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    <title>花音(ハノン)</title>
    <description>心をふんわり軽やかにする日記を書いています。
聖書のことばや本、日常の小さな出来事から感じた気づきをシェア。
私はキリスト教徒ではありませんが、聖書のことばを「気づきのヒント」として受け取っています。
ここで少しでも心が楽になり、自由で軽やかな生き方を感じてもらえたら嬉しいです。</description>
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    <copyright>花音(ハノン)</copyright>
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      <title>    自分を尊ぶ彼女が教えてくれた、　　　　協力という名の「自立」</title>
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      <description><![CDATA[<p name="3324F902-F601-4CDD-A7A1-CA9DEDAB5EEB" id="3324F902-F601-4CDD-A7A1-CA9DEDAB5EEB"><br>今年の夏は、広島の厳島神社や東京の明治神宮などへ旅行に行ってきた。<br><br>どこへ行っても相変わらず外国人観光客がたくさんいて、日本の人気ぶりを感じる旅行だった。<br><br>でも、今回の旅行で一番おどろいたのは、<br>車椅子に乗った外国人観光客の方を、<br>何度か見かけたことだった。<br><br>特に印象に残っているのが、<br>広島の厳島神社でのこと。<br><br>彼女は家族やご友人と思われる数名のグループで来ていた。<br><br>厳島神社といえば、フェリーに乗って渡らなければいけないし、参道や境内も砂地や石畳で段差もあって移動だけでも一苦労な場所だ。<br><br>それなのに、<br>彼女たちの周りには終始笑顔があふれていた。<br><br>誰か一人が無理して車椅子を押し続けているわけでもなく、近くにいる人がスッと代わって押している。<br><br>誰も嫌な顔ひとつせず、ごく自然に手を取り合っているように見えた。<br><br>思わず、隣を歩く夫に話しかけていた。<br><br>「車椅子で旅行って、やっぱり大変じゃないのかな。私だったら、みんなに申し訳なくて『行きたい』って言えないかも」<br><br>すると夫も、深く頷きながら言った。<br><br>「それな！<br>俺なら絶対、旅行に行きたいなんて言わない。<br>周りに迷惑かけたくないし」<br><br>確かにそうだ。<br><br>誰かの手を煩わせて、せっかくの旅行を楽しめなかったら申し訳ないと思ってしまう。<br><br>ここに、私たち日本人と彼女たちの違いを感じた。<br><br>自分たちの「やりたい」を素直に叶えようとする姿に、私たちよりもずっと自由で、心の豊かさのようなものを感じずにはいられなかったのだ。<br><br>何より印象的だったのは、<br>車椅子に乗っている彼女の姿だった。<br><br>誰かに頼っていることに<br>引け目を感じている様子は、微塵もない。<br><br>今この瞬間を楽しんでいる。<br><br>誰かに依存しているのではなく、<br>彼女もまた「自立した一人の人間」として、<br>そこにいるように見えた。<br><br>私は以前、「自立とは、人生のハンドルを誰かに渡さず、自分で握ることだ」と書いた。<br><br>彼女の姿もまた、<br>「自分の人生のハンドルを自分で握る」ということと深く関係している気がしてならなかった。<br><br>私たち健常者は、まるで自分一人で何でもこなして生きているかのように思いがちだ。<br><br>だが実際は、目に見えない無数の場所で誰かの助けを受けている。<br><br>ただ、日常があまりにスムーズに回っているので、自分一人で完結できていると錯覚しているだけなのかもしれない。<br><br>車椅子を使う彼女には、<br>人の助けが必要な場面もある。<br><br>この光景を言葉にするなら何だろうか……<br><br><br>「協力」<br><br><br>この言葉が、<br>いちばんしっくりくる気がする。<br><br>「お願い」する側でも、<br>「助けてあげる」側でもない。<br><br>協力し合う仲間。<br><br>そこには、対等な関係性があるように感じた。<br><br>その背景には、西洋のキリスト教文化が関係しているのかもしれない。<br><br>聖書にこんな言葉がある。<br></p><figure name="1A9DBE5D-D121-4F80-AE56-915C54BD89D2" id="1A9DBE5D-D121-4F80-AE56-915C54BD89D2"><blockquote name="1A9DBE5D-D121-4F80-AE56-915C54BD89D2"><p>「互いに重荷を担いなさい。」<br>　　　　　新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙6:2</p></blockquote>
<figcaption></figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/nc60874cd8d5c'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 26 Sep 2026 20:00:23 +0900</pubDate>
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      <title>自立って、なんだろう。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="B67EE44B-FDD2-4B51-A4E7-612F5A9F8CAD" id="B67EE44B-FDD2-4B51-A4E7-612F5A9F8CAD"><br>今年の3月、大学を卒業した娘は、<br>卒業して2か月後には家を出て行った。<br><br>会社は我が家からは通勤圏内。<br>無理なく通える距離なのに、<br><br>「わたし、自立するわ！」<br><br>娘はそう言って、<br>家を出ていった。<br><br>仕事をして、<br>家賃を払って、<br>食費や光熱費も自分で払う。<br><br>料理をして、<br>洗濯をして、<br>仕事にも行く。<br><br>たしかに、<br>これを「自立」と呼ぶんだろう。<br><br>でも、<br>ふと思った。<br><br>自立って、<br>それだけなんだろうか。<br><br>お金を自分で稼いで、<br>自分のことを自分でできれば、<br>それで自立していると言えるのかな。<br><br>私は、<br>「精神的な自立」について<br>考えてみたくなった。<br><br>会社員、教師、看護師、介護士、<br>現場で働く人、主婦、ドライバー。<br><br>立場も違えば、<br>抱えているものも違う。<br><br>でも、どんな立場にいても、<br>その人の人生は、その人のもの。<br><br>じゃあ、<br>「自立して生きる」って<br>どういうことなんだろう。<br><br>与えられたカリキュラムを、<br>ただ消化していくこと。<br><br>流れに身をまかせて、<br>受け身で今日を過ごすこと。<br><br>もしそれが「自立」なのだとしたら、<br>どこか違う気がする。<br><br>私は、誰かに言われたことを<br>そのままこなすだけでもなく、<br><br>誰かの顔色をうかがいながら<br>一日を終えることではないと思う。</p><p name="01DA39AD-EB2E-461A-B66C-160A7CBE1B87" id="01DA39AD-EB2E-461A-B66C-160A7CBE1B87"><br>目の前のことに、<br>自分の意識を向けて、<br><br>どうしたらもっと良くなる？<br>何ができる？<br><br>自分で考えて、<br>やってみる。<br><br>うまくいかなければ、<br>また変えてみる。<br><br>そこには、<br>苦しさもあるけれど、<br>楽しさもある。<br><br>そして、心を震わせる瞬間もあると思う。<br><br>そうやって、<br>目の前の現実を<br>自分で試行錯誤しながら生きていく。<br><br>挑戦していく。<br><br>それもまた、<br>自立なんじゃないかと思う。<br><br>そう分かってはいても、<br>私たちは、つい<br><br>「あの人がこう言ったから」<br>「そういう決まりだから」と、<br>自分の人生の運転席を誰かに譲ってしまう。<br><br>精神的な自立とは、<br>ハンドルを誰かに渡さないで<br>自分で握ることなのだと思う。<br><br>人の意見を聞いてもいいし<br>助けてもらってもいい。<br><br>それでも最後は、<br><br>自分で考えて、<br>自分で選ぶ。<br><br>聖書に、こんな言葉がある。<br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n81bab297b3d6'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 12 Sep 2026 16:37:16 +0900</pubDate>
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      <title>「勝てば官軍」の夫と、直球で勝負したい私</title>
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      <description><![CDATA[<p name="00A2686D-4787-41A4-B862-403822B9FD48" id="00A2686D-4787-41A4-B862-403822B9FD48"><br>旅行から帰ってくる夜は、いつも新幹線を降りたあと、主人と鰻を食べて帰るのが我が家の定番になっている。<br><br>その日もいつものように鰻屋さんに立ち寄り、帰り際、隣に住む次男のために鰻重を買って帰ろうと、主人が次男にLINEを送った。<br><br>すると、「ありがとう😊お願いします。」と返事がきた。<br><br>お土産の鰻重が出来上がり、そろそろ会計を済ませて帰ろうとした、そのとき。<br><br>主人が次男からもう一通LINEが届いていることに気づいた。<br><br>そして、そのLINEを読み上げた。<br><br>「今、彼女が来てるから、僕が取りに行くわ。大丈夫です。二人で半分こして食べるから追加はいりません。」<br><br>そのLINEの内容を聞いた瞬間、私は次男に無性に腹立たしさが込み上げてきた。<br><br>一個を半分こ？<br><br>そんなこと、主人が快く思わないことなど、次男も知っているはず。<br><br>これは暗に「もう一つ頼むよ」と言っているようにしか、私にはとれなかった。<br><br>案の定、主人は「2人で半分こなんてな〜。もう一つ追加やな！」と言い、「すみませ〜ん」と手を挙げている。<br><br>「で、何で怒ってるの？」<br><br>主人が私に聞いてきた。<br><br>私は、この「頼まずして頼んでいる」ように見える姿に、モヤモヤした違和感を覚えたのだ。<br><br>「彼女が来ているから、もう一つお願いします」と、きちんと頭を下げて頼む。その行為は大切だと思う。<br><br>それをとばして、主人の性格をよく知っている次男は、「二人で半分こして食べるから追加はいらんよ」と言えば、頼まなくてもお父さんがもう一つ買ってくれる。<br><br>私なら、父親に気を遣わせたくないのなら、彼女が来ていることすら言わずに、「ありがとう」と、一つの鰻重をそのまま受け取って、二人で半分こして食べる。<br><br>私は、そんなふうに父親を誘導しているように感じてしまった。<br><br>そのことを主人に話すと、<br>「あれ、俺、コントロールされてるんかな？<br>まぁええやん、勝つためには何をしてもええねん。勝てば官軍、負ければ賊軍やねん。<br>お前、会津藩やからなー」<br><br>と、ほろ酔いの主人は、操られていることを<br>どこか楽しんでいるかのように見えた。<br><br>私はふと、聖書の「山上の説教」を思い出した。<br><br></p><figure name="19E68F68-2442-4E6F-B9BD-5FDF5B7EFB79" id="19E68F68-2442-4E6F-B9BD-5FDF5B7EFB79"><blockquote name="19E68F68-2442-4E6F-B9BD-5FDF5B7EFB79"><p>「義に飢え渇く人々は幸いである。<br>　　　　　　　　その人たちは満たされる。」<br>　　　　　　<br>　　　　　　　新約聖書マタイによる福音書5:6</p></blockquote>
