
「自分ルール」の整理整頓
この世界でトラブルなく生きていくために、無意識に自分自身に課してきたルール。
私はこの数年間、内面を見つめてきて、すごくいっぱい「自分ルール」があったことに気が付いた。
今日はその供養!
○○しちゃいけない

生きていく中で身についてしまったたくさんの強固な信念。
内面を見つめる作業ノートを見返してみたら、あまりにも色んな信念がありすぎて笑っちゃった。
生きてて楽しいわけがないよ。
善悪とか、事実かどうかとかは一旦置いておいて、自分で自分に課してきたルールをここで供養する。

歪んだ自分像(セルフイメージ部門)

赤ちゃんの頃はセルフイメージなんてなかったけれど、幼稚園➡小学校➡中学校と進んでいくと、他者との関わりやTVなどを見ていろんな価値観が形成されて、セルフイメージが固定されてくる。

かと聞かれたら
好き
私のセルフイメージとしてあったもの。
もちろん日ごろは、こんなこと思って生活していない。
あれ?なぜこんなことでモヤっとするんだろう?イライラするんだろう?で、過去を思い出す苦痛な作業を続けて発掘した内観の賜物である。
どこから来たのか分からないものもあれば・・・酷すぎて悲しくなるものもある🙏😂このイメージを持ち続けることは、自分への虐待である。ごめんね・・・🙏
自分の意見を言わなければ誰も関心を持ってくれない
かといって自分の意見が強すぎるのもダメ
聞いてあげるから話を聞いてもらえる
理解しようとするから理解しようとしてもらえる
私は聞き役
私は影で支える役
内向的 内向的なのはだめなこと
外交的な人間は好かれ、内向的な人間は下にみられる=自分は世の中の下の下
足手まとい=全体の迷惑=存在が迷惑(えええっ!😂)
私はできない無能人間である
私は選ばれない人間である
私は必要とされていない存在である
私は相手にしてもらえない存在である
私は興味をもってもらえない存在である
私は人に舐められやすい
私は優先してもらえない存在だ
私は地味でさえない人間だ
私は取るに足らない人間だ
自分は綺麗な存在でなければいけない(内面だけでも)
一重は良くないこと、目は大きい方が良い=一重の自分はダメ
声は大きくてハキハキしていた方が良い=声が小さい=声が小さい自分はダメ
存在の否定

多分、内観をやっていれば、存在の否定がどこかででてくる。
私の場合は
できなくちゃ足手纏いが、存在の否定につながっているみたい。
私は長年、「できる/できないの世界」の二軸の世界で生きてきてしまったのかもしれない。
無能な私は人の何倍も努力しなくてはいけない
っていう信念も強固に持っていた。
無能なわたし

無能なわたし。
このセルフイメージは、自分の根幹の部分。
それが事実がどうかは関係ない。これができる、できないって分別してみて、結構できることあるって思って納得させようとしたけれどあまり意味を感じなかった。信念は強固だ。
やっぱり小学校のころかなぁ。3月生まれって言うのもあるのかな?背も最高で前から3番目。
小学校のころって、同級生より「出来た!」って記憶があんまりない。
教育学部だったから小学校によく行く機会があったけど、小学生ってまだ純粋だからこそ残酷と思うことがあった。思ったことや態度をドストレートに表に出す。
こちらはまだ心のガードが弱い。教員には教員の「自分の正義」があって、それを押し付けてくることがある。せめて記憶力が悪けりゃよかったな、とほほ。
できなくて足手纏い、迷惑な存在というのは
体育会系のクラスになってしまったときに、長縄大会に命をかけていたみんな(40人クラス+熱血教師)と、どうしてもできない自分の間で強くできた信念かもしれない。
長縄飛び(くるくる高速で2人がまわして、1人づつ入って飛んで抜けるやつ)がとっても苦手で、自分は足手まといの数人のうちの1人だった。

