
note1周年に寄せて|託されたものの話
にゃあがnoteを始めて、ちょうど一年が経った。
寓話を書いて、図鑑を編んで、相場のことを猫の口でしゃべってきた。読んでくれた人へ、まず礼を言いたい。にゃっ。
一周年の記念に、何を書こうかと考えて、結局これにした。にゃあがどうやって、株を持つ猫になったのか。十六年の話を、少しだけ。
十五

最初に始めたのは、株ではなかった。
二つ、同時に積みはじめた。純金積立と、投資信託。十五のころのにゃあが、新聞配達でためたお金を、毎月少しずつ、金と、日興ジャパンオープンという投信に換えていった。当時はオルカンなんてものはなかった。世界中の株にまとめて積むなんて発想は、まだ身近じゃなかった。だからにゃあは、これを保険みたいなつもりで積んでいた。
値が上がったとか下がったとか、そういう話ではなかった。ただ、コツコツと価値を積んでいくことが、面白かった。
そして、これは過去の話ではない。にゃあは今日も、金を積んでいる。月に五千円、ボーナスの月は一万五千円、気が向いたら少し足して。十六年、一度もやめなかった。
今思えば、あれがにゃあの投資のかたちを決めた。一発を当てるのではなく、積むこと。減らさないこと。続けること。十五のにゃあは、それを言葉にはできなかったけれど、手は知っていた。
十七

父さんが亡くなった。
そのとき、にゃあは株を相続した。十銘柄ほど。マクドナルド、双日、ソニー、東京海上、ANA、鉄鋼の会社。小売も、卸売も、化学も、機械も、銀行も、保険も、空運もあった。
当時のにゃあには、その意味がわからなかった。なぜこんなにバラバラなのか。なぜ一つに賭けないのか。
ずっとあとになって気づいた。父さんのその十銘柄は、すでに「日本をいろんな場所で支える会社たち」のかたちをしていた。にゃあがいま「日本がなくしてはいけない会社」と呼んでいるものの、原型がそこにあった。にゃあは哲学を発明したのではない。受け取って、名前をつけただけだった。
相続したうちの一つは、のちにTOBで市場から消えた。持っていた会社が、ある日なくなる。それも投資なのだと、早くに教わった。
お金が「自分で稼ぐもの」から「託されたもの」に変わった。十七の夏のことだった。
短期から、長期へ

それまでのにゃあは、値動きを追っていた。上がれば売り、下がれば買い、画面の中の数字を追いかけていた。
託された株は、そういうふうには扱えなかった。父さんが選んだ会社を、にゃあの都合で売り買いする気になれなかった。だから、持った。ただ、持ち続けた。
鉄鋼の会社には、相続した分に、自分でもう千株を足した。託されたものに、自分の意志を重ねたかった。その株はいまも、派手に儲かってはいない。含み損のときもある。それでも、にゃあのポートフォリオの背骨の一本だ。配当を、静かに運んでくる。
短期売買から長期投資へ。転換点はどこかと聞かれたら、にゃあはこの一銘柄を指す。
コロナ

世界が止まった年があった。
相場は総悲観で、誰もが現金を握りしめていた。ちょうどそのころ、にゃあは保険の満期を迎えた。まとまったお金が、手元に来た。
運だった、と思う。暴落と入金が、たまたま重なった。
けれど、その運を活かせたのは、軸ができていたからだった。怖くて動けない局面で、にゃあは安くなった会社を買いにいった。日本がなくしてはいけない会社が、安く売られている。それなら、買う。十七から積んできた長期の構えが、ここで初めて試されて、初めて報われた。
資産が膨らんだ理由を一つ挙げるなら、ここだ。才能ではない。暴落と、満期と、軸が、たまたま同じ場所で噛み合った。
母さん

それから、母さんも亡くなった。
父さんのときとは、受け止め方が違った。喪うことに、少しだけ慣れたのではない。続けることの意味が、前より分かるようになっていた。
会社は続く。配当は来る。にゃあがどれだけ揺れても、持っている会社たちは、明日も日本のどこかで動いている。それが、喪失のなかでの、静かな手すりになった。
いま

気づけば、保有は三十三業種、四百八十ほどになっていた。
相続した十銘柄が背骨で、残りの四百七十は、にゃあが十六年かけて自分で選んで、自分で足してきたものだ。一銘柄ずつ、業種を埋めるように。日本を、構造で持つように。
そして、いまのにゃあは働いていない。
去年の入院のあと、暮らしは配当と、積立の取り崩しで回している。十五から積んだ投資信託を、毎月少しずつ崩して。四百八十の会社たちが、配当を静かに運んでくる。
不思議なのは、使っているのに、資産の数字だけは膨らんでいくことだ。
崩しても、配当が補い、株価が積み上げる。にゃあが手を止めても、持っている会社たちが、にゃあの代わりに働いている。十六年かけて積んできたものが、こんどはにゃあを支える側に回った。
増やすために積んだのではなかった、と今は思う。続けていたら、いつのまにか、こうなっていた。
そういえば、十五から積みはじめた金は、いま軽自動車が一台買えるくらいになっている。月五千円の、十六年分。無理をした覚えはない。ただ、やめなかっただけだ。
去年

去年、にゃあは入院した。
父さんと、同じ病気だった。
十七のとき、なぜこんなにバラバラなのかと困惑した、あの十銘柄。その意味が、同じ病の床で、ようやく体温を持って分かった。
病床で考えたのは、資産の額ではなかった。にゃあが持ち続けてきた会社たちは、ちゃんと日本に残っていくな、ということだった。父さんが立った場所に、にゃあも立ってみて、託すという言葉の重さが、やっと体でわかった。
十七で受け取ったものの意味が、そこで一周して、還ってきた。
きのう

妹が遊びにきた。
父さんの遺したもの。弟が会社を継いで、妹が家を継いで、にゃあが株を継いだ。
「ねえ、結局いちばん得したの、誰だろうね」
妹が笑って言った。
……たぶん、にゃあかもしれない。当時はいちばん頼りなく見えた、紙きれみたいな株券だったのに。
でも、それは言わないでおく。にゃっ。
にゃあのしっぽ

縁側で、猫さんが日なたに伸びている。
相場のことも、相続のことも、病のことも、この子は何も知らない。ただ、あたたかい場所を見つけて、そこにいる。
にゃあも、たぶん同じだ。難しいことを考えてきたつもりで、やっていたことは単純だった。良い場所を見つけて、そこに居続ける。減らさず、慌てず、続ける。
十五で金と投信を積みはじめた手も、十七で株を受け取った手も、いまポートフォリオを整えている手も、たぶん同じことをしている。
にゃあは今日は、父さんに教わったにゃ。
