
赤猫福の金融コラム にゃあの投資雑誌の読み方 ──雑誌は、半年寝かせると答え合わせができる
本屋の棚の前で

本屋に行くとね、投資の雑誌が何冊も並んでるにゃ。
表紙はどれも威勢がいい。「○万円時代!」「今が買いの株」「プロが選ぶ最強銘柄」。背表紙がずらっと並ぶと、棚そのものがちょっと興奮しているみたいに見える。
にゃあは、その前でいつも少し立ち止まる。手に取るのは、たいてい一冊。でも、頭の中ではもう一つ別のことを考えているにゃ。
──この号、半年経ったらどう見えるんだろう。
最新号は「予言」でできている

投資雑誌の表紙は、ほとんどが未来の話でできているにゃ。
「これから上がる」「今年はこうなる」「春以降はこう動く」。買う人は、その予言を未来に向けて読む。だから最新号がいちばん売れる。いちばん新しい予言が、いちばん価値があるように見えるからにゃ。
でも、予言には困ったところがある。買った瞬間には、当たっているかどうか分からないことにゃ。
「今が買い」と言われても、それが正しかったのかは、しばらく経たないと採点できない。最新号は、答えのないテストみたいなものなんだにゃ。
半年、寝かせてみる

そこで、にゃあの考え。
雑誌は、半年寝かせると答え合わせができる。
買った号をすぐ捨てずに、棚の隅にでも残しておく。半年経ってから、もう一度開く。すると、あのとき威勢よく並んでいた予言たちが、現実とどれくらいズレたか、ぴたりと採点できるようになるにゃ。
過去の号をわざわざ買い戻す必要はない。図書館にバックナンバーが置いてあることもあるし、なんなら「あの頃こんな見出しを見たなあ」という記憶だけでも、今の数字と照らせば充分にゃ。
大事なのは、最新号を予言として消費して終わりにせず、少し時間を置いて、結果と並べてみることにゃ。
たとえば、こんな号があったら

具体的に想像してみるにゃ。これは特定のどこかの雑誌の話じゃなくて、よくありそうな見出しの、たとえ話。
ある年の冬。表紙にこう書いてある雑誌があったとする。
「日経平均、○万円は高すぎない」「来年は△万円も視野」
そして同じ頃、為替のページにはこうある。
「春以降は円高に転換か」
しかも、ただの勘じゃない。「日米の金利差が縮まるから」と、もっともらしい理由まで添えてあったとするにゃ。なるほど、と思わず頷きたくなるやつ。
さあ、寝かせて答え合わせをするにゃ。
株のほうは──当たることもある。実際、この一年ほどの日本株は、ぐんと水準を上げた。「高すぎない」「もっと上も視野」という強気の見立ては、方向としては当たっていた、ということになるにゃ。
ところが為替のほうは、しばしば逆を行く。「春から円高」と言われた、その春に、円はむしろ安いほうへ進んでいたりする。円高どころか、誰も身構えていなかったような円安が進んだことになるにゃ。あんなに筋の通っていた「金利差が縮まるから」という理由は、どこへ行ったんだろう。
同じ一冊の中で、当たった予言と、外れた予言が、仲良く並んでいる。これが、寝かせてみないと見えない景色なんだにゃ。
にゃあ式・答え合わせの四つの手

