
パンドラの箱(ギリシャ神話)──底に残ったものに、まだ名前がない。(寓話で読み解く株式投資 #147)
プロローグ 知らない子どもが、笑っていた

田舎に越してきてから、ずっと開けないでいた段ボールがある。
引っ越しのとき、ガムテープを貼ったまま積んでおいた。急いでいたわけでもない。ただなんとなく、後でいいと思っていた。後で、後で、と言っているうちに季節がいくつか変わり、その箱はいつのまにか部屋の隅の風景になっていた。
ある日、ふと開けてみた。
出てきたのは、小さい頃の写真だった。
知らない子どもが笑っている、と一瞬思った。よく見れば自分だった。株式投資を始める前の、何も知らなかったころの私。損益という言葉も、決算という言葉も、まだ自分のものになっていなかった時代の顔が、そこにあった。
開けてはいけない箱だったのかしら、とちょっと思った。
でもパンドラだって、きっと同じことを思ったはずだ。開けた後で。
第一章 贈り物には、名前がなかった

春というのは、油断を連れてくる。
にゃあも知っている。縁側の陽だまりがやわらかくなるころ、猫というものはいつもより深く眠り、いつもより遠くへ歩いていってしまう。足元に気をつけろ、と誰かが言っても、もう耳には届かない。ぽかぽかとした空気が、あらゆる警戒心をゆっくりと溶かしてしまうからだ。
ギリシャの神話に、パンドラという女性が登場する。
神々の手によって作られた、この世界ではじめての人間の女性。アフロディーテが美しさを、ヘルメスが言葉を、アテナが知恵を、それぞれ贈った。これほど祝福された誕生が、かつてあっただろうか。
ゼウスはその手に、ひとつの箱を持たせた。
「開けてはならない」とだけ言って。
なぜ開けてはいけないのか。中に何が入っているのか。問いに神は答えなかった。ただ箱だけがそこにあった。名前のない何かを渡されたとき、人はそれをどう呼べばいいかわからないまま、とりあえず抱えて歩いていく。
株式市場も、ときおりそういう顔をする。
最初は小さな気配として届く。ニュースの端にある数字として。だれかが何気なく口にした一言として。それが何を意味するのか、まだ誰もわかっていない段階で、市場はいつものように動いている。値はつき、売買は続き、画面の中の数字は今日も呼吸している。
パンドラが箱を抱えたまま、ふつうに歩いていたように。
第二章 開けるな、と言われるほど

禁じられたものには、引力がある。
「開けてはならない」という言葉は、本来であれば箱から人を遠ざけるはずだった。ところが実際には逆に働く。意識するほど、気になる。気になるほど、近づく。パンドラがそうだったように、人というものはおそらく最初から、そういうふうに作られている。
箱の前に立つたびに、彼女は思っただろう。
少しだけなら。ほんの少し、隙間から覗くだけなら。
市場が静かに上がり続けているとき、投資家の心の中でも似たような声が育つ。リスクのことは知っている。分散のことも、長く持つことの意味も、頭では理解している。でもこの上昇が続いている間は、そういった言葉が少しずつ遠くなっていく。暖かい空気の中で、警戒心が眠り始めるように。
大丈夫だ、という感覚は、静かに、しかし確実に人を変える。
ポジションは少しずつ大きくなり、現金は少しずつ薄くなり、気がつけば「もし急落したら」という問いを、自分でも立てなくなっている。立てないのではなく、立てたくなくなっているのだ。箱の前に立つパンドラが、だんだん「開けてはならない理由」より「開けてもいいかもしれない理由」を探し始めるように。
にゃあは思う。
怖いのは、衝動そのものじゃない。衝動を、理屈でくるんでしまえることだ。
あのとき市場には、名前のつかない気配がすでに漂っていた。ニュースは何かを言いかけて、言い切らなかった。数字は小刻みに揺れながら、まだ笑顔を保っていた。それでも多くの人が、箱に手をかけたまま、もう少しだけ待った。
開けるつもりはなかった。ただ、持っていたかっただけだ。
パンドラもそう思っていたはずだ。きっと最後の瞬間まで。
第三章 閉じようとしたが、遅かった

