
私の生業を紐解いてみた〈編集版〉
1、日頃の朝
・カタカムナを参考にした禊。
朝は、布団の片付けや、家族を起床させることなどで体がほぐれてきたら、神棚の水を新しいものに替えて禊の準備である。
私の禊は、神棚への拝礼のようなものであったものが、年月が経つうちに少しずつ変化して今の様式になったものであるから、見た目は神棚への拝礼そのものである。しかし、感覚としては禊であるから禊と呼んでいる(禊は、古いミを削ぎ落とし、新たなミを注ぎ入れることと考えている)。
なお、この禊はカタカムナ研究の主導者であった楢崎皐月氏に師事した、宇野多美恵氏の著書「相似象第9号」の第1~3首を参考にしながら、私に合った解釈で行っているものであることを明記しておく。
まずは、体の上半身と下半身を片足を上げて反動をつけながら逆に捻じることを左右で行い、手を組んで伸びをした後、首と肩を回して首から肩にかけてコリコリとほぐす。簡単な整体運動のようなものだ。
次に、神棚に、二礼二拍手したら、お祀りしている神々に胸襟を開き(開くイメージをしっかり行う)心で親しく挨拶をする。目は神棚を直視する。
第1首

中心には、楢崎皐月氏が「ミクマリ」と呼んだ丸い輪が描かれている。
第1首である「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ」を現代風に表現すると、
「天の彼方のカム(カタカムナ)から、「綜制」によって真っ直ぐに引き寄せたヒ(ヒビキ)は、真っ直ぐに滑り降りてくる滝のような流れとして目の当たりに見知る(マノスベシ)ことができる。そして、自身の自我という守護者(アシアトウアン)の綜制によって引き寄せられたカムは、その身に移(ウツシ)し、纏(マツル)ろわされる。また、彼方からのカム(カタカムナ)の流れは涼やかな「聖音」(ウタヒ)として聴くことができる。」(綜制、聖音の言葉は、佐保田鶴治氏著「ヨーガ根本経典」を参考にした。)
綜制を難しく捉える必要はない。綜制と意識していなくても綜制と同じことを行っている人々は多いのだ。例えば、一角の職人や芸術家などだ。彼らが言う、材料の声が聞こえるというのは比喩ということでは説明できない。本当に、声が聞こえるような思いでなければ手が自然に動いてくれないものだからだ。
聖音には、修練の深さを大まかに教えてくれるわかりやすさがある。太鼓のような力強い音から聞え始め、修練が進むと複数の鈴が鳴り響く神楽鈴や、長く静かに響く銅鑼(どら)、または、清涼感のある鈴(りん)等の繊細な音色が聞こえるようになる(音色には、個人の「らしさ」もあるようだ)。
ヒビキとウタヒの「ヒ」は、カムの「流れのはじまり」のことである。
アシアトウアンの「アシア」は、現代においても自分を指すアタシ、アッシ、アタイなど、方言や下町言葉の中に、その源流として垣間見ることができる。
ワタクシのくだけた表現としてアタシやアッシ、アタイになったと一般的には思われているが、ミクマリ図象はカタカムナ図象の〇(ワ)と同じ形であることを考えると、ミクマリとワタシは客観的な「自我」を指し、アシアは自身の自我を指すのだろう。
ミクマリとは、漢字では「水分」「水配り」などと書き、上流から流れてきた水が複数に分かれる所、あるいは役割のことである。その働きは、自我の働きに似ている。思考や運動、感覚器官などへの集中や弛緩など、どのような回路を働かせるかを決めるのは自我の働きであるからだ。つまり、アシアとは自身を守っている自我ということになる。
「トウアン」は、(トウちゃん=父)+(アンちゃん=兄)=守護者に当たるというわけで、アシアトウアンは「自身の自我という守護者」と解釈している。
第2首

第2首である「ヤタノカカミ カタカムナカミ」を現代風に表現すると、
『「綜制」によって出来た流れの道から流れ来るヒフミヨイムナヤの左巻きのカムの螺旋流(ヤタノカ)は、その人の身に流れ居付く(カミ)。こうして、彼方からのカム(カタカムナ)の本流がその身に定着する(カミ)のである。』

