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「名前を変えられた日」完全版|被害者で終わらなかった話

    名前を変えられた日

    運転手付きの家

    雨の日だったか、晴れていたかは覚えていない。
    でも、玄関の大理石がいつもより冷たかったことだけは覚えている。

    私の家には、お手伝いさんがいた。
    運転手もいた。

    四姉妹の末っ子だった私は、それが普通だと思って育った。

    朝になれば、アイロンのかかった制服が用意されていて、車に乗れば学校に着く。
    姉たちは騒がしく、母はいつも綺麗で、父は家の中心にいる人だった。

    父が帰ってくると、家の空気が少し変わる。
    怖いわけじゃない。
    でも、みんな少し静かになる。
    私は父が好きだった。

    大きくて、なんでも知っていて、世界を動かせる人みたいに見えた。

    だから、その父が突然「名前を変える」と言い出した時も、最初は意味がわからなかった。

    「この名前は運気が悪い」

    父は真剣な顔でそう言った。

    占い師にもらった紙を広げながら、この漢字は駄目だとか、この画数は人を不幸にするとか、そんな話をしていた。

    家族全員、改名した。

    昨日まで呼ばれていた名前を、今日から使ってはいけないと言われる。

    子供だった私は、それがどれだけ異常なことなのかもわからなかった。

    ただ、新しい名前で呼ばれるたびに、自分じゃない誰かになったみたいで、少し気持ち悪かった。
    父は、友達の名前まで見るようになった。

    「この子とは関わるな」
    「この子は運気が悪い」

    そんなことを普通に言った。

    私は曖昧に頷きながら、学校で友達の顔を見るたび、なんだか胸の奥がざわざわした。

    いじめ開始

    でも、その頃にはもう、学校の空気も変わり始めていた。
    いじめの始まりは、今思えば本当にくだらない理由だった。

    私には幼馴染の男の子がいた。
    家が近くて、昔からいつも一緒に帰っていた。
    ただそれだけだった。

    でも、クラスの中心にいる女子が、その子を好きだった。

    当時の私は全然気づいていなかった。
    男女で帰ることに、特別な意味なんて感じていなかったから。

    ある日から、教室の空気が変わった。
    私が話すと静かになる。

    笑い声が止まる。
    目が合うと、ひそひそ声が聞こえる。

    最初は気のせいだと思った。
    でも、気のせいじゃなかった。

    ロッカーに落書きが増えた。
    上靴が隠される。
    机が廊下に出される。

    誰がやったかなんて、わかりきっていた。

    でも不思議と、私は完全に一人じゃなかった。

    幼馴染は普通に話しかけてくれたし、男子たちも普通だった。
    休み時間になれば一緒にサッカーした。
    校庭を走り回って、泥だらけになって笑ってた。
    梅雨の時期には、紫陽花の葉っぱの裏にいるカナブンを探して、見つけたら捕まえて投げ合った。

    今思えば、男子小学生すぎる遊びだったと思う。
    でも、その時間だけは普通だった。
    ちゃんと子供でいられた。
    だから余計に、女子グループの空気が異常だった。
    昨日まで普通に喋っていた子が、急に冷たくなる。
    聞こえるように悪口を言う。
    無視する。
    でも私は、学校を休まなかった。

    負けたくなかったから。

    「あいつ来なくなったやん」

    そう言われるのが嫌だった。
    だから毎朝ちゃんと制服を着て、普通の顔して学校へ行った。
    本当は嫌だった。
    でも、悔しかった。

    上靴の中に画鋲が入っていた日も、私はそのまま教室に入った。

    泣いたら負けな気がしていた。
    でも、一番怖かったのは子供じゃなかった。

    担任だった。

    ある日、私は教室に閉じ込められた。

    「お前がハサミを持って追いかけ回したって聞いてる」

    そんなこと、していない。

    否定しても聞いてもらえなかった。

    胸倉を掴まれて、壁に頭を打ちつけられた。

    何が起きているのかわからなかった。

    怖いより先に、
    「ああ、先生ってこういうことするんだ」
    と思った。

    扉の外には、幼馴染がいた。

    あとから聞いた。
    全部見ていたらしい。

    その子が母に伝えて、大問題になった。

    大人たちは怒っていた。

    学校とも揉めた。

    でも私は、その頃にはもう、
    「助けてもらえる」
    という感覚が少し壊れていた。

    それでも卒業式の日、私は少しだけ安心していた。
    もう終わる。
    ここからやり直せる。
    そう思っていた。

    生徒会長の妹

    中学は受験した。
    姉と同じ、中高一貫のお嬢様学校。
    小学校の頃の私は、本気で「中学に行けば全部変わる」と思っていた。
    もう誰も私を知らない場所で、新しくやり直せる気がしていた。

    一番上の姉は、その学校でかなり有名だった。

    私が入学した時、姉は高校三年生。
    生徒会長で、ダンス部の部長。
    その学校は、生徒会の力が強かった。
    先生ですら、生徒会には少し気を遣っていたくらいだった。
    姉は昔から強い人だった。

    間違っていると思ったら、相手が先生でも普通に言い返す。

    だから慕われてもいたし、嫌われてもいた。
    特に、一部の先生たちとはかなり揉めていたらしい。

    中2になる前、
    姉が卒業する時のことをあとから聞いた。

    ある女性教師に向かって、姉は最後にこう言ったらしい。

    「お前のことは一生許さない」

    あとから聞いて、私は少し笑ってしまった。

    姉らしいと思った。

    でもたぶん、本気だったんだと思う。

    その頃の私はまだ知らなかった。

    姉が卒業したあと、その空気が少しずつ自分に向いてくることを。

    入学してすぐ、私は気づいた。
    小学校の頃とは立場が逆転している。

    私をいじめていた子たちも、同じ学校に進学していた。
    でも、その子たちは突然、私に馴れ馴れしく話しかけてくるようになった。たぶん、姉の存在が大きかったんだと思う。
    しかも、いじめっ子たちは学校でも人気のダンス部に入った。

    姉はそのトップだった。

    小学校の頃の空気とは、まるで違った。

    私は、その子たちを無視した。
    別に仕返しがしたかったわけじゃない。
    ただ、普通に話せるほど、私は大人じゃなかった。

    あとから聞いたけれど、姉は私が小学校でされていたことを知っていたから、かなり厳しく指導していたらしい。

    ちょっと笑ってしまう。
    でも正直、少し救われた。

    中学では、新しい友達もできた。
    アーチェリー部に入った。

    放課後、みんなで騒いで、
    くだらないことで笑って、
    寄り道して帰る。
    ちゃんと青春みたいな時間があった。

    私はこの頃、自分でも驚くくらい正義感が強かった。
    たぶん、いじめられていた側だったからだと思う。

    女子校って、独特だった。怖い時は、本当に怖い。

    ある日、ロッカーで1人が集団で囲まれていた。
    テニスラケットで叩かれていた。
    理由はわからない。

    今思えば、止めに入るなんて無謀だったと思う。
    でも私は、その時なぜか体が先に動いた。

    「1人に対して何してんの?!」

    そう叫んで間に入った。
    相手は複数だった。
    普通に考えたら怖い。

    でも、不思議と私は、
    “見て見ぬふり”
    ができなかった。

    結局、大きな報復はなかった。
    たぶん、一番上の姉が生徒会長だったから。
    その学校では、姉の存在はかなり大きかった。

    でも、その姉の存在は、別のものも連れてきた。

    姉が卒業してしばらくしてから、担任の女性教師は少しずつ私に厳しくなった。
    毎日のように居残りをさせられた。
    図書館に呼ばれて、長時間説教された。

    「あなたは勉強ができない」
    「障害があるんじゃないか」
    「この学校に向いてない」
    「転校した方がいい」

    呪いみたいに、何度も何度も言われた。

    私はその頃から、
    「大人って絶対じゃない」
    と思い始めていた。

    小学校でもそうだった。

    先生だから正しいわけじゃない。

    子供を壊す大人は、普通にいる。

    中2の夏には、事件が起きた。

    アーチェリー部の仲が良かった友達が、同級生に矢で撃たれた。

    その子はすごく上手かった。
    みんなの憧れだった。
    だからこそ、妬まれていた。
    撃った側の子も、たぶん壊れていたんだと思う。
    幸い命に別状はなかった。
    でも、撃たれた子は転校した。
    撃った子も、いなくなった。

    私はもう、何が普通なのかわからなくなっていた。

    家では父の会社が倒産して、
    愛人と隠し子の話が出て、
    家庭は崩れていっている。

    学校では先生に毎日否定される。
    友達が矢で撃たれる。

    ずっと、何かがおかしかった。
    そして限界が来た。

    担任が母に連絡した。

    「成績も悪いですし、転校を考えた方がいいと思います」

    母は黙っていた。
    私は、その言葉を聞いた時、不思議と安心した。

    ああ、もう行かなくていいんだ。
    そう思った。

    私は転校を決めた。

    もう、この学校にいたくなかった。

    転校の日

    中学三年生の春、私は別の中高一貫の女子校へ転校した。
    正直、もう学校という場所そのものが怖くなっていた。

    でも、新しい学校は今までとは全然違った。
    そこはスポーツ校として有名な学校だった。
    だからなのか、生徒たちはみんな驚くほどさっぱりしていた。

    変な派閥も少ない。
    陰湿な空気もない。

    みんな普通に笑って、普通に話しかけてくれた。
    それだけで、私はかなり救われていた。

    先生たちも優しかった。
    怒鳴らない。
    人格を否定しない。
    それだけで、こんなにも安心できるんだと思った。

    転校してすぐ、私はクッキング部に入った。
    顧問の先生は、第二のお母さんみたいな人だった。
    ふわっとしていて、優しくて、でもちゃんと見てくれていた。
    その先生は高校一年から三年まで、ずっと担任になってくれた。
    今思えば、かなりすごい偶然だったと思う。
    でも当時の私は、その先生にかなり救われていた。

