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🌿☕️♯1.自己紹介🌼🌿 保育士お母さんしてます

🌱 🌱はじめまして🌱 🌱

 この記事を開いて下さって、本当にありがとうございます🍀
思いつくことを、自己開示していきます。それが、私自身を見つめるきっかけになってくれればと思っているからです。私はこれからも、素直さを武器により良く変化していきたいです。
生まれてきてくれて、ありがとう。

あなたも、私も、我が子も、みんな一等賞でこの世に生まれました✨ 保育の大学を卒業して、しばらくして長男を出産しました。それはそれは天使のようで、神秘的でした。

 出産して数時間後のナースコール。
母子別室の病院だったので、赤ちゃんが泣く2〜3時間の授乳ペースで、知らせて下さいます。(個人に合わせて、体調が悪かったり、寝ていたいときは助産師さんのご配慮で寝かせてもくれます。)

 このナースコールが来るのが、我が子にまた会える喜びで嬉しくてたまらず、「⚪︎⚪︎さん、授乳に来れそうですか?」のコールに「はい!今すぐ行きます!」のやり取りをして、普通分娩でできた痛みに耐えながらできる限りのダッシュ(まるでスリラーのようなゾンビ的な動き)で向かっていたのを今でも覚えています。とにかく母性で溢れていました。

 無事に退院。
 我が子が夜泣きをしようが、不思議なもので、焦ることもイライラすることもありませんでした。特に乳児の間に怒ることも全くありませんでした。幼児になると、危険なことはしっかり伝える、これくらいだったと思います。これは学生時代に学んだ知識が、ある程度あったからかも知れません。
 それよりも、まだまだ父親になりきれていない主人に対するストレスの方があったかも知れません。もちろん、全面的には感謝ベースで。
 この時から、子どもを育てるのと同じ感覚で家事や育児の1つひとつができるよう育てていこうと気持ちを切り替え、できないものとしての認識の変化で、ストレスは最小限に抑えられていたかも知れません。だって、私はできないことだらけですからね。分からない、できないに私は寛容でいたい。
 とは言え、身体は正直。出産は命懸けで、それなりに色々あった人生。ストレスからなのか、産後4ヶ月目に、自己免疫異常の難病疾患に。当時、日本には100例しかなかったのですが、なんと半年程で完治。健康であることの有り難みを実感した気付きの時間ともなりました。
生きづらかった、苦しかった子ども時代
なぜ? それは、毒親に育てられたからです。
 幼い頃から、「ただいま」とドアを開けた時に漂う母の空気感を感じていました。
私の両親は喧嘩が絶えませんでした。両親なりの気遣いで、喧嘩は私や妹が寝てから。しかし聞こえていました。意味ないですね。

 怒鳴り合い、ガラスが割れる音、母が感情剥き出しになって取り乱す声や言動…
 だから、私は妹に絵本を読み聞かせたり、素話を即興で考えながら聞かせて、妹が笑ってくれて、安心して寝静まる姿を見守ってきました。そんなことが、妹が中学生になるまで続いたんです。それって異常というか普通とは違う環境だったと思います。
 毎日ずっと苦しかった訳ではなく、家族旅行へ行ってたくさんの経験をさせてもらったり、インスタント知らずで毎日手作り料理を振る舞ってもらったり。愛情もたくさんもらっていて、感謝しています。両親と過ごしたのは約20年間。深く心に刻まれているのは、その愛情の他に、母親の顔色を伺ってきたことと、母の感情に振り回されてきたことでした。
 自分の意見は、「言い訳するな」と話の冒頭で怒られ聞いてもらえず、1つの話が10やそれ以上の、自己否定をこんこんと受け続けられる理不尽な怒りに耐えることも多くありました。

 だから、我慢することや自分の意見を持ち、考えを人に伝えるという手段は、激減していったような気がします。
 それは大人になっても続き、自分の思いを伝えないというより、その場で違和感を感じたことがあったとしても、すぐに自分で自分の本音に気づかずにいました。時に母だったり、感情的になる人から理不尽なことを言われっぱなしになり、後からモヤモヤして悔しい気持ちになることは、いわゆる日常茶飯事でした。でも、私は結構頑固者で、悔しさをバネに向上していくことに意欲的なので決してやられっぱなしではありません。

 未だに、眠るのが勿体無いとか、休憩するよりも何かしら進めておこうとか、私は人よりも理解力が足りないから人の何倍も努力しないと追いつかないという、なんとも自己肯定感が低くあるので、このこじれた感覚を脱していきたいとも思っています。
赤羽雄二さんとの出会い
 0秒思考の著者。clubhouseを通して出会いました。私の生き方を変えてくれました。
https://community.camp-fire.jp/projects/view/318299
 毒親に育てられたこと。愛着障害があること。
長女病であること。
 生きづらかった私の人生の原因が腑に落ち、「だから苦しかったんだ。でもこれは、私がダメだからじゃなかったんだ。」と。赤羽さんからのお言葉、そして赤羽さんの周りにいる仲間やコミュニティの存在に救われて、今の私は少しずつ解毒しているところです。
 波はまだあります。
でも、それも含めて私であるということを、認め合える仲間がいます。
家族も、私を理解してくれています。

 見てないようで見ていてくれるのが、自分が大事にする人たち。
そんな人たちに私は感謝し続けていきたいです。

 今は、改めて「自分がされて嫌だったことは相手にもしない。されて嬉しかったことは真似する。人の喜んでくれる顔と声がすき。」この気持ちをこれからも大切にして、我が子たちには同じ思いはさせない子育てにしていきます。そして、同じように心痛める方の気持ちに寄り添える人間でありたい。
 だから、最後までその方の話を聞かせていただくアクティブリスニング力は強化していきたいですし、愛着障害で悩む親子の心に興味があります。私に何ができるのだろうか。
 そんなことを考えています。
冒頭でも書きましたが、改めてこのnoteの活用で、少しずつこうした弱さも認めて曝け出して行きながら、より良くしていきたいと思っています。

 私のアウトプットに対して、背中を押して下さった方、楽しみだと言って下さった方、そして興味を持って読んで下さっている方、これからの私の開示にどうぞ優しいメッセージや見守りの眼差しを頂けたら嬉しいです。感謝を込めて🤍

🌳私のこと🌳
 1981年生まれ。既婚。2人の息子の母親(子育て19年目)。職業、保育教諭(保育歴10年。)NLPプラクティショナー。

 《すき》
-朝焼けと夕焼け空、温泉、水泳、卓球、キャッチボール、ヨガ、ピラティス、瞑想、アウトドア、料理、発酵食、カフェ、コーヒー、木、海、ハンモック、音楽、図書館、文房具、粘土や陶芸、鎌倉、触り心地の良い衣類、ダンス、歌、ピアス、フィンランド

 《影響があったこと、人》
-0秒思考の著者 赤羽雄二さん
-clubhouse、A4メモ書き思考法、7つの習慣、アクティブリスニング、PDCA 、みんちゃれ等

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