
「書かせる」をやめたら、自分の文章が戻ってきた
「なんか、らしくないな」と言われた。
先月、Claudeに書いてもらったnote記事を友人に見せたときのことだ。「文章うまくなった?」じゃなくて、「なんか違う」という顔をされた。そのとき、正直まずいと思った。
Claudeの文章は悪くない。むしろ整っている。でも「整っている」と「自分らしい」は別の話で、その差が読んだ人にはバレる。
それから数日、Claudeを使うのをためらっていた。で、もう少し試してみようと思って変えたのが、渡し方だった。

Claudeを「翻訳機」として使う
最初に気づいたのは、Claudeの文章をそのまま出すと「最大多数が読めるように調整された文章」になるということだ。変な癖がなく、誰にでも読みやすい。でも言い換えると、誰の声でもない。
そこで試したのが、「翻訳機」として使う方法だ。
自分の思ったことを箇条書きで渡す。「このまま読める文章にして」と頼む。それだけ。
たとえばこんな感じ。
Claudeに文章を書かせたら友人に「らしくない」と言われた
整った文章になるけど自分の文章じゃない感じがする
箇条書きを渡して文章にしてもらう方が良かった
これをClaudeに渡すと、自分の思考の流れがそのまま文体になって戻ってくる。Claudeが書いているんじゃなくて、自分の考えをClaudeが読める形に変換している、という感覚に近い。
自分の文章を読み込ませる方法
もう少し精度を上げたいなら、過去の自分の文章を渡す。
「このスタイルで書いて」と一言添えて、過去に自分が書いた文章を3本ほど貼り付ける。Claudeは長文をそのまま読める。読み込み量が多いほど、出てくる文章が自分に近くなる。
実際にやってみたら、「で、」の使い方とか、一文を短く切るリズムとか、地味なところがそのまま出てきた。文体の癖が移植される感じがして、意外と気持ち悪いくらいだった(笑)。
英語圏のコミュニティでは「Voiceprint」と呼んでいる手法らしい。2〜3ヶ月ごとにサンプルを更新すると、書き方が変わっても追いついてくる。日本語の記事ではほとんど見かけないが、自分でやってみて確かに機能すると感じた。
「書かせる」じゃなくて「引き出す」
「Claudeに書いてもらう」と「Claudeで自分の言葉を引き出す」は、主語が違う。前者はClaudeが主語で、後者は自分が主語だ。
「らしくない」と言われなくなったのは、この主語を変えてからだった。
次にやるなら、まず箇条書き1本だけ試してみるといい。自分の思考をそのまま箇条書きで渡して、「読める文章にして」と頼む。それだけで、出てくるものがかなり変わる。