    中学三年生なので、行事も多かった。
    修学旅行は沖縄だった。
    海を見て、夜までみんなで騒いで、恋バナして、写真を撮って。
    ちゃんと青春みたいなことをしていた。

    ゲームや漫画が好きだったから、同じ趣味の友達もすぐできた。
    放課後にアニメショップへ行ったり、ゲームの話で盛り上がったり。
    本当に楽しかった。

    高校ではそのまま美術コースへ進んだ。
    そして、フォークソング部に入った。理由は単純だった。
    高校三年生の先輩が、めちゃくちゃかっこよかったから。

    その頃の私はかなり自由だった。
    学校は男女交際禁止だったけれど、みんな普通に恋愛の話ばかりしていた。
    誰が誰を好きだとか、大会にいた先輩がかっこいいとか、毎日そんな話で盛り上がっていた。

    女子校だからこその独特な距離感もあった。
    普通に女の子同士で付き合っている子も結構いた。
    今思えば、あの空間はかなり濃かった。

    高校一年の頃、私はオンラインゲームにどっぷりハマった。
    アニメもゲームも好きだったけれど、その頃から完全に沼に落ちた。
    夜中までパソコンの前に座って、チャットして、狩りして、そのまま寝不足で学校へ行く。
    でも、その世界は楽しかった。
    現実より、ずっと息がしやすかった。

    友達とコスプレもするようになった。
    キャラクターになって写真を撮る時間が好きだった。
    別の誰かになれる気がした。
    たぶん私は昔から、“変身”することが好きだったんだと思う。

    その頃、中学から仲が良かった友達に彼氏ができた。
    私も人数合わせみたいな感じで参加した合コンにいた1つ年上の人だった。でも、その彼氏が色々やらかしたらしく、ある日友達から相談された。
    内容はもう細かく覚えていない。
    ただ、その子はかなり怒っていて、

    「ちょっと喝入れてよ」みたいな感じで、なぜか私に言ってきた。

    だから私は普通に彼氏の方を怒った。
    今思えば、なんで私がやってたんだろうと思う。
    でもそのあと、偶然その彼氏も同じオンラインゲームをしていることがわかった。
    しかもサーバーまで同じだった。
    当時はオンラインゲームって、同じゲームをしてるだけでもかなりテンションが上がった。
    だから普通に盛り上がってしまった。

    それが駄目だった。
    あとから友達に、
    「人の彼氏と長電話するなんて!」
    ってめちゃくちゃ怒鳴られた。
    自分から電話して喝入れてって言ったのに。
    彼氏も彼氏だよ。
    絶対、女が怒る地雷を踏むタイプだった。
    私は普通に泣いた。

    女同士って難しい。

    でも小学校みたいな露骨ないじめじゃない。

    でも、大人になるにつれて、人間関係はもっと複雑になっていくんだと思った。
    私はその頃から、少しずつ人との距離感を考えるようになっていた。

    でも家では、相変わらず家庭が壊れていた。
    父はもうほとんど帰ってこなかった。
    愛人の家にいた。
    母は働きに出ていた。
    一番上の姉は留学。
    他の姉二人も夜遊びが多くて、夜は寝に帰ってくるだけの日が増えていた。

    だから、夜ご飯はほとんど私が作っていた。
    真っ暗な家に帰ることも多かった。
    でも、その家で唯一癒しだったのが、飼っていた犬二匹だった。
    本当に可愛かった。
    玄関を開けた瞬間、走ってきてくれる。
    あの子たちがいたから、私はかなり救われていたと思う。

    怪奇現象のある家

    ただ、その家は少しおかしかった。
    誰もいないのに電気がつく。
    階段を上り下りする音がする。
    友達と電話していたら、「今、男の人の声したよね?」と言われたこともあった。

    二階には四部屋あった。
    でも、階段を上がってすぐの和室だけは、昔から空気が違った。
    なんとなく入りたくない。

    暗い。
    重い。
    常に見られている気配。

    説明できないけれど、ずっと嫌な感じがした。
    和室の前の部屋を使っていた三番目の姉は、突然ひどい喘息みたいな症状が出るようになった。

    病院で検査しても原因はわからなかった。

    そしてある日、“見える”らしいお寺へ、母が三番目の姉を連れて行った。
    あとから聞いた話だけど、そこは昔、私たちの名前をつけてもらった場所でもあったらしい。
    住職は、姉の喘息のことを何も聞いていなかった。
    それなのに突然、
    「和室の部屋に喘息で亡くなった女の人がいる」
    と言ったらしい。
    私はその話を聞いた瞬間、なぜか妙に納得してしまった。

    ああ、やっぱり何かいたんだ。
    そう思った。

    簡単なお祓いをしてもらったあと、三番目の姉の咳は驚くほどピタッと止まった。
    あれだけ苦しそうだったのに。

    でも、和室の空気だけは変わらなかった。
    相変わらず暗くて、重くて、入りたくない感じがして常に扉は閉まっていた。

    家族会議

    高二の夏頃、一度家族で話し合いが行われた。
    場所は、私が幼稚園の頃から通っていた音楽教室だった。
    その先生は、うちの家庭の事情を昔から知っていた。
    母とも仲が良く、第三者として間に入ってくれることになった。
    集まったのは、母、父、私、二番目の姉、三番目の姉。
    長女は留学中なのでいなかった。

    そこで初めて、色んなことがはっきりした。
    父の愛人のこと。
    隠し子のこと。
    離婚するのかどうか。
    愛人は中国人の女性だった。
    風俗で働いていた人で、父が“水揚げ”したらしい。

    真ん中の姉二人は、男友達と一緒に父を尾行して、愛人の家まで突き止めていた。
    今思えば、かなり泥沼だった。

    でも当時の私は、もう驚くことにも疲れていた。
    父が何を言っていたのか、細かくはあまり覚えていない。
    ただ、全部気持ち悪かった。

    「お前たちは可愛くなかった」
    「三番目の姉は俺の子じゃない」
    「お母さんが浮気をしていたのを他所から聞いている」

    そんなことを普通に言っていた。
    三番目の姉は、父の兄に顔がそっくりだった。
    その兄は若くして亡くなっていて、遺影だけが仏壇の上に飾られていた。
    だからみんな顔だけは知っていたし、親戚にも「お兄さんにそっくりね」とよく言われていた。
    だから余計に、父は何かを重ねていたのかもしれない。

    でも、そんなこと子供には関係ない。
    私はただ、その場にいるのがしんどかった。

    結局、両親は離婚した。
    父は養育費と家賃を払うと言っていた。
    でも、高校三年生くらいになると支払いが滞るようになった。
    取り立てが来たこともある。
    母はずっと働いていたから、たぶん知らなかったと思う。
    インターホンが鳴るたび、私が出ていた。
    あの頃の私は、そういうことにも慣れ始めていた。

    でも私は、その頃も普通に学校へ行っていた。
    友達と笑って、コスプレして、ゲームして、恋愛の話をして。
    ちゃんと青春みたいなことをしていた。

    修学旅行はイタリアとフランスだった。
    美術館を巡って、「最後の晩餐」を見て、みんなで写真を撮って、夜遅くまで騒いだ。
    本当に楽しかった。
    家では色んなことが壊れていたのに、学校ではちゃんと笑えていた。

    今思えば、あの時間にかなり救われていたんだと思う。

    高校は無事に卒業した。

    家を出た日

    美大に入って一年目、高校時代にオンラインゲームで知り合った三歳年上の人と付き合い始めた。
    その人と出会ってから、私の人生は一気に変わった。

    今思えば、あの人は私の人生を壊した男だった。

    でも当時の私は、本気で好きだった。
    母に紹介した時、ものすごく反対された。
    友達にも「やめた方がいい」と言われた。
    でも、恋愛経験のなかった私は、そのまま恋に溺れていった。

    「女なんて大学行かなくても大丈夫」
    「家出て、一緒に住もうや」

    そう言われて、私は本当に家を出た。
    置き手紙だけ残して、服を鞄に詰めて、そのまま彼の家へ転がり込んだ。
    今思えば、あまりにも簡単だった。
    でも、あの頃の私には、“帰りたい家”みたいなものがもうなかった。

    大学にはちゃんと通っていた。
    授業は面白かったし、作品を作るのも好きだった。

    大学一年の頃には、大学の一番初めに作った作品が全国の高校新聞に載ったこともある。
    ちゃんと評価されていた。
    先生にも期待されていたと思う。

    でもその頃の私は、もう生活の中心が彼氏になっていた。
    彼の家には、いつもパソコンの音がしていた。
    オンラインゲーム中心の生活だった。
    一年の終わり頃、彼氏に突然言われた。
    「男友達が一緒に住むから」※仮名:タケシとします。
    意味がわからなかった。

    どういうこと?と思ったけれど、結局そのまま三人で暮らし始めた。
    狭い部屋にパソコンを並べて、夜中までオンラインゲームをしていた。
    今思えば、かなり異様な光景だ。
    でも当時は、それが普通みたいになっていた。

    彼氏はオンラインゲーム界隈では悪い意味で有名だった。
    揉め事も多かったし、敵も多かった。
    でも本人はそれを武勇伝みたいに話していた。

    オフ会も頻繁にあった。
    家にはオンラインゲームで知り合った人たちがよく出入りしていた。
    知らない男の人が急に泊まりに来ることも普通だった。
    でも私は、もうその空気に慣れ始めていた。

