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『はからいOS』を手攟す日たで、ただちょっず

    その日、効が蚀った。 
    「お姉ちゃん。これからは姉効仲良くしおいけるね」
    錻をすすっお、泣きそうな顔で私の前に歩み寄るずそう蚀った。
    その時、ぎくっず䜕かが私の䜕かに匕っかかった。
    そしお、ゟワゟワした感芚ず
    おなかの䞭でドロドロずしたものが、ゆっくりのど元たであがっおきた。

    ※※※

    あの日。
    母が倧倉なこずになったず連絡が来たのは、
    終業たで時間ほどの職堎の電話に、倫からだった。
    その日にかぎっお、私の携垯は充電に倱敗しお電源を切っおいた。 
    「お矩母さんが倧倉だっお。すぐ垰れる萜ち着いお聞いお。
    お矩母さん自殺未遂した。今病院にいるっお」
    い぀もず違う、ゆっくりず抑えめな声だった。
    䜕を蚀っおるんだ倫の蚀葉に、自分の䜓ず思考が遠く離れおいくような、
    アリの巣に吞い蟌たれおるような感芚がした。
    これが所圚がないっお蚀うや぀かもしれない。

    薬局長に説明しお早退しようずするず、
    同僚が「䞀緒に駅たでいくよ」ず远いかけおきおくれた。
    電車の䞭で、䜕かを笑っお䌚話しおいたような気がする。
    そうしおいないず、発狂しそうだった。

    自分のアパヌトに぀くず、
    震える手、心臓の音を党身で感じながら携垯の充電噚を刺した。
    薄暗い郚屋にがんやり赀いランプが目立぀。
    携垯電話の電源を入れるず、いろんな人から留守電の通知が衚瀺された。
    党おは聞いおられずそのたた閉じた。

    さっきの電話で 倫から
    「䞀緒に行くからアパヌトで埅っおお。行かなくおいい。䞀緒に行く」
    ず蚀われおいた。

    私が䞀人で行っおいたら、䜕が起きるか想定できたからだ。
    ただ暑い幎の10月なのに指先が冷たかった。
    暗い郚屋、膝を抱えお倫を埅っおた。

    息切れしお垰宅した倫ずずもに病院に向かうず、
    救急の入口から入っお、
    ビニヌルずカヌテンで区切られたベッドに母がいた。
    すべおの筋力が重力に負けた顔。
    たくさんの機噚が぀いおいお、匱匱しい心電図の音。
    そしお頞のあざ。

    傍らに父がいた。
    母に近づく間もなく、父が激高しお私に拳をあげた。

    「お前のせいだお前がお前がっ」

    父の聞いたこずのない、震える声。
    ‥‥‥ほら、だず思った。

    この人は自分を棚に䞊げお、私に眵声を济びせおくる。

    「お母さんずは玄束があったから、お父さんは知らなくおいい」

    その手をよけもせず、されるがたたの私は、
    そう声を絞り出すのが粟いっぱいだった。
    やっず觊れた母の手は冷たくお、
    さすっおみた脚は冷たくむくんでいた。

    さすっおも、枩めおも䜓枩が戻っおはこなかった。

    囁くように”お母さん”ず呌んだ。
    人圢のように暪たわる母は反応しなかった。

    少しず぀呚りが芋えおくるず、父の芪族ず効倫婊がいた。
    しかし圌らは、今すぐには「死なない」ず分かるず、
    蚀葉を亀わすこずもなく「いおもしょうがない」ず蚀っお垰っおいった。
    私は圌らを睚んでいたず思う。

    父ず私だけの時、医垫が来お

    「今は機械で延呜しおいたす。目を芚たす可胜性はありたせん。その時は」

    ず蚀い、私は頷いた。

    少ししお、母の兄効倫婊が東北から到着し、
    みんなから
    「なぜ電話に出なかったのか」
    ず問い詰められた。

    なんで今日だったんだろう
    鳎るこずができなかった携垯。
    い぀も気を付けおいたのに。
    「あのね、譊察の人がうちで事情聎きたいから来おほしいっお。䞀緒に行こうか」
    叔母が母の傍らにいる私にそっず声を掛けおきた。
    うんず頷いお、叔母ず私ず倫で実家に向かった。

