
【短編小説】一杯のコーヒー
「いらっしゃいませ」
その声に俺はハッとした。
朗らかな顔の老人がカウンターにいて、
コーヒーを淹れていた。
俺はその顔に見覚えがあった。
しかし名前が思い出せない。
俺は案内されるがままにカウンターの席に座った。
「今日は何にいたしますか」
老人は優しい声でそう聞いた。
今日も何も、ここには初めて来ただろう、
と俺は不思議に思ったが、俺の口からはするすると
「いつもの。」
という低い声が出た。
それは俺の声じゃなかった。
マスターはコーヒーを淹れて、
カタッと俺の前に置いた。
白い湯気がやけに鮮明だった。
俺はそれを一口飲んだ。
この味を、知っている気がした。
「、、、マスター」
俺はそう呼んだ。しゃがれた声だ。
マスターと呼ばれた老人は、朗らかに笑って
「何でしょう」
と言った。
口から言葉が溢れた。
「ニ年、、、経つんだな。」
「俺は、、」
「俺は、、、、あの時」
「、、、すまなかった、、」
俺の言葉であるはずなのに、
俺は項垂れた俺を見ていた。
いや、正確には俺ではない。
大柄で黒いコートを着た男は、知らない男だ。
マスターは、カップを拭きながら朗らかに笑った。
「いいえ。」
「あなたのせいではありませんよ。」
「私も老いましたから。」
「いずれはこうなったのです。」
俺は何のことだかわからなかった。
しかし、俺の前にいる男は、ボロボロと泣いていた。
それから一瞬、マスターが俺を見た。
いや、正確には、泣いている男ではなく、それを後ろで見ている俺と、目があった。
そして、マスターはフッと笑った。
ピーッ、ピーッ、
という規則正しい音で目を覚ました。
夏の日差しがカーテンを揺らす。
俺は長い長い夢を見ていた。
ツンと鼻にくる消毒液の匂い。
そして。
ハッと思い出した。
あぁ、そうだ。
俺は、あの老人を知っている。
父と母、そして俺が乗っていた車が、
二年前、あの老人を跳ねた。
そして、その前に座っていたあの男は、
まぎれもなく、俺の父だ。
俺はドクンと脈打つ、胸元の心臓に手を当てる。
あぁ、あの老人は、
俺の中で生きている。