
たかが漫画、されど漫画
命を削る努力の末、丹念に紡がれた世界に対して、無言の暴力が放たれた。それは、何気ない言葉だったかもしれないが、当事者にしてみれば屈辱である。
巨大な産業構造の奥底に澱む「クリエイター軽視」という病巣が、この騒動を何よりも象徴している。
講談社が『はたらく細胞』の作者に対して異例ともいえる謝罪を行なった。その声明が明らかにしたのは、華々しいヒットの裏側で行われ続けてきた、あまりにも凄惨な「搾取」の実態である。
作者は連載期間中、何度も環境の改善を懇願していた。しかし編集部は「医療監修」や「アシスタントの手配」などの作品の品質と作者の生命を守るための最低限のサポートすら適切に行わなかったという。
さらには、連載後のスピンオフ作品や映像作品においても、作者の事前確認を怠るという杜撰な管理体制が常態化していた。
読者は、緻密に擬人化されたキャラクターの活躍に胸を躍らせ、自分自身の身体に起きている出来事の尊さを垣間見た。医学的にも評価を受け、教育現場でも愛されてきた世界観は、何一つ適切なサポートがされないまま、たった一人の作者が心身を削り、血の滲むような努力で構築したものだった。
そのような極限の生活に作者を拘束しながらも、その傍らで「漫画軽視」ともいえる行為が続いていたのだとすれば、そこにあるのはクリエイターを単なる「消費財」としてしか見ない、傲慢な価値観以外の何ものでもないだろう。
この一連の出来事は2014年からだという。作者がどれほどの長きにわたり、理不尽な対応と孤独の中で悩んできたのか。その沈黙の歳月を想像すると、胸が締め付けられる。
大ヒットという輝かしい栄光の陰で、作者の心の細胞は幾度となく傷つけられ、止血すらされずに放置され続けていたのである。
加えて、10年以上にわたる不当な扱いは出版業界に自浄作用がないという冷酷な現実を突きつける。
今回、作者が自身の視点から過去の経緯を公表したことは、自らの尊厳を取り戻すための、そして後に続くクリエイターたちを守るための、決死の告発であったはずだ。
漫画は決して「たかが漫画」ではない。
紙の上に引かれた一本の線には、作者の人生と生命が宿っている。文化という大きな体を動かす血液は、他でもないクリエイターたちの情熱である。その血を運ぶ血管たる出版社や編集者が、血液の源を軽んじ、枯渇させるようなことがあってはならない。
もし血液が軽んじられているのならば、それは文化の死へと突き進んでいくだろう。
この謝罪と過去の清算が、単なる一時的な止血処理に終わるべきではない。現在、講談社は声明を発表しただけであり、具体的な改善策を我々に提示していない。
現状、テレビ局や出版社などのマス・メディア業界は、ハラスメントが横行している。かつては我々読者に社会の変革を唱えていた姿は微塵も残されていない。
つまり、クリエイターはいまもなお緊張状態の中に置かれているのだ。
クリエイターを大切にしない出版社は、「創作」を語る資格などない。そして個人的に極めて遺憾であるのが、窮地に追いやられているクリエイターの声を、彼らの代弁者であるべきマス・メディアがニュースの片隅に追いやっていることだ。
インターネットが台頭してきてはや30年。テレビや新聞は、かつての輝きを失い、インターネットやソーシャルメディアの陰に隠れつつある。やがてZ世代以降が主流ユーザーとなれば、消滅する大手メディアも出てくるだろう。
マス・メディアはいつになったら自分たちの過ちに気付くのだろうか。
すべてのクリエイターが安心と尊厳をもって作品と向き合える、真の「細胞の再生」へと向かう確かな一歩となることを、一人の読者として強く願ってやまない。