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そういえば、歩きスマホをしなくなった。


    気づけば、歩きスマホをしなくなっていた。


    以前の私は、
    歩き慣れた道ほどスマホを見ていた。


    家から駅までの道。

    綺麗に整備され、人通りも少ない。
    障害物のないまっすぐな道。

    寄り道したくなるようなお店が並んでいるわけでもないし、東京みたいに芸能人とすれ違うこともない。


    だから、なんとなく退屈だった。


    特に用事があるわけでもないのにスマホを見る。SNSを開いて閉じて、また別のSNSを開いて閉じる。

    天気予報を開いて「今日は一日晴れマークやな。」と空を見上げることもなく歩いていた。


    横断歩道の信号待ちも同じ。

    少しの待ち時間が妙に長く感じて、
    退屈で、
    またなんとなくスマホを見る。

    誰かのランチ。

    誰かの旅行。

    誰かの炎上。


    炎上ニュースなんて見ても疲れるだけとわかっているのに、「なんで燃えてるんやろ」とついつい覗いてしまう。


    「大変な世の中になったなぁ、、、」


    勝手に疲れて顔を上げると、
    信号はとっくに青だった。


    そんな私が、歩きスマホをしなくなった理由に「たぶんこれだな」と思い当たることがある。


    それは、一年ほど前に
    カメラを買い替えたことだ。


    元々カメラは持っていたが、
    気軽に誘えるカメラ仲間がいなかったのと、一人で撮影してもカメラを使いこなせず思うような写真が撮れなかったこともあり、みるみる出番が減っていった。

    気づけばクローゼットの中の収納ボックスで眠ったままだった。


    それから数年。

    引っ越しして、転職して、結婚して。

    少しずつ生活が変わっていく中で
    ふと、「また写真撮りたいなぁ」
    と思うようになった。

    あれこれ調べて自分に合うカメラを探し、
    これだ!と思える一台に出会った。


    それからというもの、
    写真を撮ることを理由に近くの海まで散歩をしたり、コンビニまでの道をわざわざ遠回りしてみたり、一駅分歩いたりするようになった。


    絶景でもなんでもないけれど、
    同じ道でも時間や季節によってまるでちがう。


    いつもの駅までの道。


    早起きした朝には、
    太陽に向かってやわらかく咲く
    小さな花を見つける。

    「朝が得意そうでうらやましいですぅ」

    そんなくだらないことを考えながら歩く。


    お昼過ぎに同じ場所を通ると、
    その花は直射日光を浴びすぎたのか、
    心配になるくらいシワシワになっていた。


    またある日は、

    自転車で保育園へ急ぐ親子の姿がある。

    お父さんが一生懸命ペダルを漕ぎ、その後ろでは子どもが足をバタバタと動かしている。

    ふたりで一緒に頑張っているように見えて、静かに応援した。


    古民家の庭にある倉庫のトタン屋根の上では、猫が気持ちよさそうに寝ている。

    さっきまでとは違う、
    ゆったりとした時間が流れていた。


    電車の走る音が聞こえてきて視線を移すと、建物の隙間からオレンジ色の車両が見えた。

    少しだけ得をしたような気分になった。


    また別の日、

    正面から歩いてくる女性の姿がある。

    このままだとぶつかってしまうので、早めによけておこうと思い私は左にずれようとした。

    すると、同じタイミングで向こうの女性もずれようとしているのが見えたので、私は慌てて元の位置に戻る。

    知らない人と、
    ちょっとだけ同じステップを踏んだ。


    誰かに話すほどでもない、
    小さな出来事。

    でもそんな発見が案外たのしかったりする。


    そして、その時間をたのしむ気持ちは
    カメラを持ち歩いていない日も同じだった。


    だから私は今日も顔をあげて歩く。


    変わっていく景色をたのしむためでもあるし、

    いつの間にかできた
    首のシワを伸ばすためでもある。




     
     
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