
テーマパークなお葬式
祖母が亡くなった。
成人してから身近な人を亡くしたのは初めてだった。
悲しくなかった。祖母を嫌っていた訳ではない。いつでも自分を笑顔で迎えてくれていた祖母に感謝しているつもりだ。ただ、悲しみが一時的に込み上げてくる感情の起伏が無かった。
それは死に方に依存するのだろうけど、祖母の死は段々近づいているのが分かったし、私の心の中では祖母はすでに亡くなっていたからだ。
どちらかと言うと、私が先に死んだという表現の方が正しい。
祖母の家は比較的近く、小さい頃は週末はほぼ毎週遊びに行っていたと思う。年末には実家に祖母を呼んで紅白歌合戦を見るのも恒例になっていた。私が高校生になると、遊びに行く回数も減っていき、受験期を迎えると、年末の集まりもなくなっていった。
そして私は大学に行くタイミングで県外に一人暮らしをすることになった。その時、祖母は施設に入っていた。夏と年末、実家に帰省するタイミングで年に二回は、家族と施設へ祖母に会いに行っていた。それを繰り返しているタイミングで、いつの日からか祖母は私を認識しなくなってしまった。いつも私を迎えてくれている温かい笑顔が、誰か来てくださっている他人に対する愛想笑いになった。
その時、祖母の中では私は死んだのだと思った。
はっきりしたタイミングは無い。グラデーションがあった。父は私の小さい頃の写真を祖母の枕元に置いてくれていた。それもあって一度知らない顔をされても「写真と同じ人、孫」という説明をすれば理解してくれているようなタイミングがあった。だが、徐々に孫が自分にとってどの位置の人かも瞬間的に察せなくなってしまった。
それから何年か、会いに行っても「お前は何歳でどこからきたのか?」という質問が10分程度繰り返された。祖母にとっては相手が何者かを理解できないまま質問を繰り返す苦痛の時間であろうし、私にとっては分かりきった自己紹介にもならない基本情報を答える苦痛の時間。数年の間繰り返されていたこの時間はお互いにとって必要だったのか未だに疑問ではある。「祖母に定期的に会いに行っている孫」という私の外見を飾るものではなく、少しでも祖母の脳への刺激になってくれていたなら嬉しい。
しばらくして、医者から祖母が危篤状態だという連絡が入った。施設に着くと、親が「返せないけど耳は聞こえてるっていうし、何か声をかけてあげなさい」と言うので「今までありがとう」など場に合う差し障りのない言葉を選んで何度か声をかけた。心の中で「誰かわからない人に死に際に声をかけられるのは嫌だろう」というツッコミをしながら。そうしていると祖母はこちらに向かって力を振り絞り、比較的大きい声で怒鳴るようにしてある言葉を返してくれた。
「帰れ」
なんだかんだ祖母の容態が安定して一度帰ったが、次呼ばれた時には亡くなっていた。
そんな流れもあったからか、葬式では、感情に飲み込まれることはなく、目の前で行われている事実を冷静に見ていた。
葬式は身近な親族数人で行う家族葬であった。祖母には兄弟などもいるらしいが同じようにご老体で来ようにも来られないらしい。
亡くなった翌日に湯灌があった。ご遺体をきれいにする儀式。なんとなくやった方がいい気はする。けど、結構エグいだろと思っていた。
担当の人が自己紹介で入ってきた。「担当の〇〇と〇〇です。準備いたしますので少々お待ちください。」普通に礼儀正しい人たちだなという第一印象。和室に簡易的な風呂を設置し始める。「なんでこんなとこでわざわざやるんだ?風呂場でやればいいだろ?」と思った。
セッティングが終わると、担当者が「準備が整いましたので、そろそろ始めさせていただきます。」と普通の声で、参加者に声をかけたかと思うと、
『それではお湯灌の儀式を始めさせていただきます。』と明らかにさっきのセリフとは違う野太い深い声色で始まった。「いつキャラに入ったんだよ?てか入れる必要あったのか?これアトラクションかなんかなのか?」声には出さなかったが、少し驚いて笑いそうになってしまった。
そのまま手順が進んでいった。遺体から服を脱がす場面になったとき私は怖かった。どんな体を見ることになるのかと。結果的には杞憂だった。担当の人が布を被せて参加者に見えないようにして遺体の服を脱がし始めた。当然か、みんな見たくないだろうな。
進んでいくと、参加者が順番に遺体の足元から胸元にお湯をかけるフェーズに突入した。こんなことで体を洗浄する意味で全く足しにもならないだろう?
