
ハシゴをケチる書き手、登れない読み手
ずいぶん前の話。
買い物帰りの私は家に向かって自転車を漕いでいた。
あの頃、家では小夏と菜々という名前のサザナミインコが私の帰りを待っていた。
玄関の鍵を差し入れて回すときの「カチャッ」という音は、インコたちにとって私の帰宅の合図だった。
いつも鍵の音に反応して、呼び鳴きと呼ばれる甲高い声が扉の向こうから聞こえてくる。その声を聞くと私は笑顔になってしまう。
夕方の放鳥時間を楽しみにしている2羽のために、ペダルを漕ぐ足には自然と力が入り、自転車は少しずつスピードを上げていた。
そんな私の目の前で、踏切の遮断機が降り始めてしまった。
無理な横断で何度か事故が起きている踏切だ。かわいいかわいいインコたちのためとはいえ、降りかけの遮断機をくぐるのはさすがにできなかった。
ブレーキをかけて、「ああ、なんてついてない」と心の中でつぶやいた。
「やったぁ!」
背後から男の子の声がした。
私の「ああ、なんてついてない」のつぶやきに被せるようなタイミングで聞こえてきたから、つい、「なんだと?」と思ってしまった私は、声の主を見るため振り返った。
自転車に乗った母親の後ろに、幼稚園児くらいの男の子が乗っていた。
「ねぇ、ママ、なにが来るかなあ!」
「そうねぇ、なんだろうねぇ」
母親は私の真横に並んで自転車を止めた。
男の子に電車がよく見えるようにそうしたのだろう。
男の子の弾んだ声を聞きながら、私はインコたちのことを思い浮かべていた。
踏切に引っ掛からなければ、もう2つ先の信号くらいまでたどり着いていたはずなのに。家に少しだけ早く着けたのに。
イライラを通り越して、悲しくなってきた。
「わぁ! カシオペアだー!」
男の子が声を上げた。
遠くから、たまに見る変わった電車が迫ってきた。正面の、深い青に星が描かれた丸いプレートに、自然と目が奪われた。
「よく見るとキレイな電車だな。カシオペアって名前なんだ」
さっきまで頭の中を占めていたインコたちの姿は消え、私は目の前を走り抜けていく艶やかな車体に見入っていた。
電車の轟音の中、親子が声を張り上げていた。
「よかったねぇ!」
「うん!」
遮断機が上がり、私は再びペダルを踏み込んだ。
あの日から、私にとって「たまに見る変わった電車」は、「カシオペアという名の美しい電車」になった。
* * *
「っていう話を昔、SNSに書いたのね。そうしたら、私が伝えたかったことがまるで伝わってないコメントがついてショックだったんだ。何がいけなかったと思う?」
私はAIに聞いてみた。
「あなたはA→B→Cと話を進めるのではなく、A→Cと書いてしまうことがあるよね。これだと「男の子かわいいですね」「カシオペア見れてラッキーでしたね」という感想しか持てなくても不思議じゃない」
わ、当たってる。まさにそんなコメントがついていた。
読み解いて欲しくてあえて言葉にしなかった。その『ハシゴをケチったこと』が、あのコメントに現れてたのか。
私は、言葉のハシゴを組み立てた。
—男の子と私は、同じ遮断機を見ていた。
私にとってそれは、インコとの時間を削るものだった。
男の子にとっては、大好きな電車がやって来る合図だった。
同じ出来事でも、人はまるで違う世界を見ている。
「どう?」
「うん。これで読み手が置き去りにならないと思う。」
こんな文章のクセさえ指摘されるほど、私はAIと会話を重ねてきたようだ。
世に出す前にそこをAIにチェックしてもらえるのは心強い。
でも、ちょっぴり、「ここまで説明しなきゃダメかなぁ」と思う自分もいる。
DTMが出てきて、楽器を何一つ演奏できなくても音楽家になれる人が出てきたように、AIが最初の読者になったとき、今までとは違ったタイプの物書きが生まれるのかもしれない。
部屋着で壁にもたれかかって床に座り、スマホで文字を打つ。
今日も私は、「ハシゴの段数」を最初の読者に問いかけている。