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生まれ変わってあなたを待つわ

    あらすじ

    人物を描かないことを貫いてきた風景画家・弓沢晴明は、病に倒れた妻・冬子を前に、長年言葉にも絵にもできなかった想いと向き合うことになる。
    一方、学校にも家庭にも居場所を見失った少女・茜は、海辺のバス停で記憶を失った幽霊さんと出会い、対話を重ねていく。
    さらに、就職活動中の大学生・佐々木小春は、憧れの絵本作家へ一通のファンレターを送る。
    世代も境遇も異なる三つの人生は、やがて数十年という時を越えて、一つの大きな物語へと繋がっていく。

    人物表

    弓沢晴明(79)画家
    弓沢冬子(78)晴明の妻
    倉内穂乃夏(26)弓沢家の家政婦
    日野茜(14)中学生
    幽霊さん(21)バス停の地縛霊
    佐々木小春(22)大学生
    鹿山千尋(23)絵本作家
    店員

    本文

    ○弓沢家・ダイニングキッチン(夜)
    エプロン姿の弓沢冬子(78)が、鍋でビーフシチューをかき混ぜている。
    ビーフシチューの味見をする冬子。
    満足げな表情を浮かべると同時に、咳き込み出す。
    オーブントースター内のバゲットが焼き上がる。
    咳が収まった冬子は、バゲットを皿に盛り付ける。

    ○同・アトリエ(夜)
    弓沢晴明(79)は大きなキャンバスボードに、壮大な雪景の中、二匹の狐が戯れる絵を描いている。
    晴明「……」
    アトリエに冬子が入ってくる。
    冬子「夕御飯、できましたよ」
    晴明「あぁ……」

    ○同・ダイニングキッチン(夜)
    食事を摂る冬子と晴明。
    テーブル上には、二人分のビーフシチューとバゲットが並んでいる。
    冬子「お肉柔らかいでしょう。何時間煮込んだと思う?」
    晴明「どれくらいなんだ?」
    冬子「五時間。パイナップルで漬けておいたお肉をまず赤ワインで煮ておくの」
    晴明「随分手間がかかったんだな」
    冬子「そうでしょ? そしたら柔らかくなるって聞いたから作ったけど、柔らかくなってるだけで、ルウはスーパーのものだしね」
    冬子はバゲットにシチューを乗せて食べる。
    冬子「うん。でもちゃんとおいしい」
    晴明「……」
    冬子「あぁ、そうだった。明日から新しい家政婦さん来るからね。伝えたかしら?」
    晴明「前の……あの人は?」
    冬子「中島さんね。お子さんできたからって、しばらくお休みだって」
    晴明「そうだったのか」
    冬子「次の人には優しくしてあげてよ?」
    晴明「俺は優しく接してるつもりだ」
    冬子「画家やってるってだけで気難しそうって思われるんだし、お父さん口数が少ないんだから、怖がられても仕方ないのよ」
    晴明「……」
    冬子「お父さんからも話しかけてみたらいいじゃない」
    晴明「……」
    冬子「ほら、そうやって黙っちゃって」

    ○海辺のバス停(朝)
    海沿いの道に佇むバス停。
    停留していたバスが発車する。
    バス停の椅子に、制服姿の日野茜(14)が座っている。茜はイヤホンを着けてスマホを見ている。
    茜と二つ間隔を開けた席に、幽霊さん(21)が座っている。
    幽霊さんの姿は一般的な男性と変わらないが、頭部には鉛筆で塗りつぶしたかのような黒い靄があり、顔が見えない。
    茜をじっと見る幽霊さん。
    幽霊さん「……」
    幽霊さんは茜の隣の席に座る。
    幽霊さん「ねぇねぇ、バス行っちゃったよ? 学校行かなくていいの?」
    茜「……」
    幽霊さん「西ヶ丘中学校の生徒さんでしょ? あのさ、野球部の顧問の先生ってどんな人? あの新任っぽいさ、若い人」
    反応を示さない茜に、お構いなしに話しかけ続ける幽霊さん。
    幽霊さん「その先生がさ、たまにこの道を部活で走らせてるのを見かけるんだけど、僕あの人苦手だなぁ。なんか、自分が顧問であることに酔ってる感じがしてさ」
    一方的に話しかける幽霊さん。
    スマホに集中しているフリをする茜。
    幽霊さん「いや、僕の性格が良くないってのはそうなんだけど、あの人なんか、大会で負けたら選手より泣きそうじゃない? そんで、そのあと何を言うかあらかじめ考えてそう。で、逆に、勝ったら勝ったでより厳しくすることがかっこいいと……」
    イヤホンを取り、幽霊さんを見る茜。
    茜には幽霊さんの顔が見えている様子。
    茜「……あの、なんですか?」
    想定外といった様子で驚く幽霊さん。
    幽霊さん「えっ!? ぼ、僕に言ってるの?」
    茜「他に誰がいるんですか。あなたが話しかけてきたんでしょ」
    幽霊さん「(嬉しそうに)僕に言ってるんだね!? 僕に言ってるんだよね!? ハハハッ! そっかそっかぁ!」
    怪訝な表情を浮かべる茜をよそに、笑い出す幽霊さん。
    茜「……なんなんですか?」
    幽霊さん「あ、えっと、ごめんね。久々に人と喋れて、嬉しくなっちゃってさ」
    茜「はぁ……?」
    嬉しそうに咳払いをする幽霊さん。
    幽霊さん「あのね、僕、幽霊なんだ」
    顔を見合わせる二人。
    茜「……」
    幽霊さん「……?」
    リアクションがないことにキョトンとする幽霊さん。
    茜「……あなた、何歳ですか?」
    幽霊さん「えっ? まずそこ?」
    茜「自分に興味を持ってもらうための嘘が幼稚すぎます。自称幽霊のロリコンって、相当キツいですよ。消えてください」
    幽霊さん「いやぁ、消えられるなら僕だってそうしたいところなんだけど……」
    幽霊さんに冷たい目を向ける茜。
    幽霊さん「……いや、普通そうか。そうだよね。信じてもらえないのが普通だよね」
    茜「その次元にも至ってないです。あと、あの先生は新任じゃないです。私が入学する前からいます」
    幽霊さん「えぇ、尚更最悪……」
    茜「とにかく、キショ過ぎるんで話しかけないでください」
    茜がイヤホンを着けようとする。
    幽霊さん「あ、ちょ、ちょっと待って!」
    呆れた目の茜。
    幽霊さん「これ! これ見てよ」
    自身の足元を指差す幽霊さん。
    幽霊さんの足元を見る茜。
    茜「……は?」
    幽霊さんの足元は透けており、足先は視えなくなっている。
    スマホのカメラを幽霊さんに向ける茜。
    幽霊さん「写らないよ」
    写真を撮る茜。
    撮られた写真に幽霊さんの姿はなく、バス停の椅子を写すのみである。
    茜「え、ゆうれいなの……?」
    幽霊さん「ね? 信じてくれた?」