タイミングはわかってても怖くてはいれない図
当たると痛いのがいやだ(´・д・`)ヤダ
長縄大会では、回す側の人間になれば失敗して迷惑をかけることを回避できるので立候補したが、残念ながら小さい体だから選ばれなかった。
今思うと、小学生や中学生の「長縄」になんの意味があるんだろうか?回数で最高記録を出すことには、なんの意味もなかったと思う。小学生の行事なんて、大事なのは回数出すことじゃない。仲間で一致団結、で、ほんとうの一致団結ってできるもできないも包み込むことだと思うんだけど。
内観していたら、長縄大会で得た信念を持ち続けることは馬鹿馬鹿しいったらありゃしないって思い始めた。
でも、できないものはできないんだよね。迷惑をかけちゃったのは申し訳ないけど、正直どうすることもできないんだよね。だから足を引っ張らないように、人一倍努力をしますって方向性になっていったんだと思う。免罪符として。
人に迷惑をかけてはいけませんというのは自分の中の呪いのようなもの。でも結局は迷惑をかけてるじゃんっていう児童生徒のほうが、なんやかんや言って先生に心配されたり手をかけてもらってることもあるんだけど・・・。
迷惑っていうのは、受け取り手次第でなんでも迷惑と捉えることはできる。
人によって迷惑でも、人によっては迷惑ではないことがある。だから誰にも迷惑をかけないなんて不可能に近い。そんな教えは人を苦しめる。インドにでも行ってみようかな。
がんばってもできないことがあってもいい

努力でなんとか人並に持っていくことはできるけど、がんばってもできないことはある。
できないものはできない、できなくてもいいのかもしれないって最近思った。
私はもうすぐ30歳になるけど「運転」と「髪の毛をヘアアイロンで巻く」が多分人より上手にできない。あと数学・物理ができない。

今回いただいた私の肉体は「頭」と「体」を同時に連携させて動かすのが苦手らしい。
その代わりといっては難だけど「頭」のみ動かす「勉強」や、体のみ動かす「マラソン」「一人縄跳び」「筋トレ」とかなら多分人より苦痛がなくできるかもしれない。
できない・地味・パッとしない・生物として劣っている

あと、「自分は選ばれない人間」は、花いちもんめとか、そういう小学生のころの、くだらない遊びで段々身に着いたものだと思う。だいたい、外交的な人間が皆から人気だから。
でも、そういう私も外交的で明るい人間のほうがどちらかといえば好きだもんね。もうしょうがないこればかりは。敗北ですよ、迎合したくもないし、できないからね。諦める。
供養!
私は事実のみを見返すと、バリバリ運動部にはいり運動をして、それなりに良い大学にも行った。運動も勉強も平均よりはできているはずだ。
なのに、セルフイメージは「できない・地味・内向的・相手にされない・他人になめられる」で固まったままだ。
身長が小さいから下みたいな漠然としたイメージも強固にもっているかもしれない。
生物として下みたいな感覚がある。
自分より背丈が大きい相手は怖い。となると、女もほとんど自分より大きいし、男はほとんど大きい。
人間の大半は自分よりも大きくて怖い。いつも相手を少し見上げる構造。逆らえないという感じがする。パワーで敵わない。
そんなのって、くだらないけどね。
しかし、所詮は人間だって動物だから、そう思ってしまうのも無理はないのかもしれない。
歪んだ社会像・世界像