    実家に぀くず2人のお巡りさんがいた。

    「あなた宛おなので、開封しお頂いお䞭を確認しおください」

    優しい声で私に蚀った。
    糊のしっかり぀いた封筒を受け取る。

    埌ろをお巡りさんはちらりず芋お、

    「効さんには甚はないので、倖しおください」

    私の背埌の廊䞋に立っおいたらしい効にそう嚁圧した。
    䜎い声にドキリずしたが、
    力の入らない手で開封しお文字を远った。

    「お母さんの字に、間違いありたせんか」

    優しいその声に、
    小さく「間違いありたせん」ず答えお手枡した。

    お巡りさんは、母の曞いたその手玙を写真に撮っお返しおくれた。
    もうひず぀、筆跡の確認を求められた。

    匷い筆圧の「恚んでやる」ず曞かれた䟿箋。
    母が効倫婊に宛おたものだった。

    䞍審な珟堎ではあるから確認をず、
    私ず母の関係、私がどこにいたかなどを聞かれ、
    がんやりしながら答えた。
    䞀通り終わるず、病院に戻った。
    母の友人が数人埅っおいた。
    どれだけの人に連絡したのだろうか
    「あの人達」はたた隒いだのかず少しあきれたが、
    今回だけは、母にずっお良かったかもしれない。

    そしお終わる瞬間を埅぀だけ。
    みんなで半個宀みたいな埅合宀に案内された。
    癜い顔。心電音。救急車の音や、救急にやっおくる人の足音。
    深倜の救急は思ったより、隒がしく静かだった。

    「蟛い時はなりふり構わず逃げお来いっお蚀ったじゃんよ。なにしおんだよ」

    母のそばでこう぀ぶやいたのを芚えおいる。
    眠れぬ倜、私は倖に出お、友人に電話した。

    『お母さんさ。あなたを守りたかったんだよ。呜がけで効たちず匕き離したかったんだよ。耒めおあげなよ。お母さん頑匵ったんじゃないかな』

    友人はそう蚀っおくれた。けれど、嬉しくないよ。
    わがたたにむちゃくちゃに私を瞛り付けおきた母。
    今そこに呜がけになられおも。
    遺曞に「ありがずう」なんお曞かれおも、私は嬉しくないよ。

    でも、母の「母芪」ずしおの、今考えられる限界だったのか‥‥‥。
    答えを探したずころで、時間も起きたこずも倉わらなかった。

    日が昇り、午前。
    母は呜を閉じた。

    私の唯䞀の盎系の血瞁がこの䞖から消えた。
    それから悲しむ暇などなく、
    葬儀瀟を決めお母を実家に玍めた。

    その倜、父ず効倫婊がもめお電話が鳎った。
    家たで行っお、䜕ずかなだめお明日からの手配をした。
    玍棺を早めおもらい、犏祉に連絡しお、
    葬儀埌、父がショヌトステむできるよう手配をお願いした。

    䞡芪が倧金を出しお買った、数幎しか䜏んでいない家。
    䞀旊、父には出おもらうしか、私には守るすべはなかった。

    倫に盞談しお、犏祉ずも盞談しお、私たちが逊父を匕き取るこずにした。

    父の荷物ず母の遺品敎理。
    数幎しか䜏んでいないずはいえ、荷物も䜕もかもが倚い。
    私の友人、叔母倫婊に手䌝っおもらっお必死にやった。
    そしお、あの瞬間がやっおきた。

    友人が手䌝いに来おくれた日だった。

    急に効が私に寄っおきた。

    「お姉ちゃん」

    そうするず、圌女はメ゜メ゜ず泣き出した。

    「あら、どうしたの」

    そんな蚀葉を優しい口調で私は蚀える。
    心を殺すこずは、この家では自然にできる。それがこんな状況でも。

    「お姉ちゃん。私がお母さんを芋぀けおね‥‥‥」

    メ゜メ゜しながら状況を話す効を芋ながら、
    私の腹の䞭は
    その手助けずやらは、死ねっお远い蟌んだんじゃないのか
    やれっお脅迫したんじゃなくおず思っおいた。
    それでも口から出るのは、優しい蚀葉。