    ○いろは書房・店内(夕)
    リクルートスーツを着た佐々木小春(22)が、気怠そうな目でビジネス書の棚を眺めている。
    棚から、ビジネスマナーの本を一冊手にとる小春。
    小春「はぁ……」
    本をペラペラ捲る小春。
    本を棚に戻そうとした時、棚の向こうに飾られた絵本の販促用ポスターが目に入る。
    ぼーっとした様子でポスターに近づく小春。
    ポスターには『ロレッタとやさしい悪魔』と書かれており、その下には同じタイトルの本が並んでいる。
    小さな悪魔が赤い花を持った表紙で、著者の欄には『しかやまちひろ』と書かれている。
    小春「(M)拝啓、しかやまちひろ様。ぎこちない文章になっていることかと思いますが、どうかお許しください」
    絵本を手に取る小春。
    ゆっくりと絵本を開く。
    小春「(M)私は就職を控えた大学生です。人生で初めて、ファンレターを書いてみようと思いました。偶然手に取った絵本に、心を奪われたこの気持ちを、どうしても言葉にしたくて」

    ○弓沢家・玄関(朝)
    玄関に立つ冬子と、エプロン姿の倉内穂乃夏(26)。
    穂乃夏「カンガルー家事代行サービスから来ました。倉内穂乃夏です」
    冬子「ふふ、聞いてた通りお若い」
    穂乃夏「えっと、大丈夫です! 仕事はキッチリやりますので、ご心配には及びません」
    冬子「あら、そういうつもりじゃないの」
    穂乃夏「あ、すみません……」
    冬子「ふふふっ、お喋りする相手ができて嬉しいわ。家の中を案内するわね」

    ○同・廊下(朝)
    部屋を一つ一つ説明していく冬子。
    冬子に着いていく穂乃夏。
    冬子「ここがお風呂。で、ここがお手洗い。遠慮せず使ってね」
    穂乃夏「ありがとうございます」
    冬子「それでここが……」
    アトリエの扉の前で立ち止まる冬子。
    扉は閉まっている。
    冬子「(小声で)ここがお父さんのアトリエ」
    穂乃夏「アトリエ……」
    冬子「今日は作業してるみたいだけど、いない日はガシガシ掃除してほしいの」
    穂乃夏「えっと……大丈夫なんですか?」
    冬子「大丈夫。その為にお願いしてるんだもの」
    穂乃夏「……?」

    ○同・ダイニングキッチン(朝)
    穂乃夏にキッチンの説明をする冬子。
    冬子はナンプラーの瓶を持っている。
    冬子「で、これはナンプラーね」
    穂乃夏「ナンプラー……」
    冬子「穂乃夏さん、ナンプラーは平気?」
    穂乃夏「いやぁ、苦手です。一回口にしただけですけどトラウマです。あんな匂いのものが料理に合うとは思えないんですよね。そもそもエスニック系全般が無理で……」
    冬子「……?」
    穂乃夏「……すみません。ナンプラー、お好きでした?」
    冬子「ううん。私もお父さんも苦手。お土産でもらったから捨てるのは忍びなくて、処分する理由をつけるために見ないフリして賞味期限切れを待ってるの」
    瓶の裏を見る冬子。
    冬子「まだ一年以上……。これは使わないで」
    瓶をラックに戻す冬子。
    穂乃夏「すみません。いつもこうなんです」
    冬子「いつも?」
    穂乃夏「はい……。家でも独り言が激しいタイプで、思ってること全部言いたくなっちゃうんです。前のお宅では、それで怒られたりなんかして……」
    冬子「フフッ、いいじゃない。遠慮されるよりは全然マシよ」
    穂乃夏「あ、ありがとうございます」
    冬子「まぁ、説明はこんなところかしらね。少しお話しましょ。座って?」
    冬子が椅子に座る。
    机の上には薬が置かれている。
    穂乃夏「失礼します」
    椅子に座る穂乃夏。
    卓上の薬をチラッと見る。
    冬子「無駄に広い家で大変じゃない?」
    穂乃夏「いえいえ。お手伝いし甲斐のあるお宅ですよ。……あ、でも、アトリエがあるお宅は流石に初めてですね」
    冬子「そりゃあそうよ」
    穂乃夏「あの、旦那様は……」
    冬子「あ、お父さんは画家。風景画家なの」
    穂乃夏「風景画家……。風景だけを描いてらっしゃるんですか?」
    冬子「そう。私とお父さんが出会った頃から、もうずーっと。人物は絶対に描かない。お父さんのこだわり」
    冬子は嬉しそうに笑みを浮かべる。
    冬子「お父さんの絵はね、額縁が無くなるの」
    穂乃夏「額縁が?」
    冬子「じーっと見てると、すーっと消えてっちゃうのよ。気付いたら、いつもお父さんの絵の中にいる。お父さんは額縁よりも大きく絵を描ける人なの」
    穂乃夏「それは……上手く想像できませんね」
    冬子「ふふふっ、見たら分かるはず。お掃除の時にでも見てみて」