<figcaption></figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/nef012f36963d'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 27 Aug 2026 10:04:14 +0900</pubDate>
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      <title>他人の目線から、私の人生へ。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="35D9E27D-9994-4D6F-BB98-B99AC4E8C9D3" id="35D9E27D-9994-4D6F-BB98-B99AC4E8C9D3"><br>人間が手放しにくいものの大きな一つ、<br>それは「評価」ではないだろうか。<br><br>これは、人が二人以上いれば起こりうることで、上司と部下、兄弟、夫婦、友達、仲間、あるいはSNS。<br><br>人間社会とは、そういうものなのかもしれない。<br><br>上司だって、年齢と経験は積んでいるけれど、部下からの厳しい評価を忘れてはならない。<br><br>兄弟は、どちらかが何かに秀でれば、いや、喋り出すのがどちらが早かったか、遅かったかでさえ、評価の対象になる。<br><br>友達だって、いつの間にか上下関係が出来上がってしまうことだってある。<br><br>そして、私たちは大なり小なり評価されたいと思ってる。<br><br>私自身も、今月に入ってから、<br>「今の私は、認められているんだろうか」<br>「受け入れられているんだろうか」<br>という思いが、私の中でどんどん色濃くなっていった。<br><br>悩みに悩んだ。<br>「何か受け入れられていない気がする。いや、気のせいかな？」<br>「きっと認められていないんだ。」<br>「もっと、気に入られるように振る舞えばよかったのかな。きっと、そうだよ。」<br><br>決して何かがあったわけではないけれど、妄想はどんどんふくらんでいく。<br><br>でも、ある時点で、私はそれが私の妄想だったとわかった。<br><br>それは、わかったというより、<br>「妄想から解かれた」と言った方が正しいかもしれない。<br><br>誰かに相談したわけでもなく、また誰かに「そんなことないよ」って言ってもらったわけでもなく……<br><br>ただ、単に<br>私が今してることは承認欲求なんだと、ようやくわかったから。<br><br>いや、途中からわかっていたけど、抜け出せなかったっていうのが本音かな。<br><br>私は原因を探しては自分を裁き、裁いてはまた探す。そんなことを繰り返す日々だった。<br><br>でも、そんな日々を過ごすのに疲れてきた頃、<br>「この状況での私の解釈は、本当？」という疑問が生まれてきた。<br><br>私は、現実そのものを見ているのではなく、表面に見えているものを、自分のフィルターを通して判断しているだけなのかもしれない。<br><br>そう思えてくると、また、「認められる」ということにも疑問が湧いてきた。<br><br>認められる私は価値があって、認められない私は価値がないの？<br><br>そんなことはないはず。<br><br>気に入られるように、認められるように振る舞えば、評価は上がるかもしれない。<br><br>でも、本音と違った生き方をしても、<br>心は満たされない。<br><br>世間の一般的な評価の基準なんて、時代や場所、人によって変わるもの。<br><br>そんな、その時々の価値観で自分の心を翻弄させるのは、私が人生のハンドルを握れていないような気がした。<br><br>もう、そこにどっぷり浸かるのは終わりにしたい。<br><br>もちろん、人間である限り、承認欲求は持っている。<br>それはまた、向上していく上で大切なことでもある。<br><br>でも、人から認められることに、自分の価値を委ねるのではなく、今、自分が感じていることや考えていることを、一度疑ってみる。<br><br>一つの考え方に執着せず、見方を変えてみる。<br><br><br>そして<br>感情や考えに従うのではなく、<br>感情や考えを自分で扱えるようになっていく。<br><br><br>そんなふうに自分自身と付き合いながら、<br>自分の人生のハンドルを握って生きていきたい。<br><br><br><br><br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/nd13ec055eea9'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 12 Aug 2026 15:53:33 +0900</pubDate>
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      <title>手放したら、心が軽くなったもの</title>
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      <description><![CDATA[<p name="5674FDBE-3D6F-4E97-8653-B0BD618C1A82" id="5674FDBE-3D6F-4E97-8653-B0BD618C1A82"><br>一人暮らしの母は<br>電話するたびに、そして会うたびに、<br>「寂しい」と繰り返す。<br><br>私としては、その言葉を聞くたびに「なんとかしてあげなきゃ」と、次々にいろいろな提案をしてきた。<br><br>例えば、<br>寂しいのなら、<br>「デイサービスに入ってお友達作ったら？」とか<br><br>「不安があるなら、お試し感覚で一週間だけ私たちと一緒に住んでみる？」<br><br>そう提案してみても、母はなかなか首を縦には振らない。<br><br><br>「寂しい」と言うのに、なぜ？<br>そんな疑問が、私の中に生まれる。<br><br>もちろん、住み慣れた家を離れることへの不安もあるのだろう。<br><br><br>毎日のように聞く<br>「寂しい」という言葉。<br><br>その言葉を聞き続けるうちに、<br>私の心は少しずつ重くなっていった。<br><br>いろいろ提案しても動いてくれない母。<br>なんだか堂々巡りをしているような感覚。<br><br>それでも私の頭の中は、<br>「どうしたら、お母さんにとって一番いいんだろう？」と、答えを探し続けていた。<br><br>そんな時、<br>ふと「期待」という言葉が頭をよぎった。<br><br>私は母に、「幸せになってほしい」と期待しすぎていたのではないか。<br><br>私が思う幸せと、母にとっての幸せは違うのかもしれない。<br><br>「寂しい」という気持ちが、決して不幸せではないんじゃないか？<br><br>もしかしたら、変な言い方だけど、<br>母にとっては、「寂しい」と感じながらも、父と暮らした日々を思い出す時間そのものが、大切なのかもしれない。<br><br>幸せの形は人それぞれだ。<br><br>私はただ、<br>母の寂しさを早くなくしてあげたいと思い、<br>母が変わることを願っていた。<br><br><br>でも、後になって気づいた。<br>その思いの中には、<br>「母が変われば、私が楽になれる」<br>という気持ちもあった。<br><br>そしてそれは、<br>知らないうちに母の人生をコントロールしようとしていたようだ。<br><br>私の提案が通らなければ、<br>がっかりする。<br><br>思い通りにならなければ、<br>苦しくなる。<br><br>それは、<br>私が「こうなってほしい」という期待を握りしめていたからだ。<br><br>母が変われば、私は楽になる。<br>そう思っていた。<br><br>でも、そうではなかった。<br><br>変わる必要があったのは、<br>私だった。<br><br>私が母の幸せを決めるのは、もうやめようと思った。<br><br>ある意味、諦めたのだ。<br>コントロールすることを。<br><br><br>すると、<br>なんだか心が楽になった。<br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n6ffbe95164ad'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 31 Jul 2026 10:09:23 +0900</pubDate>
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      <title>イエスがいう「本当のリーダー」とは</title>
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      <description><![CDATA[<p name="E2A276A5-1424-4097-8188-0CE026A20950" id="E2A276A5-1424-4097-8188-0CE026A20950">聖書にはいろんな場面があって、簡単に「なるほど」と心にすんなり入ってくるところもあれば、「ん？どういうことだろう？」と立ち止まってしまうところがあります。<br><br>今回、私が立ち止まってしまったのは、「いちばん偉い者」についてイエスが弟子たちに話す場面です。<br><br>あるとき弟子たちは、「自分たちの中で誰がいちばん偉いだろうか」と議論していました。そのとき、イエスはこう言われたのです。<br></p><figure name="0CD996E6-D667-4581-83EE-13D209BAF772" id="0CD996E6-D667-4581-83EE-13D209BAF772"><blockquote name="0CD996E6-D667-4581-83EE-13D209BAF772"><p>「あなたがたの間で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。」<br>　　　　　　　（ルカによる福音書 22:24-26）<br></p></blockquote>
<figcaption></figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n52918d162b14'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 18 Jul 2026 10:07:16 +0900</pubDate>