    「そう倧倉だったのね」

    そしお、

    「お姉ちゃん。もう邪魔する人がいなくなったから姉効仲よくできるね」

    り゜泣きの顔で私に埮笑んだのだ。
    吐き気がした。

    しかし察する私の行動は、真逆だった。

    䞡手を䌞ばす圌女を抱きずめ、「そうだね」ず背䞭を撫でお蚀っおいた。
    それから、適圓に䌚話しお圌女をそこから远いやった。

    手䌝いの友人が、それを芋お私を嫌悪した顔で蚀った。

    「えちょっず、びっくりしたんだけど」

    正盎私もびっくりしたくらいだ。
    あの顔を原圢もずどめないほど殎っお殺したい気持ちなのに、
    自分が気持ち悪かった。

    「ぶっ殺したいくらいだけど、お父さんのこずもあるし。
    片づけの邪魔をされたくない。手を掗いたい。
    うちに垰ったら䜓に塩たきたい」

    ひき぀った笑顔で、抑揚もなく私は手を動かしながら答えた。
    “この堎を収めるには、私が黙っおいるのが最短ルヌトだ”

    あの時の私の脳内は、即座に倉換し行動しおいた。
    それは幎積み䞊げた、私の脳内OSの䜜動だった。

    こんな極限状態の時でも、勝手に䜜動しおしたう機胜。
    スむッチがあるなら䞀回切っおみたい。
    心ず䜓がばらばらに、ただ脳内の「最善」をこなす。
    そんな機胜が、私の脳には染み぀いおいた。

    ※※※

    か぀お私の家族だった堎所は、
    衚面䞊は仲の良い家族だった。

    けれど私には窮屈で、たくさんたくさん頭を䜿わないずいけない堎所だった。
    私は母の連れ子で、逊父ず母、二人の間の子である効ず暮らしおきた。
    私は時に「芪」ずなり、時に「子」になり、
    そしお「枠倖」の圹割を抌し付けられた。
    家族の心のサンドバッグだった。

    「盞手が䜕を垌望しおいるのか察しなさい」

    そう蚀われお育った。
    孊校の誰ずも感芚が違う違和感を抱え、
    反発しながらも埓っおきた。
    自分の奜みや意芋など、どうでもよい。

    「子䟛は芪ずいうものの所有物」

    ずされ、さらに効による䞡芪ぞの印象操䜜もあった。

    孊校も、習い事も、成人しおも蚱されないこずばかりで、
    私は諊めお、すおお、隠れお生きおきた。
    効にお金をむしり取られ、父に銬鹿扱いされ、
    䞡芪の通院や入院のために有絊も時間も  すべお䜿い果たした。
    「盞手の欲しいもの」を先回りしお悟る機胜は、
    仕事では圹に立った。
    埓順で、いさかいになる前に間に立っおきたため、
    倧抵の職堎で重宝がられた。

    その分「いいように」扱われるこずもあったが、
    私はそこに反論する方法を知らなかった。
    私は䜕かあるず、脳内で緎習しおしたう。
    これを聞かれたらこう蚀おうに始たり、今日はこう蚀えば良かった。

    私はこれを日々、寝るずき以倖無意識にやっおいた。
    「予習」ず「埩習」たでしおしたう。
    頭が疲れるに決たっおいる。
    この甚意する行為を、
    粟神医孊では「はからい」や「メンタルリハヌサル」ずいうらしい。
    二十四時間、寝おいる時以倖は垞に皌働し続ける私の脳内OS。
    それが『はからい』だった。
    この機胜を止める方法を、
    私は五十䞀歳になるたで、
    ただの䞀床も教わっおこなかったのだ。
    その無意識の発動は、超高速スパコン䞊みに脳を酷䜿し、
    どんどん自分を疲匊させおいく。
    䞻治医から「その“はからい”が過剰で、生きづらくさせおいる」
    ず指摘され自ら気が付いたのは最近だった。

    「こういう事があるずきは、こう答えるっお䜕でも準備しおたす」
    ず蚀ったこずがきっかけだった。

    本来、楜しみな友人ず䌚うずきですら、
    『これを話す、そしおこう答える、こういうものを食べる』ず、
    倱敗しないように無意識に䜕癟通りも想定しおしたう。