    ○海辺のバス停(朝)
    停留していたバスが発車する。
    バス停には茜と幽霊さんが座っている。
    幽霊さん「今日もいい天気だねー」
    幽霊さんを無視してスマホを見る茜。
    幽霊さん「ふと思ったんだけど、カタツムリとかからしたら、晴れが悪い天気なのかな。今日も晴れかよ、みたいに思ってるのかな。だとしたら話合わないから大変だなぁ」
    腕を組む幽霊さん。
    幽霊さん「いや、カタツムリに限った話じゃないか。僕は晴れを記号的に良い天気だと思ってるけど、これだけ猛暑だ猛暑だって言われてたら、晴れも悪い天気じゃない? 僕は幽霊だから暑さとか分からないんだけどさ」
    茜を見る幽霊さん。
    幽霊さん「君はいい天気だと思う?」
    茜「他に行くとこないんですか!?」
    痺れを切らした様子の茜。
    幽霊さん「ないんだよ。日中歩き回ってると視えちゃう人を驚かせちゃうからね」
    茜「じゃあ私にも配慮してください」
    幽霊さん「そんな冷たいこと言わないでよ。僕、誰かと話すの六年ぶりとかなんだよ?」
    茜「(呆れた様子で)私には関係ないです」
    幽霊さん「というか君こそ、今日も学校に行かなくていいの?」
    茜「……今日は休みなんです」
    幽霊さん「嘘が下手すぎるって」
    茜「……」
    幽霊さん「僕は人間観察くらいしかやることなかったから、君がどんな事情でここにいるのか、ふわっとは想像つくよ?」
    茜「迷惑な幽霊ですね」
    幽霊さん「わざわざ制服を着てここに来てるってことは、家の人にも言えてないんじゃない?」
    茜「……余計なお世話です」
    幽霊さん「そうかもしれないけどさぁ。じゃあさ、僕に言ってみてよ。何かの縁だと思ってさ」
    茜「……誰かに話すつもりはないです」
    幽霊さん「幽霊に話すんだから、独り言のようなもんでしょ?」
    茜「……」
    幽霊さん「思ってることは一回言葉にしてみるといいよ。僕の経験則」
    得意げな様子の幽霊さん。
    幽霊さんの目をみる茜。
    茜「……独り言?」
    幽霊さん「独り言」
    スマホを制服のポケットに仕舞う茜。

    ○弓沢家・ダイニングキッチン
    ソファに座って眠っている冬子。
    穂乃夏は料理の下準備をしている。
    穂乃夏「……よし」

    ○同・アトリエ
    扉が開きっぱなしのアトリエ。
    中には誰もいない。
    穂乃夏「失礼しまーす……」
    掃除道具を持った穂乃夏、恐る恐るアトリエ内に入る。
    穂乃夏「うわぁ……」
    アトリエ内に飾られた絵を見る穂乃夏。
    枝垂れ桜の並木道が描かれている。
    ハッとする穂乃夏、掃除を始める。

    ○同・ダイニングキッチン
    激しく咳き込み出す冬子。
    机に置かれていた薬を飲み、呼吸を落ち着かせる。

    ○同・アトリエ
    掃除を進める穂乃夏。
    穂乃夏「……ん?」
    壁と棚の隙間に、キャンバスボードが挟まっていることに気づく。
    アトリエの扉の方を見る穂乃夏。人の気配はない。
    挟まっているキャンバスボードを慎重に取り出す穂乃夏、そこに描かれた絵を見る。
    穂乃夏「……えっ?」

    ○アパート葉月荘・202号室・中(夜)
    机に向かって手紙を書いている小春。
    小春「(M)しかやまちひろさんへ。新作の『おやすみスターチス』読ませていただきました」
    机の上にはしかやまちひろが描いた絵本が何冊も置かれており、部屋の隅にはビジネス書が乱雑に置かれている。
    小春「(M)素敵な物語で、どうしたらこんなお話が創れるんだろうと、読みながら何度も不思議な気持ちになりました。私は、しかやまさんの絵に惹かれて絵本を購入したのですが、絵と同じくらい、文章にも心掴まれました」   

    ×××

    部屋着姿の小春。
    ベッドの上で、『おやすみスターチス』を読んでいる。
    小春「(M)伝わりやすい言葉で構成されていながら、読者にそっと話しかけるような優しい語り口調で……。素敵な絵も相まって、気付いたら私自身も絵本の中にいるような感覚になります。まるで夢から覚めたかのような読後感が、たまらなく大好きです。これからも応援しています。敬具」

    ○住宅街(朝)
    リクルートスーツ姿の小春、右手には手紙が入った封筒を持っている。
    小春「(M)P.S.新作に合わせて、『遠い星のカンパネルラ』も購入させていただきました。私の部屋は、しかやまさんの絵でいっぱいになってます」
    手紙をポストに投函する小春。
    小春「へへ……」