ヤタノカカミのヤタは、第5首で紹介されるヒフミ歌の冒頭のヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコトのなかのヒフミヨイムナヤのことである。
図のように、小さな丸がヒフミヨイムナヤと円周上を左に8分の1ずつマワリテしてゆく。
コの2つの丸は、ヤから次の螺旋円周のヒへ渡る様を示し、トは次に連なってメクル様子を示唆している。つまり、螺旋運動となってメグルことをアニメーションで表している。
ちなみに、ヒフミヨイムナヤコトは1から10の数字でもあり、宇宙の成り立ちが言霊・数霊の両方で理解できるように出来ている。
0(ゼロ)はヒフミヨイムナヤコトには含まれていない。ヒフミ歌では「カ」が0に当たる。「カ」は、すべての始元であり「観測できない原点」である。

ヒフミ歌は、第5,6首に「ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコト アウノスヘシレ カタチサキ ソラニモロケセ ユヱヌオヲ ハエツヰネホン カタカムナ」で、文末表現のカタカムナを除く5・7調の48文字で成り立っている。
そして、ヒフミヨイ マワリテメクル ムナヤコトが本体で、
アウノスヘシレ カタチサキの「ア」から物理現象の「始まり」を語り、
ハエツイネホンの「ン」が、生命が子孫を残して本体へ還元してゆく「刹那」を語っている。
第3首

第三首の「フトタマノミミコト フトマニニ」を現代風に表現すると、
「床から湧き昇る泡粒の二つの螺旋は、十字に重なる形でその人の身に現れる(フトタマノミ)。湧き昇る泡粒は、身体の中心で幾重にも左巻き螺旋運動をしている(ミコト)。以上のような螺旋運動(フト)は、泡粒に絞り圧力を加えるので、泡粒は砕けるように前後左右の垂直面から輝くように放射される(マニニ)。」十字の泡粒の昇流が、螺旋を描いてゆく様は、あたかも蔓が互に絡み合い、連(ツル)んで上に昇ってゆく様に似ている。
剣(ツルギ)の語源はここにあり、4辺がお互いを支える立体構造のことである。
また、はじめに「床から湧き昇る泡粒」と解釈したのは泡粒が湧く様子を分かりやすくするためである。床は、体で言えば会陰・骨盤などに当たり、大地の底でもある。
フトマニニのフトは、フトタマノミミコトの略である。マニニは、珠玉が輝く意味があるが、日本の仏教美術に見られる「光背」と同じようなものという理解の方が今の我々には分かりやすいように思う。
以上で禊を終えるので神棚に一礼する。
二、 農作物を育てる勘どころ。
禊が、内から湧き出るような癒しとするなら、植物を育てることは、「育む」ことを植物と共有する総合的な癒しといえる。
・水やり。
「水やり三年」とも言い、ただ、水を撒く人と、水撒き後の状態を観察する人では三年先に大きな実力差が現れるだろうことは想像に難くない。そうした観察習慣の定着こそが、生き物を育てる現場には大切なことだ。たかが水やり、されど水やりである。
不慣れなうちは、水やり作業を終えた後、その後の水の浸みこみ方を確認するために指先で土を少し掘り返してみると良い。土壌が乾燥している状態では、いったん表層に水が溜まり、その後にゆっくりと下層に馴染んでゆくのが分かる。表層は乾いた状態でも、その下が湿った状態なら水は素早くなじんでゆく。この事は、観察していれば水やり作業中でもわかるので、そういった情報を一つ一つ積み重ねていると、どの程度の水量を与えるかの直観が形成されてゆくので大切にしたいものだ。
また、水分コントロールの方法は水遣り作業だけではない。「鎮圧作業」も、その一つだ。
鎮圧作業は、一般的には播種した覆土後に鍬の背などで土の表面を叩いて均し、表層の粒子の隙間を詰めて土壌中に含まれている水分が空気中に蒸散するのを抑える効果がある作業である。