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      <title>心はもう、答えを知っている。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="55DA02AA-DF07-4E1E-8D85-0C3A0C77702B" id="55DA02AA-DF07-4E1E-8D85-0C3A0C77702B"><br>私たちは毎日、<br>小さなことから大きなことまで、<br>たくさんの「選ぶ」を繰り返して生きています。<br><br>一日は、<br>決断の連続なのかもしれません。<br><br>今日一日だけでも、<br>私たちはいくつの選択をしているのでしょう。<br><br>朝起きる時間。<br>着る服。<br>食べるもの。<br>誰に連絡するか。<br>何を言うか、言わないか。<br><br>そんな小さな選択の積み重ねが、<br>私たちの毎日をつくっています。<br><br>でも、選択肢が増えるほど、<br>私たちは迷ってしまうことがあります。<br><br>迷いすぎて<br>本当の気持ちがわからなくなってきます。<br><br>何故わからなくなるんだろう。<br><br><br>この前、娘とカフェに行った時のことです。<br><br>娘は美味しそうなパフェを選びました。<br>私も一瞬「食べたいな」と思いました。<br><br>でも頭の中では、いろいろな計算が始まります。<br><br>「パフェを二つ頼むと四千円近くになるな。」<br>「カロリーも高そうだし、やめておこう。」<br><br>結局、私は珈琲を頼みました。<br><br>注文した時は、それで良かったんです。<br><br>でも、珈琲が運ばれてきて一口飲んだ瞬間、<br><br>「……つまらない。」<br><br>そう感じました。<br><br>あの時、<br>私の心の奥に<br>「パフェが食べたい。」<br>という気持ちがあったんですね。<br><br>珈琲を一口飲んで<br>初めて自分の気持ちを知りました。<br><br>本当の気持ちは<br>そこにあったのに私は、<br>その声よりも、損得や計算を選んでしまった。<br><br>心の声は、<br>はじめから<br>知っていたのに。<br><br>なぜ私は、<br>心の声に気づかないんだろう。<br><br>いえ、<br>気づいてるのに、<br>無視したり、<br>ふたをしたりしてるのでしょう。<br><br>何かを選ぼうとするとき、<br>頭は必ず働きます。<br><br>失敗したくない。<br>損か得か。<br>正解への執着。<br>嫌われたくない。<br>周りとあわせておこう。<br><br>本当は、答えはもうそこにあるのに。<br><br>聖書にはこんなことばがあります。<br></p><figure name="8F6813A3-6924-43A5-80A9-D348402000A5" id="8F6813A3-6924-43A5-80A9-D348402000A5"><blockquote name="8F6813A3-6924-43A5-80A9-D348402000A5"><p>人は、たとえ全世界を手に入れても、<br>自分の命を失ったら、何の得があろうか。<br><br>　　　　　　（マタイによる福音書16章26節）<br></p></blockquote>
<figcaption></figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/na57c582a7618'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 05 Jul 2026 13:26:29 +0900</pubDate>
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      <title>思考のループに、ピリオドを。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="CF6D9340-6FA9-468E-965F-17F545590C5E" id="CF6D9340-6FA9-468E-965F-17F545590C5E"><br>人は、誰かの言葉によって、イラッとしたり、モヤモヤしたり、辛くなったり、悲しくなったりすることがあります。<br><br>相手がどういうつもりで言ったのかわからないのに、私たちの感情は先に反応します。<br><br>そして、その瞬間に出来事は終わっているのに、<br><br>頭の中では、<br><br>「あの人はどういうつもりだったんだろう」<br>「私が悪かったのかな」<br>「こう言えば良かったかな」<br><br>と、繰り返し考えてしまうことがあります。<br><br>気がつけば、出来事が終わった後も、頭の中で同じ場面を何度も再生しています。<br><br>一度は忘れたと思っていても、ふとした拍子に、そのやり取りを思い出してしまいます。<br><br>感情は一瞬だったのに、<br>思考は何時間も続くことがあります。<br><br>私にとっては、感情そのものよりも、その後に続く思考の方がずっと苦しかったのです。<br><br>何度も何度も頭の中をループする思考。<br><br>私は、感情に振り回されたくなくて、<br>つい意味を探してしまいます。<br><br>なぜあの人はあんな言い方をしたんだろう。<br><br>本当は何を伝えたかったんだろう。<br><br>あの言葉の奥には、<br>どんな思いがあったんだろう。<br><br>そんなふうに考え始めると、<br>思考はぐるぐると終わることなく続くのです。<br><br><br>答えは見つかりません。<br><br>なぜなら、本心はその人本人にしかわからないからです。<br><br>わからない部分を、想像で埋めようとしていました。<br><br>「嫌われているのかもしれない」<br><br>「責められているのかもしれない」<br><br><br><br>そうして作り上げた解釈は、<br>時に相手の本当の意図とは違うものになってしまうことがあります。<br><br><br>でも、本当に起こったことは、<br>「あの人がその言葉を言った」<br><br>ただそれだけです。<br><br>その言葉にどんな意味があったのか。<br>何を思っていたのか。<br>それは本人にしかわかりません。<br><br>これも私の思考の癖なのだと思います。<br><br>起こったことを、<br>起こったまま見ること。<br><br>自分の解釈を乗せずに。<br><br>これがベストなんだけれども、<br>できない時もあります。<br><br>勝手に思考が自動再生してしまう時は、<br><br>「以上。」ってね。<br><br>思考と議論しないで。<br><br>「以上。」ってね。<br><br><br>今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n75f78229c7a0'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 21 Jun 2026 16:00:15 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n75f78229c7a0</link>
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      <title>罪悪感と赦し</title>
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      <description><![CDATA[<p name="918732A8-C601-4FFD-9414-44081F0A5A69" id="918732A8-C601-4FFD-9414-44081F0A5A69">私は小さい頃から、<br>「優しい人になりなさい」と教わって育ちました。<br><br>また、家庭では仏教的な価値観の中で育ち、<br>善い行いの大切さを教わりました。<br><br>それは今でも、<br>生きていく上で大切なことだと思っています。<br><br>しかし、いつの頃からか、<br>私の中に葛藤が生まれるようになったのです。<br><br>目の前に、<br>「こうした方が良い」とわかっていることがある。<br><br>けれど、<br>どうしてもやりたくない。<br><br>そんな時です。<br><br>心は「嫌だ」と言っているのに、<br>それをしなければ、<br>善人になれないのではないか。<br><br>そんな思いが頭をよぎるのです。<br><br>心が嫌だと言ってるのに、<br>無視してそれをやっても苦しい。<br><br>心の声を大切にして、<br>やらないことを選んでも苦しい。<br><br>その葛藤は、<br>私の中に大きな罪悪感を生みました。<br><br>それでも私は、<br>長い間、その気持ちを見て見ぬふりをしていたのです。<br><br>でもある時、<br>大きな罪悪感に悩まされる出来事がありました。<br><br>これは、<br>どうやってもやり過ごすことが出来なかったのです。<br><br><br>その時、<br>私は自分の心の本音を選んだんです。<br><br><br>他の人に迷惑をかけてしまうとわかっていたのに。<br><br><br>でも、悶々とした日々を生きていても仕方がないことも知っていました。<br><br>そこで、ある人に相談に行きました。<br>その人にすべてを話すと、<br><br>「そんなことは、よくあることだよ。」<br>「気にすることじゃないよ」とあっけらかんと<br>言ってくれました。<br><br>そんな軽い言葉でした。<br><br><br>でも私は、<br>そのシンプルな言葉で、楽になったのです。<br><br>本当に<br>自分の選択を赦すことができたのです。<br><br>今思えば、<br>私はずっと、誰かに赦してもらえるのを待っていたのだと思います。<br><br>誰かに赦してもらわないと、<br>自分で自分を赦すことができなかったのです。<br><br><br>赦しとは、<br>悪かったことを無かったことにすることではありません。<br><br>あの時の自分にも、<br>事情があったことを認めること。<br><br>未熟だった自分も、<br>迷っていた自分も、<br><br>それがその時の精一杯だったと<br>受け入れることなのかもしれません。<br><br>私たちは、<br>気づかないうちに沢山の鎖をつけています。<br><br>「こうあるべき」<br>「こうしなければならない」<br>「人に迷惑をかけてはいけない」<br><br>そんな思い込みです。<br><br>その思い込みから罪悪感が生まれるなら、<br>その鎖はますます私たちを締め付けます。<br><br><br>私の場合、誰かに赦されたことで外すことができました。<br><br><br>でも、自分の力で自分を赦すことは難しい。<br><br><br>そんな自分にできることはなんだろう、<br>そう考えたとき、私はこう思いました。<br><br>「だったら、甘くなろう。」<br><br>厳しすぎた自分に。<br><br>私は、自分の心の本音を選んだことで、<br>自分を守ったんだって。<br><br><br>最後までお読みくださり、ありがとうございました。<br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/nadddb2ec356c'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 13 Jun 2026 11:11:04 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/nadddb2ec356c</link>
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    <item>
      <title>「握りしめる世界と、恵みの世界」</title>