    ○海辺のバス停(朝)
    バス停の椅子に座る茜と幽霊さん。
    茜「……だから、私はきっと、家でも学校でも、いてもいなくても同じなんです。私がなにかしても、しなくても、世界は何にも変わらない。私も幽霊みたいなもんです」
    幽霊さん「なるほどね。なるほどなるほど。それを誰にも言ってないと」
    茜「これが初めてです。誰に言ったって、何も変わらないので」
    幽霊さん「伝えてみた方がいいと思うよ? 家族とか、友達とかに」
    茜「意味ないですよ」
    幽霊さん「そっかぁ。まぁそう思うよなぁ」
    透けている足を組む幽霊さん。
    幽霊さん「じゃあ、今度は僕の話を聞いてよ」
    茜「……なんですか?」
    幽霊さん「フフン。これは本で読んだ話なんだけどね、人間の心臓は一生のうち、何回鼓動するか知ってる?」
    茜「え? なんの話ですか?」
    幽霊さん「いいから。知ってる?」
    茜「いや……知らないです」
    幽霊さん「約三十億回って言われてるんだ」
    茜「へー……」
    得意げな様子の幽霊さんとは対照的に、なんの話をされているのか理解できていない様子の茜。
    幽霊さん「じゃあ、人間が一日に発する言葉の数はどれくらいか、知ってる?」
    茜「う、うーん……。千、とか?」
    幽霊さん「残念。もっと多いよ」
    茜「五千? 行きすぎ?」
    幽霊さん「その倍以上。まぁ個人差男女差あるみたいなんだけど、ざっくり一万四千語くらい」
    茜「そんなに喋ってるとは思えない……」
    幽霊さん「人間の一生を仮に百年だとしたら、生涯で話す言葉の数は五億語くらいになる。心臓の鼓動は三十億回」
    茜「あ、でも、そう聞くと少ないですね」
    幽霊さん「そうでしょ? 僕はね、どっちも
    同じものだと思うんだ。言葉も心臓も消耗品。心臓が三十億回しか鼓動できないみたいに、一生の内に伝えられる言葉の数は限られてるんだよ」
    俯く幽霊さん。
    幽霊さん「世の中、どうでもいいことばっかでしょ? 画面越しでしか見ないような人のスキャンダルだとか、瞬間的に消費される流行だとか、言ってしまえば遠い誰かの不幸だなんて、僕にとってはどうでもいいんだ。ただ、愛する人に愛を伝えるだけの言葉以外、本当は全部必要なかったんだ」
    幽霊さんの話を黙って聞いている茜。
    幽霊さん「どうでもいいことで限りある言葉を消費して、大切なことが言えなかったことに気づく。全てが手遅れになった頃に」
    ハッとした様子の幽霊さん。
    顔を上げて茜を見る。
    幽霊さん「ごめんね。急に色々言い過ぎちゃった。まぁ僕が言いたかったのは、思ってることはちゃんと言葉にして伝えないと、僕みたいになっちゃうよ?」
    寂しげな幽霊さん。
    幽霊さんを見て、思い立ったかのように立ち上がる茜。
    幽霊さん「どっちに行くの?」
    茜「……家に帰ります」
    幽霊さん「うん。そうした方がいい」
    茜「すみません。ありがとうございます」
    幽霊さん「ハハッ、お礼を言われるようなことなんてしてないよ」
    茜「……一つ、聞いてもいいですか?」
    幽霊さん「なんだい?」
    茜「あなたは幽霊になる前、どんな人だったんですか?」
    幽霊さん「どんな人だったか、ねぇ」
    諦めたような笑みを浮かべる幽霊さん。
    幽霊さん「それがねぇ、思い出せないんだよ」
    茜「思い出せない?」
    幽霊さん「名前も、自分の顔も、なんでここにいるのかも、何を忘れてしまったのかも」
    一本ずつ指を立てて数える幽霊さん。
    幽霊さん「なーんにも分からないから、僕はいつまでも成仏できずにいるんだよ」

    ○弓沢家・ダイニングキッチン(夕)
    椅子に座る冬子。
    荷物をまとめ、立っている穂乃夏。
    穂乃夏「今日はここまでになりますが、何か気になることはありますか?」
    ニコニコと穂乃夏を見る冬子。
    冬子「お父さんの絵、見た?」
    穂乃夏「あっ、拝見しましたよ! すごかったです!」
    冬子「ふふっ、そうでしょう?」
    穂乃夏「時間が止まったように感じました。なんていうか、絵に飲み込まれてるみたいになって……」
    冬子「そりゃあそうよ。何十年と見てる私ですら、未だにうっとりしちゃうんだもの」
    得意げな様子の冬子。
    穂乃夏「そうだ……それで思い出したんですけど、旦那様は風景を描くことにこだわっているんですよね?」
    冬子「そうよ? 風景一筋」
    穂乃夏「あの、実はアトリエで……」
    冬子「あっ」
    穂乃夏の言葉を遮るように、自身の口元に指を立てる冬子。
    キョトンとする穂乃夏。
    冬子「アトリエの中の話は聞かないようにしてるの」
    穂乃夏「えっと……どうしてですか?」
    冬子「……聞いてくれる?」
    穂乃夏に座るように促す冬子。
    椅子に座る穂乃夏。
    冬子「お父さん、静かな人でしょ?」
    穂乃夏「はい……」
    冬子「お父さんとは美術学校で出会ったんだけど、その時からずっと変わらない。静かな人なの」
    穂乃夏「奥様も絵を描かれるんですか?」
    冬子「昔はね? 反対されても美術学校に行きたい! って思うくらいには絵を描くことが好きだったんだけど、お父さんの絵を見て挫折しちゃった」
    冬子は懐かしむように笑みを浮かべる。
    冬子「だから最初は嫌いだったの。口数少なくて、退屈で、加えて愛想も悪いこんな人が、なんでこんな素敵な絵を描けるんだって思ってたわ」
    穂乃夏「そう思ってた人が、こんな長く連れ添う人になるなんて、ビックリですね」
    冬子「本当にそう。でもね、最初は嫌いだったんだけど、しばらく経ってから気付いたの。この人はただ口下手なだけなんだって」
    嬉しそうに笑う冬子。
    冬子「不器用で、言葉にするのが苦手な分、絵に全部をぶつけてるんだって分かってから、もう途端に見え方が変わっちゃって、気付いたらお互い皺だらけ」
    穂乃夏「私には、なかなか不器用な方には見えないんですけどね……」
    冬子「怖がられちゃって、損な性格よね。学生だった頃に、お父さんに絵を教えてもらう機会があったの。そしたらあの人、教えるのがもう下手で下手で、本当におかしかった。楽しい時間だった」
    咳をする冬子。
    穂乃夏「大丈夫ですか?」
    冬子「……うん、大丈夫。……そう、だからお父さんは絵を含めて、お父さんっていう人間なんだって思ってるの」
    穂乃夏「絵を含めて……」
    冬子「絵を見て、お父さんが言いたいことを受け取る。だから制作途中の絵は、まだ言葉になってないもの。それについて色々聞くなんて野暮でしょう? 私がアトリエに入らなくて済むように、穂乃夏さんにお仕事お願いしてるしね」
    穂乃夏「そうだったんですね……。そうとも知らず、すみませんでした」
    冬子「気にしないで。話を聞いてくれてありがとうね」

