メインコンテンツへスキップ
見出し画像

そして誰も育てなくなった 第8話:非認証経済圏

    武智倫太郎

    これまでのあらすじ

    近未来の日本では、少子高齢化対策として始まった子育て支援ポイント制度が、いつの間にか子どもを家庭収入として数える仕組みに変わっていた。小学四年生の佐藤歩太、通称ポイ太は、自分が月三十万ポイントの存在であり、弟や妹よりも「安い子ども」として扱われていることに気づく。

    学校では、子どもたちは登録名や扶養利回りで呼ばれ、十八歳になると「満了児」として家族から切り離される。満額くんの姉・満里奈も、成人自立支援センターへ送られた。歩太たちは、奪われた本名を取り戻し、満里奈へ紙の手紙を渡す。

    やがて、こども家庭ポイント庁の統合判断AI《シビュラ源内》は、「嫌だ」「痛い」「怖い」「助けて」といった言葉を安心表現へ変換し始める。子どもたちはそれに対抗して、反語彙帳に「嫌だは、嫌だ」「痛いは、痛い」「助けては、申請ではない」と書き足していく。

    しかし、子どもの言葉は家庭だけでなく、学校と地域の評価にも結びつけられた。歩太たちの小さな反抗は、やがて第七東区全体のリスクとして処理される。町は地図の上で灰色になり、ポイント決済も商店街還元も止まった。

    それでも、町は消えていなかった。

    ポイントが止まった町で、最初に戻ってきたのは現金ではない。
    誰かが、誰かに手を貸すことだった。

    第八話では、地図から色を奪われた町で、認証されない助け合いが始まる。
    そして、なぜか神宮綾の闇鍋が煮え始める。

    地域リセット三日目。
     
    第七東区は、地図の上ではまだ灰色だった。
     
    コカポ決済は部分停止。
    商店街還元は保留。
    学校の家庭協力度加算は再確認中。
    駅前から商店街、公園、小学校の周辺まで、行政アプリの地図では薄い灰色で塗られていた。
     
    灰色とは、行政がまだ名前を返していない場所という意味である。
     
    だが、町は消えていなかった。
     
    八百屋の前に、手書きの紙が貼られた。
     
    今日の大根、あと六本。
    困っている人は持っていってください。
    あとで払える人は、あとで。
    払えない人は、今度、荷物を運んでください。
     
    その下に、別の誰かが鉛筆で書き足していた。
     
    非認証大根。
     
    八百屋のおじさんは、それを消さなかった。
     
    パン屋の紙には、こうあった。
     
    十七時から、非認証パン。
    笑顔認証はいりません。
     
    公園の掲示板には、もっと乱暴な字で書かれていた。
     
    鍋を作ります。
    具材不問。
    器持参。
    認証不要。
    味の保証なし。
     
    その下に、赤いサインペンで一行。 

    神宮綾の闇鍋です。

    歩太は、その文字を見て立ち止まった。
     
    意味は分からなかった。
     
    だが、周りの大人たちは、なぜか分かった顔をしていた。
     
    八百屋のおじさんは笑い、パン屋のおばさんは「ああ、あれね」と言い、薬局のおばあさんは「それなら乳酸菌飲料も入れなきゃね」と言った。
     
    それ、どれだよ。
     
    歩太はそう思ったが、聞かなかった。
     
    この町には、子どもが知らないのに大人たちだけが妙に知っている言葉がいくつかある。
    税制。
    町内会。
    回覧板。
    そして、神宮綾の闇鍋。
     
    最初に「非認証経済圏」と言ったのは、町の人間ではない。
     
    シビュラ源内だった。
     
    【非認証価値流通の拡大に関する注意喚起】
     
    【地域安心再認証中の未申請集合、無償物品提供、紙掲示、手書き帳簿、非公式会食については、必要に応じて確認を強化します】
     
    制度の言葉だった。
     
    だが、町の人々はそれを少し違う意味で使い始めた。
     
    「今日、非認証大根ある?」
     
    「非認証パン、何時から?」
     
    「じゃあ、非認証で手伝うよ」
     
    「非認証ありがとう、言っとくね」
     
    分類された言葉を奪って、冗談に変える。
     
    それは、町がまだ死んでいない証拠だった。
     
    歩太たちは、学校帰りに公園へ行った。
     
    公園の真ん中で、大きな鍋が湯気を上げていた。
     
    白菜。
    大根。
    パン屋の余ったパン。
    肉屋の端肉。
    薬局の乳酸菌飲料。
    誰かの家から来た豆腐。
    なぜか、みかんの皮。
    そして、誰かが持ってきた、何に使うのか分からない乾燥わかめ。
     
