
今、人生の答え合わせをしているような気持ちになっています。
もう歳も歳なので当たり前だと言われるかもしれませんが……。
自分が青春時代……つまり若かった頃ファンだった人たちは軒並み、おじいちゃんおばあちゃんになっています。あるいはもう鬼籍に入られた方もおられます。
若い頃、あんなに輝いていた人がこんなになってしまって……という方もいらっしゃれば、あの頃の輝きを維持したまま素敵に老いている方もいらっしゃいます。
その差はなんだろう? と考えます。
顔立ちや体型の問題ではない。成功の有無でもない。むしろ、晩年に差が出てくるのは、もっと別のところなのではないか……そんな気がしてなりません。
若い頃に見えていた煌めきは、実は儚いものだったんだな……と今、しみじみ感じています。
人気、お金、もてること、地位、権力、名誉……これらはすべて一時的なもので、結局その人の本質を表すものではないんだな、と。
それらは確かに、その人を一時的に照らしはする。けれど、それは外から当てられた光に過ぎない。光が消えたときに残るもの――それが、その人の本当の姿なのだと思います。
生まれる時も、死ぬ時も、結局人は裸一貫。
何も持っていなかったし、何もまた持たずにこの世を去るのです。
そうなると、この世で生きている間に「本当によかった事」ってなんだろうと考えてしまうのです。
何を手に入れたかではなく、何を残したかでもなく、どれだけ評価されたかでもない。
それらはすべて、時間とともに風化していくものだからです。
では、何が残るのか。
記憶でしょうか。
けれど記憶もまた、やがて薄れていく。自分の中からも、他人の中からも。
では、経験でしょうか。
それもまた、本人がいなくなれば、形としてはどこにも残らない。
そうやって一つ一つ削ぎ落としていくと、最後に残るものは、驚くほど少ないのです。
けれど、その「少なさ」の中にこそ、本質があるようにも思うのです。
ふと思い出すのは、何気ない日常の断片です。
誰かと笑ったこと。
誰かに許されたこと。
どうしようもないときに、そっと手を差し伸べてもらったこと。
あるいは、自分が誰かの役に立てた、ほんの小さな瞬間。
それらは決して華やかではないし、誰かに誇れるものでもない。
けれど、なぜか心の奥に残り続ける。
消えないのです。
時間が経てば経つほど、むしろ輪郭がはっきりしてくる。
若い頃には気にも留めなかったような出来事が、年を重ねるごとに重みを持ちはじめる。
あれがあったから、自分はここまで来られたのだと、静かに腑に落ちる瞬間があるのです。
そして気づきます。
それらに共通しているものは何か、と。
それは、誰かとの関わりの中で生まれたものだということです。
ひとりで完結する喜びではなく、誰かと共有された時間。
ひとりで得た達成ではなく、誰かに支えられた結果。
つまり――人と人とのあいだに生まれたもの。
もう少し踏み込んで言えば、それは「愛」と呼んでいいものなのだと思います。
大げさなものではありません。
献身とか、自己犠牲とか、そういう劇的なものばかりではなくていい。
ただ相手を気にかけること。
相手の存在を大切に思うこと。
その気持ちが、形になったり、ならなかったりしながら、確かにそこにあったという事実。
それが、時間を越えて残るのです。
アンパンマンを描いたやなせたかし先生は、それを「人生は、喜ばせごっこ」というとても端的で素敵な言葉で表されました。
思えば、年を重ねてもなお魅力的な人というのは、その人の中にそういうものが豊かに蓄えられているように見えます。
外からの光ではなく、自分の内側から滲み出てくるような、静かな温かさ。
それはおそらく、長い時間をかけて誰かを愛し、誰かに愛されてきた痕跡なのではないでしょうか。
逆に、若い頃どれほど眩しく見えた人でも、その内側が空洞のままだった場合、時間は容赦なくそれを露わにしてしまう。
飾りが剥がれ落ちたあとに何も残らないとき、人は急速に色褪せて見えてしまうのかもしれません。残酷ですが、これが真実です。
結局のところ、人生の価値は「どれだけ持っているか」では測れないのだと思います。
「どれだけ与えたか」、そして「どれだけ受け取ったか」。
その往復の中でしか、人は本当には満たされない。
そしてその往復の真の姿こそが、愛なのだと思います。
振り返ってみると、自分の人生の中で本当に意味があったと思える瞬間は、すべてそこに収束している気がします。
誰かを大切に思ったこと。
誰かに大切にされたこと。
それ以外のものは、確かにあったはずなのに、今はもうどこか遠くへ霞んでしまっている。
最後に残るのは、いつも同じです。
温度のある記憶。
名前のついた感情。
そして、人と人とのつながり。
だから今、こうして人生の答え合わせをしてみて、ひとつだけ確かだと思えることがあります。
それはきっと、とても単純なことです。
愛すること。
そして、愛されること。
結局、それだけがすべてだったのだと、この歳になった今、ようやく静かに理解しはじめています。