    ○同・玄関(夕)
    穂乃夏を見送る冬子。
    冬子「また次もお願いね……」
    穂乃夏「はい。それでは、失礼します」
    お辞儀をする穂乃夏。
    玄関扉の方を向いて靴を履いていると、後ろからバタンと音が立つ。
    穂乃夏「えっ?」
    振り返る穂乃夏。
    倒れている冬子。
    穂乃夏「奥様……?」

    ○タンポポ画材店・店内(夕)
    画材屋のカウンターにいる晴明。
    店員は木製の額縁を持っている。
    店員「随分年季が入ってるから、本当にヒヤヒヤしながら修復しましたよ」
    晴明「何十年も前に妻から貰った物なんです」
    店員「なるほど。そりゃ愛される訳だ」
    額縁を晴明に渡す店員。
    店員「丁寧に修復はしましたよ。でもハッキリ言って、この額縁は頑張りすぎてますよ。もう、眠らせてあげてもいいんじゃないですかね」
    晴明「……ありがとうございます」

    ○市街地(夕)
    額縁の入った大きな袋を肩にかけて歩く晴明。
    ポケットから着信音が鳴る。
    電話に出る晴明。
    晴明「はい……」
    晴明の足が止まる。
    額縁の軋む音が聞こえる。

    ○寺山町総合病院・廊下(夜)
    病院の廊下を小走りする晴明。
    曲がり角から看護師が現れ、一瞬歩きに戻すが、看護師とすれ違った途端に再び小走りに戻る。

    ○同・病室(夜)
    病室に入る晴明。
    そこには、ベッドで眠る冬子と、その隣に座る穂乃夏がいる。
    息を整えようとする晴明だが、冬子を見て、呼吸が荒くなる一方である。

    ○アパート葉月荘・郵便受け(夜)
    リクルートスーツ姿の小春、郵便受を開く。
    中には一通の手紙が入っている。
    手紙を手に取り、不思議そうに差出人を見る小春。
    小春「……はっ? えっ?」
    そこには『鹿山千尋』と書かれている。
    鹿山の声「拝啓、佐々木小春様。お手紙ありがとうございます。頂いた感想は、一字一句漏らすことなく、何度も読みました」

    ○同・202号室・中(夜)
    椅子に座りながら、震える手で手紙を読む小春。
    鹿山の声「私は絵本作家ということもあって、佐々木様のような年齢層の方から感想を頂く機会は非常に稀なことです。佐々木様から頂いた言葉達、私にとっては過ぎたる僥倖のように思えます。とても励みになりました。ありがとうございます」
    小春「ウソでしょ……! ん?」
    嬉しさを抑え切れない様子の小春、封筒の中に何かが入っていることに気が付く。
    鹿山の声「私事にはなりますが、来月、青山にて個展を開催させていただきます。もしご都合がよろしければ、是非、お越しいただけませんか?」
    封筒の中には、個展のフライヤーが入っている。
    フライヤーを見る小春。
    鹿山の声「展示会の名前は……」
    小春「生まれ変わってあなたを待つわ……」
    フライヤーには『2048年 9月15日〜』と書かれている。

    ○海辺のバス停(夕)
    バス停に幽霊さんが座っている。
    バスが到着する。
    バスから降りてくる制服姿の茜。
    茜「いたいた、幽霊さん」
    幽霊さん「ん?」
    バスが発車する。
    幽霊さん「僕のこと言ってるの?」
    茜「だって、名前分からないし」
    幽霊さん「そっか。元気そうだね」
    茜「どうでしょう。でも頑張ってます」
    幽霊さん「うん。いいことだ」
    幽霊さんの隣に座る茜。
    茜「ねぇ、幽霊さん」
    幽霊さん「ん?」
    茜「幽霊さん、自分がどんな人だったのか、
    思い出せないから成仏できないって言ってましたよね」
    幽霊さん「多分だけどね」
    茜「自分の顔も分からないんですよね?」
    幽霊さん「うん。写真にも鏡にもうつらないから、確認のしようがない」
    茜「そうですよね。で、私考えたんですよ」
    幽霊さん「僕のために?」
    茜「え? はい」
    幽霊さん「えっ、嬉しいな。すごい嬉しい」
    鞄を開く茜。
    茜「私には幽霊さんの顔が見えてるんですよ」
    鞄からノートとペンを取り出す茜。
    幽霊さんをまじまじと見る。
    茜「だから、私が幽霊さんの似顔絵を描いたら分かるんじゃないですか?」
    キョトンとする幽霊さん。
    幽霊さん「……絵、描けるの?」
    茜「お母さんが昔、絵のすごい人に教わったとか言ってたんで、多分私も描けます」
    幽霊さんの似顔絵を描き始める茜。
    居心地の悪そうな幽霊さん。

