
不測の事態に備える-すべては想像力の問題だ
先日、「生まれて初めての体験」をした。半世紀生きていてもまだ"初めて”に出会えることが愉快だし、その響きにワクワクする。とはいえ、事が無事に済んだからこんな風に言えるわけで、それが決まってからその当日まではそのことで頭がいっぱい、隙あらばそれについて検索し、何度も脳内シミュレーションを重ね、日が近くなってくると考えるだけで動悸がしたり吐き気がしたりと落ち着かない日々を過ごした。
初めてのこと、それは【一人で飛行機に乗る】だ。
拍子抜けであろう。どんな大層なことかと思えばこれである。 でも、多くの人が当たり前にこなしていることを私は人生半ばにして初めて体験したのである。これは冒険である。
実家は新幹線の距離なので、年に2回は必ず新幹線に乗るしチケットの取り方も熟知している。なんのストレスもなく新幹線に乗って実家に帰り、東京に帰る。
ところが飛行機となると勝手が違う。
まずチケットを取るところからわからない。早割とか○○割とかいろいろあってわからない。往復なのか片道なのか、安いのか高いのかもわからない。このチケットを買ってしまってよいのか、お客様〜こちらのチケットは〜などと声をかけられてしまうのではないかと不安になる。
そして空港が広い。第一ターミナルとか第二ターミナルとか国内とか国際とかいっぱいあって広い。電車で空港に着いてから、あの航空会社別になっているロビーみたいな場所にちゃんと辿り着けるのかがとんでもなく不安だ。
◯分前までに保安検査場を〜とか言うのもドキドキする。少しでも不安要素を減らそうと『絶対に荷物は預けない』と決めていたため、機内に持ち込めるものは調べに調べまくったが、キンコンキンコン鳴って「お客様〜」と声をかけられたら固まってしまう。
そして保安検査場を無事に通り抜けた後、搭乗ゲートというものに間違わず辿り着けるのだろうか。搭乗ゲートまでがこれまた広い。動く歩道があるくらい当然広い。間違わずに、時間に間に合うように辿り着けるのか。そして違うゲート周辺の椅子に座ってしまって、搭乗アナウンスに気づかなかったりしたらどうしよう。搭乗ゲートでQR が反応しなくてお客様〜となったらどうしよう。
機内に無事に入れたとして、席を間違わずに座れるだろうか。先に座っている人に「ちょっとすみません」としっかりと声をかけられるのか、荷物を上に入れようとしたら他の人の荷物がいっぱいで入らず、空き場所を探してあたふたする羽目になったら多分泣いてしまうよ。
と、「一人で乗る」と決まった瞬間に一気にこれだけの不安要素が湧き上がってくるのである。
そう、飛行機が怖い・離着陸が怖いという話ではなく、乗るまでの様々な移動や手続きをスムーズにこなせるかどうかが最大のネガティブポイントなのだ。飛んでしまえばもう何も心配はないのだ。
ちなみに、目的地に着いてからのことは何も不安に感じなかった。無事に降りられればこっちのものなのだ。お客様〜と声をかけられてもにこやかにあら!すみません〜!と応えられるだろう。
そう考えると、私が一番不安で恐怖を感じるのは「不測の事態が起きて決まっている時間に間に合わない」ということなのだな、とわかる。
新幹線ならそんなことは思わない。間に合わなかったとしても、チケット取り直せばいいや(もったいないけど)と切り替えられるだろう。チケットを買い替える場所もわかっている。誰に相談すべきなのかもわかっている。
なのでもう少し整理すると、
「勝手のわからない場所で・不測の事態が起きて・決まっている時間に間に合わなくて・パニックになる」
が不安の基なのだ。さらに言えば、
「勝手のわからない場所で・不測の事態が起きて・決まっている時間に間に合わなくて・パニックになり、その結果多くの人に迷惑をかける」
が何よりの恐怖であり、それを回避することが旅の成否を決めるのだ。不測の事態に備えることが何よりも大事だ。
飛行機に乗ったことはある。旅行や遠征で何度も乗った。いつも誰かが一緒にチケットを取ってくれて、空港のわかりやすいところで待ち合わせをして、誰かについて歩いていれば自動的に機上の人になれていたのだ。
私は今までの甘えていた自分をおおいに恥じた! 今日から私は変わるのだ!一人で何でもできる真の大人になるのだ!
と、鼻息荒く迎えた当日の朝、緊張でガチガチの心は「送っていくよ」の家人の一言でだいぶ軟化した。出鼻をくじかれた、の逆である。予定があるって言ってたじゃん…! 「時間変更したから行けるよ」。涙。ありがたい。 一人で何でもできる大人になるのだ!という決意をサッサと放り出して甘えられるときは甘えさせていただく!に上書きをする。とりあえずよかった。まず不安が一つ取り除かれた。
そして、車の中で不安要素をポロポロと吐き出していくと「席、窓際なんでしょ?だったら通路側の人より先に搭乗するから声かけとか荷物とか心配しなくていいよ」と福音がもたらされた。グループ2とかグループ4とか、今まで何のために何の基準で分けられているのかも考えたことがなかったのである。無知!これは無知の無知である! しかしまさに今無知の知となり、この旅を通して知の知へと変化していくのだ!
