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想像もせず傷぀けおいた、堎所の蚘憶

    「きれいに敎えられた田舎の畔の景色には、䞀生懞呜汗を流しお草刈りをしおいた家族や近所の人の姿が䞀緒にあるの。だから移䜏者が草刈りなんお無意味ずいわんばかりにサボっお草だらけにしおいるのを芋るず、ずおも悲しくなる。」

    先日開催した察話䌚「里山リベラルアヌツ」の䞭で、地元に暮らす30代の参加者から語られた蚀葉に、胞が詰たりそうだった。

    移䜏者には芋えない堎所の蚘憶

    移䜏者の䞭には、自分も含めお、理想の暮らし方を珟実の田舎に投圱しようする人も少なくない。自然ず調和した䞁寧な暮らし、ずいう絵の䞭に、そこにもずもず暮らしおいた人たちの姿が䞍思議なぐらい芋圓たらない傟向があるように芋える。

    同時に田舎には぀きものの草刈りのような地味でき぀い䜜業には、意味あるのず疑問を投げ぀ける。
    草なんお生えおくるもの、そんなに完璧に刈り揃えなくおも、むしろ草が生えおいた方が生物倚様性の芳点からは正しく、それが本来の自然の姿だから。そんな口ぶりが、今たでその地域の人々が䜕䞖代にもわたっお維持しおきた営みをぞんざいに扱っおいるこずには、なかなか気が付かない。

    もちろん地元の人たちだっお、草刈りが過酷なこずぐらいわかっおいる。しかし圌らは知っおいる。手入れを止めおしたうず、あっず蚀う間に手が付けられないようになっお、混沌ずなった自然の猛嚁が自分たちの暮らしの範囲たで䟵入しおくるこずを。少しでも䌞びれば刈っおしたいたいのは、本胜的な畏れからなのだろう。

    さらに蚀えば、敷地や田んがの畔が草で荒れた状態は家䞻の䞍具合のサむンでもある。きれいに刈っおあれば、その家が健康で生掻のリズムを刻めおいるこずを瀺し、共同䜓ずしおお互いの状態を知らせる情報亀換の圹割も果たしおいる。぀たり自分がこの共同䜓の䞀員であるこずを瀺す、景芳以䞊の意味を内包する行為である。

    地際1mmで絚毯のように刈り揃える必芁は確かにないかもしれない。同調圧力のような矩務感で草刈りを匷いられるのは理䞍尜ず蚀っおもいい。しかし、だからずいっお、その矎しく敎えられた景色を眺めながら、きれいだね、ず蚀葉を亀わした家族や地域の人ずの蚘憶や、受け継がれおきた知恵たで、意味がないず断じる暩利は誰にもない。

    どこにでもあるような田舎の颚景には、移䜏者には芋えない、ここで暮らしを共にしおきた人たちの営みの倧事な蚘憶が埋め蟌たれおいるのだ。

    もちろんいい思い出だけではあるたい。矎しい景色の裏には、そうした共同䜓の重苊しさや、受け入れがたい歎史もあるかもしれない。それでも、守りたい颚景があるならば、たしかに構造的な倉化が必芁だ。

    だからこそ、地域の人たちが䜕を倧事にしおきたか、その蚘憶は受け継ぎながら、負担を少しず぀枛らす方法で、お互いにずっおちょうどいい景色を぀くりだしおいく、そんな埮調敎が必芁だ。

    実際に地際よりも、刈高10㎝で刈った方が怍物の性質䞊䌞びにくいずいうこずも知られおきおいる。だがいきなり10㎝が正しい、ず䞻匵しおも、受け入れがたいだろう。だからこそ、1幎に1㎝ず぀刈高を䞊げおいくような、気が付かないうちに銎染たせおいくような倉化ができれば、無甚な衝突をする必芁もないのかもしれない。

    泥だらけのトラクタヌが壊しおいたもの

    オレがこの話を聞いお胞が詰たったのは、オレ自身も倧きな過ちに気が付いたからだ。

    オレは移䜏しお劻の実家に暮らしおいる。劻はか぀お同居しおいたおじいさんが倧奜きであった。オレにはただの田んがず山の颚景にしか芋えなかったり、玍屋に䞊べられた機械や道具、あるいは叀びた建物に過ぎないものの䞭に、劻の目にはおじいさんの姿が重ねられおいる。

    䟋えば、おじいさんが䜿っおいたトラクタヌ。買うずバカ高いので、家に残っおいおラッキヌず単玔に喜んでいた。オレがそれに乗っお田んがを耕せば、きっず劻の目には、そこに、毎幎同じように土にたみれおハンドルを握っおいたおじいさんの姿も芋えおいるこずだろう。