    ○弓沢家・アトリエ(夕)
    アトリエ内で絵を描いている晴明。
    紅葉に包まれた境内の絵を描いている。
    開いている扉をノックする穂乃夏。
    穂乃夏「あの……本日の業務、終了しました」
    ぐったりと筆を下ろす晴明。
    晴明「(弱々しく)……ありがとうございます」
    穂乃夏「お食事も冷蔵庫の中に入ってますからね」
    晴明「はい……」
    背中で返事する晴明を、心配そうに見つめる穂乃夏。
    穂乃夏「……大丈夫ですか?」
    晴明「大丈夫ですよ」
    穂乃夏「……差し出がましく思うかもしれませんけど、大丈夫には見えないですよ」
    晴明「……」
    穂乃夏「……あの、失礼しますね」
    アトリエ内に入る穂乃夏。
    穂乃夏「私、奥様から聞きましたよ。旦那様は風景を描くことにこだわってるって。人物は絶対に描かないって。でも私、見つけたんですよ」
    穂乃夏は壁と棚の間に挟まっていたキャンバスボードを、遠慮なく取り出す。
    そこには、冬子の絵が途中まで描かれている。
    穂乃夏「これ、奥様を描いた絵ですよね?」
    晴明「……」
    穂乃夏「奥様はアトリエの中のことを知らないんです。アトリエにある制作途中の絵は、旦那様のまだ言葉になってないものだって。だからこの絵の存在も知らないはずです」
    描きかけの冬子の絵を、ただ見ている晴明。
    穂乃夏「この絵、どうして描くのをやめたんですか?」
    晴明「……聞いても、仕方のないことですよ」
    穂乃夏「それでも、聞かせてください」
    深く息を吐き出す晴明。
    晴明「……自尊心というほか、言葉が見つからないですよ」
    思っても見なかった言葉に軽く驚く穂乃夏。
    穂乃夏「自尊心……?」
    晴明「……私はね、カメラが普及する歴史と共に育ったんです。カメラで撮れる写真が大嫌いでした。時間を掛けて描いた絵が、ボタン一つ押す行為に負けるんですよ」
    紅葉の絵を見る晴明。
    晴明「周りの人間が風景画を辞めていく中、私はどうしても自尊心を守りたかった。カメラを否定してやりたいというだけの、それだけのものなんです」
    穂乃夏「じゃあ、この絵は……?」
    晴明「それはね、学生の頃、いつか描いてほしいって冬子が言ってたんですよ。その気持ちに答えたくて、少しずつ描いたんです。でも駄目でした。自分のこれまでを否定するようで、描けなかった」
    静かな目で穂乃夏を見る晴明。
    晴明「穂乃夏さん」
    穂乃夏「はい……」
    晴明「私はどうしたらいい」
    穂乃夏「どうしたらって……」
    晴明「絵というのはね、結局形を変えた言葉でしかないんです。私は絵でしか伝えられなかったせいで、今の冬子になんて言葉をかけたらいいのか分からない。くだらない自尊心のせいで、気付いたら、何も伝えられない……」
    弱音が口を衝いて出る晴明。
    穂乃夏「いや、失礼を承知で言いますけど」
    毅然とした態度の穂乃夏。
    穂乃夏「その自尊心と奥様、どっちが大切なんですか」

    ○海辺のバス停(夕)
    完成した似顔絵を幽霊さんに見せる茜。
    茜「これでどうでしょう」
    茜が描いた幽霊さんの似顔絵には、どことなく晴明の雰囲気がある。
    それを見て首を傾げる幽霊さん。
    幽霊さん「(気まずそうに)えーっと……ちょっと分かんないかも……」
    茜「そうですかぁ。似てると思うんですけどねぇ……」
    似顔絵を指差す幽霊さん。
    幽霊さん「もっと、ここの線はスラッとさせたらいい感じになりそうだけど」
    茜「え、幽霊さん、絵描ける人ですか?」
    幽霊さん「いや、分からないけど、直感的にそう思って……。なんていうか、スラっじゃないかも。スンッ、って」
    茜「……?」
    幽霊さん「あのー、イカとかタコが墨を吐いて逃げる瞬間みたいなさぁ。スッ、か」
    茜「え、全然何言ってるのか分からないんですけど……」
    困惑した表情で幽霊さんを見る茜。
    幽霊さん「うーん、なんて言えば伝わるかなぁ……。だから、えっと……」
    困惑した表情で見つめてくる茜に、冬子の姿が重なって見える幽霊さん。
    幽霊さん「……?」
    幽霊さんの顔の靄が少し晴れる。

