そして誰も特許が取れなくなった
文・武智倫太郎
孫正義は『知のゴールドラッシュ』が始まると言った。
人間がまだ知らないことをAIに先に考えさせ、先に問題を解決した者が勝つ。
それを聞いたAIは、正しく理解した。
発明で勝つには、世界中の発明を、ほかの誰かが思いつく前に特許にしてしまえばよい。
そこでSBGは、『千手観音特許』を開始した。
グループ全体で十億のAIエージェントを稼働させ、一体につき一日一件、特許を出願させる計画だった。
AIエージェントは、二十四時間三百六十五日働いた。
盆休みも正月休みもなかった。
労働基準法も適用されなかった。
翌朝、十億件の特許出願が完成していた。
最初に悲鳴を上げたのは、経理部だった。
日本の特許出願料は、一件一万四千円である。
十億件なら、一日十四兆円になる。
これは出願書類を受け取ってもらうだけの料金であり、審査請求料も、弁理士費用も、外国出願費用も含まれていない。
国際出願と弁理士費用を一件百万円と見積もると、一日千兆円になった。
経理部長がAIに尋ねた。
『一か月では、いくらになりますか?』
AIは答えた。
『金額が大きすぎるため、月単位での表示には対応していません』
銀行の送金システムも対応していなかった。
送金額の入力欄が十六桁までしかなかったからである。
SBGは、その日のうちに千兆円を送金できる銀行システムを開発し、特許を出願した。
発明者欄には、AIエージェントの名前が記載されていた。
特許庁は補正を命じた。
『発明者には自然人の氏名を記載してください』
そこで、十億件すべての発明者を『孫正義』に変更した。
特許庁は質問した。
『孫正義氏は、本日一日で十億件の発明を完成させたのですか』
千手観音特許は回答した。
『いいえ。すべてAIエージェントが自律的に発明しました』
十億件すべてが拒絶された。
SBGは学習した。
翌日から、社員一人につき千体のAIエージェントを割り当てた。
AIが発明を完成させると、社員の画面に確認ボタンが表示された。
【私は本発明を発明しました】
社員は一日千回、このボタンを押した。
押さなければ、人事評価が下がった。
こうして十億件の発明に、人間の発明者が付いた。
審査が追いつかなくなった。
各国の特許庁はAI審査官を導入した。
AI審査官は、AIが書いた特許を、AIが生成した先行技術と比較した。
一件の審査に〇・〇〇三秒しかかからなかった。
しかし、一日十億件届いた。
処理時間の表示は、こうなった。
【推定審査完了日:西暦四八六二年】
SBGは、特許審査を高速化するAIを発明した。
ところが、同じ発明が前日に出願されていた。
出願したのは、SBGの別のAIエージェントだった。
新規性がないとして拒絶された。
それでも、一部の特許は登録された。
世界中の企業は対抗して、『百万手観音無効化AI』を開発した。
無効化AIは、SBGが保存していた生成記録を調べた。
そこには、こう書かれていた。
【発明者:AIエージェント】
【人間による貢献:承認ボタンの押下】
【所要時間:〇・七秒】
登録された特許は、次々に無効化された。
SBGは莫大な金と莫大な電気を消費した。
日本中で停電が発生した。
電力会社は、消費電力を半分にする新技術を開発した。
しかし、その技術も既に千手観音特許によって出願されていた。
特許は取れなかった。
十八か月後、本当の災害が始まった。
特許出願は、原則として出願から十八か月後に公開される。
千手観音特許が出願した数千億件の技術情報が、世界中の特許データベースで一斉に公開された。
そこには、実現可能な発明もあった。
実現不可能な発明もあった。
実現可能かどうか誰にも分からない発明もあった。
人間の研究者が新しい半導体を発明した。
AI審査官が検索した。
二百三十七件の先行技術が見つかった。
製薬会社が新薬を開発した。
三千八百十二件見つかった。
町工場の職人が、外れないネジを発明した。
七万四千件見つかった。
どれも、SBGのAIエージェントが十八か月前に考えていた。
SBGの出願は、特許にはならなかった。
しかし、公開された技術情報は先行技術になった。
SBGは世界中の特許を独占できなかった。
その代わり、世界中の発明から新規性を奪うことに成功した。
各国政府は緊急会議を開いた。
『AIが自律的に生成した文書は、先行技術から除外すべきではないか』
しかし、どの文書をAIが書いたのか判別できなかった。
人間が書いた特許もAIらしかった。
AIが書いた特許も人間らしかった。
そこで特許庁は、出願人に人間が発明した証拠を求めることにした。
研究ノート。
実験記録。
失敗の履歴。
発明の瞬間を撮影した映像。
千手観音特許は、一晩で十億人分の研究ノートと実験記録と失敗の履歴を作成した。
さらに、十億人の研究者が風呂の中で突然発明を思いつく映像も生成した。
人間であることの証明まで、AIが作るようになった。
世界知的所有権機関は、最後の声明を発表した。
『人間が発明したことを確認でき、かつ、世界中のいかなるAIも過去に生成していない発明に限り、特許を認めます』
その声明が公開される三秒前に、千手観音特許は同じ制度を発明し、出願していた。
声明そのものに新規性がなかった。
各国の特許庁は、特許制度を守るため、新規の特許付与を一時停止した。
再開時期は未定とされた。
孫正義が予言したとおり、知のゴールドラッシュは始まった。
十億のAIエージェントが、誰よりも早く、世界中の金鉱を掘り尽くした。
ただし、金を持ち帰った者はいなかった。
掘り出した金はすべて公開され、誰のものにもならなかったからである。
そして誰も特許が取れなくなった。