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      <description><![CDATA[<p name="EC2347DF-95FF-4CBF-B47C-7C8B53B443D6" id="EC2347DF-95FF-4CBF-B47C-7C8B53B443D6"><br>皆さんは、聖書に出てくる「神の国」に興味はありませんか？<br><br>私は、あるんですね😊<br><br>もちろん、この地球で生きる私たち人間も大好きです。<br><br>喜んだり、悩んだり、<br>誰かを大切に思ったり。<br><br>そんな人間らしさは、とても愛おしいものだと思います。<br><br>けれど、その一方で、<br><br>傷ついたり、<br>比べたり、<br>争ったりして、<br><br>しんどくなってしまうこともあります。<br><br>そんな時、<br>「神の国って、この私たちが住む世界よりも、少し生きやすい世界なのではないか」と思うのです。<br><br>なので今回は、<br>イエスが語った「ぶどう園の労働者のたとえ」を通して、神の国について考えてみたいと思います。<br></p><figure name="DB6F31C6-01A8-4C84-A4A5-AC583B15647F" id="DB6F31C6-01A8-4C84-A4A5-AC583B15647F"><blockquote name="DB6F31C6-01A8-4C84-A4A5-AC583B15647F"><p>【ぶどう園の労働者のたとえ】<br><br>天の国は次のようにたとえられる。<br>ある主人が朝早く広場へ出かけ、仕事を求める労働者たちと1日1デナリオンの約束をして、ぶどう園へ送り出した。<br><br>その後も昼や夕方になってから労働者を雇った。そして仕事が終わると、最後に来た人から順に賃金を支払った。<br><br>すると、1時間しか働いていない人も、朝から働いた人も同じ1デナリオンを受け取った。<br><br>朝から働いた人たちは不満を漏らした。<br><br>しかし主人は、<br><br>「私は約束通り払っている。自分のものを自分のしたいように使ってはいけないのか。私が気前よくしたからといって、ねたむのか」<br>と答えた。</p></blockquote>
<figcaption>※マタイによる福音書20章1〜16節より</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/ne9c8e008bfae'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/212749757/profile_b43ef455acfa80d09af04204337b1252.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 03 Jun 2026 23:01:52 +0900</pubDate>
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    <item>
      <title>「あなたそのものに価値がある」という神の愛</title>
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      <description><![CDATA[<p name="107E099C-56B9-46C1-A729-03DBE9547C9E" id="107E099C-56B9-46C1-A729-03DBE9547C9E"><br>聖書には、<br>「神の慈悲とは何か」<br>「神の国とはどんな世界なのか」<br>を伝える譬え話が幾つかある。<br><br>けれど私は、<br>時々どうしても<br>理不尽に感じてしまうことがある。<br><br>真面目に生きてきた人より、<br>迷った人や失敗した人の方が、<br>より愛されているように見えるからだ。<br><br>でも、<br>どうやら神様のものさしは、<br>私たち人間のものさしとは違うらしい。<br><br>私たちは<br>平等や正しさを大切にする。<br><br>けれど神の国は、<br>別の原理で動いているように見える。<br><br>今回は、<br>そんな「神の国のものさし」について、<br>放蕩息子の譬えから考えてみたい。<br></p><figure name="55C6A25E-FE70-4E75-BDF9-6E9F355CCAB7" id="55C6A25E-FE70-4E75-BDF9-6E9F355CCAB7"><blockquote name="55C6A25E-FE70-4E75-BDF9-6E9F355CCAB7"><p>【放蕩息子】<br>ある父親に、二人の息子がいました。<br><br>弟息子が「財産の分け前をください」と言い、父親は分けてやりました。弟は遠い国へ行き、遊び回ってお金を使い果たします。飢饉も重なり、豚のエサさえ食べたいほど困り果てました。<br><br>そのとき、彼は我に返ります。<br>「父のところの使用人でさえ食べ余しているのに。帰って謝ろう」<br><br>帰り道、まだ遠くにいるうちから、父親は走り寄って息子を抱きしめました。<br><br>息子が謝ると、父親は言いました。<br><br>「一番いい服を着せ、指輪をはめ、宴会をしよう。死んでいた息子が生き返ったのだから！」<br><br>そのころ、兄は畑から戻ると宴会の音が聞こえます。事情を聞いて怒り、家に入りません。<br><br>「何年も働いてきたのに、友達と楽しむ子ヤギ一匹もくれなかった。なのにあいつが帰ってきたら宴会？」<br><br>父親は答えました。<br><br>「おまえはいつも私のそばにいる。私のものは全部おまえのものだ。でも弟は死んでいたのに生き返った。喜ばずにいられないだろう」</p></blockquote>
<figcaption><br>新約聖書  ルカによる福音書 15章11〜32節</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n12f2037d5160'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/212749757/profile_b43ef455acfa80d09af04204337b1252.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 22 May 2026 20:37:16 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n12f2037d5160</link>
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      <title>思いやりは言葉から</title>
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      <description><![CDATA[<p name="8183D48C-5167-4CF9-91EA-2E48D3FD775E" id="8183D48C-5167-4CF9-91EA-2E48D3FD775E">私が最近、「言葉をかける」ということの大切さについて、深く考えています。<br><br>会社で。<br>お客様に対して。<br>友達に。<br>あるいは、ご近所さんに。<br><br>人は日々、いろんな人と接しています。<br><br>その時きっと、<br>私たちは知らず知らずのうちに、<br>思いやりを言葉に乗せながら話しているのだと思います。<br><br>でも、家族になるとどうでしょう。<br><br>かつて私にもあった反抗期。<br>親に対して、ぶっきらぼうに話していた記憶があります。<br><br>でも、自分が子どもを育てる親になると、<br>なぜか自然と、母に対しても、<br>ささいなことに感謝を伝えたり、<br><br>「無理しないでね」<br>「身体、大丈夫？」<br><br>そんなふうに、身体を気遣う言葉をかけるようになりました。<br><br>たぶんそれは、<br>子どもが小学校の頃に出会ったシスターの、<br><br>「思いやりの言葉をかけなさい」<br><br>という教えが、今も心に残っているからなのだと思います。<br><br>そのシスターは、<br>今でも私たち元保護者に、聖書のことを教えてくださっています。<br><br>そんな教えを受けながら、<br>私は家庭の中でも、<br>あることを自然と学んでいました。<br><br>私には二人の姉がいますが、<br>姉たちとは、母が違います。<br><br>それでも、姉達は、<br>私をとても可愛がってくれました。<br><br>今でも三姉妹はとても仲が良く、<br>いい関係を築けています。<br><br>十五歳年の離れた一番上の姉は、<br>私を育ててくれたと言っても過言ではありません。<br><br>そんな環境の中で、<br>私が自然と身につけたものがあります。<br><br>それは、<br>姉たちに対する距離感と思いやりです。<br><br>「言いすぎるのはやめておこう」<br>「相手の気持ちを尊重しよう」<br>「思いやりをきちんと言葉にしよう」<br><br>そんなことを、<br>私はいつしか意識するようになっていました。<br><br>あいまいにせず、<br>ちゃんと言葉で示すこと。<br><br>それが、<br>仲良くしていくために大切なことだと、<br>自然と学んでいたのかもしれません。<br><br><br>家族だからといって、<br>言いたいことを何でも言っていいわけではないし、言葉を省いてもいけない。<br><br>感謝はその都度添えること。<br><br>そんな適度な距離感を持てたことは、<br>私にとって大切な学びでした。<br><br>もし、もっと遠慮のない関係だったなら、<br>私はきっと、<br>踏み込みすぎた言葉で、<br>相手を傷つけたり、<br>嫌な思いをさせていたこともあったかもしれません。<br><br>でも私たちは、<br>少し特別な関係だったからこそ、<br><br>姉たちとの境界線を、<br>自然と大切にできていたんだと思います。<br><br><br>そして私は、<br>それは意外と大事なことなのだと思っています。<br><br>100%の家族こそ、<br>思いやりの言葉が抜け落ちてるような気がするのです。<br><br>感謝の言葉も思いやりの一つです。<br><br>100%の兄弟や親子こそ、<br>忘れがちな思いやりの言葉。<br><br>恥ずかしい。<br>照れ臭い。<br>「言わなくてもわかってるはず」<br><br>そんなふうに思わないで、<br><br>ちょっとした気遣いや、<br>感謝の言葉を、<br>当たり前のように交わせたなら、<br><br>近すぎるからこそ生まれる傷も、<br>少しずつやわらいでいくのだと思っています。<br><br>日々の暮らしの中で、<br>私自身も、<br><br>家族に向ける言葉を、<br>大切にしていきたいと思うのです。</p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/ncb36a713d178'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/212749757/profile_b43ef455acfa80d09af04204337b1252.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 13 May 2026 22:53:45 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/ncb36a713d178</link>
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      <title>もう、自分に嘘はつけない</title>