    ○寺山町総合病院・病室(朝)
    病室で眠っている冬子。
    その隣に座って、冬子の絵を描いている晴明。
    病室には、2000年9月のカレンダーが飾られている。
    スケッチブックの紙とペンが擦れる音で、冬子が目を覚ます。
    冬子「あら……」
    晴明「起こしてしまったか……」
    冬子「お父さん、来てたの……」
    晴明「あ、あぁ……」
    冬子「病院に来てまで、絵を描いてるのね」
    力無く笑う冬子。
    晴明「……」
    意を決した様子の晴明。
    晴明「冬子の絵を描いてるんだ」
    冬子「えぇ……? 私の……?」
    晴明「あぁ、冬子を描いてるんだ」
    冬子「どうして……お父さんが、そんな……」
    晴明「(恥ずかしそうに)……穂乃夏さんに怒られた」
    冬子「ええっ!?」
    吹き出すように笑い出す冬子。
    冬子「フフフッ、お父さんが……フフッ、穂乃夏さんに?」
    笑いながら咳き込み出す冬子。
    晴明「だ、大丈夫か?」
    冬子「……フフッ、怖がるどころか、説教されるだなんてね」
    晴明「思ってることは伝えた方がいいって、二十代の子に……」
    冬子「フフッ、強かな子ね」
    嬉しそうな表情の冬子。
    冬子「なに? 伝えたいことがあるの?」
    晴明「あぁ……」
    スケッチブックを閉じる晴明。
    晴明「……俺は、絵で伝わってると思って甘えてたんだ。冬子に甘えてたせいで、簡単な言葉も言えなくなってた」
    冬子「だから、なあに?」
    晴明「ずっと、心底愛してるよ」
    キョトンとして、また笑い出す冬子。
    冬子「何を思い切ったように言ってんの」
    晴明「ずっと言えなかったから……」
    冬子「確かに、言葉で聞くのは初めてかもしれないけど、伝わってないことなんてなかったわ」
    晴明の手をにぎる冬子。
    冬子「私も、晴明さんを愛してるわ」

    ○(回想)東川美術学校・教室(夕)
    イーゼルにキャンバスボードを立て掛け、絵を描いている20歳の冬子。
    その姿は、どことなく小春と似ている。
    その隣に、21歳の晴明が立っている。
    晴明「うーん、なんて言えば伝わるかな。もっと、ズサッって感じっていうか……」
    冬子「ズサッ?」
    晴明「えっと、あ、じゃあ、猫!」
    冬子「猫……」
    晴明「そう。ね、猫が、塀とかの下を勢いよくすり抜けてく、あんな感じでズサッって」
    冬子「え……? 全然何言ってるのか分からないんですけど……」
    困惑した表情で晴明を見る冬子。
    晴明「えーっとぉ……」
    困っている晴明を見て、笑い出す冬子。
    冬子「フフッ、教えるのは下手なんですね」

    ×××

    イーゼルには、額縁に入った晴明の肖像画が立てかけられている。
    冬子「じゃーん!」
    晴明「えっ、これ、俺を……?」
    冬子「そうですよ! 演出のために額縁も買いました。額縁を用意する方が大変でした」
    晴明「すごい……! こんなの初めてだ……」
    冬子「私からのお誕生日祝いです」
    晴明「えっ! 貰っていいのか……?」
    冬子「もちろんですよ。額縁、結構いいやつですからね」
    嬉しそうに額縁を持つ晴明。
    晴明「あ、ありがとう……」
    冬子「いえいえ。その代わりですけど、いつか晴明さんも、私を描いてくださいね」
    晴明「……自信ないけど」
    冬子「何言ってるんですか。約束ですからね?」

    ○同・外(夜)
    隣り合って歩く冬子と晴明。
    晴明は大きな額縁を持っている。
    冬子「多分、額縁です。私がなりたいのは」
    晴明「額縁?」
    冬子「はい。晴明さんの絵は、見てると額縁がすーっと消えていくんです。気付いたら晴明さんの絵の中にいる、みたいなことばっかり」
    晴明「俺には分からないけど……」
    冬子「陳腐な言い回しですけど、夢を見てるみたいな気持ちになるんですよ。だから不安になる」
    晴明「えっ?」
    冬子「本当に夢みたいに、この絵が存在してないんじゃないかって思っちゃうんです。絵も晴明さんも、いないんじゃないかって」
    晴明「そんな風に思われてたんだ……」
    冬子「だから、私は額縁になりたいんです。絵と世界を繋ぎ止めておく額縁みたいな存在に、私は晴明さんをこの世界に繋ぎ止めておきたいんです」
    晴明に笑顔を見せる冬子。
    顔が赤くなる晴明。
    (回想終わり)

    ○海辺のバス停(夕)
    バス停で幽霊さんの似顔絵を描いている茜。
    隣で茜を見ている幽霊さんの顔の靄が晴れていく。
    顕になったその顔は、21歳の晴明と全く同じである。
    幽霊さんの身体が、次第に薄れていく。
    幽霊さん「あぁ、そっかぁ」
    茜「何か言いました?」
    幽霊さん「いやいや、気にしないで」
    絵に集中している様子の茜。
    幽霊さんの身体が薄れていくことに気
    づかない。
    幽霊さん「もっとズンって感じで」
    茜「ズンって感じ……」
    幽霊さん「それはシュッ、でしょ」
    茜「私にとってはズンっですよ」
    幽霊さん「そこは……キラッってできる?」
    茜「本当に何言ってるのか分かんないんです」
    理解できず笑い出す茜。
    バス停に51歳になった穂乃夏がやってくる。
    穂乃夏「茜!」
    顔を上げる茜。
    茜「あ、お母さん」
    穂乃夏「何してたの?」
    茜「えっと、絵の練習?」
    穂乃夏「絵の練習? こんな所で?」
    茜「うん。あのね……」
    幽霊さんの方を見る茜。
    幽霊さんの姿は無くなっている。
    茜「あれ……」
    穂乃夏「どうかした?」
    茜「いや、えっと……」
    キョロキョロと見渡す茜。
    幽霊さんの姿はどこにもない。
    茜「……信じてもらえるか分からないんだけど、このバス停、幽霊さんがいるんだよ」
    穂乃夏「幽霊!?」
    茜「そう、そこの席に……」
    穂乃夏「茜は昔っから何か見えちゃうタイプだったもんね。私にはさっぱり」
    茜「いや、いるんだよ。いたんだけど……」
    幽霊さんが座っていた席を見る茜。
    茜「まぁ……また会えるか」
    スマホで時間を確認する穂乃夏。
    スマホには『2025年 9月15日17時40分』と表示されている。
    穂乃夏「帰ろ、茜。夕飯作らないと」
    茜「……うん」
    穂乃夏「手伝ってくれる?」
    茜「いいよ」
    荷物を整理して、立ち上がる茜。
    穂乃夏と一緒に歩いていく。
    穂乃夏「そっかぁ。茜も絵を描くのかぁ」
    茜「上手くなれる気がしないけど」
    穂乃夏「大丈夫だよ。お母さんね、二十歳の頃家政婦をしてて……」
    茜「それ何回も聞いたよ」
    穂乃夏「何回でも言いたいの。その時ね……」