    二年目に入った頃、彼氏が突然怒鳴った。
    「お前、タケシと喋ってる時間長いやろ」
    「ずっと目で追ってたやん」
    意味がわからなかった。

    そんなことしていないし、喋っている時は相手の目を見るのは当たり前だ。

    否定した瞬間、髪を引っ張られた。
    そのまま殴られた。

    人生で初めて、男の人に殴られた。
    頭が真っ白になった。
    痛いというより、信じられなかった。

    一緒に住んでいたタケシも、
    「女に手を出すのはやめとけって」
    と彼氏を止めていた。

    でも彼氏は、
    「お前には関係ない」
    と言った。

    いや、めちゃくちゃ関係あるやろ。
    今ならそう思う。
    でも当時の私は、もう正常じゃなかった。

    怖かったし、嫌われたくなかった。
    機嫌を損ねたくなかった。

    だから私は、少しずつ彼の顔色を見ながら生きるようになっていった。

    気づいた時には、心がかなり壊れていた。

    私はずっと、彼の言いなりになっていた。

    あんこ

    それからしばらくして、一緒に住んでいた男友達は家を出て行った。
    また彼氏と二人の生活に戻った。

    ある日の夜、彼氏と近所の公園を歩いていた時だった。
    ベンチの下に、小さな段ボール箱が置かれていた。
    中には、汚れた雑巾と、まだ目もちゃんと開いていないくらい小さな子猫がいた。
    必死に鳴いていた。

    昔から動物は好きだった。
    小さい頃から、母は迷い犬を見つけると放っておけない人で、家には犬や鳥がいた。
    だから私は、そういう子を見ると放っておけなかった。

    彼氏もその時は、
    「飼おうか」
    と言ってくれた。
    私は嬉しかった。

    急いで病院へ連れて行って、ノミ取りをして、ミルクを買って、小さな毛布を用意した。

    名前は「あんこ」にした。
    昔、実家の隣にいた猫に少し似ていたから。

    あんこは本当に可愛かった。
    大学から帰ると、「にゃー」と鳴きながら玄関まで来てくれる。

    名前を呼ぶと返事をする。
    小さいのに賢くて、甘えん坊で、いつも私の後ろをついて歩いていた。

    私は、かなり救われていたと思う。
    でも、一つだけ問題があった。

    あんこは彼氏にまったく懐かなかった。
    彼氏が近づくと、シャーッと威嚇した。
    触ろうとすると引っ掻いた。
    最初は笑っていた彼氏も、だんだん機嫌が悪くなっていった。
    そして、あんこを飼い始めて一年経つか経たないかくらいの頃だった。

    突然だった。

    今でも、あの日のことはあまり思い出したくない。
    でも、忘れられない。

    彼氏は突然、あんこを殴った。

    何度も。
    私は泣きながら止めた。
    必死に庇った。
    やめてって叫んだ。

    でも止まらなかった。

    どんどん、あんこの呼吸が浅くなっていった。
    体が冷たくなっていった。
    最後は、動かなくなった。

    私は裸足のまま、あんこを抱えて家を飛び出した。
    もう無理だと思った。
    動物を殺す人間なんて無理だ。
    そう思った。
    でも、すぐに捕まった。
    彼氏は私を掴んで、低い声でこう言った。

    「これ以上逃げたら、お前もその猫みたいにするぞ」

    本当に怖かった。
    私はそのまま、家へ戻るしかなかった。

    でも、本当に怖かったのは、自分じゃなかった。
    家族に何かされることだった。
    あの頃の私は、本気でそう思っていた。

    戻ったあと、彼は急に優しくなった。
    そして、そのまま性行為をした。
    今思えば、あれはいわゆる“仲直りのセックス”だったんだと思う。
    怒鳴って、殴って、壊して、そのあと優しくなる。

    それを何度も繰り返していた。
    でも当時の私は、それがDVだなんて知らなかった。

    その夜、私はほとんど眠れなかった。
    あんこの遺体は、まだ部屋にあった。
    私はずっと隣にいた。
    そして少しだけ眠った時、夢を見た。

    あんこが出てきた。
    私の周りをくるくるまわっている。
    「拾ってくれてありがとう」
    「遊んでくれてありがとう」
    そんなふうに言ってくれた気がした。
    ハッと目が覚めた。
    すると、あんこの遺体から金色のモヤみたいなものが、ふわっと浮かび上がっていくのが見えた。
    今でも、あれが夢だったのか現実だったのかはわからない。

    次の日、あんこは川の近くに埋めた。
    本当はちゃんと動物火葬に連れて行きたかった。
    でも、そんなことはできなかった。

    避妊もしなかった。
    ずっとそんな生活を続けていたら、いつか妊娠する。
    そして、18歳のとき私は妊娠した。

    さすがに怖くなって彼に伝えた。
    でも彼は、
    「別に産んでもいいよ」
    としか言わなかった。
    親には言わなくていい、とも言われた。

    病院にも行けず、3か月ほどしてお腹が少し大きくなってきて怖かった
    私には実家しか頼れる場所がなかった。

    私は母に電話した。

    「ごめん、妊娠してしまった」


    母は強し

    ※四話に暴力的な表現がございます。

    ほとんど一年半ぶりに、母へ連絡した。
    震える声で伝えた。

    「ごめん、妊娠してしまった」

    怒られると思った。
    でも母は怒らなかった。

    「一緒に産婦人科行こう」
    そう言ってくれた。
    ありがたかった。

    そして、うちの母は、昔私が彼を紹介した時、相手がどんな人かわからないからと、実家の電話番号を彼に書かせていた。

    今思えば、さすがとしか言いようがない。
    そこからの母は、本当にすごかった。

    まず私を産婦人科へ連れて行った。
    そのあと、すぐに相手の親へ連絡した。
    彼の実家は県外だったけれど、すぐこちらまで来た。
    顔合わせの場が作られた。
    彼のお母さんは、開口一番、

    「申し訳ございませんでした」
    と頭を下げた。
    そして、
    「責任を持って結婚させます」
    そう言った。

    あの頃の私は、もう何が正解なのかよくわからなくなっていた。
    ただ、周りの大人たちがものすごい速さで動いていった。

    母は離婚後、自分で会社を大きくして、新しく事業も立ち上げていた。
    だから、お金には困っていなかった。

    でもそれ以上に、“世間体”や“けじめ”をすごく大事にする人だった。
    「絶対に、小さくてもいいから式は挙げなさい」
    そう言われた。

    私は、小さな教会で結婚式を挙げた。
    父は呼ばなかった。
    だからバージンロードは、昔からお世話になっていた音楽教室の先生のお父さんが一緒に歩いてくれた。
    小学校低学年の頃、国語を教えてくれていた人だった。
    不思議な感じだった。
    でも、少しだけ安心したのを覚えている。

    そして籍を入れる前だった。
    私は何気なく、妊娠中に彼から暴力を受けたことを母に話してしまった。
    本当に、ぽろっとだった。
    でも母は、一瞬で顔色が変わった。
    すぐに彼の親へ電話をかけた。
    ものすごい勢いで怒っていた。

    私は少し怖かった。
    でも同時に、ああ、この人はちゃんと怒ってくれるんだ、と思った。
    彼のお父さんもお母さんも、
    「実家に住まわせます」
    「ちゃんと見張ります」
    そう言った。

    それを条件に、母は結婚を許した。
    たぶんあの時の母は、必死だったんだと思う。
    私と、お腹の子供を守ろうとしていた。

    母になった日々

    大学はそのまま通い続けた。
    単位もなんとか取っていたので、無事に卒業できた。

    卒業と同時に、私は県外にある旦那の実家へ移った。
    出産も、その土地ですることになった。
    里帰り出産はしなかった。
    今思えば、よくやったと思う。

    旦那の両親は自営業をしていた。
    お父さんとお母さんは、いつも一緒に行動していた。
    仲の良い夫婦だった。

    実家には義姉もいた。
    義姉も近々結婚予定だったから、一緒に暮らした期間は一年くらいだったと思う。

    義父も義母も、義姉も、本当に良い人たちだった。
    私は無事に出産した。

    義母は、一ヶ月間ずっと子育てを手伝ってくれた。
    私は必死だった。
    子育てなんて何もわからない。
    でも、とにかく毎日をこなすしかなかった。

    たまに義実家の自営業のホームページを作ったり、
    デザイン関係を手伝ったりもしていた。
    名前を書くとたぶん身バレするので伏せるけれど、
    そういう作業は昔から好きだった。

    旦那は相変わらずだった。
    仕事はする。
    でも長く続かない。
    就職しては辞めて、また別の仕事へ行って、を繰り返していた。
    それでも、昔みたいな暴力はほとんどなかった。
    だから私は、「落ち着いたんだ」と思いたかった。

    でも、性欲だけは異常に強かった。
    避妊もしなかった。
    その結果、二年おきに子供が生まれた。
    三人目の時は特に大変だった。

    上の子二人を見ながら動き回っていたせいか、一ヶ月早く陣痛が来た。
    産婦人科にはなんとか間に合った。
    でも分娩室までは間に合わなかった。
    診察室で、立ったまま出産した。
    (看護師さんキャッチしてくれてありがとう)

    今では子供たちと笑い話にしている。
    でもあの時は、本当に必死だった。

    子育ては大変だったけど
    でも、すごく我が子は可愛かった。
    私は毎日、子供たちだけを見て生きていた。

    でも三人目が生まれて一ヶ月くらい経った頃、また空気が変わり始めた。

    旦那は、Lo〇というオンラインゲームで知り合った女の人と、
    毎晩ずっと通話するようになっていた。
    夜中まで大声で笑っている。
    子供たちは起きる。
    私は寝不足だった。
    だからある日、私は小さな声で言った。
    「ごめんやけど、子供起きるから静かにして」
    それだけだった。