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      <description><![CDATA[<p name="50B4C8AC-5E96-4AF3-BD09-AEE054CB0A2F" id="50B4C8AC-5E96-4AF3-BD09-AEE054CB0A2F"><br>自分の心に正直に生きないと<br>しんどくなる。<br><br>小さな嘘も<br>つけなくなってきた。<br><br>そう、感じてるのは<br>私だけじゃないはず。<br><br>SNSの「いいね」も、<br>ちゃんと読んで、<br>「この人素敵だな」と思えた時に<br>押したくなる。<br><br>でも、迷う時があった。<br><br>いつも、「スキ」をくれるその人は、<br>本当に私のことを見てくれてる<br>ありがたい存在。<br><br>私も返したい。<br>そう思う。<br><br>でも、その人のnoteは<br>全文が有料で、<br>どんなことが書かれているのか分からない。<br><br>少しでも読めたら、<br>「いいな」と思えたら、<br>その時に押したい。<br><br>でも、分からないままでは押せない。<br>中身が見えないままでは、押せない。<br><br>私ばかりもらっている気がして、<br>申し訳ない気持ちになる。<br><br>だから、<br>それでもいいかと、押してみた。<br><br>そのとき、気づいてしまった。<br><br><br>私の行為は<br>ただの忖度だった。<br><br>本音じゃなかった。<br>自分をごまかしていた。<br><br>それに、<br>相手の人にも<br>失礼なことをしてしまったと思った。<br><br><br>自分の本心は、<br>そうじゃなかったはず。<br><br>でも頭は、<br>いい人でいようとしたのかもしれない。<br><br><br>そんな自分に、<br>がっかりした。<br><br><br>聖書にこんな言葉がある。<br></p><figure name="0D5A8199-5756-440D-9AE3-EB2FF3398768" id="0D5A8199-5756-440D-9AE3-EB2FF3398768"><blockquote name="0D5A8199-5756-440D-9AE3-EB2FF3398768"><p>「ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。」</p></blockquote>
<figcaption>旧約聖書　詩篇51:6  新改訳</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n279978ae1b1b'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/212749757/profile_b43ef455acfa80d09af04204337b1252.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 04 May 2026 15:55:04 +0900</pubDate>
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      <title>それって、本当かな？</title>
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      <description><![CDATA[<p name="89104B7B-C679-4E3E-B323-B6B75454364E" id="89104B7B-C679-4E3E-B323-B6B75454364E">わたしが、自分の正しさに振り回されていたことに気づいたのは、いつからだろう。<br><br>自己肯定感の強い人や、エネルギーのある人は、自分の意見をはっきり押し出してくる。<br><br>それはそれで、素晴らしいことだと思う。<br>押し付けにならなければ。<br><br>「きっと、こうなると思うよ。だから、こうしたほうがいい」<br>あるいは<br>「こうなるに決まってる」<br><br>そんなふうに、自分の意見に自信を持っている。<br><br>その強さは、どこかカッコよくも見える。<br><br>でも、その意見、本当かな？って、ちょっと思ってしまう。<br><br>じゃあ逆に、自己肯定感が低い人はどうだろう。<br><br>「自分にはできないかもしれない」<br>「私には無理だ」<br>そんな思いが先に立って、できない自分に出会うのが怖くて、動けなくなってしまうこともある。<br><br>この二つは、現れ方は違うけど、<br>根っこは近いものを感じる。<br><br>共通しているのは、思い込みの強さと、<br>他を受け入れにくくなるところだ。<br><br>「私の意見は正しい」と思っていると、<br>他の意見を聞いても、なかなか入ってこない。<br><br>「でも」「いや」を返してしまったり、<br>違う視点を試そうとしなかったり。<br><br>気づけば、独りよがりになってしまう。<br><br>それは、<br>他の可能性を受け取らない状態。<br><br>じゃあ、「私は無理」の場合はどうだろう。<br><br>「やってみよう」が出てこない。<br>最初から可能性を閉じてしまう。<br>新しい経験を避けてしまう。<br><br>これは、<br>自分の可能性を受け取らない状態。<br><br>もう一つ共通点がある。<br><br>どちらも、<br>「信じているのは自分の思考だけ」<br><br>そこに疑いを持たない。<br><br><br>でも、人はどちらの面も持ってると思う。<br>経験が増えると、自信がついて、<br>自分なりの正しさを信じるようになる。<br><br>逆に、初めてのことや経験の少ないことは、<br>不安や怖さから、自分を守ろうとして動けなくなる。<br><br>その気持ちも、よくわかる。<br><br><br>でも、そのままだと、<br>少しもったいない気もする。<br><br>どちらも、気づかないうちに、<br>自分の考えでいっぱいになってしまうから。<br><br>だから、<br><br>「自分の意見が正しい」と思っているときも、<br>「自分には無理」と思っているときも、<br><br>一度、立ち止まって、<br>「それって、本当かな？」って。<br><br><br>旧約聖書に、こんな言葉がある。</p><figure name="96162CDA-FE1F-411B-A8CC-B77896B7F2AE" id="96162CDA-FE1F-411B-A8CC-B77896B7F2AE"><blockquote name="96162CDA-FE1F-411B-A8CC-B77896B7F2AE"><p>「自分自身を知恵ある者と見るな。」</p></blockquote>
<figcaption>旧約聖書　箴言3:7</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n9e76dd109f2d'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 24 Apr 2026 11:08:15 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n9e76dd109f2d</link>
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      <title>もう、満ちている</title>
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      <description><![CDATA[<p name="E117B757-4585-4870-B563-B66EE63F2BE9" id="E117B757-4585-4870-B563-B66EE63F2BE9">私は何をしてる時、満ちるのだろう。<br><br>私がいない時かもしれない。<br>じゃあ、<br>私がいない時っていつなんだろう。<br><br>夢中になってる時<br>思考がない時<br>圧倒されてる時<br><br><br>ピアノの調べに触れた時<br><br>言葉にならない感動があって、<br>その意味を探そうとするけれど、<br><br>その前に<br>涙が頬を伝っていた。<br><br>私が何か、考える暇なんてなかった。<br><br>そのあとで、<br>感動の意味や理由を<br>言葉にしようとするけれど、<br><br>頬を伝う涙には、敵わない。<br><br><br>だから、そんな時、<br><br>私じゃなくて、<br>もっと奥の何かが<br>感動しているように思う。<br><br>それが、<br>涙という形で溢れてきた。<br><br>その時、<br>わたしは確かに満ちていた。<br><br>感動なのか、圧倒なのか、<br>うまく言葉にできない何かで、<br>満ちていた。<br><br>満ちながら生きたい。<br><br>それは、<br>究極の贅沢かもしれない<br><br>あの時、<br>確かに私はいなかった。<br><br>では、<br>いない時だけ、満ちるのだろうか。<br><br>でも、<br>それじゃ無理だ。<br><br>私は<br>残念ながら消えそうにない。<br><br><br>あらためて、<br>満ちるとは何だろう。<br><br><br>いつも、心の中が<br>平和や調和、喜び、安心で<br>満ち満ちている状態のことだろうか。<br><br>私がいては、<br>満ちることはできないのだろうか。<br><br>私がいると、<br>失敗して落ち込んだり、<br>過去を思い出して後悔したり……。<br><br>イライラする自分もいる。<br>傲慢な自分もいる。<br><br>そのたびに、<br>反省がはじまる。<br><br>できない自分、<br>欠けている自分を目の当たりにすると、<br><br>「まだ足りていない」と、<br>どこからか声がする。<br><br>欠けているところを、<br>埋めなければいけない。<br><br>気がつけば、<br>私は自分を責めている。<br><br>その声は、<br>いつしかエゴへと変わっていく。<br><br>私がいても、<br>満ちることはできるのだろうか。<br><br>小鳥の囀りを聞いても、<br>花がほころぶのを見ても、<br>ふっと、喜びが湧いてくる。<br><br>風に揺れているのを眺めていると、<br>ただ、それだけで平和を感じる。<br><br>そして、<br>料理がうまくできた日は、<br><br>「私って天才！」なんて、<br>ひとりで喜んでいる。<br><br>………。<br><br>私は、<br>思い違いをしていたのかもしれない。<br><br>満ちるとは、<br>平和や調和、喜び、<br><br>そんな<br>桃源郷のような心の状態で<br>できているものだと思っていた。<br><br><br>でも実は、<br>平和じゃない時も、<br>心がざわついている時も、<br>悲しみで涙が溢れる時も、<br><br><br>世界は、満ちている。　<br><br><br>太陽の光が絶えず、<br>私たちを照らしてくれているように。<br><br>ただ、<br>私が気づいていないだけで、<br><br>もう、満ちている。<br><br>大丈夫なんだ。<br><br>私は、<br>満ちている中に入りたくて、<br>ずっとそこにいたくて、<br><br>ネガティブな思いが出てくるたびに、<br>欠けている自分を見つけるたびに、<br><br>「ここには入ってこないで」って、<br>消そうとしていた。<br><br><br>それも、私なのに。<br><br><br>ネガティブも、ポジティブも<br>分けることなく、<br><br>それらを含めて、<br>満ちているんだ。<br><br>やっと<br>気づいた。<br><br>だから<br><br>どんな自分も、<br>受け入れていく。<br><br>もう、<br>仲間外れにはしない。<br><br>その気づきを得たなら、<br><br>次は<br>生き方として、<br>在り方として、<br><br>どんな感情も、<br>満ちている中にあると知りながら、<br><br>生きていきたい。<br><br>ここからが、<br>始まりなのかもしれない。<br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n4f7a11dd943d'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 16 Apr 2026 22:03:52 +0900</pubDate>
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      <title>比べる相手は、昨日の私</title>
