
お金がない方が面白い③|「ありがとう」は、気持ちだけでは増えない
以前、私が勤める職場でサンクスカード企画を見直したことがあります。
サンクスカードとは、誰かに助けてもらったときや、うれしかったとき、感謝を伝えたいときに書くカードのことです。
企画自体は、以前からありました。
でも、実際にはあまり動いていませんでした。
前年に集まったカードは、約八十枚。
それが、少し仕組みを変えただけで、約六百枚まで増えました。
およそ七・五倍です。
もちろん、豪華な景品を用意したわけではありません。
外部サービスを入れたわけでもありません。
大きな予算があったわけでもありません。
変えたのは、ルールと見せ方と届け方です。
「ありがとうを書いてください」とお願いするのではなく、「ありがとうを書きやすくするにはどうすればいいか」「書かれたありがとうが、ちゃんと本人に届くにはどうすればいいか」を考えました。
感謝は、気持ちだけでは増えません。
見つける仕組みがあり、書ける仕組みがあり、届く仕組みがあって、初めて増えていくのだと思います。
サンクスカードには、少し苦い思い出がある
実は、私にはサンクスカードについて、少し苦い思い出があります。
フリーターとして漫画喫茶で働いていたころ、サンクスカードという企画を経験しました。
社員さんによると、日ごろのちょっとしたことにも「ありがとう」を伝え合える店舗にするため、本社から始まった企画とのことでした。
考え方としては、とても良いものでした。
ただ、その企画には表彰がありました。
ありがとうがたくさん集まった店舗は、年間優秀サンクス店舗のような形で表彰され、店舗に賞金が出る。
そうなると、目的は少しずつ変わっていきました。
最初は、感謝を伝えるために書いていたはずでした。
でも、いつの間にか「サンクスカードを書くこと」そのものが目標になっていきました。
最終的には、来週の分まで先に書いておくような、感謝予測カードとも言うべき謎の文化まで生まれました。
今思えば、サンクスカードが悪かったわけではありません。
目的と仕組みが少しずれると、良い企画でも別の方向へ進んでしまう。
そのことを、私はそこで経験したのだと思います。
だからこそ、自分の職場でサンクスカードを見直すことになったとき、ただ枚数を増やせばいいとは思いませんでした。
増やしたいのは、カードの枚数ではありません。
本当に増やしたいのは、見えにくい感謝が、ちゃんと言葉になることでした。
良い企画なのに、うまく動いていなかった
当時のサンクスカード企画では、「一番多く送られた人」を表彰していました。
それ自体が悪いわけではありません。
ただ、同じ人に何枚でも送れる仕組みだったため、同じ人から何枚ももらった人が上位になることもありました。
これでは、少し人気投票に近くなってしまいます。
さらに気になったのは、送られたサンクスカードが本人にフィードバックされていなかったことです。
つまり、カードをもらった本人は、自分のどんな行動に対して感謝されたのかが分からない状態でした。
感謝を集める仕組みなのに、その感謝が本人に届いていない。
ここに、この企画がうまく動いていなかった一番の原因があるように感じました。
サンクスカードは、集計するための紙ではありません。
書かれた言葉が本人に届いて初めて、意味があります。
それでも、この企画は残したかった
うまく動いていないから、やめる。
そう考えるのは簡単です。
でも、それは少しもったいないと思いました。
職場には、普段は見えにくい気配りや助け合いがあります。
誰かの代わりに動く。
困っている人に声をかける。
忙しい人をそっと支える。
自分の仕事ではないことにも手を伸ばす。
そういう行動は、毎日の中にたくさんあります。
でも、放っておくと見えません。
見えないものは、評価されにくい。
評価されないものは、続きにくい。
だからこそ、その行動を言葉にして残す仕組みには意味があると思いました。
問題は、サンクスカードそのものではありません。
企画の設計にありました。
表彰のルールを変えた
まず、一人が同じ人に送れるカードは、一枚までにしました。
同じ人同士のやり取りだけで枚数が増えるのではなく、より多くの人の感謝が見えるようにしたかったからです。
サンクスカードは、感謝の発見であって、人気投票ではありません。
そして、送られた枚数が多い人だけでなく、送った枚数が多い人も表彰することにしました。
「ありがとう」は、誰かが気づかなければ見つかりません。
たくさんの「ありがとう」を見つけられる人は、常に誰かのがんばりや気配りを見ている人です。
そういう人も、表彰されるべきだと思いました。
感謝される人だけではなく、感謝に気づける人も大切にする。
表彰のルールを変えるということは、単に順位のつけ方を変えることではありません。
組織として、どんな行動を大事にしたいのかを決めることでもあります。
感謝は、本人に届いて初めて意味がある
次に、送られたサンクスカードを、すべて本人にフィードバックするようにしました。もちろん、誰が送ったかは匿名です。
大切なのは、枚数を集めることではありません。
「自分の仕事を見てくれている人がいる」
「自分の行動をありがたいと思ってくれた人がいる」
そう感じてもらうことです。
職場では、目立つ仕事ばかりが評価されるわけではありません。