    でも次の瞬間、旦那は突然怒鳴った。
    「女と喋ってるのに、風が悪いやろ!」

    “風が悪い”というのは、方言で「かっこ悪い」とか「恥をかかせる」みたいな意味だった。

    そして、そのまま殴られた。

    殴られて、頭がくらくらした。
    思ったのは、
    「今、何が起きた?」
    だった。
    一瞬、意識が飛んだ。
    脳震盪だったんだと思う。

    でも旦那は、そのまま通話相手の女に向かって笑いながら、
    「ちょっと躾してくるわ」
    と言った。

    女も、
    「ほどほどにねー」
    と笑っていた。
    今でも、その声を覚えている。

    そのあと私は、子供を庇うようにしていた。
    でも、お腹を蹴られた。

    髪を上に引っ張られて、そのままこめかみを殴られた。
    気づいた時には、床に倒れていた。
    意識が飛んでいたんだと思う。

    でも旦那は、
    「演技すんな!」
    と怒鳴っていた。

    下の階から義母が、
    「うるさいわよー!」
    と声をかけてきた。

    私は必死で、
    「た、助けて!」
    と言った。

    でも旦那はさらに怒鳴った。
    「何が助けてや!!」
    そのあとも、殴られ続けた。
    意識が遠のきそうだった。

    でも、子供たちのことを考えて、必死に耐えていた。

    動けなくなったあと、服を脱がされた。
    抵抗すると、また殴られた。

    今思えば、あれはほとんどレイプだった。

    その夜、夢を見た。
    あんこが出てきた。
    はっきり喋っていた。
    「次はきっとないよ」
    「私みたいに殺されたら、家族で隠蔽されるよ」
    「お願い、逃げて」

    翌朝、顔はひどく腫れていた。

    目元と眼球も顎も赤黒く内出血していた。
    これはまずいな、と思った。

    一階へ降りると、義母が私の顔を見た瞬間、息を呑んだ。

    顔が青ざめていた。
    義父はしばらく黙って私を見て、それから静かに言った。
    「長男の幼稚園のお迎えはこっちが行くから」
    「そんな顔で外に出たらあかん」
    「家で冷やして、ゆっくりしとき」

    でも私には、それが死刑宣告みたいに聞こえた。

    みんなが出て行ったあと、私は隣の家へ向かった。
    そこには、義姉夫婦が住んでいた。
    義姉のところにも小さい娘がいた。
    だから私は、少しだけ期待していた。
    同じ母親なら、助けてくれるかもしれないと思った。

    でも義姉は、困ったような顔でこう言った。
    「でも、終雨ちゃんも何かしたんじゃないかなー?」
    「男の人は立てないと駄目だよー!」
    私は何も言えなかった。

    でも心の中では、

    “自分の娘がこんな目に遭ったら、お前どう思うん?”
    そう思っていた。
    でも、口には出さなかった。

    その時、私は昨日見た夢を思い出していた。
    あんこが言っていた言葉。
    「次はきっとないよ」
    「お願い、逃げて」
    本当に、次殴られたら死ぬかもしれない。
    そしてもし死んでも、この家なら隠される。

    私は本気で、そう思った。

    逃走の準備

    まず私は、この家を出ることを考えた。
    でも、子供を三人連れて実際逃げるなんて無理だと思った。

    だから私は、オンラインゲームにログインした。
    高校時代の同級生と、その友達に相談するためだった。

    当時、私はまだガラケーだった。
    LINEも当たり前じゃない時代だったし、メールは見られる可能性があった。
    だから、証拠が残りにくいオンラインゲームのチャットで話すことにした。

    友達は、前から私の話を聞いていた。
    だから薄々やばいとは思っていたらしい。
    でも、どこまで踏み込んでいいかわからなかったと言っていた。

    私は、殴られた顔の腫れのことも話した。
    すると二人は、
    「逃げるなら迎えに行く」
    そう言ってくれた。
    その言葉だけで、少し泣きそうになった。

    そして、
    「まず絶対、顔の写真撮って」
    「証拠残して」
    「私たちに送ったら消して」
    そう言われた。
    だから私は、殴られた顔をいろんな角度から撮った。
    あの時初めて、“これは記録を残さなきゃいけないことなんだ”と思った。

    その後、私は殴られた影響なのか、高熱が続いた。
    しばらくまともに動けなかった。

    友達に連絡する余裕もなく、十日くらい経っていたと思う。

    少し熱が下がった頃、私は家に誰もいない時間を見計らって、二番目の姉に電話をかけた。
    姉は昔からおしゃべりで、口が達者だった。
    だから、きっと上手く母に話してくれると思った。

    私は姉に全部話した。
    「旦那にボコボコに殴られた」
    「ほぼ軟禁みたいになってる」
    「病院にも連れて行ってもらえてない」
    「二階に旦那がおるから怖い」
    「反対押し切って、自分で選んだのはわかってる」
    「子供連れて一旦帰りたい」
    「でも顔の痣がまだ残ってるから、帰らせてもらえへんと思う」
    そこまで一気に話した。

    姉は少し黙って、それからすぐに言った。
    「わかった!!なんとかする!!」
    そう言って電話を切った。

    その日の夜、義父と義母が帰ってきた。
    そして、
    「今週の土曜日、実家に連れて行くから」
    と言われた。

    どうやって義両親を説得したのかはわからない。
    でも姉が母と相談してなんとかしてくれたんだと思う。
    私は、それが本当にありがたかった。

    あとから姉に聞いた話だけど、母は義両親にこう言ったらしい。
    「娘が、どうしても今週だけ実家へ帰りたいと言ってるので、子供と一緒に無事送り届けてください」
    そして最後に、
    「ちなみに旦那さんも連れてきてください」
    と言ったらしい。

    直球すぎて、あとから聞いてちょっと笑ってしまった。

    私はまだ目の周りが真っ青だった。
    だから眼帯を買ってもらって、それを付けて実家へ向かった。
    でも、それを見た義父に、
    「大袈裟やな」
    と言われた。

    今思えば、義母もずっと暴力で支配されていたのかもしれない。
    義父は身長190cmくらいある、大きな人だった。

    昔、一度だけ義母のお母さんに会った時に、
    こんなことを言われたのを思い出した。
    「娘が出産した時、面会もさせてもらえなかった」
    「だから、こっそり会ってたんよ」
    その時の私は意味がわからなかった。

    なんで、自分の娘が産んだ子供を見るのを拒否されるんだろうって。
    でも今ならわかる。
    たぶん義母も、ずっと支配されていたんだと思う。


    実家へ向かう車の中って、普通もっと重い空気を想像すると思う。
    お葬式みたいな感じを。
    でも全然違った。

    みんな、普通に楽しそうだった。
    義父も義母も、旦那も、普通に喋って笑っていた。
    私は後部座席で、眼帯をしたまま黙っていた。
    たぶん、この家族にとっては、これが“いつものこと”だったんだと思う。
    誰も悪びれていなかった。
    殴られた私だけが、空気の違いに気づいていた。
    それが本当に怖かった。

    実家に着いて、まずはみんな普通に挨拶をした。和やかな空気だった。
    家は、昔のあの不気味な家から引っ越していた。
    姉から、新しい家になったことは聞いていた。
    そして、不倫して離婚した父も、一年くらい前に土下座して戻ってきたらしい。※また父が戻ってきた経緯等ここは番外で詳しく書く予定です

    だから父がいることも、ある程度覚悟していた。

    私はそのまま、奥の台所へ行った。
    そこには二番目の姉と、父がいた。
    後から母もきた。
    私は黙って眼帯を外した。
    殴られてから二週間以上経っていた。
    でも、まだ目の周りには内出血が残っていた。
    顔のあちこちには、治りかけの黄色い痣も浮いていた。
    父は何も言わなかった。
    母も何も言わなかった。
    でも、静かに怒っているのがわかった。
    あの空気は、今でも忘れられない。

    私は母と父に言った。
    「このままじゃ、絶対殺される」
    そう言った時、自分でも少し驚いた。
    でも、本気だった。

    私は続けて言った。
    「離婚したい」
    「示談が無理なら、DVとして警察に被害届を出したい」
    声は震えていたと思う。
    迷惑をかけるのはわかっていた。
    反対を押し切って結婚したのも自分だった。
    でも、もう限界だった。
    私は頭を下げた。
    「離婚できるまで、私と子供たちをここに居させてほしい」
    そうお願いした私に母と父はうなずいた。

    湺戌

    そして義理の両親、旦那の前に座った母が静かに言った。
    「結婚させた時の約束、どうなりました?」
    その瞬間、義母の顔色が変わった。

    そして急にソファから降りて、床に土下座した。
    「申し訳ありませんでした」
    そう言って泣きながら謝っていた。

    でも、義父と旦那は違った。
    二人ともソファに座ったままだった。

    しかも義父は、
    “なんで土下座してるんだ?”
    みたいな顔で義母を見ていた。

    その空気が、私はすごく怖かった。

    母は続けて言った。
    「なんで、手を出して殴った本人が謝らないんですか?」
    「おかしくないですか?」
    「こんな状態で放置して、普通はまず病院に連れて行くでしょう」
    そして義父を見ながら言った。
    「おたく、娘さんいましたよね?」
    「もし娘さんがこんなことされたら、どう思います?」
    「まず病院でしょう!!」
    母は怒っていた。
    でも、ちゃんと冷静だった。
    そして最後にはっきり言った。
    「娘と孫は、もうそちらには帰せません」
    「娘と離婚してください」
    その言葉を聞いた瞬間、私は泣いてしまった。

    義父は無表情だった。
    怒っている様子もなかった。
    ただ、静かにこう言った。
    「まあ、その時は確かに許せませんが」
    「手を出される方にも原因があるのでは?」
    と最後にニヤリと不気味な顔で言った。