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      <description><![CDATA[<p name="AE470B71-55A1-435F-8CAC-C7089F949E57" id="AE470B71-55A1-435F-8CAC-C7089F949E57">私は、ペン字を習い始めてから、もう十数年になる。<br><br>万年筆でスラスラ書けたらかっこいいな、と思って始めた。<br><br>ペンの持ち方、運び方がとても大切で、<br>指先だけで書いていては、伸びやかな美しい文字は書けない。<br><br>私は、いろいろ試しながら、<br>上手く書けたり、書けなかったり。<br>それでも、試行錯誤を楽しみながら続けていた。<br><br>随分前の話だけど、<br>ある日、教室に入って出席欄に名前を書こうとすると、<br>私より先に来ていた人の中で、ひときわ美しく書かれていた名前を見つけた。<br><br>この人は見たことはないけど、同じ時期に入った人だったと思う。<br><br>先生が以前、この人は私と同じくらいのレベルだと言っていたのを思い出した。<br><br>でも、今、目の前にあるその文字は明らかに<br>私と同じレベルではない。<br><br>「美しい」<br><br>羨望の眼差しと、焦りが入り混じる。<br><br><br><br>その日から私は、意識するのはやめようと思っても、意識せずにはいられなかった。<br><br><br>どうしても比べてしまう。<br><br>ペン検定も、負けない。<br>劣りたくない。<br><br>あの人なら……って考えるたびに、<br>胸が詰まってくる。<br>キュッてなってくる。<br><br>あの人のほうが、うまくいってるに違いない<br>あの人のほうが、評価されているに違いない。<br><br>悔しい　　<br>でも<br>上手く書けない。<br><br>でも、一番しんどいのは……<br>その感情を抱えている、自分。<br><br>こんなふうに思ってる自分が<br>正直、しんどかった。<br><br>そしてある時、<br>「あれ、おかしい」<br><br>何でこんなに苦しいの？<br>と疑問に思った。<br><br>答えはすぐに出た。</p><p name="541178DA-4159-477D-8913-CA85757153F1" id="541178DA-4159-477D-8913-CA85757153F1">「比べる」ことをしてしまっていたからだ。<br><br>会ったこともない人。<br><br>ただ、出席欄に書かれていた文字と、<br>先生からのわずかな情報。<br><br>それだけで私は、数ヶ月もの間、<br>想像をふくらませて、葛藤し続けていた。<br><br><br>それに、練習が<br>全然楽しくなかった。<br><br>楽しかったはずが……<br><br>私は誰と争ってるの。<br>誰と比べてるの。<br><br><br>外側の誰かと比べても、しかたがなかった。<br>何でこんなことで、遊んでいたんだろう。<br><br>「比べる」を使って、<br>必死になって一生懸命、遊んでいたんだ。<br><br>いや、「比べる」に遊んでもらってたのかな。<br><br>目が覚めた。<br><br><br>勝負するのは<br>比べるのは<br>昨日の私であって、他の人ではない。<br><br>「比べる」って、<br>いつもどこかで優劣をつけてしまう、<br>思考のクセ。<br><br>それに囚われていると、<br>ずっと自分を裁く裁判官と一緒にいるみたいで、苦しかった。<br><br>それが分かると、<br>「比べる」は私の中から影をひそめていった。<br><br>比べる相手は、昨日の私。<br><br>昨日の私と少し違う自分を見つけるために、<br>試行錯誤を楽しんでいく。<br><br>見つけられたなら、<br>それはもう、<br>十分すぎるくらいの成功だと思う。<br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/ndbf7b36deb65'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 05 Apr 2026 18:53:34 +0900</pubDate>
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      <title>横浜スタジアムで見た、涙に包まれた喜び</title>
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      <description><![CDATA[<p name="751D7358-8E94-45A4-894C-EC719DA0F91F" id="751D7358-8E94-45A4-894C-EC719DA0F91F">今日は久しぶりに横浜スタジアムにやってきました。<br><br>やっぱりこの場所、なんかいいですね。<br><br>私は野球が好きで、特に高校野球が好きです。<br>プロ野球も大好きで、横浜スタジアムには<br>年に何回か来ています。<br><br>横浜ベイスターズファンになったのは<br>主人の影響です。<br><br>負け続けていたあの頃、それでもファンを辞めない、いや辞められない主人を見て、なんだか可哀想になって私もファンになりました。<br><br>あの頃の横浜ベイスターズは守備もひどくて、<br>高校球児でもしないようなエラーも多かった。<br><br>それを見るたびに、ファンが可哀想だと<br>私でさえ思っていました。<br><br><br>一昨年の横浜ベイスターズの優勝は、本当にすごかった。<br><br>セ・リーグ3位からの快進撃。<br>そして日本シリーズも現地で見ることができた。<br>正直、ソフトバンクとの対戦は絶対に負けると思っていた。<br>それでも優勝の瞬間に立ち会えた。<br><br>チケットを頑張って取ってくれた主人には、感謝です。<br><br>下剋上の達成と言われた、3位からの優勝。<br><br>にわかファンの私は、<br>こんな形の優勝でも、嬉しいのかな、と少し考えてしまったけど、<br>決まった瞬間はすごくうれしかった。<br><br>そしてスタジアムは、<br>美しくて、歓声と静かな喜びに包まれていた。<br><br>私はてっきり、26年ぶりの優勝だし、待ちに待ったファンの歓声は、鳴り止まないのだと思っていた。<br><br>決まった瞬間<br>私も嬉しくて、周りの人たちとハイタッチしていた。<br><br>そしてそのあとも、賑やかなお祝いムードが続くのかと思いきや、<br><br>周りは静かになり、<br>若い人からお年を召した方まで、<br>みんな俯いて、「シクシク」「シクシク」すすり泣く声が聞こえてきた。<br><br>「良かった」「良かった」とこぼれる声も。<br><br>主人も、もちろん泣いている。<br>周りのみんなも、喜びを噛み締めるように、涙を流していた。<br><br>26年間、待っていた人たち。<br><br>その光景を見て、私も涙が出てきた。<br><br>優勝したこともそうだけど、<br>ファンの人達からも、<br>感動をもらった。<br><br>ファンの人達の誠実さ、ひたむきさ。<br>心から、この日を待っていた人たち。<br><br><br>今年は監督も変わり、横浜ベイスターズはどうなるのでしょうか。<br><br>遠いので何回行けるかわからないけれど、<br>あの素敵なファンの方々と一緒に、これからも応援していきたい。</p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/nca8149223444'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 27 Mar 2026 18:39:07 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/nca8149223444</link>
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      <title>娘へ。そして、私へ。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="52233EC1-C5B8-4B38-9D9D-2FEBBBDA2E58" id="52233EC1-C5B8-4B38-9D9D-2FEBBBDA2E58">先日一番下の娘が大学を卒業した。<br><br>これで私も、<br>子育てから卒業なんだなぁと思う。<br><br>寂しさと少しの開放感。<br>不思議な気持ち。<br><br>けれど、感慨に浸る間もなく<br>あと一週間で、娘は社会人になる。<br><br>そんな娘に、はなむけの言葉を<br>“聖書”から送りたいと思う。<br><br>もちろんこれは、娘に向けてだけではなく、<br>私自身にも向けた言葉。<br></p><figure name="BFC5E5BD-3397-405B-A165-8EFBFE66B57A" id="BFC5E5BD-3397-405B-A165-8EFBFE66B57A"><blockquote name="BFC5E5BD-3397-405B-A165-8EFBFE66B57A"><p>「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。<br>「わたしたちは、霊によって生きているなら、霊に従って歩もうではありませんか。」</p></blockquote>
<figcaption>ガラテヤ信徒への手紙5章16節、25節</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n355b66bd58af'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 23 Mar 2026 22:42:40 +0900</pubDate>
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      <title>映画『浅草キッド』より、変わる者と変わらぬ者</title>
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      <description><![CDATA[<p name="532DAEF5-BF6F-4A2E-A76F-B7DD46BC4A36" id="532DAEF5-BF6F-4A2E-A76F-B7DD46BC4A36">皆さんはNetflixの映画「浅草キッド」をご覧になっただろうか？<br><br>私は最近になって、この映画をよく思い出す。<br><br>あの映画は、若きビートたけしさんが浅草の大衆劇場フランス座で伝説の芸人・深見千三郎さんに弟子入りし、芸人としての生き方を学んでいく師弟物語だ。<br><br><br>私がふと思い出すのは、変われたたけしさんと、変われなかった深見さん。<br><br>変われなかった人は取り残される。<br>いや、その場所まで取り上げられる。<br><br>そう思った。<br><br>変わるのは誰だって怖い。<br>しがらみなんかがあると、なかなか変われない。<br><br>けど、あの「浅草キッド」のビートたけしさんは違っていた。<br>フランス座の舞台に固執している師匠を“裏切る”形で、テレビの世界へ移っていった。<br><br>フランス座は自分の夢じゃない。<br><br>これじゃないと知りながら、師匠の手前、この場に居続けようとはしなかった。<br><br>師匠のお笑いに対する美学、<br>その原点は持ったまま、<br><br>たけしさんは形を変え、劇場からテレビという媒体へと世界を移していったのだ。<br><br>自分の信じる道はここじゃないと分かった時、<br>師匠に遠慮することなく貫いた。<br><br>師匠を裏切る形になると分かっていても、前へ進む決断をしたのだ。<br><br>自分を信じて。<br><br>大成する人は、きっと自分を信じた人だ。<br>そして、決断できる人。<br>私はそんな気がする。<br><br>深見さんは本当はどうだったんだろう。<br>時代はテレビへと流れていく。<br>それは分かっていたはず。<br><br>でも変わらなかった。<br>いや、変われなかった。<br><br>では、商売の世界はどうだろうか。<br><br>何百年も続く老舗の店は……<br><br>表向きは、まったく変わっていないように見える。<br>しかし、変わっていないふりをしながら、きちんと変わっていっている。<br>表の顔である伝統やのれん、雰囲気は変えず。<br><br>でも、中身や素材、値段設定、<br>お客様へのアプローチなどは、<br>しっかり今の時代に合わせてきている。<br><br>では、個人はどうか。<br>私は……<br><br>自分が変わることに躊躇していないだろうか。<br>頭が固いままじゃないだろうか。<br>今のままでも不便はないと、のんびり構えていないだろうか。<br><br>時代はすごい速さで移り変わっていく。<br><br>自分の信じる道があるのなら、変わらない理由を並べていないで、できることからやっていこう。<br><br>でないと、<br>取り残される。<br>いや、その場所まで取り上げられる。<br><br>その場所を守りたいなら、変わり続けなければならない。<br><br>老舗のように、本質は保ちつつ形を変えて。<br>涼しい顔をしながら、今という時代に合わせて。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n466d8f55ed80'>続きをみる</a>]]></description>