セルフイメージもたまったもんじゃないよって感じだったのに、社会像や世界像もさらにたまったもんじゃないよっていうイメージで固定されている。
以下、私が持っていたもの。(いまも持っているかもしれない。味がしなくなるまで噛んで捨てなきゃ!)
自分の整理のために、今もそう思う〇、微妙△、思わない✖で評価。
嫌な事でも我慢しなきゃいけない ✖(やらなくていい)
みんなストレスを抱えてなんとか生きてる △(そうだったとして、自分も我慢する必要はない)
平穏な暮らしは妨害される=誰も放っておいてくれない ✖(何を言われても好きに生きていい)
自分で選んだことには責任を持たないといけない ✖(有言不実行でなにがわるい?)
うじうじ悩んでいてはいけない ✖(とことん悩めばいい)
人の悪口を言ったら倍返ってくる △(私はなるべく言いたくはない)
人の顔色・機嫌を窺わなければいけない ✖(調整役にならなくていい好きにしてればいい)
感情を表に出してはいけない ✖(出すのは悪いことじゃないし幼稚なことでもない、感情を感じないようにして表にでてこないほう抑制するほうが危険)
欲望はおさえつけなければいけない ✖(欲は最高、世の中を発展させてきた)
貪欲に取りにいかないといけない ✖(要らないものは要らない)
他人に希望を抱いてはいけない ✖(どっちでもいい)
失敗してはいけない ✖(失敗いっぱいしたらいい)
失敗すると怒られる・責められる △(誰に?もうコーチはいないから怒られないよ😂)
悔しがらないといけない ✖(悔しくないなら悔しくないでいい)
正しくないといけない ✖(正しいかどうかなんて人や国や時代によって異なる)
自分に期待してはいけない ✖(大いに期待すればよい)
好きな事だけやっていてはいけない ✖(やっていい)
調子に乗ってはいけない ✖(乗ればいい、天狗になっちゃえばいい)
嫌な事から逃げてはいけない ✖(嫌なら逃げる)
人を見下してはいけない 〇(対等な魂としてみたい)
人を見た目で判断してはいけない 〇(関わらなければわからない)
人を傷つけてはいけない △(意図せず傷つけたら謝れば良い、意図して傷つけてはいけない〇)
人を悲しませてはいけない △(上と同様、ただ悲しい・傷ついたは相手の期待に沿わなかったら言われる可能性がある。期待に沿う必要はない、その場合は悲しませておけば良い、仕方がないごめんね)
人は変わらない、変えられないものだ 〇(変える権利がない、変えられるのは自分だけ、エネルギーはすべて自分に使いたい、放っておけばよい)
人に迷惑をかけてはいけない △(迷惑かどうかは人それぞれの捉え方次第だから無理)
人に配慮しなければいけない △(無配慮は好きではないけど自分を犠牲にしてする必要はない)
思ったことをそのまま口に出してはいけない △(傷つくと想定できる言葉は発したくない)
不機嫌は表に出してはいけない ✖(だしちゃう時があってもいい)
見返りを求めてはいけない ✖(内心求めちゃうことがあってもいい)
感謝をしなければいけない ✖(感謝は湧いてくるもの、しなきゃいけないものじゃない、できなければしなくていい)
恩を感じなくてはいけない ✖(ありがとうで受け取っていい、返すのは物じゃなくていい)
恩を返さなければいけない ✖
周りを不快にさせてはいけない ✖(不可能。)
人に批判されるような生き方をしてはいけない ✖(そんなことはどうでもいい)