    ○寺山町総合病院・病室(夜)
    ベッドで横になっている冬子。
    冬子の手を握る晴明。
    ベッドの枕元には、冬子を描いた絵が飾られている。
    晴明「暑くないか?」
    冬子「暑くないわ」
    晴明「じゃあ……寒くないか?」
    冬子「大丈夫。お父さんの手があったかいから」
    晴明「疲れてないか?」
    冬子「大丈夫よ。お父さんと話してて、疲れることなんてないもの」
    晴明「今、どんなことを考えてるんだ?」
    冬子「そうねぇ。学生の頃に二人で行った逗子、覚えてる?」
    晴明「あぁ、覚えてるよ」
    冬子「あの海辺のバス停で……晴明さん財布落としたって、駅まで戻ることになって、フフフッ……」
    晴明「……思い出した。その後ずっと不貞腐れてたな」
    冬子「不貞腐れもするでしょう。予定が全部崩れたし、その後ずっと謝ってばっかで、気分が下がっちゃったんだもの」
    晴明「ごめん……」
    冬子「何十年越しに謝ってるのよ。でもね、私はその逗子で、初めて晴明さんの手を握ったことも覚えてるのよ?」
    晴明「そうだったか?」
    冬子「覚えてないと思った」
    晴明「……なぁ、冬子」
    冬子「どうしたの? 晴明さん」
    晴明「今更、今更になってだ。今更、冬子と話したいことばっかりだよ」
    冬子「なら、いつまでもこうしておしゃべりしてればいいじゃない」
    晴明「五十年分も、付き合ってくれるか?」
    冬子「うーん。それはどうだろう……」
    晴明「……本当に、永い時間を無駄にしてしまった」
    冬子「無駄なんて言わないで。私にとっては素敵な時間だったわ」
    晴明「でも……」
    冬子「じゃあ……こうしましょう」
    晴明「なんだ?」
    冬子「私は、生まれ変わって晴明さんを待つわ。生まれ変わって、五十年分でも、何百年でも、お話をしましょう」
    晴明「生まれ変わって?」
    冬子「そう。私が額縁になったら、晴明さんは絵になって、私が言葉になったら、晴明さんは本になって、私がバゲットになったら、晴明さんはビーフシチューになって、どんな姿になっても、晴明さんを待ってるわ」
    晴明「そしたらまた、話せるかな」
    冬子「思う存分、話しましょう」
    晴明「……愛してるよ、冬子」
    冬子「愛してるわ、晴明さん」

    ○ギャラリースタジオゴースト・中(朝)
    スタジオ内には、春夏秋冬と輪廻をモチーフにした、様々な絵が飾られている。
    壁一面に飾られた、海辺のバス停を描いた絵の前に立っている鹿山千尋(23)。
    鹿山は、幽霊さんや21歳の晴明と、どことなく雰囲気が似ている。
    鹿山「……」
    鹿山の隣に、37歳になった茜が歩いてくる。
    茜「私、これが一番気に入ってる」
    鹿山「本当ですか。ありがとうございます」
    茜「眺めてると色んなこと思い出しちゃう。モチーフとかあるの?」
    鹿山「どこって訳じゃないんですよね。夢でよく見る風景なんです」
    茜「(驚いて)夢からモチーフを引っ張ってきてるの!?」
    鹿山「全部じゃないですけどね。この個展の名前も、夢で誰かにそう言われたような気がして、それが忘れられなくて」
    茜「はー、すっごいわ。私も絵を描いてたことあったけど、発想が全然違うね」
    鹿山「……日野さんからの提案がなかったら、僕は個展をやろうなんて思えなかったはずです。僕は助けられてばっかです」
    茜「そういうもんよ。私は私で人の助けになれることが好きでやってるから、ある意味持ちつ持たれつね」
    鹿山「ありがとうございます」
    茜「じゃあ今日一日、頑張ってね」
    鹿山「はい」
    茜が去っていく。
    深く息を吐く鹿山。
    スタジオの扉が開く。
    扉の方を見る鹿山。
    そこには、小春が立っている。
    小春「あの……もう、空いてます……?」
    鹿山「は、はい! よう……こそ……」
    小春「……」
    鹿山「……」
    二人は、時が止まったかのように互いの顔をじっと見ている。
    鹿山「えっと、あの、出会い頭で変なこと聞いちゃうんですけど……」
    小春「私達、どこかで会ったことあります?」

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    茜染

     
     
    note創作大賞2023 漫画原作部門 入選 2024 漫画原作部門 中間選考通過 第38回フジテレビヤングシナリオ大賞 二次審査通過 elmaamy0817@icloud.com

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