
写真を勉強し始めたら、人生の話だった
実は、高級コンデジを持っている。
でも、使いこなせていない自信がある。
もっとうまく撮れたらいいなと、ずっと思っているけれど、
設定をどうとか、レンズをどうとか、考えるくらいなら、
撮りたいものは子ども一択なんだから、
「たくさんautoで撮れば、数打ちゃ当たるだろう戦法」で今までやってきた。
でも、ようやく少し写真にこだわりたくなってきた。
それだけ、心のゆとりや、子どもから目と手を離す余裕ができてきたのかもしれない。
そんなとき、写真の勉強がしたいと思って、書店で見つけた本。
「カメラ・写真」のジャンルで、一番売れているというし、なんだか面白そうだし、手に取った。
写真を撮るときの、構図や露出とか、そういうノウハウを知りたかった。
でも一番売れているというその本には、そんなこと全然書いていなかった。
「見たものを撮る」だけでいいんだという。
そもそも人は好きなものしか目に入らないから、ピントとか露出とか構図とかじゃなくて、見たものを中心で撮るだけでいいんだって。
写真をうまくなるためには、写真以外から学べと。
映画をみて、音楽を聴いて。漫画や小説を読み、美味しい料理を食べ。
写真にはうつらない匂いや、風や音を感じよ。
写真がうまくなるノウハウを知りたかった私には、全く肩透かしだったものの、写真というよりは、「人生論」として面白かった。
もともと大学生のとき、はじめてデジカメを買ってもらった。
あのときは、カメラを持つことだけで目標が叶ってしまった状態だった。
働き出してから、出会った友達の影響で、ただのデジカメよりは少しいいデジカメを買って、写真をとるって楽しいと初めて思った。
スマホ写真全盛の時代になっても、高級コンデジをもち、カメラには全然詳しくないながら、旅先で綺麗な景色や美味しいものはカメラで撮りたい程度の好きは、手放さずにきた私。
働き出した頃の自分は、自分で稼いだお金で行くご飯屋さんやカフェや、旅行が嬉しくて。景色や食べもの、友達をたくさん映していた。
夫と付き合っていた頃の自分は、旅先の景色と、夫を、そしてツーショットをよく撮った。
子どもができてからは、子どものどアップばかりが増えた。
いつしか、歩き出したところ、滑り台をしているところ、雪遊びしているところ、そんな日常を切り取って残したいと思うようになり、運動会や夏祭りなどの行事を撮る機会も増えた。
自分の写真を振り返ると、面白い。
これは写真の変遷ではなくて、人生の変遷だ。
私の視点が、興味が、移り変わってきたのだ。
出会ったばかりは、あんなに夫が写っていたのに、
今は、子どものどアップの端っこで、夫の顔は切れてしまっている。(夫よ、ごめんよ)
自分の写真に関しては、ほぼない(切ない…)。
カメラが写しているのは、事実ではなく、私が切り取った日常だ。
その当時の私の興味が写っている。
どんなテクニックを磨くにしろ、自分を磨かなきゃ意味がない。
とはいえ、私が今読みたい本は、こっちだった。
うまく背景をぼかした写真を撮りたいし、構図だって意識したい。
auto以外のMとかSとかAとか、いじってみたい。
多少のノウハウは知りたいし、ちょっとオツな写真だって撮りたい。
とはいえ、奮発して買った我が家の高級コンデジは、
レンズを変えなくとも、autoでも、
運動会の望遠でも、旅先の景色も、花の接写も、笑顔のどアップも。
一発で綺麗に撮れる。
どこにでも軽々と持ち運べる。
私の大好きな、子ども達と、時に夫の、一瞬の表情を、
何も考えずに撮れるこのカメラは、私にとって神だ。
結局、ハウツウを多少かじろうとして分かったのは、磨くべきは設定じゃなくて、自分だということ。
「好きなものの、好きな瞬間を、逃さずに撮ること」。
そこに、今の私の人生は、あるはずだ。
やっぱり、しばらくはこの相棒で、私の好きなものたちを、
autoで撮る日々になりそうだ。