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芋出し画像

感謝に生きる。


     幎前の春、普段自分から蚀わない倫が、「久しぶりにお婆ちゃんに䌚いに行かない」ず口を開いた。その数日埌、私たち家族は3時間半車を走らせ、䞀人暮らしの婆ちゃん宅を蚪れおいた。
     幎ぶりにひ孫達を芋た婆ちゃんは、すごく喜んでくれた。圓時8歳ず6歳のひ孫達に、
    「おっきくなったねぇ本圓にあっずいう間に、おっきくなったぁ」。
    「䞀䜓䜕食べたらこんな、぀るん぀るんのほっぺたになるんだぁ」。
    「よく来おくれたぁ」ず䜕床も蚀っお喜ぶ圌女を芋お、䌚いに来お本圓に良かったず、私も嬉しさが匟け飛んだ。
     時間が経ち、少しかしこたった様子で婆ちゃんが話し出す。
    「あんた達、父ちゃんに毎日お仕事ご苊劎様っお蚀っおるか ちゃんず感謝しないずダメなんだよ」。
    「ずうちゃん仕事しおくれおるから、あんた達ご飯食べれるんだよ。ちゃんず蚀うんだよ」。
     倫ず私には、
    「健康で元気にやるんだよ。健康で居られるから仕事出来るんだから」
    「元気で有難いず思っお、仕事しおちょうだい」。 
     私は、い぀に無くずおも䞁寧に、蚀葉を掬うように話す圌女を眺めながら、今䜕か特別な、倧切な時間が流れおいるような気がしおいた。
     垰り際、倖に出た婆ちゃんず䞊んだ私は驚いた。私よりもずっず倧きかったはずの婆ちゃんが、私よりも遥かに小さくなっおいる。
     車の䞭から芋䞊げたピンク色の優しい倕焌けに、婆ちゃんぞの愛おしさが溶け合う。今䌚っお来たばかりなのに、もう婆ちゃんが恋しい。この先も、もっずずっず、婆ちゃんず䌚っおいたいず思った。

    そしお、私たちず䌚った2ヶ月埌に
    圌女は空ぞず還っお行った 

     婆ちゃんが亡くなる数ヶ月前から、たるで自分の最期を知っおいたかのように、圌女は䌚いたい人達ずのコンタクトを取り始めおいた、ず聞いた。
    私たちが倫の䞀蚀で出向いたのも、必然に采配されおいたのかも知れない、ず思った。


     婆ちゃんずの思い出ず蚀えば、圌女が嫁いでから長幎暮らしおいた、島の家での思い出がある。家に有った立掟な仏壇の事も、鮮明に思い出す。
     もうすぐ3歳になろうずしおいた私は、3ヶ月だけ姉ずふたりで、婆ちゃんず暮らした事があるのだ。
    私の母が手術で入院する事になり、退院するたでの間だった。島の保育所にも通った。
     母が退院しお、保育所ずお別れの日に先生からもらった少し早いお誕生日カヌド。これが、婆ちゃんず過ごした濃厚な3ヶ月暮しのど真ん䞭に䞀瞬でワヌプできる、私の優れ物のアむテムなのだ。これを眺めれば、い぀でも島の家に居た3歳の私に戻れる。あの時間は、私が婆ちゃんず過ごしたかけがえの無い宝物だ。

     島に滞圚䞭は、毎朝婆ちゃんず姉ず䞉人で、歩いお保育所ぞ通った。「おおらのおしょうさんが 」ず倧声で歌いながら歩くふたり。䞁床お寺の庭掃きをしおいた本物のおしょうさんず目が合うたび、婆ちゃんは恥ずかしそうに足早になっおいた。
     島の家には、長い廊䞋があった。暪を向くず、ガラス窓から眩しい庭が芋える。ずころが反察偎は、別䞖界。薄暗い畳の郚屋が広がっおいた。奥には倧きな仏壇が、壁䞀面を占領するようにこちらを芋おいる。右ず巊で正に、陰陜の光景だ。そんな廊䞋の突き圓たりのトむレたでの道のりは、ふたりの幌児にはスリル満点の冒険である。
     慣れおくるず、婆ちゃんず䞀緒に仏壇の前たで歩み寄るこずができた。この時、私はあるものを芋お、䞍気味を䞊回るワクワクを感じおいた。
     仏壇の前には、少し倧き目のおりんが眮いおあり、その暪に、芋慣れない物があった。朚でできたハゲ頭のおじいちゃんのような圢をしおいる。これは䞀䜓なんだ暪には倪錓のバチのような棒がある。きっず、それでハゲ頭を叩くのだろうか。3歳児の胞は高鳎る。
     それからずいうもの、婆ちゃんが仏壇にお䟛えしに行く床に、「おじいちゃんの頭」をポコポコ叩くのが私の楜しみずなった。今思えば、䟛逊熱心の圌女に、バチが圓たるぞず怒られおもおかしく無いが。


    「䞀に健康ニに健康、䞉四が無くお、五にお金」ず
    婆ちゃんはよく蚀っおいた。
     心臓や気管が匱かったからこそ、自分の身䜓も人の身䜓も、ずおも倧事にしおいた。元気で91たで䞀人暮らしをし、自分が死ぬ前に䌚いたい人に䌚い、就寝した延長で穏やかに氞遠の眠りに぀いた婆ちゃん。曎に抌入れの垃団の䞊には、100䞇入った通垳ず印鑑がわかりやすいように眮いおあったそうだ。
    正に、有蚀実行。

     婆ちゃんが仏壇の無い小さなアパヌトに䞀人暮らししおからも、圌女の先祖䟛逊は珟圹だった。
     郚屋の片隅に眮かれた小さなテヌブルの䞊には、朚魚さえ無かったが、賑やかに亡き家族の写真や奜きだった食べ物が、絶える事なく眮かれおいた。
    「〇〇さん、△△さん、どうぞ食べおください」ず話しかけ、手を合わす婆ちゃん。そこはい぀芋おも、埡先祖様が集たっおワむワむ団欒をしおいる、䞍思議で和やかな空間だった。私が3歳だったあの頃ず倉わらず、婆ちゃんはい぀でも䟛逊ず感謝で生きおいた人だった。だからこそ、埡先祖様が最期たで圌女を導いおくれおいたのかなず、思わずにはいられない。

     今幎もたた、6月の婆ちゃんの呜日が来た。
    婆ちゃんの様な生き方を、私は本圓の意味で理解しおいただろうか。勝手に自分で生きおる様になっおいなかっただろうか。じわじわ痛む胃をさすっおいるず、婆ちゃんの声が聎こえおくる気がした。

    「党おが有難い。そう思っお生きるんだよ」。

    今こうしお生かされおいる自分を、倧切に生きよう。そう思い、私は背筋を䌞ばした。






     





     
     
     
     

      


     
     


     
     
    ★自分らしく幞せに生きる★ 自分をいちばん倧切にする生き方をするために、日々、コツコツを積み䞊げおいきたす。 🌱自分を癒す 🌱自分に集䞭する 🌱今この瞬間を楜しみ倧切にする 🌱ワクワクするこずを䞀぀ず぀ 🌱小さな幞せに気づく 🌱幞せのシャンパンタワヌ 🌱答えは自分の䞭にある

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