
頭でっかちになりたくはない、けれどたくさん詰め込みたい
読書にハマっているというと、決まって「えらいね」「すごいね」という人が一定数いる。
別にただの趣味なので、えらくもすごくもないという気持ちと、そうだ私は頑張っているんだという傲慢な気持ちが振り子のように訪れる。
なまじ小説だけでなくそれなりに幅広く、知識のインプットも兼ねて読んでいるだけに、そういう自分に優越感を持っていないとは言い難い。
純粋に知りたいから、興味があるからという気持ちの隅に、こういう内容も読んでる私、という気持ちがないとは言い切れないのだ。
(人前で言わなきゃ誰にも知られないのに、わざわざ言ってしまう)
読書自体は昔から好きで、私の幼少期、特に小学生中学生の頃は読書と共にあったと言っても過言ではない。
お小遣いも少なかったし、アウトドアを楽しむような家庭でもなかった。
長期休みには毎日図書館に通って新しい本を借りていたし、歩きながら本を読んでいて二宮金次郎に例えられたこともある。
(危ないので、いい子の皆さんはやめましょう)
でもこの頃の読書というと、もっぱら小説、あるいはイラストの描き方とか、おまじないや占いだとか、そういうものばかりだった。
子供なんだからそりゃそうだろと言われればそうなんだけど、つまり、私にとって読書は純粋に娯楽だった。
もちろんこの頃の読書で学んだこともたくさんあるけれど、少なくとも知識を付けようと思って読んだりはほとんどなかったと思う。
だからなんというか、小説ではないジャンルの本を、好んで読んでいる今の自分に対して、私自身が驚きを持って見つめている。
いつまでも自分自身の印象をアップデート出来ていないところがある。
これはおそらくコンプレックスや劣等感にも関係しているのだと思うのだけど、自認と今の私の行動とのギャップに不意にドキッとする。
良いとも悪いとも言い難いのだけど、緊張という言葉が一番近い。
ピリッとした何かを背負いながら、目をそらしながら、インプットを焦っている。
本を読みながら、次はこんな本が読みたいと思う。日常で課題にぶつかった時、解決策を本に求める。
本屋を歩きながら、これほど多くの面白そうな本のうち、私は人生でほんの一握りしか読むことができないのだと思うとゾッとする。
私は読むスピードが特別速いわけじゃないし、集中力も続かないし、他にもやりたいことがたくさんあるし。
焦ったからと言って解決する問題でもないのだけど、せめて、モチベーションが高まっている今だけでも、たくさんのものをインプットしたい。
いっぺんに知識を詰め込むと、だんだん自分が頭でっかちになっていくことは分かる。
どうしても読んだ記憶が新しい間は、考え方や言動に影響が出てしまうし、話題選びで周囲をおいて行ってしまうこともある。
器用な人はそんなことないのかな。分からないけれど、自己完結的な対話はコミュニケーションにおいて良いことではない。それは確かな気がする。
頭でっかちになりたいわけじゃない。かみ砕いて自分なりに血肉にして、私自身が、上手く生きていく糧にしたいだけ。
それには知識だけじゃなくって体験だって大事だ。知識と体験が繋がって理解を促す。
でも人間って、いつもインプットができるわけじゃないから。モチベーション云々だけでなく、肉体的にも。
それは体験だって同じだし、なんなら体験の方がそういう側面は強いのかもしれないけど、少なくとも読書は初期コストが低い。
金銭的にも時間や場所に関しても、日常の合間においてやれる。
せめて、今の流れだけは、可能な限り長く続けたい。今インプットした内容は、きっと未来の私の財産になるから。
子供の頃の私が読書を通じて、たくさんのプレゼントを残してくれたみたいに。