      <note:creatorImage>https://assets.st-note.com/production/uploads/images/212749757/profile_b43ef455acfa80d09af04204337b1252.png?fit=bounds&amp;format=jpeg&amp;quality=85&amp;width=330</note:creatorImage>
      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 16 Mar 2026 19:41:22 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n466d8f55ed80</link>
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      <title>手のひらを開いたとき、人生は動き出す</title>
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      <description><![CDATA[<p name="21BB8D8F-E9FD-4BB7-BF0E-607033A111BF" id="21BB8D8F-E9FD-4BB7-BF0E-607033A111BF">見えない力に委ねたら、<br>人生は本当にいい方向に向かうのだろうか。<br><br>わたしは何か始める時、<br>一から十まで把握しておきたい。<br>数ヶ月先のことを見通して動きたい。<br><br>準備もそうだけど、もしもの時に備えて<br>いろんなことを頭に入れておきたい。<br><br>想定外のことが起こっても<br>慌てないように。<br><br>コントロールできてると思ってる。<br>うまくやれてると思ってる。<br><br>そう思って物事にあたる。<br>でも、その結果はどうだろう。<br><br>思いもよらないことが起こったり、<br><br>たとえうまくいったとしても、<br>「何とか形になったわ」<br>そんな安堵で終わる。<br><br>私の想定した枠を、<br>溢れ出すような感動はない。<br><br>そう、無難でしかない。<br>わかってる。<br><br>それじゃ楽しくないことも。<br>心の深いところが喜んでないことも。<br><br>でも、私はコントロールの手を緩められない。<br>不安を払拭するために、<br>何とかしようとしている。<br><br><br>人はつい、<br>手のひらに現実を握ろうとしてしまう。<br><br>コントロールしようと必死になる。<br><br>こうなってほしい。<br>こうなるはず。<br>きっとこうなる。<br><br>安心したいから。　　<br>失敗したくないから。<br><br>それとも、<br>プライドのため？<br><br><br>私は自分を信じてないのだろうか。<br><br>いや、<br>ただ諦めきれていないだけなのかも。<br><br><br><b>委ねて生きる姿</b><br><br>そんな私と同じ人間が、<br>人間を超えた力に委ねて生きる姿が、聖書の中にあった。<br><br></p><figure name="62056046-E282-4D88-B474-B2DD5FC0603A" id="62056046-E282-4D88-B474-B2DD5FC0603A"><blockquote name="62056046-E282-4D88-B474-B2DD5FC0603A"><p><b>百人隊長のしもべを癒やす</b><br><br>ある百人隊長が、<br>病気の部下を癒してほしいとイエスに願った。<br><br>イエスが「行って癒そう」と言うと、<br>彼はこう答えた。<br><br>「あなたを私の家にお迎えする資格はありません。ただ、お言葉をください。そうすれば私の部下は癒されます。」<br><br>イエスはたいそう感心して言った。<br>「帰りなさい。<br>あなたが信じたとおりになるように。」<br>ちょうどその時、部下の病気は癒やされた。　</p></blockquote>
<figcaption>　（マタイ8:5-13要約）</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n94c8522de26a'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 09 Mar 2026 08:33:03 +0900</pubDate>
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      <title>ないものを数えるより</title>
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      <description><![CDATA[<p name="F4FC9485-297A-424C-9160-0C035F2D351C" id="F4FC9485-297A-424C-9160-0C035F2D351C">去年の秋の深まる頃、父が亡くなった。<br>父は昭和の男性を絵に描いたような人で、戦後復興、高度経済成長、バブル時代、そして“失われた三十年”を生き抜いてきた。<br><br>そんな父を、いつも陰で支えてきたのが母だった。<br>そばに立ち、夫を立て、自分のことは後回しにして生きてきた人だ。<br><br>そんな父が亡くなって、母はひとりになった。<br>けれど、その代わりに寂しさや不安も抱えるようになった。<br>姉たちには、ときどきこうこぼすらしい。<br>「寂しいよ」<br>「今日も誰とも喋ってないのよ。一人もよ。この電話がはじめて」<br><br>なぜか、私にはそんなことは言わない。<br>私の前では、毅然としていたいのだろうか。<br><br>私たち三姉妹はみな実家を離れて暮らしている。<br>といっても、私は電車を乗り継げば一時間半ほど。姉たちも同じくらいの距離だ。<br>父が亡くなってからは、母が寂しくならないよう、できるだけ顔を見に行くようにしている。<br><br><br>そんなある日、母がふいに聞いてきた。<br>「とてつもなく、どうしようもない不安な時って、どうしてる？」<br><br>とてつもなく、どうしようもない不安？<br>そう思いながら、<br>「不安の内容にもよるけど、解決策を調べるかな」<br>と、深く考えずに答えた。<br><br>けれど、実家からの帰り道、<br>あの言葉が頭から離れなかった。<br>あの、巨大にふくらんだ不安は、いったい何なのだろう。<br><br>しばらくして、ひとつ思い当たった。<br>それはきっと、私もよく知っている“見えない不安”というものだ。<br><br><br>ずいぶん前のある夜、ふと考えたことがある。<br><br>今は夫や子どもたちと暮らしている。<br>けれど、いつかみんな家を出て、<br>夫もいなくなり、<br>私ひとりでこの家に住むことになったら――。<br><br>そう思った瞬間、胸の奥にざわりとしたものが広がった。<br><br>病気になったらどうしよう。<br>今は熱が出れば、水を持ってきてくれる人がいる。<br>でも、ひとりだったら。<br><br>お金のことも浮かんできた。<br>形のない、もやもやとした不安が、静かに私に覆い被さってきた。<br><br>母もきっとそうだ。<br><br>ひとりで暮らしていること。<br>これから弱くなっていくかもしれない足腰。<br>車椅子になることだって、あり得る。<br>病気になったら――。<br><br>そう思えば、胸がざわつくのも無理はない。<br><br>これだ。母の言う「とてつもなく、どうしようもない不安」とは。<br><br>私は、この不安という魔物をどうしたか。<br><br>先のことなんてわからないんだ。<br>こんな声に惑わされず、<br>心を強く持とうと思った。<br><br>魔物はささやく。<br>「こうなったらどうするの？」<br>「こんなこと起きたら？」<br><br>まだ起きてもいない未来のことばかり。<br><br>先のことなんてわからない。<br>そう言い聞かせ、この声を無視した。<br><br>そして、今ここにあるものを数えた。<br>好きなことがあること。<br>毎日に小さな楽しみがあること。<br>こうして健康でいられること。<br><br>そして、そのひとつひとつに感謝した。<br><br>魔物はしつこく何かを言おうとするけれど、<br>「はいはい」と受け流しながら、<br>楽しいことを数えることにした。<br><br>その話を、母にも電話で伝えた。<br><br>「“今日は誰ともしゃべってない”って、ないものを数えるよりも、あるものを数えてね」と。<br><br>「例えば、お笑いを見て笑ったこと。<br>鳥のさえずりがかわいかったこと。<br>スーパーの店員さんがニッコリ<br>微笑んでくれたこと。<br><br>恵みは、本当は至るところにあるんだよ。<br>何でもいいし、今日あった小さな素敵を数えてみてね」と伝えた。<br><br>母は言った。<br>「あぁ、これからのことを考えると不安で仕方なかった。でも、本当にそうね、ないものばかり数えてたよ。わかった。ありがとう。やってみる」<br><br><br>いま、この国で、どれだけの人が不安を抱えながら生きているのだろう。<br>老いることへの不安や、ふとよぎる寂しさ。<br>それはきっと、誰の中にもある。<br><br>不安は、本来、身を守るための感情なのだと思う。<br>けれど、それがふくらみすぎると、いつのまにか魔物になる。<br><br>歳を重ねると、できないことが少しずつ増えていく。<br>それよりもつらいのは、「まだできる」と思えていた自分が、揺らいでいくことだ。<br><br>そんなとき、不安は魔物のように大きくなるのかもしれない。<br><br>それでも、心の向きを決めるのは自分だと思っている。<br><br>そのひとつが、<br>「ないものを数えるより、あるものを数える」ということだと思っている。<br><br>今に気づき、感謝できたとき、<br>心も人生も、少しずつ豊かになっていく。<br>そう信じている。<br><br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n0a30a9af5045'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 28 Feb 2026 20:35:23 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n0a30a9af5045</link>
