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自己紹介 〜ひかりのはしっこで生きてきた〜追記:2026.8.12

    24歳で結婚し、1男1女の母になりました。
    年子での育児は大変だったけれど、私なりに一生懸命やってきました。
    けれど、性格の不一致から、31歳で子どもたちを連れて離婚。
    実家に戻るしか道がありませんでした。

    ところが、待っていたのは“安心”ではなく、“地獄”のような日々。
    毒母は毎日私をなじり、「今日で3ヶ月目だ!早く出て行け!」と指折り数えては責めたてる。
    なのに、いざ出ようとすると「どこに行く気だ?」と止める。
    まさにダブルスタンダード。

    毒父は怒りの沸点が低く、すぐに手が出る人。
    小さな子どもたちと私を数十分にわたって投げ飛ばし、私は玄関の段差に落ち、身体中青あざだらけ。
    毒母はその光景を腕を組んで黙って見ているだけ。
    「お父さんが怒ったら怖いんだから」と言うだけで、助けようとしませんでした。
    可愛い孫までが投げ飛ばされるなんて――。
    本当に狂っていました。

    そんな生活が7年も続きました。まさに、地獄。

    やがて毒父が病で他界。
    その後、38歳のとき――奇跡のように、再婚することができました。
    お相手は初婚。いきなり2人の子どもの父親になりました。
    やっと、「安心できる居場所」ができたのです。

    ですが、不思議なことに、その“安心”ができた途端、私の中で何かが決壊しました。
    封じ込めてきた心の膿が、一気にあふれ出してきたのです。

    PTSDの発症でした。

    眠れず、食べられず、涙が止まらない。
    心療内科、カウンセリング、AC(アダルトチルドレン)としての治療が始まりました。
    本当に、しんどかった。

    今も通院と服薬を続けながら、少しずつ快復へ向かっています。
    けれど、毎年やってくる『母の日』は、いまだに一番つらく、悲しい時期。
    「この世から母の日なんて消えてくれ!」と叫びたくなる。
    思い出したくもない、あの毒母を。

    毒母、毒妹とは完全に絶縁しました。
    介護施設に入っているらしい毒母の世話は、毒妹に任せています。
    あちらからの連絡もなく、私からするつもりもありません。

    それでも今は、だいぶ落ち着いて暮らせるようになりました。
    ありがたいことです。


    自分を取り戻すことは、時間がかかる。
    だけど、絶対に不可能ではない。

    私は今、ここにいます。
    “ひかりのはしっこ”で、確かに生きています。

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    追記:2026.8.12
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