開いた。
その瞬間のことを、うまく言葉にできる人はあまりいない。気がついたら開いていた、という人が多い。昨日までと同じように朝を迎え、同じようにアプリを開いたら、画面の色が違った。数字の向きが違った。世界は昨日と地続きのはずなのに、何かが決定的に変わっていた。
パンドラの箱から飛び出したのは、疫病、嫉妬、貧困、争い。神話はそう語る。次々と、とどまることなく。蓋を閉じようとしても、もう遅かった。
市場のショックも、似た順序で訪れる。
最初の一日は、まだ信じられない。次の日、また下がる。三日目に、誰かが売り始める。通知音は鳴らない。なのに、世界中の誰かが投げ売りをしている地鳴りのようなものが、タイムラインの隙間から漏れ聞こえてくる。パニックというものは感染する。恐怖は、数字よりも速く伝わる。
持っていた銘柄の名前を、そのとき人は違う目で見る。
昨日まで信じていたものが、急に遠くなる。長期で持つつもりだった、と思っていたはずなのに、指は売却ボタンの近くをうろうろし始める。これ以上下がったら、と考え始めたとき、人はすでに「投資家」から「箱の前に立つ人」に戻っている。
にゃあは、嵐のとき外に出ない。
出たところで何もできないし、濡れるだけだ。軒下で丸くなって、音を聞いている。すごい音だな、と思いながら、目を閉じている。嵐は、待てば終わる。終わらない嵐は、今のところない。
神話の続きを言えば、パンドラが慌てて蓋を閉じたとき、箱の中にはまだ何かが残っていた。
エルピス。希望、と訳されることが多い言葉。
なぜ希望だけが、飛び出さずに底に残っていたのか。神話はその理由を語らない。閉じ込められていたのか。逃げ遅れたのか。それとも、最初からそこに置かれていたのか。
大きく下げた日の夜、画面を閉じて、窓の外を見た人がいたとする。
その人の胸の底に残っていたものを、何と呼ぶのが正しいのだろう。
第四章 底に残るということ

箱の底に残ったものを、神話はエルピスと呼ぶ。
希望、と訳されることが多い。でもにゃあは、その訳をいつも少し保留している。希望というのは明るい言葉だ。前を向いている言葉だ。でも、あらゆる災いが飛び出したあとの箱の底に残ったものが、本当にそんなに明るいものだったのだろうか。
ひょっとしたらエルピスは、期待、という意味に近いのかもしれない。あるいは、まだ来ていない何かへの感覚、という意味かもしれない。学者によって訳が揺れるのは、エルピスそのものが揺れているからだと思う。
株式市場が大きく下げた後、底に残るものも、人によって違う。
ある人には怒りが残る。ある人には後悔が残る。ある人には、静かな確信が残る。自分が持っているものが何であるかを、改めて確かめたくなる気持ちが残る。数字が教えてくれない部分を、自分の言葉で言い直したくなる感覚が残る。
それをエルピスと呼んでいいのかどうか、にゃあにはわからない。
ただ、底に何かが残っている人と、何も残っていない人では、嵐の翌朝の過ごし方が違う気がする。何が残っているかは、箱を開けてみなければわからない。でもその何かは、嵐が来る前から、もうそこにあったのだと思う。
あなたの箱の底には、何が残っていただろうか。
名前はまだ、つけなくていい。それでも残っていることだけは、確かだから。
エピローグ にゃあのしっぽ

段ボールはまた、部屋の隅に戻した。
同じ場所に戻したけれど、もう同じ箱ではない気がした。中身は変わっていない。変わったのは、開けた自分のほうだ。写真は見た。それで十分だと思った。開けてよかったのかどうかは、まだわからない。でも開けてしまったことは、もう変わらない。パンドラもきっと、同じ気持ちで蓋を閉じたはずだ。
底に残ったものに、まだ名前をつけていない。つけなくてもいいと、今は思っている。
縁側では、猫さんたちがそれぞれ好きな場所に丸くなっていた。にゃあも、その隅に収まった。しばらくして、しっぽがパタン、パタンと、順番に動いた。
にゃあも今日も、猫さんたちに教わったにゃ。