ここから、にゃあがやっている読み方を整理しておくにゃ。
一つめ。最新号を、答えのないテストだと思う。
威勢のいい予言は、買った時点ではまだ採点できない。「これは未来の宿題だ」と思って、棚に置いておく。すぐに信じ込まないこと。
二つめ。方向と理由を、分けて読む。
これが、にゃあがいちばん大事だと思っている手にゃ。
さっきの例を思い出してほしい。株が上がるという結論は当たった。でも、その理由として書いてあった「円高」のほうは外れた。実際には、まるで逆の動きが株高を支えていた。
つまり、結論が当たっていても、理由まで当たっているとは限らないにゃ。そしていちばん怖いのは、外れた予言じゃない。正しい結論・間違った理由のほうにゃ。
人は、結果が当たると「自分の読み筋も正しかった」と思い込んでしまう。でも、たまたま別の力で当たっただけかもしれない。その思い込みを抱えたまま、次に同じ理屈を使うと、今度こそつまずく。
だから、○か×かだけで採点しないこと。「なぜそう動いたのか」を、結論とは別に、もう一度確かめるにゃ。
三つめ。雑誌の「気分」を覚えておく。
号ごとに、表紙が強気だったか、弱気だったかを、ざっくり覚えておくにゃ。何冊か並べると、面白いことに気づく。
雑誌の気分は、相場のムードに半歩遅れて揺れているにゃ。
威勢よく「もっと上だ」と煽っている号が出たあとに、するっと下がったりする。逆に、「もう守りに入ろう」「老後に備えよう」と、いちばん縮こまった号が出た頃が、振り返ってみると、ちょうど底だったりする。
雑誌は、未来を映す鏡というより、今の空気を映す鏡なんだにゃ。
だから時々、わざと逆から読むと、景色が変わる。
四つめ。同じ特集が、何回まわってくるか数える。
何冊か並べると、これも見えてくる。「高配当」「大化け株」「割安株」──同じテーマが、手を変え品を変え、繰り返し出てくるにゃ。
毎号フレッシュに見える特集が、実は定番の使いまわしだと気づくと、ちょっと冷静になれる。「今月の新発見!」に見えたものが、去年の同じ月にもあったんだ、と。
雑誌が悪いわけじゃない、けれど

念のため言っておくとね、にゃあは投資雑誌が嫌いなわけじゃないにゃ。
むしろ好きで、ときどき読む。プロのまとまった解説は勉強になるし、知らない会社に出会うきっかけにもなる。棚の前のあのちょっとした高揚感も、嫌いじゃない。
ただ、雑誌は「最新号を予言として消費する」だけだと、いちばん美味しいところを食べ逃すと思うんだにゃ。少し置いて読み返して、はじめて「この書き手は、時間に耐えることを言っていたか」が分かる。
予言として読むと、雑誌は当たり外れのギャンブルになる。
教材として読むと、雑誌は何度でも学べる先生になる。
同じ一冊でも、読み返し方ひとつで、まるで違う顔になるにゃ。
今日からできること
最後に、今日からできることをひとつ。
次に投資雑誌を一冊買ったら、読み終わってもすぐ手放さないこと。棚のどこかに残しておくにゃ。
毎号を律儀に追わなくていいにゃ。たまに買った一冊でいいし、なんなら立ち読みで見た見出しの記憶だけでもいい。大事なのは「あとで照らし合わせる」と決めておくことにゃ。
そして時間が経って、ふと思い出したら、もう一度開いてみる。あのとき威勢よく並んでいた予言が、現実とどう交わったか。当たったのか、外れたのか。当たったとしたら、理由まで合っていたのか。
その答え合わせの時間が、たぶん、最新号を一冊買うより、ずっと投資の役に立つにゃ。
にゃあのしっぽ

正直に言うとね、にゃあも毎号買っているわけじゃないにゃ。
棚の前は好きだけど、全部に手を出していたらキリがない。だから、配当が振り込まれる季節——ああ今年もこのくらいか、と通帳を見るような時期に、「そういえば、あのとき威勢よく言われていたことは、どうなったかにゃ」と、確かめのために手に取るくらい。
年に何度か、それで充分なんだにゃ。ズボラでいい。思い出したときに照らす。それだけで、雑誌はちゃんと先生になってくれるにゃ。
雑誌も、予想も、誰かの言葉も、最後は自分の物差しで測るものにゃ。このコラムも、にゃあの読み方の一例として、棚の隅にでも置いてもらえたらうれしいにゃ。
(このコラムは、にゃあの読み方をおすそ分けしたものにゃ。どの株を買うか売るかを勧めるものじゃないから、最後はどうか、あなた自身の物差しで決めてにゃ。写真はAIに手伝ってもらって作ったにゃ。)