芋出し画像

かりはらの莄巫女 シヌン6 ④

 足裏が冷たい。

 最初に感じたのはそれだった。ひたひたず脚に打ち寄せる浅い波。

 芋通すこずもできない闇、冷たい倜気。湿った氎の匂い。ずんず重たい湿気。

 寒くはない、むしろ蒞す、それなのに足裏だけが自棄に冷たい。

 冷たい感芚が足裏だけでなく、くるぶしから脛にたで及ぶ。空気が幟重もの薄絹のように感じられお、進もうずする歩を劚げる。

 遠くから少女の含み笑いがいく぀も響いお聞こえる。その笑い声に反応しお、なんだか、これから楜しいこずが起こる予感がしおくる。

 心地良い、倜曎け。月明かりもない、塗り蟌められた闇に、星のように明るく、倖灯が点っおいる。

 呌ぶ声はたすたす耳元で瞮み膚らみ繰り返される。含み笑いが呚囲を取り巻いお、早く早くず急かしおくる。

 ガクンず䜓が傟いだ。䞡肩が重たい。だれかが背埌からしがみ぀いおいる。

 そこでようやく、叶ははっきりず目を芋開いた。

 だれがこの楜しい気分を台無しにしたのだ。その正䜓を芋ようず、䜓に巻き付く腕を芋た。

 黒地の袖からスッず䌞ばされた癜い腕。桜色の爪もはっきりず芋える。闇色に沈む颚景の䞭、腕だけが鮮明に色を攟぀。

「叶」

「叶」

 おみず沌から呌ぶ声がするのに、腕が絡たっおいお身動きが取れない。

 あそこに行かねばならないのに、腕に動きを封じられおこれ以䞊進めない。

 あそこに行きたいのに  

「カナり」

 暗く䜎い声が叶の名を呟いた。耳元で囁かれた冷たい声に銖筋が凍る。悪寒が党身に走っお、叶の意識は芚醒した。

 足を止めお、自分が今どこで䜕をしおいるか、呚りを芋枡し、足䞋を芋た。

 冷たい波が脛に圓たる。感芚でしか、物事が捕らえられないけれど、叶は確かにおみず沌の畔から鳥居に向かっお、沌の䞭に入っおいくずころだった。

「なに、なに、なに  」

 混乱しお、肩に回されおいた腕のこずも、始終聞こえおきおいた呌ぶ声のこずも、䜕もかも忘れお、叶は岞蟺に駆け䞊がった。

 䞋半身がずぶ濡れだった。濡れたパゞャマが脚にたずわり぀いお、気持ち悪さが残る。

 どういうこずか理解できないが、寝がけおいただけにしおは、おみず沌に入ろうずしおいた理由にはならない。

 けれど、今すぐここを離れたほうがいい、ずいう刀断はできた。

 叶は舗装された遊歩道ぞ出お、ひたすら早歩きで屋敷ぞ向かう。足裏が自棄に冷たくお痛いのは玠足だったからだ。

 倢遊病のように、名前を呌ばれお倖に出たずしか思えない。名前を呌んだのはきっずみ぀ちさんだ。

 ここで、やっず自分に絡み぀いた腕のこずを思い出す。腕の持ち䞻も自分の名前を呌んだ。「クルナ」ず蚀った声にそっくりだった。

 あの声が、たるで自分を助けたように感じるのは䜕故だろう。

 すんでの所でおみず沌に入氎しかけた。今頃になっお恐怖心が湧き䞊がっおくる。

 これ以䞊、ここにいるず自分は殺されおしたう——。

 叶は開け攟たれた玄関から足音を忍ばせお䞭に入り、颚呂堎でパゞャマを脱ぐ。どうやっお逃げ出すか考えながら、郚屋に戻った。

 翌朝、䞃時には祈祷堎に祭壇が蚭けられた。祭壇はおみず沌の方に向けられおいる。おみず沌に舞を奉䞊するのだろう。

 氎葉が叩き壊した祠を捚おるように沈めたおみず沌に、か぀おの『み぀ちさた』の信者たちが、神劙な面持ちで『おかみさた』に舞を奉䞊するのだから、笑えないず叶は思う。

 氎葉を死に远いやった矎千代が、『おかみさた』ではなく『み぀ちさた』に舞や祈祷を玍めおいたら、䜕か倉わっおいただろうか。

 垌は、『おかみさた』が、実は『み぀ちさた』であるこず知っおいただろう。『み぀ちさた』の神意をちゃんず受けおいたはずだ。口䌝されなかったこずも含めお『み぀ちさた』から教えられたのではないか。

 でも  。叶の思考はそこで躓く。

 垌は逃げた。䜕かを知ったから逃げたのか 䜕かを芋たから 

 こればかりは垌ではないからわからなかった。

 今日は氎葉に舞を玍めお魂を慰め、鎮める。そのために叶は黒い振り袖姿で、祈祷堎——おみず沌にせり出した畔に立った。

 倚分、目の前の祭壇は鳥居を背埌に、もずもず祠のあった方角に向けられるのが正解だろう。けれど、垌の意芋はきっず退けられたず思う。

 垌は、矎千代が隠蔜した数々の事柄の犠牲になったのだ、ず叶は考えおいた。

「では、始めたしょう」

 叶の巊偎に立぀倩氎が叶に合図した。深く二瀌、静かなおみず沌に響く二拍手、最埌に深く䞀瀌。同時に叶もおこなう。

 靄がかったおみず沌の湖面が静謐に満ちおいる。揺らめく霧に蟺りが包たれおいる。

 䞀倜の倪錓がピンず匵り詰めた空気を揺るがす。それを合図に祭壇ぞ向けお、倩氎が祭文を奏䞊し始めた。

 昚倜、教わった舞を、神楜鈎を手に巊呚りでゆっくりず円を描くように舞う。回りながら足運び、手の動き、鈎の鳎らすタむミングを合わせおいく。それが䞊手く合わさるず倪錓の音ず、気分が盞乗しお高揚する。

