
避けてきた道 を歩く――子どもの私と 初めて歩く
ということで
新潟市に おります
実家に お邪魔中です
わたしの年齢では
とても ありがたいことなのですが
両親は 健康状態もよく
社会的な役割が それぞれにあり
経済的にも 余裕があるようで
「実家へ お小遣いを 送る」
ことは
まだ
「結構けだらけ 猫はいだらけ(母親)」
なんだそうです
「どうしても 送りたいんなら
私は 断らないわよ」
と
堅実財テクが好きすぎる母が 言いますので
わたしは 両手を頭の後ろに回して
「どうしても ってほどではないなぁ〜
じゃぁ やめとく」
と
答えちゃいました 笑
…
天気は ロンドン
移動は アメリカ並みといわれる(?)
車社会 の ここ新潟県
意識的に 歩かないと
いけません
天気も 好いので
散歩をすることとしました
歩くコースは
『胸が 引かれる』 方向へ
施術と 同じ です

雲 は
いかにも
台風が近づいているとき
独特の
模様 を
描いています
写真 右から
多宝山
弥彦山
そして 小さく
国上山
「くがみやま(国上山) と 読むのに
そこにある
国上寺 は
こくじょうじ(国上寺) と 読む」
新潟へ配属された
NHKのアナウンサーさんが
これには 困りました
と言っていたと
どこかで 聞きました
地元に住んでいると
気付けない ことですね
国上山は
良寛さんと
縁が深い
お山です
「五合庵」があるのは
この 山です
〜〜〜
「地元に住んでいると
気付けないこと」
といえば
花火大会も そのひとつ
わたしにとって
「夏の花火大会」
とは
長岡花火(←言わずもがな)
でも
片貝まつり
(↑正四尺玉は
世界最大打ち上げ花火と1985年ギネスに記録)
でも
ありません
約200年続く
「和納十五夜まつり」
そのまつりの夜のイベント
豊作祈願の
「草花火」
これが
わたしにとっての
「花火大会」
でした
「ロン」 より 「ツモ」
「論」 より 「映像」
どうか 2分間の動画ですので
ちょびっと ご覧ください
子ども時代のわたしは
この「草花火」が
全国あちこちで 行われているものだと
思い込んでいました
はははは
数年前
幼い頃の 娘たちを 連れて
この 花火を見せてあげたとき
ふたりとも
びっくりしていましたね 笑
ただ この花火
見学できるスペースが
とっても とっても 狭いので
あまり 有名になってほしくない 笑
そんなの 長岡花火だけで 十分です
ということで
この花火大会のこと
あなただけに
お知らせしました
内緒
ですよ? 笑
〜〜〜
ここは
三社神社(さんしゃ神社)
という 社です
昔は
「八幡神社」 と 言われていたそうですが
明治に
3つの社 を 合わせ
三社神社
と したそうです
とはいっても
もともとから
3社が 一緒
だったそうですから
その 鳥居は
特徴的です
3つの鳥居が
「合体」しているかのようです
これも
住んでいるときには
珍しいものとは
想っていませんでした

山を眺めた わたしの 胸は
この 三社神社へ 向かっていたのです
途中
「西川」
(↑かつては新潟と長岡の間を 船運の動脈だった川)
にかかる
橋を 渡っておりましたら
知らない 男性から
「こんにちは〜」
と 挨拶されました
先週の 盛岡のアイーナ8階といい
最近 知らない男性から
挨拶される
わたし… 笑
これって
ひょっとして
モテ期?
笑

ゴールデンウィークに 帰省したときにも
散歩を しました
あの時は
田植え
真っ最中でしたが
今は
稲刈り
が
ちょうど
終わらんとするとき
稲を刈った
あの薫りが
歩く わたしの 身体に
入ってきます
…
いま 歩いている道は
小中学校時代
よく 歩いた道です
そして その後
歩くことを
避けていた 道です
子ども時代を
おもいだすと
つらくなるので
避けていた
道
と
薫りです

あの頃の 切ない気持ちを
想い出さないわけではありません
ですが
その 感情を
いまは 落ち着いて
感じ
受け止める
ことが
できるようです

三社神社の 境内には
生きているのが 不思議な
姿をしている
大木が あります
『落雷によるもの』
と 聞いた気がしますが
どうなのでしょう?
ただ
この 大木にしてみれば
自分が
どう 見られ
どう 思われるのか
など
どうでもよく
ただ
生かされ
生きている
" だけ " のように
想えます
そんな 姿に
いまの わたしには
見え
そして
美しい と
想えるのです

…
しばらく
境内の中に いました
すっかり 過疎化 しているのか
とても 好い天気 なのに
だーれも いません
子どものときには 考えられないことです
しばらく ここに
佇んで いました
『… 実は いい 神社なんだな…」
と
いつの間にか
感じていました

…
神社を あとにし
また 道を
胸が 引かれる方向へ
歩き始めました
「昔は お店だった」
という 建物 ばかりです
そこを
10〜15歳のころ
ただ下を向いて
歩いていた わたしが
50を超えて
周囲を見渡しながら
歩いています
胸は
懐かしい お寺へ
向かっていました

この お寺に向かい
右に曲がると
通っていた小学校が ありました
(木造でした 現在はありません)
まっすぐ進むと
中学校に 通じます
どちらも
子ども時代の 当時
行きたくない気持ちを
感じないように しながら
進んだものです
…
自分の感情を 麻痺させている
患者さんに 最近よく 出会いますが
その 感覚
わたしは よく わかるつもりです
本当の 自分の 気持ちに
いつか 気づかなくては いけないのですが
それに 気づくことは
とても
怖いものです
散歩をしている
このときの わたしも
道を 引き返したい
感情を 抱きました
ですが
進みました
右へ
進みました
途中
強い
めまい
を
感じました
胸も
締め付け
られました
苦しかったです
それでも
足を 止めず
でも
足を 早めず
そこに
小学校時代の わたし
が
いるかのように
" 一緒に "
歩く
かのように
歩きました
そして
" それ "
を
" 抜け " ました
…
気づくと
胸は
もう
どこにも
引かれませんでした
…
実家へ
足を 向けました
〜〜〜
いろいろ あった
この 土地 ですが
苦しみは
学校や
家庭など
人の中で
いつも 生まれていました
勝手に
ここ を
人 を
家庭 を
避けて
いましたが
こうして 歩くことで
気持ちが
変化していました
…
この 土地 には
山 があり
田 が広がり
祈りの場 があり
ときに
火花 が舞い
いびつな 大木が
いびつなまま
ただ
まっすぐ
生きている
…
この 土地 に
わたし は
『愛されていたのかも…』
しれないと
想うのでした
帰省した
ある日 の
ある朝
そんな
散歩を
しました