
うつ病、クライマー。
壁に向かっているときだけ、頭の中が静かになる。
仕事のこと、人間関係のこと、「このままでいいのか」という不安。
そういうものが、ぜんぶ遠ざかっていく。
目の前にあるのは、指先がかかるかどうかのホールドと、自分の身体だけだ。
2019年にうつ病と診断されてから、休職と復職を繰り返してきた。
朝、起き上がれない日がある。
会社に向かう途中で足が止まる日がある。
何もしていないのに、ひどく疲れている日がある。
周りは変わらず動いている。
その流れの外に、自分だけがいるような感覚があった。
そんな状態でも、なぜかクライミングだけは続けていた。
クライミングには、嘘がない。
登れたか、登れなかったか。
それだけだ。
誰かの期待に応える必要もなければ、空気を読む必要もない。
壁は何も語らない。
ただそこにあるだけだから、自分の状態をそのまま受け止めることができる。
どれだけ間が空いても、また一手目からやり直せる。
壁は逃げない、仲間もいる。
チョークの粉が舞って、誰かが「ナイス」と声をかける。
それだけで、十分だった。
クライミングをしているとき、私は「役に立たなければならない人間」でも「評価されなければならない人間」でもない。
ただのひとりのクライマーだ。
できるときもある、できないときもある。
そのシンプルさが、今の自分にはちょうどいい。
揺れながらでも、迷いながらでも、壁の前に立って一手を出すことはできる。
今日もまた、私は壁に向かう。
なぜなら、クライミングをしている私は、笑っているからだ。