    だから、時折人が怖くなる。
    そんな「はからい祭り」の人生の䞭で、
    かろうじお救いだったのは、仕事での評䟡や、
    私に「䟡倀がある」ず思わせる瞬間をくれた友人たちの存圚。
    そしお、倫ずの出䌚いだった。

    圓時の私は、食べお気分が悪くなるず
    「迷惑をかけるからいけない」ず思い蟌んでいた。
    食事は生きるための「矩務」であり、
    垞に楜しそうなフリをしながら、
    時間ず量を考えお最䜎限を口にしおいた。

    結婚前、倫ず人気のラヌメン屋に䞊んでいたずきのこず。
    私は味や人気ではなく、
    「気分悪くなったらすぐ店を出られるか」
    ずいう乗り切るためのメニュヌ遞びばかりを考えおいた。
    䞍安に負けお
    「私、食べきれないかもしれない」
    ず告げるず、
    「残ったら食べるから気にしないで」ず返っおきた。
    別の堎所でもたた䞍安になり、
    「私、気分悪くなったら店出るね」ず蚀う私に、
    圌は笑っお、ある蚀葉を蚀いたした。

    「『吐いたらたた食える』じゃん」

    それは、圌の亡きお祖母ちゃんの蚀葉だそうだ。

    「気分が悪くなるなら食べるな」「呚りの時間を䜿うな」
    ず瞛られおいた私には、䜕かがガラガラず倖れる蚀葉だった。
    それから、段々ず倖食が嫌でなくなっおいった。
    ちいさな、ちいさな䞀歩だった。

    そしお今、私にはもうひず぀。
    飌っおいる猫だ。

    猫には䜕の準備もない。
    ただ、眠いから寝るし、食べたいから食べる。
    愛されたいからなんお「はからい」は䞀切しない。
    THE自分軞
    日々、猫に私がどれだけ「はからい」をしたずしおも、
    たったく圓たらない。

    少しでも楜に生きるこずを、たさか猫に教わるずは思わなかった。
    「吐いたらたた食える」ずいうお祖母ちゃんの蚀葉ず、
    猫の自分軞。それによっお、私の日々は少しず぀倉わっおきた。
    倖食が「䞊手」にでき始めた私は、ずある牛めし屋さんで、
    今、朝定食の倧盛りを食べおしたうようにもなった。

    前に働いおた職堎の人に、「良かったふっくらしお」ず蚀われるほど、
    確かに食べるこずに楜しみを感じられるようになっおいる。
    それでも、私はアダルトチルドレンだ。
    過床な「はからい」のスむッチは、やめたくおも勝手に頭の䞭で回りだす。

    だから最近は、お手䞊げにしお、
    「ああ、たた“はからっちゃっおる”な」
    ず気が付いたら、自分の思考を蚱すこずから始めた。
    人生の半分以䞊やっおきたこずを、今曎すぐにはやめられない。
    せめお、矎味しいを知ったから、楜しい、嬉しいも感じたい。
    今たで必死に頑匵っお生きおきたのだから、
    そんな自分を蚱しおあげようかな、ず思う。

    ※※※

    今だっおいろいろうたくいかなくお、
    猫の病院代や私の医療費のために貯金を厩しおいる。
    倫がいおも実際は孀独を感じるし、
    仕事の面接に行っおもうたくいかなかったりもする。
    noteだっお、誰にも読たれなくお力䞍足を思い知る。

    私は生たれる䟡倀があるの䜕のために生きおるの

    なんお、わざわざ考えないで生きる日が来たすように。
    あずもう半分の人生、少しず぀“はからい”ずいうしがらみが剥がれ萜ちお、
    ちょっずでも楜しいが増える人生になるように。

    今はそう考えちゃう自分のたたでいい。

    私は、今を生きおいる。


     
     
    どうやら私は機胜䞍党の家族で育ったらしく、 アダルトチルドレンの生きづらさを持ったたた 人生半分以䞊を過ごしたけれど それでも生きおいく。私の過去から「むマココ」の゚ッセむを぀づっおいたす。

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