色々終わって白装束が用意されていた。そういえば式場の人が打ち合わせのとき親に「パジャマのままっていうのもね」と言っているのを思い出した。なんでいつも着ている過ごしやすいパジャマで極楽にいくのはダメなのだろうか?少し営利性がみえた。白装束の現物をみると、「おばけのコスプレかよ」と思ってしまった。最もアニメ等のおばけ側が寄せに行っているのは理解している。
最後に化粧の段階があった。さっきまで遺体の顔だけは出していたのに、急にその作業に入ると顔を隠されてしまって。顔に綿を詰めたりするのは知っていたけど、そんなにエグいことするのだろうか?関節はずしたりするのだろうか?結局あんまり見たことない祖母が出来上がってしまった。もちろん担当の人はよくしていた口紅の色とか参加者にきいてくれていたが、祖母が化粧をしていた記憶もあまりないし、直近ではもちろん化粧ができる状態ではなかった。
結局汚いところは何も見ず、異常にきれいに出来上がった祖母が棺桶に入れられた。もともと祖母はすっぴんだったんだからすっぴんのままで良かったんじゃないか?親族みんなで家の風呂で遺体を洗ってあげた方が気持ちが伝わるんじゃないだろうか?やりたくないけど。みんなやりたくないんでしょ。本当は自分の気持ちを収めるためにやってるけど、嫌なことは嫌。
通夜は無かった。母に葬式の前、来れるようなら早く来て遺体の安置所で本でも読んでおいてほしいと言われた。なぜなのか問うと、出来るだけ遺体を一人にさせないでほしいとのことだった。最後には「気持ちだから」と言っていた。何回も反芻して分からなくなった。気持ちがあることが大事なら気持ちがあるんならそんな形式ばった行動をする必要もないだろと思う。反抗することもできただろうが、空気が悪くなるだろうし、求めている答えは何処にも無いと知っていた。そもそもその行動自体、大きく意にそぐわない訳でもなかった。
葬式にはもう片方の祖母も来た。車椅子を車に乗せて連れてくるのは正直手間がかかった。式場に着くやいなや遺体の顔を見て泣いていた。結局祖母を祖母に会わせるのはどちらを動かすにしても手間がかかることであったが、こんなに悲しむんだったら死ぬ前に会わせてあげれば良かった。死ぬ前にもっと会いたいと主張して欲しかった。
また担当の人が声色を変えて司会を始めた。そこからは目立たないように、形式からはみ出さないことに注力したためあまり何も覚えていない。
お坊さんから一方的にちょっとした説明を受けた。「戒名は〜で、死んだ瞬間生まれ変わって〜」
それを聞いた時、私は思った。「めっちゃフィクションじゃん」て。昔の地位の高かっただけの人が作った作り話ですよね(もしかしたら継ぎ足し継ぎ足しなのかも知れないけど)?そんな作り話に、死んだ後のことを全乗っかりするために大金払ってるの?先程、「葬式では、感情に飲み込まれることはなく、目の前で行われている事実を冷静に見ていた。」と書いたが、違っていたかも知れない。目の前で行われる一連の儀式の中で私は怒りに似た疑問符に頭を飲み込まれていた?
でも、今ならなんとなくわかる。人が死んで弔い方がわからない人が、とりあえずちゃんとやらなければならないことをしておきたいと思ったときに、昔から伝え継がれてきて設定がしっかり固まったフィクションに乗っかっておけば、やるべきことやった感がでて気持ちの収まりがいいということですよね?
こんなことを葬式中に考えていた私に祖母はこう言うでしょう。
「帰れ」