土中の水分量が安定するので、発芽率が上がり発芽も一斉に行われるようになりやすい。
私は、この鎮圧作業の効果を利用して葉物野菜の種を蒔く前に行い、その均された土の表面に種を蒔き、竹チップで種が隠れる程度に均一にマルチングしてからさらに鎮圧しておく。
均された土壌表面に種を蒔き、均等に竹チップを撒いて鎮圧することで種の蒔かれた深さが揃い、雑草よりも早く一斉に野菜の種が発芽する効果が期待できるから除草作業の手間を簡単にすることができる。いずれのやり方にしろ、発芽までは乾燥を防ぐような水分管理の作業は必要なことである。
・農具と体の使い方。
農作業には、鍬、備中鍬、鎌、シャベルなどを扱うが、要領を得た使い方を知らないと余計な力を使わなければならなかったり、そのことがケガの元になったりするので要注意だ。また、自分の体も道具の一部である感覚が身についてくると自然とどんな道具でも扱いやすくなるものである。
要領その1:遠心力の力を利用する。
畝作りなど土を移動させる時は、まず、右手で鍬(くわ)の柄の中央を握るときは右足を前に、左手で中央を握るときは左足を前に出し、歩幅は自然に構える(利き手に関係なく、左右で鍬を扱えるようになると何かと便利であるから取り組んでみてほしい)。
もう片方の手は、柄の先を握る。次に、鍬を振り上げるわけだが、その初動には、筋力の強い腰の力を使う。この時、右手が中央を握っている場合は、右手を柄の中央からやや鍬の刃側に滑らせると持ち上げやすくなる。
左手は小指と薬指を意識して柄の先を軽く握っている。また、振り上げる高さで土に打ち込む強さを加減するようにしよう。振り下ろすときに余分な力が入ると、コントロールが乱れて狙ったところに打ち込みにくくなるばかりかケガの元にもなりかねない。
振り上げた鍬を、狙った位置に振り下ろすわけだが、初動に腰の力を使い、その勢いが増すように右手を降ろしながら左手に滑らせるように寄せる。
寄せすぎると刃先のコントロールがしづらくなるのではじめは各々にやりやすい位置を探る試行錯誤が必要だろう。また、このとき鍬の刃先は遠心力によってグッと加速するので、この瞬間は飛び出さないように左手の小指と薬指で柄を固定するようにしっかり握る。
5本の指で握ろうとすると手首が固くなるので、刃先の加速にブレーキをかけることになるから慣れないうちは意識することが必要だ。
腰の力は初動の時だけ使うが、鍬の刃先を振り下ろすことを意識しすぎて、腰をくの字に曲げすぎてしまうと遠心力を発生させる中心点が刃先と一緒に動いてしまうから遠心力を弱めてしまう。中心点となる鍬の柄の先は、窮屈な動きにならないようにしながら小さな動きにまとめたい。臍(へそ)の前あたりの高さで止めるようにすると、刃先のスピードが加速して土に深く入ろうとする。
この時、柄の先がへそから上の位置で振り下ろされると、刃先が足の近くに刺さることになるので危険性が増すから注意しよう。
要領その2:重心移動や、てこの原理を使う。
鍬の刃先は、地面と平行に近い角度で土に刺し込まれる形になっているから、右手を中央の位置に滑らせながら、左手で柄の先を少し上げると刃の根元が支点となって刃先が浮き上がる。
浮き上がると同時に、必要最小限の高さまで両手で鍬を持ち上げ腰を横にずらすように体の重心を少し移動させると腕が引き寄せられるようについてくるので、刃に乗せている土を狙った位置に刃の側面からポンと斜めに置くようにすると刃からの土離れが良い。
これらの動作を繰り返すために、一歩後ろに下がりながら再び刃先を振り上げるわけだが、両手で鍬を地面にクイっと軽く押し付けるようにすると、反動で体の上体が起こされる力が加わるので、一歩後ろに下がりつつ、そのまま右手を刃先寄りに滑らせ鍬を持ち上げると腰への負担を減らすことが出来る。
要領その3:引き寄せるように使う。