もっと早く相談していればよかったよ…と反省しつつも、どんどん不安要素が消えていくことに安堵する。乗り物では絶対に窓際に座る私の習性を熟知している家人に感謝する。
様々な不安を回避するための最善策として、搭乗の2時間前には空港に着く予定で動いていた。そして車で来たので更に余白時間が多くなった。勝ちが見えてきた。 まずは落ち着いてお茶でも飲みましょう。そして最終のシミュレーションを、と考えつつ、旅の目的地である札幌にいる友人に連絡をした。札幌在住の長年の友人と札幌観光を楽しみ、美味しいお酒を飲み、翌日は我々の青春である漫画作品を題材にした舞台を観るのだ。
お茶とホットドックで緊張の糸を緩めている私に届いたのは、友人がその日の朝に腰を痛めてしまい旅の予定は白紙になりますというお知らせであった。
さぁ、パニックの始まりです。ここまで来て今更キャンセルはできない。なんで今私は空港でホットドックを食べてケチャップで口の周りをベタベタにしているんだっけ?えーと?meは?何しに?札幌へ?
とりあえず一服…と縋るように喫煙所を求めるも、煙草を持っていないことに気づく。今朝出がけに最後の一本を吸ったんだった。どこかで買おうと思っていた。コンビニ、無い。そうここは空港。どこかには売っているのだろうが、見当すらつかない。この時点で半泣きである。
その辺にあったソファに座る。落ち着け。
もしかしたら旅行が中止になるかもしれないという予感のようなものはあった、と思い返す。文面から匂い立つ空気でなんとなく察するものはあった。中止を申し出なかったのは、楽しく旅行ができますようにと望みをかけていただけだ。
オーケイ、大丈夫だ。(突然あふれ出すハルキストの血)
発想の転換だ。生まれて初めての一人旅!何も予定の決まっていない、時間の制約もない一人旅! 好きな時に好きなものを食べ、好きな時に煙草を吸い、ホテルに帰りたくなったら帰れる。行きたいところに行ける。とんでもなく自由な時間を、私は今手に入れたのだ。扉が開いたような解放感。
だからと言って、ノープランで北の大地に降り立つのは無防備すぎる。まずは着いたら空港でラーメンを食べよう。そしてなんとなくの方向性を決めよう。その後のことはその後のこと。良い面だけをみて、良いことだけを考えるようにすれば、何も怖くない、悪いことが起きたら、その時点でまた考えればいいと村上春樹も言っている、そうしよう。そうしよう。
…という出来事があり、考えたり悩んだりしながら歩いたり座ったりトイレに行ったりしていたら、いつの間にか保安検査場を抜け、搭乗ゲート前の椅子に座っていた。早めのグループで呼び出されて軽々とQRを通し、旅慣れた雑駁な雰囲気を醸しながら機内に入り、何事もなく荷物を収納し、席についてシートベルトを締め、イヤホンを着用して気づいた。
『何の問題もなくすべてクリアした』
新しい大き目の不安要素が登場して、それまで脳みそに詰まっていた些末な不安はあっという間にどこかに飛んでいた。杞憂。考えすぎ。今となっては何をそんなに不安がっていたのかと不思議になるくらいだ。しかし、不測の事態に備えるために延々と繰り返してきたシミュレーションのおかげで「友人の体調不良」という不測の事態にも慌てずほぼ無意識ですべての工程をクリアできたのだと思うと、考えすぎの自分も褒めてあげたくなるというものである。
札幌についてからは予定通り空港でラーメンを食べ、思い立って途中下車をし行きたかった場所に行ったり、伸び伸びと旅行を楽しんだ。友人も痛い腰を抱えて会いに来てくれて夕食を一緒にできたのが嬉しかった。次の日も行きたかった美術館に行ったり、友人と昼食を共にできて、もともとの目的である舞台を堪能したりと満喫できた。
遅い時間の飛行機を予約していたため、空港でゆっくりとスープカレーを食べ、ゆっくりとおみやげを選び、出発1時間前には保安検査場を通った。もはや何の不安もない。私は「一人で飛行機に乗る」 ミッションを無事にクリアし、習得したのである。
考えすぎる自分も悪くないし、いろいろ考えすぎたおかげでうまく回ることもある。不測の事態が起きても案外うまく立ち回って楽しむことができるのだ、と初めての経験とともに新しい自分も発見した札幌道中であった。
困ったときに脳内でアドバイスをくれるのは村上春樹さんだったということも発見である。血肉になっている。