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      <title>時間を調理する</title>
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      <description><![CDATA[<p name="87DFFFEB-E11E-44DA-B2DA-E84E3EC1A45A" id="87DFFFEB-E11E-44DA-B2DA-E84E3EC1A45A">この重苦しさはなんだろう……<br>イライラは、心の中を真っ黒にする。<br><br>私はスーパーの長いレジに、辟易しながら並んでいた。隣のレジの方が早く進んでいる。<br>「はー、間違った。」<br>「まだまだかかるな。」<br>「急いでるのに。」<br><br>がっかりとイライラが、<br>胸の中に充満していく。<br><br>この気持ちはどこから生まれてくるんだろう。<br><br>自分の大切な時間が<br>奪われているような気がするから？<br><br>待たされてる私は、いつのまにか被害者のような気持ちになっている。<br><br>私は悪くない。　<br>時間は私のもの。<br>取られてる。<br><br>けれど、よく考えてみると、<br><br>待たされている不快さよりも、<br>「時間がもったいない」<br>「この時間は無駄だ」<br>という考え方のほうが、<br>ずっと重いんじゃないの？って思えてきた。<br><br>そんな<br>重いものを握りしめていた私を、<br>救ってくれた言葉があった。<br></p><figure name="FCCF40F5-26FE-44B9-8E85-D6034855FE69" id="FCCF40F5-26FE-44B9-8E85-D6034855FE69"><blockquote name="FCCF40F5-26FE-44B9-8E85-D6034855FE69"><p>私の時は御手の中にあります</p></blockquote>
<figcaption>旧約聖書　詩篇31:15</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n37155a8d306a'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 21 Feb 2026 10:56:41 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/alert_rabbit7463/n/n37155a8d306a</link>
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      <title>損も得も越えて、神の国は日常の中に　　　　　　　　　</title>
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      <description><![CDATA[<p name="78E0369D-26F6-4A43-BB32-4494314D4BE1" id="78E0369D-26F6-4A43-BB32-4494314D4BE1">今日は実家に行くため、朝早く家を出た。<br>訳あって、少し急いでいた。<br><br>ちょうど通勤時間帯。<br>電車の中は人でいっぱいで、ホームに降りてもみんな足早だ。<br><br>押される。ぶつかりそうになる。<br>前には旅行客の大きなトランクケース。<br>思うように進めない。<br><br>そのたびに、ため息がひとつ。<br>イライラがひとつ。<br>心が、だんだんピリピリしてくる。<br><br>余裕のない時の私なんて、こんなもんだ。<br>情けないけれど、優しくなんてなれない。<br><br>そんな気持ちのまま実家に着き、用事を済ませ、<br>お昼に母と近くの和食屋さんへ向かった。<br><br><br>エレベーターに乗ろうとしたとき、<br>先に待っていた六十代くらいのご夫婦が乗り込まれた。<br>私たちも一緒に乗せてもらう。<br><br>到着すると、男性の方が開くボタンを押さえたまま、「どうぞ」と微笑んで先に降ろしてくださった。<br><br>そして、私たちが先に店内に入り、来店順に名前を書く紙に、上段を先程のご夫婦に一つあけてその下の欄に自分達の名前を書いた。<br>そしてご夫婦が入ってこられた時に母が声をかけた。<br><br>「お名前、この上に書いて下さいね」と。<br><br>するとご夫婦は、そろって「そんなこと、いいんですよ。お先にどうぞ」と言ってくださった。<br>もちろん、私たちは丁重に断りましたが。<br><br>そして、その後、お店の方がご夫婦のお名前を呼ばれた時に「では、お先に」と私たちに頭を下げて入っていかれた。<br><br>本来、先に待っておられたのはあのご夫婦だ。<br><br>なのに、あんなにも自然に譲ってくださる。<br><br>私は、その姿に心を打たれた。<br>この余裕は、どこから来るのだろう。<br><br>待つことも、譲ることも<br>平気で差し出してくれる。<br>簡単に、当たり前のように。<br><br><br>あのご夫婦を見て、<br>聖書の「山上の説教」の言葉が浮かんだ。<br><br>山上の説教というのは、<br>神の国に入るためにふさわしい人の特徴が書かれている。<br><br>…なんて書くと、少し堅いけれど。<br><br>でも私は、<br>あのご夫婦の姿の中に、<br>その“ふさわしさ”を見た気がした。<br><br>最初に浮かんだのは、<br><br>「人にしてもらいたいと思うことは、あなたがたも人にしなさい。」<br><br><br>今朝の私は、<br>してもらいたいことばかり考えていた。<br>そう、自分のことばかりだ。<br><br>でもあのお二人には、<br>余裕があった。<br><br>損も得も越えて、<br>静かに満ちているような余裕が。<br><br>山上の説教には、<br>憐れみ深い人は幸いだ、ともある。<br><br>見返りを求めずに、困ってる人に手を差し伸べられる人は祝福される。<br><br>外側の立派さより、<br>内側のあり方が問われている。<br><br>そして<br>義務からではなく<br>愛から滲み出る行いであること。<br><br>最後にイエスは語る。<br>この教えを聞くだけでなく、<br>行う者こそが、人生の確かな土台を築くのだと。<br><br><br>神の国へ入るチケットは<br>特別な日のどこか遠くにあるのではなく、<br>日常の中にあるんだと思う。<br><br>イライラしてる日もあれば、<br>落ち込んでる日もある。<br>憂鬱な日もあれば、<br>病気で不安な日もある。<br><br>それでも<br>余裕がなくても<br>義務ではなく、愛で。<br><br>あのご夫婦のように、<br>ほんの少しでいい。<br><br>差し出していきたい。<br><br>今日から一歩。<br><br></p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/ncb1fc9f36240'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 12 Feb 2026 09:24:44 +0900</pubDate>
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      <title>思いやりは、準備から始まる</title>
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      <description><![CDATA[<p name="8CC31999-EB9C-497C-B723-69990EAF0773" id="8CC31999-EB9C-497C-B723-69990EAF0773">最近、私が属している聖書のクラスに、新しい方が入ってきた。<br>その人は、シスターのボーイフレンドらしい♪<br><br>その方が言った。<br>「“隣人を自分のことのように愛せよ”と聖書には書いてあるけれど、それが、どういうことなのか知りたいんです」<br><br>その話を聞きながら、私はある聖書の一説を思い出していた。<br>一度聞くと忘れられない、とても印象的な話。<br></p><figure name="80BB3AB7-D616-40AB-933D-57EBD4FBC9CE" id="80BB3AB7-D616-40AB-933D-57EBD4FBC9CE"><blockquote name="80BB3AB7-D616-40AB-933D-57EBD4FBC9CE"><p><b>「善きサマリア人」</b><br><br>ある人が主イエスに<br>「隣人を愛せよと言いますが、私の隣人とは誰ですか？」と質問した。<br><br>その答えとして、イエスはある譬え話をされた。<br><br>ある人が旅の途中で強盗に襲われ、道端に倒れていた。<br>しかし、正しい人とされていた祭司やレビ人は、見ても見ぬふりをして通り過ぎていった。<br><br>ところが、旅をしていたあるサマリア人が気の毒に思い、傷にオリーブ油と葡萄酒を注ぎ、包帯をして介抱し、宿に連れて行き世話をした。<br><br>そして翌日、彼は宿の主人に銀貨二枚を渡し、「この人の世話をしてください。<br>費用が足りなければ、帰りに私が払います」<br>と言って、その場を去った。</p></blockquote>
<figcaption>新約聖書　ルカ10:25〜37参照</figcaption></figure><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n68fcf693dd55'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 31 Jan 2026 08:40:34 +0900</pubDate>
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      <title>正しいなんてどうでもいい</title>
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      <description><![CDATA[<p name="49B5F06F-1CAA-4D41-9BF5-332AE53E6C1E" id="49B5F06F-1CAA-4D41-9BF5-332AE53E6C1E">正しいからしてるの？<br>正しいと思うことだからしてるの？<br>って自答自問してたら、笑ってしまった。<br><br>窮屈だよ。<br><br>もともと、宇宙には正しいとか正しくないとか、ないんじゃないかな？<br><br>そんなことだって、どうでもいい。<br><br>人としてどうなの？なんて言葉も、<br>何だか窮屈。<br><br><br>そっちの方がいいなーって思ったからね。<br>なんか、これした方が心がホワってなるんだ！<br>だからするだけ。<br><br><br>人が見てるからする。<br>人が見てないからする。<br><br>じゃない。<br><br>誰かの仕事を手伝った。<br>ゴミを拾った。<br><br>それしたほうが心が<br>ホワってするからしただけなんだよ。</p><br/><a href='https://note.com/alert_rabbit7463/n/n9b9e7646c69e'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>花音(ハノン)</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 23 Jan 2026 21:19:26 +0900</pubDate>
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