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気が強い子は生きやすく、優しい子は損をするのか

    娘たちの学校の友達関係で、悲しい思いをすることがある。しょっちゅうある。

    もっと我が子の気が強ければ、もっと言い返せればラクなのに、と親としては歯がゆく思うこともある。

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    中2と小5になったうちの姉妹は、二人とも繊細で優しいタイプだと思う。

    学校という社会の中では、どうしても声の大きな子や気の強い子の勢いに圧倒されてしまうことが多いようで、

    傷ついたり損をしたりする我が子を見るたびに胸が痛む。

    「いっそ、うちの子も気が強くて、ちょっと意地悪なくらいだったら、こんなにハラハラしなくて済むのかな」

    親として、そんな本音が頭をよぎる。

    でも、 世渡りが上手くて、傷つかない生き方ができるなら、心がガサガサしていてもいいのだろうか。

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    そんな風にぐるぐると考えていたとき、こんな考え方に行きついた。





    私たちは一生、
    自分自身という存在から離れることができない。

    24時間365日、死ぬまでずっと一緒にいなければならない相手、それは夫でも子どもでもなく、「自分」だ。

    もしも「意地悪な性格」になることで要領よく生きやすくなったとしても、それは一生「意地悪な自分」と狭い部屋で二人きりで暮らすようなもの。

    だとしたら、不器用で、時には踏みにじられることがあっても「優しい心」を持っていることは、それだけで途方もなく豊かなのではないか。

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    これは、「自分も優しい子どもだったから」という、優しい側の一方向からの意見ではない。

    実は私自身、気が強く、意地悪もする子だったと思う。 そして大人になった今でも、自分の未熟さを反省することばかり。

    だからこそ分かる。

    人は自分の鏡だというけれど、
    自分がどこか意地悪な考えを持っていると、相手も同じように意地悪なことを考えているんじゃないか、
    と疑ってしまう
    のだ。

    それって、世界がずっと敵だらけに見えるようなもので、とてもさびしいこと。

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    我が子の生きやすさのため、親がハラハラしたくないがために、素晴らしい個性をねじ曲げようとしていた浅はかな自分が、急に恥ずかしくなる。

    「優しい自分」と一生を共にできること。

    そんな豊さをくれる心根の優しさは、何にも代えがたいほど尊いものだと思う。


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    日常の心の機微を描く小説を執筆中|くるみ出版📚アシスタント|元SEOライター|中2と小5姉妹の母

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