
タバコ、やめるまでの長い長い迷走記
きっかけは大学生のころ。弟に勧められるがまま口にした、メンソールの一本だった。
まさかそこから何十年にもわたる腐れ縁が始まるとは、当時の私は知る由もない。
初めて買ったタバコは「峰」という、年配者向けの辛口のものと、もはや誰も覚えていないだろう「セレクト・スーパーライト」なんていうやつだった。あの頃はそれこそ百花繚乱のタバコラインアップだったと思う。
そこから先は、まあまあ壮絶だった。国産たばこの全銘柄のうち、体感で8割は制覇したと思う。沖縄限定の「うるま」「バイオレット」、その頃絶版になっていた「いこい」「光」あたりは未経験だけど、それ以外はひととおり試した。
両切りのゴールデンバットも吸ったし缶入りピースも吸ったし、まるで東南アジアの寺院で焚かれる線香みたいな「Joker」、キセルで吸う刻みタバコ「小粋」なんてマニアックなものにまで手を出した一方で、伯母も吸っていた歴史ある「Mr.Slim」や、静岡・広島限定の「ミニスター」は縁がなかった。この偏った制覇率、我ながら意味がわからない。
ちなみに、筆者である私ががタバコを愛飲していた1990年代は両切りのゴールデンバットが20本で90円だった。一番高価なキャビンプレスティージでも300円。数年前に「わかば」が500円なんてなったのを見てぶったまげた今の世の中からすると信じがたい。
ピーク時は1日80本、およそ1000円を毎日煙として燃していた。もはや吸うというより、火をつけて灰にする作業だった。一口も吸わないまま灰皿に置きっぱなしにして、次の一本にまた火をつける。今思えば完全に何かに取り憑かれていたとしか思えない。タバコひと箱600円になんなんとする今なおこれを続けていたら、タバコで体を壊すより先に、ものを食う金に困って飢え死にしていただろう。
原付に乗りながら吸って、風に煽られた火の粉が顔にかかっても、それでも吸うのをやめなかった。一番長く連れ添ったのはセブンスターのボックス。もはや戦友と呼んでもいいレベルの付き合いだった。
やめようとした回数は数知れず。軽いものに変える、本数を徐々に減らす。定番の作戦を一通り試したけれど、ことごとく失敗。数々の敗戦を経てわかったことがある。特に、減煙はほぼ間違いなく失敗に終わる。少なくとも私はそうだった。
タバコを1日5本で我慢するのは、1日に1本も吸わないよりもはるかに困難で辛いことである。じきに「明日の5本を前借して今日は10本にしよう」「明日の10本を前借して20本に」以下前借の無限ループに陥ることは容易に推測できることである。
そんな私がついに禁煙に成功したきっかけが、アレン・カー著「禁煙セラピー」だった。あの本の理屈にはまんまと乗せられた自覚があるけど、結果オーライである。
……と言いたいところだったが、3年間の禁煙生活も、2006年に消防団役員を拝命してからのスナック通いであっさり崩壊。気づけばまた紫煙をくゆらせていた。人間、意志の力なんてその程度のものである。
そして2009年、今度こそ完全離脱に成功。最后の一本はヴァージニア・デュオ、320円だった。値段まで覚えているあたり、我ながら未練がましい。ちなみに、2回の断煙とも、スパッとやめた日以来、1本も吸わずに過ごしている。
それから十数年経った今も、たまにタバコを吸う夢を見る。脳のどこかに、まだ火種が残っているのかもしれない。が、それ以来、タバコを吸ったということは断じてただの一度もない。神様仏様閻魔様に誓ってもいい。
金を貯めたいから、という動機でやめようとしたことがある。失敗した。
風邪をひいて喉が痛いから、というのも試した。失敗した。
うっかり服を焦がそうが、車を灰まみれにしようが、部屋の壁紙や窓ガラスがヤニで黄色く染まろうが、それすらもやめるきっかけにはならなかった。
よく火事を起こさなかかったもんだと、思い起こすたび今更ながらにぞっとせずにはいられない次㐧である。
そして現在に至る。
やめようと思ったら、今買ったばかりのタバコを箱ごとゴミ箱に投げ入れるくらいの覚悟がなければ間違いなく失敗する。順に減らす、軽いものに変える、口当たりの悪いものに変える、タバコを止めるきっかけを金銭的なものにする。これらはほぼ間違いなく失敗に終わります。十指にあまる回数、禁煙試行をことごとく失敗した私が自信をもって宣言します。
最后に。
やめよう、やめたい、でもやめられない、と思い悩むあまり心を病むぐらいなら、いっそやめようなんて思わず、心行くまで吸った方がいい、こう申し添えて締めくくりにします。
