「学踏」の「踏」って、なんだ?
國學院大學が新しく立ち上げる人文知メディア「学踏」
この名前を見たとき、最初に思ったのは、とても単純な疑問だった。
なぜ「学踏」なんだろう?
調べれば、もしかしたら名前の由来がどこかに書いてあるのかもしれない。でも、その前に少しだけ勝手に考えてみることにした。
「学」は國學院大學の「学」?
まず「学」。
これは比較的わかりやすい。國學院大學が立ち上げるメディアなのだから、大学名にも含まれる「学」を選んだのではないか。
もちろん、これも勝手な予想だ。
それより気になったのは、その次だった。
なぜ「学問」でも「学習」でもなく、「学踏」なのか。
なぜ「踏」という字を選んだのだろう。
なぜ「踏」なのか
学びながら前へ進むことを表したいのであれば、「歩」という字でもよさそうだ。
でも、「歩く」と「踏む」では少し感覚が違う。
歩くことの目的は、前へ進むことにある。
一方で踏むためには、足の裏で何かに触れなければならない。
そこから考えると、「学踏」とは、ただ知識の上を通過していくのではなく、一つひとつ自分の足で確かめながら進むことなのかもしれない。
「踏む」には、いろいろな学びがある
そう思って「踏む」という言葉を考えてみると、面白いことに気づいた。
「場数を踏む」なら、経験を重ねること。
「手順を踏む」なら、過程を大切にすること。
「二の足を踏む」なら、迷って前へ進めないこと。
「前人未踏」なら、まだ誰も到達していない場所へ進むこと。
こうして並べてみると、「踏む」とは必ずしも、一直線に前へ進むことではない。
経験したり、順序をたどったり、ときには迷ったりしながら、それでも自分の足で確かめていく。
それは意外と「学ぶ」という行為に近い気がする。
自分にとっての「未踏」
特に気になったのが「前人未踏」だった。
学問というと、まだ誰も知らないことを発見するような壮大なイメージがある。
でも、未踏とは必ずしも「人類がまだ知らない場所」である必要はないのかもしれない。
知らない言葉を調べる。
当たり前だと思っていたことに「なぜ?」と思う。
誰かの考えを知って、自分の考えが少し変わる。
それも、自分にとっての未踏の場所へ足を踏み入れることなのだと思う。
「踏」を眺めていたら
さらに「踏」という字そのものを眺めてみた。
すると私には、「足」と「水」と「日」が入っているように見えた。
もちろん、これは漢字の正しい成り立ちという意味ではない。ただ、勝手に意味を与えてみると、不思議と「学踏」という言葉に重なって見える。
自分の足で踏み出す。
そこで得た学びが、水や日の光のように自分を育てていく。
そんな意味が込められていたら面白い。
おわりに
結局、「学踏」という名前に本当はどんな意味が込められているのか、私はまだ知らない。
最初の疑問にも、まだ答えは出ていない。
でも、「なぜ学踏なんだろう?」と思っただけで、「踏」という一文字を眺め、言葉を探し、学ぶとは何かまで考えてしまった。
だとすれば、学びが始まるのは、答えを知った瞬間ではないのかもしれない。
「なぜ?」と思い、自分の知らない場所へ足を踏み出した瞬間。
疑問は学びに変わり、私たちは学ぶための一歩を踏み出している。
――そんな意味まで「学踏」という名前に込められているのではないか。
もちろん、全ては私の勝手な想像なのだけれど。