日本の刃物は、人の体重や道具の重さを利用して引く力で切るように作られている(鍬も刃物の一種だ)。鎌(かま)は、稲や雑草などの株を根元から切るとき、株を束ねて持ちながら右手に鎌を持つなら右へ、左手で鎌を持つなら左へ、少しスライドさせながら手前に引くと軽い力で切ることが出来る。包丁と同じ要領である。
また、鋸(のこぎり)で太めの木を切るときは、木を横に固定して腿の力を使って体を上下に揺らし、そのリズムに合わせながら、腕の重さも乗せるようにして鋸の刃を木の繊維に軽く突き立てるように引くと、単に押し付けて引くよりも楽に切ってゆくことが出来る。
立ち木を切る場合は、左右の握り手を離し支点と力点の距離を稼いで刃を押し付ける力が強くなるようにする。
要領その4:その他。
野菜の発芽の後を追うように雑草の芽が一斉に生えてきた場合は、雑草が数センチまで伸びて引き抜きやすくなってから抜いてやるのが抜き忘れが少なく効率的である。
抜く際は、親指と人差し指でつまみながら、中指と薬指で抜こうとする草の根元を押さえながら引き抜くと、草の根が持ち上げてしまう土の量を減らすことが出来る。
ちょっとした気遣いだが、土をあまり動かさないから周りの野菜の根を傷付けることを防ぎつつ、再び雑草が生えてくる抑制にもなる。
さらに、この指使いを苗の植え付けに応用して中指と薬指を触角のようにして使うことで、視覚情報だけで作業するよりも深さを揃えて苗を植え付けられるようになる。
シャベルで土をすくい上げる時、体重の重さが足りないと勢いをつけても上手く土に刺さらない場合がある。また、勢いをつけて動作すると、その分だけ反動が返ってくるから、それにも体力を使わなければならないし、腰をかがめてシャベルに勢いをつけることになるから腰への負担も大きい。
これを回避するには、右利きならシャベルの中ほどを持ちながら、右足を前にして前後にやや小さく足を開いて膝を曲げて体制を下ろしつつ、シャベルの握り手を持つ左手は左膝の前に当てる。そして、そのまま左ひざを内側に絞りながら体を下に沈めれば、安定した姿勢でシャベルの刃先は左膝に押し出されて山積みの土に力強く刺さってゆく。
あとは、左腕を下にグイッと下げれば刃先が上がるのでその勢いを殺さないように膝を伸ばして持ち上げれば良い。
・土作り、竹チップ堆肥・ミネラル補給・堆肥の仕込み方とあれこれ。
さて、土壌の性質は、土の粒子の大きさ、ミネラルの含有量や有機物の含有量などの違いによる性質の差によっていくつかに分類することができる。
土の粒子は、礫→砂→シルト→粘土の順に大きさが小さくなる。大きな礫ばかりでは隙間が大きく、通気性はい良いが保水性は悪い。逆に、粘土ばかりなら通気性が悪く保水性は良い。圃場の土壌はこれらが混じっているのが一般的であるが、土壌に含まれる礫、砂、シルト、粘土の割合の違いによって圃場の特徴の基本が決定づけられる。
作物の栽培には、砂、シルトを中心に礫と粘土が適度に混じる土壌が固相、液相、気相のバランス良い土壌の基となる。
植物の根をを支え、微生物の住処や食物などになる固形物が「固相」。栄養を含む水溶液が留まる隙間が「液相」。根や微生物が呼吸するための空気が通う隙間が「気相」である。
また、有機物は土壌微生物の活動を活発にさせ、微生物が排泄する粘液が土中の微粒子を適度な大きさの団子を作るので、この場合も固相、液相、気相をバランス良く形成することができる。そして、これらを団粒構造と呼び、良い土壌の代名詞ともなっている。
土の色によっても、土壌の良し悪しの傾向が分かる。
赤黄土のようにミネラル豊富な土壌は、保水性が有り作物の風味が豊かになる傾向である。
黒土は、有機物が豊富な土壌なので微生物の活発な働きによって団粒構造が整い、作物はよく育つ。収穫後の作物残渣も分解されやすいから、それらがまた栄養になって次の作物にとっても良い環境が整えられる事になる。
それらに比べて、青白土と言われるガラス質の多い土壌で育つ作物は、そのままでは風味に欠け、育ちの悪い作物となる傾向である。