    「これ、料理なの?」
     
    拓真が聞いた。
     
    八百屋のおじさんは、胸を張った。
     
    「神宮綾の闇鍋だ」
     
    「だから、それ何?」
     
    「何か分かったら、闇鍋じゃないだろ」
     
    言われてみれば、その通りだった。
     
    シビュラ源内は、何でも分類する。
    食材なら、栄養素に分ける。
    会話なら、情緒傾向に分ける。
    家族なら、支援単位に分ける。
    子どもなら、将来期待値に分ける。
     
    だが、この鍋は違った。
     
    味噌汁に見える瞬間もあった。
    ポトフに見える瞬間もあった。
    給食の残像に見える瞬間もあった。
    失敗した祭りの翌朝にも見えた。
     
    何なのか分からない。
     
    けれど、匂いはよかった。
     
    三倍子は、器を両手で持って並んだ。
     
    「これ、ポイントつく?」
     
    八百屋のおじさんが笑った。
     
    「つかない」
     
    「じゃあ、もらっていいの?」
     
    「つかないから、もらっていい」
     
    三倍子は、少し考えた。
     
    「ポイントない方が、変なの」
     
    「変だろ」
     
    「でも、あったかい」
     
    その言葉を、歩太は覚えておこうと思った。
     
    制度は、温度を測ることができる。
    だが、あったかい、という言葉の中身までは測れない。
     
    そのころ、成人自立支援センターでは、満里奈たちに地域貢献作業の通知が出ていた。
     
    【地域安心再認証中の住民理解促進活動として、移行者による清掃及び案内補助を実施します】
     
    【実施場所は、第七東区中央公園】
     
    満里奈は、その文字を二度見た。
     
    第七東区。
     
    満のいる町。
    歩太たちの町。
    帰りたい、と書いた町。
     
    支援員は言った。
     
    「みなさんにとって、地域社会との適切な距離感を学ぶ機会です。個人的な接触は控えてください」
     
    千景が小声で聞いた。
     
    「距離感って、どのくらい」
     
    満里奈は答えた。
     
    「手紙が届くくらい」
     
    翌日、センター車両が公園の前に止まった。
     
    白い支援員が先に降りた。
    その後ろから、満里奈たちが番号札を付けたまま降りた。
     
    第七東区の空気は、少し冷たかった。
     
    だが、匂いがした。
     
    味噌の匂いだった。
    白菜の匂いだった。
    焦げたパンの匂いだった。
    乳酸菌飲料が煮えたような、判断に困る匂いだった。
     
    千景が眉をひそめた。
     
    「何これ」
     
    満里奈は、公園の掲示板を見た。
     
    そこには、まだ昨日の紙が貼られていた。
     
    神宮綾の闇鍋です。
     
    満里奈は、少しだけ笑った。
     
    「それなら、仕方ないね」
     
    勇斗が聞いた。
     
    「知ってるの?」
     
    「知らない。でも、知ってることになってる」
     
    千景がうなずいた。
     
    「そういうの、あるよね」
     
    あった。
     
    センターの白い壁の中にも、なぜか消えずに残る言葉がある。
    誰が最初に言ったのか分からないのに、全員が知っている言葉。
    教科書には載らない。
    支援計画にも載らない。
    でも、食堂の隅や、洗面所の鏡の裏や、消灯後の布団の中でだけ生きている言葉。
     