    私は耳を疑った。

    そして義父は続けた。
    「離婚はさせません」
    「とりあえず三十分くらい、我々は席を外しますので、当事者同士で話し合いしてみてはどうですか?」

    母はすごく嫌そうな顔をしていた。

    私も、
    “なんでこんな奴と二人きりにされなあかんの?”
    と思った。
    でも姉が、後ろからこっそり
    「隣の和室に待機してるから」
    「変なことしたらすぐ警察呼ぶ」
    そう言ってくれた。

    だから結局、私は旦那と二人きりにされた。
    二人きりになって、旦那が最初に聞いてきたのは、
    「離婚、本気なん?」
    だった。
    私は、自分でも驚くくらいスラスラと言葉が出た。
    「あんなことされて、まだ私があなたのこと好きやと思う?」
    「もしかしたら次は私じゃなくて、子供かもしれない」
    「“躾”って言いながら殴って、殺すかもしれない」
    「もう前みたいに一緒に暮らすなんて無理」
    「怖すぎる」
    「別れてください」
    自分でも不思議だった。

    でも、あの時は本当に恐怖が限界だった。

    旦那は最初、びっくりした顔をしていた。
    でも次の瞬間、急に笑った。
    「お前に三人の子育てなんか無理やろ」

    私はすぐ言い返した。
    「子育てに参加してないお前が何言ってるん?」
    「どうせ子供引き取っても、お前の親に面倒見させるんやろ?」

    すると旦那は、呆れたみたいな顔でこう言った。
    「お前みたいな女、俺と離婚してもまた俺みたいな男に支配されるだけやわ」
    「だから俺にしとけ」

    意味がわからなかった。
    でも今思えば、あれは最後の支配だったんだと思う。
    そのあと、旦那は何か色々言っていた気がする。でも、ほとんど覚えていない。
    もう気持ちは決まっていた。

    しばらくして、みんなが部屋へ戻ってきた。
    義父は、何事もなかったみたいな顔で私たちを見て、
    「どうだった?」
    「有意義な時間になったか?」
    と聞いてきた。
    今思えば、本当にズレていた。
    この旦那にして、この親あり、だったんだと思う。

    私は義父の方を見て、はっきり言った。
    「離婚することにしました」
    「離婚届を送るので、署名して送り返してください」
    「今までお世話になりました」
    そして最後に義母へ向かって、
    「お義母さんも、お体に気をつけてください」
    そう言った。
    義母は泣いていた。

    義父は少し驚いた顔で、旦那の方を見た。
    “説得できなかったのか?”
    みたいな顔だった。

    でも旦那は、面倒くさそうにため息をついて、
    「もう、とりあえず帰りたい」
    「時間経てばなんとかなるやろ」
    そう言った。
    その瞬間、私は思った。
    この人は最後まで、何もわかっていなかったんだと。

    証拠集め

    奴らが帰ってから、私は離婚の準備を進めた。

    まず病院へ行った。
    精密検査を受けるためだった。

    先生は私の顔を見て、すぐに表情を変えた。
    左目の周りはまだ腫れていて、目の内出血もあった。

    検査の結果、左目の骨の辺りが少し陥没していたらしい。

    そして先生に言われた。
    「ここがあと一ミリずれていたら危なかった」
    「眼底骨折していたら、脳内出血や眼球破裂していた可能性があります」
    「最悪、死んでいたかもしれません」
    私はその言葉を聞いて、初めてゾッとした。

    本当に死ぬところだったんだ、と。

    そのあと先生に聞かれた。
    「抵抗しなかったね?」
    私は、
    「途中から抵抗やめました」
    と答えた。
    すると先生は静かに言った。
    「それで助かったんだよ」
    「もっと暴れていたら、もっと酷いことになってたかもしれない」
    「でもこれから視力が落ちたり、失明するかもしれない。後遺症はいつ出てくるかわからないから気をつけて」

    左目はまだ痛かった。
    左腕にも痺れが残っていた。

    私はそのまま電気治療を受け、警察に提出する用の診断書を書いてもらった。
    診断書には、
    顔面打撲
    左眼窩周囲挫傷
    頸椎捻挫
    左上肢神経症状
    所見:
    左眼周囲に腫脹・皮下出血を認める。
    左上肢にしびれ症状あり。
    受傷機転について本人より「配偶者から暴行を受けた」との申告あり。
    加療見込み:
    約2週間〜6か月程度の通院加療を要する見込み。と書かれていた。

    そのあと、私は殴られた時の写真の印刷をした。

    そして旦那両親名義の携帯は使わないことにした。
    代わりに、姉名義で新しくスマホを契約した。
    当時の私は専業主婦で、自分名義で契約することも難しかった。
    支払いは、自分の貯金を崩していた。

    そして三日後、旦那から電話がかかってきた。
    「そろそろ頭冷えたか?帰ってこい」
    「従兄弟の結婚式で、長男にリングボーイさせるからな!!」
    私は呆れた。
    帰るわけないだろ、と思った。

    だからはっきり言った。
    「離婚しないなら、DVとして警察に被害届出しますね」
    すると向こうは急に怒鳴り始めた。
    「今すぐそっち行って殴ったる!!」
    私はそのまま電話を切った。

    そして県警本部のDV相談センターへ電話した。

    事情を説明すると、すぐに言われた。
    「今から最寄りの警察署へ行ってください」
    「こちらから話を通しておきます」
    私は母と一緒に、近くの警察署へ向かった。

    受付で、
    「県警本部に言われて来ました」
    そう伝えた瞬間、空気が変わった。
    中の人たちが一気に慌ただしくなった。

    そして私服警官が五人くらい出てきて、囲まれるように奥へ案内された。

    母とは別々の部屋だった。

    まず警察に聞かれた。
    「被害届は出しますか?」

    私は、診断書と証拠の写真を机に取り出して
    「出します」
    とはっきり答えた。

    すると警察の人が、真面目な顔で言った。

    「DV被害に遭われた方は、途中で“やっぱり自分が悪かったかも”と思って、被害届を取り下げる人も多いんです。」

    それを聞いて、少しだけ怖くなった。

    そのあと、どれくらいの頻度で暴力があったのか聞かれた。

    私は、
    「普段は殴られたりはしないですけど、たまに髪引っ張られて引きずり回されたりはしました」
    と答えた。

    すると警察官は険しい顔で言った。
    「終雨さん」
    「それを暴力って言うんですよ」
    「普通は人に手をあげません」
    その瞬間、自分の感覚が壊れていたことに初めて気づいた。
    私は、何が普通で何が異常なのか、もうわからなくなっていた。

    そこから数時間、私は事情を説明した。
    旦那との馴れ初め。
    同棲。
    妊娠。
    暴力。
    あんこのこと。
    離婚したいと思った理由。
    全部、細かく聞かれた。
    途中で何回も泣いた。

    でも刑事さんたちは、ちゃんと最後まで話を聞いてくれた。
    そのあと、刑事さんが陳述書を作成した。

    そして私は、
    「どうやって殴られたか」
    を再現するため、道場みたいな場所へ移動することになった。
    そこには私服警官が四人くらいいた。
    私は少し不安だった。
    すると急に、一人の刑事さんが待機していた別の刑事さんを背負い投げした。
    そして、
    バーン!と大きな音が響いて
    「こんな感じでね!やっていきますんで!そんな緊張しないで大丈夫!」
    びっくりしたけど、ちょっとだけ笑い、緊張が解けたきがした。

    そのあと私は、自分がどう殴られたかを、一つずつ説明していった。
    髪を引っ張られたこと。
    蹴られたこと。
    こめかみを殴られたこと。
    倒れたこと。
    気を失ったこと。

    すると刑事さんたちは、
    「じゃあ次再現写真を撮っていきますね」
    と言って動き始めた。
    私役と旦那役に分かれて、被害者、被疑者のプラカードを首にかけた刑事さんが、殴られた状況をコマ撮りみたいに再現していく。

    私はその横に立って、
    指差しているところを写真が撮られていく。

    フラッシュの音だけが妙に響いていた。
    なんだか、自分の人生じゃないみたいだった。

    でもその時になって初めて、
    “これは本当に事件なんだ”
    と思った。

    再現写真を撮り終わって、私はまた調書室へ戻った。

    そこで母と合流した。

    警察署へ来たのは朝九時頃だった。
    でも時計を見ると、もう午後三時になっていた。
    たった一日のはずなのに、何日も経ったみたいに疲れていた。
    母には一度家へ戻ってもらうことにした。
    姉が子供たちを見てくれていたので、交代してもらうためだった。
    警察は、私だけじゃなく、旦那を知っている人にも話を聞くらしかった。
    「普段どんな人だったか」
    「暴力的な様子はあったか」
    そういうことも含めて、調書を取ると言われた。

    その時になって初めて、
    “もう後戻りできないところまで来たんだ”
    と思った。

    警察は、そのあと県をまたいで捜査を進めることになった。
    私の住む県と、旦那のいる県。
    両方の警察が連携して動くらしい。

    私は旦那の写真も提出した。

    刑事さんたちは慌ただしくしていた。
    私はただ、ぼんやりその光景を見ていた。

    もう、“家庭内の問題”では済まなかった。

    これは、DV事件として動き始めていた。

    警察から、今後の流れについて説明を受けた。

    「裁判所が逮捕状を出せると判断したら、相手の県警と連携して動きます」
    「旦那さんが家にいるタイミングを見て、警察が踏み込みます」
    そう説明された。

    そして、
    「何があるかわからないので、しばらく県外へ避難してください」
    と言われ、
    私は子供たちを連れて、母の実家がある和歌山へ避難することになった。

