
羨ましさを、見ないふりしていた。
以前の私は、
「羨ましい」という素直な感覚に、
見て見ぬふりをするのが得意でした。
誰かが理想の働き方をしていても、
「あれは特別だから。」
「現実はそんなに甘くない。」
「私は、ああいう働き方は望んでない。」
そんな言葉が先に浮かんでいました。
当時の私は、それを、
”現実的に考えているだけ” だと思っていました。
でも今振り返ると、そうではありませんでした。
本当は、自分をごまかしていただけでした。
羨ましいと思うことは、
「私も、本当はそうありたい。」
と、認めることでもあります。
そして同時に、
「今の私は、まだそこにはいない。」
という現実を認めることでもありました。
当時の私は、それが怖かった。
だから、
「あれは特別。」
「私は望んでない。」
そういって、
自分の本音から目を逸らしていたのです。
そんななか、20代後半、
何をしても今の自分に納得できず、環境や人生を変えたいともがき続ける日々がありました。
八方塞がりになったとき、
私は初めて、自分の思考を書き出しました。
羨ましい人を書くためではありません。
「なぜ私は、望んでいないと言うんだろう。」
「なぜ私は、“あれは特別”と思うんだろう。」
そんな問いを書き出し続けるうちに、
少しずつ、本音が見えてきました。
本当は、羨ましかった。
気づいたのは、
私が苦しかった理由は、
理想が叶わないことではありませんでした。
本当の望みを、自分で否定し続けていたこと。
それが、一番苦しかったのだと気づきました。
そして、心が動く人には共通点がありました。
自分の言葉で生きていること。
自分で選んでいること。
ありのままの自分を受け入れていること。
私は、その人になりたかったわけではありません。
自分を見て見ぬふりをしない。
本音をごまかさない。
そんな生き方がしたかったのだと、
ようやく気づいたのです。
今でも、羨ましいと思うことはあります。
でも、以前のように、
「私は違う」
と終わらせることはありません。
その代わりに、ひとつだけ問いかけます。
私は、何に心が動いたんだろう。
答えは、毎回違います。
でも、その小さな答えを拾い集めるたびに、
少しずつ、自分の望む人生が見えてくるようになりました。
「羨ましい」という感情は、
消すものではなく、
まだ自分でも認められていない願いを教えてくれるものなのかもしれません。
もし最近、
理由もなく気になる人がいるなら。
その人を遠ざける前に、
少しだけ、自分の心に近づいてみてください。
もしかしたらそこには、
まだ自分でも認められていない願いが、
静かに待っているかもしれません。