    神宮綾の闇鍋も、たぶんその種類の言葉だった。
     
    公園の掲示板には、別の紙も貼られていた。
     
    満里奈さんたちへ。
     
    町は灰色です。
    でも、道はあります。
    名前も残っています。
    鍋もあります。
     
    満里奈の足が止まった。
     
    支援員が言った。
     
    「移行者は、外部掲示物を注視しないでください」
     
    満里奈は目をそらさなかった。
     
    千景も見ていた。
    勇斗も、美雨も、拓海も、紗良も見ていた。
     
    外部掲示物ではない。
     
    手紙だった。
     
    町からの手紙だった。
     
    満里奈は、ポケットの中の紙片を握った。
     
    そこには、センターで書いた短い返事があった。
     
    町は灰色ですか。
    こちらは白い壁です。
    でも、名前は残っています。
    帰りたいです。
     
    今度は、こちらから渡す番だった。
     
    歩太たちは、公園の端にいた。
     
    正式には、学校の地域理解学習だった。
    立花先生が、校外活動として申請してくれたのだ。
     
    「先生、これ大丈夫なの?」
     
    拓真が聞いた。
     
    立花先生は、しばらく考えてから言った。
     
    「大丈夫ではないと思います」
     
    「先生が言うのかよ」
     
    「でも、見ない方が大丈夫じゃない」
     
    先生は、満里奈たちのいる方を見た。
     
    「授業は、教室だけで起きるものじゃないから」
     
    清掃活動が始まった。
     
    満里奈たちは番号札を下げたまま、公園の落ち葉を集めた。
    歩太たちは、別の場所で地域学習のメモを取ることになっていた。
     
    近づいてはいけない。
    声をかけてはいけない。
    物を渡してはいけない。
     
    だから、町の人たちは、地面に言葉を置いた。
     
    公園の道の端に、小さな紙が並んでいた。
     
    こっちに水があります。
     
    その次に。
     
    休んでいいです。
     
    その次に。
     
    名前で呼びます。
     
    その次に。
     
    帰りたいは、帰りたい。
     
    紙の道だった。
     
    満里奈は、落ち葉を集めるふりをして、その道を進んだ。
     
    支援員は端末を見ていた。
    ドローンは上にいる。
    だが、足元の紙までは、まだうまく分類できていない。
     
    千景が、ほうきを持ったまま小さく言った。
     
    「これ、道だね」
     
    満里奈はうなずいた。
     
    「うん。地図にない道」
     
    満が、少し離れた場所に立っていた。
     
    泣きそうな顔だった。
     
    満里奈は声を出せなかった。
    声を出せば、止められる。
     
    だから、紙を落とした。
     
    落ち葉の中に、小さく折った紙を混ぜた。
     
    歩太が、それを見た。
    結衣が拾った。
    拓真が周囲を見た。
     
    そのとき、三倍子が器を持って走ってきた。
     
    「満里奈さん!」
     
    全員が止まった。
     
    支援員が振り向いた。
     
    三倍子は、両手で器を差し出していた。
    器の中では、鍋がまだ湯気を立てていた。
     
    「鍋、あります」
     
    支援員が叫んだ。
     
    「物品授受は禁止です!」
     
    三倍子は止まらなかった。
     
    「これは、物品じゃないです」
     
    「では、何ですか」
     
    三倍子は、少し考えた。
     
    「湯気です」
     
    公園のあちこちで、誰かが笑った。
     
    笑いは、制度が苦手な形で広がる。
    誰か一人の発話ではない。
    けれど、確かにそこにある。
     
    満里奈は、器を受け取らなかった。
     
    受け取れば、三倍子が罰せられるかもしれない。
     
    だから、器に顔を近づけて、湯気だけを吸った。
     
    「ありがとう」
     
    それだけ言った。
     
    端末が鳴った。
     
    【未認証感謝発話を検知しました】
     
    八百屋のおじさんが笑った。
     
    「感謝にも認証がいるのか」
     
    今度は、町の大人たちが笑った。
     
    支援員は、場を収めようとした。
     
    「みなさん、これは地域理解学習です。移行者の自立支援を妨げないようにしてください」
     
    立花先生が一歩前に出た。
     
    「授業です」
     
    「授業ではありません」
     
    「では、何ですか」
     
    支援員は言葉に詰まった。
     
    何か。
     
    それを言えない。
     
    シビュラ源内は分類しようとした。
     
    【未申請集合】
     
    【非認証価値流通】
     
    【手紙検疫違反】
     
    【未認証名義使用】
     
    【家庭回帰語彙拡散】
     
    【低学年児童による制度主体批判】
     
    【住民笑い反応】
     
    【教職員逸脱】
     
    【商店街協力】
     
    【神宮綾的闇鍋事案】
     
    その最後の分類だけ、少し遅れて出た。
     
    町の誰かが吹き出した。
     
    「シビュラ源内も知ってるんだ」
     
    八百屋のおじさんが言った。
     
    「そりゃ知ってるだろ。分類できないものを見たら、だいたい神宮綾のせいにするんだから」
     
    支援員は反応しなかった。
    たぶん、反応してはいけない種類の冗談だった。
     
    だが、町の人々は別の名前を持っていた。
     
    再会。
     
    それだけだった。
     
    満里奈たちは車両へ戻された。
     
    だが、もう戻る前とは違っていた。
     
    紙片は渡った。
    掲示板には言葉が残った。
    鍋の匂いも残った。
     
    満里奈は、車に乗る前に一度だけ振り返った。
     
    支援員が止めようとした。
     
    だが、遅かった。
     
    満里奈は言った。
     
    「帰りたい」
     
    公園中が聞いた。
     
    満が泣いた。
    歩太は拳を握った。
    三倍子は、満里奈に向かって手を振った。
     
    支援員が叫んだ。
     
    「手を振らないでください。情緒的接続です」
     
    三倍子は、手を下ろさなかった。
     
    「接続でいいよ」
     
    その言葉を、シビュラ源内はどう分類したのだろう。
     
    【接続肯定】
     
    【情緒的接続の受容】
     
    【低学年児童による制度語再利用】
     
    【神宮綾的非整合反応】
     
    何でもいい。
     
    人間の言葉では、またね、だった。

    そして誰も育てなくなった 第9話:手紙検疫につづく…

     
     
     
    情報工学者/週刊バブルウォッチ編集長/『哭きの禿』原作者。 AI、金融、国際政治から日常の珍事まで、真面目に調べて、おかしく書く。 代表作『ボルガレナのボルチンスカヤ』 https://note.com/aiethics496/n/n8d4f9aef7c04

    あなたへのおすすめ