
(エッセイ)雨の蜃気楼【鈴鹿8時間耐久ロードレース】🇯🇵
八耐終わりましたね。
いつもとはちょっと違った趣で、エッセイ風な物を書いてみました。
八耐。
私には甘酸っぱい響きのある言葉だ。
もちろん、鈴鹿8時間耐久ロードレースの略称である。
けれど、そのふた文字から真っ先に浮かぶのは、レースではない。
真夏の陽炎。
灼熱のアスファルト。
揺らぐ空気。
そして、夏休み。特に用事もないのに、数キロ先の友達の家へ向かって、自転車で坂道を登り、道路の向こうが熱で揺らぎ、蜃気楼のように景色が滲んで見える、あの午後。
不思議なことに、私の中で「八耐」という言葉は、あの夏の景色とどこかで結びついている。
なぜなのだろう。
もちろん、免許なんか持っていなかった頃の光景。
知り合いのお兄さん達は、FXやCB400なんかでお巡りさん達と追いかけっこをしていた。
そして、ちょっと背伸びをして友達と読んでいた雑誌には、「ハチタイ」の特集。
レースフォーマットなんかわからない。
世界選手権の1戦だということも知らない。
それでも誌面から伝わる熱気だけは、子どもにも十分すぎるほど伝わってきた。
焼けつくような路面。
汗だくのライダー。
ピットに詰めかける人波。
夕暮れの鈴鹿。
その数ページをめくるだけで、乗れもしないバイクに跨り、行けもしない鈴鹿の観客になった気がしていた。
想像しうる中でも最高の「夏」が頭の中に広がっていた。
子供の頃の鮮烈な印象は実体の無いものを実体験として容易に置き換えられる。それが強烈であればあるほど成長しても心のどこかに楔を残している。
だからなのだろう「夏」のイメージが、
子供の頃の「一直線の狂乱」から、大人になるにつれて「終わりの始まり」の季節へと変わったとしても「八耐」の言葉が特別なものであり続けているのは。
そんな「八耐」が今年も行われた。
七夕の前の開催。
雨の中のセーフティーカー介入でのゴール。
BMWの初の表彰台。
私の記憶に刷り込まれた鈴鹿とは、少し違う景色だった。
それでも、雨に煙るホームストレートの向こうにも、あの日と同じ夏が揺らいでいたように思う。
形は違っても、夏だけに現れる幻影を追いかけている。