むしろ、本当にありがたい仕事ほど、日常の中に溶け込んで見えにくくなっています。
だから、送られた言葉はできるだけ本人に返す。
たとえ短い一言でも、その人に届けば、仕事の意味が少し変わるかもしれない。
そう考えました。
枚数ではなく、見たい行動に点をつけた
表彰の方法も、単純な枚数ではなく、ポイント制にしました。
なぜなら、部署によって人数が違うからです。
人数が多い部署では、自然とサンクスカードが集まりやすくなります。逆に、人数が少ない部署は、それだけで不利になってしまいます。
それでは、感謝を見える形にする企画が、ただ人数の多い部署に有利な仕組みになってしまいます。
そこで、他部署の人からサンクスカードをもらった場合に、ポイントが高くなるようにしました。
自分の部署の中だけで完結するのではなく、部署を越えて誰かを助ける。
部署を越えて、誰かの働きに気づく。
そういう行動が見えるようにしたかったからです。
表彰制度は、ただ結果を集計するものではありません。
何に点をつけるかによって、組織が何を大切にしたいのかが伝わります。
カードを書きたくなる空気を、動画で作った
ただ、ルールを変えるだけでは足りません。
忙しい現場では、「書いてください」と言うだけではなかなか動きません。
それどころか、言い方を間違えると、感謝まで“やらされているもの”になってしまいます。
そこで、社内チャットに定期的にショート動画を投稿しました。
スタッフに出演してもらい、「こんなときにサンクスカードを書きましょう」という内容を、ドラマ仕立てで伝えました。
職場あるあるを入れたり、少し笑える展開にしたり。
最終話では、スタッフが職場を襲う怪獣と戦うようなAI動画まで作りました。
もちろん、現実にはそんなことはありません。
だからこそ、「そんなわけないだろ」と突っ込んでもらえる。
堅い制度を、少し笑えるものにしたかったのです。
サンクスカードは、真面目な企画です。
でも、真面目に伝えすぎると、少し重くなる。
「このくらいの小さなことでも書いていいんだ」
「ちょっと照れくさいけど、参加してもいいかも」
そう思ってもらうためには、制度の説明だけでなく、空気を作ることが必要でした。
これは、私がバンド活動をしていたころの感覚でもあります。
面白いイベントには、空気を作るための仕掛けが必要でした。
ただ告知するだけではなく、「なんか面白そう」と思ってもらう。
見た人が少し笑って、少し参加したくなる。
その感覚を、職場の企画にも持ち込んだのだと思います。
大変そうな作業は、Excelマクロで解決した
送られたサンクスカードをすべて本人へ返すとなると、「それは大変ではないか」と言われました。
たしかに、手作業でやれば大変です。
今回のサンクスカード企画では、カードを紙で配って回収するのではなく、インターネットのフォームから送れる形にしていました。
紙に印刷するコストを減らすためでもあり、忙しいスタッフが少しでも書きやすくするためでもあります。
ただ、フォームに集まったサンクスカードを、一人ひとりに手作業で振り分けて返そうとすると、それだけでかなりの作業になります。
そこで、Excelのマクロを使いました。
送られた内容を整理し、送られた人ごとにまとめ、本人へ返すための形に整える。
手作業でやれば大変なことも、仕組みにしてしまえばかなり効率化できます。
外部サービスを入れるお金はありません。
専用システムを買う余裕もありません。
でも、今ある道具を組み合わせれば、できることはあります。
お金がない現場では、仕組みを大きくするより、手間を小さくする工夫が必要なのだと思います。
「お願い」ではなく「書ける状態」を作る
結果として、前年は約八十枚だったサンクスカードが、その年は約六百枚まで増えました。
およそ七・五倍です。
もちろん、ただ「書いてください」と呼びかけたから増えたわけではありません。
ルールを変えた。
表彰の見方を変えた。
本人に届くようにした。
動画で書くきっかけを作った。
集計やフィードバックの手間を減らした。
つまり、お願いを増やしたのではなく、書ける状態を作ったのです。
「こんなときに書けますよ」と具体的な場面を示す。
「このくらいのことでも書いていいんですよ」と伝える。
「書いた言葉は、ちゃんと本人に届きますよ」と仕組みで示す。
そうやって、書く方法と、書いてもいい空気を作っていきました。
その積み重ねによって、職場の中にもともとあった感謝が、表に出やすくなったのだと思います。
お金をかけなくても、職場の空気は少し変えられる
お金があれば、豪華な景品を用意したり、外部サービスを導入したり、大きな表彰式を開いたりできたのかもしれません。
でも、私たちの現場に、そんな余裕はありませんでした。
だから考えたのは、何を配るかではなく、何を見える形にするかでした。
感謝は、思っているだけでは伝わりません。
書きやすいルールがあり、届く仕組みがあり、思い出すきっかけがあって、初めて現場に広がります。
お金をかけなくても、職場の空気を少し変えることはできます。
そのために必要なのは、大きな仕掛けではありません。
もともと現場にあった「ありがとう」を、ちゃんと見える形にすること。
サンクスカードは、そのことを教えてくれた企画でした。
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