私の管理する農地は、花崗岩が風化した青白土で、太古の湖の底に沈殿した土が基になった粘土質土壌であるから、対策として以下のことを行う。
竹チップ堆肥
まずは、チッパーシュレッダーで竹林から切り出した竹をチップ化し、高さ1メートルほどに堆肥として積み上げ(これ以上積み上げると、中心部の底に空気が届かないので、カビが繫殖することができない)1年ほどそのままにしておく。
その間に、まずカビが砕かれた竹を苗床として菌糸を繫殖させ、その後に、細菌による分解が始まり腐植化されてゆく。植物が腐植して土に還るとき、細胞壁という丈夫な組織が細菌による分解の障壁となる。カビは、その細胞壁を酵素の力で突破する能力を持ち、細胞壁の組織を脆くすることができる。そこから、細菌が繫殖して植物を土に還元する過程で植物の栄養が生産される。また、カビの菌糸が繫殖して竹の組織が脆くなり、その後に細菌によって腐植してゆくので保水性のある竹チップ堆肥が育つ。
育った竹チップ堆肥は、播種後に種の被覆材として篩(ふるい)でバラ蒔いてマルチングする。収穫後は、そのまま土にすき込むことで土壌改良の一助になる。竹を材料にするのは、敷地内に竹林があるのと竹林の利用法を模索した結果である。
出来上がった竹チップ堆肥は、蒔いた種をマルチングする事に利用し、鎮圧してから水遣りして発芽を待つ。収穫時期には、竹チップはほとんど土壌中の微生物に分解されて比較的大きな固形物が残るのみである。それらも、管理機で土壌にすき込み次の作付けをする。
ミネラル補給
ガラス質の多い土壌はミネラル成分が不足しがちなので、貝殻と籾殻を焼いて砕いた粉末を作付けごとに適量補給することにしている。
適量の目安は、一緒に施肥する米糠の10%強である。貝殻は、貝と薬膳料理のお店を開いている知人から、要らなくなった貝殻を野菜と物々交換して譲り受けている。
さて、私達は、生命活動のために呼吸をしてエネルギー獲得をする仕組みを持っているが、その過程で、どうしても活性酸素という酸化作用の強い物質を生み出してしまう。活性酸素は反応性が高いので、過剰に発生してしまうと細胞を攻撃して老化促進や、ガンなど病気の原因になりうることが知られている。この作用を抑えるため、酵素、ビタミン、ポリフェノール、カロテノイド、ミネラルなど抗酸化作用のある栄養素を植物から摂取するが、これらのうち、植物や共生関係にある微生物が合成できないものがミネラルである。
ミネラルとは、その生き物が必要な元素のことで植物の場合は一七種ある。窒素(N)、リン(P)、カリウム(K)、カルシウム(Ca)、マグネシウム(Mg)、硫黄(S)、炭素(C)、水素(H)、酸素(O)鉄(Fe)、マンガン(Mn)、ホウ素(B)、亜鉛(Zu)、銅(Cu)、モリブデン(Mo)、塩素(Cl)ニッケル(Ni)である。その他にも、特定の作物に対して有用なケイ素(Si)ナトリウム(Na)コバルト(Co)などがある。
これらは、元々、土壌中に含まれるものが多いのだが、雨による流失や長年の作物栽培などによって土壌から持ち出されて、継続的に作物栽培を行う場合は作付け時に補給してやらねばならない状況が日本国内ではありがちだ。
こんな時、ミネラルを総合的に含んでいる貝殻と籾殻(もみがら)の燻炭灰の粉末(略して貝殻パウダーと呼ぶ)が役立つのである。
ミネラルが、総合的に補給された土壌環境で育った穀物や野菜などは、酵素、ビタミン、ポリフェノール、カロテノイドなどの合成においても優位であるように思う。食べたときの、人の身体に対する親和性(満足度)が高いことを実感するからだ。栄養価が高いことと満足度が高いことは必ずしも=ではない。塩気が多すぎても美味しいと感じられないのと同じである。