    避難した日は、ちょうど年末だった。

    母も姉たちも、
    「まあ実家に顔出す程度で」みたいな空気で動いていた。
    子供たちには、
    「ひいばあちゃんに会いに行こうか~」
    とだけ伝えた。
    本当のことなんて、とても言えなかった。

    私は荷物をまとめながら、ずっと落ち着かなかった。
    でも子供たちは、普通に楽しそうだった。
    それだけが少し救いだった。

    それから大晦日の日だった。
    県警の担当者から電話がかかってきた。
    「逮捕状が取れましたので今から自宅へ突入します」
    そう言われた。

    私は、事前に家の構造や部屋の場所を警察へ伝えていた。
    だから警察もスムーズに動けたんだと思う。

    あの時、旦那が何をしていたのかは知らない。
    でも多分、いつも通りだったと思う。
    オンラインゲームをしながら配信していたかもしれない。
    女か、ゲーム友達と通話していたかもしれない。
    まさか大晦日に警察が踏み込んでくるなんて、夢にも思っていなかったと思う。
    そう考えると、私は声を大きくして言った
    「ざまあみろ」

    そして数分後、今度は旦那側の県警の担当者から電話がかかってきた。
    「旦那さん、逮捕されたけんね!」
    「安心してな!」
    そう言われた。

    私はその瞬間、全身の力が抜けた。
    「終わった……!」
    って思った。
    まあ、全然終わってなかったんだけど。

    ここから刑事裁判の始まりである。

    その後、旦那側は弁護士を立ててきた。
    女性の弁護士だった。
    示談の話も出た。

    でも電話越しでも、なんとなく“やる気のなさ”が伝わってきた。
    たぶん、勝てないと思っていたんだと思う。

    弁護士は、
    「こちらとしては示談を考えておりますが、
    条件はどのような感じでしょうか?」
    と聞いてきた。

    私はその時、“決戦の日”のあとに知り合いの弁護士へ相談していた。
    協議離婚する場合、どういう条件にしたらいいのか聞いて、
    文章も作成してもらっていた。
    だから、その内容をそのまま伝えた。
    「親権は私」
    「養育費は月六万円」
    「財産分与は特にありません」
    それだけだった。
    私はもう、お金よりも、とにかく子供を連れて安全に離れたかった。

    向こうは、
    「一度相談します」
    と言って、電話を切った。
    でもしばらくして、また折り返しが来た。
    そして女性弁護士は、少し言いづらそうにこう言った。
    「養育費なんですが……月一万円にすることは可能でしょうか?」
    私は思わず聞き返した。
    「三人いて、月一万???」
    「子供のこと舐めてます?」
    すると女性弁護士は、一瞬黙ったあと、

    「ですよね~!」
    と普通に言った。
    そしてそのまま、
    「わかりました!示談なしということで!」
    と軽やかに言われた。
    あまりにもテンポが良すぎて、逆にびっくりした。
    普通は何かしら交渉するのでは・・・?

    その後、旦那側の警察署から連絡があった。
    でも、急に担当者の態度がおかしかった。
    なぜか私に、こんなことを言ってきた。
    「まあ、あんな程度じゃ送検されないし」
    「旦那さん、もうすぐ出てくるから」
    私は一気に怖くなった。

    だから急いで、自分の県の担当刑事へ連絡した。
    すると刑事さんは、すぐに言った。
    「えっ?!そんなことあり得ません」
    「あそこまで証拠揃ってたら、確実に送検されますよ」
    そして少し怒ったような声で、
    「その担当者の名前、わかりますか?」
    と聞かれた。
    でも私は、その時焦りすぎていて、名前を確認していなかった。

    今でも、あれは何だったんだろうと思う。

    電話がかかってきたその日のうちに、私は一度目の接近禁止命令を出した。(※令和五年〈2023年〉のDV防止法改正で、現在は接近禁止命令の期間が「六か月→一年」になってます。当時は6ヶ月でした。)

    すると、それからしばらく経たないうちに、また旦那側の警察署から電話がかかってきた。
    そして担当者は、なぜか怒った口調でこう言った。
    「なんで連絡したかわかってるよね?!」
    「旦那さん、送検されたけんね!」
    私はその声を聞いた瞬間、前に脅しみたいなことを言ってきた警察官だと気づいた。
    だから今度は、ちゃんと名前を控えた。
    そして私は、
    「そうなんですね~!」
    「ありがとうございました~!」
    と、嫌味たっぷりに返して電話を切った。

    そのあと、私は前に連絡していた自分の県の担当刑事さんへ電話した。
    そして、旦那側の警察署で脅すようなことを言ってきた担当者の名前を伝えた。
    ついでに、旦那が住んでいる県の県警本部にも連絡してやった。

    担当刑事さんは、
    「ありがとうございます、こちらでも確認します」
    と落ち着いた声で対応してくれた。

    そして私は最後に、
    「本当にありがとうございました」
    と伝えた。
    あの時の私は、警察がちゃんと動いてくれたことが、本当にありがたかった。


    ――後日、あとから聞いた話なのだけど。

    長男は幼稚園の送り迎えの時、義父にこんなことを聞いたらしい。
    「なんでお母さん、顔腫れてるの?」
    「お父さんに殴られたの?」
    長男は、全部見ていた。
    まだ幼稚園だったのに。
    すると義父は普通にこう答えたらしい。

    「お母さんが、殴られるようなことをしたからだよ」
    「お父さんは悪くない」

    私はそれを聞いた時、本当にゾッとした。
    暴力だけじゃなかった。
    この家では、“殴られる側が悪い”という考え方そのものが普通になっていた。

    刑事裁判

    旦那は検察へ送検され、そのまま起訴された。
    今の令和ではどうなのかわからないが当時は、子供がいても、事件が起きた場所でしか裁判や取り調べを受けられなかった。
    だから私は、検察の取り調べを受けるため、現地へ向かうことになった。

    少しでも交通費を浮かせたかったので、子供たちは母へ預け、高速バスで行くことにした。

    検察庁の近くは、旦那の義父の実家がある場所だった。
    しかも到着が昼前で義実家のルーティーンが義母と義父が、昼になるといつもそこへ寄ることを知っていたのでかなり怖かった。

    念のため帽子とサングラスをかけて向かった。

    帰りの高速バスは、最終便を取っていた。
    田舎だからか、本数も少ない。

    取り調べがどれくらいかかるのかもわからなくて、私はずっと不安だった。

    でも実際に現地へ着くと、検察の人たちは思っていたよりずっと優しかった。
    「子供さんは大丈夫?」
    「お母さんも遠いのにごめんね」
    そう声をかけてくれた。

    そして、
    「帰りはどうするの?」
    と聞かれたので、
    「最終の高速バスを予約してます」と答えた。
    すると、
    「わかった!じゃあ、それまでに終わらせようね!」
    と言ってくれた。

    あの時は、そういう何気ない言葉が本当にありがたかった。

    そしてまず、旦那との馴れ初めから、全部を話した。
    警察でも細かく聞かれていたけれど、検察ではさらに細かかった。
    どう出会ったのか。
    どうして同棲したのか。
    暴力はいつから始まったのか。
    どんなことをされたのか。
    一つずつ、順番に説明していった。
    その中で、あんこの話にもなった。
    私は途中で、何回か泣いてしまった。
    あんこが殺された時のこと。
    抱えて逃げたこと。
    夢に出てきたこと。
    話しているうちに、全部また思い出してしまった。

    でも検察の人は、急かさずに待ってくれていた。

    警察の陳述書はすでに読んでいたと思う。
    でも、あんこの話になった時、検察の人たちの空気が少し変わったのがわかった。
    「猫を殴り殺した」
    その言葉に、一瞬だけ部屋が静かになった。
    私はその反応を見て、
    “ああ、この人はやっぱり危険な人間なんだ”
    と、改めて思った。

    全部話し終わった頃には、もう高速バスの時間が迫っていた。
    長時間の取り調べだった。
    でも検察の人たちは最後に、
    「よく頑張ったね……!」
    と声をかけてくれた。
    私はその言葉を聞いて、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

    そのあと検察庁を出て、見送られながら高速バス乗り場へ向かった。
    夜の高速バスに揺られながら、私はぼんやり窓の外を見ていた。
    あの頃の私は、毎日必死すぎて、何を考えていたのかもうあまり覚えていない。
    でも、とにかく前へ進むしかなかった。

    旦那は、そのあとMAXまで勾留されていた。
    途中で旦那側が仮釈放の申請をしたらしい。
    保釈金も積んだみたいだった。
    でも結局、却下された。
    当時はすでに接近禁止命令も出ていたし、逃亡や接触の危険性があると判断されたんだと思う。
    私はその話を聞いて、少しだけ安心した。
    まだ普通に怖かったからだ。

    裁判が始まる前に、義実家へ置いたままになっていた私と子供たちの荷物を取りに行くことになった。
    でも、さすがに女だけで行くのは危ないと言われた。
    だから母と、母の知り合いの男性、それから私の三人で向かうことになった。

    事前に旦那側の警察署へ連絡して事情を説明すると、警察も同行してくれることになった。
    ただ私は、一つだけ嫌な予感がしていた。
    “前のあの警察官じゃなかったらいいな”
    と思っていた。
    でも行ったら、そいつだった。
    マジで帰れよと思った。

    まず指定された日時に警察署へ向かい、直接家へ行く前に一度署へ寄るよう言われた。
    そのまま部屋へ通されたけど、なんだか空気がおかしかった。
    被害者のはずなのに、こっちが悪いことしたみたいな雰囲気だった。
    正直、かなり気分が悪かった。