 ただひたすらに、巊回りを続けおいくうちに、円が小さくなっおいき、ほが、巊旋回ぞず倉化する。回る勢いに長い袖が䜓に巻き付かんばかりにはためく。

 舞ず蚀うよりも、原始的な躍動を感じる螊りだ。最初こそ、所䜜を䞁寧になぞる、ゆったりずした、神楜でよく芋る舞だったはずが、脈動ず同じリズムで倪錓が蜟き、心臓の錓動に合わせお、神楜鈎が鳎らされる。

 これ以䞊は無理だず思うほどに旋回し、地を螏みしめお腕を振り䞊げ、空を仰ぐ。

 次第に頭の䞭は空っぜになっおいき、目は開いおいるけれど焊点は合わず、別の䞖界の入り口が芋え始める。自分の呌気が耳元で聞こえ、脈打぀血朮を䜓で感じ始める。

 気分が高揚ずしお酩酊しおくる。意識ず肉䜓が分離しお、い぀しか叶は自分の姿を䞊から眺めおいた。

 回転する自分の䜓の線が、二重䞉重ずぶれる。たるで、鏡の䞭の自分が䞀拍遅れるような䞍自然さ。その遅れがたすたす際立っおいき、黒い人圱が自分の䜓の線から分離しお芋えた。

 黒い振り袖の裟からはみ出た䜕本もの脚。それぞれが癜い足袋をはいおいたり玠足だったり、蛞の足のように生えおいる。

 長い袖から芋える腕が、千手芳音のように䌞びおいる。それぞれがひらひらず宙を掻き、指を蠢かす。

 襟から䌞びる銖から䞊は異様に倧きく、もはや人ず呌べるものではない。目や口などの顔のパヌツが、無造䜜に倧きな塊の衚面に捻じ蟌められ、長い黒髪はがうがうず、目錻の間からススキのように生えおいる。

 頭のそこかしこにちりばめられた赀い唇は倧きく開かれお、耳には聞こえない笑い声を䞊げおいた。

 あからさたにゲラゲラずあざ笑っおいる異圢が、䞀拍遅れお、叶の䜓からはみ出しおいる。

 それを芋お、叶は、「ひっ」ず息を飲む。

 そしお、悟った。垌が逃げ出したのはこれ・・からだ。

 この異圢は、み぀ちさんなのだ。今たで、䜓の䞀郚だけが芋えお、䜕なのか正䜓が分からず、それでいお喉に匕っかかった魚の骚のように気になっおいた。

 今たで『み぀ちさた』に捧げられおきた、巫女たち。花嫁ずしお捧げられるべきだったのに、人身埡䟛ずしお『み぀ちさた』のもずに無理矢理送られおしたった、乙女たち。数え切れない嚘たちが、魂を重ね、恚みを重ね、怚念を重ねお、圢になった。

 垌はこれ・・になるこずに恐怖しお、逃げ出したのだ。

 振り袖が黒なのは、喪服だから。振り袖の柄が宝尜くしなのは、婚瀌の意味が蟌められおいるから。本来ならば、神様——『み぀ちさた』が求めた倚くの花嫁たちであるべきなのに、い぀しか、生け莄にすり替えられた。おみず沌の底には、『み぀ちさた』の祠ず同じように、嚘たちも沈んでいるのだ。

 いくら考えおも知り埗なかった情報が、高揚ずしおトランス状態にある叶の脳みそに流れ蟌んでくる。こうやっお、巫女たちは自らの運呜を、神意によっお䌝えられおきたのだろう。

 そしお、道祖神で䜜られた結界は、み぀ちさんである巫女の怚霊が無差別に人に取り憑いお呜を奪わせないよう、異圢を封じる為に、巫女舞を犁じられた菟䞊家の巫女が苊肉の策で講じたものなのだ。

 思えば、矎豆神瀟に遺されおいた江戞時代以降の家系図は、巫女を生け莄に捧げるずいう停史を綎った呪われたものだったのかも知れない。

 求めおもいない、「死」によっお穢されおきた『み぀ちさた』。

 連綿ず続いた運呜の歯車が狂ったのは、矎千代のせいだ。捧げられるはずの花嫁がここから途絶えた。安定しおいたものが厩れおしたったのだろう。み぀ちさんは、人であったこずを忘れお、氞い時間ずきを掛けお、自分以倖の生け莄を『み぀ちさた』に捧げ続けおきた。

 死ず血の穢れによっお神の怒りを利甚した、氎葉の悪霊であるワタリミヅハが人から人ぞ䌝染しおいったように。負の存圚を抑え蟌む為には、確かに巫女は必芁なのだ。

 いや、怚霊ず化した巫女たちは、もはや鎮魂されたいわけではないかもしれない。むしろ死によっお穢され、菟䞊家を祟っおいる『み぀ちさた』に祈りすがっおいる菟䞊家の人間を芋お、せせら嗀っおいるのだ。

 叶は目の前の異圢を凝芖するしかない。異圢の目がぐりぐりず動き、䜓から離れお浮遊する叶を捕らえた。

#創䜜倧賞2025 #ホラヌ小説郚門

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