空気を読まなければいけない ✖(読まなくていい、黙っててもいい)
自分をよく見せようとしてはいけない ✖(そんなこともあるさ)
取り繕ってはいけない ✖(そんなことだってあるさ)
綺麗事を言ってはいけない ✖(言ったっていいじゃない)
思ってないことは言ってはいけない ✖(なんだってありだ)
良い人でないといけない ✖(良い人の定義は人それぞれ、自分の思う良い人ではいたい)
人に関心を持ってはいけない ✖(わざわざ分離されてる世界なんだから、もてばよい)
人と関わらなければいけない ✖(関わりたくなければひとりでもいい)
友達は多い方がいい ✖(多くても少なくてもいなくたってなんだっていい)
みじめな姿を人に見せるのは恥ずかしいこと ✖(どんな状況だって生きてるってことだから惨めなんかじゃない)
人によって態度を変えてはいけない ✖(好きにしたらいい)
自分の発言に責任を持たないといけない ✖(意見は変わる)
言ったことはやりきらないといけない ✖(有言不実行でもいいじゃん、その時のフィーリング)
過去に引きずられてはいけない ✖(どっちでもいい)
ネガティブはダメ ✖(ネガティブポジティブどっちも体験できるから素晴らしい、ネガティブだけダメなんて不自然)
辛いことには1人でじっと耐えなければいけない(わめいてもいい)
人を頼ってはいけない ✖(頼っていい)
人の意見に耳を傾けなければいけない✖(意見次第。でも基本は自分のこうしたいの意見に自信をもつ)
反抗的な態度を取ってはいけない ✖(とればいいし、睨みつけてやれー!!!)
他人と比べてはいけない✖(人と比べる体験も貴重だ)
人に好かれるとめんどくさいことになる△(一人が楽と思ってしまうけど人に好かれて良いこともあるよね)
人と関わるとめんどくさいことになる△
最近は悪い人が増えている✖(みんな余裕がないだけだよきっと)
見た目を気を付けなければいけない✖(すっぴんで何がわるい?)
18歳を超えたら化粧がマナー✖(14歳ではダメなのに?したい人だけしたらいい)
人と違ってはいけない✖(人はそもそも違うのが自然でしょ)
地味なことは恥ずかしいこと✖(恥ずかしくない、堂々と)
トラブルはなるべく避けなければいけない✖(トラブルも人生)
怠けてはいけない✖(なまけもの、最高)
自己管理ができないのは恥ずかしいこと✖(正直、どっちでもいい。したいならすればいい。)
歳相応のふるまいをしなければいけない✖(何歳だって好きにしたらいい、どうせ死ぬんだから)
我慢は美徳✖(わたしは我慢しないほうが気分がいい)
子どものままいてはいけない✖(ずっと子供気分だっていい)
人の時間を奪ってはいけない✖(人と関わるうえでそれは不可能)
言われたことは守らなければいけない✖(良いと思えば取り入れる、良いと思わなければ無視)
人をすぐに信用してはいけない✖(良いと思ったらいいんじゃない?仮に騙されたとしてもね)
リスクは徹底的に排除しなければいけない✖(つまんない)
人には優劣がある✖(ない)
現状維持は退化である✖(現状維持でもいいじゃん)
疲れるのはわるいこと✖(疲れて休むのは悪いことじゃない)
溜息をつくと幸せが逃げる✖(ただの呼吸、幸せ関係ない)
ささくれは親不孝をしている証✖(ただの指先の乾燥・栄養不足)
いや、いけないこと多すぎっ!!!!😂😂☀️
こんなにルールがあったら正直元気に生きていられない。