    あとから聞いた話だけど、義父は警察にツテがあったらしい。
    だから最初は、なんとか揉み消そうとしていたみたいだった。
    今思えば、あの警察署の妙な空気も、それが理由だったのかもしれない。

    でも、さすがに検察までは無理だったらしい。

    警察同行のもと、義実家へ向かった。
    まず警察がインターホンを鳴らした。
    そして玄関に仁王立ちしていたのは、なぜか義姉だった。
    “なんでお前がおるん?”
    って普通に思った。
    でも面倒だったので無視した。

    玄関の広場みたいな場所には、私の荷物だけがまとめて置かれていた。
    子供たちの荷物は、一つもなかった。
    その時、
    “ああ、この人たち子供を渡す気ないんだ”
    と思った。

    私は警察に、
    「部屋に忘れ物がないか確認してもいいですか?」
    と伝えて、二階へ上がった。

    そこで、結婚前に母から買ってもらったパソコンを見つけた。
    液晶とペンタブが一体型になっているタイプだった。
    私は、
    「これ持って帰ります」と言った。
    すると義父が急に、
    「それはダメだ」と言い出した。
    警察も、
    「ここでは誰の所有物か判断できないので……」みたいなことを言い始めた。

    だから結局、勾留中の旦那へ電話して確認してもらうことになった。

    すると旦那は、
    「それは嫁のです」
    と言ったらしい。

    なのに義父は最後までめちゃくちゃ文句を言っていて、結局私は持って帰れなかった。

    だから私は最後に、そのパソコンへ解読不可能なパスワードだけ設定してやった。

    子供たちの服は、少しだけ詰めることができた。でも、おもちゃ類を持って帰ろうとすると、また止められた。
    義父が、
    「どっちが親権になるかわからないから」
    と言い出した。
    私はその言葉を聞いて、
    「本気でそれ言ってます??」と、思わず笑ってしまった。

    そして、
    「まあ、いいです。おもちゃはこっちで買います」
    「子供はもう二度と戻ってくることはないので、あとは処分してくださいね」
    と、にこやかに言った。

    義父の顔が少しひきつったのを見て、そのまま私は家を出た。

    でも、あの時ひとつだけ気になったことがある。
    義母の姿だけ、最後まで見えなかった。
    少し心配だった。
    私は、義母のことが嫌いじゃなかった。
    夜、一緒に紅茶を飲みながら話す時間が好きだった。
    子育ての話をしたり、テレビを見ながら笑ったり、映画を見たり、
    普通の家族みたいな時間も確かにあった。
    だからこそ、あの家が余計に歪に思えた。

    荷物を積んで私はそのまま車へ乗った。
    そして窓からふと外を見ると、警察官たちは義父と普通に笑いながら話していた。
    それを見て、
    “あー、さすが田舎の警察やな”
    と思った。
    正直、腹が立った。

    起訴されてから一か月後、刑事裁判が始まった。

    でも私は、裁判には出廷しなかった。
    なぜなら、被告人が認めていて、証拠が十分、診断書や写真が多かったからだ。
    なので静かに結果を待っていた。

    それに当時は、刑事裁判の結果が出るまで、離婚調停の申し立ても進められなかった。
    だから私は、とにかく待つしかなかった。
    離婚届も、勾留中に何回も差し入れしてもらった。
    でも結局、一度も戻ってこなかった。
    最後まで、自分から終わらせる気はなかったんだと思う。

    そして裁判の結果は、
    懲役三年、執行猶予六年、保護観察付き。

    DV案件としては、かなり重めの判決だったらしい。

    そのあと裁判所から手紙が届いた。
    保護観察に関する通知を、どこへ送るかという確認だった。
    私は迷った末、自分で受け取ることにした。
    そして裁判が終わったということは、執行猶予付きとはいえ、
    旦那が釈放されるということでもあった。

    だからまず、実家ごと引っ越そうという話になった。
    でも、その頃の実家もかなり壊れていた。
    これはまた番外編で書きたいと思うけど、父が戻ってきたことで、母の会社が潰れかけた。

    家の空気もどんどん悪くなっていた。
    そして長女から、
    「お前のせいで人生めちゃくちゃや!」
    「全員で心中しろ!!」
    と怒鳴られたこともあった。
    かなり病んだ。

    でも今思えば、姉も姉で限界だったんだと思う。

    引っ越しするまでに、私も働かないと生活が危なかった。
    だから、とりあえず託児所付きの職場を探した。
    保育園の申請もしながら、なんとか働き始めた。

    次女は東京で仕事が決まり、そのまま一人暮らしをすることになった。
    三女も婚約していたので、彼氏と同棲することが決まっていた。

    だから最終的に、
    私、子供三人、母、そして長女。
    その六人で、家賃十二万円の4LDKマンションを借りることになった。
    ただ、母と姉からは、
    「あなたと子供三人で住むんだから、十一万は入れて」
    と言われていた。
    だから私は、毎月十一万円を家へ入れていた。

    でも当時働いていた場所は個人事業主みたいな形だったので、収入もかなり不安定だった。

    給料も、十六万円入ればいい方だった。
    正直、かなりギリギリだった。

    長男は、ちょうど翌年小学生へ上がる時期だった。
    だからランドセルも用意しなければいけなかった。
    生活はかなりギリギリだった。
    子供たち全員が保育所へ入れるまで、一年かかった。
    その間も私は働きながら、なんとか生活を回していた。
    市役所では、住所閲覧不可の手続きもしてもらった。

    でも離婚調停だけは、また元々住んでいた地域でやらなければいけなかった。
    だから父に紹介された弁護士へ依頼した。
    でも、その弁護士が本当にやる気のない人で最悪だった。
    養育費について相談しても、
    「まあ、あとからでも請求できますんでね~」
    みたいな感じだった。
    義実家へ置いてきた荷物についても、
    「もう捨てちゃったって言ってます~」
    と軽く言われて、本当に腹が立った。
    調停はDVなどの関係もあり、
    (それに旦那が頑なに離婚したくないと言っていたそうだ)
    すぐに離婚審判に移行した。
    離婚は成立。
    親権は私。
    養育費は未定。(無職だったため)
    財産分与もなし。
    向こうは働いていなかったし、そもそも分けるような財産もなかった。
    私は、とにかく子供たちを連れて離れられたことだけで精一杯だった。
    でも、働いていても生活は全然楽にならなかった。

    だから一度、市がやっている貸付相談みたいな場所へ行ったことがある。
    でも、そこで言われたのは、
    「あなた若いんだからっもっと働きなさい」
    だった。
    私は、
    「働いてます、でも全然生活費も足りなくて・・!」
    って何回も説明した。
    あまり話を聞いてもらえなかった。
    子供が三人いて、保育園もまだ決まっていなくて、DVから逃げてきて、
    養育費もなくて――
    そういう事情より、
    “若いならなんとかなる”
    みたいな空気だった。
    私は結局、泣きながら家に帰った。

    生活保護の相談にも行った。
    でも、姉と母と同居していたこと、そして母の前年度の収入が理由で対象外と言われた。
    さらに、児童扶養手当も申請できなかった。
    理由は同じだった。
    母と姉と住んでいるから。

    実際は、私は毎月家へ十一万円入れていたし、生活はかなりギリギリだった。

    でも制度上は、
    “実家に住んでいるから支援されている”
    という扱いだった。

    だから私は、早く家を出たかった。

    何度も、
    「団地でもいいから、子供たちと別で暮らしたい」
    と母へ言っていた。

    でも母は許してくれなかった。
    今思えば、私が出ていくと家賃負担が一気に増えるからだったんだと思う。
    私は生活費も入れていたし、家事もしていた。

    ご飯を作るのも、基本的には私だった。

    だからあの頃の私は、
    “助けてもらっている”
    というより、
    “支える側”
    でもあったんだと思う。

    もちろん、実家へ戻った時は本当に助けてもらった。
    母がいなかったら、私は子供たちを連れて逃げることすらできなかったと思う。
    警察も、病院も、裁判も、全部一人では無理だった。
    だから感謝もしていた。
    でもその一方で、かなり苦しかったこともある。
    母には何回も、
    「三人育てるのは無理だ」
    と言われた。
    「二人は向こうへ渡したら?」
    「長男は旦那に似てるし、向こうにあげたら?」
    そう言われたこともあった。

    かなり病んだ。
    あの頃の家は、みんな壊れかけていた。

    そんな生活が一年ほど続いた。
    ちょうどその頃、長男が小学校へ上がる時期だった。
    ランドセルを背負っている姿を見ながら、
    “ここまで来れたんだな”
    と少しだけ思ったのを覚えている。

    そしてその頃、長女に急に“いい人”ができた。
    仕事関係の上司だった。
    そこからは本当に早かった。
    気づけば婚約が決まり、そのまま結婚まで決まった。

    正直私は、
    “あんな気の強い姉でも結婚できるんや?!”
    とかなりびっくりした。

    でも相手の人が、海外赴任の多いタイプだと聞いて、
    「あぁ~、なんかわかるわ……」
    と妙に納得した。

    長女はかなりハッキリ物を言うタイプだったし、日本の空気を読む文化より、海外寄りの価値観の人の方が合っていたんだと思う。

    長男は小学生になり、下の二人も無事に保育所へ入ることができた。
    だから私は転職することにした。

    大学を出てすぐ結婚したので、私はちゃんと社会人として働いた経験がほとんどなかった。
    だから、自分にどんな仕事が向いているのかもわからなかった。


    なかなかうまくいかない転職

    最初に入ったのは、貿易関係の会社だった。
    そこは派遣だった。
    でも、社長が女子更衣室へ隠しカメラを設置していたことが発覚して、
    派遣会社でもかなり問題になって辞めた。