また、塩気の少な過ぎる料理は味気無いものだ。塩分は、消化器官での栄養素の吸収効率を高める効果がある。舌も消化器官の一部であるから、味覚を通して脳が吸収効率が低い=味気無いと感じるのはそのためである。作物本来の味が美味しく感じられ、体と心が総合的に満足することで親和性がより高まり、栄養が効率よく利用されることで幸福感のスパイラルが形になる。
貝殻パウダーの作り方について、少し具体的に説明しよう。材料・器具は、貝殻、籾殻、燻炭器(円錐に煙突が付いた簡易なもの)、着火剤となる木片や新聞紙、マッチなどである。
要領は、籾殻燻炭を作る場合とあまり変わらない。
木の枝などに火付けした後、燻炭器をかぶせて煙突から煙ではなく熱い空気が立ち昇っていれば火がしっかり枝に回っている証拠なので円錐部分を籾殻で覆う事から始め、その籾殻の上に貝殻を並べてゆく。貝殻を全面に並べたら、籾殻で貝殻が隠れる程度に覆う。これを繰り返して煙突の先端が隠れてしまわないように積み上げてゆく。

燃焼は丸一日で終わるが、中は高温なので2日ほど放置して温度が下がるのを待ってからチッパーシュレッダーで粉末にする(晴天が4日程必要)。
チッパーシュレッダーに、8ミリのスクリーンを取付けて粉末にしてゆくが、そのまま粉砕を始めてしまうと粉塵が大量に舞い上がって視界も呼吸も条件が悪くなるから、チッパーシュレッダーの投入口に置いた貝殻と籾殻灰にサッと如雨露(じょうろ)で水をひと掛けしてからチッパーシュレッダーに押し込んでゆく。
押し込む際は、誤って貝殻と一緒に喰い込みローラーに喰い込まれてもいいような、太さ10センチ前後の木や竹の棒を使うか、喰い込みローラーよりやや幅の広い角スコップ(通称カクスコ)で、貝殻を大まかに砕きながら喰い込みローラーに押し込んでゆく。
私が使っているチッパーシュレッダーは、ブロワー機能をつけていないので、このようなパウダー作りにも適している(ブロワー機能は便利な反面、木竹の粉砕能力が3割ほど低下するようだ)。
堆肥の仕込み方とあれこれ。
土壌微生物は、鋤き込まれた有機物を食糧とし、また、住処として繫殖している。そして、その微生物たちが排泄する糞や粘液は土の微粒子を数ミリメートルの団子状に纏めて、さらに自分たちの住みやすい環境を整えてゆく。いわゆる、団粒構造の構築である。
ミクロの生き物たちがマクロな構造を創り上げ、マクロな構造はミクロの生き物たちを保護しているのである。
一般的な堆肥を仕込む場合、堆肥材料の有機物は、植物性のものが良い。具体的には、雑草、作物の残渣、米糠などである。
あとは、堆肥を撒く予定の圃場の土を種菌にして貝殻パウダーを少し撒きながら植物性資材、圃場の土、米糠と貝殻パウダーを何層も積み上げてゆく。踏み込みながら1メートルほど積み上げたら、堆肥の下から染み出てくるくらい上から水を撒こう。
こうして作られた堆肥の中の腐植の進行は、当然のことながらバラつきがある。表層と中心部では大きく違うし、積まれた材料によっても腐植の様子はバラバラだ。
また、中心部は酸素不足になるため、それを補うためにも2~3週間後に一度切り返し作業を行う。切り返し作業は、全体を攪拌するだけでなく表層だった材料は中心部へ、中心部だった材料は表層へと積み替えてやることで全体が比較的均一に腐植してゆくことができるので心掛けている。
半年ほど熟成を待つことができるなら、切り返し作業は一度でいいだろう。3カ月ほどで使いたいのなら、月に一度は切り返しが必要になる。
また、堆肥を積み上げるときに板やコンクリートブロックなどの枠を使うと便利だが、使わない場合はお椀を逆さまにしたような半球状に成形して、出来る限り表面積を少なくすると堆肥内部の乾燥を抑制しつつ、発酵熱の放散を少なくする効果がある。
本来、堆肥は植物性資材が熟成されたもののことを言い、厩肥を混ぜられたものは肥効に大きな差があるので堆厩肥と言って使い分けられていた。しかし、現状は堆肥と堆厩肥は区別なく堆肥として売られているから注意しよう。厩肥を積んでおき腐殖させてから使う場合は、少なくとも3年、出来れば5年野ざらしにすると良いと言われている。