはならないのでご安心ください」 私は壁に掛けられていた拳銃を取り、朔明カレンに向けた。
「おっと、これはいけませんね。そんな展開は私は望んでいない」
「アンタは何がしたいんだ。何が目的なんだ」
「目的ですか、しいて言えば楽しみたい、その瞬間を、出来るだけ生きている実感を味わいたい。ただそれだけですよ」 引き金に手を掛ける。
「あ、目的と言えば、すっかり忘れていました。どうです?宝探しゲームの方の謎は解けましたか?」
銃口を向けられている人間の態度とは思えない。
「ああ、そっちはとっくに解けてるよ」
「見つけたのですか?」
「いや、見つけてはいない。見当がついているって段階かな。一応聞くけど、あのゲームもアンタが考えたんだよな?」
「ええ、そうです」
「なるほど、じゃあ答え合わせが出来るわけだ」
「ぜひ聞かせてください」
「鍵の場所は車庫だ」
「車庫?どういった推理ですか?」
「宝探しは宝を探す、捜索することだ。ミステリーに置き換えればそれはつまり犯人探し。あの『名探偵を殺せ!』の犯人は探偵の助手だった。名前は関海斗、助手の
『関』が犯人、助手関、助手席、要は車の助手席が答えの場所ってこと」
「でも車は何台もあったでしょう?どの車ですか?」
「フィアットさ」
「どうしてフィアットだと?」
「助手の関海斗が犯人、海斗、カイトー、怪盗。あの何台もある車の中で怪盗が乗っているのはフィアットだけ。ルパン三世がカリオストロの城で乗ってた車だ。さっきアンタを探すため、車の中も調べた、フィアットの助手席のシートだけ少し新しかったんだ、鍵を隠すため、シートを張り替えたんだろうな」
「大正解です」
「分かってみると実にくだらない駄洒落だったよ」
「語呂合わせだったり、アナグラムだったり、駄洒落めいた文句だったり、ミステリーなんてそんなもんですよ。まぁ、いずれにしてもおめでとうございます。賞金はあなたのものです」
私は素直に喜べなかった。このまま賞金を受け取ると他人の死を犠牲にするような感じがしてとても不愉快だ。だから私はもう賞金を受け取るつもりはない。確かに不動産屋や印税、アイディア帳は魅力的だ。しかし私はこんな島で孤独を決め込んで住み着くつもりはないし、お金だって今の収入で満足している。誰も受け取らなかったら寄付されるとあった、それでいい。そして他人のアイディアで私は小説を書くつもりはない。というか書けない。アイディアはそれを思いついた人が作品にするのが最も良いに決まっている。
「これでゲームは終わりか?」
「まだ、謎は残っているでしょう?」
「アンタが小説家たちを殺した動機か?」
「そして、ゴーストライターの正体もですよ」
「そういえばそれもあったな」
「そちらの謎もわかっているのですか?」
「いや、まだ」
「見当もついていないんですか?」
「はっきりと言葉にはできないが、なんとなく、ぼやっとだけど輪郭のような物はあるんだ。でもはっきりしない、あともう一歩ってところなんだろうけど、どうもね」
「では最後のヒントを差し上げましょう」
「ヒント?」
「ええ、最後のヒントは私です」
「私、夏村龍治としての?」
「夏村龍治であること、朔明カレンであること。その二つです」「アンタ、ヒントの出し方が上手いのか下手なのかわからないな」
「よく考えることです。先ほど、私はヒントを出したんですよ」
「わかった、よく考えてみるよ」
「タイムリミットは明日の正午ですよ。迎えの船が来ますから」
「明日の朝にでもまた来る」
「楽しみにしています」
「なぁ、アンタ飲み物は何が好きだ?」
「え?」
「コーヒーか紅茶か、日本茶か」
「私は紅茶が好きです。特にダージリンティーが」
「最後に父とお茶を飲むのも悪くないかなと思ってね」
「どうして最後なのでしょう?」
「アンタは四人の殺害に関わってるんだ、どうせ姿を暗ますだろう」
「明日の朝、楽しみにしていますね」
私は手に持った拳銃を捨て、地上へと続く扉を開けた。
~ 五日目 ~
翌朝、私は食堂でダージリンを淹れていた。作業自体は慣れたものだ、なぜならば普段から私も紅茶を飲んでいたからだ。昔からコーヒーよりも紅茶が好きだった。これも遺伝なのだろうか。ティーセットをお盆に乗せ、牢獄の入り口まで来ると、私は一度お盆を床に置いた。そして車庫に向かった。宝探しの答えを確認するのではなく、ある物を探すためだ。それは実の母を死なせた凶器だった。さらに車庫の入り口についていた南京錠も取り払い、再度牢獄へ戻った。
「おはようございます。松本先生」
「おはようございます」
朔明カレンは清々しい表情をしていた。
「今日はいい朝ですね。人生の門出にふさわしい朝だ」
「旅立ちですか。やはりあなたも船に乗るつもりなんですね」
「ええ、ここもそろそろ飽きてきましたからね。契約も無くなりましたし、どこか別の場所で暮らそうと思います」
「そうですか。そうだ、紅茶を準備してきました、どうぞ」
「ありがとう」 牢屋の扉をあけ、ティーセットを手渡す。彼が一口飲んだ。
「実に美味しい紅茶だ。でももっと美味しくする方法があるんですよ。でもそんな話は後で、さて、本題に移りましょう。謎は解けましたか?」「はい。謎は全て解けた、って感じです」
「さすが名探偵」