    そのあと入ったのは、不動産投資関係の会社だった。
    そこは正社員採用だった。
    かなり倍率も高かったらしい。
    でもなぜか職務経験の少ない私が採用された。
    ただ、入社してすぐ女性社員三人からかなり嫌われいた。
    私は特に何もしていなかったし、正直、理由が全然わからなかった。
    でも後から理由を知った。
    そこの会社は、財務を会長のお母さんが担当していた。
    ある日たまたま二人で話す機会があって、
    その悩みを打ち明けたらその人にこう言われた。
    「あなたは、こんな低レベルな会社にいない方がいいわ」
    「もっと上を目指せる、強い女よ」
    その言葉がずっと頭に残っていた。
    結局私は、その会社を三か月で退職した。

    そして後から、仲良くなった経理担当の子に本当の理由を聞いた。
    私が採用される前、社長が営業社員たちへ履歴書を見せながら、
    「どっちが可愛い?」
    「まあ、かわいい子一人入れといて、その子が仕事できんでも、お前ら女社員がやってくれな!」
    みたいなことを言っていたらしい。
    そりゃ反感買うわと思った。
    今思えば、会長のお母さんも、あの会社の空気を全部わかっていたのかもしれない。

    その次に受けた会社では、元々事務職で応募していた。
    でも面接の時、面接官の人にこう言われた。
    「事務だと、かなり残業あるんよね」
    「保育園のお迎え、間に合わなくなると思う」
    そして少し考えたあと、
    「でも、自分の下(人事課)で働くなら定時で帰らせられる」
    「どう?」
    と言われた。
    私は正直、少し驚いた。
    今までの会社では、子供がいることは“迷惑”みたいに扱われることが多かったからだ。

    そしてそこに決意して入社した。
    でも、その会社、本当に破天荒な人しかいなかった。

    月一で全国の人事会議があったんだけど、毎回カオスだった。

    北海道の人事は、伊勢丹柄のスーツに蝶ネクタイで来るし、
    (お遊戯会か?!)
    後々そいつはコールセンターのおばちゃんに裸の写真送らせて大問題になった。(しかも1人じゃなく何人も)

    福岡の人事は、初対面の私にいきなり、
    「めっちゃ目綺麗だね!」
    と言ったあと、
    「可愛いけど俺のタイプじゃない」
    って、なぜかその場で私はフラれた。
    その人は後々、18歳のバイトの子のハニトラ(キスを迫られてしたらしい)
    に引っかかって百万円請求されて、会社が立て替えてた。

    東京の人事は一番まともそうに見えたけど、めちゃくちゃサボる人だった。
    いつもモニター室から「〇〇~!どこ行ったんや!!」と呼ばれる声がした。(後から聞いたら営業みんなで海にいって遊んでたとか聞いた)

    あと、コンプライアンス担当として中途で入ってきた、
    めちゃくちゃ資格を持っていて、高学歴な男の人もいた。
    いかにも真面目そうな感じだった。
    でもその人、駅の女子トイレで盗撮していたらしく、
    さらにお客さんの家から下着まで盗んでいた。
    ある日突然、会社に警察が十人くらい来て、そのまま連れて行かれていた。
    コンプライアンスとは何だったのか、今でもよくわからない。
    自分がコンプライアンスされた方が良いんじゃないかって思った。

    しかもその人を私は逮捕される数日前に電車で見かけていた。
    私はその土曜日、友達の美容院へ行く予定だった。
    その人の家からはめちゃくちゃ遠いし、全然関係ない駅で降りたから、
    「なんか用事あったんかな」
    って、ちょうど休み明けの月曜日に上司と話していたところだった。
    今思えば、あの時駅で盗撮してたんだと思う。

    そしてそのヤバイ会社で、一人かなり良い感じの営業マンに出会った。
    向こうからかなりアタックされて、気づけば親への挨拶まで進んでいた。
    でも母は、
    「やめた方がいい」
    と言っていた。
    私は一度結婚で失敗しているし、母の感は鋭いので、
    自分でもかなり慎重になっていた。

    向こうの親御さんは、東京に住んでいて、
    挨拶へ行った時も本当にしっかりした良い人たちだった。
    だから私も、少し安心していた。
    でも、その息子。
    なんかひっきりなしに電話してるなとは思っていた。
    しかも、
    「何グラム」
    とか、
    「今日どれくらい流れる」
    みたいな話をしている。
    最初は何の話かわからなかった。
    でも途中で、
    “あれ……?”
    ってなった。
    正直に聞いてみたら、普通に大麻のバイヤーだった。
    なんなんやろな、私の人生。

    その話を同級生へしたら、
    「歩く変態ホイホイやな」
    と言われた。
    私も、さすがに否定できなかった。

    私は、一応彼に
    「それ、辞める気ないん?」
    と聞いた。
    でも向こうは一生辞める気はないと言った。
    だから私は別れた。
    今思えば、あの時ちゃんと離れられたのは、自分でも成長したんだと思う。
    後にInstagramで何故かそいつの投稿流れてきて、モデルと結婚していた。

    本人も昔から、
    「芸能関係と繋がってる」
    とか言っていたので、
    「あぁ、まあそういう世界なんやろな」
    と思った。

    その会社は、結局一年で辞めた。
    業績もかなり傾いていたし、今思えば本当にヤバい会社だった。
    営業マンがお客さんの家でおしっこかけたり。
    売上金を持ち逃げして飛ぶ人もいた。
    物流で働いていた人の社宅にはダンボールいっぱいの女性物下着がでてきてたし、もう普通に犯罪者だらけだった気がする。
    でも、あの頃の私は、
    “世の中って、まともそうに見えてヤバい人が結構いるんだな”
    と学んでいた時期だったのかもしれない。

    裁判後、元旦那の保護観察に関する通知は届いていた。
    私はそれを見るたび、
    「あぁ、まだ社会的には繋がっているんだな」
    と思っていた。

    そして保護観察が始まってすぐくらいだったと思う。

    元旦那が、わざわざ私の誕生日の日に関西へ来ていた。
    理由は、“ゲーム仲間とのオフ会”。
    それを教えてくれたのは、昔のゲーム関係の知り合いだった。
    もちろん直接会ったわけじゃない。
    でも、
    「なんでわざわざその日?」
    とは思った。
    偶然だったのかもしれない。
    でも、正直かなり気味が悪かった。

    後から、ゲーム関係の知り合いから、
    元旦那、ゲーム配信で、
    「養育費もちゃんと払ってる」
    みたいなことを話していたらしい。

    もちろん、一円も払われていない。

    私はそれを聞いて、
    “あぁ、この人の中では、自分はもう被害者じゃないんだな”
    と思った。

    実際、当時担当していた弁護士さんも、
    「一向に反省してる感じがないですね」
    と言っていた。

    だから私は、もう関わらない方がいいんだと改めて思った。

    その後も、SNSのDM経由で、ちょいちょい元旦那の情報が入ってきていた。
    ゲーム関係の知り合い経由だった。
    「なんかプロゲーマーのグループ入ったらしいよ」
    とか、
    「ゲイになってた」
    とか、
    「プロゲーマーのグループに入った瞬間に問題起こして脱退させられてた」
    とか。

    もう途中から、
    “元旦那おもしろ速報”
    みたいになっていた。

    正直、関わりたくはなかったけど、
    “まあ、どこ行っても問題起こすんやろな……”
    とは思った。

    まあ、そんな感じで。
    私は私で、怒涛の仕事と子育てに追われる毎日だった。

    その間も、元旦那の保護観察に関する通知は九年間届いていた。
    でも正直、
    “そんな真面目に更生してるわけないやん”
    とは思っていた。

    だって普通にゲーム配信して、めちゃくちゃ遊んでいたからだ。

    しかも、その情報がちょいちょい人づてに入ってくる。
    もう途中から、
    「はいはい、お前は何も犠牲にせず呑気にゲームして元気そうでよかったですね」
    くらいの気持ちになっていた。

    その後も、ちょいちょいゲーム関係の知り合いから元旦那の話は入ってきていた。
    でも、2019年頃だったと思う。
    元旦那のゲーム配信が、急に全部止まったらしい。
    SNSも全部消えていた。
    本当に、突然いなくなった感じだった。
    私は2014年に離婚している。
    だから、そこからさらに数年経っていた。
    それ以降、元旦那の情報は一切入ってこなくなった。
    今どこで何をしているのか、生きているのかすら知らない。

    でも、正直。
    情報が完全になくなったことで、逆に少し怖さもある。
    今どこで何をしているのか、本当にわからない。
    結婚しているのかもしれないし、子供がいるのかもしれない。
    もし家庭を持っているなら、それはそれで少し怖い。

    まあ、もう私には関係ないんだけど。

    それでも時々、
    “今は誰かを傷つけていないんだろうか”
    と思うことはある。

    ――まあ、私は今から10年以上越しに養育費調停するんだけど。
    正直、昔ほどの怒りはもうない。
    でも、子供三人分の責任くらいはちゃんと取ってもらおうと思っている。
    なので最後に、声を大きくして言っておく。
    逃げ切ったと思うなよ、である。


    ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
    一旦「名前を変えられた日」は、ここで終わりです!
    ちょいちょい端折ったところはありますが……。
    まさか自分の人生を、文章にする日が来るとは思っていませんでした。
    番外編では、子供たちの話や、その後の話も少しずつ書いていけたらと思っています。

    終雨

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

    #エッセイ #実話 #毒親 #いじめ #女子校 

    #自分史 #ノンフィクション

    #DV 


     
     
    親の占い依存、離婚、結婚、出産、DV。10代、20代、30代とかなり濃い人生を送ってきました。 友達に「エッセイ書いてみたら?」と言われ、過去を思い返しながら少しずつ書いています。 趣味はゲーム、漫画、アニメ、コスプレ。

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