ああしなきゃ、こうしなきゃだめ
の自分ルール
もう全部いらない。うんざりだ、よく見たら矛盾してるものもあるし。
大人になってから、他人に言われたこととか、年配者にいわれたことって、あーはいはい(価値観古い~)って大半は流せる。
でもまだ小・中学生は考えが子供だから、「ほんとにそうなのかな?」「大人がそう言ってるからそうかも」っていうことでそのルールを自分ルールにも適用してしまったのかも。私は。
特に私の今回の肉体って、真面目で繊細なんだろうなぁと思った。
見た目がパッとしないとか、そういう条件が重なって、社会に適合していかないとやっていけないじゃん!と生存戦略をたて、なんでも、「メモメモ!!!!( ..)φ」みたいにメモしてきたんだろうな。

人が怖い・自分の美学

今、わたしの自分ルールはこれだけにしたいと思っている。
「人に危害を加えない」
人からなにかを奪ったところで、結局得られないと思う。
得たいものは心の豊かさ。人や物や他者からの愛じゃない。
誰かからうばったものを得ても、結局心がマイナスになると思っている。
だから運転だけは誰が何と言おうと怖い。どんなに気を付けていても、1パーセントでも人の体に危害を与えてしまう可能性があるからだ。
明確な意思を持たずして人を殺してしまう可能性があることなんて自分の生活では運転くらい。
不動産屋の車に乗って内見しにいったときに、「めっちゃ人多くて邪魔ですよね~轢いてやろうか?って感じですよね」って言いながらスピードだして危険運転していて、適当に相槌をうったが人間に恐怖を感じた。
なるほどこういう思考回路の人間もいるんだ、上手くやれるはずがない。
戦争が終わるわけがない。相手を同じ人間だと思っていないからだ。何で判断しているの?見た目?能力?人種?宗教?経済能力?そんなことすら考えていないのかもしれない。
平気で人から奪う。文化や資源を奪う。勝手に自分の善の価値観を押し付けて、相手の価値観や文化を尊重することができない、放っておくことができない、住み分けは差別ではなく愛ある境界線だと思う。足りなければ人から奪う、足りてるのにさらに自分たちがプラスになるように奪う、自分だけよければ人を踏みつけても心が痛まない、資源がほしくたって対等だと思っていれば、せめて相手を尊重して交渉して取引をするだろうに・・・。
でもこういう思考回路の人間は、この社会では生きやすそうだ。罪悪感もないなら最強だ。
人間が怖い。いろんな人間がいると知った大人になってから加速しているこの信念を壊すのは難しそうだ。
だとしても、染まりたくない。
社会がどうであろうと、自分の中に自分の美学のようなものがある。それだけは曲げたくない。
こうじゃなきゃダメとか、こうしたほうがいいとかって、そんなことはどうだったいい。全部無視して生きていこう。

それはルールというよりも目標
それは綺麗に言語化できないけど、それだけ大事にして生きて行こうと思う。
歪んだ男女像・恋愛像

もうね、いっぱいありすぎた。
女の性欲は悪
男の性欲は仕方ない
浮気をしてはいけない
一途でないといけない
純粋でないといけない
性欲を出してはいけない
女は若いほうが価値がある
体を売るのはわるいこと
妻は夫に合わせなければいけない
女は家庭、男は仕事
女は愛嬌、男は度胸
女の幸せは結婚出産育児
まだ大量にあったけど、もう割愛。本気でくだらない。って思う。全部✖。
ってことは、ここに関しては味がしなくなるまで噛んだってことだと思う。
男とか女とかいちいち分けるのもくだらないと思う。
同じ人間だからね。
人種とかもそう思う、同じ人間だから。どこの国とか関係ない。
各々の価値観も社会の集団意識・宗教によって多かれ少なかれ影響があって形成されている。
「男」「女」「○○人」とか、ひとくくりにするのは雑だと思う。1人1人、みんなが違う人間。それが正常で、違うから美しい。
信念大掃除

このほかにも、家族に関する信念とか、お金、健康に関する信念とか、細かいもの含めれば大量の信念(自分のマイルール)をもっていた。
いままでは生きるために食べられたけど、もう消費期限切れで食べられないものは、捨てる。

大事にゴミを持ったままでは魂がもう生きられないのかもね。
ゴミ箱に捨てて残るもの

信念はいろいろある。善悪がないとはいえ、捨てても残るものがある。
好みだと思う。
例えば、
努力しなければいけない
という信念を捨てたとしても私は
頑張っている状態が好き
ということがわかった。
頑張っているというのは、心身ともにボロボロになってまでやりたくないことを我慢して頑張る
のではなく、自分のやりたいことを前向きに積み重ねて努力することだ。
したい➡する
これが私のシンプルな目標。
したくなくてもしなきゃいけないことは、具体的にそれのなにをしたくないのか一旦立ち止まって考える。
どうしたいのか自分と話し合って生きていく。そこに他人の物差しをいれない!
おしまい🌟