「あなたはずっと私にヒントを与えていたんです。ヒントは最初から目の前にあった、パズルのピースを集める、『名探偵を殺せ!』の中にヒントがある。全てある謎に繋がっていたんです」
「いい感じですよ」
「まず『名探偵を殺せ!』の中のヒント、犯人は偽名を使っていた。そして偽名には家族一人一人の頭文字を使用していた。今回の謎もそれと似た法則を使う。そのパズルのピースは我々、ここに集められた小説家たち」 朔明カレンは目を輝かせている。
「最初から目の前にあったヒント、それはアンタ、朔明カレン、都市伝説をして有名な名前だったから特に気にも留めなかったが、その名前がヒントだった。この間言ってたよな、ミステリーは語呂合わせやアナグラムって。そう、アナグラム、サクメイカレンという名前を並び替えると、こうなる。レンメイサクカ、レンメイサッカ、連盟作家。何人かの人間が一つの作家の名前を名乗ることだ。朔明カレンは夏村龍治、夏村龍治は連盟作家だったんだ」
「素晴らしい!ブラボー!マーベラス!」
「では夏村龍治とは誰だったのか、連盟だったのは誰か。アンタが一人目なのは確定している。他は誰か、考えてみればパズルのピースは最初から目の前にあったんだ。夏村龍治という名前は四人の作家の名前から一文字ずつ取って出来ていたんだ。夏、村、龍、治。夏は宮田夏子、村は東村正明、龍は龍川洋一、治は松本康治。このゲームの参加者全員だ。ただ、俺は夏村龍治として活動はしていない、俺だけは後付けだろう」
「その通り!太宰治が好きでね、その治を筆名に入れたんだ。好きすぎて自分の子供にまでその名前を入れた。お見事、全て正解です」
「宮田、龍川、東村を殺したのはそれが動機」
「ええ、簡単に言えば独り占めしたくなったんです。夏村龍治という名前をね」
「どうして連盟作家に?」
「私はある小説の新人賞を受賞してデビューしました。その選考委員が宮田、龍川、東村の三人だったんです。ペンネームを考えるときに選考委員から一文字ずつ取ったら面白いのではないかと思ってね、さらにそこに尊敬する小説家の一文字を足したんだ」
「なるほどね」
「この間も話したが、夏村龍治として活動している内に犯罪の仕事の方が忙しくなってね。小説を書くのが困難になった。そこで私から彼らに手紙である提案した。実は息子がゴーストライターとして小説を書いているが、その息子が病に倒れ、小説家を続けることが難しい。代わりに夏村龍治という名前を支えてはくれないか?とね。三人とも協力してくれたよ」
「嘘ばっかりだ」
「嘘も方便というだろう?それにペンネームの秘密も伝えたらますます乗り気になってくれたよ」
「なるほど、何というかわかってみると、こんなもんかって感じだよ」
「ミステリーなんてそんなもんです。全て終わりました」
朔明カレンがジャケットの胸ポケットから拳銃を取り出し、私に向けた。
「実の息子を殺し、幕引きですか」
「ええ、最初からそのつもりでしたよ?だってあなたは探偵役、最初から伏線を張ってただろう?『名探偵を殺せ!』ってね!」 朔明カレンが拳銃を落とす。
「朔明カレン、何だか眠くなってこないか?」
「貴様、何をした?」
「黒崎さんがね、不眠症だったらしいんだ。それで強力な睡眠薬を持ってた。睡眠導入剤だったかな?まぁ、どっちでもいいや。それを紅茶に入れておいたのさ」 私は牢獄の入り口のドアに隠していた南京錠を取り、牢屋に取り付けた。
「知ってますか?鍵を簡単に開けさせない方法。鍵を鍵穴に差し込み折るんです」 私は南京錠に鍵を入れ、折った。
「下に、拳銃は、山ほどある。南京錠なんてすぐに」 私は車庫から持ってきたガソリンを部屋中に巻き始めた。
「何を、して」
朔明カレンは眠りに落ちたようだった。
「あなたが宮田夏子にしたことです」 私は宮田夏子から貰った狼の彫られたジッポライターを取り出し、火を付けた。
「罪は償わないといけません。あなたは偉大な小説家たちを殺しすぎた」 火のついたライターを部屋へ放る。炎は勢いよく燃え上がった。
「やっぱり物語にはカタルシスがなくっちゃ。さよなら朔明カレンさん」
私は牢獄の扉を閉じ、地上へと続く階段を一歩一歩踏み締めて、上がっていった。
爽快な青空にきらめく水面、船はぐんぐん港に向かって進む。私は葬儀のことを思い出していた。たくさんの百合に囲まれる夏村龍治の遺影、百合は色によって花言葉が違う、白は『純潔』『威厳』だが、黄色は『偽り』、ピンクは『虚栄心』、今にして思えば夏村龍治にぴったりの花だったわけだ。夏村龍治は完全に死んだ。もうこの世にはいない。あの奇抜なトリック、斬新な設定、大どんでん返しのストーリー、緻密な人間の描写、それも味わえることが無くなってしまった。それは実に残念なことだ。そこで私はあることを思いついた。夏村龍治は連盟作家だったのだから、他の小説家が名乗っても良いのではないか、そう、私が名乗っても問題はないのではないか、そうだ、そうしよう、私が夏村龍治を継ぐのだ。
島を振り返る。意外なことに煙は上がっていない、牢獄の扉が頑丈だったからだろうか。側から見れば何も起こっていない、いつもと変わらない島だ、でも夏村龍治が死んだのだ、あの島で。天才、偉才、文学界きっての才覚、色んな肩書きがあった夏村龍治だが、私が最も好きだったのは『鬼才』だ。彼の小説はどこか人間離れしていた、それを表するのに最もふさわしい言葉だろう。さぁ、鬼才を弔おう。