    しかし、圢芋ずもいえるそのトラクタヌを、シヌズンを終えお掗うのが面倒になったのを「どうせたたすぐ泥が぀くんだから」ず蚀い蚳しお、泥だらけで玍屋に攟眮したのは䞀床や二床ではない。そのトラクタヌの姿に劻は䜕を感じたか、これっぜちも想像できおいなかった。

    もちろんオレはおじいさんのように田んがやトラクタヌを扱う技術も知識もないし、䜓力もない。同じこずはできないこずは劻だっおわかっおいる。でもそれが問題ではない。

    問題は、この家に残されたもの、あるいはその空間に察しお、おじいさんず劻が䞀緒に芋お心通わせた時間を、オレがどれだけ深く想像できおいたのか、ずいうこずだ。

    オレがここで暮らすこずになったずき、この家に、この土地に新しい息吹をもたらし、いきいきずよみがえっお新しい歎史を刻んでいく姿を劻だけでなく、同居のお矩母さんや地域の人たちみんな期埅をしおいたはずだった。

    それなのに、地域のやり方を叀いず刀定し、自己流でやっお倱敗しお手に負えなくなるず、もずもず意味ないんだから、ず屁理屈こいおいたオレの態床は、たさに傲慢ず批刀される移䜏者のそれだった。

    䞁寧な暮らしの本圓の意味

    しばしば移䜏者が振りかざす、䞁寧に暮らすずか、時代に合ったずか、自然のたたにずか、さたざたな方向からの「新しい時代に田舎で生きるための正しさ」に基づいた悪気のない正論、あるいは、この地域の「叀いシステムをアップデヌトする資栌が自分たちにはある」ず錯芚する傟向が、そこに暮らしおきた人たちを傷぀ける鋭さを持぀こずは、自分も含めおあらためお胞に刻んでおきたい。

    もちろん、たったく瞁もゆかりもないたた移䜏しおきた人たちにそんなこずは知る由もないこずだろう。突然、傷぀いた、ず蚀われおも戞惑うのは、ある意味で正しい。
    移䜏者にだっお芋知らぬ土地に移䜏しおくるにあたっお、䜕かしら抱えおいるものがある。自然に寄り添う䞁寧な暮らしがしたかった、ずいう衚局的な蚀葉の裏には、各々の人生の䞭でそれたでの堎所ではダメだった理由があるはずだ。

    移䜏者が増え぀぀ある今、そのようなお互いの「胞の内」に觊れる機䌚はどれだけあるだろうか。

    それは「地域亀流䌚」などお膳立おされた堎ではなく、共有された暮らしの堎でなければ䌝わっおこないし、䌝わるこずもない皮類のものだろう。

    暮らしを共有する人たちが倧事にしおきた蚘憶を理解し、寄り添いながら、少しず぀自分らしさも受け入れおもらう。そういう気の遠くなるような、コミュニケヌションの積み重ねから、ようやくにじみ出おくるものだずオレは感じおいる。

    そしお胞の内を知ったり知られるこずは、自分や盞手の境界を越えるこずだ。必然的にそこには摩擊が生じる。急で激しい摩擊は、お互いに燃え尜きおしたう。だからこそ䞁寧、䞁寧、䞁寧に、共に暮らしを玡いでいく必芁がある。

    あれ、これが䞁寧な暮らしっおや぀

    

    この春、田んがの代かきを終えお、泥だらけになったトラクタヌを、い぀になく早く掗った。おじいさんが確かに觊れおきたこのトラクタヌを、今自分が同じように掗っおいる。そう思ったら急に劻が過ごしおきた日々の颚景の䞭に自分が入り蟌んだ気がした。

    今たでオレはこの地で䜕を成し遂げようかずばかり考えおいた。けど、泥を掗い流したその瞬間から、ようやくちょっずだけ、劻自身がしたかった暮らしや自分のあり方、䜜りたかった家族の姿を想像するこずが、できた気がした。


     
     
    岐阜の蟲村で暮らし、思考を敎える。 岐阜県恵那垂に移䜏しお14幎。蟲村での人ずの぀ながりや、自然に觊れる暮らしで感じた「違和感」を蚀語化し、瀟䌚や自分の内面を深く芋぀め盎したす。読者ず共に考え、深める察話の堎ずしお「里山リベラルアヌツ」を始動。元地域おこし協力隊。

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